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紅の装甲竜騎兵
作:YZA

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5 娘として姉として


 その長い一日はマヤ――山矢健太にとって生涯忘れ得ぬ一日となった。

 追っ手の竜を撃退した後、彼女はルーミアを送り届けるため取り敢えずアヴニ村へ向かうことにした。マヤの操縦するピムがアヴニ村に到達するにはわずか30分ほどしかかからなかった。時速百キロを越える速度で一直線に飛んできたのだから当然と言えば当然である。逆の見方をすると、ルーミアがファクティムまで飛んでくる際、いかに遅い速度で、いかに右往左往したのかがわかる。

 アヴニ村では、深夜にもかかわらずルーミアの父と数名の村の男たちが彼女たちの無事の帰還を歓迎した。父の口振りから、ルーミアが彼の反対を押し切ってマヤを助けに来たのは明らかだった。マヤは今一度ルーミアに礼を言い、アヴニ村の村民に迷惑をかけたことを謝罪した後、ピムとともにマキナスの森の奥へ飛び去ろうとした。お尋ね者の自分が村に滞在しては村の人々に更に迷惑をかけることになると考えたからである。

 しかしルーミアの父を始めその場にいた他の村民たちはみな、マヤが身を隠す必要はないと主張した。そもそも今回の一件については、マヤを男の竜騎兵だなどと疑い、あまつさえ非道い方法でそれを確かめようとしたジュートたち調査隊が一方的に悪いのだ、と。

 マヤはそれを聞いて、ますます自責の念に駆られた。調査隊の疑念は全く的外れというわけではないのである。彼女は村民たちに身を隠すことの妥当性を説明するため、もと男だったという事実を打ち明けようとした。

 そのときルーミアの父が言った。マヤに一体何の罪があるのか、と。彼はマヤが元は男だったことを知っている。その言葉には、たとえマヤが男だったことが事実だとしても「生け捕り」にされるようないわれはないのだ、という意味が込められているようだった。

 マヤはそれ以上反論しなかった。元は男だったことも村民たちには言わないことにした。ルーミアの父が、言うべきではないと目で訴えてきたからである。

 彼女はピムに森の奥へ帰るよう命じ、村民たちに出迎えてくれたことへの礼を述べた後、ルーミアと父と共にクフールツ白魔道診療院へ帰った。ルーミアはマヤの表情に疲れの色を見て取ったのだろう、すぐさまマヤを、ひと月も前から彼女のために用意しておいたという部屋へ案内した。マヤが部屋を見渡してみると、ピンク地に水玉模様のカーテンが窓にかけられ、それと同じ柄のベッドカバーがベッドを覆い、リボン付きのかわいらしいワンピースが壁に掛かっているのが目に付いた。ルーミアは2日前までマヤを正真正銘の女だと思っていたのだから無理からぬことではあった。

 マヤはルーミアにお休みを言ってから、念のためトイレに行くことにした。眠気によって感覚が鈍っているだけなのか、早くも神経が肉体に適応しつつあるのかはわからなかったが、今朝のような違和感はあまり感じられなかった。

 彼女は部屋に戻り、ベッドに倒れ込むや否や眠りに落ちた。こうしてその長い一日は終わりを告げたのだった。





 それからの半月は「マヤ」にとってもっとも幸福な時間だったかもしれない。

 彼女はごく普通の村人として生活した。居候させてもらうのと引き替えに、診療院の家事一切を引き受けることにしたのである。ルーミアも父も白魔道士としての仕事があるため、急病人が出たりするとどうしても家事がおざなりになる。そういう意味で、マヤの存在は彼らにとってありがたいものだった。マヤのほうも、自分が必要とされていると思うと肩身の狭い思いをせずにすんだ。

 マヤは、料理は全くやったことがなかったので、ルーミアや近所のおばさんたちに教えてもらいながら少しずつ覚えてゆくしかなかったが、掃除や洗濯は、こちらの世界のやり方に戸惑いながらも、元来綺麗好きだったこともあってすぐにマスターすることができた。一度、川で洗濯をしている時に村の女たちに「これならいつでも嫁に行ける」と太鼓判を押されてしまい、返答に困ったこともあった。

 暇なときには、マキナスの森に出かけてゆき、ピムとの親交を深めた。ルーミアも手が空いているときには同行した。その背中に乗って空を飛ぶこともあったが、あまりあちこち飛び回るとファクティム城の兵を刺激する恐れがあったため、マキナスの森付近から出ることはなかった。

 とはいえ、空を飛ぶのは気持ちがよかった。生活習慣はおろか肉体まで別のものに変化してしまったマヤにとって、ピムを操縦している間だけが、元の自分をわずかでも取り戻せる瞬間だった。彼女は山矢健太だったときアクロバット飛行競技会で優勝を期待されたほどの飛行テクニックを持っていた。飛行機という無機物から竜という有機的なものへと飛行手段を乗り換えた今、彼女のテクニックはその飛行ぶりに、よりダイレクトに現れた。ピムは彼女と一体となった。言葉で命令されなくても、首の根元にまたがる彼女の体重のかけ具合から彼女の意図を察知することさえできるようになった。それはもやは飛行する竜というより、優雅に空中を舞い踊るバレリーナさながらであった。

 あるとき、マヤはルーミアに言った。自分はこの飛行テクニックを生かして竜騎兵になってしまおうか、そうしてお金を稼げばルーミアたちに治療代を返すことができるし、住むところも確保できて治療院に居候せずにすむ、と。

 しかしルーミアは言下に反対した。マヤを戦場になど行かせたくはないし、またいまマヤがうちで家事をしてくれていることがある意味で治療費の返済になっている、と。

 「それに、あたしはマヤを居候だなんて思っていないから」

 彼女は最後にそう付け加えたのだった。

 ファクティム城であのような事件を起こした以上、当然、アヴニ村に対し何らかの反応があることが予想された。早ければ事件後一両日以内にファクティムから使いが来てもよさそうなものだったが、意外にも一番最初の反応は一週間後のことだった。

 クフールツ治療院の扉を叩いたのは、ファクティム城に駐在する騎士隊の指揮官と称する男だった。彼は二つの用件を述べた。一つ目は、マヤにあらぬ疑いをかけ、無礼きわまりない扱いをした先日の調査隊の件であった。

 彼は何度も何度もマヤに謝罪したうえで「我々も調査隊のやり方に疑問を持っていたものの、彼らは国王陛下の勅書を持っていたため抗うことはできなかったのだ。本来であれば、調査隊の隊長をここへ連れてきて直接謝らせるべきなのだが、彼らは調査を続けるためにもう次の地区へ向かってしまった」と述べた。

 クフールツ先生とマヤと共にその話を聞いていたルーミアは、指揮官の言葉の最後の部分にがっかりした様子だった。もしかしたらまたジュートに会えるのでは、と期待していたのかもしれない。

 指揮官は次にマヤの体のことを気遣った。マヤは乱暴されたのだと彼は信じているのだろう。マヤがわざと不機嫌そうな顔をして「大丈夫です」と答えると、指揮官はほっと胸をなで下ろした後、二件目の用件を切り出した。

 「君、竜騎兵にならないか?」

 その一言はマヤたちを驚かせるのに十分だった。

 指揮官は先日、マヤが追っ手を振り切ったときの状況を竜騎兵たちから聞かされて彼女の飛行技術に惚れ込み、ぜひスカウトしたくなったのだと理由を述べた。

 マヤはその話に関心を抱き、待遇などについて指揮官に説明を求めようとした。ところがルーミアが

 「だめよ、マヤ!」

 と言ってまたも頑強に反対した。彼女はよほど戦(いくさ)が嫌いらしい。

 結局、その話はルーミアの反対によってお流れとなった。

 その夜、クフールツ先生がマヤに持ちかけたのは、嬉しい話だった。自分の養女にならないか、というのである。少なくともこの世界では、マヤは誰一人身寄りがいないことになる。身分を問われたときいちいち東洋から来た云々と言い訳するよりも、白魔道士バーン・クフールツの娘だと答える方が手っ取り早いだろう、と。

 今度はルーミアも反対しなかったのは言うまでもない。それどころかマヤと同じく、いやマヤ以上に大喜びした。彼女が前からほしいと思っていた姉が本当にできるというのだから。

 マヤが承諾すると、クフールツ先生は「では名主のところに届けを出しておこう」と言った後で、これからは自分のことを父と呼ぶようにマヤに命じた。そのうえで

 「おまえはわたしの子供なのだから、この家にいて当然なのだ。二度と自分は居候だ、などと言わぬように」

 と言い足した。マヤが常日頃、この家に置いてもらっていることを申し訳ないと言っていることに対する、彼なりの配慮だった。

 マヤは本当に嬉しかった。どうやったらこの恩返しができるだろうか、もう一生かかっても無理かもしれない、と思った。いまできることは、クフールツ先生に対してはその子供として、ルーミアに対しては兄弟?として、普通に振る舞ってあげることだけだ、とも思えた。

 それからの一週間はまた平穏無事に過ぎ去った。

 クフールツ先生は村人に、マヤは自分の娘になったと紹介した。マヤもクフールツ先生のことを「お父さん」と呼ぶようにした。村人たちもマヤが東洋人であることなど全く意に介することなく、ごく自然にクフールツ家の娘として扱った。

 ルーミアもマヤを「お姉ちゃん」と呼んでよいかと訊いてきた。しかしマヤは、これに関してはいささか抵抗がなくもなかった。実際のところ、彼女はそれまで毎日ズボンをはいて過ごしていたし、トイレも馴れてしまえばそれほど気にはならなかったので、着替えたり入浴したりするときを除けば、自分が女なんだと意識させられることは、それほどなかったのである。

 ルーミアはマヤの怪訝そうな顔を見て、いつものように「嫌ならやめるけど」とはっきりと断った。ルーミアのマヤに対する態度はあの「儀式」の日以来一貫している。ルーミアはマヤをありのまま受け入れていた。マヤを男としても女としても扱わなかった。どちらかとして扱わなければならないときは明快な選択肢を与えた。

 マヤはちょっと迷った末、ルーミアに自分を「お姉ちゃん」と呼ぶことを許可した。クフールツ先生や村人たちが自分を「クフールツ家の娘=ルーミアの姉妹」として受け入れてくれたのに、自分だけ裏切るわけにはいかないと思ったからである。

 そのときのルーミアの喜びようは、まさに、ほしい玩具をやっと与えてもらえた子供のようなあどけなさで一杯だった。マヤはルーミアの笑顔を見ていると、彼女は本当の妹で、自分は本当の姉――兄ではなく――のような気がしてきた。

 ――しかし――マヤはある夜、部屋で一人呟いたのだった。――俺はいま男なんだろうか、女なんだろうか――

 彼女は突然、立ち上がり、壁に掛かっているワンピースを手に取った。ルーミアは言っていた。このワンピースは本来、「儀式」のときマヤに着せるつもりだったのだが、マヤが実は男だったことを知り、その心情を察してこれの代わりにズボンをはかせたのだ、と。この半月の間、マヤはやはり着る気にはなれず、壁に掛けたまま放置してあったのである。

 初めてスカートをはくのは、さすがに恥ずかしかった。自分がこんなものをはいていいのだろうか、という後ろめたい気持ちもあった。しかし着終わって、部屋の壁に付いている大きな鏡に全身を映してみると、そこには東京の街でもよく見かけたような、ごくごく普通の日本人の少女の姿があった。あまりにも違和感がなかったので、後ろめたさなど感じた自分が滑稽にさえ思えた。

 彼女はワンピースを着たまま、ベッドに仰向けになった。――もしいつか元の世界へ帰る方法が見つかり、無事に帰ることに成功したとして、そのとき俺はどうしたらいいのだろう。父や母は自分が山矢健太だと言えば信じてくれるかもしれないかもしれないし、信じてくれないかもしれない。信じてくれた場合は、病院で「男に性転換」してもらい、ある程度もとの生活を取り戻すことができるかもしれない。信じてくれなかった場合、俺は戸籍のない不法入国者のような存在となり、一生、日陰者として暮らすことになる。それも女のまま。もちろん再び飛行機の操縦桿を握るなどということはできないだろう――

 彼女はそこで寝返りを打った。窓からは今日も満月が顔を覗かせている。もっとも、ウサギの餅つきに見えるという表面の模様は完全に姿を隠していた。その状態をこの世界の人々は「新月」と呼んでいるのだった。――あるいはこの世界で男に戻る方法を見つけるという手もある。コンピューターネットワークに覆い尽くされている元の世界とは違い、この世界では地球の裏側がどうなっているのかさえよく知られていない。この世界の隅々まで探せば男に戻る魔法か何かを発見できるかもしれない。しかしそれは雲を掴むような話だ――

 彼女はベッドから起きあがり、もう一度鏡の前に立って最初の質問を繰り返した。――俺はいま男なんだろうか、女なんだろうか――

 目を閉じて、通っていた高校の風景を思い起こしてみると、そこにはに日に焼けた相良美玖の顔があった。――彼女に対する想いは今も変わっていない。俺はまだ完全に女になってしまったわけじゃない――

 次に目を開けて鏡の中の少女を見つめながら、半月前、一緒に水浴びをしたときのルーミアを思い出してみた。――透き通るような白い肌、スレンダーなボディに豊満なバスト。いま考えてもうっとりする。でも……でも、本来の俺ならうっとりするだけじゃないはずなんだ――

 マヤは慌てたようにワンピースを脱ぎ始めた。自分の精神的変化がこれから行き着くであろう結末を想像すると、恐ろしくなってきたからである。――クフールツ先生は言っていた。俺は白魔法で再生されたとき、魂も肉体も女となった、と。肉体には当然、脳も含まれている。俺はいつの日か、脳に宿る女の本能に命じられるまま、男を求めるようになるのだろうか――

 彼女は恐る恐る、女になってから今までに出会った若い男たちを頭に思い描いてみた。幸いにして、と言うべきか、アヴニ村にはそういう男はあまりいなかった。いたとしても家が離れていてあまり会ったことがなかったため、具体的なイメージが沸かなかった。はっきりとイメージできる若い男といえば……

 ――ジュート……――

 半月前、ジュートに抱かれることを強制されそうになったとき、彼女は確かに、彼を受け入れてもいいような気がした。しかしそれは避ける方法が他になかったからそうなってもやむをえないと思ったのであって、積極的に望んだわけではない。

 「でも、もし次に会ったとき彼に求められたら、あたしは……」

 そこから先を考える勇気は、彼女にはなかった。

 ふとそのとき。

 半月の間、記憶の彼方に忘れられていたその一言、もしかしたら彼女の運命を動かすことになるかもしれないその一言が彼女の頭をよぎったのである。

 『それに俺は、おまえがヤグソフの異呪(いじゅ)で異世界から召還された男だ、なんて思っちゃいない』

 それはファクティム城からの去り際、ジュートの口から漏れ出た言葉だった。

 マヤはすぐさま居間へ向かった。今や彼女の養父となったクフールツ先生はこの時間、居間に佇んでことが多い。行ってみると、案の定、彼はそこにいた。疲れているのか、やや表情が硬かったが、話を聞いてくれる余裕がないほどではないように思えたので、マヤは用件を切り出すことにした。

 「ねえ、お父さん、『ヤグソフの異呪』って何?」

 養父バーン・クフールツは「ヤグソフとは、ハバリア帝国を陰で操っていると言われる怪僧の名前であり、異呪とは怪僧ヤグソフの使う、得体の知れぬ魔法のことだ」と応えた。

 つまり話を総合するとこういうことになる。1.怪僧ヤグソフとやらは異呪を用いて何らかの理由で男を異世界から召還したらしい。2.国王陛下の勅命を帯びたジュートの口からその言葉を聞かされたということは、エラーニア王国の中枢部もそのことを察知しているらしい。そして、3.マヤはその異呪とやらで召還された可能性が高い。

 養父は言った。「ということは、ハバリア帝国に行けば、マヤが異世界から飛ばされた原因を突き止めることができるかもしれない。しかしいまこのエラーニアとハバリアは戦争の真っ最中だ。そうでなくても閉鎖的といわれるハバリアに、マヤが侵入できる見込みは少ない」

 マヤは訊き返した。「じゃあ、エラーニアのほうは?エラーニアの中枢に近づく方がまだ簡単なんじゃないの」

 養父は「いずれにせよ容易なことではない」と応えたきり黙ってしまった。

 マヤはもっと情報を引き出したかったがそれ以上は無理だと判断し、諦めた。と言うより、養父がやはり元気がないように見えたため、そちらのほうが心配になった。

 「お父さん、何かあったの?あたし、お父さんの娘なのよ。心配事があるなら遠慮なく相談してよ」

 マヤにそう言われて、養父は少しためらった後、一枚の書類を取り出してマヤに見せた。マヤは最近ようやく読めるようになったエラン文字を一つ一つ目で追っていった。

 「召集……令状?」

 養父は説明した。「アヴニ村を含めた近隣3か村のうちから誰か一人、戦場に赴(おもむ)かなければならないことになっている。もうすぐ、騎士として出征していた隣村の男が帰ってくるようだ。代わりにこのアヴニ村からわたしが野戦医務要員として戦場に行かなければならない。これは順番で決まっていることなのだ」

 「でもそうしたら誰がこの診療院を守るの?誰がアヴニ村の人たちの病気や怪我を治すの?」

 「わたしもそれが心配だ。この近くの村には他に診療院はないからね。だが、決まりは決まりだ。従わなくてはならない」

 「他の人と代わってもらうわけにはいかないの?」

 「誰が好きこのんで戦場に赴くだろう?それに、これはクフールツ家に割り当てられた義務なんだ。他家の者に代わってもらうことはできない」

 いつの間にか、傍らにルーミアが立っていた。マヤたちの声を聞きつけて話に加わりに来たらしい。

 「お父さん、戦場に赴くってどういうこと?」

 開口一番ルーミアはそう言った。口振りからすると彼女も召集令状の話を知らなかったようである。

 父はルーミアに、今し方マヤにしたのと同じ話をした。すると、戦(いくさ)嫌いのルーミアは泣き出さんばかりの表情で父の出征に異を唱えた。父は、ルーミアがいくら反対したところで決まりなのだからどうしようもないと言って彼女をなだめた。それからしばらくの間、父娘は虚しく悲しい堂々巡りの議論を続けた。

 しかしマヤは胸に期するものがあった。それは現在、彼女が抱えている諸問題をいっぺんに解決する可能性をはらんだ妙薬――あるいは劇薬――のようなものだった。たとえ今の平穏な生活に終止符が打たれることになるとしても、彼女は敢えてそれを飲み干す必要があった。





 「儀式」からちょうど半月後のその日、マヤは午前中からどこかへ出かけてしまった。ルーミアは「お姉ちゃん」が家事をさぼってまで出かけてしまったことを少し不審に思いながらも、白魔道師としての日常の仕事を淡々とこなしていった。

 しかし昼食時「お姉ちゃん」がルーミアと父に打ち明けた話は、不審どころか、まさに青天の霹靂だった。

 「あたし、さっきファクティム城に行って竜騎兵隊への入隊手続きをしてきた」

 ルーミアは驚くと同時に、とてつもなく腹を立てた。「お姉ちゃん、どうして!?あたしがあれだけ反対したのに!」

 マヤは妹のその反応を折り込み済みだったので、動揺することもなく話を続けた。「よく聞いて、ルーミア。あたしは入隊に同意する代わりに一つの条件を出したの。それはあたしが入隊することで、クフールツ家に割り当てられた出征義務を果たしたことにしてほしい、チャラにしてほしいっていうことなの」

 今度は彼女の養父が驚きの声を上げた。「なんてことを!前にも言っただろう、おまえはわたしの娘なんだ。わたしは父として、おまえを危険な戦場へ行かせるわけにはいかんのだ」

 しかしマヤは引き下がらなかった。「あたしがもといた世界に帰るには少しでもヤグソフに近づかなければいけない。ここでじっとしていても始まらないわ。それにクフールツ先生……お父さんは優秀な白魔道師で、この村の人たちに必要とされてる。お父さんこそ戦場になんか行っちゃいけない」

 父は表情に苦渋の色をにじませながら、しかし有効な反論を思いつくわけでもなく黙り込んでしまった。一方、ルーミアは完全にへそを曲げてしまい、ふくれっ面のままそっぽを向いた。

 しばらく沈黙が続いた。

 それは重苦しい沈黙だった。しかし、マヤにとっては自分が前進するために乗り越えなければならない障害の一つなのである。彼女は敢然と胸を張り、前を見据えて自分の決意が固いことを示した。

 ところが。

 沈黙を破ったのは意外にも、マヤでもルーミアでも父でもなく、空から聞こえてくる低いうなり声のような音だった。

 「竜の飛ぶ音……?」

 マヤはそう呟いた。彼女を始めルーミアも父もだんだん大きくなりつつあるその音に、ただならぬ気配を感じていた。アヴニ村の近辺では、たまに野生の竜が飛び回ることもあるし、荷物を運ぶ運送竜が悪天候を避けてこの上空を飛ぶこともあるが、いずれにせよ単独かせいぜい2匹編隊に過ぎない。しかし、今聞こえてくる音は……

 「これは……少なくとも5匹以上の編隊だわ!」

 叫ぶや否や、マヤは居間から玄関を経て家の外へ飛び出し、空を見上げた。推測通り、5匹の竜が悠々と旋回している姿が目に入った。

 彼女はすぐさまマキナスの森へと走った。理由はわからなかったが、あの5匹の竜は良い目的でここに来たわけではないような気がしたからである。

 泉のほとりに辿り着いたとき、彼女の目に予想外の光景が飛び込んできた。森のずっと奥を住処としているピムが、彼女が来るのが最初からわかっていたかのように、人里に近いこんなところにまで出てきていたのである。もしかしたらピムもあの5匹の竜に何か良からぬものを感じ取っていたのかもしれない。

 マヤは驚く間も惜しんで素早くピムの背に飛び乗り、「上昇っ!」と命じた。たちまちマキナスの森は眼下に広がる箱庭となる。もっとも彼女がいま目を向けなければならないのは下の景色ではなく上空である。

 上空を漂っていた竜たちは、ピムが上昇してきたのに気づき、そのうち3匹がピムを取り囲むように体を寄せてきた。見ると、竜たちはいずれも胴体と翼の一部、それと頭部全体を鉄の板で覆っている。いままで何度か話には聞いていた装甲竜に違いなかった。

 その背にまたがる女たちはみな黒っぽい衣装を身につけていた。しかしマヤの前方に立ちはだかった竜だけは、薄緑色の派手な衣装に身を包んだ竜騎兵に操られていた。雰囲気からして彼女がこの編隊の隊長らしい。

 彼女は鷹ような鋭い目つきでマヤを睨み付け

 「おまえは何者だ?」

 と声を張り上げた。その発音には少し訛りがあったが、声のトーンから判断する限り、マヤとそれほど歳の変わらない少女ではないかと思われた。

 マヤは憶することなく「人に名前を尋ねるときはまず自分から名乗りなさい!」と言い返した。

 「これは失礼」少女は不敵な笑みを浮かべながら応えた。「我はヤグソフ四姉妹の末妹、ニーナ。あるお方をお迎えするために、ハバリア帝国の帝都ドゥムホルクからわざわざこんな田舎にまで出向いてきた。エラーニアのへなちょこ防空網を突破してな」

 「ヤグソフ……ですって!?」

 「見たところおまえは東洋人のようだが、あいにく我らが探しているのはおまえのような女ではなく、男の東洋人だ。おまえになど用はない。引っ込め」

 「このアヴニ村には男の東洋人なんていないわ!帰って!」

 「ほう、我らにたてつくというのか。しかし我らは、男の東洋人がこの近辺に降り立ったという確かな情報を握っている。隠し立てしても無駄なことだ」

 「知らないものは知らない!」

 「そうか。では誰かが本当の話をしてくれるまで忍耐強く待つとしよう。それまでに何軒の家が燃えることになるのかな」

 ニーナと名乗ったその少女が竜騎兵の一人に目配せすると、その竜騎兵は高度を下げ、火矢の付いた弓をアヴニ村の民家に向けて構えた。脅しではなく、今にも本当に火矢を放ってしまいそうに見えた。

 マヤは「ピム、下降!」と叫んだ。するとピムは、火矢を構える竜騎兵めがけて弾丸のごとく一直線に下降してゆき、マヤの「体当たり!」の声と共に相手の装甲竜の横っ腹、装甲の薄い部分に自らの体をぶつけた。予想外のダメージを受けた装甲竜は制御不能となり、苦しそうにうめきながら高空へ逃亡してしまった。

 ルーミアは家の前で父と共に、ピムが5匹もの装甲竜相手に互角の空中戦を演ずるさまを眺めた。他の村人たちは、先ほど火矢で家を狙われたことから上空の竜騎兵が招かれざる客であることを悟り、森への避難に大わらわだった。しかしルーミアと父だけは逃げようとしなかった。マヤが負ける気がしなかったからである。

 それから30分後のアヴニ村上空の光景は、ルーミアたちの予想した通りのものだった。4匹の装甲竜はすでに撤退したか戦闘不能に陥っており、ニーナ隊長を乗せた一匹も、その場に踏みとどまっていたものの、翼から血を流していた。

 「おのれ」ニーナは悔しさに顔を引きつらせた。「おまえごときにしてやられるとは、何たる不覚。だが覚えておれ、今度会ったときは今日のようにはゆかぬぞ」

 彼女はその言葉をマヤに言い捨てると、ハバリア語と思われる単語を叫んで竜に向きを変えさせ、北の方向へ去っていった。





 3日後、竜騎兵隊への入隊のためにマヤがアヴニ村を去る日が来た。

 村人全員が彼女を見送るために広場に集まってきた。中には涙を流して別れを惜しむ者もいた。もちろん養父バーン・クフールツの姿もその中にあった。彼は3日前の空中戦の後、すぐにマヤの決心に理解を示したのだった。

 しかしルーミアの姿はなかった。彼女はあれ以来ずっと口を聞いてくれない。この世界で一番理解し合えると思っていた義妹とこんな形で別れることになるのは、マヤにとって身を切られるほどつらいことだった。

 別れ際、養父は「この世界では、この村がおまえの故郷だ。クフールツ診療院がおまえの帰るべき家なのだ。帰りたくなったらいつでも帰ってこい」という言葉をマヤにたむけた。

 マヤは今一度村人たちにほうを振り返って別れを告げた後、アヴニ村を後にした。

 ファクティムにはピムも同行することになっている。竜騎兵の乗る竜は通常、竜騎兵隊側で用意してくれるのだが、竜を飼い慣らしている者は自分の竜に乗ってきても構わないのである。マヤは出発前にあらかじめピムをマキナスの森の泉のあたりに待機させておいた。

 ところが、彼女が泉のほとりにまで来てみると、そこにはピムの他に二人に人物が待ちかまえていた。

 「お姉ちゃん」

 そのうちの一人はルーミアだった。彼女は嬉しそうに微笑みながら

 「見て、これはあたしからのプレゼント」

 と言ってピムの頭を指さした。

 ピムはその頭に赤い帽子のようなものをかぶっていた。よく見ると、それは帽子ではなく、頭部を覆う鉄の装甲だったのである。

 そこで、ルーミアの傍らにいたもう一人の人物も口を開いた。「いやぁ、大変じゃったわい」

 マヤはその人物が誰なのかようやく思い出した。彼は確か、鍛冶屋をやっているお爺さんだったはず。

 彼はマイペースで話し続けた。「ルーミアが3日前いきなりウチを訪ねてきたんじゃ。竜の墜落現場から集めたあの鉄板を加工して竜の装甲を作ってくれ、なんて言われたときはどうしようかと思ったわい」

 ルーミアが彼の言葉を補足した。「残念だわ。やっぱり3日では短すぎた。お爺さんにだいぶ無理してもらったんだけど、それでも頭の部分しか完成しなかった」

 「ルーミア……」

 マヤは感激のあまり言葉に詰まった。あの装甲は彼女が山矢健太だったとき乗っていた複葉機の破片でできている。彼女がいつまでも愛機と一緒にいられるようにとの、ルーミアの心配りだったのである。

 「ありがとう、ルーミア。あの装甲をあなただと思っていつまでも大切にするわ」

 彼女はそう言って「妹」の手を取り、別れを惜しんだ。

 しかしルーミアは「姉」のその言葉を聞いて、おかしなことを言いだしたのだった。

 「装甲だけ?あたしは大切にしてくれないの?」

 マヤは意味がよくわからなかったので、怪訝そうな表情でルーミアの顔を見返した。するとルーミアはいたずらっぽい笑みを浮かべ、そそくさとピムの背中に乗り込んでしまった。

 なおも納得できないマヤはピムのそばまで歩み寄り、そのいたずらな妹に

 「どういうこと?」

 と尋ねた。

 ルーミアは答えた。「3日前、お姉ちゃんはお父さんに言ったわよね、『お父さんは優秀な白魔道師で、この村の人たちに必要とされてる』って。あたし考えたの。あたしは誰に必要とされているんだろうって。あたしは女性白魔道師だから魂を再生するほかは、せいぜい怪我の応急処置ぐらいしかできない。魂の再生って言っても本来の寿命が延ばせるわけじゃない。不慮の事故や病気で死にかかっている人の魂を呼び戻すことができるだけ。アヴニ村では不慮の事故なんて滅多に起こらないし、起こったとしても女性白魔道師はあたしの他にもいる。だからあたしはあたしを必要としてくれる人がたくさんいる場所――戦場へマヤと一緒に行く決心をしたの。出征する騎士や竜騎兵には従者が一人ついていってもよいことになってるから」

 「でも……ルーミアは戦(いくさ)が嫌いだったんじゃなかったの?」

 「あたしは白魔道師としての仕事に誇りと責任を持っているつもり。自分の好き嫌いを優先させようとしたのは間違いだったわ」

 「お父さん……クフールツ先生はこのことを知ってるの?」

 「さっき言った。反対してたけど、お父さんはあたしのことわかってくれてると思う」

 「そう……」

 マヤはもう一度妹の目を見つめた。彼女の決心は固そうだ。それに自分自身も反対を押し切った手前、ルーミアに強く言うのは気が引けた。

 「じゃ、一緒に行こ」

 彼女はそう言ってピムの背中に飛び乗り、首の根元にまたがった。ルーミアもその後ろに腰を下ろし、しっかりと姉の体につかまって飛び立つ際の衝撃に備えた。

 マヤは鍛冶屋のお爺さんに「ありがとう、お爺さん。さようなら」と声をかけてから、ピムに上昇を命じた。

 ピムは翼を大きく広げ、ゆっくりと、しかし力強く大空へと舞い上がった。その日の空は雲一つない快晴だった。







******************************

あとがき



 今回はTSFファン向けのシーン?はほとんど出てきません。悪しからずご了承ください(笑)。

 ところで、この「紅の装甲竜騎兵」を何章まで書くのか正式に?決まりました。全12章ということにさせていただきます。それ以上長くなると根気が続かなくなる可能性もありますので、何とか12章にまとめたいと思います。

 ではまた次章で。

AZY

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