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紅の装甲竜騎兵
作:YZA

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4 ジュート


 マヤとルーミアは、マヤにとってこの世界で二番目の友達となったその竜に別れを告げ、村への帰途についた。

 別れ際、マヤはルーミアのすすめに従って、竜に「ピム(Pim)」という名前を付けてあげた。ピムはその名がよほど気に入ったらしく、マヤやルーミアが「ピム」という言葉を口にしただけで、嬉しそうに体を左右に揺さぶるのだった。ルーミアによると、それは竜が人間に示す反応の中でもっとも好意的なものだとのことだった。

 太陽はすでに真南の空高くに昇りつめていた。昼食の時間はもう過ぎている。きっとルーミアの父はお腹をすかせて自分たちの帰りを待っていることだろう、などと話しながら、二人は、永遠の静けさをたたえるマキナスの森を出、村に至る街道へと足を踏み入れた。

 ところが、二人が村の入口近くまで来てみると、昼食後特有の怠惰に満ちていると思われたアヴニ村は、意外にも喧騒に支配されていた。

 「何かあったのかしら」

 ルーミアはそう言ってマヤと顔を見合わせた。二人は様子をうかがいながら、喧騒の源(みなもと)と思しき村の広場の方向へと歩を進めた。

 広場には50人ほどの村人たちが集まって人垣の輪を作っていた。ルーミアは、50人という人数は、アヴニ村の人口から子供を除いたほとんどすべてに相当すると説明した。祭でもないのに一体どうしたことだろう。

 よく見ると、広場の一角には馬が三頭繋がれていた。それも農耕用の痩せ馬とは明らかに違う、装飾付きの馬具で着飾った立派な軍馬だった。

 二人は更に、人々の話す声がはっきりと聞こえる地点まで近づいてみることにした。

 「男の竜騎兵?」

 「男が竜を操るなんてことできるのか?」

 「操るどころか、竜は男がそばに近寄っただけで機嫌が悪くなるぞ」

 どうやら村の男たちが、人垣の輪の中心に立つ人物に向かって口々に声を上げているらしかった。

 「静まれ」輪の中からひときわ大きな男声が響いた。「四ヶ月も前の話だ。よく思い出して欲しい。不審な装甲竜を見かけなかったか、怪しい男と出くわさなかったか」

 ルーミアはその声を聞いてマヤに「エラン語だわ。アウスグ語とは少しアクセントが違うでしょ」と囁いた。

 輪の中の声は言葉を続けた。「あるいは、男の乗った装甲竜が墜落した可能性もある。皆の者、心当たりはないか」

 「そう言えば」村人の誰かが言った。「四ヶ月前にマキナスの森に竜が墜落したよな」

 「ああ、そうそう、そうだった」別の誰かが言った。「そのとき確か瀕死の竜騎兵が、ルーミアに命を助けられてクフールツ先生のところに運び込まれたんだったよな」

 輪の中の男は一層大きな声で尋ねた。「その者はいまどうしている」

 尋ねられた村人は「もう退院したみたいだぜ。さっきルーミアと歩いているところを見かけたから」と答えた。

 そのとき、人垣の一番外側にいた村人のうちの一人がマヤとルーミアの存在に気づいた。すると村人たちは、ドミノ倒しのドミノのように、次々とマヤたちのほうを振り向いた。

 輪の中心にいた男は村人たちの様子から、ルーミアの傍らにいる東洋人が問題の人物だと察したようだった。彼は人垣をかき分け、つかつかとマヤのほうへ歩み寄った。

 いままで人垣に隠れてマヤの目には見えなかったその男の姿があらわになった。彼は装飾の付いた白い衣装をさらりと着こなした背の高い男だった。

 男は「わたしはエラーニア第4騎士団所属の白騎士バンク・ベエルである」と名乗り、うやうやしく一礼した。それが騎士の作法なのだろう。「初めてお目にかかる御婦人に対したいそう無礼な物言いであるとは存ずるが、拝見いたしたところ、貴殿はこのアウスゲント地方の者ではないように思われる。どのようなご身分のお方か」

 マヤは言葉に詰まった。異世界から来たなどといっても信じてはもらえないだろうし、それ以前に、その騎士がマヤに対し向ける目は、言葉の丁寧さとは裏腹に、お世辞にも好意的なものとは言えなかった。下手なことを言うと今すぐにでも連行されそうな、そんな雰囲気があったのである。

 「ブンゴリア人です」応えてくれたのはルーミアだった。「彼女はブンゴリア人です。東洋からはるばる見聞を広めるために旅をしてきて、不慮の事故で墜落したのです。竜騎兵なんかじゃありません」

 騎士は怪訝そうな表情でルーミアに「貴殿はどなたか?」と尋ねた。

 ルーミアは気丈にも騎士を睨み付け「彼女を助けた白魔道師のルーミアです」と答えた。

 すると、人垣の陰から

 「いま言ったことは本当かな、ルーミア」

 という別の声が響いた。

 ルーミアは「え?」と驚きの声を上げた。

 人垣の向こうからゆっくりとした足取りで現れたのは、またも騎士装束をまとった若い男だった。ただし最初の騎士ほどは背が高くなく、衣装の着こなしもルーズだった。襟元のボタンも、わざとなのか不注意なのか、外れている。

 「いま言ったことは本当かと尋ねたんだ」

 その若い男が再びそう訊くと、ルーミアは手を口元に当てて呆然と彼を見つめ

 「ジュート……」

 と呟いたのだった。

 「久しぶりだな、ルーミア」男は、何が可笑しいのか、にやにやとにやけながら言った。「再会を喜びあいたいのは山々だが、いまはご覧の通り、任務中なんでな。取り敢えず質問に答えてくれないかな、ルーミア」

 ルーミアは、男の言ったことが理解できなかったわけでもなかろうに、いまだ呆然としている。

 マヤは仕方なく、自分自身がその問に答えることにした。「ルーミアの言ったことは本当です。間違いありません」

 男はにやにや顔をマヤに向け、意外そうに「ほう、おまえ、言葉はちゃんとしゃべれるんだな」と言いながら近づいてきた。「じゃあ、これは何だ」

 彼は手にしていた平らな物体をマヤの前に放り投げた。片面に赤い塗料の塗られた鉄の板らしい。マヤにはそのが何なのかすぐわかった。どうやらそれは彼の愛機だった複葉機の機体の破片にちがいなかった。

 「さっきこの村の鍛冶屋の仕事場から拝借してきた」男は言葉を続けた。「そこにはこれと同じような鉄の板が山ほど積んであった。これはどこから仕入れてきた鉄板なのかな、鍛冶屋の爺さん」

 人垣の中にいままでボーッと突っ立っていたその老人は、いきなりその男に話を振られ、それこそ鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。「そ、それはじゃな……どこじゃったかいのう……そうじゃ、マキナスの森じゃ。この間竜が墜落した場所じゃ。火を消したあとも鉄の板がたぁくさん燃え残っておったので、村の若い者に手伝ってもらって、ワシんちに持ってきたのじゃ」

 「ということは」男はにやけ顔を再びマヤに向けてきた。「あんたが乗っていた竜は装甲竜だったことになるな。東洋から旅をするのにどうしてわざわざ装甲竜に乗ってくる必要があるのかな?それとも東洋には竜にわざと重たい装甲をしょわせていたぶって楽しむ風習でもあるのかな、お嬢さん」

 マヤはその男のしゃべり方も態度も何もかも気にくわなかった。まして「お嬢さん」などと呼ばれてしまったことは、彼女にとって屈辱以外の何ものでもなかった。しかし、悲しいことに、彼女には有効な反論が思いつかなかった。

 そこでやっと正気を取り戻したルーミアが彼女に助け船を出した。「ジュート、お願い。彼女はあたしの友達なの。怪しい人なんかじゃない」

 ジュートと呼ばれたそのにやけ男は「ほう」と感情のこもらない相づちを打って見せた。

 「装甲は……そう、こちらで戦(いくさ)をしているらしいって聞いて、用心のために装備してきたのよ。だいたい、あなたたちが探しているのは男の竜騎兵じゃなかったの?彼女はれっきとした女の子なのよ」ルーミアは必死になって訴えかけた。

 するとジュートはにやけ顔を一層にたにたと引きつらせ、あろう事かマヤの胸に手を伸ばし、その膨らみを鷲掴みにしたのだった。

 マヤは「ぎゃっ」と驚きの声を上げ、反射的に両手で胸を覆って体をくねらせた。そのとき口をついて出てきたのは

 「Sexual harassment!」

 という英語だった。日本語以外の言葉を話さなければと思うあまり、英語を叫んでしまったのである。

 「ジュート、あなた!」ルーミアはすごい剣幕でジュートを睨み付けた。

 村人たちの間からもどよめきが起こった。皆「ひどい」とか「やりすぎだ」といった非難の言葉を口にした。

 しかし、ジュートは全く意に介した様子もなく、にやにや顔のまま「こいつが本当に女なのかどうか確かめただけさ」と言ってのけたのだった。

 そこへ、ルーミアの父がつかつかと歩み寄ってきた。いままで人垣に加わらずに広場の隅のほうでやりとりを見守っていたらしい。

 「ではわかってもらえたことだろう」彼は言った。「彼女は、マヤは間違いなく女性だ。わたしが保証する。このアヴニ村には男の竜騎兵など滞在してもいないし、かくまわれてもいない。そんなことをしてもわたしたちには何の利益もない」

 「しかし」最初にマヤに話しかけてきた慇懃な騎士が言った。「我々はもう四ヶ月も捜査を続けている。残念なことではあるが、ここにおられる御婦人は実に疑わしい。疑わしい者の存在を知りながら精査することなく王都エランに帰還したとあっては、我々は愚か者のそしりを免れぬ」

 「よほど重要な任務らしいな」ルーミアの父は言った。

 騎士は黙って懐から巻紙を取り出し、それを広げて父に見せた。

 ルーミアの父はそれを読み上げた。「『アウスゲント地方のどこかに降り立ったはずの男の竜騎兵を生け捕りにせよ。手段は問わぬ』か。それも国王陛下の御名御璽(署名と印)付きとは……」

 マヤは「生け捕り」という言葉を聞いて愕然となった。それまでは心のどこかに、もしかしたら正直に異世界から来たことを話しても構わないのでは、という思いがあった。しかしそんな考えはたったいま吹っ飛んだ。

 「ハバリア帝国が絡んでいることなのか」ルーミアの父は更に質問した。「今度の戦(いくさ)と何か関係があるのか」

 騎士は「答えられるわけなかろう」と言っただけだった。

 「そういうことさ」ジュートは依然にやけていた。「とにかく、俺たちはこの娘を『精査』しなければならないんだ。任務なんでな」

 ルーミアはジュートの口調に引っかかるものがあった。「ジュート、まさか『精査』って、マヤを辱(はずかし)めるようなことじゃないでしょうね」

 ジュートはその日ルーミアたちの面前に現れて以来、最も下品なにやけ顔で「任務なんでな」と繰り返した。

 マヤの耳に、村人の何人が「裸にでもされるんだろうか」などと囁きあっているのが聞こえた。マヤは、確かに裸にされるのは恥ずかしいがそれで生け捕りを逃れることができるならやむをえまい、と思った。

 ところがルーミアの顔に目をやると、彼女の顔はいまや完熟トマトのような色になっていた。ルーミアの父も何か複雑な表情をしていた。どうやらこの白魔道師父娘は「精査」が意味する本当のところを知っていているらしかった。

 「そんなことしなくても」ルーミアは叫び声をあげた。「彼女の体を見ればわかるでしょう?誰か、そう、竜騎兵か女性の魔道師でも連れてきて確認すれば……」

 ジュートは突き放すように言った。「最近はオカマ連中が受ける性転換手術も巧妙になってきているからな。それに東洋には『宦官』とか言って、皇后に仕える男たちはアノ部分を切り取ってしまう習慣があるらしいしな」

 ルーミアはほとんど泣き出しそうな表情で「マヤはそんなのじゃないわ」と叫んだ。

 「いずれにせよこのご婦人の身柄は拘束させていただく」慇懃な騎士は言った。「我々としても辛いのだ。結婚前の御婦人にそのような辱めを受けさせるのは。しかし心配はご無用。無実と判明せる場合には、最高水準の白魔術によって彼女の体についた傷を完全に修復し、将来の御結婚に差し支えなきよう取りはからう所存である」

 マヤは文字通り我が耳を疑った。もしかしたら自分がそのアウスグ語の意味を勘違いしているだけかもしれない。確認のために、彼女はルーミアのほうに顔を向け、おそるおそる尋ねてみた。

 「まさか……そういうことをやられちゃうてこと?」

 ルーミアは無言のままうなずくのがやっとだった。

 代わりにジュートがにやにやしながら説明してくれた。「俺もよくはわからないんだが、ソノときに女の体が示す反応を暗黒魔法で見れば、確実に判定できるんだとか。そうだったな、ゾイグ」

 ジュートは広場の片隅に立つ木の根元に目をやった。よく見るとそこには、長いマントを身にまとい、フードを目深に下ろした、身長が120センチぐらいしかない人物が立っていた。手にした杖からすると、どうやら魔道師らしい。

 その人物はジュートに視線を向けられると、何も言わずうなずいた。

 「じょ、冗談じゃないわ!」マヤは叫びだしだ。「な、なんであたしがそんなことやられなきゃいけないの?そ、そんなことしなくたって、男か女かを見分ける方法ぐらい他にもあるでしょう?ほら、何だったっけ、そう、『染色体検査』とか!」

 もちろん『染色体検査』などという日本語が相手に通じるはずもなかった。

 村人たちも、これからマヤの身に起こることを理解したらしく、ざわざわとざわめきだした。

 ジュートは、いまにも飛びかかってきそうな勢いのマヤと、口々にマヤへの同情の言葉をこぼす村人たちに、少し恐れを感じたらしい。そこで彼はさきほどの魔道師に目で合図を送った。すると魔道師は短い呪文と同時に魔法の杖を繰り出した。

 「きゃっ」

 マヤはその声を最後に、じっと動かなくなってしまった。何かの魔法をかけられたのは明らかだった。

 「マヤ!」

 ルーミアはそう叫び、足下にうずくまるマヤを介抱しようとした。ところがその前に魔道師が念動力で彼女の体を、広場の一角に繋がれていた軍馬の背中に運び去った。

 騎士とジュートと魔道師は、村人たちの放つ敵意に満ちた視線をものともせず、そそくさと馬の背に飛び乗った。ジュートはマヤの載せられている馬にまたがり、彼女の体を抱きかかえるように支えた。

 ルーミアは、ジュートの馬のそばにまで近寄り、なおも「マヤ、マヤ」と叫び続けた。ジュートは「安心しろ、ひどいことはしない」とルーミアをなだめた。

 女性に乱暴をはたらくこと以上にひどいことが他にあるの?――ルーミアはそう言ってジュートにくってかかろうとしたが、彼女の父が彼女の肩を抱いて引き下がらせた。

 騎士は馬上から「皆の者、お騒がせした。ご協力に感謝する」と言った後、魔道師の乗った馬を従えて村の出口へと去っていった。ジュートはルーミアに「じゃ、またな」と声をかけてから、先に行った2頭を追いかけた。

 ルーミアや彼女の父や他のアヴニ村の村民たちにできることは、その後ろ姿を呆然と見守ることだけだった





 ジュートは馬上で、これからマヤはアウスゲント地方の中心都市ファクティムにあるファクティム城に連行されると告げた。

 連行される途中、マヤは2日前に得たばかりの体の自由をまたも奪われてしまったことを嘆きながらも、繰り返し、冷静にならなければ、と自らに言い聞かせた。

 考えてみれば、アクロバット飛行競技会でのあの「事故」以来、彼女はパニック続きだった。得体の知れない黒いもやに包まれたり、異世界に飛ばされたり、女なってしまったりしたことに比べれば、今回の一件は一番ましなほうだとさえ言えた。それらの経験が彼女に事態を冷静に見つめる余裕を与えていたのだった。

 彼女は誓った。最後の瞬間まで絶対に諦めるものか、と。

 一行がファクティムに入城する頃にはすっかり日も暮れて東の空から今日も満月が顔を覗かせていた。

 同行していたあの背の低い魔道師は、マヤを念動力で動かすのが面倒だったのか、馬から降りる段になって、マヤの体を麻痺させている魔法を解き、自分で降りろと目で合図してきた。マヤはその隙をついて、馬から飛び降りるや否や脱兎の如く城門目指して走り出した。しかし、魔道師の魔法によってすぐにまた体の自由を奪われ、あっさりと連れ戻されてしまった。

 その後、マヤはすぐに魔法を解かれたが、もう逃げ出そうとはしなかった。この魔道師がそばにいる限り逃げ出すことはまず無理だと悟ったからである。

 彼女は牢屋にでもぶち込まれるのかと思いきや、意外にも普通の個室に案内された。そもそもこの世界の城などというものに入るのが初めてなのだから詳しくわかろうはずもなかったが、調度品などの様子からして女性のための個室のように思われた。先ほど廊下でお城勤めの女官らしき女性数人とすれ違った。もしかしたらそういう人たちのための個室なのかもしれない。もちろん、部屋の一角にはベッドがしつらえてある。これから自分の身に起こるかもしれないことを考えると、マヤはベッドを正視する気になれなかった。

 ほどなくジュートが夕食を運んできた。それも2人分。彼はそれらの料理をテーブルに置き、例のにやにや顔で「どちらか好きな方を選べ」と言った。マヤが手近な方を選ぶと、ジュートは彼女の選ばなかった方から一皿につき一口ずつ食べて見せた。毒が入っているわけでも眠り薬が仕込んであるわけでもないことをマヤに示したかったのだろう。その上で、彼は

 「お食事をご一緒してもいいかい、お嬢さん?」

 とマヤに訊いてきた。

 マヤは「お嬢さん」と呼ばれるのが我慢ならなかったので、皮肉っぽい口調で

 「せっかくのお誘いですが、今は一人で食べたい気分なのでお断りします。それとあたしにはマヤという名前があります。『お嬢さん』はやめてください」

 と言った。

 するとジュートは肩をすくめ

 「じゃあ、またあとでな、マヤ」

 と言ってから、自分の料理の入った盆を持って部屋を出ていった。

 マヤは食事を取り始めた。先ほどジュートが毒味をしてくれたとはいえ、少し不安ではあった。しかし、いかんせんルーミアたちと朝食を取って以来、何も食べていないのである。いつでも逃げ出せるよう腹八分にとどめなければという思いとは裏腹に、口に匙を運ぶ手を制止することはできず、結局、すべての料理を平らげてしまった。

 果たして、料理には毒も眠り薬も入っていなかった。食後特有の眠気はあったものの、マヤはそれから数時間、どうにかして「最悪の事態」を避ける手だてをあれこれ考え続けた。その中で彼女は相手の男――どんな男なのかわからないが――を色仕掛けでたぶらかすことも考えた。しかし下手をすると逆にその気にさせてしまう可能性もある、と思い至り、その案を諦めた。

 何度か、部屋の扉を開けて外の廊下を見渡してみた。片隅には常にあの魔道師が立って睨みをきかせており、廊下を通っては到底逃げ出せそうにない。かといって、窓は小さく、おまけに鉄格子がはめてある。鉄格子はどちらかというと、よこしまな男たちがこの部屋にたたずむ女性を狙って闖入するのを防ぐためのものに思われたが、人一人出入りすることができそうにないのは確かだった。

 冷静さを失わないよう心がけてきたマヤも、ここへ来て焦燥感に駆られ始めた。緊張のあまり、部屋にしつらえてあるトイレに2度も行くはめになった。今朝のようにその違和感に浸る余裕もなかった。

 夜も更けた頃、部屋の扉が開いた。遂に相手の男がマヤのもとを訪れたのである。扉を背にして安楽椅子に腰掛けていた彼女は恐る恐る、戸口に立つ男のほうへ目をやった。

 「よう。マヤ」

 なんと、その男はジュートだった。

 「まぁ、そういうことになっちまったみたいだから、宜しく頼むわ」

 彼はいつものにやにや顔で、いつもの口調でそう言った。

 マヤは驚くと同時に、心の中で苦笑いをした。相手の男が見るからに恐ろしげな風貌だったらどうしよう、などと考えていたさっきまでの自分と、ジュートならまだマシか、などと考えている今の自分が滑稽に思えたからである。

 ジュートは小さなテーブルを挟んでマヤの向かい側に腰掛けた。マヤの見る限り、彼はまったく落ち着き払っていた。おそらくこういうことに馴れきっているのだろう。男だったときも含めてこういうことの経験が全くないマヤは、何か自分が小さくてか弱い存在のように感じられた。

 マヤの緊張をすこしでもほぐしてあげようと考えたのか、ジュートはいつものにやけ顔を、可能な限り優しい笑顔に見せようと努力しながら

 「ルーミアって、いい娘(こ)だろ」

 と話しかけてきた。

 マヤは自分の体の緊張が少し薄らいだの覚えながら

 「うん。そう思う」

 と応えた。「ジュートは……彼女とはどういう知り合いなの?」

 「初めてジュートと呼んでくれたな」ジュートは子供のように無邪気に喜んだ。「ルーミアは、去年まで3年間、王都エランの魔道学校に通っていた。俺はそこで彼女と知り合ったんだ」

 「ジュートはエランの人よね?」

 「ああ。最初にルーミアに会ったときは別にどうってことない田舎娘って感じだったんだけどな。知り合ってゆくうちに、何って言うか、輝きみたいなものが彼女には宿ってるって思えるようになってな」

 「なんとなくわかる気がする」

 「それがどういうわけか、ルーミアのほうも俺にそういう輝きみたいなものを見るようになっちまって」ジュートはそこで少し寂しげな表情になった。「でも俺には彼女の輝きはまぶしすぎたよ。受け入れるだけの余裕はなかった。だから彼女が故郷に帰ってしまうまで、俺は彼女をはぐらかし続けた。故郷に帰ってしまえば俺のことなんか忘れてくれると思ったから。でも今日会った限りではそうでもなかったみたいだな」

 マヤは、ジュートに興味が沸きつつある自分自身に驚きを感じていた。その興味が一体どういう種類のものなのか、彼女にはわからなかったし考える暇もなかった。しかしこれだけは言えた。自分はいま最悪の気分ではない、と。

 ジュートは寂しさの余韻のようなものを引きずりながら「もうこの話はよそう」と言った。マヤは何も答えなかった。

 その部屋には窓が一つしかない。それもごく小さな窓に過ぎない。おそらく真南に向いているのであろうその窓から、いまほんの一握りほどの月明かりが差し込んだ。

 ジュートは椅子からゆっくり立ち上がり、マヤのもとへ歩み寄った。マヤはわざと目を逸らし、ジュートのほうを見ないようにした。しかし、ジュートがすぐそばまでやって来て彼女の肩に手をかけたとき、彼女はその目でしっかりとジュートの顔を見据えた。相変わらずにやけていたが、不快な表情には思えなかった。

 そんな二人の様子を見守るのは静かに南天を通り過ぎようとする月だけだった。

 ふと。

 マヤの耳に、ごく小さい、低いうなり声のような音が聞こえた。不思議に思って耳を澄ましてみると、その音は少しずつではあったが、大きくなりつつあった。

 「何の音?」

 マヤはジュートに訊いた。しかしジュートは何も答えず、代わりに月明かりの漏れる窓のほうを見上げた。

 やがてその音は、うなり声と言うよりは耳をつんざく叫声のような大きさとなった。それに伴い、その発生源もいまマヤたちのいる場所のすぐ上の辺りだと知覚できるようになった。

 「何?何なの」

 マヤがジュートに尋ねる声も半ばかき消さてしまった。

 次の瞬間、窓から漏れる月明かりが何かに遮られた。その直後、どしんという巨大な音と共に、地響きが伝わってきた。

 マヤはバランスを失ってジュートのほうに倒れ込んでしまった。ジュートは彼女を受け止めながら、なおも窓の外へ視線を向けていた。

 するといきなり轟音と共に、窓のある側の壁が崩れ落ちた。ジュートはマヤを胸の中に抱いて、飛び散る壁の破片から彼女を守ろうとした。

 マヤがそっと目を開けてみると、さっきまで壁だったところに壁はなく、代わりに何にか大きな物体が、壁がなくなってできた穴をふさぐように鎮座していた。

 彼女は目を凝らしてみた。それは竜の頭だった。それも彼女には見覚えのある竜だった。

 「ピム……?」

 竜はマヤのその声に反応して、嬉しそうな表情をした。

 マヤは驚きのあまり一瞬、言葉を失った。

 しかも彼女を驚かしたのはそれだけではなかった。

 「マヤ!」

 ピムの頭の向こうから聞こえてきたその声はルーミアの声だった。

 そこでピムは一旦頭を引っ込めた。竜の頭によって開けられた穴から建物の外を見てみるとピムの背中でルーミアが手を振っているのがわかった。

 「なんてこった」ジュートはマヤを胸に抱いたまま嘆いた。「これはえらい騒ぎになるぞ」

 マヤはやっと、いま自分が何をなさねばならないか思い出した。「お願い、ジュート。あたしを逃がして。あたしは男……の竜騎兵なんかじゃない。誓ってもいい」

 ジュートはいつものにやにや顔で「俺は最初からおまえに乱暴するつもりなんてなかったさ」と応えた。

 「え?」

 「俺はそこまで人で無しじゃない。ただバンクっていう俺たちの隊長がくそまじめで融通が利かねえやつだからだから、一応、形だけでも調べたことにしなけりゃならなかったんだ」

 「でも調べるのはあの魔道師なんじゃ……」

 「ゾイグはああ見えて博打好きでな。俺に50万ベクも借金があるもんだから頭が上がらないのさ」

 「そうだったの」

 「それに俺は、おまえがヤグソフの異呪で異世界から召還された男だ、なんて思っちゃいない」

 「ヤグ……何?」

 「しまった。よけいなことしゃべっちまった。まぁ、とにかく、おまえが女だってことはアヴニ村でのあの『検査』で十分わかってたよ」

 マヤは彼の言う『検査』が、彼が自分の胸を触ってきたことを意味しているのだと気づき

 「バカ」

 と言ってふくれて見せた。

 そこへ、ピムが再び頭をマヤたちのほうへ伸ばしてきた。

 「マヤ、早く乗って」

 壁の向こうから聞こえてくるルーミアの声もマヤを促した。

 するとジュートはマヤをひょいと抱き上げた。いわゆる「お姫様だっこ」というやつである。マヤは恥ずかしかったので抵抗しようとしたが、ジュートは有無を言わさず彼女をピムの頭に乗っけてしまった。

 「騒ぎがここまで大きくなっちまった以上、今はこの竜で逃げた方がいい。この城にも3人ほど竜騎兵が駐屯しているから追っかけられることになるかもしれないが、大丈夫、俺とゾイグがおまえは女だったと隊長に報告すれば、追撃は中止されるだろう」

 「わかったわ」

 「マヤにはまたいずれ会うこともあるかな」ジュートはウィンクして見せた。「ルーミアに宜しく。それと……今日の続き、おまえさえよければ俺はいつでもいいぜ」

 「バカ」マヤはまたふくれっ面をした。

 ピムは首をひねって自分の背中近くに頭を持っていった。マヤが頭の上から背中に飛び降り、ルーミアに抱きとめられると、ピムは翼を大きく広げ、夜空へと舞い上がった。

 ルーミアはピムの首の根もと付近にまたがり、マヤも自分の後ろにまたがるよう言った。そこには突起ようなものがいくつか付いていて体をある程度固定することができるのだという。マヤは言われたとおりにした後、最後にもう一度、城の壁に開いた穴に目をやった。しかしそこにジュートの姿を確認することはできなかった。

 ファクティム城が小さなミニチュアのように見える高さにまでピムが達したとき、ルーミアは「遅くなってごめん」と謝った。「マキナスの森の奥でピムを見つけるのに手間取っちゃった。日が沈んでからやっと会えたんだけど、それからここまで飛んでくるのにも、あたし、竜の操縦なんてやったことなかったから、上手くいかなくて」

 マヤは心の底から「ありがとう」と言った。「あたしのためにそこまでしてくれるなんて。あたし、ルーミアには一生かかっても返し尽くせないほどの恩を受けちゃったわね」

 ルーミアは首を振り「あたしは自分にやれることをやっただけ。やってあげたいと思ったことをやっただけよ」と応えた。

 「でも、よくわかったわね、あたしのいる場所が」

 「それはピムのお陰よ。竜には、ある程度の範囲内なら遠く離れた人の位置を感知できる能力があるの。もっとも相手が気に入った人でないと、そこへ向かってはくれないでしょうけど」

 「そうなんだ」

 マヤはそこで、ジュートがさっき言ったことを思い出し、今やマッチ箱ほどの大きさになってしまったファクティム城の方を振り返った。案の定、ファクティム城から3匹の竜が舞い上がるのが見えた。

 ルーミアもすぐにそれに気づき、ピムに「もっと速く飛んで」と声をかけた。しかしピムにはその声が通じないのか、いっこうに速度を上げようとしなかった。

 追っ手の3匹はいとも簡単にピムに追いつき、いとも簡単に包囲してしまった。そのうちの1匹の背中から投降を促す竜騎兵の声が聞こえる。もちろん女の声である。

 ルーミアは何度も「ピム、ピム」と呼びかけたが、ピムの反応は鈍かった。

 その間にも追っ手たちの包囲の輪は狭まりつつあった。竜騎兵の一人が弓を構えこちらを狙っている。

 業を煮やしたマヤはルーミアの真似をして

 「ピム、お願い。もっと速く飛んで」

 と声を張り上げた。

 するとどうだろう。

 今までミニバイクほどだったピムの飛行速度が突如、軽飛行機なみの速度に上昇したのである。マヤとルーミアは首もとの突起につかまって振り落とされないようにするのに必死だった。

 追っ手の竜は、当然の如くはるか後方に置いてきぼりにされた。

 加速による衝撃が収まった後、マヤはルーミアと顔を見合わせた。もしかしたらピムはマヤの言うことならよく聞くのかもしれない。あるいは、マヤには竜を操る天賦の才があるのか。

 彼女たちが驚いている間に、追っ手の竜が速度を上げ、すぐにまた追いついてきた。竜騎兵は竜を操るプロなのだからそれぐらい造作もないことなのだろう。

 マヤはルーミアに「代わって」と言ってまたがる場所を彼女と交代した。竜の「操縦席」から前方の夜空を見渡すと、久々に彼女のパイロット魂が呼び起こされた。「とまれ」「右へ曲がれ」「左へ曲がれ」「上昇しろ」などという基本的な命令を2、3度試しただけで、彼女はすぐにそのタイミングとコツを掴んだ。

 その後はピムの独壇場だった。

 ピムはまず、小さな宙返りをして追っ手の一匹の背後を取った。ピムがその翼に噛みついた途端、その竜は悲鳴を上げ、ファクティム城方向に撤退していった。

 次にピムは、残りの2匹が挟み撃ちを敢行すべく迫ってくるところを見計らって、突然、高度を下げた。竜騎兵たちがピムを見失っている隙に、マヤはピムに、片方の竜の腹へ尻尾のむちをお見舞いするよう命じた。腹に一撃を食らった竜は苦痛に耐えきれず、操縦する竜騎兵の制止を無視してその場から逃げ出してしまった。

 一人残された竜騎兵は形勢不利と見たのか単に怖じ気づいたのか、戦わずして竜の頭をファクティム方向へ向けてしまった。

 「やったわ!」

 マヤの喜びようは、言葉こそ女言葉だったが、彼女の取ったガッツポーズには、少年と言うよりむしろやんちゃ坊主のような無邪気さがあった。







******************************

あとがき



 今回もTS小説に必須?のあのシーンを書かせていただきました。すなわち「貞操の危機」と「運命の出会い?」です(笑)。

 なお、冒頭にピムという名前の読みをローマ字で併記している箇所がありますが、これはカナで「ピム」と書くと閲覧環境によっては「ビム(Bim)」と見分けがつきにくいことを考慮して講じた措置にすぎません。Pim という綴りが今後の物語の展開上、意味を持つわけではありません。

 ではまた次章で。

AZY

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