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天に願いを
9話
作:赤目(RED EYE)



第九話
いけないひとね

 その翌日。あゆみがまたイクの部屋にやってきた。
 「イク様、雄二さん、じつはまたお願いしたいことが……」
 あゆみは、はにかみながら遠慮がちに言った。
 「は、ははい。ああああゆみちゃんのお願いならどどどどんなことで、も」
 思わずドモる雄二である。

 前日のキス事件のあとのフォローはとても大変だった。
 結局、ストレートに事情を説明して謝るしかないという結論に達したイクと雄二は、あゆみのところへ行き、これまでのことを洗いざらいぶちまけた。摩耶香の危険な行動をイクがなんとか止めようとしていること。これも安全ではない催眠の儀式のこと。雄二が『洗脳』されたフリをしていたこと。そしてラブコメ人格のこと。
 あの「おまじない」はラブコメ人格の暴走に過ぎなかったと説明されたあゆみは、少しがっかりしたようだった。その様子を見て慌てる雄二。
 「かか隠れ人格といっても、本来摩耶香さんのものなんで、ということはやはり摩耶香さんはあゆみちゃんが好きってことで、も、もちろんオレもあゆみちゃんがキライってわけじゃなく、もちろん好きなんだけどまだ出会ったばかりというか、年齢差も結構あるし結婚を前提にしたお付き合いにはまだ早……痛っ」
 イクにお尻をつねられて、雄二はようやく支離滅裂な言い訳をやめた。
 説明の最後に、イクが根性を出してなんと土下座に出た。
 「あゆみちゃん、一生のお願い! キスのことは他の人には黙ってて? これが轡馬老にでもバレたら、雄二さんは今度こそ監禁されちゃうよ」
 「イク様、そ、そんなことしないで下さい。もちろん誰にも言いません。あたしの一生の思い出にしますから……」
 ギク、と凍りつく雄二。次の瞬間、雄二もイクと並んで土下座に出た。
 「あゆみちゃん、と、とにかくごめんっ。それともうひとつ、摩耶香様を止めるのを手伝って? あゆみちゃんが本当に好きな摩耶香様の危険な賭けを、なんとか止めたいんだ」
 「も、もう、雄二さんまでそんなことを。もちろんオッケーですよ、お二人のいままでのお話を聞いてあたしもう決心しちゃいましたから。摩耶香様を本当に好きだからこそ、止めなければいけないってわかりました。それに気付かせてくれて、イク様、雄二お兄様に、心からありがとうを言いたいです」
 「それじゃあ、手伝ってくれるんだね? わーい、やったぁ! 終わり良ければすべて良しだぁ」
 「は、ははは、ホント一時はどうなることかと思ったよ」
 「全部、雄二さんのせいでしょーが」
 三人は笑いあった。

 こんなやりとりが前日にあったばかりなので、まだ雄二とあゆみの間に微妙な感情があるのは間違いなかった。
 「雄二さんに、また除霊をおねがいしたいんです……」
 とあゆみが言うと、雄二とイクは昨日のことを思い出して五秒ほど固まった。
 「除霊……。あゆみちゃん、またこのキス魔に頼るつもりなの?」
 「ひぃぃぃぃん、イクちゃん、もうオレをイジメないでよー」
 「だいたい、雄二さんの除霊術は、天願教の方式はもちろん、古今東西の従来の除霊術ともまったく異なった、よく言えば型にはまらない自由形、まあ平たくいえばきわめていい加減なフィーリング重視のものなんだよ?」
 事実であった。昨日の呪文ともいえない呪文や、それにしては手際よい完璧な除霊の一部始終を分析したイクは、そういう結論に達していた。雄二自身が初めての除霊、しかもそれまで全く修行経験ゼロなのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
 それでも除霊出来たのは、雄二自身に秘められた大きな霊能力があるからと考えられた。これで最初の睡眠の儀式のとき、水晶球を雄二に近付けた際に霊力場が大きく乱れていた原因が判明した。雄二自身のせいだったのだ。
 「でもあたし、雄二さんを信じてますから……」
 あゆみはそう言ってキラキラと輝く瞳で雄二を見つめた。
 そんな純粋な眼差しの前で、この異常な状況下でも「どうにかなるさ」方式で日々をお気楽に過ごしている雄二は、ただ恥ずかしくなるばかりであった。
 「で、できるかどうかはわからないけど、あゆみちゃんのためならオレ全力を尽くすよ」
 ようやく、それだけ言った。
 あゆみは、パッと花開いたように喜びの表情を浮かべた。
 「きゃいきゃい。やってもらえると思ってました。――この除霊がうまくいけば、きっと教団内にもあたしたちを支持してくれる人が増えると思うんです。じつは、昨日信頼できるひと数人にこっそり雄二さんの除霊のことを話してみました。皆びっくりしていましたが、応援してくれる人ばかりだったんです」
 「その中に、やはり霊で困っている人がいたんだね?」
 イクの問いかけに、あゆみは肯いた。



 「高沢華枝と申します」
 雄二は年上の女性からそんな風に頭を下げて挨拶され、「あ、どうも」と思わず気の抜けたような返事をしてしまう。
 それでも相手は可笑しがったりせず、真剣な表情ですがるように雄二を見つめている。小造りでキュートな感じの女性だった。年齢は二十代後半、あるいは三十そこそこだろうか。
 ここは、教団本部棟の中の医療セクションにある、とある病室であった。
 部屋のベットには、華枝のひとり息子である幼い健太が横たわっている。一見どこにも異状はないのだが、その表情には生気というものが全くない。
 「この子、大きな病院を幾つも回って診てもらったんですが、悪いところはないと言われました。でも、一日中疲れ切った様子で塞ぎ込んでいて、立ち上がるのもやっとなんです。だんだん寝たきりになってしまって、このままではきっと遠からず……。本当に、どうしてこんなことになってしまったのか」
 華枝はハンカチで目頭を押さえた。
 「そうですか……」
 大人の女性の涙にちょっとウロたえ気味の雄二。
 「あゆみちゃん、これが霊のせいではないか、というんだね?」
 「はい」
 あゆみが答えた。
 「神官の一人に見てもらったところ、霊現象ではないと言われたそうです。……でも、あたしにはわかるんです。健太くんが何かに憑かれているのが、こうすると――」
 そう言ってあゆみは健太の額に手をかざした。
 「ほんとうに小さな気配ですけど」
 「ふうん、どれどれ、オレも」
 雄二はあゆみの手に自分の手を重ねるようにして、意識を集中した。
 来た。
 こちらの探りを入れる気配に、ぎぃんと滾るような強烈な反応が返ってきた。
 「あゆみちゃん、今のわかった?」
 「はい、雄二さん。すごい感触でしたよ、今の」
 あゆみは雄二を見上げて目を輝かせた。
 「雄二さんとあゆみちゃんの霊的能力が合わさって感度が増したんでしょうね」
 と見守っていたイクが解説した。
 「普通は人によって霊的波長が違うものですから、なかなかそうはいかないものですが。よほど訓練を積むか、霊的相性がよくないと――」
 「まあ、いやですわイク様……わたしとお兄様(お姉様)の相性がいいだなんて」
 「いや、そういうことじゃなく……」
 こんな時でもラブラブモードのあゆみに、おいてきぼりを食ったイクがつぶやく。
 雄二がやや慌てて言った。
 「そ、それはともかく この霊はちょっと手強そうだ。これは本当にあゆみちゃんと共同戦線を張ったほうがいいかもしれないな」
 雄二は華枝の方へ向き直る。
 「これは、やはり霊現象だと思います。残念ながら、今のオレは身体は摩耶香様でも、中身は霊的現象には初心者の業田雄二という中学生に過ぎません。それでも、できるだけのことはしてみます。健太くんに憑いた霊を祓うために、お母さんも協力してください」
 「はい、もちろんです。本当に、よろしくお願いします」
 華枝は気の毒なほど何度も頭を下げた。

 雄二は、除霊のために必要なものをイクに頼んで用意してもらった。
 麻で編んだ紐と、樽に入った日本酒であった。日本酒は教団倉庫にあった二斗樽で、清酒『京唄』と書かれている。
 すべてフィーリングの命じるまま雄二が立てた作戦では、健太に憑いた悪霊が暴れないよう紐で健太をベッドに固定し、頃合いを見計らって酒をかけて悪霊を健太から追いだす。古来からこの国の豊穣のシンボルだった穀物・米から造られた日本酒は、悪しきものに対しては聖水として働くからだ。
 その後、雄二がガチンコで霊をねじ伏せる、という二段構えの除霊であった。
 「健太くん、これから少しの間、ちょっと苦しいかもしれないけど、これは健太くんに憑いた悪い霊を祓うためだから。がんばるんだよ」
 雄二は、ベッドの枕元にしゃがみこむようにして、健太に優しく語りかけた。
 「うん、おねえちゃん……ぼくがんばる」
 健太は、やはりまだ摩耶香の中身が雄二だということが理解できないらしく、それでも精一杯元気をふり絞ってそんな返答をした。
 健太はもうベッドに縛られている。
 「よし、やろうか」
 雄二は立ちあがって、ベッドの向かい側に立っているあゆみに肯きかけた。
 「はい。あたしもやります」
 あゆみの瞳には強い意志の光がある。
 二人とも正式な除霊のためのコスチュームである巫女姿に着替えていた。
 そんな緊迫した空気の中で、イクが慌てた様子でコソコソ雄二に近付いた。
 「ゆ、雄二さん。わかってますよね?――キスだけは、もうぜったい避けてくださいよ」
 イクが超小声で囁いた。
 「んもー、わかってるってイクちゃん。オレだってそう何度もラブコメ人格の勝手にはさせないから」
 それを聞いてイクは安心したらしく、少し離れたところで見守っている華枝のところへ戻った。

 雄二は手を健太の額の上にかざした。
 あゆみがそれを見て、反対側から同じように手をかざす。
 雄二はあゆみの手の上に、自分の手を重ねるようにした。瞬間二人の目が合い、友情より深い信頼と熱いものが通いあった。
 「お姉さま、とってもきれいです」
 とあゆみが囁く。雄二はなぜか訂正する気になれず、ただこう囁き返した。
 「あゆみちゃんもとてもかわいいよ。――これまでで一番」
 互いの気持ちを確認しあったあと、二人は目を閉じた。
 精神を集中する。雄二の中で、《気》の力がみるみる高まってきた。触れあっている手を通して、あゆみの集中力と気も増大しているのが感じられる。
 行ける。
 そのとき、雄二の口からまたもや独りでに呪文が発せられた。
 「ア ナ タ ノ オ ナ マ エ ナ ン テ ー ノ ♪」
 どん、と健太の身体が跳ねた。
 麻紐で縛られているのでベッドから落ちなかったが、ベッドごとガタつくような大きな跳ね方だった。
 雄二とあゆみは、健太の身体の中に潜む悪霊の抵抗をなんとか抑えようと、さらに気の力を注ぎこむ。
 どん、どん、と再び健太が跳ねる。
 その時だった。
 健太を縛っていた紐がぐぐぐとイヤな音を立ててねじれ蠢き、突然バシッと音を立てて全部一度に切れ、跳ね飛んだ。
 「グオオオオ」
 横たわっていた健太が恐ろしい声を絞り出しながら半身を起こし、片手をなぎ払った。
 「ぎゃん」
 あゆみが、悪霊の放った強烈な気の直撃を至近距離から受けて、壁際まで弾き飛ばされた。
 「あゆみちゃん!」
 雄二は悪霊の攻撃への防御態勢をとりつつ、叫んだ。
 「イクちゃん、あゆみちゃんを」
 「はいっ」
 イクがダッとあゆみに駆けよって助け起こした。
 同時に悪霊の第二派攻撃が雄二に来た。
 「ぐうっ」
 さすがにこの距離だと、防御姿勢をとっていても全てを吸収しきれず、雄二も後ろへ弾かれて床に倒れこんでしまった。思わず気が遠くなりかける。
 「ワシを祓おうというこしゃくな輩は何奴であるかあああああ」
 今や悪霊は完全に健太の身体を支配して、ベッドから降りると、ゆらゆらと華枝の方へ近付いてゆく。
 華枝は恐怖の表情を顔に張り付かせて、立ちすくんだまま「来ないでえ、来ないでえ」と悲痛な叫びを上げていた。
 雄二は尻持ちをついたまま、かすむ頭でなんとかこの悪霊を抑え込む方法を考えていた。
 あゆみちゃんは気を失ってしまった。なんとか健太の魂の奥底から憑依した悪霊をおびき出したのはいいが、除霊の第二段階に進むには誰かの助けが必要だった。
 そうだ、華枝さん――。思い付くと雄二は叫んでいた。
 「華枝さん、健太くんを押さえて! 抱きついて、押さえこんで下さいっ」
 だが雄二の叫びも、悪霊に襲われる恐怖におののく華枝には聞こえていないようだった。
 「来ないでえ、お願い来ないでえ」
 と震えながら、恐ろしい形相で迫るわが子・健太から逃れることもできず立ち尽くしている。
 「華枝さん、しっかりして華枝さん――」
 あ、あれ? 雄二はこの異様な光景の中で、また意識がどこかへ飛んでいくのを感じていた。
 それに代って目覚めたのはもちろん。
 「んもう、華枝さんたら、健太くんのお母さんでしょっ」
 ラブコメ雄二はあきらかに本物の女の子っぽい仕草でプリプリ怒りながら言うと、パッと立ち上がって華枝のところへ「シュタッ」と駆け寄った(所要時間〇・五秒)。
 その拍子に悪霊に操られた健太を横の方へドンと突き飛ばす。
 「ぐふうううっ」
 悪霊は床に倒れこんだ。
 突然目の前に現れた雄二に驚いて声も上げられない華枝に、ラブコメ雄二が語りかけた。
 「いいこと? 健太くんは今はあんなだけど、あれは悪霊に操られているだけなのよ。華枝さんの大事なだいじな息子さんでしょ。お母さんならちゃんと受けとめてあげなくちゃ駄目じゃないのぉ」
 「は、はい?」
 華枝はまだよく事情が呑み込めていないようだ。
 ラブコメ雄二は仕方がないなあ、という様子で華枝の両手を握りしめると、
 「いいですか」と諭した。
 「抱きしめてあげて欲しいの、こんな風に」
 というと、抱きしめるだけでなく既にキスの態勢に入りながら、ラブコメ雄二は華枝をぐっと引き寄せた。
 「わあぁぁっ」
 イクが悲鳴を上げる暇もなかった。
 が、しかし。
 さすがに色恋の場数を踏んでいる大人の華枝であった。寸前でラブコメ雄二の魔のキスをかわすと、ただ抱きしめられる格好になった。
 イクはこんな時だが、ふうっと安堵のため息を洩らした。

 「ワシをコケにしおって、貴様ら何をしておるかあああああ」
 悪霊がゆらゆらと立ち上がりながら、怒りの雄叫びを上げる。
 そんな叫びを無視しつつ、抱き合ったままのラブコメ雄二と華枝。
 「わかった? 華枝さん。こんな感じで、優しく愛情をこめて、健太くんを抱いてあげてほしいの。何も難しいことはないでしょ。いつも健太くんにしてあげている通りでいいの」
 「うん、雄二くん……ふふ、女の子なのに雄二くんなんてヘンね――でも、よくわかったわ。ついでに、わたしいま気持ちがすごく落ち着いた。あなたから直接、大きな勇気のエネルギーを貰った気がする」
 華枝は雄二から身体を離すと、いたずっらぽい目で笑いながら小声で言った。
 「いけないひと」
 「……へ?」
 その一言で、雄二本来の意識が目覚めたらしかった。

 まだ意識が混乱している雄二に向かって、イクが叫んだ。
 「雄二さん、まだ終わっていません! 除霊の続きですよっ」
 「あっ、そうだった」
 振り向くと、もう悪霊に操られた健太は背後まで迫っていた。
 「があっ」
 と叫んで、雄二に飛びかかってくる。
 だが雄二の前を遮るように進み出た華枝が、健太を受け止めた。
 「ぐあぁぁっ、離せっ、離せえええ」
 喚きながら暴れる健太を、華枝は優しい気持ちで、しかし力強く抱きしめている。
 「健太。もう心配しなくていいのよ。お母さんが、お母さんがここにいるんだから。もうあたしは絶対あなたを離さない」
 チャンスだった。
 雄二はダッシュで酒樽のところまで飛びつくと、木の槌で蓋を叩き割った。
 バシャッ、と酒がこぼれる。
 「でやあっ」
 本当は大人でも持ち上がらないほど重く大きい酒樽なのに、火事場の馬鹿力を発揮した雄二はそれを軽々と抱え、華枝と健太のところへ歩みよる。
 「うっしゃあー」
 雄二は樽を抱えあげると、中に入っている酒を全て二人に浴びせかけた。
 「ぐはあああああああああ」
 健太に憑依した悪霊は、聖なる酒を浴びて蒸気を上げながら苦しそうにもがいた。
 今だ。
 雄二は樽を抱えたまま、一気に精神を集中する。そして呪文を唱えた。
 「レ ッ ド ス ネ ー ク カ モ ー ン ♪」
 「ぎゃああああああああ」
 恐ろしい叫び声を上げて、華枝に抱きかかえられたままの健太が苦しげに天を振り仰いだ。
 その大きく開いた口から、まっ黒い得体の知れないものが飛び出した。
 健太はガックリとくずおれそうになったが、華枝がしっかりと護るようにその身体を抱き寄せた。
 「成功だ!」
 イクが思わず叫んだ。
 だが安心するのは早過ぎた。悪霊は単に健太から離れただけで、まだその力を失っていない。あゆみのリカちゃん人形の時より遥かに強力な霊らしかった。
 一瞬で部屋の窓ガラスがこなごなに砕け、家具の類が倒れこんできた。
 さすがにイクも華枝も悲鳴を上げる。
 ドン、と突き上げるような衝撃が床から来て、部屋全体が揺れた。壁にヒビが入り、建物の鉄筋が上げる音だろうか、いやな軋みが聞こえた。
 だが。
 そんな中、雄二は恐れるそぶりもなく、まだ酒樽を抱えたまま仁王立ちになっている。
 その目は渦巻く悪霊を見据えていた。
 部屋にあった椅子がふわっと浮き上がり、雄二めがけて突進してきた。
 苦もなく酒樽でそれを弾き飛ばす雄二。
 今度はベッドが浮き上がり、回転しながら迫ってきた。
 それをまたもや酒樽を使って叩き落とす雄二。
 雄二の強力な霊能力にひるんだか、一瞬悪霊の攻撃が止まった。好機を雄二は逃さない。
 「メ゛ェ ッ ・ ポ テ チ ン ♪」
 雄二が最終呪文を唱えると、ざあっと風が巻き起こり、黒い悪霊はなすすべもなく酒樽の中に吸いこまれてゆく。
 悪霊の断末魔の悲鳴が響いたが、それも一瞬だった。
 残らず吸いこんだのを確認すると、雄二はすばやく蓋をして、それを麻紐で固定した。
 「これでよし」
 そう言いながら雄二がイクの方を振り返ったとき、全てが終わっていた。


 「雄二さん、見事な除霊ですよ。一時はどうなるかと思いましたけど、こんな強力な霊を封印するなんて」
 今の音で何事かとそろそろ廊下が騒がしくなり始める中、イクが上気した表情でいった。
 「あんな強力な霊は、たぶん教団の神官が総がかりじゃないと封印できなかったと思います。それ以外なら、姉さん本人が直接手がけるか」
 「これもあゆみちゃんが協力してくれたお陰だよ。――ところで、あゆみちゃんは大丈夫?」
 雄二はイクが膝枕をしているあゆみを心配そうに見つめた。
 「はい、弾き飛ばされて気絶しているだけのようです。悪霊の攻撃の直前、あゆみちゃんも《気》のバリヤーを張っていましたからね。命に別状はありません」
 「そうか、それで安心したよ。――今回の除霊は、あゆみちゃんと、それから華枝さんの協力がなければ絶対に成功しなかったからね」
 ちょっと厭味ったらしくイクが続けた。
 「そうそう、すんでのところで雄二さんのキスも回避されましたしねー」
 「あ、あははは? やっぱりあれってそうだったの? オレもやばいと思ったけど、大人の華枝さんにはラブコメ人格程度のあしらいはお手のもんだったんだな。……ね、ねえ、華枝さん?」
 だが、雄二とイクはまだまだ甘かったのである。血も凍る本日最大の惨劇は、いま始まろうとしていたのだ。
 「ヒック、うぃーーっ。あははん♪ なんかイイ気持ちぃーーーん、ここってどこぉ? なんでこんなにいっぱい散らかってんのぉ?」
 突然場違い極まりない上機嫌な声を上げたのは、華枝であった。
 顔を上げた華枝を見て、雄二とイクは唖然とした。
 その面相は耳まで真っ赤であり、目は潤み、口はだらしなく緩みきり、それでも見違えるような艶っぽさが漂っている。いわば『母』から『女』への変貌であった。
 雄二もイクも知らなかったが、華枝はウルトラ下戸だったのだ。
 しかもその割りに酒癖が悪く、いったん酔って暴走を始めると誰にも止められなくなるのだった。華枝はバツイチで健太は前夫との間の子であったが、離婚の原因は夫の浮気と、それから何を隠そう華枝の酒癖であった。
 その華枝が樽一杯の日本酒を浴びせられてしまったのだ。
 「あひゃーん、ひゃひゃひゃーん、なんかあなたカワイイわよ。摩耶香ちゃん、摩耶香ちゃんでしょぉ? ヒック」
 華枝が立ち上がってよたよたと雄二のところに倒れこんできた。
 「わっ、危ない。は、華枝さんっ、しっかりして」
 雄二が慌てて華枝を抱き起こすと、その眼前に酒くさい華枝の、挑発的な瞳があった。
 「あ、あははー、やっぱカワイー。カワイー娘は全部あたしのもんだー」
 「へ?」

 イクは奈落の底に突き落とされそうになった。なぜなら眼前で、姉の姿をした雄二と、酔って見境いのなくなったオトナの華枝が、「ぶっちゅううううう」と擬音を書きたくなるような強烈なディープキスを繰り広げているからだ。
 華枝のキスは、もうネッキングというか、『B』といってもいいレベルの、極めて不健全な大人の本格的なやつであった。腕を雄二(摩耶香)の背中に回して逃れられないようにしながら、むさぼるように相手の唇を堪能している。雄二はあまりのことに全く無抵抗のままだった。
 「な、な、な、な……」
 わなわなと震えながら、イクはなんとか声を絞り出した。
 「は、離れてください、は・な・れ・て・っ」
 だが、イクがそう叫ばなくても、下戸の華枝は既に限界だったらしい。
 「ふうううううん……」
 と悩ましい声を上げながら、その場にくずおれた。すぐにスースー寝息が聞こえてくる。
 「だ、だあっ」
 もうパニック状態寸前のイクが叫んだ。
 「雄二さん、またやりましたねっ。もう今度こそ許しませんからねっ。ど、どうするんですか、ここここんな……」
 だがその声も雄二には聞こえていなかった。
 雄二はただの中学生だ。こんな破壊力抜群のお色気攻撃に耐えられなかった。
 具体的には、華枝に舌を入れられた段階で立ったまま気絶していた。
 「雄二さんの淫獣! 熟女キラー! 結婚詐欺師! 不潔、不潔ですよっ」
 「……んもう、本当にうるさい子ねえ」
 「え?」
 イクは目を瞠った。……半パニックで、しかも気絶したあゆみを膝枕していて動けなかったのがイクの敗因であった。
 雄二の代わりに目覚めたラブコメ人格は、跪いて指でつい、とイクの顔を上げさせると、その唇にまたチュウウウウと強烈なキスをした。
 「これでイクちゃんも華枝さんと間接キスだー、おあいこだー。きゃはー」
 そういう問題じゃないのに、と薄れゆく意識の隅で考えながら、イクもその場に倒れ込んだ。
 (ね、姉さんとキスしちゃった……)
 イクは気を失った。

==続く==

●次回予告 男になった摩耶香の恥ずかしい趣味とは? そして、雄二が色仕掛けでイクを……



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