あたしの名前は、柏原夏実(かしわばらなつみ)。
十六歳、高校一年。血液型はB型で、好きな食べ物はアップルパイ。
あたしは最近、あるシンガーにはまっている。
その名前は『シオン』
『シオン』は、雪野潤と雪野瞳という二人の兄妹グループだ。
曰く、彼らには何か秘密があるらしい。いや、秘密があるということ事態、ただの噂に過ぎない。
それでも、あのすごい歌唱力は間違いないと思う。
ある時、あたしはラジオを聞いていてこう感じてしまったことがあった。
(雪野瞳さん、寂しそう……)
友達に話しても誰も信じてはくれない。
「聞き違いだよ!」 みんな、笑ってそう言う。
でも、インターネットでHPを周って見ると、あたしと同じように共感した人が何人もいた。
それからしばらくして、あたしはある噂を耳にした。
曰く、
インターネットの中に、もう一つ、別の『シオン』がいる……。
――カタンカタン――カタン――
込み合う朝の電車の中。
毎週日曜日、7時56分の快速電車。ニ両目、前の右のドアのところ。
彼はいつもそこにいる。
身長は高め。顔はまぁまぁ。いつも黒い鞄を持ち歩いている。
本を読むわけでもなく、ウォークマンを聞くわけでもなく、ただジーっと外の景色を眺めている。そして、突然、何かを思いついたように小さなノートを開いて書き込んでいる。
朝の、乗客の多い快速電車。それでも休みの朝というだけあって、平日に比べれば人の数は少ない。ちょうど座席は全て埋まり、ドアの端、通路にチラホラと立っている。制服、スーツ姿の乗客は少なく、どちらかといえば私服姿の乗客が目立っていた。彼らには平日の通勤者のような疲れた表情はない。
彼は他の友人達といっしょに乗ってくることはなかった。
友達がいないとか、そういったことではないと思う。ただ単に乗り合わせる友人がいないのだろう。
澄ました顔で、窓の外を眺めている彼。眠そうに立っているのを見たことがない。まるで、いつも何か考え事をしているみたい……。
「むむむ……! この名探偵麻衣ちゃんの推理によると、彼はお笑い芸人ね!」
「なんで?」
「だって、アレは絶対ネタ帳よ! あの人、よく書き込みながらニヤリと笑うじゃない! あれは自分のネタに酔っているんだわ!」
「はいはい、わかったから。さすが名探偵……」
「あー! 夏実、全然信じてないわね!」
「当たり前。見るからにあんな真面目そうな人が、お笑いなんか」
「甘い! 甘過ぎるわ、夏実! それはもうベーカリーのシュークリームなんかより甘過ぎるわ!! あーゆー真面目そうなのに限って、実は……!!」
「ねェ、麻衣。アンタ、なんでそんなに朝からテンション上げれるの?」
あたしは今、その彼と同じ電車の中にいる。
あたしの名前は柏原夏実。16歳、華の女子高生! てゆーか、自分で『華の』とか言ってる時点で、既に盛りは過ぎちゃってるのかもしれないけど……。
そして隣にいるのが、立川麻衣(たちかわまい)。
せっかくの休日だというのに、あたし達は学校へ向かっている。うちの学校の女子バレー部員であるあたしと麻衣は、夏の大会で最後となった3年の先輩達を追い出――もとい、最後の大会を華麗な成績で収めた先輩達に見守られ、あたし達は次の大会へ向けて日夜練習に明け暮れているのである。
バレーは好きだし運動とか得意なんだけど、今の時期ってクラブ行ってもおもしろくないんだよね。
所詮、1年であるあたし達がレギュラーをとれるはずもない。3年生がいなくなって我が物顔の2年生のために、1年生はなかなかボールを触らせてもらうことすらできないのだ。
学校の中でもね、それなりに伝統のあるクラブだと、部員は多いし先生は厳しいし、1年は肩身が狭いっていうか……。
スポーツは好きなんだけど、特にバレーボールに執着があるわけでもない。今後のために基礎体力作りとか、そういったことを真面目に取り組めるほど、あたし達は熱血漢でもない。
というわけで、真剣に大会目指す他の部員達に比べ、あたしや麻衣はかなりお気楽組であった。
「フッフッフッ! なぜこの麻衣ちゃんが、今日は朝から元気なのかって!? それは……」
「お通じきたの?」
「ちがう」
「じゃあ、朝のテレビの占いが1位だったんだ」
「うん、実はそれもそうなの!」
そりゃあ、4つも違う番組をチェックすれば、1つくらいは上位にあるよね。
「って、そうじゃないのぉ〜!」
首を振って、麻衣は否定する。あー麻衣、朝の電車であまりエネルギーを振りまかないように。隣のサラリーマンのおじさんが迷惑してるってば。
「じゃあ、今日は何?」
「うっふっふっ、実はね! 一階の竹内先輩がね、今朝声をかけてくれたの!」
嬉しそうに話す麻衣。
その竹内先輩というのは、麻衣の住むマンションの一階に住んでいる大学生の先輩。なかなかカッコイイ、ビジュアル系のイケメンで、麻衣はその先輩に入れ込んでいた。
「『麻衣ちゃん、今日も学校? クラブ活動、がんばってね』って、朝から惜しげもなくその魅惑の笑顔で……!!」
金髪のイケメンにしては、かなり礼儀正しいらしい。麻衣のとこのおばさんも、なかなか高い評価出してたし。
朝その横顔が見られるだけで、その日一日幸せな気分になれるという。
気持ちわからなくもないんだけど、でもアレはあたしの趣味じゃないなぁ。
車内の乗客はそれほど多くはない。
見ようと思えば、何の隔たりも無く彼の姿を確認することが出来る。
ガタンガタンと車両を揺らし、電車は大きな鉄橋を越える。
目くるめく変わる窓の風景に、彼は眉をピクリとも動かさない。いったい何を見つめているのだろうか。ただ彼の鞄の小さなマスコットが揺れる。
鉄橋を渡ると、しばらくして次の大きな駅に着く。
「そーかなぁ〜、竹内先輩ってヴィジュアル的に絶対夏実の好みだと思うんだけど」
あたしを何だと思っているわけ……?
「ちがうの?」
「う……否定はしないけど……」
そりゃあ、顔はイイけどさぁ。
「あたし的にはさ、もっとこう……落ち着いた、包容力のある大人の魅力ってやつが……」
「やっぱ、夏実はあそこに立ってる彼がいいんだ」
「うぐ…………い、いや、あたしはそんな……」
「でも、こうやって見てるだけじゃねぇー……」
やれやれ、夏実もまだまだね、と、麻衣はわざとらしくため息をつく。
「な、何よ……!」
「恋は攻めるもの! ただ待ってるだけじゃなくて、何か一か八かのモーションかけてみないと!」
「……た、たとえば?」
「例えば! 来週は、乗り込む位置を変えてみるの。彼のすぐ近くに乗り込み、さっきの川の前にカーブのところで……
『きゃ! あ、ご、ごめんなさいっ!』
偶然を装い、彼の方へ倒れこむ。
『キミ、どうしたんだ?』
『あ、はい! すみません、今日は朝から調子が悪くって……』
『大丈夫かい?』
彼に優しく介抱される彼女。
『顔色も悪いようだし。すぐ、病院へ行こう』
『いえ、あたしは大丈夫ですから!』
『無理はいけないよ。今から連れて行ってあげるから』
彼に抱きかかえ上げられ、夏実は赤くなりながらも、その彼の優しさに……
……って夏実? ちょっと、聞いてるの?!」
「そんなの上手くいくわけないでしょーが!」
三流小説作ってるんじゃないんだから。
「そこは、夏実の迫真の演技と魅惑の美貌で」
無理だってば!
「だって、見てるだけじゃ何も進展なくてつまんないじゃないのっ! もっと夏実らしく、パーっと華やかに散ってほしいじゃないっ!!」
本音が出たな。
『○○駅、○○駅、お出口は――』
あ、彼の降りる駅だ。あたし達の降りる駅はもう少し先。
彼の降りる駅は、この市の中心街の一歩手前の駅。快速電車は止まるけど、これといった特徴もないところ。また、この駅から向かう高校や大学なども何もない。あると言えば、この市の大きな図書館が近くにあるくらいだろうか。
ドアが開き、彼は人の流れに乗って降りてゆく。いったいどこに行ってるんだろう。まだ高校生っぽいし、仕事ってわけではなさそうなんだけど……。
そんな彼を見ていたあたしは、麻衣の不意を討った攻撃に気づくことができなかった。
「(キラン!)そんなに気になるなら、一緒に行ってきなさい!」
ドンッ!!
「わぁ!」
突然、麻衣に背中を押され、あたしの体は電車の外へ。
驚いて、慌てて後ろを振り返るが、時すでに遅し。
ガシャー!
ドアは閉まって――って、うそー!!
「あとでどうなったか教えてね〜!」
きゃーー!! あんのバカぁ〜! 何すんのよー!!
呆然と佇むあたしを残し、電車は次の駅へと向かっていった……。
たとえ電車が一本遅れようと、次の電車で向かえば集合時刻には間に合うだろう。
「それなのに、なぜあたしは彼の後をつけているの……」
誰とも無しに、あたしは一人呟く。
彼の姿を前に見ながら、頭の中ではどうやって麻衣に仕返しするかでいっぱいだ。
てゆーか、普通、いっしょに登校してる友達を駅に置き去りにする〜?!
ヒドイ友達もいたものだ……。
いや、あたしも前に似たようなことやったけどさ。
鞄……は、そういや電車の中だった。
財布や定期、携帯電話は制服のポケットの中なので問題はない。麻衣もそれは承知の上でやったんだろうけど。
規律の――いや、上下関係の厳しい我がクラブ。気になるのは、遅刻したあたしへの部員達による制裁。
鞄を麻衣が持っているということは、今日このあとあたしはその鞄を取りに学校へ行かなければならないのだ。今日は風邪をひいたことにして休むことも出来ない。まぁ先に行った麻衣が何かしらの理由をつけて言い訳してくれているんだろうけども。
「おにょれ、麻衣のやつ〜! 覚えておれ!」
今度は何をおごってもらおうかしら。
とは言いながらも、あたしも好奇心に負けて、遅刻も気にせず彼のあとをつけているんだけど。
あたしの数メートル前を、彼は平然と進む。
彼の降りたこの駅周辺は、それほどの繁華街という場所ではなかった。コンビニや小さなお店が所々。
初めて降りたこの土地に、あたしはキョロキョロと辺りを見回す。へぇ〜、こんな風になってたんだ。電車の窓から見るのとはまた違った景色。
意外に早足な彼に置いていかれないようについてゆく。あれだけ身長あるんだし、早いのは当たり前か。
彼はあたしのようにキョロキョロと目を動かしたりはせず、一瞥しただけで、目的地へ向かって颯爽と歩いてゆく。
う〜ん、やっぱ凛々しいなぁ〜! さっきすれ違ったどっかの男どもとは大違い! 彼だけが輝いて見えるのはあたしの気のせいか。
……って、のん気に彼の批評してる場合じゃな〜い! これって丸っ切りストーカーじゃない!!
ち、ちがう! あたしは断じてそんな人種の人間では……で、でも、ここまで来たんだし、もう学校遅刻は決定なんだし……!
やめようか、このまま後をつけるべきか。あたしの心の葛藤を余所に、彼はスタスタと歩いてゆく。
結局、目的地までついてきてしまった……。
彼は、とある小さなお店に入っていった。
彼が入ったのは小さな喫茶店。名前は、
「…………『LOVE-SICK』?!」
「で、それが、ここってわけね♪」
「うん」
その日の放課後。クラブ活動を終えたあたしと麻衣は、再びこのお店の前に来ていた。
「まさか、彼がこんなところで働いていたとはね……」
朝はこのお店はまだ開店前だったので、麻衣を連れて出直してきたのだ。開店前に入っていったことから、彼はこのお店で働いているに違いない。
「まさか、彼がいるのが、あの『LOVE-SICK』だったとは……」
喫茶店『LOVE-SICK』――別名『失恋レストラン』。
こんな異名を持つこのお店は、とあるパフェで有名な店だった。
「前から、一度来てみたかったのよね。あの駅から近いってのは知ってたんだけど、なかなか来る機会がなかったから」
「夏実は失恋しないもんね〜。告白しないから」
「うるさい!」
「それよりさー、あの彼、まだ働いていると思う? バイトなら午前シフトで、もういないかもしれないよ?」
「いなくても、パフェは食べるんでしょ?」
「もちろん!」
「ところでさー……」
麻衣のせいで今日は遅刻だったのだ!
遅刻のせいで、あたしは小一時間、ただただ筋トレさせられて……。知ってるっ?! 筋トレじゃ脂肪は落ちないのに筋肉ばっかりつくんだよ! 太い二の腕はヤダよぉー!
「わかってるって! 今日は麻衣ちゃんのおごりで〜す!」
ごちになりまーす!
お店に入ったあたし達は、店の奥の席に座る。
小さな外観に比べて、中は意外に広かった。十数席ある席のうち、お客がところどころ。時間帯のせいもあって、お客さんは少なかった。あたし達のすぐ横の壁にはギターが飾ってあり、店のさらに奥には大きなグランドピアノがあった。
店の中を見回していると、正面に座った麻衣につつかれる。
「ねぇ、来たよ♪」
声に促され、そちらの方を向くと……
わぁ!
そこには、お冷を持った彼がいた。
「いらっしゃいませ」
きゃー! 彼だよ、彼だよ!! こんな近くで初めて見るぅ〜!
「あの、ご注文の方は決まり次第店員をお呼びください。…………キ、キミ、俺の顔になんかついてる?」
初めて声聞いちゃったよぉ〜! ちょっとしどろもどろになってたり、なんか可愛……
「夏実」
バシッ!!
麻衣に三つ折になったメニューで叩かれる。
いったぁ〜い! 今、鼻に当たったよぉ!
「紅茶をお願いします。夏実、アンタは?」
いたた。あたしは鼻を押さえながら。麻衣、今の、ホントに痛かったんだよ!
「あ、あたしはアップルティを……」
「それから……『ネバーギブアップ』を!」
その麻衣の言葉に、彼はニヤリと笑う。
ネバーギブアップ――喫茶店『LOVE-SICK』の有名パフェで、超特盛り! 失恋した女の子がここでヤケ食いのために注文したという。以来ここの目玉商品となった、らしい。
ここはもともとパフェのおいしい店として有名で、他にも『チャレンジ』『メイクアップ』など様々なメニューが並ぶ。
「二人で食べるんで、スプーンは二つお願いします!」
はっきり言って、一人じゃ無理。
「了解。マスター、『ネバーギブアップ』一つ!」
彼が呼びかけると、マスターは「おう!」という気合の入った返事のあと、店の奥へ入っていった。
このお店はカウンター席もあり、お客の見えるところでコーヒーや紅茶をいれるらしい。厨房は店の奥のようだ。カウンターの内側へ回る彼。あれ? ってことは、彼が紅茶をいれてくれるんだろうか?
「きゃ〜! 彼が紅茶をいれてくれるみたい! ホントに通常料金でいいのかしら!」
「いいに決まってるでしょーが! 誰が料金払うと思ってるのよ」
もちろん麻衣です。
「夏実も彼ばっか見てないでさ。なんかこの店、おもしろくない? いっぱい楽器が飾ってあるよ」
麻衣に言われて、あたしはしぶしぶ彼から視線を離す。
本当だ! あたし達の座るすぐ横の壁にはギターが、その向こうにはバイオリン、カウンターの上にあるのはレコードの再生機器だろうか。入ってきた時にも気づいた、入り口のすぐ横にはトロンボーン、サックス。
「なんか不思議なお店だよねー。癒されるってゆーか……」
「うん」
「ギターが気になるのかい?」
近くのギターを見ていたあたし達に、紅茶を持った彼が話しかけてきた。
「このお店って、楽器が多いですよね」
「そうだね。ここのマスターはね、昔バンドをやってたんだ。けっこう有名だったらしい。キミ達はたぶん知らないだろうけど」
うん、知らないと思う。
「このギターはね、引退してこの喫茶店を開いたマスターへの贈り物なんだ。他の楽器もみんなそうだ。マスターを尊敬する数々のミュージシャン達の贈り物だ」
へ〜。
すると、彼は壁のギターを手に取り、おもむろに弾き始めた。
じゃら〜ん♪
おいおい、大切な贈り物を勝手に使っていいのかよ。
「ん? ……ああ、これは弾いたっていいんだよ。飾ってあるだけじゃ埃を被るだけだし、弾いてあげた方が楽器も喜ぶんじゃない?」
そういうもんだろうか。
「で、どっちが失恋したんだい?」
「…………へ?」
「あのパフェ頼んだってことは、どっちかが失恋したんだろ?」
おいおい、なんて安直な……
「あの、あたし達は別に……」
と、あたしの声を遮って、麻衣が口をはさむ。
「そーなんですよ。この子、夏実が失恋しちゃって。片思いの彼がいるんですけど、その相手というのが自分なんかとは釣り合わない高嶺の花! 今日、初めて話しかけたんですけど、その先行きはまさにイバラのごとく……!」
麻衣は紅茶に砂糖を入れながら。
なんで失恋決定なのよぉ! もう少し話聞いてみないと、まだわかんないじゃない!
「そうなんだ。何か失恋ソング、弾いてあげよっか? 俺もバンドやっててね、ギターも少しは弾けるよ」
あ、なんかあたし、失恋したことになってる。まぁそれで彼の演奏が聴けるなら。
「わぁ〜! カッコイイなぁ〜。あたし音楽は好きだけど、自分では楽器使えなくて、カラオケ行って歌うくらいで……」
「昔ピアノ習ってたんだけど、飽きっぽくて不器用な夏実には続かなかったんだよね」
「麻衣! 変なこと言わないでよ!」
「ちがうの?」
「う……ホントのことです……」
麻衣のせいで彼にも笑われちゃったじゃない!
「ところで店員さん。あの楽器の横にある色紙はなんですか?」
麻衣が彼に聞く。
「うん、あれはね、その楽器を贈った人のサイン色紙だよ。マスターへのメッセージを入れたね。けっこう有名な人ばかりだから、あとでそれぞれの色紙を見て回ってみるといいよ。もしかすると、何人か知ってる人がいるかもしれない」
「そのギターは、誰が贈ったものなんですか?」
すると、彼は待ってましたと言わんばかりに、嬉しそうに答えてくれた。
「よくぞ聞いてくれた! このギターは、俺がマスターの次に尊敬するミュージシャン、ギタリスト矢吹……」
「『ネバーギブアップ』へい、おまちっ!!」
わお! ジョッキ大!
マスターが持ってきた大きなパフェ。す、すごい、正面に座ってる麻衣の顔がまったく見えないよ。
「いっただっきま〜すっ!」
麻衣がスプーンを手に取り、あたしの見えないところから食べ始めた。
「あ、すみません! マスターさん、スプーンをもう一つ!」
「キミ達、聞いてないね……」
彼がちょっぴり悲しそうに呟く。
だって、目の前にこんなの出されたら、いくら彼の話でも、話聞いてる場合じゃないって! あたしはマスターからスプーンを受け取り、麻衣に遅れて食べ始める。
「はっはっは! どうだすごいだろ! 二人でも食べきれるかな!?」
「おお! 麻衣ちゃんの胃袋をなめんなよっ!」
なぜかマスターの挑発に麻衣が乗ってる。
「それより康祐、ギターなんかいじってないで、働け」
マスターが彼に注意する。ちなみに、彼の名前は康祐というらしい。ふむふむ。
「今客少ないんだし、レジはあっちの先輩に任せておけばいいじゃないですか。それより、この子が失恋したらしくって」
そーなんですよ〜。……ホントは違うけど。
「そんな下手なギター聞かせるくらいなら、ピアノ弾いてやれよ。お前、バンドのキーボード担当なんだろ?」
「いや、そうなんだけど……」
「この間来た、黒崎って言ったっけ? アイツはなかなか見所があったが。お前にギターは似合わんぞ」
「う…………っていうか、実は、ピアノはうちのベース担当のやつの方が上手くって、俺は頭が上がらないっていうか……」
「それだけの腕して何言ってんだか。しぶってないで、早く弾いてやれ。この子達も聞きたがっているぞ」
うん、聞きたい!
しょうがないなぁ……といった様子で、康祐さんは大きなグランドピアノのもとへ歩いていった。
それを見ながら、マスターは小声であたし達に話し始めた。
「最近の康祐のピアノは三割り増しで上手いぞ。アイツ、今年の夏彼女にふられて、それ以来……」
な、なにーー!
「マスター! 余計なことは言わないでください!」
しばらくして、お店の音楽が止まった。おしゃべりを止めた客達は、ピアノの前に座った彼を見つめる。
そして、静かな店内にはピアノの優しい音色が流れはじめた……。
「ねぇ麻衣〜! 次はいつ行くの〜?」
「アンタそればっか」
学校の帰り道。麻衣と二人、駅に向かって歩く。
あの演奏のあと、あたしは完全に彼に惚れてしまっていた。
はぁ、早く彼に会いたいなあ〜!
「そんなに会えるわけないでしょ! 康祐さん、日曜以外いつシフトなのか聞いてないし!」
しまったー! 聞いとくんだった!
「それに、毎週行ってたら太っちゃうでしょ!」
「それは麻衣がパフェを頼まなければ」
「この麻衣ちゃんに、敵に背を向けろとっ!?」
いや、敵じゃないから。あのマスターは麻衣にとって敵かもしれないけど。
「だって、カッコイイし、ピアノは上手いし、あんなイイ男どこ探したって見つかんないよ!」
「うん、それは認めるけど」
「麻衣のタイプじゃないもんね」
「うん。麻衣ちゃんとしては、あーゆーインテリっぽいのより、もっとワイルドな男の方が」
「……野獣?」
「はぁ〜、顔がイイ男だったらなぁ〜、荒々しく襲われたって……!」
いや、それはどうかと。
「康祐さんそういうの、かなり奥手っぽいよ? あ、そっか。夏実も奥手だから、問題ないか」
そ、そんなことないもん!
「なんにしても大丈夫! この麻衣ちゃんに任せなさい! 最後まで、夏実のこと応援してあげるから!」
「……最後って?」
「そりゃあモチロン、景気良くふられるか、見事ラブホテルに誘い込み夏実の処女を捧げ――」
「そこまで言わなくてもいい!」
「幸いにして、彼は失恋中! 絶対今がチャンスだって!」
「そ、そーだよね……」
それには本当に驚いた。
あんなカッコイイ彼なのだ。彼女の一人や二人、いたっておかしくはないのだ。彼とラブラブの現彼女から彼を奪えるほど、あたしは魔性の女でもないし、奪えるほど自分に自身があるわけでもない。あたしにとってこれほどのチャンスはないだろう。
なんとか康祐さんに近づけないかな。
しばらく二人で歩いてゆくと、突然麻衣が騒ぎ始めた。
「ちょ、ちょっと夏実! あの橋の上の人、康祐さんじゃないの?!」
「えええっ!!」
「しっ! バカ、声がでかい!」
慌ててあたし達は建物の陰に隠れる。
麻衣に促され、隠れるようにして覗き込むと、路の先、小さな橋の上に康祐さんが立っていた。
歩行者用の歩道もないような小さな橋。下を流れるのはお世辞にもあまりキレイとは言えない用水路。彼は立ち止まり、用水路の脇から生える木を見ているようだ。木はもはや夏の青々とした精力もなく、どこか秋の香りを感じさせる。
彼はいつもの――小さなノートを開いていた。
「キャ〜! ホ、ホントに康祐さんだぁ〜! こんなところで会えるなんて、きっとあたしと康祐さんは運命の赤い糸で結ばれているにちがいないわ!」
あぁ……あたしは、あなたの姿を見られるだけで幸せです……。
「むむむ、あのブレザーの制服。そうか、彼はあっちの高校だったか」
「2年生……あぁ、康祐先輩……」
あたし達の通う高校のすぐ近くにはもう一つの高校があった。双方が市街地から少し離れたところにあり、最寄の駅は同じため、朝のラッシュの時間帯には二校の生徒達で非常に混雑するのである。
彼の制服は、向こうの高校のもの。襟の刺繍で学年も判別できる。他校とはいえ、その辺りはあたし達に抜かりは無い。
「長身にスラリと伸びた足がカッコイイな……きっと将来は素敵な足長おじさまに――」
「さぁ行け夏実!!」
ポンッと押され、あたしは一人物陰から飛び出る。
「へ……?」
思考がお出かけしていたあたしは、一瞬キョトンとしてしまうが、気づいて慌てて麻衣のいる物陰に戻る。
「夏実なんで戻ってくんのよ! 早く行きなさいよ!」
「あ……うぅぅ……は、恥ずかしいよぉ〜……」
自分で運命だとか言っておきながら、恥ずかしくて出て行けないあたし。
「こうやって遠くから見ているだけであたしは幸せですぅ……」
「何バカなこと言ってんのよっ! またと無いチャンスじゃない! 早く、行きなさいってばっ……!!」
グイグイと後ろからあたしの背中を押す麻衣に、抵抗するあたし。
こ、こんなところで会えるなんて、すっごい嬉しいんだけど、な、なんか心の準備が……
そんなあたしと麻衣の小競り合いに彼は気づいた。
「あれ? キミ達は……」
あたしは麻衣に引きずられるようにして彼に近づいていった。
「この前、パフェ食べに来てくれた子達だよね?」
きゃー、覚えててくれたんだぁ〜!
「へー、向こうの生徒だったんだね」
なるほど、といったふうに頷く彼。
「は、はい……!」
康祐さんがあたしの制服姿をみてるぅ〜! しまったー! 制服、アイロンかけてくるんだったぁ〜!!
隣の麻衣が意味あり気にあたしを肘でつついてくる。
ど、どーしよぉ〜! 話したいことはいっぱいあったはずなのに、何話していいかわかんないよー!
こんな時はさすが麻衣だ。
「あの、康祐さんはこんなところで何をしているんですか?」
喋り出せないあたしの変わりに麻衣が質問した。視線は、気になる康祐さんの持つ小さなノートへ。
「ん、コレ? 中、見てみたい?」
あたし達は頷く。
あっさりと渡されたそのノートの中を、あたしと麻衣は覗き込んだ。
い、意味のわからない単語の羅列がいっぱい……。
何コレ? ペラペラとページをめくると、よくわからない羅列以外にも、小さな絵や詩のようなものが書き込んである。
康祐さんは笑いながら、首を捻らせるあたし達を見ている。
「ねー麻衣、コレなんだと思……う――」
麻衣に聞こうとした瞬間、グイッと引き寄せられた。康祐さんには聞こえないように、麻衣は彼に背を向けて小声で話しかけてきた。
「夏実、これは絶好のチャンスよっ!」
そう言って麻衣が取り出したのは小さなカード。この間、ゲーセンで遊びで作ったあたしの名刺だった。携帯の番号やアドレス、あたしのプリクラが張ってある。
「あ、そーいえば、こんなん作ったんだっけ?」
「コレを今のうちにこのノートの隙間に挟んでおくの! あっちに気があるなら、そのうち絶対にTelしてくれるって!」
オオ! ナイスアイディア!!
直接渡すより、さりげなく挟んでおいてこのカードを見た方がドキリと感じてくれるはず!
珍しくナイスなことを言う麻衣からあたしは名刺を受け取り、ノートのページに挟もうと……
……ん?
麻衣の笑顔が気になった。
名刺の裏を覗いてみる。裏には、可愛いデザインのニンジンくわえた兎が書いてあるのだが。
何やら書き加えられていた。
『あなたからのコール、いつでも待っています! あなたを思って眠らない夜は、一人自分を慰め――』
ビリッ!!
「はうっ」
麻衣が小さく悲鳴を上げる。あたしは顔を赤くしながら麻衣に詰め寄った。
「こ、こんなの渡せるわけないでしょ!」
破いた名刺をクシャクシャと握りつぶす。
「大丈夫! 真心あれば誠意は伝わるっ!」
いったい何を伝える気よっ!
「おいおい! 今何か破れるような音が」
「あ、あははは……ち、違います違います、なんでもないです! 破れたのは康祐さんのノートじゃなくって――!」
康祐さんに慌てて弁解する。
「いや、別に破れちゃってもいいんだけどね」
「コレって何なんですか?」
中を見てもわからない。結局あたし達はギブアップ。
「コレはね、作詞をする時のためのメモだよ」
「作詩? 詩を書いてるんですか?」
「詩ってわけじゃないんだけどね。歌の作詞だよ。俺がバンドやってるって話はしたよね。曲の歌詞を作るのに、日常の些細な事から思い浮かんだフレーズは全部メモしていってるんだ」
あたし達も書いてる、日記帳みたいなもの?
「日記帳……とは少し違うんだけどね。日記も作詞とかにはけっこう役立ったりするけど。まぁ、これはネタ帳みたいなものかな」
わぁ〜! 名探偵、ホントにネタ帳だったよ!
あたしと麻衣は目を見合わせて笑ってしまった。
「んん? 何? どーかしたの?」
不思議そうにあたし達を見る康祐さん。
「キミは――」
「あ! あたしは柏原夏実です」
「立川麻衣です! よろしく〜!」
さりげなく自己紹介♪
「知ってるみたいだけど、俺は瀬木康祐だ。改めてよろしく」
なるほど、瀬木先輩っと。忘れないよう心の奥深くにインプット。
…………ん? 瀬木、康祐?
「ん〜……どっかで聞いたことがあるような無いような……」
隣の麻衣も同じことを思ったみたい。うん、そーなんだよね、どっかで聞いたことあるんだよね。麻衣は頭を悩ませ始めた。のど元まで来ているのに口に出せない、そんな感じ。
「それで夏実ちゃん」
「は、はいぃ!!」
呼ばれて、思わず硬直。
きゃ〜! 初めて名前呼んでもらった!
「夏実ちゃんはもう、失恋の傷は癒えた?」
「…………はい?」
「この間、失恋のヤケ食いに来たんだろ? 二人で見事に完食しちゃってさ」
しまったぁーー! そーいえばそんな設定だった!
「はい! あ、いや、え〜っと…………もうそのことなら大丈夫です! バッチリです! パフェ食って、元気取り戻しました!」
「そっか、それは良かった。それでさ、夏実ちゃん……」
何やら、言い難そうに話す康祐さん。
「夏実ちゃん、その失恋の体験談、もし構わなければ、俺に少し話してくれないかな?」
ムリです! ホントは失恋なんてしてないんだから。
……って、素直に言うわけにもいかなーい!!
せっかく康祐さんがあたしに聞いてくれたのだ! これはチャンス! 創作しちゃおっかな? 失恋の思い出を語るとともに、あたしの感情は高ぶり、涙を流すあたしのことを康祐さんは………… よし! 創作しよう!!
でもすぐにはムリ。
「康祐さん、それはヒドイですよ。失恋した女の子にその話をしろだなんて、デリカシーに欠けます!」
「ゴ、ゴメン! やっぱり聞いて悪かった! 聞かなかったことにしてくれ!」
康祐さんも自覚があったらしい。あたしが言うと、すぐに誤ってくれた。
「あ、でも、すぐには無理ですけど、康祐さんにならそのうち話してもいいですよ」
「そ、そっか……。ありがとう、じゃあ、またその気になったら教えてね」
やった〜! なんだか知らないけど、また康祐さんと会う口実ができちゃった♪
「それにしても、なんでそんなこと聞きたいんですか?」
この彼に限って、ただ好奇心でしたってことはなさそうなんだけど。
「う〜ん……実はね。次の作ってる歌について、事務所の方から注文されちゃって……。女の子の恋愛の歌にしてほしいんだとさ。だから、それなら女の子に直接聞いた方がいいからね」
「じ、事務所って! 康祐さん、デビューしてるんですか?!」
「ははは! うちのバンドがデビューしてるわけじゃないよ。でもね、一人デビューしちゃったやつがいてね、そいつの歌う歌は今も俺達が作ってるんだ」
うわぁー。すごーい。
康祐さんって、予想以上にすごい人かも。
「むむむ……! 瀬木康祐……作詞……」
隣の麻衣が、さらに深く頭を抱え始めた。まだ悩んでたんかい。
そして、ついに思い出した麻衣は……
「あーー! 思い出したーー〜!! 瀬木康祐って、『シオン』の歌の作詞作曲をしている人だぁーー〜!!」
あ、そーだ! 思い出した!
あたしも麻衣も『シオン』の大ファンなので、そーゆーチェックは欠かさない。
へ〜、同性同名なんだぁ。世間は狭いとはいえ、さすがにこんなところに本物がいるなんてあたしは思わない。
「ああ、知ってたんだ! そうだよ。アレは俺が雪野達と……俺達で作った曲なんだ」
平然と、サラリと言い放つ康祐さん。
…………。
…………えええーー〜!!
ホ、ホンモノだぁ〜〜〜!!
本物を目の前に、あたしと麻衣はちょっと錯乱気味。
「キャ〜! うそ〜! あの『蒼の願い』も、あのソロのシングルも、康祐さんが作ったんですよね!?」
「うん。ただ正確には、‘俺達が’なんだが……」
ということは、このノートの中には次の『シオン』の曲のレシピが入っているのかも!
あんなイイ曲を作っている人なので、もっと年のいった熟練の大物だと思っていたのに、こんなあたし達と変わらない高校生の人だったなんて。ちょっと驚きだ。
「アレは、歌がイイというより、雪野が歌っているからな……」
自嘲気味に康祐さんは笑った。
「そ、そんなことないです! すっごいイイ歌です! あたし達、今一番気に入っています!」
「潤さん瞳さんの声もすごいですけど、曲も歌詞もサイコ―にイイです!」
あたしと麻衣は、交互に言い続ける。
「うん、あれは自分でも最高の出来だからね。そう直接言ってもらえると、ホント嬉しいよ」
「あたし、あの曲のサビのフレーズのところ、好きなんですよ!
♪♪〜〜♪〜♪〜〜
って、フレーズのところなんですけ……ど…………」
あたしは説明し辛いところを、直接歌って伝えたのだが……。
なぜか、康祐さんはあたしを見たまま、驚いたように目を見開いたまま固まってしまった。……あ、あれ?
ど、どうしちゃったのかな〜、康祐さん……。そんなにあたしの歌、下手だったかな……! けっこう、カラオケは自身あるんだけど……。隣の麻衣は、「うんうん、さすが夏実よね」と頷いている。
しばらくして、硬直の溶けた康祐さんは、
「み……見つけたー!!」
と言って、あたしの腕を掴んだ。ドキッ!!
「ねェ! コレ、ちょっと借りてっていい?」
康祐さんが興奮した様子で麻衣に尋ねる。
…………。
……コレってあたしのことかぁ〜〜〜!?
最初驚いていた麻衣だったが、ハッと何かを悟ったらしく、
「どうぞどうぞ! こんなのでよろしければ!」
ニヤリと笑って麻衣は言う。二人とも〜!‘コレ’とか‘こんなの’とか言わないでェ〜〜!
本人は意識してそう言ったのではないのだろう。康祐さんは、自分の言ったことをまるで気にして……気づいていないようで、あたしの腕を引っ張って、どこかへ連れていこうとしている。わぁぁ〜〜〜!
「この子、まだ初めてですから、優しくしてあげてくださいね〜!」
麻衣が言う。麻衣ぃ〜! この康祐さんの様子からして、それははげしく違うと思う〜!
そんな麻衣の言葉も、今の康祐さんには届いていないようだった。ワッハッハッと何やら嬉しそうに、あたしの手を取りノシノシと歩いてゆく。
「はあ〜〜。なんか、娘を嫁にやる母の気分……♪」
麻衣がわざとらしく目にハンカチを当てている。アンタに育てられた覚えはなーい!
麻衣に言い返す間もなく、あたしは康祐さんに連れてかれる。
いったい、どこいくのぉ〜〜!!
「無理矢理連れてきちゃって、悪い!!」
しばらくして、頭の冷めた康祐さんがあたしに謝った。
「あ、まぁ、別にいいですけど……」
さっきから、しつこいくらいに康祐さんはあたしに謝っている。う〜ん……康祐さんは、基本的には礼儀正しくしっかりした人なんだけど、興味あるものを見つけると見境がなくなるらしい。彼の性格が少しわかってきた気がする。
悪いと思いながらも試さずにはいられない、そんな様子。
今も、彼は口では誤りながらも、手は着々とそれの準備に取り掛かっている。
連れてこられたところは、近くのカラオケボックスだった。
そして、彼はあたしにマイクを手渡した。
「歌ってくれ!!」
…………はい?!
あたしはかなり困惑していたが、よく考えてみたら、今あたしは康祐さんと狭い個室で二人っきりなのだ。きゃ〜!
最初は戸惑っていたものの、その後、かなり気分がノッてきたあたしは、カラオケで思いっきり、思う存分に歌を熱唱したのだった。
うっふっふ〜♪ 今日こそは、噂の真相を明かしてみせる〜!
決意も新たに、あたしは一人校門の前に立つ。着慣れないブレザーの着心地が、ちょっと新鮮。
今あたしの着ている制服は、あたしの通う学校のものではない。今来ているこの高校は、あたしの通う高校ではない。
今日、この高校は学園祭当日なのだ。そして、あたしは一人ここに忍び込み、潜入調査を試みようとしているのだ。
……何の調査かだって?
なんと噂によると、この高校にはあの『シオン』がいるらしい!
あくまでそれは噂である。
しかし、あたしと麻衣はつい最近、新たな別の情報を入手したのだ。
曰く、あの高校には非公式のファンクラブがあって、情報を全て隠しているらしい……。
その噂の真相を探るべく、あたしはやってきたのだ。
この高校の学園祭は、一般公開日がある。
だから、わざわざ制服まで準備する必要は無いんだけど。やっぱりここは、同じ学校の生徒として見られた方が警戒は薄いはず!
噂を聞く限り、その非公式のファンクラブは『シオン』の歌声をこの高校で独占しようとしているらしい。
ムッフッフッ♪
このあたしの目の黒いうちはそんな非道許せないわっ!!
せめて、うちの高校の学園祭だけにでも……
…………コホン! いえ、もとい、全国の『シオン』のファンのために、そんなことは絶対許さない!
麻衣も他の子達も、用事があるとかで誰も来れなかった。いいもん! あたし一人でもやってやるっ!
ついでに言えば、ここの制服を貸してくれた近所のお姉さんが、貸せる制服を一着しか持っていなかったので、一人じゃないとこの作戦は敢行できなかった。
一人なのはちょっと心細いけど。がんばろー!
あたしはさっそく、聞き込みを開始。
「ねェねェ! 雪野瞳さん、どこにいるか知らない?」
しばらく、校内の展示を見ながら情報を集めるが、なかなか見つからない。
だが、聞き込みを始めてすぐにこれだけは確信できた。
雪野瞳さんは、まず間違いなくこの学校にいる。
諦めないゾ〜!
次は入り口の横に立っているあの二人の女の子に聞いてみよう。
「あの〜、すみません! 雪野瞳さん、どこかで見かけませんでしたか?」
あくまで、この学園祭の何かのイベントのために雪野瞳を探しているスタッフのように話し掛ける。凝った演技してるわけじゃないけど。
「瞳さん? 知らないよ。今日は見てないよ」
「潤さんは?」
もう一度聞くが、二人の女の子は首を横に振る。
またハズレか……。
さっきから、こんなやりとりばっかり。
同じ制服なので、特に警戒心を持たれることもない。もし私服姿であれば、こうもあっさりとは答えてくれなかっただろう。さすが制服パワー!
ちなみに、この制服を貸してくれた近所のお姉さんは、今年の春ここを卒業した生徒のため、この制服の刺繍の色は今の一年の刺繍の色と同じ。三年サイクルなのだ。体操服や上履きも、各学年この色で統一されているらしい。
「ねェ! これから瞳さん達、何かするの?!」
あたしと同じ刺繍の1年の女の子。期待に満ちた眼差しで、今度はこっちに質問をされる。う……
「あ、うん、ちょっとね……」
「それにしても、昨日の潤さん、カッコよかったよねー!」
「……昨日って?」
何のことかわからないあたしは、思わず聞き返す。
ハッとしたように、こちらを見返す二人。ドキッ! マ、マズイかも!
「昨日の市民ホールの、あなた来なかったの?」
「う、うん……ちょっと、昨日はおじいちゃんの法事で……」
ごめん! じいちゃん生きてます!
「なんだ〜そうだったの! 残念だったね〜! 昨日、プログラムには無かったのに、最後に『ノルン』のステージが始まって、雪野潤さんが歌ってたのよ!」
えーーっ! そうだったのぉ〜!!
「なんか、生徒会や学園祭実行委員が結託して計画してたらしいよ」
しまった〜! 昨日から潜入するんだったぁ〜〜!!
「昨日は瞳さんいなかったんだけど、ノルンサイコー! シビレるぅ〜!って感じで!!」
「潤さん、カッコよかったなぁ〜! 一度でいいから、潤さんに抱かれてみたいなー……」
「ありがとう。嬉しいよ、そんなこと言ってくれて……」
え……!
話をしていた二人組の女の子の片方、目をうっとりとさせていたその子は、突然後ろから腕を回され、ぎゅっと誰かに抱かれる。
女の子の肩から顔を出したその男は、サングラスを掛けていた。……あれ? この男の人って!?
驚いて声も出ないその女の子。
「続きはこのあと、ホテルのベッドの中で――――」
その次の瞬間、男は女の子からグイッと引き離された。
引き離したのは、男の後ろからやってきた別の女の子。同じここの学校の制服を着た――刺繍の色は二年の――女の子、彼女はそのサングラスの男を胸座に引き寄せる。ちなみに、サングラスの男は私服姿。
「コラ〜!! オマエは潤のイメージを下げるなー! 目を離した隙にいったい何をぉぉ〜!!」
「いいじゃないか瞳! わざわざこういう姿で来てやってるんだから、少しぐらいおいしいことしたって」
言い争いを始めた二人。事態に気づいた周囲が、徐々に騒がしくなっていく。
ひ、瞳さんだぁ〜〜!! こっちのサングラスの人は、潤さん〜〜〜!!
ハッと周囲に気づいた瞳さん。慌てて、潤さんの腕を引っ張って走っていってしまった。
あたしとその話していた女の子二人は、ボーゼンと取り残される……。
「い、今の、潤さんと瞳さん、だよね……」
「きゃ〜!! 私、抱かれちゃった〜〜!」
嵐過ぎて、遅い反応を示し始める二人。じゅ、潤さんってあんな人だったんだ!
……ハッ! あ、あたしも早く追いかけないと!
結局、あのあと二人の姿は見失ってしまった。
今、あたしがやってきたのは体育館。
学園祭中、この体育館では何かしらのイベントが行われている。放送部の演出、ダンス同好会のダンス、など。
そして、今あたしが待っているのは、この体育館のメインイベント、ファッションショーだ。この学校では、毎年恒例となっているらしい。
学校中を探し回ったが、『シオン』の二人の姿はどこにも見つからなかった。歩き回って、疲れてしまったあたしは、売っていたクレープを食べながらファッションショーの開始を待つ。
休憩も兼ねて、このおもしろそうなファッションショーを見にきたのだ。
あんなに探し回ったのに見つからないんだもん!
あたしはちょっと諦め気味。
でも、収穫がなかったワケではない!
あたしは、持っていた鞄から先ほど購入した写真を取り出す。
ふっふっふっ♪ 見てよコレ! 『シオン』の二人の生写真だよ!
学校中を探し回っていたら、裏でこんなの売ってる店見つけちゃった♪
写真は、潤さんの校内ライブの写真や瞳さんの体育時の写真など。(←3枚セット500円也)
他にも、アイテムを数点購入♪
写真見てたら、やっぱり実物に会いたくなってきたわ! ファッションショー終わったら、また探しにいこ!
思った以上に、このファッションショーはおもしろい!
衣装は自作の物が多いだろう。なかなか凝った作りの物がある。
そして、それを着ている男の子達や女の子達が、けっこうカワイイ!
いいなぁ〜! うちの学校も、ファッションショーしたいなぁ〜!
舞台袖から出てきたモデルの子は、舞台中央から体育館の中心へと伸びる路を進み、クルリと背を向け、また舞台袖の反対側から戻ってゆく。
ファッションショーも終盤。
最後を飾るのは、タキシードを来た男の子とウェディングドレスを来た女の子が、二人ずつカップルでゆっくりと歩いてくる。
情報収集の途中に、ついでに集めた情報によると、この学校のファッションショーは、最後はこの衣装で終わるのが伝統なのだそうだ。
しかし、それだけでこのファッションショーが終わるワケではないらしい。
一組、また一組と、カップルが登場しては退場してゆく。
そしてその時、体育館中の人が徐々にざわつき始めた。
なんだろう? と、あたしも今出てきたカップルを見てみると……
きゃ〜〜! ひ、瞳さんだぁ〜〜〜!!
ファッションショー、トリを飾るのは、雪野瞳のウェディングドレス姿だった。黒いタキシードの彼と腕を組み、周囲に笑顔で手を振っている。 か、可愛い人だぁ〜!
様子を見ている限り、さすが瞳さんだ、と思わざるをえない。
他のモデルは、少し緊張した表情の人が多いのに対し、あの人は完全に余裕の笑みで微笑んでいる。す、すごい! なんかオーラが出ているみたい。
あたしは、可愛い――いや、可愛いと言っては瞳さんに失礼だろう――美しいドレス姿の瞳さんに目を奪われ、すぐには気づくことができなかった。
少し緊張した足取りの男の方を見て、あたしは驚いた。こ、康祐さんだぁーーー!
康祐さんは、あたしと話している時には見せたこともないような、すごい緊張した表情をしている。緊張しているというより、何かシブイ表情をしているって言った方がいいかもしれない。
情報収集で掴んだ、噂の一つ。
曰く、二人は付き合っているらしい。
驚いた。ちょっとショックだったのも事実。でも噂を聞く限り、ほとんど公認カップルとなってしまっているらしい。
今年はクラスが同じで、お昼休みとかもいつも一緒で、放課後は二人で曲作り……なのだそうだ。
こりゃ、勝てそうに無い……。
この間、康祐さんと出会ったりして、もう少しおいしい展開を期待してたんだけど……。相手が、あの瞳さんじゃねェ〜。
潔くあたしは負けを認めることにしたのだ。
中央で止まった二人。瞳さんは、白い大きなウェディングドレスの裾をふわりと浮かせて、クルリと一回転をして見せる。
そして、二人が後ろへ引き返そうとした瞬間、絶妙のタイミングで、一際大きな声の野次が飛ぶ。
「康祐ー! キスだーー! 男をみせろー!!」
ギクリ! と反応したのかどうかはわからないが、その野次を聞いて、二人は、康祐さんと瞳さんは動きを止めた。
この高校のファッションショーの伝統。この、トリと務めるカップルは、中央で熱烈なキスをする。
この伝統をみんなが知らないワケがない。あちこちから、その似たような野次が飛んでくる。そして、その声はどんどんと大きくなっていく。
きゃ〜! あ、あたしも、見たいような見たくないような……!!
と思いつつも、あたしの目は、期待に満ちた眼差しを送っていることだろう。
観客のキスしろムードは、どんどんと高まってゆく。中央の二人は、困ったような焦ったような、どこか引きつった表情をしている。
さぁ! どーする? やるの? やらないの?!
康祐さんと瞳さんは、二人で顔を見合わせて、どうしようかと視線で話しているようだ。
その時!
なんと瞳さんが、康祐さんの方へ向き直った。背の高い康祐さんを見上げるように顔を上げ、そして目を瞑ったのだ!
おお〜!!
湧き上がる観衆。ま、間違いない! アレは『あたしのこの可愛いお口にキスをしてして♪』という体勢だ!!
これには康祐さんもたじろいだ! 瞳さんの行動が、完全に予想外だったのだろう。瞳さんのその表情に、「う……」と声を詰らせ、顔を赤くしているようだ。
しばらく、康祐さんはジッと瞳さんの顔を見据えていた。
そして、瞳さんの体を引き寄せ、腰に手をまわした!
きゃー! 体育館のあちこちから、黄色い悲鳴が上がる。
す、するのー! ホントにしちゃうのぉ〜?!
あたしは心の中でそう叫び声を上げている。
しかし、それでも明らかに、あたしは期待をしている。
ゴクリ…… 体育館中の人が、息を飲んだ。
そして……
康祐さんは踵を返し、瞳さんの腕を掴んで、ノシノシと舞台袖へ戻っていった。あ、逃げた!
残された観衆は、「康祐のいくじなしー!」などと、すごいブーイングの嵐だ。
な、なんか残念だったようなホッとしたような……。
そ、そうだ! 早く『シオン』に会いにいかないと!
一足先に我に帰ったあたしは、さっさと客席から抜け出し、体育館裏の控え室の方へ向かった。
体育館裏。
関係者以外立ち入り禁止
こんな張り紙で、あたしを止められると思っているの?!
そんな張り紙は全く気にせず、堂々と歩いてゆく。フフン♪ 堂々としてたら、全然部外者だってわからないでしょ! それが証拠に、すれ違う人は、あたしのことを全く気にしていない。
一般生徒の更衣室の奥に、雪野瞳さんの控え室があった。扉にそう書いた紙が張ってあったからだ。さすが芸能人、個室が与えられてる。
てゆーか、一応この学校の生徒であってもメジャーデビューした歌手なんだから、学園祭で歌ってもらうにはお金がかかるんだろうか?
まぁ、そんな素朴な疑問はともかくとしても。
扉の横にあった机などの物陰に隠れるようにして、あたしは扉に耳を当て中の様子を窺う。そして、気づかれぬよう、ゆっくりと扉に隙間を開ける。
隙間から中を覗くと、中には瞳さんと康祐さんがいた。
「アッハッハ! さすが康祐だよ、予想通りの反応をしてくれた!」
「お前な…… 俺が逃げるとわかっていて……」
「当たり前だろ! あの場合あーすることによって、全ての責任を康祐に押付け、俺は責任から逃れることが――!」
どういう会話なのか、あたしにはいまいちよくわからない。
瞳さんって、裏ではけっこう口が悪いんだ! 自分のこと、『俺』って言ってるし。……元ヤン?
でも、はたから見ている限り、二人は仲良さそうにいちゃついてるようにしか見えない。わぁ〜! これってやっぱり、この後、さっき観客に見せなかったキスの続きをしたりするんじゃないだろうか?! ドキドキ!
あたしは再び耳を澄ませ、二人の会話に聴き入る。
「雪野がそういうことをするから、『二人は付き合っている』なんて噂が立つんだぞ!」
「いいじゃない! もうそーゆーことに、しておこうって! その方が他の生徒(←主に男子)に告られた時の断る理由にもなるし。けっこう便利なんだ。『ごめんなさい、私には好きな人がいるの。私は康祐くんのことが……』こう言うと、たいていの子は素直に諦めてくれる」
「お前は便利でも、俺は困るの!! 二年になって雪野と同じクラスになってから、俺は一心に苦労を背負っているんだ! 付き合い始めた彼女には、夏前にはふられてしまったし……」
「ほう!」
「さすがにお前は男だって彼女には言えなかったし、言ったところで信じてもらえそうにないし」
「で、相手は誰だったんだ?」
「………………2組の広瀬」
「なんだ、アレと付き合ってたのか? アレは止めた方がいいぞ。あいつ、大人しそうな顔してて、裏では実は……」
「あー止めろ止めろ! 女の噂話は聞きたくない!」
「女子との会話って、こういう話が面白いんだよな。男も陰で女の批評してたけど、女はさらに性格悪いのが混ざってるからかなり毒舌……」
…………?
不思議な会話が続く……。
な、なんかコレって聞いてはいけなかったんじゃ……。
「それにしても、まさかウェディングドレスまで着ることになるとはね」
「ウェディングドレスは女の夢なんだそうだ。他の女子達が羨ましがってたぞ」
「羨ましいなら、代わってやるってのに。執行部も無理矢理俺に着せやがって!」
「(その割にはノリノリだったじゃないか……)」
「どうせファッションショーに出るなら、潤としてタキシード姿でだな、可愛い女の子と口づけを」
「それで、なんで俺まで出場させられるんだろうね」
「いや、だから。それはもう公認カップルなんだから」
「俺は認めてないぞー!!」
「諦めて、そーゆーことにしとこうって。コレ、ヴェールとか花飾りとかって、けっこう頭重いんだよね」
瞳さんは、おもむろに頭に手をかけ、花飾りをその長い髪の毛ごと一緒に持ち上げる。
…………って、え〜〜〜〜!!
瞳さんのその長い黒髪はカツラだった。
「ふぅー! ヅラが無いって、ホント楽でいいね!」
「雪野、ヅラ無しでその格好は、絶対変だぞ」
あ、あたしは、見てはいけないものを見てしまったのだ!
雪野瞳は男だった!!
人生には知らない方が幸せだということがよくあるらしい。
知っていた方が断然いいじゃない!
あたしは今までそう思っていた。だが、あたしは今、身を持って体感してしまった。
ヤ、ヤバイ……! 逃げよう!!
気づかれないうちにその場を離れようとしたあたしだったが、後ろから突然加えられた力によって扉の方へ倒れこんだ。当然、扉は開いているので、あたしの体は部屋の中へ飛び込む。
「わぁぁ〜!」
ギョッとしたように驚いた表情で、あたしを見る康祐さんと瞳さん。
「お前らなぁー、鍵くらい掛けとけよ! 盗み聞きされてたぞ!」
あたしに続いて部屋に入り、ガチャリと扉を閉めたのは、サングラスを掛けた雪野潤さん。
…………ちがったぁー!! サングラスを外したその男の人は、潤さんではなかった。
「健二!」
康祐さんがその男に向かってそう言った。この人がさっきあたしの背中を押したのだ。
ど、どうしよぉ〜!
その瞬間、健二さんの方向を向いていたあたしの体はグイッと方向を変えられ、強い力で両肩を掴まれる。
「あなた、今、何を見てしまったのかな〜?」
ステキな笑顔であたしに迫ってくる瞳さん。瞳さんの鼻があたしの鼻に当たるくらいに。目が恐いよぉ〜!(あ、いつの間にかカツラがついている)
「み、見てません見てません! 瞳さんが男だったなんて! そんなこと! 絶対に……!!」
「……見たってさ」
一言冷静に言い放つのは健二さん。
って、あたしは何を言ってるんだぁぁ〜! お、落ち着け! 落ち着け、あたし!!
「そう、見てしまったのね……。では、ここから生きて帰すワケには……」
「こらこら雪野! そこまで脅すなって!」
「ウルサイ! 俺だって、生活がかかってるんだよぉ!」
「だったら、鍵くらい掛けておけよ……」
「健二は黙ってろ!」
「違う〜! あたしは見てない〜! 見てないよぉぉ〜!!」
「雪野も落ち着けー!! キミも見てしまったんなら…………ん? キミは夏実ちゃん?」
気づいた康祐さんに、あたしはコクコクと頷く。
「なんだ、康祐の知り合いか?」
健二さんの問いに康祐さんは答える。
「ああ。この子が、この間俺の言っていた例の子だよ」
「へ〜! この子が!!」
健二さんの好奇に満ちた視線にあたしは見られる。な、何? 例の子って?!
「夏実ちゃんでよかったよ! 夏実ちゃんには、いずれ話すことになってたかもしれないからね」
「だからといって、盗み聞きは良くないよねー」
ジト目であたしを見る瞳さん。瞳さ〜ん! そんな目で見ないで〜!
その後、あたしは康祐さん達に『シオン』の秘密を聞かされ、たいへん驚くこととなった。そして、瞳さんが突然男声で話し始めて、かなり驚かされることになった。
「雪野さんってすごいんですね……」
「そういうキミも……っていうか夏実ちゃん、キミ、あっちの高校の生徒じゃなかったっけ? なんでここの制服を?」
ギクッ!
「あ〜、えーっと、その〜……」
「あー! こ、この写真はーっ!!」
ギクギクッ! あたしの鞄からもれていた『シオン』の生写真を見つけた雪野さんは、叫び声を上げた。雪野さんは、すでにドレスも脱ぎ化粧もおとし、普通の制服姿(女装姿)の瞳さんに戻っている。
「おお! これなんてすごいな」
さりげに、雪野さんと一緒に写真を漁って感嘆の声を上げているのは健二さん。見ている写真は、瞳さん体育時の写真や、おいしそうにご飯を食べている瞳さんの……
「な、夏実ちゃん! これをいったいどこで?!」
雪野さん!! そんな形相で迫らないでェ〜!!
「え、えっと……たしか本館と体育館の間の、体育倉庫二つ目の……」
「あそこかー!!」
雪野さんは、そのまま飛び出していってしまった。
「またか……」
康祐さんは頭を抱え溜息をついている。
「雪野も、雑誌の撮影とかやってるんだから、少しぐらい許してあげればいいのにな」
「なんでも、そっちは仕事だからいいけど、あれは自分にお金が入ってこないし、油断している時の表情を撮られているから許せないんだとさ」
「ふ〜ん……。ねェ夏実ちゃん。コレ、一枚だけ譲ってくれない? たぶん、今売り場にいっても、雪野に全部処分されちゃってるだろうから」
「え?! あ、どーぞ」
「ありがと♪」
嬉々として写真(←瞳、体育時)を一枚持っていったのは健二さん。
「健二、お前まで……」
「康祐もほしいのか?」
「……いらん」
「素直にほしいって言えばいいのに。さっきだって、瞳にキス迫られて、顔真っ赤にしてたじゃないか」
「だぁぁ〜! それを言うなー!! アイツは男なんだぁぁ〜〜〜!!」
結局、この日あたしは、予想以上に……というか、予想の範疇を完全に越えてしまっていた、『シオン』の重大な秘密を知ってしまった。
それから、あの人達と話している時の康祐さんは、遠くから見ていた時の印象とはかなり違っていて面白かった。
……瞳さんと康祐さんが付き合っていないんなら、あたしにはまだチャンスがあるってことかな?
「麻衣ちゃんによる考察その1。実は『シオン』の二人は、その恵まれた容姿と才能によって裏の世界を牛耳る裏番なのよ! あーゆーキレイな顔したのに限って絶対――!」
「何言ってんのよ、違うって! あ、これ、お土産ね」
「おぉ〜!! ぐっじょぶ〜! わが友よぉぉ〜!!」
グッジョブって、アンタ……
あたしは麻衣に、手に入れた『シオン』のグッズ、写真などを手渡した。
「それで結局、『シオン』には会えたんでしょ。どうだったの?」
「どうって?」
「何か、『シオン』の重大な秘密を知ってしまったぁ〜!?とかって」
「秘密なんて、何も無かったって……」
嘘だ。
あたしは『シオン』の大切な秘密を知ってしまった。
でも、いくら麻衣であってもそれを教えるわけにはいかない。康祐さんに口止めされているからだ。
……まぁ、ここは友情より愛を取るってことで。
「そーかなぁ〜……絶対、何かあったと思ったんだけどなぁ〜」
「……な、なんでそう思うのよ?」
「勘。――てゆーか、アンタの様子からして」
う! あいかわらず、スルドイ……
「何かあったんでしょ?! 例えば、康祐さんと雪野瞳さんは付き合ってる、とか」
「その噂は実際あったよ。というか、周囲からはもう公認になっちゃってるんだけど、でも本人達はカモフラージュだって……」
「甘い! 甘過ぎるわ、夏実! それはもう駅地下のクレープなんかより――」
「はいはい、それはいいから」
「ファンの前なら否定するに決まってるでしょ! 今一番の、話題のアイドルなんだから! 少しでもファンを減らさないためにも、スキャンダルは隠蔽すべきなのよっ!!」
「そうかなぁ? 一昔前のアイドルとは違うんだし、別に恋人とラブラブでもいいと思うけど。歌手なんだし、歌上手いんだから、それぐらいじゃファンは減らないと思う」
「『俺の瞳に何するんだっ!!』……と、逆上したファンの男に康祐さんは刺されたり」
「いやぁ〜〜!! それはダメぇ〜〜!!」
「……アンタ、まだ康祐さん諦めてないのね」
「だって、ホントに瞳さんと康祐さんは恋人同士じゃないって言ってたもん!!」
「だから! それは上辺だけで、本当は裏では二人でいちゃいちゃと……!」
うぅ〜、ホントのことが言えないくて歯がゆい!
瞳さんは男だったのだ! 二人がそんな恋人同士だなんて……
……いや、まてよ! 瞳さん、あんなに可愛いんだもん。ムラムラときた康祐さんか健二さんが襲ってしまったり……
「いやぁぁーー!! それもヤダぁ〜〜!!」
「何叫んでるのよ!」
「あ、ぅ……な、なんでもないなんでもない! ホントに、全然、何も無かったんだってば!」
「むぅ、あやしい……」
「あぅ……」
「……」
「……」
「……麻衣ちゃんによる考察その2。実は『シオン』の二人は禁断の愛で結ばれた――」
「いやぁぁぁ〜〜!!」
その歌を初めて聞いたのは、テレビのCMだった。
(あ、なんかいい歌かも…………)
初めてCMを見た時の印象はその程度。
だが……
あたしは気づいた。その歌は思い出せるのに、そのCMの商品名を思い出すことができなかった。抽入歌だけが、その歌声だけがあたしの印象に焼き付いたのだ。
気になった。誰が歌ってるんだろう? 最初は調べてもわからなかったが、しばらくして、歌っている歌手の名前だけはわかった。その頃にはもう、テレビで何度もそのCMを見かけるようになった。とある清涼飲料水のCMだった。
麻衣や他の友達に話してみたところ、あたしと同じようにその歌を気にしていた。
歌っている歌手の名前は『シオン』。
初めて聞く名前だった。
「でもさ、この歌声、どっかで聞いたことない?」
友達の誰かがそう言った。
「あ、そーなんだよね。私も聞いたことがある気がする」
「そう? 知らないよ? 前にテレビに出てたんじゃ……」
あたしも聞いた覚えがあった。
聞き覚えがある子、ない子、半々。
だが、ネットで調べてみても、そんなことを言っている人はどこにもいなかった。
調べれば調べるほど、ますますわからない。
『シオン』は、まだ一度もテレビに出ていないらしい。それどころか、メディアに一切顔を見せていないのだ。
それは、CDが発売されても変わらなかった。
事務所も一切の取材お断り。
謎が謎を呼ぶ。
曰く、彼らは大物プロデューサーの育てた秘蔵っ子だとか。曰く、とある歌手の隠し子だとか。
ただ、先行する噂だけが、ネットの世界を騒がせていた。
そしてようやく、徐々にではあるが、『シオン』はメディアに顔を見せ始めた。
対抗勢力である『キズナ』の出現。大方の見当はそれだった。
事務所のプロフィールの公開。雑誌の取材。それでも、彼らはなかなか電波放送には姿を現さない。
だが、あるラジオ放送をきっかけに、彼らは活動を開始した。
未だ数少ない情報を求めて、あたしはネットを検索する。
つい最近、公式なファンクラブも出来たとか。
そして、あたしは、ある噂を耳にした。
最初に誰がそこを見つけたのだろうか。
そこには、ある一つのHPがあった。
ある時、あたしは康祐さんに電話で誘われた。
やった〜♪ 電話番号書いた名刺、渡しておいて正解だったわ!
「やったじゃない! 彼直々のお誘いよ!」
麻衣も一緒に喜んでくれた。
でも。
これはデートの誘いじゃない。
あたしは予感がした。
とある噴水のある大きな公園。あたしは、その公園の噴水の前で康祐さんを待つ。
鏡を開いて確認。メイク良し、髪の毛良し、心の準備良し!
うっふっふ〜っ! 今日は勝負パンツなのだ! これで何があっても大丈〜夫!!
あたしはベンチに座り、携帯を開いて時間を何度も確認する。
日曜日の公園。
これだけ大きな公園だと、休日でも平日でも、のんびりと歩く人の姿を見ることができる。
だが、それにしてもおかしい。
今日は明らかに人の数が多い。
比較的若い人が多い。何かイベントでもあるのだろうか。
通りすぎる人の会話に耳を傾ける。
「おい、聞いたか?!」
「ああ! むこうで、あの『シオン』が歌を歌うらしい――――」
「や! お待たせ、夏実ちゃん。ゴメン、待った?」
振り返ると、そこには康祐さんがいた。
「いえ、あたしも今来たとこです」
本当はそうじゃないけど。まだ待ち合わせの時刻にはなっていない。そう、あたしが少しフライングしただけ。
「突然誘っちゃって悪いね」
「あ、いえ、あたしはそんな……」
「こっちもね、もっと早く予定が決まればよかったんだけどね。若林さんがど〜してもっていうから、だから、今日しか日がなくて」
「あの……ここで、今日は何があるんですか?」
「それは来てのお楽しみ。おいで、夏実ちゃん」
康祐さんに手を引かれ、あたしは公園の更に奥へ向かった。
この公園には、街の何かイベントで使うことのできる大きなステージがあった。
掘り下げられたステージを中心に、半円形に客席が広がる。ステージが一番底にあり、公園の道が客席の最上段のすぐ後ろに同じ高さで続いている。客席とは言えない、ただ、コンクリートの段差があるだけ。
照明なども何もない、普段もそれほどイベントがあるわけでもなく、野ざらしにされ寂れた野外のステージ。それが、いつもの姿。
今日だけは、そんな面影をどこにも感じることができなかった。
わぁ〜、すごい人の数だ!
客席から溢れた人の壁によって、ステージなどまるで見ることができない。
あたしは、唖然としてこの人だかりを見る。
「あの、康祐さん、これっていったい――」
質問に答えることなく、康祐さんは、
「こっちだよ」
と言って、あたしの手を力強く引っ張ってステージ裏へと向かう。
ステージの裏。控え室――部屋とも言えない、窓もドアもない、ただ日をしのぐ屋根だけがある、そんなところ。そこへ康祐さんに連れてこられた。
「連れてきたぞー」
そう言う康祐さんに続いて、あたしも中へ入る。
そこには4人――女の人が2人、男の人が2人いた。その片方の男の人は知っている。
「おお! 夏実ちゃん、よく来てくれた!」
「あ、健二さん、お久しぶりです」
健二さんに会釈する。
「へぇ〜、この子がねェ…… それで康祐、アンタどうやってこの子口説いたの?」
女の人の片方が興味津々といった様子で康祐さんに尋ねた。
うわぁ〜! メイクすご〜い!! いわゆるビジュアル系とかそういった濃いメイクなのではないのだけれど、それなりに、その格好のまま街中は歩けないなぁ……という派手な格好をしている。髪の毛もピンク色に染まっている。
となりの女の人は、椅子に座り、膝の上に置いたベース(かな?)の調整をしているようだ。
「口説いたって……俺は別に口説いたつもりはないぞ! それより、自己紹介くらいしろ」
「あらら、こーゆー時はアンタが紹介するんじゃないの?」
「はいはい、わかりましたよ。夏見ちゃん、紹介するよ。うちのバンドのメンバーで――」
「早川あずさです! ドラム担当。夏実ちゃんよろしく!」
「はろ〜! 塚原萌です。よろしくね。ちなみに、担当はコレ」
もう一人の女の人、塚原さんは、膝の上のベースを指してみせる。
「じゃあ、改めて俺も。黒崎健二だ。担当は……ギターだよ〜」
手元にギター――は無かったので、なぜか隣に立てかけてあった箒でギターを弾く仕草をする。っていうか、いつの間にか、健二さんの髪の毛も赤く染まってる。机の上の鏡を見ながら、スプレーで髪を染めたようだ。
「学校の校則もあるからね〜、すぐ洗い流せるコレでライブ用に」
「……お前らな、人に紹介しろとか言っときながら……」
康祐さんが、ちょっぴり不機嫌そうにつぶやく。
「それで、名前は教えてあったけど。この子が柏原夏実ちゃんだ」
どーも。ペコリ、と頭を下げる。
「それから……」
最後の一人、みんなから少し離れたところにいる、少し不機嫌そうな男の人。
「あの人が、若林慎也さん。雪野の事務所のマネージャーさん」
この中の、一番の年長者。まだまだ若い社会人ってところか。
「僕の紹介はいいから……。キミ達ね、一応雪野君はプロなんだよ? そう何度も気安く使われちゃ……」
「でも、社長の許可は取りましたよ」
「……まったく、社長も面白がって人をあおるから……」
はぁ、と疲れたため息をついている。
「あの、つまり、皆さんはこれからここでライブをやるんですよね!?」
「ああ、そういうこと。夏実ちゃん、『ノルン』って知ってる?」
「あ、はい、知ってます! 隣の高校だし、噂も聞いてますし、あのHPも……。ライブとか、直接歌を聴いたことはないんですけど」
「お! あのHPを知ってるんだ! だったら、話は早いな」
「ところで、雪野さんはどこに……?」
1人見当たらない姿が気になり、恐る恐る尋ねてみる。
「ん、雪野? うちのボーカルなら、あそこ」
健二さんが指差したのは、ステージの端。
あ、いた!
雪野さん――瞳さんは、ステージの端に腰掛け、客席最前列の女の子達とおしゃべりしていた。
「きゃ〜! ホントにあの『シオン』の瞳さんなんですね!!」
「うん、そーだよ。あ、このことは、ライブに来た人だけの秘密だよ」
「この『ノルン』っていうバンドは、瞳さんの高校仲間なんですね! どうして一緒にデビューされなかったんですか?」
「う〜ん……うちのメンバー、シャイなのが多いのよ。それにしてもさ、よくこんなに人集まったよね。告知したのって先週なのに」
「もう『シオン』の生歌が聴けるっていうんで、裏ではかなり有名になってきてますよ!」
「う〜む。ねぇ、キミ達はどこからきたの?」
「あたしはK市です!」
「私はS市から!」
「うわっ! S市って、ここから100キロは離れてるよね!?」
「はい! でも瞳さんの歌が聞きたくて!!」
「どうしてライブツアーはやらないんですか? 正式に、こんな無料の野外ライブじゃなくても、もっと大きなライブステージでやってもチケットはすぐ売り切れになりますってば! お金払ってでも聴きたいです!」
「その方が日付とか場所とかも正式に決まってて、いいと思うんですけど」
「それはこっちもそう思う。儲けもあるしね。でもそれだと何かとしがらみが多くって……」
うわぁ〜! 雪野さん、完全に馴染んじゃってるよ。
「雪野はいつもアレやってるよ。直接自分のファンと話してると、いろいろとわかることがあるんだってさ」
「…………あの、健二さん?」
「何?」
「……雪野さんって、本当に、男なんですか?」
「……男だよ」
カツラの取れた姿を見ても信じられない。
賑やかな女の子達の会話がこちらまで届いてくる。
「瞳さん、そのイヤリング、カッコイイですね!」
「ありがと」
「彼氏にもらったんですか?」
「ちがうちがう。恋人はいないよ」
「え〜! いないんですか〜! 学校でも、すっごいモテてそうじゃないですか!?」
「あのキーボードの彼と付き合ってるって噂があるんですけど」
「ハハ……その噂も広まってるんだね……。でもこれは、あそこの駅地下で買ったんだよ〜」
「へ〜、あそこにそんなの売ってたんだぁ〜!」
「フフッ……そんなに気に入った? ほしかったら、あげよっか?」
「ええ〜っ?! いいんですかー?!」
「その代わり、その指輪、ちょーだい♪」
「コレですか? いいですけど、コレは別れた元彼にもらった……」
「う……それはもらえないなぁ、彼氏の怨念がこもってそうで。じゃあ、そのブレスレットで――」
女の子たちとアイテム交換してる……。
「で、でも! あんなに女の子に馴染んでて、違和感なくて、そこらの女の子なんかよりよっぽど可愛くて――」
「奴は、男だよ……」
…………。
なんていうか、健二さんもあの雪野さんの姿は見て見ぬフリをしているようで、本人的にも男と断言するのは心苦しいらしい。頭では分かっているのに、理性以外の何かがそれを否定している。
「なんなら、触ってみるかい……?」
フッフッフッ…… 右手を、下から何かを掴むようにニギニギと妖しく動かし、暴れないように俺が捕まえておくから……と、彼は冷たい笑みを浮かべる。俺も一度、現実を焼き付けておかないとなぁ……
「い、いえ……え、遠慮しておきます……」
「キミ達ね……これで何回目だと思ってるの?」
「今月はまだ一回目だな」
「だね」
若林さんの問いに、頷き合って答える健二さんと早川さん。
「そうじゃないだろ〜! 仮にも、雪野君はプロなんだ! ただでさえ『シオン』はいろいろと噂されてるんだから、これ以上目立つことは控えてくれないと! 前回は人が集まりすぎて、危うく警察沙汰になるとこだったんだよ?!」
「まぁまぁ! 今回は無料で、市からこんないいとこ貸してもらえたんだし、ここなら気兼ねなく」
「そーゆー問題じゃない! そろそろワイドショーも嗅ぎつけてくるんだから、せめてライブやるなら正規のライブハウスで――」
と、若林さんの言葉を遮るように、康祐さんが話し始める。
「社長に条件を付けられたんだよ。雪野を使ってもいいが、ただし正規のライブハウスでライブをするなら『ノルン』は事務所に入ってデビューしてもらう、ってさ。だから、ライブハウスじゃない、どこかフリーのところで細々と活動するしか」
ここまで人集めておいて、ホソボソっていうのも……。
「いいじゃないか! キミ達――雪野君だけじゃない、全員がいい魅力を持ってるんだからデビューしてしまえば」
「どーせCD出すなら、まだインディーズとして出したいよな」
健二さんの言葉に、他のみんなも頷いている。
「それに、社長さんのせいで『シオン』としてのライブは絶対に無理じゃないの。雪野も『ノルン』としてこれくらいやったって、別にいいと思うんだけど」
塚原さんがそう言った。
それに康祐さんが答える。
「そのあたりは社長も承知してたみたいだよ。だから、あくまで『シオン』の話題づくりのためとして、お金を取らないフリーライブだけは許可してもらってるんだよ。簡単な照明機材とかも貸してもらってるし」
「それはそうだよ! でもね、流石にこれ以上噂を広げるのは危ないんだよ。ワイドショーに激写されると、一気に全国からの問い合わせが殺到するし、事務所としてもそろそろ誤魔化しが効かなくなる。場合によっては、これ以上雪野君は貸せないからね!」
「わかってますって。だからひょっとすると……次回からは、雪野を借りる必要がなくなるかもしれませんからね」
と言って、康祐さんはあたしに視線を送った……。
「お〜い。そろそろ始めるぞ」
女の子達との雑談を止め、こちらに戻ってきた雪野さんがみんなを呼ぶ。その腕には、先ほどファンの子からもらったブレスレットをつけている。
「あ、夏実ちゃん――だったっけ? よく来たね! 今日は夏実ちゃんも楽しんでいってね」
あたしの姿に気づいた雪野さんは、あたしに一声かけると、さっそくライブ開始の準備に取りかかる。それにならうようにして、康祐さん達も準備に取りかかる。
最後に彼らは円陣を組んだ。
『ノルン』メンバー5人、あたしも加えられて――若林さんは輪に加わらず、合わせて6人。
そして、康祐さんが話し始めた。
「あ〜……前回のライブの時もすごかったが、今回はそれ以上です。今日は、今までで一番多くの人が集まってくれてます。満員御礼、感謝――……」
「康祐、声が震えてるぞ」
「黙れ! 準備はスムーズに進んだので、開始の時刻は予定通り。計画通りのプログラムで、全部やるぞ!」
「遠出して来てもらったんだもんね。満足して帰ってもらわないと」
「いくぞ!!」
彼らは明るく照らされたステージの上へ駆けていった。
目の前で繰り広げられる『ノルン』の演奏、『シオン』の歌。
彼らの音楽は、圧倒的だった。
テレビの向こう――手の届かない、はるか彼方の存在だった『シオン』。それが、今目の前に。
生で聞く雪野瞳の歌声は、あたしにとって衝撃だった。
テレビ、ラジオのスピーカーを通して聞く歌声とはまるで違う。体の奥に響いてくる『ノルン』の力強い演奏が、瞳さんの声をあたし達の心に打ちつける。その澄んだ歌声には、瞳さんの強烈な存在感が焼きついている。
全身が総毛立つみたい。
それに……
(雪野さん、すごく楽しそうだ)
ここには、あたしの知らない『シオン』がいた。
観客も負けてはいない。
『シオン』のデビュー曲「蒼の願い」を含む数曲を熱唱し、客席の興奮は最高潮に達していた。
主に進行や紹介は康祐さんと瞳さんによって進められている。
かなりテンションの上がっている雪野さんに、それでもある程度は冷静な康祐さん。
サブボーカルを務める健二さんと早川さんも、息があがってきているようだ。額を伝う汗を袖で拭う。
あたしのいるステージ袖は客席の中心から離れており、ドアも何もない、部屋の吹き抜けから涼しい風が入ってくるが、それでもステージから吹き込む熱波は相当なものだ。
歩くスペースもないほどに詰め込まれた客席に比べると、あたしってかなり特等席にいるんじゃないだろうか。
あたしはなぜここにいるのか。
康祐さんに連れてこられたから。
それもある。
では、なぜ連れてこられたのだろうか。
あたしに出来ることはないだろうか……。
瞳さんを1人ステージに残し、残る4人はステージ袖へ戻ってきた。
「おつかれさまです」
あたしは若林さんとともに、戻ってきた4人にクーラーボックスから取り出したジュースやタオルを手渡す。あたしにできることはこれぐらい。
「ありがとう」
康祐さんは、あたしから受け取ったタオルで滴り落ちる汗を拭う。きゃ〜! な、なんか康祐さんが、いつもの3割増しでかっこよく見える!
「今日は格別調子がいいなぁ!」
「うん。特に、今日は康祐が冴えまくってるよね!」
健二さんと早川さん。健二さんは、休む間もなく次の準備――別のギターを取り出している。早川さんはうちわで扇ぎながら。どうやら、次は早川さんの出番ではないらしい。
「なんと言っても、可愛いガールフレンドが、熱い眼差し送ってるもんね!」
ブォッ! 康祐さんが、飲んでいたジュースにむせる。
早川さんは意味ありげに、あたしに視線を送った。あぅ……
「あ、あずさ……俺は別に、そんなつもりじゃ……」
「塚原〜、そろそろいくぞー」
「は〜い」
2人はそれぞれ楽器を持つ。どうやら、このあとはこの2人が出番らしい。
おそらくこのメンバーの中で一番清ました顔をしているのが塚原さんだろう。他のメンバーに比べてあまり声を出していないというのもあるけど、あれほどの演奏の後にもかかわらず、塚原さんの調子は平常時とそれほど変わりがない。
――いや、とても楽しそうだ。
ステージへ向かおうとして、健二さんは両手にギターとパイプ椅子を持ちながら、はたと足を止めた。
「ところで塚原、お前その手に持ってる物は……?」
「楽器」
「いや、それは見りゃわかるが……」
「チェロ」
「いや、だから……っていうかお前、ホントにそれでやる気なのか?!」
「ん、大丈夫」
「とか言いながら、お前他に何持ってこうとしてんだよ!?」
「トランペット。あ! あと、このタンバリンは雪野用ね」
「……お前、それでホントに――」
「大丈夫だって! 適当にアンタのギターに合わせればいいんでしょ? 私にまっかせなさ〜い!」
そんな彼らを見ながら、康祐さんと早川さんは呟く。
「つくづく思うんだが、あいつらってホント度胸あるよな……」
「それは私もそう思う」
「あの、これから何をするんですか?」
事情の分からないあたしは康祐さんに聞く。
「あいつらがよく路上でやってたんだよ。その場でテーマ選んで、即興で歌を作って歌うんだとさ」
……なっ!?
「主に雪野が歌ったり作詞を、健二がバックコーラスとリズムやテンポを。いつもなら雪野と健二が、雪野もギターを持って2人で路上でやってたんだが、ライブでは塚原がいっしょになってやってる」
「今回はHPの告知で、暇な人に詩を作ってきてもらってるらしいよ」
ステージでは、瞳さんが呼びかけると、多くの人が詩を書いた紙を差し出した。
「わぉ〜! けっこうみんな作ってきてくれたんだね……。じゃあ、そっちの端の人から集めてきて――」
曰く、上手く出来たら、それが次の『シオン』のシングルになるらしい。
自分の詩が使われるかもという望みから、多くの人が作ってきたようだ。
「あの……歌って、そんな即興で作って合わせられるものなんですか?」
「俺には無理」
康祐さんは即答した。
あれ? でも、『シオン』の歌の作詞・作曲は康祐さんだよね。
「それは……あいつらに歌を作らせると、ほとんど漫才みたいなもんだからな」
「さすがにあのノリは真面目に演奏出来ないよね」
早川さんも口をはさむ。
しかしそれでも、この客席の待ってましたといわんばかりの雰囲気によると、お客にはけっこうウケてるみたいだ。
「はぁ〜、すごいんですね」
それから、気になることがもう1つ。
「塚原さんってベースですよね? なんで、持ってる楽器、ベースじゃないんですか?」
「……それは塚原に聞いてくれ」
もううんざり、といった康祐さんに代わって、早川さんが答えてくれた。
「萌ちゃんは、いろんな楽器を使ってみたいらしいよ。慣れない楽器でよくそんなことができるよねー」
「えっと、……塚原さん、ピアノも上手いって聞いたんですけど……」
「うん、めちゃくちゃ上手い」
でも、あの手に持ってる楽器って……
「他にもね、バイオリンとフルートと――」
あの人はいったい……
若林さんも、
「キミらね、そこまでエンターテイナーとしての才能がありながら、なんでうちの事務所に入ってくれないんだよ」
寂しそうに呟いていた。
「わぁ〜! ホントに曲作りながら歌ってる!」
雪野さん、健二さん、塚原さんの見事なコラボレーションによって、次々に新しい音楽が生まれてゆく。楽しい曲や悲しい曲、カタチもバリエーションも様々だ。
「あんなに自在に楽器が使えるなんて、健二さんも塚原さんもすごい…………あ、あの、早川さん、なんであたしの髪をいじってるんですか?」
あたしの背後にまわった早川さんは、なぜか鼻歌交じりにあたしの髪をいじっていた。
「んふ……♪ やっぱ、そのままじゃ地味でしょ!」
地味とか言わないでェ〜、康祐さん用のコーディネイトを!
いや、康祐さんなら、こういう子の方が好みかなって。
「夏実ちゃん、前に美容院行ったのっていつ?」
「え〜っと、たしか先週に……」
嘘です! 昨日行きましたっ!
「ごめんねー」
グジャ!
事も無げに、早川さんは悪気も欠片もないような声で謝り、あたしのブローされた髪をワックスで潰す。ぎゃぁ〜〜! カット&ブロー4000円!
「ライブなんだから、せめてもう少し」
カット&ブロー4000円のあたしの髪を、早川さんは惜しげもなく髪型を変えてゆく。そしてさらには着色のスプレーまで!
「な、なんであたしまでメイクするんですかぁ?! あたしがステージへ上がるわけでもないのにっ!!」
すると、その言葉に手を止め、キョトンとする早川さん。
早川さんは康祐さんを振り返る。
「話してないの?」
「ああ。今から話す」
…………へ?
康祐さんはあたしの正面にまわり、改まってあたしを見つめる。
「というわけで夏実ちゃん。今から、キミにもステージへ上がってもらう」
…………。
「……ええ〜〜〜!!」
「これから、ステージの上で夏実ちゃんにも歌ってもらう」
な、何を言い出すんだこの人わぁ〜〜!
「絶対ダメです、絶対ダメです、無理ですってば!!」
そんなの、できるわけないじゃないですかぁ〜〜! それも、あの瞳さんが歌ってる横でなんて!
「――って、本人言ってますけど」
聞き返す早川さんに、康祐さんは、
「問題ない」
「問題ありますよぉ〜!! あの瞳さんが歌ってるんですよ! そんな、あたしの歌なんて!!」
「夏実ちゃん、そんなこと言うけどね……。キミ、相当歌うの上手いよ。間違いない。雪野を見てきた俺が保障する」
一応あたしも多少は自分の歌に自負はあるし、友達にもカラオケで上手いってよく言われるけど、でもそんな!
「ほらほら康祐に保障されたよ! アイツね、『ノルン』結成時、数百人といる生徒の中から、特に優秀な健二と萌ちゃんを選び抜いたっていう実績ある神通力が」
「んなもん、あるわけねーだろ! 人づてに聞いて誘ったんだよ!」
「そ、そんな! で、でも!!」
「ところで康祐、夏実ちゃん次の曲歌えるの? 歌詞とか覚えてないと、さすがにキツイんじゃ」
そうそう! 歌詞なんてわからないから、だからあたしは歌えません!
「それも問題ない。カラオケで夏実ちゃん、歌詞なんてまるで見てなかったからな。全部覚えちゃってるだろ?」
えー! 早川さんの持つ、今日のプログラム(←康祐が簡単にノートにまとめたもの)を除くと、このあと数タイトルはあたしの知ってる某有名歌手の歌だった。あぅ〜! そうです、完全に覚えちゃってます! この歌手の、好きなんですっ!
「さぁさぁ、そろそろ時間だよ!」
早川さんに促され、見るとステージでは、先ほどまでの3人のパフォーマンスは終わり、そろそろ次の曲へと進むようだ。
「夏実ちゃんの晴れ舞台よ!」
「そ、そんなこと言ったってェ〜! 第一、康祐さん以外、あたしの歌聞いてないじゃないですか! それでホントにいいんですかぁ〜!?」
その言葉にちらりと彼の方を見て、
「ん……問題ないでしょ! 康祐が言ってるんだし」
お〜い! こんなところで、妙な信頼感出さないでよぉ〜!
「それに、もし何かあっても、全て康祐が責任取ってくれる」
「……おい」
「そんなぁ〜! もし、あたしが、実はすっごい下手で、もうお嫁に行けないよぉ〜ってくらい、すっごい恥かいたとしても――」
「だから、全部康祐が責任とって――」
きゃ〜!
「おいおい! 夏実ちゃんも、ドサクサに紛れて、何かすごいこと言ってないかい?!」
そんなことないです!
「ほらほら、出番よ!」
あ、待って! 心の準備が……!
そんな間もなく、あたしは早川さんにステージの上へと手を引かれ、観客達の大きな拍手によって迎えられた。
ひゃ〜! みんながあたしを見てるぅ〜!
ステージの中央、雪野さん達の元へ向かうと、雪野さんにマイクを手渡される。
「自己紹介はいい。ともかく、思いっきり歌ってあげて!」
ええ〜〜〜!!
あたしのことなどお構いなし。所定地についた康祐さん達、『ノルン』による演奏は始まった。
そこには、ある一つのHPがあった。
『ノルン』という、ある5人の高校生のバンドチームのサイト。
何の変哲も無い、どこにでもあるような小さなサイト。コンテンツは、活動内容と今後の予定、それから、数曲だけその『ノルン』の自作の曲がダウンロードできた。
メンバーのプロフィール、掲示板さえ何も無い。
ただ1つおかしなことがあるとすれば、1日の来訪者数が、そのコンテンツにもかかわらず、異常とも言える速度で増え続けていることだろうか。
その原因は、ただ1つの噂だった。
この歌を歌っているのは、『シオン』ではないか?
単なる、根も葉もない噂。
だが、それをただの噂と一言で片付けるには、あまりにもその歌声は似すぎていた。
声が似ているだけではない。それだけであれば、ここまで噂されることはない。
その声には、はっきりと、『シオン』独特の存在感が焼きついていたのだ。
ネットで『シオン』を調べていくと、必ずと言っていいほどこのHPにぶち当たる。
『シオン』が話題に上がっている掲示板では、必ずと言っていいほどこのHPの検証が行われている。しかし、所詮それらは噂の域を出ることはない。
噂の真相を確かめる方法はただ1つ。その指定された場所、時間にそこへ行き、ライブを聞くこと。
康祐さん達の勢いのある演奏に後押しされ、あたしはステージ上で歌を歌い切った。
観客達はあの瞳さんの歌声を聞いた後なのだ。あたしの歌が受け入れられるはずがない。
あたしはそう高をくくっていた。
だが、そんなあたしに、観客達は大きな拍手と声援を贈ってくれた。
感じたことも無いような快感だった。
少し放心状態のあたし。康祐さんの司会進行で、淀みなくプログラムは次へと進む。
1曲歌い切ったことで吹っ切れたあたしは、その2曲目も力いっぱいの声で歌う。
2曲目の中盤。突如、客席が沸きあがった。
なんだろう、と思うあたし。その時、あたしはポンと背中を叩かれた。
「やるじゃないか!」
雪野さん――潤さんだった。女装を止め着替えてきた潤さんは、あたしにだけ聞こえるような声で話しかけた。
潤さんは、そのままあたしの1歩前へ出ると、その独特の力強い声で歌い始めた。偽者の女声ではなく、本物の雪野潤の声。歌っていたあたしも、思わず歌うのを止め聞き入ってしまう。
雪野さんの歌声を聞いて、あたしはあることを思い出した。
それは1年ほど前。
夏、彼らは駅前でストリートライブをしていた。
花火大会の帰り道、調子に乗ってお酒を飲んで、ほろ酔い加減で駅前を通りかかったあたし達に、彼らは歌を歌ってくれたのだ。あたし達は足を止め、雪野さんの歌声に聞き惚れた。
あたし達は、確かに雪野さんの歌声を聞いていた。初めて聞いた『シオン』の歌声に聞き覚えがあったのも頷ける。
駅前を通りかかるたびに、あたしは彼らを探していたと思う。でも、いつの間にか彼らはいなくなり、あたしの記憶の中からも消えていった。
歌が終わると、客席の女の子達が色めきだす。
雪野さんは、女の子達の声援に答えると、振り返り、あたしに手を差し出した。
「いっしょに歌おう!」
決して叶うことのない『シオン』のデュオ。
雪野瞳の代わりにあたしをそえ、『ノルン』のライブは続く。
「夏実ちゃん、すご〜い!!」
ライブも終わり、ステージ袖に戻ってから、早川さんがあたしに抱きついた。
「夏実ちゃん、どうだった? ステージの上で歌うのって、サイコーだろ?」
雪野さんの言葉に、あたしは興奮しながら答えた。
「はいっ!! めちゃくちゃ気持ちよかったです!!」
「すごかっただろ?」
「ああ…………まるで、昔の雪野だ」
康祐さんの言葉に、健二さんも頷く。
「確かに、夏実ちゃんなら……」
「ねェ、夏実ちゃん! よかったら、良いボイストレーニングジム紹介してあげよっか? 大丈夫、夏実ちゃんなら絶対耐えられ――」
「雪野、それはいいから」
ステージの片付けは、積極的にあたしも手伝う。
あたしだけではない。ライブ前雪野さんと親しく話していた女の子達や、観客の一部の人も手伝って、手際よく片付けは進む。
取り外した照明機材は、若林さんの車へ。楽器は、手伝いに駆けつけた康祐さんの喫茶店のマスターの車へ乗せる。
この後の打ち上げは、このマスターの店で行うようだ。
片付けも全て終わり、手伝いの人達も帰った後。
康祐さん達5人が集まって、あたしを呼んだ。何やら、大事な話があるらしい。
話し始める前に、康祐さんが最後にみんなに確認を取る。
「おい……みんなもそれでいいな!」
康祐さんの言葉に、彼らは神妙な面持ちで頷いた。
「雪野も、……それでいいな」
「ああ。これは俺が選んだことだからな」
そして、康祐さんがあたしを見て、あたしに言った。
「一緒に、バンドやらないか?」
……え?!
康祐さんの言葉に、健二さんも続く。
「夏実ちゃん。うちのボーカル、やってくんない?」
突然の誘い。あたしは驚いた。
雪野さんも口を開く。
「俺のわがままで、俺が仕事で忙しくて、『ノルン』としての活動がなかなかできないんだよね。だから新しいボーカルを探してたんだよ」
「どうだろうか? やってくれないか?」
す、すごいっ!! こんな人たちとバンドが組めるなんて!
願ってもないことだ。
でも…………
あたしは、誘いを断った。
「そうか……」
「はい、ごめんなさい!」
落胆する康祐さんに、もう1度あたしは謝る。
「あ、振られた」
「振られたな」
「振られたわね」
雪野さん達は口を揃えて言う。
「やっぱり、直球じゃいけなかったんだよ。もっと変化球から攻めて、相手を焦らして――」
「お前らー!! 何の話だぁ〜!!」
いろいろと検証を始める彼らに、怒る康祐さん。
う〜ん、この人たちってホント仲いいなぁ。
すると、ここぞとばかりに、あたしに声をかけてくる者がいた。
「フッフッフ! キミは『ノルン』には入らないんだね?!」
若林さんだった。
「夏実ちゃん、よかったら、是非うちの事務所に――」
「ごめんなさい」
即答した。
「うぅ……」
こちらも落ち込む。
「こっちも振られてる」
「一瞬だったな」
「ともかく、早く打ち上げにいこう!」
みんな意気揚々と、マスターの店に向かおうとすると、
「あ、雪野くん、キミはこっちだよ」
若林さんに、雪野さんは捕まえられた。
「キミはこれから仕事だよ」
「え〜〜っ!! きょ、今日ぐらいいいじゃないですか!」
「ダメダメ! 本当は、今日の昼間も仕事を入れたかったんだから」
「あと少し! せめて今日の打ち上げくらい……!!」
「だからダメだって!! 『ノルン』も新しいボーカルの勧誘に失敗したってことは、また雪野くんが行くんでしょ!? これ以上、仕事を先延ばしにすることはできないよ!」
「そんなぁ〜〜!!」
夏実ちゃん、俺の分まで飲んでくれ、と言い残し、雪野さんは若林さんの車で仕事に向かった。
「康祐さん達、『ノルン』のステージすごかったんだよ!」
「ふ〜ん」
あたしは、隣を歩く麻衣にあの日のことを話す。
「しまったな〜! デートじゃなかったんなら、一緒に行って『シオン』に会うんだった」
悔しそうに話す麻衣。
あの日、あたしは『ノルン』に入らなかった。
あそこは、あたしの居場所ではない。
『ノルン』は雪野さんの居場所なのだ。それをあたしが奪ってはいけない。
でも、このままでは終われない。
あたしは、あの快感を知ってしまった。
居場所なら、自分で作ればいい。
「ねぇ、麻衣!」
「ほえ?」
「一緒にバンド、やらない?」
〜あとがき〜
こんな子の話を書きたかった。こんな子を本編に出したかった。
でも、こういう夏実や麻衣のような、いわゆる普通っぽい女の子は、本編では他のキャラの存在感に潰されてしまう。
反省してます……。
それから、本編では『シオン』のライブがなかなか出来そうにないので、番外編でやりたいことだけやってみた。第二話の学園祭で出来なかったこともやってみた。そうしたら、私の書くものにしては、かなりの分量に。
前編後編に分けて投稿してもよかったんですけど、それをすると『続きが気になって夜も寝れない』病にかかってしまうといけないので、まとめておきました。(笑)
雪野の出てこない最初の方、夏実と麻衣の会話、康祐との絡みも面白いかどうかと言うと人によるところ。私はこういうのも好きなんですけど、TS・TGメインで読みたい方には退屈なのかな? 番外全部に言えることですけど。
こういう子の一人称は、あまりこの近辺では見かけませんね。
せっかく違う子の一人称ですし、少し書き方を変えてみたり。
う〜ん……本編でも、こーゆー腰の入れた書き方が出来るといいんですけどね。本編の勢い、雪野の一人称じゃ無理かな……!?
それより、こんな長い番外書いてないで、早く本編進めないと……