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彼と彼女と聖剣と私

作:AZY

 

 

 

 魔道学問所での試験が終わるや否や、私は教室を出て町外れの酒場に向かった。

 ヘグレルの町はいつ活気に溢れている。目抜き通を行き交うのは、地元の商人や異国の剣士、あやしげな魔道士たち、一攫千金を夢見る冒険者たちである。

 町の中心部から街道口の方へ進むにつれて地元民の割合が減ってゆく。見慣れない顔立ちが目につき、聞き慣れない言葉が耳につく。と同時に、危険な雰囲気が辺り一体を覆い始める。ほこりで顔が真っ黒になった旅人たちは目をぎらぎらさせて私の姿を睨みつける。旅の間、たまりにたまった彼らの欲求は、やっとこの町にたどり着いた今、最高潮に達しているはず。古ぼけた魔道士服を身につけ、渦巻模様の眼鏡をかけている私のような女にさえ好色そうな眼差しを向けてくるのだ。

 私は酒場の扉を開いた。日没までまだ一時間もあると言うのに、中は客で一杯だ。旅人相手の酒場とはこういうものだ。旅人はみな、日没までに次の宿場に到着するよう歩を進める。そして宿場にたどりつくと、まず宿を取り、次に酒を求める。

 カウンターの中で器に酒を注いでいた女の子――褐色の肌をし、黒髪をポニーテールにした娘――が、私が入って来たのに気づいて小さく手を振った。

 「やっほー、リエーラ、お久しぶり」

 私は軽く会釈をして、彼女の近くのストゥールに腰かけた。するとカウンターの中にいたもう一人の人物――背の高いがっしりした体格の男――も私に目を止めた。

 「やあ、リエーラ。今、学校の帰りかい?」

 もともと糸のように細い彼の目は、微笑むとほとんど消えてなくなる。

 「うん」私は答えた。「今日でやっと試験が終わったの。だから久々にトトンやミラの顔を見ようと思ってここに来たんだけど……忙しそうね。迷惑だった?」

 女の子は忙しく働かせていた手を一瞬止め、言った。

 「ううん、これぐらい、いつものことだよ」

 そしてまたてきぱきと手を動かし始めた。彼女は名をミラといい、私と同じ十七才。男の方は彼女の兄、トトンで二十才になったばかりである。半年前、父親が病に倒れてから、若い兄弟だけでこの酒場をきりもりしているのだ。

 私は出されたホットミルクをすすりながら、すばらく兄妹の立ち働くさまを眺めていた。日が沈むころようやく客の入りも落ち着き、私と雑談する余裕が出てきた。

 「そう言えば」ミラが言った。「フューンとガリュス、もうそろそろ帰って来るはずだよね」

 それを聞いて、私は無言のまま目を伏せた。ミラは笑顔を作って私の肩を叩いた。

 「大丈夫だって。あの二人のことだもの。きっと無事に帰って来るよ」

 「だといいんだけど……」

 私は小声で呟いた。

 「リエーラが気にすることないって。あんたが良かれと思って言ったことなんだ。無駄骨だってわかっても、あんたのことを恨んだりはしないよ」

 ミラは努めて明るく振る舞ってはいるが、やはりどことなく心配そうだった。そばにたたずんでいるトトンも不安げな表情で遠くを見つめていた。

 

 フューンとガリュスは私たちの幼馴じみである。フューンは十八才で剣が得意、ガリュスは十九才、戦斧が得意で格闘技にも長けている。なのに、二人とも、団体行動は性に合わない、と言って、町の騎士隊に入るわけでもなく、酒場の用心棒をしたり、借金の取り立て引き受けたりのその日暮しをしていた。

 フューンは軽くて女好き、ガリュスはクールでニヒルという、正反対の性格なのに、なぜかウマが合い、いつも一緒に行動していた。フューンはヘグレルの町の女を片っ端から口説き回り、遂にヘグレル中に悪名をとどろかせてしまった。そこで彼はターゲットを旅の女に切り替えた。毎日、夕方になると街道口に現れ、町に入る女という女に声をかけるのだ。ガリュスはその傍らで黙ってたたずんでいるだけ、かと思いきや、ちゃっかりフューンの口説き落とした女のつれの女をゲットしたりするのだった。

 フューンは幼い頃母を亡くして父と二人暮し、ガリュスは天涯孤独だった。蛙の子は蛙、とはフューンのためにある言葉なのだろう、フューンの父はフューンに負けず劣らず女好きで、妻を亡くしたあとも再婚せず、四十を越えたのに特定の相手とつき合うということを知らない男だった。フューンと違うのは、以前は騎士隊に所属し、いくさで傷を負ってからは剣術道場を開いて、ちゃんと堅気の生活をしている、というところだった。

 三ヶ月前、そんなフューンの父が一人の女性に恋をした。彼女は何年も戦場から帰らない夫を待っているような、ひたむきな女性だった。彼女の夫が戦死したのは間違いない。みんなそう言っているのに、信じようとしないのだった。

 ところがある日、旅の魔道士と思われる男が、いやがる彼女を無理やりホテルに連れ込もうとしているところを、フューンの父は目撃した。彼女を助けようと、父は剣を抜いた。しかし、相手は魔法によっていとも簡単に彼を吹き飛ばした。フューンが駆けつけたとき、父は虫の息だった。

 「無念だ……。せめて彼女に俺の想いを一言伝えたかった……」

 「おやじ、死ぬな。まだ早すぎる。言ってたじゃねえか、死ぬまでに女をあと千人ゲットするんだ、って」

 フューンは赤ん坊のとき以来初めて流す涙を拭いながら、息たえた父の肩をゆすった。

 フューンは復讐を決意した。肌は土気色、白銀の髪をオールバックにした目つきの悪い中年男――目撃証言をもとに、フューンはなんとか、父を殺した男をわり出した。結果、ガスコインという名の暗黒魔道士だとわかった。フューンは早速、ガスコインを探すために旅支度を始めた。私は引き止めた。

 「だめよ、フューン。あなたのお父さんを一撃で吹き飛ばしてしまうような凄腕の魔道士なのよ。あなたじゃ、とても太刀打ちできないわ」

 フューンはムキになって言い返した。

 「やってみなくちゃわからねえだろう、え?大体、俺よりおやじの方が剣の腕が上だ、なんて誰が決めたんだ?おやじはもう歳だった。俺ならきっとガスコインを倒せる」

 「そんな……無理よ……」

 私の意見に、トトンもミラも賛成した。ガリュスでさえフューンに異を唱えた。

 「今のおまえではガスコインを倒すのは無理だ。特別なアイテムでもない限り……」

 普段無口なガリュスがたまに口を開くとき、その言葉には絶対的な重みがある。フューンは二の句が告げられず、そのままうつ向いてしまった。その悲しげな表情を見ていると、私は胸が締めつけられるような気がして、つい、言うべきではないことを言ってしまった。

 「そう言えば……西の砂漠を越えたところにエトモング遺跡っていう場所があって、その奥には邪悪な魔力を封じる聖剣、ヴィリーノが眠ってるって、本で読んだことがあるけど……」

 フューンは旅の目的地をエトモング遺跡に定めた。私たちの協力を得て、数日間、エトモング遺跡について書かれた古文書を調べた上、遂に旅立ちの朝を迎えた。

 旅にはガリュスが同行することになった。本当なら、私のような回復魔法が使える白魔道士を一行に加えるべきなのだが、私には魔道学問所の卒業試験があった。

 「フューン、無理しないでね。回復魔法を使える人がいないんだから。回復アイテムはたっぷり用意した?」

 私は心配ではちきれそうな胸を抑えながら尋ねた。

 「ああ、ぬかりはねえ。……そんな顔するなよ、リエーラ。今までだって何度も死にそうな目に遭ったさ。遺跡の探検なんざ、借金の取り立てに比べりゃ屁みてえなもんだ」

 そう言って、フューンはいつもの笑顔を私にくれた。私も笑って送り出してあげようと思って、ぎこちない笑顔を作って顔を上げた。いつの間にか、フューンの周りには女たちが群がっていた。

 「フューン様、これ、ヘグレル大明神のお守りです。わたくしの作ったお守り袋に入れておきましたわ」

 「フューン、生きて帰って来て。あたし、あなたなしでは生きていけない」

 「フューン。あたい、あんたにゃいつも泣かされっぱなしだけど、あんたの亡き骸に向かって涙を流す、なんてのはごめんだからね」

 甲高い声が不協和音を奏でる輪の中心で、フューンは気障な微笑みを浮かべていた。私はちょっと複雑な気持ちになって、彼から目を逸らした。傍らにはガリュスが立っていた。

 「あの……ガリュス……フューンのことよろしくね」

 私の言葉にガリュスは無愛想にうなずいた。そこへミラがやって来て、私の肩をポンと叩いた。

 「大丈夫だよ。フューンのことだもの。殺したって死にはしないよ」

 そして彼女はガリュスの方を見て、少しほおを赤らめ、言った。

 「ガリュス、フューンはあんたの言うことなら聞くからさ。ヤバいって思ったら遠慮なく撤退するんだよ。おやじの仇なんていつだってとれるんだ」

 「うむ……わかった」

 ガリュスはやはり無表情だった。しかしミラは一層顔を赤くしてうつ向いた。

 フューンとガリュスは旅立った。朝陽を受けて光る二人の背中を、見えなくなるまで見送っていたのは、私とミラだけだった。

 

 と、ここまではある意味で順調だった。話がややこしくなったのは、彼らが旅立って一ヶ月後、私が学校の図書館で勉強中、古文書に聖剣ヴィリーノのことが詳しく書かれたページを発見した時だった。

 聖剣ヴィリーノ――神話の時代、邪神ワルワノスに父を殺されたキュリーネという女剣士が父の仇を討つ時使ったとされる。もっとも、生身の人間が邪神を倒すのに剣の力だけでは不十分だった。彼女はワルワノスに近づいてその愛人となり、ベッドの上で油断したワルワノスの角を切り落として魔力を封じ、遂に父の仇を討ち果たしたのだ。この話には悲劇的な結末がついている。人間界に帰ったキュリーネは出発前の約束どおり、フィアンセのもとに嫁ぐつもりだった。しかしフィアンセはキュリーネの不在の間に別の女と親しくなっていた。怒ったキュリーネは相手の女を殺し、フィアンセを牢に閉じ込め、一生出さなかったという。

 過去、何人もの男が、聖剣の力を得て世界一の剣士になるために、ヴィリーノを探し回った。一般には、誰一人見つけることができなかった、と言われている。しかし――私の読んだ古文書によると――実はみんなエトモング遺跡にあることをつきとめていたのだ。なのに彼らはその剣を持ち帰ろうとはしなかった。その理由は……――私は目を細めて、小さくて読みにくい古文書の文字を追った――……聖剣ヴィリーノは、神話が暗示する通り、女剣士が持たないと力を発揮しないのだ……――私は愕然となった。渦巻き模様の眼鏡を外し、息を吹きかけて布で擦ってから、もう一度眼鏡をかけてページを見直した。しかし何度見直しても書かれている内容に間違いはなかった。つまり、フューンが持っても意味をなさないのである。聖剣ヴィリーノのことを言い出したのは私だ。私はフューンたちに無駄骨を折らせてしまったのだ。

 私はこのことをトトンとミラに話した。ミラは一瞬ムッとした表情になった。何も言わなかったが、私の無責任ぶりをなじりたい衝動をこらえているように見えた。今にして思えば、この時の態度と言い、旅立つ時ガリュスに見せた素振りと言い、ミラがガリュスに特別な感情を抱いていることの現れではないだろうか。ガリュスともミラとも幼いころからしょっちゅう顔を合わせていた。なのにミラの想いに私は今まで全く気づかなかった。わからないものだ。ミラみたいな賑やかな娘がどうしてあんな無口な男のことが気に入ったのだろう。それはともかく、その時、私は一番親しい友人に辛くあたられて、一層心の中が真っ黒になっていた。トトンは泣きそうな顔をしている私を一生懸命慰めてくれた。

 でもミラは、翌日にはもう機嫌を直した。元々さっぱりした性格の娘なのだ。それどころか、余計なこと気にしないで卒業試験に専念しなよ、と励ましてくれる彼女の心遣いが、私にはたまらなく嬉しかった。お蔭で試験を無事乗り切ることができ、今日、すべての科目を終えたのだった。

 

 エトモング遺跡まで片道一ヶ月余り、内部を探検して帰って来るのに三ヶ月ほどかかるだろう。さっきミラも言ったとおり、そろそろフューンたちが帰って来てもよさそうなものだ。エトモング遺跡までの道中に町はない。手紙を書いてよこすなどということはできない。何の前ぶれもなくひょっこり姿を見せるはずだ。それはいつのことなのか。今日かもしれず一週間後かもしれず、下手をすれば一ヶ月後、一年後、あるいは永久に……

 そんなのいやだ――私は胸が苦しくなった。フューンに一言謝らなくては。私のせいで、彼とガリュスは危険な目に遭うことになったのだ。フューンに謝りたい。もし許してもらえるならばもう一度彼に笑顔を見せてほしい……

 私もミラもトトンも目が自然と酒場の入り口の方に向いてしまう。しかし、日が沈んで一時間もたった今、酒場の扉を開けるのは中から外へ出てゆく客だけだ。旅人は朝が早い。もう宿に帰って明日の旅立ちに備えるのだろう。

 と、その時。

 珍しく、扉が外から開かれた。私とミラとトトンは、機械仕掛の人形のように、一斉にそちらを振り向いた。戸口に立っていたのは、ほこりで顔を真っ黒にし、ボサボサに伸びた黒髪を後ろで束ねたがっしりした体格の男だった。私は一瞬誰だかわからなかった。しかし、ミラはすぐ気づいた。

 「ガリュス……」

 彼女にそう言われて、私は驚いて、もう一度戸口の男の方を見た。確かにそうだ。ほおは少し痩け、目も落ち窪んでいるが、確かにあれはガリュスだ。

 ガリュスはゆっくり店内に歩み入り、私の近くのストゥールに腰かけた。ミラは半ば目を潤ませながら、彼の浅黒い顔を見つめた。

 「ガリュス……無事だったんだね……」

 ガリュスはちらっとミラの方に目を上げたかと思うと、すぐまた下を向いた。その目の前に、トトンがグラスを置いた。

 「蜂蜜入りのレモネードだ温まるぞ」

 ガリュスはレモネードを少し飲んだだけで、すぐグラスを置いた。表情が冴えないようにも見えるが、元々ガリュスは感情を現さない人間だ。彼の態度からは旅の顛末など類推しようがない。私はおずおずと尋ねた。

 「フューンは……フューンはどうしたの」

 ガリュスは急に慌てたように咳こんだ。そして視線を泳がせ始めた。私は彼が狼狽しているところを、生まれて始めて見た。この様子だと、もしかしてフューンは……

 「フューンは宿にいる」

 ガリュスは、しかしぶっきらぼうにそう答えたのだった。私はほっと胸を撫で下ろした。が、すぐに頭に疑問符が浮かんだ。私が口にする前に、ミラが尋ねた。

 「どうして宿なの?自分の家に帰ればいいじゃない。それ以前に、どうして一緒にここへ来なかったの?」

 ミラはちらっと私の方を見た。私は唇を噛みしめ、肩を震わせた。きっとフューンは、無駄骨を折らせた私に腹を立て、顔を合わせたくないのだ。そうだ、そうにちがいない。ああ、どういよう。フューンに嫌われてしまった……

 「実は」ガリュスは重々しい口調で言った。「あいつはここに来られない事情がある」

 「事情?」

 トトンとミラは顔を見合わせた。私も顔を上げ、ガリュスの方を見た。いまだ動揺を隠せない彼の素振りからして、フューンがここに来られないのは何か別の理由があるようだ。

 ガリュスは話し始めた。私たちは彼の低い声に耳を傾けた。口下手な彼から脈絡のある話を聞き出すのは困難だった。それでも、私たちは何とかして話の筋道を見つけようと努力した。

 いくつかの部族の集落を通って西の砂漠を越え、エトモングへ至る道のりの険しさ、エトモング遺跡内でガリュスたちを襲ったモンスターやトラップの恐ろしさについて、彼はほとんど語らなかった。彼はただ、巨大蜘蛛に頭を吹き飛ばされそうになったとか、殺人こうもりに心臓をえぐられそうになったとか、淡々と述べるだけだった。

 遺跡の一番奥深くに巨大な部屋があり、床には魔法陣が描かれていたという。そして、その中心点には剣が突き立てられていた。古文書の記述を思い出し、それが聖剣ヴィリーノに間違いないことを確認し合うと、フューンは喜び勇んで魔法陣の中に足を踏み入れた。その途端、魔法陣が自動的に魔獣を召喚した。フューンとガリュスは首の三つある巨大な狼と二時間以上も死闘をくり広げた末、遂にそれを打ち負かし、魔法陣の中心へと進む権利を得ることができた。彼らのリュックサックの中には、もう体力回復アイテムは一つも残っていなかった。

 フューンは今度こそ魔法陣の干渉なしに剣のところまで歩み寄った。万感の想いを込めて剣の柄を握り、とうとうそれを床から引き抜いた。

 その時、信じられないことが起こった――ガリュスは珍しく興奮気味に語った――フューンの体が白い光に包まれたのだ。眩しさに目を細めながら、ガリュスは相棒の安否を確かめようとした。光のベールの中で、フューンの後ろ姿が縮んでゆくように見えた。ガリュスは驚いてフューンのところに駆け寄った。その間にも光の中の人影は徐々に小さくなっていった。ガリュスがそばまで近づいた時、光は消えてなくなった。

 ガリュスはそこに立っている人物の後ろ姿を見て、再び驚くこととなった。フューンの体格とは似ても似つかない。フューンはもともとそれほどがっしりした体格ではない。男にしては華奢なほうだろう。しかし、今やその後ろ姿は以前より肩幅が狭く、尻幅が大きいのである。その上身長が十二、三センチも低くなっている。ガリュスは、こいつは本当にフューンなのだろうか、と思いながら、恐る恐る声をかけた。

 振り返ったその人物の顔を見た時の驚きがいかに大きいものだったか、うまく表現することは不可能だ――ガリュスは言った――その顔は色白で、ほおがふっくらとしていて、一ヶ月以上伸ばしたはずの無精ひげも見あたらなかった。しかし、目鼻立ちや口の形などはどう見てもフューンのものだった。もっと驚いたのはその人物の胸を見た時だった。はちきれんばかりの二つのふくらみが服の胸の布地を押し上げていたのだ。

 ガリュスは何か言おうとしたが言葉にならず、ただ顎をガクガクさせるだけだった。目の前の人物は、ガリュスが余りにも胸に注目するので、不思議に思って視線を下に向けた。

 「何だ、こりゃあ」

 という甲高い叫び声が部屋の石壁や天井にこだまして響き続けた。

 「それって、もしかしてフューンが女になっちゃったってこと?」

 ミラが尋ねた。ガリュスは無言のままうなずいた。

 「ぶぁははははははははは」ミラは笑い出した。「フューンが?女になっただって?あのフューンが?ぶぁははははははははは、こりゃケッサクだ」

 彼女はしばらく笑い続けたが、私やトトンやガリュスの視線に咎められて、笑いを噛み殺した。

 「そんなことがあり得るなんて、信じられない」

 トトンが首を傾げた。

 「ううん、あり得ないことじゃないわ」私は説明した。「きっと聖剣ヴィリーノに宿る女剣士キュリーネの魂が、父の仇を取りたいというフューンの願いに共鳴したんだと思う。でもヴィリーノは女でないと扱えない。だからフューンを女にして、剣を使わせようとしているのよ」

 ミラはあっけらかんと言った。

 「そっか。じゃあ好都合じゃない。おやじさんの仇が討てるんだから」

 私は少しムッとなった。

 「何を言ってるの、ミラ。フューンが女になってしまったら意味ないじゃない」

 ミラは不思議そうな顔をした。

 「何の意味がないのよ」

 「それは……」

 私は言葉に詰まった。確かにミラの言う通りだ。私はどうして「意味がない」などと口走ったのだろう。どう意味がないというのだろう。

 「まあ、フューンは今まで何人もの女を泣かせてきたからね。きっとバチが当たったんだよ」

 ミラの口のきき方に、さすがの私もカチンと来た。しかし、彼女の兄が先に口を出した。

 「何て言い方するんだ、ミラ。フューンがどんな気持ちか考えてもみろ。突然女になんかされたんだ、それはそれはショックを受けているにちがいない。そうだろう?ガリュス。……ところで、ガリュス、今、フューンはどうしてる?ここに来なかったのも、俺たちに女になった姿を見られたくないからなんだろう?」

 ガリュスの視線はまた宙をさまよい始めた。

 「あ?ああ、そ、そうなんだ。彼女、いや彼は恥ずかしいのでみんなには会いたくないと言っている。このまま……そう、王都ロス・クインの魔道図書館へでも出向いて男に戻る方法を探すつもりなんじゃないのかな……」

 ガリュスは一気にまくしたてた。そして、そそくさと立ち上がり、レモネードの代金をテーブルに置いた。もう宿へ帰るつもりらしい。

 トトンは首を振った。

 「代金は結構。俺のおごりだ。それより、ガリュス、フューンの気持ちもわからんではないが、やはり一度会わせてくれないか。俺たち、幼馴染みじゃないか。今までだって、困った時にはお互いに相談に乗ってあげたり助け合ったりしてきた仲だろう。フューンの姿がどうなろうと、俺たちは奴の仲間だということに変わりはない。なあ、フューンはどこの宿にいる?ぜひ会いに行きたい」

 ミラもさかしげにうなずいた。

 「そうだよ。フューンの女になった姿がどんなに気持ち悪くたって、どんなにおかしくたって、あたしたち、嫌ったりも笑ったりもしないよ」

 しかし、ガリュスは更に動揺を強めた。

 「い、いや……その……フューンはいやだと言って……」

 と、その時、、入り口の扉が開いた。

 店の中に客はあと二人しか残っていない。そのどちらも席を立った様子はない。こんな時間にここへやって来るのは誰?私たちは戸口に注目した。

 戸口に立っている人物は、風になびく長い髪を手でおさえながら、中に足を踏み入れた。肌の色は白く、ランプの光をてらてらと反射している。簡単な上衣と半ズボンを身につけ、きれいな白い脚をすねまで革のブーツで覆っている。ふくよかな胸を強調するかのように肩をそびやかして、つかつかと私たちの方へ歩み寄り、微笑んだ。

 美しい。女の私でさえどきっとしてしまうような笑顔だった。

 でもよく見ると、あの目の感じ、鼻の形、口の雰囲気、どこかで見たことがある――私はそう思った。トトンもミラもそういう目で彼女を眺めている。ところがガリュスは壊れたおもちゃのようにガクガクとぎこちなく視線を泳がせた――まさか……彼女がフューン?

 「退屈だから来ちゃったよ」彼女は言った。「別にいいだろ、ガリュス。トトンたちに知られて困るようなことじゃねえんだから」

 彼女の声はどう聞いても女の声だ。が、喋り方はフューンそっくり。私もトトンもミラも、驚きのあまり言葉が出なかった。ただ金魚のように口をパクパク動かすだけだった。

 一分も経つとようやくトトンが声を搾り出した。

 「フュ、フューンなのか?」

 彼女?は世にも美しい笑顔で私たちに微笑みかけた。

 「驚いただろ。でも一番驚いてるのはこの俺なんだぜ。見ろよ、この胸」彼女は両手で二つのふくらみを下から持ち上げた。「腕を動かすたびにこいつにぶつかって、邪魔で邪魔でしょうがねえ」

 その色っぽいしぐさに、トトンは思わず生唾を飲み込んだ。

 「へえ、ほんとでっかい」ミラは感心した様子で、目をそのふくらみに近づけた。「これって、ブラのカップサイズでいうと、JとかKとかになるんじゃないかな。羨ましいなあ、こんな立派な胸」

 フューンは得意顔になって、更に胸を張って見せた。

 「へへへ、いや、さっきこの町に帰って来て通りを歩き始めたら、男どもが一斉に俺の胸に注目しやがるんだ。最初、何が起こったのか、って、ちょっとびっくりしたけどな」フューンは照れ臭そうにうつ向いた。「男にじろじろ見られるのって……結構気持ちいもんだな」

 私は、今度はその恥じらいのしぐさにどきっとなった。

 「男に戻る方法は……ないの?」

 私は小声で尋ねた。フューンは悲しげな表情で首を振った。

 「上手く言えねえけど、戻ることはできねえような気がする。わかるんだ。この体は完全に俺の体だ。一時的に女になってる、って感じじゃねえ。たぶん。髪の毛の一本、血の一滴まで女になっちまったんだと思う」

 染色体レベルで性転換が行われた、ということなのだろう。もっとも、学校にろくに行っていないフューンにこんな難しい話をしても仕方がない。そう思って、私は黙っていた。

 「つまり、赤ちゃんも産めるってこと?」

 ミラが尋ねた。

 「ああ、間違いねえ。ここへ帰って来る途中、ちゃんとせーりってのもあったし」

 私は顔を赤らめた。そういうことは男の前で声を大にして言うべきではない。

 「だ、だけど男から女になることができたんだから、その逆もきっとできるわ。何か方法があるはず」

 私はそう言って、フューンの美しい瞳を覗きこんだ。しかしフューンは目を逸らした。

 「もういいよ、リエーラ。こうなっちまったものは仕方ねえ。俺はこれから女として生きて行くよ。まあ、ちょっと不自由なことが多いけどな。でも俺には剣の腕とヴィリーノからもらった力がある。夜道で男に襲われそうになったって、ぶっとばすことができるんだ。恐くはねえ」

 フューンは女っぽい笑みを浮かべた。

 「それに、女ってのもそれほど悪くはねえんだぜ。男では味わえないイイことだってあるし」

 そう言いながら、フューンはちらっとガリュスの方に目をやった。ガリュスは、私たちがフューンの話を聞いて驚いたり感心したりしている間、ずっとそっぽを向いてフューンと目を合わせないようにしていたのだが、今フューンに見つめられて、またそわそわし始めた。フューンの方はガリュスをなめるような艶っぽい眼差しで見つめている。二人の間にただならぬ空気が流れている……

 「と、とにかくだ」ガリュスは再びそっぽを向いた。「俺は風呂に入って汚れを落としたい。家はほこりがたまっているだろうから、とりあえず今日は宿に帰る」

 そう言って、ガリュスは店を出て行こうとした。

 「おい、待てよ、ガリュス」

 フューンはガリュスを引き止めておいて、私たちの方を振り向いた。

 「俺も宿に帰るよ。これからのこととか、また明日、話をしよう。じゃあな」

 そしてフューンは扉を開き、ガリュスと共に出て行った。

 私とトトンとミラはしばらく呆然と扉を見つめていた。

 「もしかして」ミラが口を開いた。「あの二人、できてるんじゃないの」

 私はそれを聞いて、顔を真っ赤にしながら反論した。

 「まさか。男同士なのよ。ミラだって知ってるでしょ。フューンもガリュスも女の子にちょっかい出すのを生きがいにしているような人間だったじゃない。男同士でそんなこと、あるわけが……」

 トトンが首を振った。

 「いや、フューンのあの美しさなら、そういうことがあったとしても不思議ではない。まして、エトモング遺跡からこのヘグレルまでずっと二人きりだったんだ。ガリュスのやつ、ついむらむらっときてしまったのかもしれない」

 私は否定の試みを続けた。

 「でもフューンが抵抗するわ。フューンは、男とそんなことするのは嫌なはず」

 ミラはつき放したように言った。

 「フューン、さっき言ってたじゃない、肉体が完全に女になってる、って。体が女になってしまったのなら、男に対して性欲が起きてもおかしくない。第一、ガリュスの態度はどう見ても普通じゃなかった。フューンと私たちを会わせないようにしてたでしょ、『フューンが会いたくないと言っている』なんて嘘ついて。きと、フューンの口から二人の関係をばらされるのが嫌だったんだよ」

 トトンは腕組みしながら言った。

 「しかし、フューンもガリュスも、フューンのおやじさんの仇討ちの話を一言もしなかったな。もう諦めたのかな」

 「ガリュスが引き止めたんじゃないの。惚れた女に危ない真似をさせるわけにはいかないでしょ……」

 ミラはそう言って、うつ向いた。やはり、ガリュスをフューンにとられたことにショックを受けているようだ。

 私も胸が締めつけられる思いだった。でも、どうしてこんなに胸が苦しいのだろう?私は自問した。これはたぶん……幼い時からの友達がいきなり恋人同士になってしまったことへの驚きのせいだろう。きっとそうだ。そうに違いない。私はそうやって自分自身を納得させようとした。

 

 

 

 翌日、私は白魔道士ギルドの用事で町のあちこちを飛び回っていた。魔道学問所を卒業した者はみな魔道士ギルドに所属しなければならない。ギルドの新米は先輩たちに色々な使い走りを命じられるのだ。

 夕方、ようやく仕事を終えた私はトトンの酒場を訪れることにした。開店までまだ少しあるので、ミラを誘ってフューンたちの様子を見に行くつもりだった。

 「準備中」と書かれた札のぶら下がる扉を開いた時、中では誰かがモップを操って床掃除をしていた。一瞬ミラかな、と思った。しかしその人物はワンピースを着ていた。ミラがスカートをはくことはめったにない。では誰だろう。そう思っているうちに、彼女はこちらを向いた。

 「お、リエーラか」

 フューンだった。ほこりで汚れていても美しかったその肌と髪は、風呂できれいに洗われた今、一層つやつやと輝いている。三ヶ月の長旅で伸びた髪は後ろで一本にまとめられ、木の葉を型取った髪飾りで留めてある。

 「リエーラ、今日から仕事なんだってな。見ての通り、俺もここで働くことにした。用心棒とか借金取りってのは、実力よりも脅しが重要なんだ。いくら腕っぷしが強くても、女じゃ雇ってもらえねえ」

 そう言って、フューンは再びモップをかけ始めた。すると彼、いや彼女の背中にくっきりとブラジャーのホックが浮かび上がった。それを見ていると、私の心がまた痛みだした。

 「フューン、ブラジャーしてるのね」

 「え?あ、ああ、さっきミラと買いに行ったんだ。ほれ」

 フューンはワンピースの胸をはだけて、サラダボールを二つ並べたような巨大ブラジャーを見せてくれた。私は顔を赤らめた。

 「べ、別に見せなくてもいいって」

 フューンはやんちゃ坊主のようにいたずらっぽく微笑みながら、襟元のボタンをかけ直した。

 「他にも、下着とかこのワンピースとか靴とか、山ほど買って来た。考えてみりゃ、着るものは全部買い替えなきゃならねえんだよな。ったく、金がかかってしょうがねえ」

 「ねえ、ガリュスは?」

 「あいつはまた借金の取り立てだ。でもあいつ、そろそろちゃんとした仕事につきたいって言ってたよ。騎士隊にでも入いりゃあ、生活も安定するんだがな。あいつにそんな根性あるかな」

 フューンの口ぶりは、まるで結婚を意識しているかのようだった。私はうつ向いていた顔を上げ、意を決して彼女の背中に声をかけた。

 「フューン、ごめんね。あたしのせいで、あたしが聖剣の話をしたせいで、フューンがこんな目に……」

 フューンは再び私の方に振り向き、明るい笑顔を見せた。

 「いいってことよ。昨日も言ったけど、俺、今の自分が結構気に入ってるんだ。そりゃ、最初はどうしていいかわからなくて戸惑ったさ。けどな、女には女なりの幸せってものがあるんだよ。そのことに気づいたらふっ切れたんだ」

 「そんな簡単に割り切れるの?フューンはもう女の子に声をかけることもできないし、ちやほやされることもなくなるのよ。本当にいいの?それで満足なの?」

 「わかっちゃいねえな、リエーラ。俺が色んな女を口説き回ってたのは、本当に気に入った女を見つけ出すためなんだぜ。つき合ってみなきゃわからねえだろ。男だった時は見つからなかったけど、女になったらたまたま気に入った異性が見つかったんだ。ずっと求めていたものがそこにあったんだ……」

 フューンの瞳はバラ色の輝きを放ち始めた。恋する女の眼差し、とはこういうものなのだろう。

 「フューンって強いんだね」

 「そうでもねえよ。まあ、とにかく、そういうわけだ、リエーラ。だから、おまえは何も心配することはねえ。……それはそうと、俺、今日からフューネって名のることにしたからな。フューンの女性形」

 「フューネ……?」

 そこへ、トトンとミラが帰って来た。両手にたくさんの荷物をかかえている。店で使う食材を買い出しに行っていたようだ。

 「たっだいまー、フューネ。あれ、リエーラも来てたんだ」

 ミラはカウンターに荷物を置いた。

 「よかった。リエーラを呼びに行く手間が省けた。実はね、今日、お店がひけたら、みんなでパーッとやることにしたんだ。フューンとガリュスの無事の帰還と、リエーラの就職と、フューネの新しい人生のかどでを祝して、ね」

 トトンはカウンターの中に入り、店で出す料理の下こしらえを始めた。

 「ガリュスは閉店までにはここへ顔を出すだろう。リエーラ、君はもう仕事が終わったんだろう?宴会が始まるまでどうする?ここで待っていてもいいが……」

 「ううん、私、一度家に帰る。お父さんもお母さんも私の社会人一日目の話を聞きたいだろうし。だから、九時頃また来るわ」

 「そうか。じゃあ、そうしてくれ。……おい、ミラ、ちょっと手伝ってくれ。フューネ、床掃除が終わったらグラス磨きをやってくれないか……」

 三人の店員は忙しく働き始めた。どの顔もいきいきとしている。私はいささか気分を害した。フューンがあんなことになったのに、どうしてみんな、そんなにうかれることができるのだろう。

 私は店を出て、旅人たちでごったがえす大通りを歩きだした。

 

 九時少し前に、私は再び酒場を訪れた。いつもは九時過ぎまで客が残っているのだが、今日は早く帰ってしまったようだ。扉の札はもう「準備中」になっている。中に入ると、すでにフューンたちがテーブルを囲んでいた。

 私が席に着くや否や、グラスに酒が注がれた。私のグラスだけはオレンジジュースだった。白魔道士の私は酒を禁じられているし、まだ未成年だ。ヘグレルの法律では、酒は十八才以上と決まっている。しかし、私と同い年のミラは酒を要求した。

 「別にいいでしょ、あと半年で十八なんだから」

 「仕方ない。一杯だけだぞ」

 トトンは妹にそう言い聞かせた。ところが、トトンの口上の後、乾杯の音頭がとられた途端、ミラはグラスを空にしてしまった。そして兄に咎める隙を与える前に二杯目をグラスに注いだ

 最初は難色を示していたトトンも、酒が回って気持ち良くなるとミラのことなど忘れてしまい、いつものように政治、経済など難しい話を始めた。一方、ミラは笑い上戸だった。誰かが何か言うたびに、げらげら笑いながら隣の人の背中をバシバシと叩く。私も背中に手形が残るほど叩かれた。ガリュスは酔うと冗舌になる。しかし何を言っているのかよくわからない。主語と述語が入り乱れ、昨日の話をするのに未来形を使ったりする。酒にはめっぽう強かったフューンは、女になったせいか、酔いが早く回ったようだ。以前はほとんど顔色が変わらなかったのに、今日はほおを少しピンク色に染めている。その姿がまた何ともなまめかしい。トトンもガリュスも、襟元から覗く胸の谷間を、遠慮なくじろじろ眺めていた。

 私はなんとなく疎外感を味わっていた。こういう酒の席では、いつもならみんなに酌をしてあげたり、話を合わせたりして雰囲気に溶けこむことができるのに、今日はどういうわけか、浮いてしまって馴染めなかった。

 「暗いぞ、リエーラ」

 ミラは私の背中にもたれかかってきた。

 「あんたも飲みな、ほら」

 彼女は酒の入ったグラスを私の口に押し付けようとした。

 「私はいいわよ。それより、ミラ、重いからちゃんと座って」

 私はミラの体を背もたれにもたれさせた。

 「もう、リエーラ、つき合い悪いんだから。ねえ、フューネ、あんたからも言ってやってよ」

 ミラの体は、今度はフューネの方に倒れてしまった。フューネは力の入らない手でミラの体をかかえて、なんとか椅子に戻した。

 「何言ってんだ、ミラ。リエーラは白魔道士なんだ。だから酒は飲まない。リエーラはそれでいいんだ。わかったか、ミラ。リエーラはリエーラのままでいいんだ。そうだ、それでいいんだ……」

 そう言いながら、フューネは私に色っぽい視線を送ってきた。彼女は酔っているのだろうか。今の言葉は酔っぱらいのたわごとなんだろうか。それとも、何か意味があるのだろうか。

 私はフューネを見返した。彼女は哀しげな微笑みを浮かべた。しばらく私を見つめていたが、すぐ目を逸らし、ミラとは反対側のガリュスの腕に寄りかかった。するとガリュスは酔いも手伝ってか、大胆にもフューネの肩を抱き、彼女の長い髪を指でまさぐった。

 二人は見つめ合った。彼らの間には、何人(なんぴと)たりとも入りこむ余地はなかった。

 心が痛い。どうしてあの二人を見ていると、心が痛むのだろう。やはり、あのフューンはちがう気がする。男に抱かれてうっとりしている彼女は本当のフューンじゃない。でも彼女は言っていた。女であることに満足していると。本人が満足しているのなら、私がどうこう言う必要はないはずだ。だけど、やぱりちがうと思う。フューンに男に戻って欲しい。男にさえ戻ってくれれば……。そしたら、どうだと言うのだろう。私はどうしてこんなことを考えるのだろう。わからない。自分で自分がよくわからない。

 その時、またミラが私に寄りかかった。

 「ああん、あんなにお熱いところを見せつけられたら、イヤになっちゃう。この間まで男同士だったクセに。……ねえ、リエーラ、フューンたちに向こうを張って、あたしたちも深い仲になろうか」

 そう言って、ミラは私に抱きついてきた。

 「バカなこと言わないで。ほら、自分の席に戻りなさいよ」

 私が再び椅子に座らせてあげると、ミラは遠くを見つめながら呟いた。

 「あたしも誰かに甘えたいな」

 「ミラ……」

 私はミラの瞳を覗きこんだ。ミラは私の耳もとで囁いた。

 「あたし、実はガリュスのことが好きだったんだ」

 やっぱり――私は心の中で納得した。

 「でもね」ミラは続けた。「不思議と、フューンに腹を立てる気にならない。って言うか、フューン、ううん、フューネで良かったと思ってる。フューネは昔からの友達でしょ。わけのわからない女にガリュスをとられるぐらいなら、フューネのほうがいい」

 ミラはうっそりと微笑んだ。

 「今日はやけ酒のつもりだったけど、あの二人見てたらふっ切れた。もうガリュスのことは諦める」

 それを聞いて、私はせつなくなった。やっぱりフューンを男に戻す方法を見つけてあげた方がよいのではないか。しかし、フューン自身はそれを望んでいない。無理矢理男に戻されたとしても、ガリュスとの愛を貫こうとするかもしれない……

 私は慰めの言葉の一つもかけてやろうと思って、肩にもたれているミラの方に目をやった。彼女はいつの間にか、目を閉じて小さな寝息をたてていた。

 

 それから一週間、私はギルドの仕事に忙殺され、酒場を訪れる暇を見つけることができなかった。一週間後、久々に酒場の扉の前に立った時、すでに日は落ちて、大通りの人の往来もまばらになっていた。

 扉を開けた瞬間、建物の中から真夏を思わせる熱気が伝わってきた。中を見ると、カウンター沿いも、テーブル周りも、椅子という椅子にお客が腰かけていたのだった。足りない椅子の代わりに、自らのリュックサックに腰かけている者さえいる。この酒場は、旅人相手に結構繁盛しているといっても、こんなに満員になることはめったにない。今日は一体どうしたのだろう。

 カウンターの中では、トトンが料理を作り、ミラが酒を注いでいた。二人とも自分の仕事に忙しく、私のことに気づきもしない。フューネは出来上がった料理や酒を盆にのせてカウンターとテーブルの間を往復していたが、そのうち私の存在に気づいてくれた。

 「あ、リエーラ」

 彼女は私を見て、女っぽく微笑んだ。今日の彼女は、また一段と美しい。少し化粧をしているようだ。耳には小さなイヤリング。束ねていない髪が絹のベールのように肩から背中へ流れている。

 その時、カウンターの一番奥の客が立ち上がった。フューネは客のところに歩み寄って、にこやかに笑いながら言葉を交わし、銀貨を受け取った。ありがとう、また来てね、と言って客を送り出した後、私の手を引いて、今空いた席に座らせた。

 「私、邪魔じゃない?この席、お客さんに使わせてあげた方が……」

 私が言おうとすると、フューネは手で制した。

 「いいって。もうお客さん、帰り始める頃だから」

 そして、テーブルの客に呼ばれて、彼女はそちらの方へ行ってしまった。私が前を向き直ると、目の前にいつの間にか、ホットミルクの入ったカップが置かれていた。

 「やあ、リエーラ」トトンの笑顔がカウンター越しに私を見下ろしていた。「すまんな。見ての通り、今、大忙しなんだ。リエーラにかまってやる暇がなくて」

 私は首を振った。

 「ううん。私こそ邪魔してるみたいで悪いわ」

 「もう少ししたらお客さんの数も減るだろうから、それまで待っていてくれ」

 「うん。わかった」

 トトンはすぐさま仕事に戻った。

 私はしばらく、ミルクをすすりながらトトンやミラやフューネやお客の様子を眺めていた。よく見ると、お客の視線はつねにフューネの方に注がれている。フューネが後ろを向くと、彼らは恥ずかしげもなくその尻に目をやる。フューネが前を向くと、上目使いにその胸を窺う。どうやら、この店が盛況なのは、フューネ目あての客のせいらしい。

 やがて客も減り始め、ミラは手があいて私と世間話ができるようになった。しかし、九時を過ぎても「フューネファン」の客がなかなか店を出ようとしなかった。

 「お兄さん、明日、朝早いんでしょ。もう宿に帰らないと寝坊するわよ」

 フューネは甘ったるい声でお客に言い聞かせたが、向こうは頑として席を立たない。

 「いや、荷物を運ぶ仕事なんて適当でいいんだ。少しぐらい遅れたってどうってことない。俺がクビになるだけだ。それより、今夜はフューネちゃんと一緒に過ごしたいな。なあ、フューネちゃん、いいだろ?」

 「もう。そんなこと言ったら奥さん、悲しむわよ」

 女言葉を使うと、フューネは全く「女」になってしまう。彼女が男だった、なんて話は夢物語にすぎないのではないか。そう思えるほどだった。

 フューネはやっと客を説得して送り出し、店内に戻って来るや、てきぱきとあとかたづけを始めた。さっきまで酔っぱらいにからまれていたというのに、彼女は気分を害するでもなく、鼻歌混じりで皿などを洗っている。どういうわけか、ミラはそれ以上に上機嫌だった。絶えず沸き上がる喜びを抑えるのに苦労している、という面持ちだった。それに、フューネの影響なのか、ミラまでどことなく大人の女っぽかった。うっすらとではあるが化粧をし、髪もいままでより丁寧にとかしつけられている。その上、しぐさや言葉使いまで艶っぽかった。

 一通り片付けが終わると、ミラはフューネを奥の部屋に呼んで、新しく買う皿やグラスについての相談を始めた。店の中にはトトンと私だけが残った。

 「ミラ、ご機嫌ね。何かいいことあったの」

 私は、ようやく鍋洗いを終えたトトンに言った。トトンは仕事を片付けた満足を表情に現しながら私の隣に腰かけた。

 「実はな、ミラのやつ、最近ちょくちょく、開店前に出かけるんだ。あいつ、友達と言えばリエーラかフューネぐらいだろ。リエーラは仕事だし、フューネはミラとは会っていないと言っている」

 「じゃあ……ガリュスと?」

 「いや、ガリュスはこの間、警備会社に職を見つけた。日の沈む頃まで仕事している」

 「一人で歩き回るような娘じゃないわよね」

 「うむ。これは兄としての勘なのだが……どうも、男と会っているような気がするんだ」

 「男……の人?」

 「ああ、もちろん、年頃の娘だから彼氏の一人ぐらい、いてもおかしくないのだが、何となく心配でな」

 私も少し心配になった。ガリュスのことを諦めてからまだ一週間しか経っていないのだ。そんなに早く次の男に乗り換えることができるのだろうか。そう思いつつも、私はトトンを慰めていた。

 「ミラはしっかりした娘だから、大丈夫だと思うけど……。それに、もし本当に彼氏ができたのなら、そのうちトトンに打ち明けるわよ。ミラはトトンに隠しごとなんかしたことないでしょ」

 「そうだな。うむ、リエーラの言うとおりだ」

 トトンは何度もうなずいて、自分自身を納得させようとした。

 「うむ。余計な心配はやめて、店の改装のことを考えるのに専念しよう」

 彼はそう言いながら立ち上がった。

 「え?ここを改装するの?」

 私は遥か上にある糸のようなトトンの細目を見上げた。

 「改装と言っても厨房を少しいじるだけだ。まだおやじも入院中で金もかかるから、大規模にはできないし、店も一日しか休みにしたくない」

 「へえ。ここを閉店にするなんて何年ぶりなのかしら。……ねえ、店が休みなら、みんなでどこか遊びに行かない?一日ぐらいなら私、休み取れるし、きっとガリュスだって……」

 「いや、残念だが俺は改装に立ち会わなくてはならない。だから……おーい、ミラ、フューネ」

 トトンが奥に声をかけると、ミラとフューネが顔を出した。

 「さっき話しただろ。五日後、改装でここを閉めるから仕事は休みだ。リエーラがその日、休みを取ってもいいと言っている。ガリュスも誘ってどこか行ってくるといい」

 トトンがそう言うと、ミラは少し顔を赤らめ、うつ向いた。

 「あたし……その日、もう約束しちゃったんだ」

 フューネも首を振った。

 「それに、ガリュスはその日、何か大きな仕事があるって言ってたぜ」

 「そうなの」私は残念がった。「じゃあ仕方ない」

 フューネは、しかし、嬉しそうに微笑んだ。

 「そうだな。俺とリエーラだけってのも少し寂しいけど、仕方ないよな」

 私は驚いて顔を上げた。

 「ちょっと、フューネ、私と二人きりで出かけるつもりなの?」

 「そうだよ。別にいいだろ。それとも、なにか、俺のために休みを取るのは有給休暇の無駄使いだとでも言いたいのか」

 「そんなこと……ないけど」

 「じゃあ、決まりだ。詳しいことは明日にでも決めようぜ。今日は疲れた。早く帰って眠りたい」

 フューネはもう仕事が残っていないことをトトンに確認すると、お疲れさま、と言って店を出て行こうとした。私もさよならを言って彼女のあとを追った。

 

 それから何度か、私はフューネと会って、出かける相談をしたが、つい世間話に花が咲いてしまい、結局何も決まらなかった。ただ「午前十時にローロ広場の前で待ち合わせ」という約束を交わしただけだった。

 当日、約束の時間の十分前に、私はローロ広場の噴水のほとりに立った。友人と出かけるのは久しぶりだ。私は今日のために、母におねだりして新しい服を買ってもらった。淡い緑色のワンピース――ちょっと子供っぽいデザインかとも思ったが、私は敢えてそれを選んだ。靴は明るい茶色の革靴。それに白いレースの靴下をはく。くせっ気の多い髪をなんとかとかしつけて後ろにまとめ、髪飾りをつけた。この服装では、下手をすると小学生に見られるかもしれない。でも構わない。今日はなんとなく、子供でいたい気分なのだ。大人っぽいフューネお姉さんに甘えたいのだ。

 果たして、フューネはアダルトな装いで広場に現れた。黒いパンツに黒いハイヒール。上半身はワインレッドのノースリーブ。髪はポニーテールにし、ほんのりと化粧をしている。手を振りながら近寄ってくる彼女を見ていると、私は新たな驚きを覚えた。濃い化粧をしてスカートをはいているよりも、あさっりメイクでパンツルックの方が却って女っぽいのである。

 「悪い、悪い、待たせちまったな」

 フューネはピンクのルージュを引いた唇の間からペロリと舌を出した。私は首を振った。

 「ううん、今来たところ」

 「そうか。ならよかった」

 彼女は今一度、私のいでたちをしげしげ眺めた。

 「おまえ、かわいい格好してるな」

 「へへっ、年齢不詳でしょ」

 「バカ。マジに褒めてるんだぞ」

 「え?」

 私はちょっとびっくりして、「お姉さん」の顔を見やった。フューネは笑顔を返した。

 「考えてみれば、俺たち、二人っきりで出かけるなんて初めてだよな」

 「だって、今まではフューンが男だったから」

 「そうか、そうだよな。……なあ、リエーラ、これからはちょくちょく一緒に出かけようぜ。女同士なんだ。遠慮はいらねえだろ」

 「わかったわ、お姉さん」

 フューネはもう一度微笑んだ。

 「よし、じゃあ出発だ。妹よ、とりあえずカスリン通りへでも行ってみるか」

 私はフューネに導かれるまま、若者向けの店が立ち並ぶカスリン通りへと歩き始めた。

 午前中、私たちはカスリン通りの店を見て回った。ブティックではいろいろな服を試着し、アクセサリーショップではイヤリングやネックレスをつけ、化粧品店では口紅や香水を手に取った。どの店でも、店員はフューネに品物を買わそうとするだけで、私の方は見向きもしない。唯一靴屋に入った時だけ、店の者が私にも商品を勧めてくれた。もっとも、それは子供用の靴だったが。

 あっと言う間に正午になった。近くの事務所などから、昼食を求めて人がどっと繰り出してきた。通りを行く男たちはみな、フューネの姿(特に胸)に一瞥をくれて通り過ぎる。女でもフューネに目が釘付けになる者がいる。その一部は憧れの眼差しを、残りは敵意に満ちた視線を投げかけている。フューネは注目を浴びることを面白がっているかのように、胸を張って颯爽と歩いてゆく。私はそんな彼女と一緒にいられることが、なんとなく誇らしかった。どう、これが私のお姉さんよ、羨ましいでしょ、と言わんばかりに、意気揚々とフューネの横を歩いた。

 どのレストランも一杯だった。私たちは混雑を避け、少し遅めに昼食を取ることにした。フューネが案内してくれたのは、静かな並木道に面したしゃれた店だった。午前中のショッピングの時もそうだったが、フューネは女の子の好むような店をよく知っている。きっと男だった頃、つき合っていた女の子から教わったのだろう。

 窓際の席で、通りを行き過ぎる人たちを眺めながら、私とフューネは料理を口に運んでいた。

 「こんなにゆったりした気分になるのって、何ヶ月ぶりかしら」

 私はフューンの美しい横顔に目をやった。

 「俺のおやじが死んでから、ずっとあわただしかったからな」

 フューネは外を見たまま、少し表情を曇らせた。私はおずおずと尋ねた。

 「フューネ、お父さんの仇はもういいの?」

 「チャンスがあれば仇を討ちたいさ。でも、あんまり危ない真似はするな、ってガリュスに言われてるんだ」

 まただ。、また胸が苦しくなった。フューネがガリュスのことを口にすると、私はいつも胸が締めつけられる。

 「ねえ、ガリュスとは……うまくいってる?」

 しかし、私は努めて明るく振る舞った。

 「照れ臭えな、そんな面と向かって言われると。実はな、今度、部屋を借りて一緒に住むことにしたんだ。俺もガリュスも親の遺した家があるけど、いくらなんでもそこに二人で住むってのは恥ずかしいからな。ミラのやつ、黙っときゃいいのに、この俺があのフューンの変わり果てた姿だ、って近所のやつらに喋っちまいやがった。男と元男の同棲って言うと、白い目で見るやつもいるんだよ」

 「同棲か。……じゃあ、いつか結婚するするんだ」

 私はせつなさではちきれそうな胸を抑え、笑顔をこしらえた。

 「まだそこまでは考えてねえけど……でも、ガリュスがその気なら……」

 フューネはうっとりと宙を見つめた。

 「って、何言わせるんだよ、リエーラ。くそっ。恥ずかしいぜ。……さあ、次はリエーラが打ち明ける番だ。正直に言え、彼氏がいるんだろ、どうなんだ」

 フューネにいたずらっぽい笑顔で詰問されて、私は赤面しながら首を横に振った。

 「本当かぁ?」

 フューネは大げさに首を傾げて見せた。

 「ったく、世の男どもときたら、女を見る目がねえんだから。リエーラみてえないい娘(こ)をほっとくなんて」

 私の顔は今や熟れたてのトマトのようになっていた。

 「ちょっと、フューネ。そういうことは男だった時に言ってくれればよかったのに」

 私、何言ってるんだろう。興奮のせいでわけのわからないこと口走ってる。

 「言ったじゃねえか、何度も」

 「嘘」

 私は口を尖らせてそっぽを向いた。フューンは、やれやれ、とばかり肩をすくめた。

 しばらくの沈黙のあと、フューネはもうそろそろ出ようか、と目で合図してきた。そのれに応じて私が尻を半分ほど椅子から上げた時、「ガスコイン」という言葉が隣の席から聞こえてきた。ガスコイン?確か、フューンの父を殺した暗黒魔道士の名前だったはず。私もフューネもそのまま固まってしまった。

 隣の席の男は二人とも脂ぎった中年で、店のしゃれた雰囲気には全く不似合いだった。どうやら地元の商人らしく、芳しくない売れゆきにグチをこぼしているところだった。

 「……にして、あのガスコインって男は阿漕なことをやりやがる。ほとんど詐欺じゃねえか」

 「あいつ、暗黒魔道士ギルドに顔が効くから、当局もおいそれと手が出せないんだよ」

 「くそっ。何が悲しくてあんなやつと取り引きせにゃならん」

 「どこも景気が悪いんだ。買ってくれるだけでもありがたいと思わねば」

 「気にくわねえのは商売のやり方だけじゃねえ。うちのカミさんの姪がガスコインの魔道士事務所の従業員になっちまいやがった。どういう意味かわかるだろう?」

 「テーレの町にあるあいつの事務所で働いているのは若くてきれいな女ばかり、しかも、噂では、何十人もの従業員全員がやつの愛人だとか」

 「あんな男のどこがいいんだ。最近の若い女の考えていることはよくわからん」

 「いや、ちがうんだ。どうもあいつは、禁じられている『人の心を操る魔法』を使っているようだ。気に入った女にその魔法をかけて、従業員という名目で連れて行くらしい……」

 男たちはその後、運ばれてきた料理を掻き込み始めた。

 私とフューネはそのまま店を出た。フューネはさっき、男たちの話に真剣に聞き耳をたてていたが、店を出た途端、何事もなかったかのようにいつもの笑顔に戻っていた。

 「なあ、リエーラ、今、面白い芝居をやってるらしいぜ。『涙なくして語れぬ悲劇』ってやつ。これから見に行かねえか」

 私が同意すると、フューネは私の手を引いて劇場へと向かった。

 芝居は、その名の通り、悲しい恋物語だった。劇場を出る時、観客(女性が九割)は私を含め、みなボロボロ涙を流していた。フューネは涙こそ流さなかったものの、いたく感動していた。

 「くーっ。なんてひでえやつなんだ、相手の男は。女心を何だと思ってやがる。これだから男ってやつは嫌なんだよ。そう思わねえか、リエーラ」

 私は渦巻き眼鏡についた涙を拭った。

 「そうね。私、お芝居にこんなに感情が入っちゃうのって初めてだわ」

 「だろ。やっぱりこの芝居の面白さは女じゃねえとわからねえよな」

 などと話しながら、私たちは風にあたるためスレダー公園にやって来た。ボートの浮かぶ池のほとりで頭を冷やしていると、さっき見た芝居の興奮も冷めてきた。

 日は傾き、日光は赤みを帯び始めていた。私たちの周りを、子供たちが歓声を上げながら走り回っている。学校が終わってから日が沈むまでの短い自由時間を一分足りとも無駄にはしまいと、精一杯遊んでいる。

 「なあ、リエーラ」

 子供たちを見つめていたフューネがふと顔を上げ、私の方に目をやった。

 「覚えているか、俺が小学四年生でリエーラが三年だった時、おまえが母親にもらった髪飾りをつけて学校に来たことがあっただろ。その時、俺は髪飾りをおまえから取り上げて逃げた。おまえは、返して、と泣き叫びながら俺を追いかけた」

 「そんなこともあったわね」

 「リエーラ、あの時、俺がなぜあんなことをしたのか、わかるか」

 「えっ?」

 私はフューネの美しい瞳を覗きこんだ。

 「髪飾りをしたおまえが妙に大人びて見えたからだ。俺、恐かったんだ。おまえがどんどん大人っぽくなって、いつか別の人になってしまう気がして」

 「フューン……」

 フューネは子供のようにあどけない顔をしていた。

 「でもリエーラは変わらなかった。リエーラは今でもリエーラのままだよ。俺はリエーラをずっとリエーラのままにしておきたかった。大切なリエーラを大人になんかしたくなかったんだ。……本当は、俺、ずっとリエーラのことが好きだったんだ」

 それを聞いた瞬間、私の中で何かが弾け飛んだ。

 「どうして……今になって、そんなこと……」

 「俺、もう女の体に馴染んでるし、女としての生活にも慣れちまった。さっきレストランでガスコインの話を聞いた時、一瞬、テーレの町に仇を討ちに行こうかと思った。でも、ガリュスの顔が頭に浮かぶと、仇なんてどうでもよくなった。俺は惚れた男に心配をかけるようなことはしたくねえ。そう思えるぐらい、俺の心は女になっちまったってことだ。だから、完全に心が女になる前に、少しでも男の心が残っているうちに、リエーラに告白しておきたかったんだ」

 その時初めて、私もフューンが好きだったことに気づいた。いや、ちがう。ずっとわかっていた。彼が好きだ、と心のどこかで気づいていた。でも認めたくなかった。認める勇気がなかった……

 「あーあ、遂に言っちまった」フューネは遠くを見つめていた。「これですっきりした。心おきなくおんなになれる

 そして彼女は今一度私の顔を見て微笑んだ。

 「あたし、もう男言葉使うのやめる。実は、この格好で男らしく喋るのって、結構恥ずかしかったんだ。……ねえ、リエーラ、あたしたち、これからもずっと友達でいましょうね。さっきの告白はフューン君の発言。あたしはフューネ。だから、気にしないで」

 私も笑顔を彼女に返した。

 「わかったわ、フューネ」

 しかし、心の片隅にまだわだかまりのようなものがあった。わたしは「女友達」フューネの腕にすがりつくことで、そのわだかまりを忘れようとした。

 

 「デート」のしめくくりに、私たちはトトンの店にやって来た。改装された店の様子を見ておきたかったし、工事に一日中立ち会ったトトンにねぎらいの言葉をかけてやりたかった。

 しかし、店の前まで来ると、まだ大工たちが工具や材木を持ってうろうろしていた。工事が終わっていないようだ。その傍らに、トトンが大きな体を小さく丸めて座っているのが目に止まった。心なしか表情が冴えない。

 「トトン、ご苦労さま」

 フューネに声をかけられて、トトンは一層悲痛な表情になった。

 「どうしたの、トトン、何かあったの」

 私はそう言って、トトンの顔を覗きこんだ。すると彼は黙って一枚の紙きれを差し出した。手に取って見ると、どうやらミラの書いた手紙らしいことがわかった。私はフューネに促されるまま、その手紙を読み上げた。

 「お兄ちゃん、突然家を出て行く妹を許して下さい。私はテーレの町へ行きます。テーレで魔道士事務所を経営している人がぜひ私に事務所で働いてほしいと言ってくれたのです。彼とは十日ほど前に知り合いました。とてもいい人です。彼と一緒なら、私は新しい人生にチャレンジできる気がするのです。ヘグレルの町にいると、私はずっと酒場の店員です。私、自分を変えたいのです。だから彼について行きます。お兄ちゃんにこんなことを言ってもどうせ反対するでしょうから、黙って出て行きます。入院中のお父さんを見捨てるみたいで心苦しいけど、その代わり、働いて稼いだお金を送るつもりなので、入院費の足しにして下さい。落ち着き先が決まったら手紙を書きます。心配しないで下さい。それと、フューネとリエーラとガリュスによろしく伝えて下さい。

 ミラ」

 私はフューネと顔を見合わせた。テーレの町の魔道士と言えば……まさかガスコイン?

 「朝起きたら、この手紙がテーブルに置いてあった」トトンは地面を見つめながら言った。「その時にはもうミラの姿はなかった。夜明け前にこっそり出て行ったらしい」

 私は昼間、レストランで漏れ聞いた話を思い出していた。もしミラを連れて行ったのがガスコインだとしたら、きっとミラに『心を操る魔法』をかけたにちがいない。ミラが私にガリュスのことを話してくれたのは十日余り前だ。彼女はその直後にガスコインと知り合ったことになる。いくらなんでも、そんなにすぐ他の男に気が移るとは思えない。

 私はそのことをトトンに話そうとした。しかしフューネは私の肩を叩いて引き止め、首を振った。トトンにはガスコインのことは言うな、という意味なのだろう。彼女は、代わりにトトンを慰めた。

 「ねえ、トトン。ショックなのはわかるけど、ミラにだって自分の人生を決める権利があるはずだわ。いつかトトンのもとを去って行く日が来るものなのよ。大丈夫、あの娘、しっかりしてるから、テーレの町でちゃんとやってゆくわよ」

 トトンはうなずいていたが、全然納得していない様子だった。私とフューネは、少し心配だったが、彼を一人そこに残したまま、フューネの家の前に場所を移して話を続けることにした。

 「どうするの、フューネ。ミラはガスコインに心を操られているのよ。帰っておいで、って言ったぐらいでは帰って来はしないわ」

 「ガスコインを倒さない限り魔法はとけないでしょうね」

 「でも彼の魔法はハンパじゃない。普通の人間では歯が立たないわ。聖剣ヴィリーノの力を受け継いだ者でないと……」

 私は言葉に詰まった。フューネなら倒せるかもしれない。しかし、百パーセント確実ではないのだ。

 その時、私たちの背後で低い声が響いた。

 「だめだ、フューネ」

 振り返るとそこにはガリュスが立っていた。

 「おまえを危険な目に遭わせるわけにはいかない。……ミラのことは俺もトトンから聞いた。ガスコインの噂も警備の仕事をやっている時小耳にはさんだ。ミラを助けたい気持ちは俺も同じだ。だがそのために誰かが犠牲になっては意味がない」

 私はほとんど泣き出しそうだった。

 「じゃあどうするの。ミラは心を操られて、本当は好きでもない男の愛人になってしまうのよ」

 ガリュスは冷たく言い放った。

 「『心を操る魔法』は使用することを禁じられている。やつがその魔法を使ったことを証明できれば、当局が動くだろうし、暗黒魔道士ギルドも黙ってはいないだろう。いくらガスコインでもギルドの魔道士をすべて敵に回せば勝ち目はない」

 私はムッとなって言い返した。

 「そんな悠長なことやってる間に、ミラはガスコインの餌食になっちゃうわ」

 「何と言われようと、フューネを行かせることはできない。俺はフューネをそばから離したくない」

 ガリュスはフューネの肩を抱いた。フューネはほおを赤らめた。

 「ごめん、リエーラ。あたしだってミラのことは心配よ。でも……あたし、恐いの。やっとガリュスと一緒に暮らせるようになったのよ。この幸せを手放すのが恐いの。お願い、リエーラ、わかって」

 私は心底腹が立った。

 「もういいわ。あなたたちには頼まない。私一人でもミラを助けに行く。『心を操る魔法』ですって?それが何だって言うの?私とミラはもの心ついた時からの友達なのよ。私が説得すればミラは絶対、心を開いてくれる。操られた心なんて、私の友情で元に戻してやるわ」

 そう言って、私はフューネとガリュスに背を向け、自分の家の方へ歩きだした。角を曲がる時ちらっと目に入ったフューネとガリュスは、いちゃいちゃと抱き合っていた。私は、怒りで沸騰した血が頭に昇り、目眩がしそうになった。

 

 

 

 私はその夜、こっそり荷造りをした。テーレの町までは半月ほどの道のりだ。本来なら十分にアイテムを買いそろえておきたいところだが、急なことなので仕方ない。小さなリュックサックにわずかばかりの持ち物を詰め込んだ後、机に向かって、両親宛てに手紙を書いた。心配するな、などと書いても無駄なのはわかっている。しかし、結局、文面はその繰り返しになってしまう。

 日の出前、私は手紙を食卓の上に置いて、音を立てないように裏口から家を出た。そして抜き足差し足で細い路地を歩き、表の通りに出た。

 ふと顔を上げると、通りに誰か立っている。辺りは暗くて、その姿ははっきりとはわからない。こんな時間に住宅街の通りを歩く者などめったにいない。私は身の危険を感じて、白魔道士の武器である魔法の杖を握り直した。

 ところが、よく見ると、、相手は女だった。その女はゆっくりと私の方に歩み寄った。すると、わずかな月明かりが彼女の顔を白く照らし出した。

 「フューネ」

 私はその顔を見て呟いた。フューネは、剣士の着るような革の上衣を着、半ズボンをはき、革のブーツですねを覆っていた。髪は後ろで簡単に束ねてあるだけ。化粧もしていないし、イヤリングもつけていない。そして背中には一振りの剣――聖剣ヴィリーノ。

 「俺も一緒に行くよ、リエーラ。ミラを助けに行こう」

 フューネはそう言って、剣士らしい凛々しい顔を私に向けた。私の心は一瞬、嬉しさではちきれそうになった。しかし、すぐに懸念が心をとらえた。

 「フューネ……でも、いいの?ガリュスは許してくれたの?」

 フューネは首を振った。

 「あいつには黙って出て来た。許してくれるはずがねえ。でも俺はどうしてもミラを助けてやりてえ。今の俺にはわかる、女を魔法で縛りつけることがどんなに酷いことなのか。俺はガリュスが好きだ。それは俺の自由な意志だ。ミラはそんな自由な心を奪われてしまったんだ。同じ女として、ミラをこのままにしておくことはできねえ」

 私の渦巻き眼鏡がいつの間にか涙で濡れていた。

 「ありがとう、フューネ。私、昨日フューネたちの冷たい態度を見た時、とっても腹が立って、つい助けに行く、なんて言っちゃったけど、長旅なんて初めてだし、本当は心細くて……」

 フューネは私の肩を優しく抱いてくれた。

 「何も泣くことはねえだろう。俺は最初から助けに行くつもりだったさ。ガリュスの手前、ああでも言わねえと、あいつに閉じこめられて、家から出してもらえなかったかもしれねえ。さあ、行こう、リエーラ、おまえの両親やガリュスに気づかれねえうちに……」

 「うん」

 私は涙を拭って顔を上げ、フューネと肩を並べて歩きだそうとした。

 その時、私たちの前にがっしりした体格の男が立ちはだかった。

 「ガリュス……」

 フューネが呟いた。ガリュスは私たちを無表情に睨みつけていた。私はどうしてよいかわからず、不安の表情をフューネの方に向けた。フューネは、しかし笑顔だった。

 「よく見ろよ、リエーラ、ガリュスの格好」

 そう言われて、私はガリュスの姿にもう一度目をやった。彼は革の鎧に革のブーツを履き、腕には革の小手をつけていた。背中には旅行用の荷物袋を背負い、腰には彼の得意武器、戦斧がぶら下がっていた。

 「昨日言っただろう」

 ガリュスは無表情のまま口を開いた。

 「俺はフューネをそばから離さない、と。さあ、出発だ、フューネ、リエーラ、テーレの町を目指して」

 私は嬉しさをこらえきれず、ガリュスに抱きついてしまった。

 「ありがとう、ガリュス」

 ガリュスは私を見つめながら、わずかにほおをゆるませた。

 

 私たちは一路、北の町テーレへと旅立った。

 ガリュスは警備会社を無断欠勤することになる。クビになるだろうが、また他の職を探すつもりだ、と彼は言った。無断欠勤は私も同じだ。白魔道士ギルドに何のことわりもなく旅に出てしまったのだ。恐らくわたしもクビだろう、そう思っていた。しかしガリュスは、実は出発前、私をギルドから雇っておいたと打ち明けた。ギルドは色々な事態に対応するため、事務所を二十四時間開けている。私の家に来る前、正規の手続きをふんで、白魔道士リーエラを雇用する契約をギルドと結んでいたのだ。

 その話を聞いて、私はまたガリュスに抱きついてしまった。ガリュスの困った顔と、フューネの嫉妬に満ちた視線に咎められて、照れながら体を引き離した。

 テーレの町までの半月は平穏無事だった。その間、私がちょっぴり嬉しく思ったのは、フューネが全然女らしくないことだった。しぐさも言葉遣いも、以前のフューンそのままだった。宿場町の料理屋に私たち一行が入ると、客の男たちはみんな、フューネに注目する。が、フューネが、運ばれて来た丼飯をもの凄い勢いで掻き込み始めた途端、彼らは目をそむけてしまうのだった。フューネが男っぽくなったのは、たぶん剣を背中に担いでいるせいだろう。剣を持つことで、フューン本来の剣士の魂が呼び起こされたのだ。

 しかし、ガリュスと二人きりの時は、フューネはやはり女に戻った。ある晩、宿屋で私が目を覚ました時、隣のフューネのベッドはもぬけの空だった。窓から外を覗いて見ると、庭でガリュスとフューネが二人肩を寄せ合って座り、満月を眺めていた。それは愛し合った男女の仲睦まじい光景そのものだった。

 テーレに到着した私たちはまず宿を取り、次に町の様子を探るためにあてもなく歩き回った。幾分おとなしい感じの町だったが、それ以外の点ではヘグレルとさほど変わりなかった。ただ、町の人の話す言葉には強いなまりがあり、店でも宿屋でも料理屋でも、たまに言っていることがよくわからなかった。

 「ガスコインはんの事務所かいな」私たちは愛想の良い酒場の主人に話を聞いた。「それやったら、町の北外れの丘の上に建っているでっかい屋敷、あれがそうやで。トラーコル広場から北に向こうてまっすぐ歩いてイカハッタラエエ」

 「いか貼ったらA?何だそりゃ」

 フューネは首を傾げた。

 「『行きなさったらいい』言うことや」

 主人は苦笑いした。

 すでに日は落ち、辺りは暗くなっていたが、私たちはガスコインの事務所を見ておくことにした。緑の少ない地面むき出しの丘の頂上に、月の光を受けて古びた館がぼんやりと浮かび上がっていた。どうやら元は貴族か金持ちの住まいだったようだ。装飾の多い、手のこんだ造りの建物である。そういう華美な建物ほど、古くなるとこのように不気味に見えるのはなぜだろう。

 まだ夜が更けていないせいか、ほとんどの窓から明かりが漏れている。あの館のどこかにミラがいるはずだ。彼女は今、どうしているのだろう。ガスコインに心を操られて、デク人形のように、命じられるまま裸体をさらしたりしているのではないだろうか。

 そう思うと、私はたまらない気持ちになった。今すぐ館に押し入ってミラを引っぱって連れて行きたい衝動にかられたが、それをぐっとこらえ、今日のところは宿に引き上げた。

 その夜、私たちは宿屋でもう一度、ガスコインを倒す計画を確認した。旅の間何度も検討を重ねた結果、いくら聖剣ヴィリーノがあっても、ガスコインに正面から挑むのは無理がある、という結論に達していた。となれば聖剣ヴィリーノの最初の持ち主、女剣士キュリーネと同じように、敵の懐に入りこみ、油断させて不意打ちにするしかない。当然、ガリュスは難色を示した。フューネを仮そめにもガスコインのベッドルームに送りこむのは、彼にとってはたえられないことだった。私とフューネは、可能な限りミラを説得して連れ出すことを優先する、と言ってガリュスを納得させた。私たちは英雄物語に出てくる勇者様ではない。あの館には、ガスコインに心を操られたたくさんの女がいるだろうが、そのすべてを助け出すなどという大それたことを考える余裕はないのである。

 翌朝、商店街が開くや否や、私たちはブティックに足を運んだ。ガスコインの懐に入りこむには、まず彼に気に入られて従業員として採用されなければならない。

 「スカートをはくなんて久しぶりだわ」試着室から出て来たフューネが女言葉で言った。「何だかちょっと照れ臭いわね。どう?似合う?」

 タイトスカートのスーツをさらりと着こなしたフューネの姿を見て、ガリュスは赤面しながらうなずいた。フューネは鏡の中の自分の姿を満足げに眺めた後、別のスーツを手に取って私に押しつけ、試着室に入るよう促した。

 「次はリエーラの番ね」

 私はびっくりして尋ねた。

 「どういうこと、フューネ。私がどうしてスーツなんか着なきゃいけないの?」

 「あれ?リエーラも一緒にガスコインの事務所にもぐりこむんじゃなかったの?」

 「ガスコインは面喰いなのよ。私が採用されるわけないでしょ」

 「大丈夫よ。ほら、早く着てみて」

 私はフューネの選んだスーツを着てみたが、とてもオフィスで働く女性には見えない。まるで中学生の制服姿だった。

 しかし、フューネはそのまま金を払ってブティックを出、私の手を引いて次に靴屋、その次はアクセサリーと買い進めていった。最後に宿に戻り、鏡の前で化粧をした。私は化粧などしたことがない。フューネが私の顔に丁寧にメイクを施してくれた。口紅をさし終わると、彼女は私の目の前に鏡をかざした。その中には私の見ず知らずの女性が映っていた。その大人っぽい女性が自分だとわかるまでにたっぷり十秒はかかった。

 「きれいよ、リエーラ」

 フューネは嬉しそうに微笑んだ。ガリュスも傍らで目を丸くしている。私は恥ずかしくなって、あわてて渦巻き眼鏡をかけて顔を隠した。

 遂に私たちはガスコイン魔道士事務所の門を叩いた。玄関で応対に出た女性はフューネに勝るとも劣らない美人だった。彼女はガリュスを見てにこやかに微笑み、私を見て勝ち誇った笑みを浮かべ、フューネを見て敵意を現わにした。私たちは用件を述べた。

 「当事務所では、ただ今従業員は募集しておりませんの」

 彼女はとりあおうとはしなかった。

 「お願いします。私たち、どうしてもガスコインさんの下で働きたくて、わざわざヘグレルの町からやって来たんです」

 私は一生懸命頼んだ。

 「だめだって言ってるでしょ」

 「せめてガスコインさんに会わせて下さい」

 フューネも必死だった。

 「もう、しつっこいわね。だめなものはだめなの」

 相手の女はいらだたしげに私たちを睨んだ。

 その時、私たちの背後でかすれたような男の声がした。

 「どうしたんだ、エミリー。そんな大きな声を出して」

 途端に相手の女の瞳がバラ色に輝き始めた。

 「ガスコインさま」

 私たちは後ろを振り返った。そこには背の高い中年男が立っていた。土気色の肌、オールバックにした白銀色の髪、いかにも好色そうな目つき。喪服のような黒い衣装を上下にまとっている。

 ガスコイン――ミラを連れ去った張本人――私は彼を睨みつけながら、表情に敵意を現さないよう努力した。ところが、私の隣では、フューネが半ば潤んだような目でうっとりとガスコインを見つめていた。フューネの演技力もたいしたものだ。彼女ぐらいの美人にあのような眼差しで見つめられたら、たいていの男はまいってしまうだろう。

 「ほう、君たちは就職希望者か。まあ、立ち話もなんだから、こちらへ」

 案の定、ガスコインは愛想よく私たちを応接室に案内してくれた。

 「はるばるヘグレルの町から?それはそれは」

 彼の視線はフューネに釘付けだった。私やガリュスの存在はずっと無視されていた。

 「残念だが、今のところ従業員は一人しか募集していない。遠いところから来ていただいた苦労を思えば心苦しいのだが、今回はこちらのフューネ君を採用するということで、君たちにはお引き取り願えないか」

 そこで彼は初めて私とガリュスに一瞥をくれた。私はフューネばりの演技を試みた。

 「私、どうしてもガスコインさんのところで働きたいんです。魔法の経験も少しあります。ですから……」

 「あいにくだが、君みたいな子供は私の趣味ではない……もとい、うちで働かせるわけにはいかない」

 「でも……」

 と、突然、フューネが私のかけている眼鏡を取り去った。

 「ちょっと、フューネ、何するの」

 私はフューネの方に手を伸ばしたが私の目に映る映像は今やぼやけてしまって、どこに眼鏡があるのかわからない。

 「そうだ」ガスコインが急に思い出したように声を上げた。「確か、清掃係に一人欠員があったはずだ。君、リエーラ君、それでよければ……いや、ぜひ君にもわが事務所で働いてほしい」

 彼の表情はぼやけて見えなかったが、その声はさっきとはうって替わってうやうやしいものになっていた。

 「但し、一つ条件がある」ガスコインは立ち上がった。「明日からコンタクトレンズをして出社すること。わかったね。それと、ガリュス君、残念ながら君は不採用だ。また欠員が出たらよろしく頼むよ。フューネ君とリエーラ君はこちらへ。我が事務所は全寮制になっている。今、君たちの部屋に案内させる」

 フューネはやっと眼鏡を返してくれた。私たちはガスコインに言われるまま応接室を出、前の廊下でガリュスと別れた。彼が不採用になるのは折り込み済みだ。ガスコインが若い女しか雇わないのは周知の事実である。ガリュスが同行したのは採用されるためではなく、この屋敷に潜伏するためである。聖剣ヴィリーノを彼が持ち歩いても誰も不思議には思わないが、フューネや私が剣など携えて就職面接を受けるわけにはいかない。聖剣は潜伏したガリュスがあとでフューネの部屋に届ける手筈になっている。これから彼はトイレにでも行くふりをして屋敷のどこかに身を隠すことだろう。

 ガリュスが歩き去り、その姿が見えなくなるや否や、ガスコインはフューネの瞳をじっと覗きこんだ。来た。ガスコインはフューネに「心を操る魔法」をかける気だ。もちろん、フューネは聖剣の加護を受けている。多少の魔法ならはね返すことができるはず。それに白魔道士である私にはもともとガスコインの使う暗黒魔法は効かない。問題はいかに心を操られたふりをするか、である。

 ガスコインはフューネに続いて私の目を見つめた。凄まじい魔力だ。さすがに天下に悪名をとどろかせるだけのことはある。私は気取られないように、精一杯白魔力を高めて彼の魔力に抗った。果たして、私は彼の魔法にかかることはなかった。しかし、あんなに強力な魔法をフューネは本当にはね返すことができたのだろうか。私は心配になってフューネの方に目をやった。

 フューネの目は全く焦点が合っていなかった。口を半ば開き、呆けたようにつっ立っている。私の顔から血の気が引いてゆくのが感じられた。だが、ここでくじけてはいけない。私一人でもなんとかしてミラを助け出さなければならない。そのためには、今は魔法にかかったふりをしてガスコインを欺かなければならない。私はフューネの真似をして、ボーッとした表情を作った。

 ガスコインはにやりと笑い、両腕を広げて、こちらへ来い、と目で合図した。フューネはふらふらと彼の胸にすがりついた。私は覚悟を決めて、フューネにならって彼の胸に飛び込んだ。彼は私たちの肩を抱き、髪にほおをすり寄せてきた。私は全身に走る悪寒と必死に闘いながら、演技を続けた。

 そこへ従業員の女が現れ、部屋の用意ができました、と告げた。ガスコインは私とフューネを離し、彼女について行きなさい、と命じた。そしてくるりと背を向け、事務室の方へ歩き去った。従業員は、こっちよ、と言って私たちを二階へと導いた。

 ガスコインから解放され、とりあえずほっとしたものの、私はすぐさまフューネのことが気にかかり、焦点の合っていない彼女の目を覗きこんだ。フューネはしかし、ちらっと私の方に目をやり、ウィンクして見せた。よかった。フューネは魔法にかかったわけではなかった。さきのはすべて演技だったのだ。私は胸を撫で下ろすと同時に、ミラを助け出してヘグレルに帰りついた暁には、フューネは劇団に入るべきなのでは、と考え始めていた。

 私たちは二人で一つの部屋を割り当てられた。荷物を整理し、一息つく暇もなく、別の従業員がやって来た。私たちを屋敷内のあちこちに案内してくれるらしい。

 彼女は私たちを連れ歩きながら、事務所の業務内容を説明した。本来、魔道士事務所は顧客の求めに応じて魔力を要する仕事を引き受けることで成り立っている。しかし、ガスコインはよほど大きな仕事しか引き受けない。この事務所の利益のほとんどは副業――魔法アイテムの販売――によるものだという。

 彼女は最後に、仕事は明日からよ、頑張ってね、と優しい言葉をかけてくれた。彼女をはじめ、どの部署の従業員も、気持ち悪いぐらい愛想がよかった。従業員同士も信じられないほど和気あいあいとしている。さっき玄関で私たちの応対に出た女も、私たちが従業員として採用されたことを知らされると、途端に機嫌が良くなった。最初、私は理由がわからず首を傾げていた。後で気づいたのだが、どうやら彼女たちはガスコインに「従業員はお互い仲良くするように」と命じられているようだ。女同士のいがみ合いほど醜いものはない。ガスコインは過去の経験から、そのように命令しておくことを思いついたのだろう。従業員たちはみな、彼に心を操られているので、命令されれば一も二もなく忠実に守るのである。

 夕方、事務所の仕事が終わると、従業員の一部はレクリエーションを求めて町へ繰り出し、残りの者は自室に戻った。私とフューネも一旦部屋に引き上げることにし、階段を登って二階のフロアに出た。フロアには何人かの女がたむろしていた。私とフューネはほぼ同時に、その中の一人がミラであることに気づいた。

 「リエーラ、フューネ」

 彼女も私たちの姿に目を止め、驚きの声を上げた。私たちは彼女に、人気のない廊下の隅に連れて来られた。

 「あんたたち、あたしを連れ戻しに来たんでしょ」ミラは意外にも笑顔を見せた。「心配しないでって手紙に書いておいたのに。あたし、ここで元気にやってるから大丈夫。帰ってお兄ちゃんにそう伝えてよ」

 私はその笑顔を見ていると、悲しくて涙が出そうになった。

 「ミラ、よく聞いて。あなたはね、あなたの心はね、本当は……」

 「知ってるよ。ガスコインさまに操られてるって言いたいんでしょ」ミラはあっけらかんと答えた。「リエーラもフューネも何か勘違いしてる。心を操られるって言っても、記憶を失うわけでもないし、意識がなくなるわけでもないんだよ。あたし、ちゃんと自分の意志で行動してるし、自分の頭で考えてる。あたしがガスコインさまを愛する心は、確かに魔法ででっち上げられた偽りの感情かもしれない。でもね、あたし、心の中が今、とっても暖かいんだ。これがたとえ偽りのものであっても構わない。ガスコインさまだけなんだもの、あたしをこんな気持ちにさせてくれるのは……」

 ミラはうっとりと天井を見上げた。私は半ベソをかきながら訴えかけた。

 「お願い、ミラ、目を覚まして」

 そこへフューネが割って入った。

 「わかったわ、ミラ」どういうつもりか女言葉だった。「あなたがここでの生活に満足しているなら、無理に連れ出したりはしない。けど、私たちはここに残るつもりよ。あたしもリエーラもヘグレルの町を飛び出して来ちゃったの。リエーラは白魔道士ギルドをクビになっただろうし、あたしは引き止めようとするガリュスと喧嘩して出てきた。だから他に行くところがないのよ。ここにいれば、とりあえず生活の心配をする必要はないでしょ」

 フューネはそう言ってミラに微笑みかけた。うまい言い訳を考えるものだ。私は舌を巻いた。

 「そう……じゃあ、仕方ないわね」ミラは一応納得した様子だった。「でも、あたしは絶対に帰らないからね。油断させてこっそり連れて行こうなんて考えないことね。そんなことされたら、あたし、舌噛んで死んでやるから」

 そしてミラはくるりと背を向けて階段を下りて行った。その後ろ姿を見つめながら、フューンは拳を握り締め、言った。

 「やはり、ガスコインを倒すしかない」

 

 その後、私たちの部屋に受付係の従業員と清掃係の従業員が相次いでやって来た。新しく配属される私たちのために、それぞれの係が歓迎パーティーを催してくれるというのだ。フューネは、これまたとびきりスタイルの良い受付係の同僚と共に、部屋を出て行った。私はフューネのいない心細さを噛みしめながら、少し遅れて部屋をあとにし、屋敷内の食堂へ向かった。

 食堂では六人の同僚が私を待っていた。彼女たちはみな、背もそれほど高くなく、スタイルが良いわけでもない。美人というよりかわいいタイプだった。どうやらこの清掃係はガスコインのロリコン趣味を満足させるために雇われた者の集まりらしい。

 同僚たちはこれでもかというほど私をもてなしてくれた。ガスコインに心を操られているとはいえ、これほど良くしてもらうと私としても段々情が移ってくる。パーティーがお開きになるころには、私たちはずっと昔からの親友のように打ちとけていた。

 同僚たちにお休みを言って自分の部屋に帰って来るまで、私はミラのこともフューネのことのすっかり忘れていた。部屋の窓際にたたずんでいるフューネの姿を見て、初めて打倒ガスコインの計画を思い出す始末だった。それぐらいパーティーが楽しかったのだ。

 フューネは私に一瞥をくれて嬉しそうに微笑んだ。

 「受付係の先輩、みんないい人ばかりなんだもの。驚いちゃった。ここって居心地いいわね。ミラが帰りたがらないのもわかる気がする」

 私は首を振った。

 「でもみんな心を操られているのよ。心の底には本当は同僚や仕事に対する不満がたまっているはず。ガスコインに命じられてそんな感情を捨て去るよう強制されているだけ。それってやっぱり悲しいことだと思う。誰だって怒りとか哀しみとかいう負の感情から逃げ出したいと思うことはある。だけど、そういう感情に正面からぶつかって克服してこそ、喜びも楽しみも大きくなるんだわ。やっぱり人は『心を操る魔法』に頼って生きるべきではない」

 フューネはうなずいた。

 「そうね……。よし、俺はガスコインを倒すぞ、リエーラ。さっき受付係の先輩からガスコインの私室の場所を聞き出しておいた。俺は今からやつに夜這いをかける」

 「わかったわ。私はあとでガリュスと一緒にこっそり聖剣を届けに行くから、それまでにガスコインと間違いを起こさないようにね」

 私がいたずらっぽく微笑むと、フューネは顔をしかめた。

 「バカなこと言うな。誰があんなオヤジを相手にするか。俺はガリュス一筋だ」

 そう言って、フューネは持参して来た扇情的な服――肩と背中が完全に露出し、辛うじて胸だけが隠れるドレス――に着替え、念入りに化粧し直した。そして「行くぞ」と言って私に力強い眼差しを送った後、部屋を出て行った。

 すぐに、部屋の窓の外に、聖剣を担いだガリュスが現れた。問題は聖剣をいつ届けに行くか、である。早すぎると、ガスコインはまだフューネに心を許していないだろうし、遅すぎると、フューネがベッドに連れ込まれてしまう。それ以前に、フューネがガスコインに受け入れられるかどうかわからない。フューネが訪ねる前に、すでに他の女が彼の私室に招かれているかもしれない。

 私とガリュスは一時間経ってから部屋をあとにした。ガスコインの私室の位置はガリュスが内偵済みだ。もう真夜中近い。屋敷内はしーんと静まり返っている。私たちは誰にも見咎められずにガスコインの部屋の前まで来ることができた。

 ガリュスが扉に耳をあてる。フューネの話し声がする、とのこと。扉に鍵などかかってはいないようだが、いきなり扉を開くわけにはいかない。ガスコインにこの扉が見えているのかどうかわからない。私たちはフューネが合図を送ってくれるのを、手に汗握りながら辛抱強く待った。

 しばらくすると、扉の近くでフューネの声がした。

 「この部屋、ランプを消すと本当に真っ暗ね。何も見えない。ちょうどいいわ。あたし、裸を見られたくないの」

 扉に耳をあてると、かすかにガスコインの声がした。

 「ベッドはそっちじゃない。こっちだ、フューネ。ほら、私の声のする方へ来てごらん」

 ガリュスは音をたてないようゆっくり扉を開いた。部屋の中は全くの暗闇だった。部屋の窓はぶ厚いカーテンで覆われているのだろう。月明かりさえ入ってこない。

 ガリュスが聖剣を部屋の中へ差し入れる。聖剣は暗闇の中にするすると吸い込まれていった。フューネが受け取ったようだ。

 「ガスコイン、今行くわ。ちょっと待ってね」

 フューネの甘ったるい声は少しずつ遠ざかっていった。まずガリュスが、次に私が部屋の中へ足を踏み入れた。今や私の胸は激しく鼓動していた。心臓の音がガスコインの耳に届いてしまうのではないか。そう思えるほどだった。

 少し離れたところで、三たびフューネの声がした。

 「ねえ、ガスコイン。今からあたしの言うことを、耳をすまして一字一句逃さないように聞いてね」

 暗闇の奥からガスコインのいやらしい声が響いた。

 「何だ、フューネ。まだ『愛してる』を言い足りないのか」

 「いいえ。あたしがあなたに言いたいのは」

 その時、剣を鞘から抜く音が聞こえた。

 「聖剣よ、キュリーネの魂を受け継ぎしこのフューネに力を与え給え。我が肉体に宿りたる太陰の力と、剣に込められたる聖なる力をもって邪悪なる魔力をば封じん」

 その時、部屋の中はまばゆいばかりの白い光に照らし出された。光の源は、部屋の中央でフューネが高々と掲げている聖剣ヴィリーノだった。トランクス一ちょうでベッドに横たわっていたガスコインは聖なる光をまともに浴びて苦しみ、もがき始めた。

 「ぐおーっ、力が、魔力が抜けてゆくっ。く、くそっ、こんなことでやられはせんっ」

 ガスコインはそばに置いてあった魔法の杖を手に取って目の前にかざした。すると聖なる光は彼の前ではね返されて届かなくなった。フューネは今一度聖剣を握り直した。

 「頼む、ヴィリーノ、もっと聖なる力を、もっと邪を封じる力を、この俺にもっと力をくれ。我が肉体に宿る太陰の力をすべておまえに与える。だから、たのむ、ヴィリーノよ、もっと力を、もっと聖なる光を!」

 その瞬間、聖剣からすさまじい力がほとばしった。強烈な白い光が稲妻のように閃いたかと思うと、轟音とともに部屋全体を吹き飛ばした。

 気がついた時、私はガレキの下敷きになっていた。あちこち痛んだが、どうやら大したケガはしていないようだ。何とかガレキから這い出して辺りを見回すと、屋根も壁もなくなった部屋の床に、月の光が降り注いでガレキの山を照らし出していた。そのうち、私のすぐそばのガレキの山が崩れ、ガリュスが姿を現した。彼は痛そうな素振りを全く見せず、戦斧を手に、さっきガスコインがいたところに歩み寄った。私はフューネの立っていた辺りのガレキを押しのけてみた。フューネはすぐに見つかった。

 「フューネ、大丈夫?」

 どうやら気絶しているらしい。私は回復魔法の呪文を唱え、彼女の額に手をかざした。一方、ガリュスはガレキの中からガスコインを掘り出した。ガリュスは私に首を振って見せた。すでにこときれているらしい。

 部屋の廊下には、何ごとか、とばかり従業員が集まっていた。その中の一人が私たちの方へ近づいて来る。ミラだった。ミラはガスコインの死体を一目見て呟いた。

 「かわいそうなガスコイン」

 私は驚いてミラの方に目をやった。まさかガスコインを倒しても「心を操る魔法」はとけないのか?しかし、ミラは微笑みながらうなずいた。

 「さっきも言ったでしょ。あたし、心を操られてはいたけど、意識をなくしていたわけじゃない。もちろん、今はガスコインを愛する気持ちは消えてしまっている。でもさっきまでは確かに愛していた。偽りでもよかった。彼が愛する心をくれたことが本当に嬉しかったの」

 ミラはそう言って笑顔のまま涙を流した。

 その時、私の膝の上でフューネが目を覚ました。暗がりの中で、彼女はゆっくり目を開き、私に微笑みかけてから、上半身を起こした。しかし、よく見ると、その上半身はさっきより肩幅が広くなっていた。

 「フューネ……?」

 私は彼女の胸を見た。あのふくよかだったふくらみはどこにもない。わずかな月の光に照らされた顔に目をやると、化粧は残っているものの、皮下脂肪の少ない精悍な顔立ちだった。うっすらとひげが生えている。

 フューネ自身、異常に気づいたらしく、まず胸に、次にもっと下の部分に手をあてて確かめた。

 「戻ってる。……俺、男に戻ってる」

 その声はまぎれもなく元のフューネの、いや、フューンの声だった。私は嬉しさの余り彼に抱きついてしまった。

 フューンは遠慮がちに私の肩を抱いた。

 「さっきの戦いで、俺はヴィリーノに太陰の力、つまり女の力をすべて捧げてしまった。だから男に戻れたんだ」

 そして体を引き離し、私の瞳をじっと覗きこんだ。

 「リエーラ、いい臭いがする。女の臭いだ。女だった時は感じなかった。男に戻ったので、また感じるようになったんだ。リエーラ、俺は間違っていた。おまえを大人にしたくないなんて俺のわがままだ。おまえは十分、女としての魅力に溢れている。リエーラ、今度こそ言うよ。おまえが好きだ……」

 「フューン……」

 私たちは見つめ合った。たくさんの人に見られていることなど気にならなかった。私たちの目にはお互いの姿しか見えなかった。

 そうしている間に、ガリュスはガレキの下から聖剣ヴィリーノを掘り出した。彼はヴィリーノを手にし、私たちの方に目をやった。その目は何とも言いようのない悲しみに満ちていた。愛しのフューネはもういないのだ。彼女は今や男になって、女と見つめ合っている。ガリュスは悲しみを振り払うかのように聖剣をひと振りした。

 すると突然、また聖剣が光りだした。白い光が剣から飛び出して、ガリュスの体を包みこんでゆく。その瞬間、私の頭にヴィリーノにまつわる神話のおわりの一説が浮かんだ――人間界に戻った女剣士キュリーネは他の女に心が移ったフィアンセに怒り、彼を牢に閉じこめた――

 私は嫌な予感がした。ガリュスの体は光のベールの中で少しずつ縮んでゆき、光が消えた時には肩幅が狭く、尻幅が広くなっていた。彼はまず胸に、次にもっと下の部分に手をあてて確認した後、顔を上げて、女っぽい微笑みを浮かべ、フューンに抱きついた。

 「俺、いや、あたしはフューンを離さない。フューンはあたしのものよ」

 今やその声は誰がどう聞いても女の声だった。私の予感が的中したのだ。聖剣ヴィリーノは、今度はフィアンセを他の女にとられた恨みをその持ち主に晴らさせようとしているのだ。

 しかも、こともあろうか、フューンはガリュスに抱きつかれることをそれほど嫌がっていない。ガリュスは、男だった時、がっしりした体格だっただけあって、女になった今、腰がくびれ、尻が丸みを帯びて引きしまったナイスバディーになっていたのだ。幼児体型の私と比べると雲泥の差だった。フューンはそんな彼、いや彼女の体からどうしても目を離すことができないのだ。

 廊下では従業員たちが徐々に我に帰り、今までたまっていた不平不満をぶちまけ始めていた。

 「あたし、実はあの娘のことが嫌いだったの」

 「まあ、それは奇遇ね。私もあんな娘なんか大っ嫌いだったのよ」

 「あの娘、頭おかしいんじゃない?あんな服着てよく人前を歩けるわね」

 「それにあのせ先輩、ろくに仕事もできないくせに口のきき方だけは立派なんだから」

 私はフューンを挟んでガリュスと睨み合い、火花をちらしていた。

 「ガリュス、あなたね、さっきまで男だったくせに、私のフューンを横取りしないで」

 ガリュスも負けじと言い返してきた。

 「何言ってるの。あたしは男だった時、フューネと婚約した仲なのよ。性別が入れ替わっても婚約は有効だわ」

 「きーっ。ちょっとフューン、あなたからもなんとか言ってよ。ねえ、ミラ、あなただってガリュスのことが好きだったんでしょ。どうにかしなさいよ」

 フューンとミラは、顔を見合わせ、やれやれ、とばかり肩をすくめるだけだった。

 東の空が白み始めても、半壊した屋敷から女たちのけたたましい声が消えることはなかった。

 

 

彼と彼女と聖剣と私 完

 

 

 

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あとがき

 

 この小説は、ジャンプ小説ノンフィンクション大賞(集英社刊ジャンプ各誌上にて募集、98年1月31日締切)に応募するために書き下ろしたものです。実質執筆期間は約20日でした。

 この小説をどういう経緯で書こうと思ったのか、あまり覚えていません。ただ、今まで小説を書く時、少し考えすぎるきらいがあったので、これを書くにあたっては、頭の中にあるものをできるだけ素直に書き止めることにしよう、という方針のもとで書いたことだけは記憶にあります。そのせいか、同時期に書いた他の4作品に比べるとかなりシュミに走った内容となってしまいました。

 最後に一つだけネタばらし。全然そんな感じはしないでしょうが、実はこれを書くにあたって、当時テレビで放送されていた、フォーチュンクエストLというアニメの影響を多少受けています(雰囲気だけですが)。

 

1999年10月12日

AZY記

 

 

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少年少女文庫版のためのあとがき

 

 AZYと申します。最近(99年7月頃)yays media researchと少年少女文庫の存在を知り、みなさんの投稿作品を読んでいるうちに、一年半ほどの間、全く萎えてしまっていた創作意欲がむらむらと涌いてきました。新作はいつ完成するかわからないので、まずは、去年書いたこの「彼と彼女と聖剣と私」を投稿しようと思い立ちまして、八重洲さんに掲載をお願いした次第です。

 この「彼と彼女と聖剣と私」は少年少女文庫のために書いたものではないので、ここの読者のみなさんにとっては物足りないかもしれません。例えば、Ts小説になくてはならない(笑)「女性化によるとまどい」シーンが全く描かれていません(冒頭でフューンはいきなり女体に適応しています)。そのあたりのことは、上記の事情を汲んで、ご容赦いただきたく思います。

ではまた、いずれ新作で会いましょう。

 

1999年10月12日

AZY記

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