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原案、文 West


 第三章  見え始めた糸

 それこそ交通課の警官が見たらすぐさま白バイで追い掛けて来たと思える程に紅のボディを駆り、霞ヶ関の本庁ビルに帰り付いた恵美と瑞穂。エレベータ内部の箱状の空間に飛び込むや否や、急いで本部に続く暗号を入力した。
 地下にある目的地に着くまで退屈さから普段は軽く話をする事が多いが、今日は双方とも険しい表情で今いる階のランプを見つめたままだ。
 軽快な電子音と共に上下方向の移動が停止した。
 通信室に足を踏み入れた途端、画面に向かってマウスを操作中である千尋の小柄の身体がくるりと椅子ごと回転する。
「早かったですねぇ。真鍋兄の方、どうでしたぁ?」
「あ、うん・・・」
 急いでプリントアウトを始めた千尋の至極当たり前の疑問に恵美は言い淀んだ。一旦は瑞穂に励ましてもらったが、さすがに正面からの他意の全く無い質問には自分相手に忘れた振りをしていたリーダーとしての責任感が急に頭をもたげて来る。
「・・・留守だってよ。ったく、わざわざ足を運んだ意味がねぇよなぁ」
 わざと大きな声で呟き、そのまま空いていた椅子の1つに豪快な動作で腰を下ろした瑞穂。
 彼女は目を大きく開いた恵美の視線に黙って指を口に当てた。いいから余計な事は口にするなという仕草だ。
 一方、独り我関せずといった様子で椅子の1つに座ったままの律加。2人の姿を見付けた時「お帰りー。おみやげは?」と手を差し出したきりで、ずっと銃を取り扱った雑誌に夢中である。
 この細く小さい体のどこにそれだけの量が入るのか、見ている方が不思議になる速度でクレープが次々と律加の口の中へ吸い込まれる。
 恵美は律加が手に持っている本を眺めた。
 表紙のタイトルや裏表紙に書かれた出版社名は今まで見掛けなかったものだ。きっと最近創刊された雑誌だろうが、一応は世界でも有数の治安を誇る法治国家・日本でこの手の雑誌が何種類も出版されている事の方が恵美には信じがたかった。
 もっと不思議なのは、今までさんざん武器弾薬の類を使用している律加が真剣に雑誌を読んでいる事だ。
 試しに聞いてみる。
「ねぇ、律加」
「ん?」
 返事は聞こえたものの、顔の向きはそのままだ。
「その本の中で何か律加の知らなかったような情報が載っているわけ?」
 対する彼女の答えはあっさりしたものだった。
「ないよ」
「え? じゃあ、どうして」
「単に見てて楽しいから。よく名作は何度読んでも飽きないって言うでしょ。それと同じだよ」
「そ、そう」
 判るような判らないような説明だったものの、取りあえずはそれで自分を納得させた。銃と自分の作品を同列に扱われたら、過去の偉大な文筆家達はこぞって不満を表明する気がしたが、この際その事は脇に置いておく。
「モデルガンを本物そっくりに見せる記事もすごく面白いよ。冷たい青を表現するのに昔苦労したんだ」
 一旦本を膝の上に置いて彼女なりの“秘伝”を事細かに説明し始める。普通の警官よりも銃が好き放題撃てるのが律加のカメレオン入りの動機だった。  
 ガンマニアにしか理解出来ないと思われる言葉の羅列に適当に相槌を打ちながら、日本では武器に対する規制が厳しい分、律加に限らず変に興味と憧れが若年層を中心に募るのかもしれないと考える。
 プリンタは暫く止まる様子が無い。印刷待ちの手持ち無沙汰になると思っていたら、それから直に千尋が打ち出し結果の一部を手にやって来た。
「全部終わるまで待ってたら、恵美さん達20分は待ちぼうけですよぉ。重要そうな割に比較的ページが少なくて済む部分だけ、先に印刷したんですぅ」
 それでも20枚近い紙の束を手渡して来た彼女。これでまだ情報はほんの部分的という事であれば、通信機で聞いた通り予想を遥かに超えたデータ量だ。
 既にめぼしいデータは全て印刷予約に掛けたとの話なので、後はプリンタに任せっきりにして、千尋も資料調べに加わった。
 得られたデータは実に多岐に渡った。手元にあるだけでも、資本金、収支、社長を含めた取締役連中の名前や学習システムの概要と、情報が多すぎて絞るだけで苦労しそうな程である。手に入れた中で特に量の多いもの、例えば生徒名簿や各人の習熟度を示したファイルなどは印刷の代わりに簡単に引っ張り出す事が出来るように設定済みらしい。
「あんな短時間でよくこれだけの情報が集まったわね。さすが千尋だわ」
 恵美は心底感心していた。最初に頼んでからラジオで吉住保恵の一件を知るまで殆ど時間は経っていなかった筈だ。
「パスワードがアカウントを少し変えただけのものだったんですぅ。ホント、無用心ですよねぇ。おまけに暗号化も無いし、パスワード判明後はHPを置いているサーバーにアクセスするだけで一発でしたよぉ」
 そして付け加える。
「一般的なカルチャースクールだとしたら、セキュリティ面には大して力を入れてないでしょうからぁ、暗号化の無い方が当然なんですけどぉ」
 つまりは“ピープルコミュニティ”は殊セキュリティ面を見る限りただの学校法人という事だ。きっと少しは一連の事件の手がかりらしきものを掴める事を期待していた千尋の表情が成し遂げた偉業とは反対に多少曇り気味なのも、その事に起因するらしい。
 さすがにこれだけのデータ量なので解析は4人で手分けしたいものがあった。そこで平行して調査を続けられるよう、瑞穂と律加の為にバックアップ用端末のノートパソコンの方も同時に設定する千尋。
 大まかな区分は、恵美と千尋が収支・人事関係と学習システム全般、関連した記事の整理が律加と瑞穂のコンビという具合だ。
 但し、真面目に資料の該当個所を画面上に開き、必要とあればマーキングしようとする恵美・千尋コンビに対し、残りの2人は
「ちょっと、瑞穂ちゃん! あたし、まだその部分読んでないよ」
「『工藤美奈、新鋭カメラマンと電撃入籍』・・・・こんなのが一体事件と何の関係があるってんだよっ。ただの芸能ゴシップじゃないか!」
「そうでもないよ、ほら、ここ。今おすすめのカルチャースクールとしてアイドル・工藤美奈が取材に来たのを撮影したのが縁でゴールインしたんだって」
「・・・バカは放っておいて次だ、次」
 マウスがクリックされ、次の記事に液晶が書き換わる。
「あーっ、バカって言ったぁ! バカって言う方がバカなんだからね」
「ホント、うるさい奴だなぁ。こいつと一緒じゃ調査なんか進みゃしねぇ」
 関連記事と言っても“ピープルコミュニティ”という言葉だけで引っ掛けただけだ。中には殆ど関係無さそそうなゴシップめいたものも混じってしまっていた。
「・・・・」
 元来調べ物が苦手な2人も起伏に富む記事関係なら飽きが来ずにちゃんとした作業ができるのではないかという恵美の目論見は2人のあまりの相性の悪さに半分だけしか効を奏しなかった様子である。
「相変わらずですねぇ」
 手元の資料に目を通し終わったらしい千尋が恵美と視線の方向を合わせた。
「そうね。後で気付いた点をお互い発表し合おうと思ってたけど、こうなったら私達だけでやるとしようか」
 ため息の入り混じった提案に、同じく呆れ顔で「それしかないですねぇ」と同意する千尋。
 まずは学習システムについて千尋がホームページを開きながら説明する。
 実技を除く全ての講義をパソコンを用いて行うこの学校では、ご丁寧にも各講座の講義内容を段階分けしてPDF形式に纏めた電子テキストというものまで作られているそうで、お望みならそれもすぐに画面に呼び出す事が出来るそうだ。
「技能が身に付くと同時にコンピュータの使い方も覚えられるというので、ここんところのコンピュータブームともあいまってそういう意味でも人気が出てるみたいですぅ」
「なるほどね。だけど、パソコンって、受講者全員が?」
 恵美が首を傾げるのも無理も無い。
 水原まり子の話しぶりからすれば、主婦層も多く通っていそうな雰囲気に思えた。
 最近急速に普及して来ているとはいえ、10代・20代ならともかく30以上の女性にとってパソコンはまだまだ馴染みが薄い。こういう状況を踏まえた上でコンピュータ主体のシステムを学校側が採用するには間違い無くパソコン教室に匹敵するサポートを必要とする筈だ。
 その点について確認すると
「さっき見つけたネットの関連する書き込みを信用すれば、設備も教え方も下手なパソコンスクールにひけを取らないそうですよぉ」
「・・・・」
「他に変わってる点と言えば、申請すれば何回でも受けられるカウンセリングがある事だと思いますぅ」
 確かに会員特典としてページの下の方にカウンセリング(回数任意)というのが存在した。
「・・・済まないけど収支状況の方に切り替えてもらえる?」
 千尋も恵美と同じ事を考えていたようだ。スクリーンにいつの間にか目的の情報が映し出されていた。
 複雑に折れ曲がった線が3本並んで現れた。緑が収入、赤が支出、青が収支の合計のようだ。青い線はある時期を境に急に向きを変えている。
 この個所は紙にも印刷されていた。
「約9ヶ月前に上層部の一部を変更。以前はひどい赤字経営だったのが、その少し後くらいを境にして業績が急激に上向きに転じてるわ。よほど切れ者のスタッフが付いたのかしら」
「生徒が強盗をやっつけてから有名になったんだって。それで儲かったんだと思うよ」
 律加が得意げに口を挟んで来た。
「おいっ。肝心の記事を見つけたのはあたしなんだぞ」
 ワンテンポ遅れて瑞穂が眉を吊り上げ、がしっと律加の肩を掴む。どうやら2人の言い合いはまだ全然決着していない様子である。
「それに、やっつけたって言ったって怪我させた犯人そのものにはバイクで逃げられてんだ。嘘を教えるなよな」
「そんなの大した差じゃないもん。お金は全部無事だったんだし」
 一連の瑞穂の抗議にも一向に悪びれた様子を見せない律加。にこにことメトロノームよろしく目の前で指をチッチと左右に振って見せるから、より始末が悪い。
「そういう細かい事を気にするから、瑞穂ちゃんって大雑把な性格の割に気が短いんじゃない?」
 怒りっぽいと指摘された原因の半分以上を実は担っていながら、しれっとした顔で口にする。瑞穂の全身からより大きくなった怒りのオーラが立ち上った。
「・・・・恵美。今日こそこいつを人間の形をした真っ黒い炭の棒に変えていいか?」
 怒りが激しすぎてかえって笑みのようなものを美少年と見紛う容貌に浮かべている彼女。車の中で葛藤状態にあった恵美を冷静になって諭してくれた少女と本当に同一人物だろうか。
 どうやら恵美の思惑通り、仲が悪いなりに協力して2人は資料調査を行っていたようではある。
 もっとも、だからと言ってリーダーとして肩の荷が下ろす事が出来るかと言えば、いつまでも経ってもそうはなってくれそうもない。
 殊更ルージュなど塗らなくても健康的な桃色を保っている唇からフゥと大きな息が洩れた。提示されたのがもうすこし穏やかな解決手段ならきっと間違いなく瑞穂に味方しただろうが、しかし今は会議中だ。
 すぐに彼女は口調を引き締めて
「バカな事を言ってないで調べ物を続けて。律加もっ、瑞穂をからかうのはいい加減にしなさい」
「はーい」
 渋々ながら律加は再び資料の解析に戻った。いつもマイペースな彼女にもカメレオンの一員としての自覚は存在するらしく、リーダーである恵美の言い付けだけにはある程度従った。
 片割れの瑞穂は明らかにまだ怒りの放出具合が足りないと言いたげに暫く律加の横顔を睨み付けていた。けれど肝心の相手があっさり戦線離脱宣言してしまっては幾ら喧嘩を続けたくてもどうしようもない。
 仕方無しに呉越同舟といった形で律加と並んでの記事調査に復帰した。
 メンバーを上手く束ねて行くべき立場の恵美が2人に対する対応に頭を痛めている間、千尋が件の記事をスクリーン上に準備する。

▽月☆日15時14分、東晋銀行池袋北支店において預金客を装った男が刃物を行員の女性に突き付け、金を出せと脅した。幸いその場にいた今野英章さん(23)の活躍により銀行側への被害は無く、男は用意していたバイクで逃走、目撃者の証言では身長は175cmで割と細身、年齢は約30代半ばでサングラスをしていたとの事。「護身術って結構役立つんですね」と照れ笑いの今野さん、聞けば“ピープルコミュニティ”というカルチャースクールの生徒だそうで・・・・

 記事の日付は今から8ヶ月程前になっていた。恵美はしきりに紙と画面を見比べている。
「・・・千尋、生徒名簿を見せて」
 すぐに5桁の番号と名前や住所から成る表が画面に登場する。表のタイトルは“上野東校生徒名簿”となっていた。
 検索ウィンドウを開いた千尋は、手慣れたタイピングでそこに“今野英章”と打ち込んだ。
 ホームページから判るが、都内だけで幾つもの分校があった。
 千尋が名簿を印刷しなかったのは正解だ。確かに量が凄く多いし、一つ一つ目で探していたら時間が幾らあっても足りない。
「急にどうしたのさ、恵美。もしかしてこいつが実は偽者の生徒かもしれないってか?」 好奇心旺盛で元々が地道な作業に向かない瑞穂の興味は、ただでさえ気の合わない律加との共同作業だけにそれ始めた。すっかり視線はノートパソコンの液晶画面では無く、スクリーンの方を向いている。
 一旦砂時計に変わっていた矢印が元に戻ると同時に表の待望の一角を指し示す。“今野英章”と覚えのある名前が表示されている。
 恵美と千尋は同時に大きく息を吐いた。
「取りあえず、サクラって線は崩れたみたいだな」
「・・・・」
「恵美ちゃん、面白い記事見つけたよ」
 もう1つの端末から律加のはしゃいだ声が飛んで来る。
「おいおい、あの律加が真面目に作業してるよ。明日雪でも降るんじゃないか?」
「ムッ!・・・・あたし、瑞穂ちゃんとは違うもん」
 律加がやや褐色の強めの頬を風船のように膨らませた。元々がクォーターだったせいか、女性になった後も肌の色や髪がやや日本人らしくない。
「ふん! またどうせ、何かの三面記事だろ」
「いいから瑞穂はちょっと黙ってて。律加、記事を見せてくれる?」
 まさか自分の方が注意されるとは思わず、暫く水をやらなかった植物のように一瞬で変わった瑞穂。
 その瑞穂に一旦思いっきりアッカンベーをしてから、律加が右手を動かす。
 画面がとある三面記事からの抜粋に変化する。日付はつい最近だ。
 大画面の方が見易いので、千尋が2台の端末をリンクモード設定にする。

可憐な女子大生、痴漢に一撃−−−−○月×日、JR山の手線において月島野々香さん(20)が痴漢行為に及んで来た会社員・松本清隆(32)の腕をねじ上げ、警察に突き出した。調べによれば松本容疑者は優男風の容貌を武器にこれまでにも犯罪を重ねていた様子で、警察では他にも松本の容疑者の被害に遭った女性がいないか調査中との事。細身の月島さんの偉業に車内はビックリだが、当の彼女は「スクールのカウンセラーの先生に思いきって相談したおかげ。勇気が出ました」と愛らしく微笑した。このスクール、最近巷で有名になりつつある・・・

 恵美が苦笑する。
「千尋、どう思う?」
「どうもこうも、一般的な悩み相談までOKってことじゃないですかぁ? ・・・ちょっと信じられませんけどぉ」
「私もそう思う。この部門だけなら間違い無く赤字ね」
 2人の間に短い沈黙が流れた。
「おまけにパソコンスクール並みの施設と講義陣みたいですからねぇ。生徒数も多いから授業料と、後はもしかしたら国の補助で賄えちゃうのかもしれませんけどぉ」
 説明している千尋自身が表情からしてどうやら半信半疑の様子だ。恵美は端正な容貌を険しく歪ませ、何事かを考え込む。
 おもむろに律加の方を振り向いて
「さっき見つけた記事、もう1回出す事が出来そう?」
「え? どういうこと?」
 一応は黒だがかなり褐色に近い目を大きく広げ、きょとんとする律加。恵美は珍しく自分が必要な語を欠いていた事に気付き、バツの悪そうな顔になる。
「あ、ゴメン。あるアイドル歌手の取材が交際のきっかけになってゴールインしたって、さっき瑞穂と騒いでたじゃない。要は元になった出来事が知りたいの」
「・・・うん! やってみるね」
 頷いた律加はとても問題児とは思えないにこやかな笑顔でマウスを転がしている。
 いつショックの淵から立ち直ったのか、瑞穂が割って入った。
「恵美までどうしたんだよ? あんなゴシップ記事や、その元が見たいなんて、まさかついにこの能天気娘に毒されたんじゃないだろうな」
「瑞穂・・・ちょっとあっちに行っててくれる?」
 口を開けば喧嘩という、彼女と律加の終わりの見えないやりとりに次第に頭を痛めつつあっただけに、気付くと邪険に追い払っていた。
 車の中で瑞穂の励ましや帰って来た時に見せてくれた機転には感謝しているし、当然それ故に彼女にショックを与える事に少なからず罪悪感をも覚えた。
 しかしながら今の恵美には興味本位な心は全く存在しない。
 律加は得意さから幾分胸をそらし気味にしていたものの、他は何事も無かったように操作を進めていた。
 工藤美奈、ピープルコミュニティで検索すると目的の情報はすぐに出て来た。

“街角のPick up!”△月○日放送分ダイジェスト−−−−護身術などちょっと変わった講座システムで最近人気急上昇のカルチャースクール“ピープルコミュニティ”を紹介。ここでは講義を全てパソコンを用いて行っており、不慣れな生徒の質問にも専門スクール並みに親切に答えてくれる。専門のカウンセラーが常時詰めているカウンセリングルームは講義に関係ない普段の悩み相談にも乗って貰えるという事で、特に女性に大人気。多いのはストーカーや痴漢の相談だそうで、《護身術を切っ掛けにして皆さんにトラブルにうまく対処できる勇気を持って頂く事が講座開設の目的です》と服部社長は語る。レポーターは工藤美奈。

「・・・やっぱり、どう考えてもタイミングが良すぎる気がする」
 システム改変がおよそ9ヶ月前、新生ピープルコミュニティの存在を強盗事件で巷に知らせたのが、その約1ヶ月後。テレビでのドキュメンタリー報道は、またその1ヶ月後だ。 
「タイミング? 恵美はまだ今野がサクラだって疑ってんのか?」
 落ち込みより好奇心の方が勝ったらしい瑞穂が尋ねる。
「確かテレビ番組って、今日決めたから明日撮影できる類のものじゃないんじゃない? 編成会議を通さなきゃならないし、民法の場合うんと言ってくれるスポンサーが無ければそれまでだわ」
「!」
「例えそれをクリアしても、今度はスタッフ集めに時間が掛かる。おまけにレポータに選ばれたのが人気の工藤美奈でしょ」
 彼女は最近、本業の歌以外にも映画、それに本を出したりとマルチな才能ぶりを発揮している。当然ギャラも安くはなく、何より簡単に時間を空けてもらえるかどうか疑わしかった。
「多分この番組までがやらせって事か。くそっ、今野がサクラだっていう確証はどうしても掴めないのかよ」
「待って。そう言えば千尋、一緒に各人の習熟度を示したファイルが手に入ったってさっき教えてくれたよね」
 子供っぽいくりくりした瞳をそれに似合わない持ち前の聡明さで輝かせた千尋。
「!・・・ちょっと待って下さいよぉ」
 滑るような手の動きと同期して画面の上を流れた矢印が本の絵の形をしたアイコンの上で停止した。
 間髪を入れず、マウスの左ボタンを素早く指でククッと押す。
「? 誰がどこまでうまくなったか調べてどうするってんだ?」
「・・・・」
 瑞穂の質問にそれ以上答えず、険しい顔付きで砂時計に変化したマウスカーソルをじっと凝視し続ける恵美。
 ややあってレッスンの進行状況を示す一つの大きな表がスクリーンに収まりきらない状態で配置された。
「この形式なら恵美さんの考えは成功しそうですねぇ」
 再び千尋がサーチ画面を起動する。
「“今野英章”、と」
 またもや砂時計。
「何なんだ、一体」
「ふーん、瑞穂ちゃんはわかんないんだ」
 律加がこちらにやって来た。メイン端末がリンクモードのままで千尋が検索を掛けたので、ノートも同時に入力受付け不能になっていて、やる事が無い。
 正面からの挑発に瑞穂が鼻白む。
「何だよ。律加には判るのか?」
「あたし、瑞穂ちゃん程単純じゃないもん」
 がくっと瑞穂の下顎が垂れた。
「・・・もしかするとあたしの頭って律加以下なのか。自分じゃもっとましな方だと思ってたけどな」
「また、そういうことを言う! いいもん、教えて上げないから」
「構わないぜ。どうせ律加の答えなんて当たってないだろうからさ」
「何ですってぇーーっ」
 ある意味その通りだが、他の人間ならともかく目下一番のライバルの瑞穂にそんな事を口にされ、はいそうですかと認めるような律加ではない。当然激しく噛み付いた。
 一方、一旦砂時計に変わっていた矢印が元に戻ると同時に表のある一角を指し示した。
 そこに現れた文字の羅列を見た瞬間、千尋が、
「ほぅら、やっぱりですよぉ。さすがは恵美さんですねぇ」
 メンバー入りして以来の恵美の崇拝者の彼女としては感心の呟きのつもりらしいが、相変わらず口調的には間延びしていて、どうにも緊張感に欠けた。
「だけど、これ・・・」
 半年前までは最低週に1回、場合によっては1日か2日おきに顔を覗かせていたのが、それ以降はピタッと今野の足取りが途絶えていた。おまけに学校が脚光を浴びる前は殆どといっていい程講座には姿を見せていない。
 この習熟度表に細かな日付までが記されているかどうかは開いて見るまで確証は無かったものの、形式として日付欄が存在すると判った時点で今野がサクラかどうか判定する有力な資料となると思っていた。
 だから、今野の出席が実は殆ど無い事など驚くに当たらなかった。
 だが
「あのぉ、律加さんも瑞穂さんも凄い事がわかったのに見ないんですかぁ」
 内心の呆れ返った思いを隠しきれないままにおずおずと告げた千尋。部屋の片隅ではまたもや髪を引っ張ったり、互いの特殊技能をちらつかせて牽制し合ったりと、とても双方とも犯罪捜査組織の一員とは思えない低次元の争いが勃発しようとしていた。
 まさに一触即発状態だった瑞穂と律加が好奇心から燃え上がりかけた怒りも忘れて巨大スクリーンの方を向いた。
「!」
 話題の護身術講座が実際は9ヶ月前まで存在すらしていなかった事を資料は示していた。
「うそ・・・」
「おいおい、一体9ヶ月前に何が起きたってんだ?」
 すっかり瑞穂と律加の視線はスクリーンに吸い付いて離れなくなっている。
「・・・ひどい経営不審だったピープルコミュニティ側は巨額の融資を受けたのよ。多分、今後の経営方針は相手側に一任し、自分達は一切口を出さない事を条件にね」
 すっかり静かになった室内を恵美のソフトなソプラノ声が流れた。
「千尋、ピープルコミュニティへのお金の流れは調べてある?」
「ええ」
 画面はまるで通帳のようになった。
 だが実際は出納簿で、ピープルコミュニティが口座を持っている銀行のもののようだった。
 さすがに通信機で会話した時点ではこのデータは無く、恵美達が本部に戻って来る直前に得たものらしいが、そうだとしても改めて千尋の技能の凄まじさを思い知らされた。
 瑞穂が半分冗談で呟く。
「という事は、自分の口座のデータを開いて0を消したり付け加えたりしたら、すぐに大金持ち」
「そんな事したら、犯罪ですぅ」
 途端に普段大人しい千尋がひどく目を剥いた。
「私、クラッカーじゃありません」
 彼女の胸の中ではハッカーは他のシステムやプログラムを研究してその成果を皆の為に役立てる者、クラッカーは大事なデータを破壊したり改竄したりする人間と、はっきり境界が引かれていて、当然そういった類の冗談にはくすりとも応じてくれない。
「ごめん、悪かったよ」
 相手が律加でさえ無ければ素直に頭を下げられる瑞穂。無事に千尋は機嫌を直してくれたようで、作業に戻っていた。
「瑞穂ちゃん、あたしも」
「・・・なんであたしが律加に謝らなきゃならないんだ。逆だろ、逆」
「あー、まだそんな事を言うっ。もう許さないから!」
 律加の余計な一言のせいで、また2人が睨み合った。
 とっくに頭痛の始まっていた恵美は、この際律加達を無視する事に決めた。
「またですよぉ」
「・・・いいから放っておきましょう。それより、思っていた以上の金額ね。50、50・・・」
 毎月定額が振り込まれていた。
「下の方に合計の欄があるんでわかりますけど、ざっと500億ですぅ」
「500億!」
 千尋の回答に思わず息を飲んだ。
 振り込み主を見る。
「グローバルテキスト株式会社?」
「教科書の作成及び販売が主な経営内容らしいですよぉ。今、ページを開きますねぇ」
 すぐに画面が変わる。シンプルだがセンスのいい、モノトーンに近いページが登場した。
 ホームページを見る限り事業内容は何も学校教科書に限らないような事が紹介として書かれていた。教科書作成を得意とする会社が経営改善に乗り出したのだから、ピープルコミュニティの現在のテキストがなかなかに整理されているのも頷ける。
「さっき恵美さんが言われましたけど、事実上、経営の実権は融資をしたこの会社が握ってしまっているという事ですぅ。パソコンを使った授業がピープルコミュニティの売りみたいですけどぉ、ピープルコミュニティ自体にはノウハウも何もないみたいですよぉ」
「間違い無くピープルコミュニティはこの会社の傀儡とされていると考えていいって事ね。この会社の情報は?」
「ごめんなさい。それがまだなんですぅ」
 急にしょんぼりし出した千尋である。恵美の期待に応えられなかった自分を不甲斐なく思っているのだろう。
「今からすぐに破って見せますからぁ、もう少しだけ待ってて下さいね」
 そう決心するが早いか、普段の喋りからはとても想像付かない凛とした表情で千尋は端末に向かい出す。
「謝るような事じゃないんだから、別にそんなに気に病まなくていいのに・・・」
「いいえ、私が気にするんですぅ」
 千尋が手持ちのツールプログラムを起動する。ハックやクラックというと華麗な作業に思えるが、実際は目的のデータを収めたサーバーのOSの種類やバージョンを調べたり、認証のパスワードを推測したりの地道な作業の繰り返しだ。
 無論、それらをそのままやっていては手間の割に効果が低く、UG(アンダーグラウンド)と言われるネットの裏の世界では、今や知識の無い者でもそれこそ簡単にハッキングやクラッキングが行えるようなツールが蔓延しつつある。そのうちの1つを強化改良したものを千尋は愛用していた。
 直にアカウント名を調べ上げた千尋は、まずは比較的正攻法に近い手段でアクセスを試みる。使用している金融機関名と口座情報を調べようとした途端、画面にパスワードの入力を促すメッセージが表示された。
「・・・やっぱり大事な事はそう簡単に教えてくれないんですねぇ」
 千尋のがっかりした声が聞こえて来た。
 いつもはパスワード入力が出て来たくらいで肩を落とす彼女ではないが、恵美が待っていると思うと焦りも募るのだろう。
「だけど、こんなのOSを調べてしまえば何ともないんだから」
 じっと画面を睨み付けつつまた1つ別のプログラムを動かした千尋は、数秒後に現れた他の人間にはさっぱり意味の判らないアルファベットと数字の羅列を調べていた。
 手持ち無沙汰の中、これまで巷で生じている事件について振り返った。
 まずは大麻密輸未遂。これは自分達の手で既に解決済みで、主犯格は共に拘置所に送られている。だからこれについて何か考える必要は今のところ無いだろうと思った。
 それより時期を前にして起こっているのが絵画盗難で、一旦消えた絵がまた戻されるという点が不可解だった。絵が偽物だったというならまだ判るが、専門家による鑑定は本物と結論付けている。明らかに営利目的では無いようだが、だとしたら何故手の込んだ真似をしてまで持ち出したのか。
 そして相次ぐ犯罪者保釈事件。犯罪者達は保釈後直に何らかの形で死亡していた。
 偶然や単なる内部犯行と捉えられない事もないが、時間的な関係からは、もういない筈の人間が常識では考えられない方法で関与したと考えたほうがしっくり来るような事件がその後で生じている。例外は獄中で殺された真鍋くらいのものだ。
 真鍋の事件も考えてみれば不思議だ。鍵は鍵師の暗躍か内部犯行のどちらかを仮定するとして、ただのボクサー崩れで大物とはとても言えない彼にも保釈金は積まれている。なのに、どうして彼だけ保釈前に殺されたのか。
 通り魔事件はとあるカルチャースクールに繋がった。だが、実際はそのカルチャースクールも利用されているだけで、黒幕と思われるものは別の会社か、その更に向こうにある。
 手がかりとなるべきピースは沢山あるが全てバラバラでこのままでは組み合わせようが無かった。
 こうなると頼るのは千尋だ。その千尋がやがて華やいだ声を上げる。
「サーバーがリセットしました。侵入成功ですぅ」
 どうにかOSの種別とバージョンを正確に把握した彼女は、パッチと呼ばれる専用の書き換えプログラムを送り込んだのだと言った。
「一部カーネル部分に自作パッチが当てられていたみたいで、そのせいで苦労しましたけど、ほらぁっ」
 リモート画面に"#"の文字が表示されたのを指し示した千尋は誇らしげに表情を輝かせた。
 足跡を消す為のプログラム実行を先に済ませた彼女はそれからサーバー側のファイル構造を画面に呼び出した。
 教科書・参考書の会社だけあって、名前からテキスト関係と予想されるディレクトリの階層下に小学校から高校に至るまで沢山の原稿ファイルと思われるものが並んでいた。
 おまけに他のディレクトリは全て数字と記号の羅列で、とてもすぐに意味が掴めそうも無い。
「しかしこれじゃ、ダウンロードするだけでも大変そうですねぇ」
 今のままでは検索は使えない。UNIXの最高アカウントを奪い取ったのをいい事に、検索用のCプログラムをアップロードし、コンパイルした。
「詳しい解析は後に回すとして、先にお金の流れだけでも調べましょう。表計算ソフトのファイル名だけ先に拾い出せる?」
 Windowsが世界的なOSになった関係で、最近は企業でもOS製作会社のリリースしている表計算ソフトを使って帳簿を付ける所が多くなった。
 その事を千尋から教えられた恵美が取りあえず言われるままに検索エンジンで“.xls”と入力すると、どこかのプロバイダの顧客データが引っ掛かって来て慌てた経験がある。 早速プログラムを走らせ、キーワードに“.xls”と入力して結果を待つ。
 網に引っ掛かったファイルを順じダウンロードしつつ、平行して中身を解析する。
 10個程ファイルを開いた時、果たしてそれらしき物を見つけた。
「えーと、資金はここをトンネルしてやって来てるみたいですぅ。大元の会社名は、と・・・三船建設、あ、すごい大手だぁ」
「三船建設ですって!?」
 トンネル先の実名を見た恵美が不意に眉を顰めた。
「確か、『昔、大工さんは"木"に自分の全技術を注いで建物を建てました。今、私達は建材に気持ちの"気"を注いでビルを建てています』って宣伝を四六時中流しているところだろ? ・・・嘘もいいとこだけどな」
 いつ争いにけりが付いたのか、傍らに瑞穂と律加が揃って首を並べていた。
 スクリーンの前では先程から恵美と千尋の2人が時折声を上げながら画面に見入っている為に、好奇心の強い瑞穂達は気になってたまらなくなったらしい。放っておいたのが効を奏したようである。
 三船は大手建設会社の1つだけにゼネコン騒ぎでも良く問題になっている。飄々として見えて実は正義感の強い瑞穂はCMとあまりに違うその事実を皮肉っているようだ。
「官公庁の天下り先としては5本の指に入る会社よ。記憶では確か、ちょっと前にも閣僚が1人トップ陣に収まったと思ったけど・・・千尋、調べられる?」
「もちろんですぅ」
 千尋の、コンピュータ世界ではそれこそ神のような手は苦もなく各省庁の人事データを引っ張り出していた。彼女の話では民間より政府機関の方が概してセキュリティが貧弱で、この程度は造作も無いらしい。
「これだと思います」
 “田原正明・・・・元建設省事務次官。異動先は株式会社三船建設の専務”。
 続いて千尋が田原について省庁が把握している限りのプロフィールを呼び出す。
 それが表示された瞬間、瑞穂と律加が間の抜けた大声で叫んだ。
「か、川上ぃーー?」
「うっそーぉ」
 親交のあった人物の欄にはっきり川上兼次の名前が挙がっていた。
『有名なタカ派議員だ。そして彼は君達の存在についてもどうやら井上から聞いて知っている様子だ』
 Mr.Xが重々しい声音で語った事を思い出す。
 答えは予想出来ていたものの、それでも恵美は尋ねてみた。
「千尋、国会の混乱は依然続いているの?」
「ええ・・・」
 訊いた恵美同様、回答する千尋の表情からも精彩が欠けていた。
「川上と来たら、アナウンサーのインタビューに終始にこにこと、皆さんの期待に応えるべく出来るだけ早い新党の結成を目指すと言ってましたぁ」
 各党からの大量離脱の始まった時の勢いから、このままの流れで新党を結成するとなれば間違い無く国会第1党となると誰もが予想しているようだ。
 選挙を待たずに一気に国会の地図は書き換わり、恐らく事件の陰で糸を引いている人物、川上兼次代議士が内閣総理大臣と呼ばれる地位にいずれ就こうとしている。
 どす黒い手がじわじわと闇から伸びて来るようで、恵美は思わず身震いを感じた。
「恵美は川上が絡んでいるだろうってことに気付いてたのか?」
「さっき言った筈よ、テレビ局の番組は簡単には制作出来ないって。それをスタッフ要請も含めたった1ヶ月かそこらで放映にまで持ち込んだ事から、“上”が絡んでいるだろうとは思ってた。・・・でも」
 滅多に驚きを見せる事の無い容貌が今はやや引きつっていた。
「参ったな。あたし達の相手はカルチャースクールなんかじゃねぇ。またもや国ってわけだ。それも落武者すれすれの清新党じゃ無く、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの川上一派という」
 瑞穂は半ば呆れ顔で呟いた。そして、わざとふざけてがっくりした様子で肩を落として見せる。
「例の真鍋の事件の方もあのままだし、こりゃあ、約束の特別ボーナスはずっと先になるかもな」
 今まで国の権力レベルで引き起こされていると思われる事件は犯罪者の保釈事件のみだった。今はそれにカルチャースクール、つまり通り魔の一件が加わった。
「瑞穂ちゃん、おじけづいたんなら捜査に行かないでずっとここにいたら? 代わりにあたしが行って来てあげるから」
 先程の恵美の制止も長い効果時間は期待できず、いそいそとからかいに律加がやって来る。最早端末の前が当たり前の千尋と違い、何だかんだ言ってもさすがに本部に篭もりっきりは段々退屈になって来た様子である。
「バカ言え。尾行中だというのにクレープ屋の方に気を取られる奴にまともな捜査が出来るもんか。恵美に迷惑を掛けるとわかってる奴よりはまだあたしの方がいいに決まってるさ」
「ひどい、瑞穂ちゃん。そこまで言うことないじゃない」
 律加が怒ったというよりも悲しそうだと表現した方が近い顔をした。
 2人の表情だけを見比べていれば、攻守が反対にも思えて来る。
「紛れも無い事実だろうが」
「うぅっ・・・」
 その時
「丁度揃っているようだな」
 いきなり大画面いっぱいに広がったMr.Xは開口一番そう語った。
 恵美はこれまでの捜査結果と推測を報告する。
「なるほど、川上がか・・・」
 Mr.Xはあまり驚いたように見えなかった。
 元締めである彼はもしかしたら自分達よりずっと多くの情報を手に入れているのかもしれないという思いが一瞬恵美の頭の隅を通り過ぎて行く。
 それを裏付けるかのごとく、Mr.Xは厳かな声のまま今回の極秘情報を告げる。
「それならこの情報はあまりびっくりしては貰えないかもしれないな。この前君達が逮捕した代々木草伸が実は陰で川上と繋がっていたというものなのだが」
 Mr.Xを除く全員の呼吸が驚きから一時停止しそうになった。
「・・・悪いがエイプリルフールなら半年先だぜ」
「残念ながら真実だ」
「それじゃ・・・もしかして、大麻事件にも川上は絡んでるって事ですか?」
 さすがに2人の関係は聡明な彼女にも全く思い付かなかったようで、恵美が震える声で口にする。
 記憶の糸を辿る。代々木代議士は確か逮捕前にこう言っていた。
『我が党は徐々に勢いを盛り返しつつある。まだ数字の上では開明党の協力が必要となるが、実質上は今度の総選挙で政権を回復できる見込みだ』
 彼の告げた見込みとは、もしかしたら川上代議士の協力を指すのではないか。代々木草伸は見た目インテリ肌にも関わらず性格は紛れも無くタカ派だった。
 保守系の代議士にとって党派は本当はあまり関係無い。川上代議士とは色々な意味で気が合っただろう。そして川上の影響力は開明党離党時の国会の混乱を見ても判るように、野党の人間とは思えない程に大きかった。今度の選挙で何としても国会内勢力の過半数を確保したい代々木にすれば他の何を投げ打ってでも協力を取り付けたかったと思う。
 だが、肝心の代々木代議士が逮捕され、もう少しで国内に流れ込む筈だった大麻も明るみに出てしまった。
 予定の狂った川上代議士はすっかりイメージの汚れた清新党を見限り、逆に混乱と自分の影響力を利用しての強力な対抗馬の結成に走った、そうは考えられないだろうか。
「その可能性は充分過ぎる程に存在すると思っている」
 Mr.Xは断定こそしなかったものの、鋭く光る瞳が恵美に同意していているように見えた。
「ただ、代々木を知る者に言わせれば、持ち前のプライドから彼は自らの弁舌で企業や団体をくどき落として献金を受け取る方が好きで、麻薬の密輸のようなある意味誰にでも可能なやり方は好まないだろうという事だ」
「・・・・」
「恵美、どうしたんだよ?」
 どうして気付くことが出来なかったのか。
『大麻との関わりを今、国民に知られては困るのだよ』
 政権回復を目前にした大事な時期にわざわざ危ない橋を渡ったのも、それが川上代議士の協力を取り付けるのに絶対必要な要件だったからではないか。 
 だが、彼女の推理もそこまでだった。
 川上代議士が一体何を考えているのか、さっぱり恵美には掴めなかった。
 取りあえず恵美はまとまらない部分はそのままに現在の自分の考えを場の全員に説明した。
「一見うまくピースがはまってくれそうだったんだけど・・・最後がどうしても」
 大麻事件から新党結成を目指すまでの流れは全て推測ながら理解できた。だが、そうだとすると、2つを結んだ線にどうしても肝心のカルチャースクールというもう1つの点を付け加える事が出来ない。あまりに異質過ぎるのだ。
「ううん、それだけわかれば充分過ぎるくらいですよぉ」
 同じ真面目な性格で、情報の断片からここまでの推理を展開したリーダーを見つめる千尋の眼差しは素直に尊敬の念を含んでいた。
「で、Mr.X。あたし達は急いで牢屋に行って代々木の奴を締め上げりゃいいのか?」
 瑞穂は持ち前の荒っぽさからこれから喧嘩をし掛けるかの如く両手指を組み合わせ、気合を入れた。
「それはある意味名案だが、多分川上は代々木に多くを話してはいないだろう。瑞穂が代々木の偽学者口調をもう一度聞きたいというなら敢えて止めはしないが」
「・・・2度とゴメンだな」
 演技と勘違いする程大袈裟に身震いしてみせる。だがそうしたくなった気持ちは同じ代々木代議士と対峙した経験を持つ恵美には良く理解できた。
 一見人当たりの良い笑みを浮かべているものの、フレームの奥は保身の為なら殺人さえ厭わない酷薄さが潜んでいた。そして川上代議士はその彼と同類なのだ。
 どういうわけか、まり子の入れてくれた紅茶、それにとびっきり美味だった手作りクッキーがふと思い出された。
 そして本当は子供らしく無邪気で快活な、なのに悄然と振舞わざるを得なかった小さな少女が記憶の中で独り震えた。
「Mr.X、ここまで来たら、一刻も早くピープルコミュニティ内に潜入捜査を決行するべきだと思います」
 恵美の決意を秘めた声音は閉じた空間に予想外に大きく響いた。
 Mr.Xの低く通る声がそれに重なる。
「恵美、相手の手の内を知らずして戦とは成功しないものなのだよ」
「ですからっ」
「私が言うのは吉住保恵の事だ」
「え?」
 スクリーン越しにすら大きく拡大したと知れるMr.Xの声と気迫。恵美は思わず黙り込んだ。
「確かに現段階では川上の狙いは全くと言っていい程見えない。だが吉住保恵が通り魔として仕立て上げられるまでに何が起きたのか掴めれば、捜査の上で大きなプラスとなるだろう」
「・・・・判ります、判りますけど」
 頭では理解できるだけに恵美はひどく唇を噛んだ。
 吉住保恵の名前が登場した時点で既にMr.Xの主張したい事項ははっきり理解出来ていた。
 しかしながら今は、ただの正論と言う言葉では片付けられない矛盾が本来なら人一倍聡明な恵美の脳裏に台風となって渦巻いている。
 こういう時はリーダーという名の重い鎖が恨めしかった。それさえ足に繋がっていなければ、衝動的にこの部屋を飛び出せていたかもしれない。
「絶対に彼女と会ってから行く事だ。これは命令だ」
 元締めとしての権力をあまり振りかざさず、彼はメンバーの自主性を重んじる。その彼が滅多に口にしない“命令”という単語、そのたった1語が恵美に重くのしかかった。
「Mr.X!」
 応えは無い。通信は唐突に切れていた。

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