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夏の暑さも過ぎ去り、10月を迎えた或る日、キッチンで姉が妹に料理を教えている。姉は二十歳位、妹は一見すると小学校の高学年に見える。かなりの美少女だが、今はその魅力は半減している。どうやら料理を教わるのが不満な様で少々むくれているのだ。姉妹喧嘩の始まりそうな雲行きだが…


fit…U ミィちゃんと呼ばないで
(第一話)“Fittre”再び
作:薪喬


「こらっ!ミィちゃん。またこんなに雑に材料切って、大きさも形もバラバラじゃないの」

「いいでしょ〜。どうせ食べれば同じよ」

「だ〜めッ!料理は見た目も大事なの。真面目にやるっ!私の花嫁修行の成果を全部教えるんだから。これはあなたが受け継ぐ義務があるのよ」

「いつ決まったのよ〜!?そんなのォ。ねっ、ねっ、それより一休みしない?お茶にしようよ〜。ケーキも食べたいな♪」

「甘えない!もーっ…、この娘は放っておくと甘えることばかり覚えてぇ。お姉ちゃんはあんたをそんな娘に育てた覚えはないわよ」

「覚えがある癖に…」

「なっ、何よ。そりゃ確かに最初は…、だって可愛かったから、その…」

「えーっ!過去形なのー?それじゃ今は可愛くないの?ベッドの中でも『可愛い』って抱いてくれたじゃない」

「あっ、あのねえ、他人が聞いたら誤解するような表現はしないでね」

姉は顔を赤くして少々腰が引けている。

「だって、だってぇ〜、本当の事じゃない。あたしも縫いぐるみの様に飽きられて捨てられちゃうの?ミィちゃん悲しい」

両の拳を口元に持って行くお約束のポーズで、可愛く姉に迫る妹であったが、その瞬間…

「甘いっ!!」

(パカーン!)と乾いた音…、姉の手にはアルミの手鍋。

「痛ぁー!手鍋で叩いた〜。この暴力女ぁ!」

「やかましいっ!!ベタな演技で誤魔化そうとしても騙されないわよ。私が隙を見せたら逃げるつもりだったでしょう!さあ、料理の続きよ、いらっしゃい!」

「いやだー!」

姉に抱えられてキッチンに連れ戻される妹であったが、再度の逃走を試みる。いきなり姉の首に抱きつき『お姉ちゃん、大好き』と言いながら頬にキスをした。

「えっ!?なっ、何よ」

顔を赤らめて少し照れた姉の隙に乗じて、妹は抱きかかえている姉の手を振り解き、素早く部屋から逃げ出す。そして部屋の外から、

「べ〜〜っ!」と目玉がこぼれるのではないかと思えるような盛大なアカンベーをして逃げ出していった。

「あっ、こら待て!このクソガキ!!」

姉の手にはフライパンが握られていたけど、おい、まさかそれで殴る気だったのか?

【独白】

まさかフライパンじゃ殴らないわよ。あーあ、逃げちゃった。甘えん坊でわがままで…、困った娘になっちゃったわね。取り柄は元気な事だけか…。でも今は元気でいてくれるだけで嬉しい、新しい命だからね。将来幸せになってくれればいい。

それにしても…、料理だけは絶対に覚えさせるんだから!あいつの為に修行した9年間を無駄にして堪るもんですか、今はもう亡くなったあいつの為に。

花嫁修行のつもりだったんだよ…

同じ苦労を味わって貰うからね!それじゃなきゃ私が馬鹿みたい…、じゃなくてぇ、あくまで本人の為なんだからね。
ふぅ…、それにしてもあれから1年半か、早いものね。

 

(話しは1年半程前に遡る。新学期も始まったばかりの4月の或る日)

 

【作り手のいないプログラム】

「まったくっ!PC上のファイルって放っておくと貯まる一方ね。共通データなんかサーバー上に保管しておけばいいのに…って言ってもサーバーの空きも少ないからな〜」
それにしてもHDDの容量って、いくら増やしても空き容量が足りないって不思議ね。アプリケーションとのイタチゴッコって永遠の課題かしらね。

(ぶつぶつぼやきながら日生(ひなせ)由美は大学内の研究室で書籍資料整理とPCのファイル整理を行っていた)

まあ、個人ファイルの一部はしょうがないけど…、それにしてもこのPC誰が使ってたんだろう?最近誰も使ってないけど、前は頻繁に使われていた…よね…、誰だっけ?

(その時、ふと由美の目に留まったフォルダがあった)

Yoshinoriってあるけど、あの男子かな?美紀って字で「よしのり」って読む、通称「ミキちゃん」。彼かしらね?いつもこのPC使ってたのは。…あれ?私って今なにを考えてたんだろう。そんな学生いない筈なのに。

(そう思いながらも何故か気になった由美はフォルダの中を覗こうとする)

読み取り制限か…、パスワードは何だろう?試しにYoshinori…駄目か。次はmiki_chanっと。あら、開いちゃった。簡単だったわね。中身は“Fittre”って名前のフォルダだけね。スペル間違いじゃないの?“Fitter”でしょうに。

中身は…っと。何かのソフトの操作画面を作ってたみたいね。似た様な操作画面のプログラムが並んでるけど全部未完成ね、ボタンにもリンク先の割付が無いから何の動作もしない。あらっ?一つだけ違うのがあるわね「Fittre.exe」ってなんだろう?これの操作画面を作っていたのね。クリックしても何も起きないし、これも未完成かな。

(由美は知らなかったが“Fittre”はネット上から拾われてきたプログラムの一部。その後カスタマイズされて操作画面を作られるのだが、完成された操作画面は或る事件で消失した。しかし拾われた原型は存在していたのだった。そして、その時既に“Fittre”は目覚めてPC上でプログラムが起動するのを待ち構えていた)

うーん…これ作ったのは誰だろう?消して良いやら悪いやら…。パスワードはmiki_chanねぇ…まさか通称「ミキちゃん」って男子学生…は、いない筈よね。女の子の美紀ちゃんならいるけど、あの子プログラムそのものを作るなんて出来ない筈だし…。あらっ「噂をすれば」ってやつ?いつも彼氏と一緒ね。

(由美が窓の外を眺めると、その言動から通称「大ボケ姫」と言われる美紀が通りかかるところだった。恋人を呼び止めて嬉しそうに弁当を手渡している《註:この二人は「fit…」の二人です》)

「はいっ♪コォちゃん、お弁当」

「おっ、有難いけど…、まさか今日もタコさんウインナー入れてるのか?あれは恥ずかしいんだよな〜『よっ!愛妻弁当』とか言われてさ」

「あたし嬉しいけど…」「なに?」

「あっ、なんでもないの。今日はタコさん入ってないよ。替わりにカニさん…」

「変わらないじゃないか〜」

「えーっ、だって可愛いじゃない?他にもイカさんとか考えてるんだ♪」

「そう言う事じゃないんだよな〜。ところで美紀…」

「なぁに?」

「座ったりする時スカートの裾には注意しろって言ってるよな」

「うん…?」

「やってないだろ、裾、折れたままだぞ。そのままで歩いてきたのか?」

(美紀のデニム地のミニスカートは、座った時に裾が折れたまま癖がついたのか、裾の後が捲くれ上がって、かなりきわどい状態になっていた)

「えっ?…いやーっ!!見られちゃったかも〜」

「お前な〜、今朝もミニスカートで階段を1段飛ばしで駆け上がっただろう?後から丸見えだったぞ」

「コォちゃんのえっち!」

「小学生かお前は…」

 

【妹!??】

あらら、相変わらずね。

でも美紀ちゃん可愛いな。美人なんだけど、それを鼻にかけないし、彼氏とじゃれあってるだけで幸せみたい。素直で、ちょっとそそっかしくて(…いや、ちょっとじゃないわねあの娘)。守ってあげたいとか思っちゃうんだな。

「あ〜、美紀ちゃんみたいな可愛い妹が欲しいな〜」

ちょっと可愛い弟分ならいるけどね。あっ、こんな事言うと怒られちゃうわね、彼一応恋人…なんだから。でも、中学に上がる前から彼の家の家事もやってたんで恋人って言うより弟みたいな…一つ年下だし。
前はミッちゃんって呼んでたけど最近は恋人付き合いする様になって「満夫さん」て呼ぶ様になったけど、まだ私の中では弟の様な気分なんだ。彼、お母さん似だから小さい頃は女の子みたいに可愛かったわね。女の子に生まれていたらどんな子になったんだろう?…なんか気になってきたわね。

「うふッ♪試しちゃお〜」

プログラムリストから、人体クローン製造シミュレーションで、条件〜と、全身再生、性別は女性に置き換えて…っと、男性は染色体がXYだからXXに置き換えちゃえば簡単よね。年齢15歳位がいいかな?私の高校時代の服なんか着せてみたらどんな感じかなー。

私達の親がクローン研究をしている関係でミッちゃんが遺伝子情報を提供しているし、私達も手伝いをしているんでデータのアクセス権は持ってるから、こんな時は便利♪
うん、準備完了、外見だけでも完成するのに半日は掛かるからその間に資料の整理しますか。

(“Fittre”は動作中のシミュレーションに取りついた。そして関連情報に触手を延ばす。そして数十分後)

さて、一休みしよう、以外と早く済みそうね。
…あら?シミュレーション止まってる。何か条件出しが悪かったのかな…っと。えっ?完了してるじゃないの、何でこんなに早く終わるのよ?正味20分程度で出来る訳ないけど…。まあいいか、出来あがりの画像はどうかしらね。

「エッ?あら〜、可愛いぃ〜〜ッ♪」

身長は143cm…、小学校の6年生、いや5年生くらいの身長かな?小さくて可愛い、仔猫みたい。こんな妹欲しかったのよ〜。可愛いフリルの付いたワンピース似合いそうね。エプロンドレスも良いかな〜。お尻の見えそうなミニスカートも可愛くていいかも…大きなリボンは絶対必要よね、うん。

「あ〜ん、ミッちゃん何で女の子に産まれてこなかったのよ〜。お姉ちゃんが可愛い服たくさん買ってあげられたのに〜」

(暫くの間、由美は涎でも垂らしそうな顔でモニターを眺めていた)

『ちょっとぉ!涎なんて垂らさないわよ!!…ところで、あんた誰?』(通りすがりの作者です、まあ気にしないで)

…あーぁ、お遊びはここまでにしよう、所詮は無い物ねだりだもんね。それにしても何でこんなに早くシミュレーション終わったんだろう?スパコンならともかく…って何よこれ!国内最大級の生化学研究用スパコンに接続されてるじゃないのー!

そりゃ早いわ、なんて言ってる場合じゃないよー。請求料金は幾らなの…きゃっ!0がたくさん並んでるー!緊急割り込みで割増料金?!そんなの頼んでないよ〜、どうやって払うのさ。それに遊びで使ったなんて知れたら…あわわ、どうしよう。この請求金額が0になってくれたら…

あれ?金額欄が書き込み可能に見えるのは私の気のせい?試しに0を入れて見よう、まさか0になる訳ないけど。

(瞬間、由美の頭が空白に…)

…なっちゃった…\0に。

なんで?そう言えば他の項目も全部書き込み可能になってるみたい。まさか、ねぇ…
えーい!この際よ、試しにやっちゃえ。アクセス時間0、申し込み欄も空白っと。
ありゃ?消えちゃった…。履歴も無くなってるし、何で?サーバー上にも何の痕跡も無いわね。今までの通信記録が最初から何も無かったみたいにきれいに無くなっている…

(由美は念の為接続先に問い合わせたが、その時間は一時的なシステムの過負荷で接続制限をしていた為、外部との通信は一切無かったとの回答だった)

うーん変ねぇ?まあいいか、何だか訳判らないけど危機は脱出したみたい。あとはシミュレーション結果をどうしようかな?消すのは勿体無いし、画像だけでも私のコレクションに…ん?

「今日は厄日?」

(由美の見ている画面はシミュレーションではなく、予算コードの付いた正式プロジェクトになっていた。名目はクローン製造ではなく「遺伝子治療及び身体欠損再生の為の全身治療」。そして被験者の名は)

『日生美津子』って、なによこれ?生年月日、本籍、住所…へっ?

「えー!!私の妹!?」

気持ち悪い、なんで居る筈の無い私の妹なんて設定になってるのよ?そんなの指定してないのに。それに予算コードだって、全身のクローンなんて時間と費用のかかる実験には前年度の予算請求が無ければ付かない筈よ。なんで過去に遡って予算が承認されてるの?
まさか…あっ、これも全項目書き込み可能になってる。予算コードを外すと…やっぱりね、予算コード一覧で欠番扱いに変わったわ。何でこんな事が出来るのかな?…あっ!もしかして。

(ここまで奇妙な事が重なるとさすがに由美も原因を考え始めた。そして、シミュレーションプログラムを起動する前にFittre.exeをクリックしていたのを思い出した。それ以外に余分な操作はしていない事から、どうやらこの怪しいソフトがデータベース上の情報を自由に書きかえられる様に干渉していたと推測したのだった)

犯人はこれね。他のPCで同じ事やっても同じ現象は起きないものね。どうしよう?こんな危ないソフトはすぐに捨てるべきとは思うけど、正体が全く判らないから下手に消去しようとすると何が起こるか判らないし…取りあえずネットワークから外して詳しい人に意見を聞こう。
それにしても、私の妹ねぇ…そんな設定した覚えは無いし、あのプログラムって人の心を…読む訳ないわね、何でだろう?

(この時点で由美は知らなかったが『妹の美津子』の情報は由美のパーソナルコードから関連情報を辿って抽出されたものだった。後に由美自身もこの話を知る事となる)

あーっ!もう今日は止めッ。これ以上変な事が起きたら堪らないもんね。今日はこれからミッちゃんとデートの予定だし早目に切り上げよう。
でも困ったな…あの映像見た後だし彼の顔見たら思い出しちゃうよね。どんな顔して会ったらいいんだろう?まさかシミュレーションの話なんか出来るわけもないし…

「あ〜あ、でもミッちゃんの女の子バージョンって可愛かったなー」

(この時、由美はPCをネットから切り離した為に安心したのか設定確認をしないで電源を落とした。おまけにソフトの解析も他の用事に気を取られて依頼するのをすっかり忘れてしまった、これが後に大きな意味を持つ事を知らずに。―そして5ヶ月後―)

【出た筈のないオーダー】

由美の父親である日生政信教授は、長期の海外出張から戻った時に助手から奇妙な報告を受けて首を傾げた。

「お帰りなさい教授、お留守の間に出された実験体のオーダーもうすぐ完成しますよ。でも、こんな実験体が良く審査通りましたね。名目は治療だと言っても全身でしょう?」

助手に言われて何の事だか判らずに日生教授は書類を確認したが、奇妙な表情を浮かべると研究室に向かった。数時間後、彼は同僚の坂崎教授に連絡を取っていた。顔色が少し青ざめている。

「…ああ、今日帰ってきたところだ。ところで、俺の留守の間に俺の名前を使って実験体製造のオーダーを出した奴が居る様だが、まさかお前じゃないだろうな?」

「何だ?帰るなり早々俺に喧嘩でも売る気かよ。何の話をしているのか判らんが、俺がお前の名を騙って実験のオーダーを出したなんて、何を根拠に言ってるんだ?」

「いや、済まない。ただ…な、これは由紀枝ちゃんの情報が含まれているんだ。俺達以外に知るものは俺の嫁さんしかいない筈だし、何で今頃こんな情報が浮かび上がってきたのか見当がつかないんだよ。取りあえずお前に相談しようと思ってな」

暫くの沈黙…。その事が同僚に与えたショックの大きさを物語っていた。

「…今そこに行く」短く答えて電話は切れた。

十数分後。

「何故…」と言ったきり沈黙してしまった坂崎教授と、腕組みをして考え事をしている日生教授の二人だけが[立ち入り禁止]表示を出した研究室の中で実験の『成果』を眺めていた。

「問題は誰が犯人かだな。最初にデータを見た時に被験者が日生美津子になっていたので由紀枝ちゃん絡みの話しである事は間違いないと思ったんでお前を一瞬疑ったが、良く見ると別なデータがベースになっているんだ。データ自体は加工が加えられていたが、元が何であるかは判明した。こんな悪戯をしそうで、しかもデータのアクセス権を持つ人間は俺の知る範囲では一人しかいないな」

一時間後に「犯人」は二人の前で頭を下げていた。日生教授の娘の由美である。

「ごめんなさい。私がPCを止める時プロジェクトコードが有効になっているのに気が付かないで、そのままスイッチを切っちゃったみたい。実は…」

由美は最初に変なソフトを見つけた事から全ての経緯を二人に話して謝った。話を聞いた二人はさすがに呆れた様子だったが、ある意味正体が判って安心しているのも確かだった。

「ふーん、情報を辻褄が合う様に書き換えるソフトねぇ。とにかく、そのPCは外部接続はしない方がいいな。実験は既に完成しつつあるし、今更プロジェクトコードを無効にする訳にもいかないだろう。それに、今度そのソフトを立ち上げたらどんな悪さをするか知れたもんじゃないし…おい、由美!おまえ親の話を聞かないで嬉しそうに何見てるんだ?」

「あっ…いや、あのぉ、もうすぐ完成かな〜、とか思って…ゴメンナサイ」由美は取りあえず縮こまって謝ったが視線は相変わらず別な方を向いていた。

「しょうがない奴だなぁ。それにしてもだ、これの処理をどうしようか?坂崎」日生教授は同僚に振りかえって意見を求めた。

「処理って何?」由美が不安そうな顔で話しに割り込む。

「いや、普通ならクローンは患者の身体の修復に使うものだけ認められてるけど、今回の場合は使う相手がいないじゃないか。このままでは知能の無い、ただ生きているだけの状態だし…」

「えっ!それなら殺しちゃうの?いやだよー、せっかく産まれてきたのに可愛そうじゃないの!!それに私の責任だし、なんとかならないのお父さん?!」

由美は涙を浮かべて父親に迫った。

「そうだな、実は坂崎に相談する前に情報を収集したんだが、この実験体は既に戸籍上も存在する事になっているし、しかも俺の娘としてな。廃棄したくても出来ないんで取りあえず意識不明の入院患者として扱う以外に方法は無い様だ」

「えっ!本当?良かった〜。私が面倒見るからね、何と言っても私の可愛い妹なんだから。ねー、美津子ちゃーん、お姉ちゃんがずっと一緒にいて…」

「止めんかぁッ!!」研究室に、それまで黙って事態を見守っていた坂崎教授の怒鳴り声が響いた。由美は思わず首を竦めて黙り込む。

「戸籍上存在するなら殺せば殺人になる。生かしておくしかないだろう、好きにしろ」

そう言い残し、坂崎教授はドアを蹴り開ける様にして研究室を後にした。研究室に暫くの間気まずい沈黙の時が流れる

「坂崎と父さんは、過去にクローン実験体に脳移植を試みて失敗しているんだよ。日生美津子はその時に用意した戸籍の名前なんだ」

悄然と佇む由美に父親は坂崎教授の怒りの訳を説明した。

「被験者は既に死亡していた坂崎の大切な女性でな…、私や母さんも手伝ったが結局失敗に終わったんだ。思い出させてしまった様だな。それにな、全身を作ったとは言え現時点のクローンはあくまで人体のスペア部品だ、人間にはなれない。完全なコピー人間を防ぐ為、脳に関しては身体の機能維持に必要な部分以外は削除されているんだ、最初から脳移植を前提としているからな」

「…」由美は父親の言葉にショックを受け、何も言えずただ俯いていた。

「それにしても裏ルートで入手した戸籍で、おまけに養女になっていた筈なのに、いつの間にか実子になってるじゃないか。出生証明も発行されているし、例の“Fittre”とか言ったな、そいつの仕業だろうが相当な曲者だな」

父親の声も何処か遠いところから聞こえている様に由美の頭の中には虚しく響いていた。彼女は自分自身の責任の重さを感じていた。

(私のせいだ、あの時遊び気分でシミュレーションなんかやらなければ…。脳が機能しない状態だから植物人間と同じだよね。そんな状態で生きていかなければならないなんて残酷よ。でも、これは私がした事なんだ。私がなんとかしなければ…でもどうすればいいの?)

元はと言えば「可愛い妹が欲しい」と言う由美の願望から始まった事だが、後に彼女の願望は本人が望みもしなかった事件で達成されるのだった。

 

【事故】

(数週間後、クローンの将来について解が無いままに時間だけが虚しく過ぎていた。何とかしなければとは思うのだが、由美には更なる問題が発生していた。恋人の満夫の事だった)

最近ミッちゃんと会話が少ないな、私の責任よね。会う度にクローンの事を思い出してしまうので、会話をしていてもつい上の空で曖昧な受け答えをしてしまう。彼はその雰囲気を感じとって、自分には関心が無いのかと悩み始めたみたい。決してそんな事は無いけど、今は真実を話す訳にはいかない…。かと言ってこのままミッちゃんが離れて行くなんて絶対に嫌だし、これからどうしたら良いんだろう。

でも、今日は久しぶりに食事に誘われちゃった。今日くらいはクローンの事は忘れてちょっと甘えたい気分だな。食事、何処にしようかな?道路も混雑し始めたし、あまり遠くには行けないか…。ミッちゃん、ナビ宜しくね。

それにしても前を走ってる左側のトラック、さっきからフラフラして危ないわね。積んでるのが鉄骨だけど過積載じゃないの?…えっ?!

(その瞬間、由美の目に飛び込んできたのは、バランスを失いガードレールに接触したトラックから鉄骨が落ちて来る光景、必死にブレーキを踏み込む由美だったが、間に合わず大きな衝撃を受けて一瞬意識を失う)

う、ん…ひどいショックだったわね…怪我は、打撲だけかな?体は動くし…

「ねっ、ミッちゃんは…。あっ…何よ…それ…う…そ」

(助手席を見た由美の目に入ってきた物、それは窓から飛び込んだ鉄骨が助手席に突き刺さっている光景…。助手席には満夫が座っていた、体を鉄骨で押し潰されて…。由美の視界は急速に狭まって行き、そして記憶はそこで途切れた)

 

【満夫の死、そして…】

ここ、何処?…

この部屋って…、病室か…。あっ、痛ッ、骨は…折れてないみたい、不幸中の幸いってとこかしらね。あれっ、何だろう?何か忘れて…。あっ、ああぁ!!ミッちゃん、そうよ!ミッちゃんは何処っ?!

「あっ、気が付きましたね。先生っ!患者さん意識が戻りましたぁ。…お母さんが外で待ってますから今お呼びしますね」

「そんな事よりっ!ミッちゃん…、助手席の人はどうなったんですか?!お願い、早く教えて!!」

「助手席の方はお気の毒に…、先生から詳しい説明がありますから」

おきのどく…、って何よそれ…、嫌だ、いやだよ。ミッちゃん死んじゃったの?そんなぁ…

「フィアンセの件は私が話しますから、****」

あれ?お母さんの声だ。良く聞こえないけど先生の説明を断ってるみたい、何でだろう?あっ、こっちに来る…

「由美、大丈夫?」

「お母さん!それより、ミッちゃんが!!…え?」

(由美は母親の様子に戸惑いを感じていた。先ほどのナースの言葉では満夫は亡くなったとしか思えないが、彼女の態度からは何故かその様な悲しみは感じ取れなかったからだ。そして母親は真剣な面持ちで周囲を伺う、何か他人に聞かせたくない話しでもあるように。周囲を確かめた彼女は娘に近づき耳打ちをした)

「落ち着いて聞きなさいね。後で警察の事情聴取もあるけど、その前に話しておかないとね。ミッちゃんは公式には亡くなった事になっているけど大丈夫よ。今頃お父さんと坂崎さんがミッちゃんを助けているところよ。今、ミッちゃんはお父さんたちの共同研究所にいるの。詳しい事は病院の中では言えないけど、落ち着いてね。今は二人を信じて彼の無事を祈りましょう」

え?何よ、それ、亡くなった事になっているけど実はまだ生きているって言うの?何だか判らないけどまだミッちゃん死んでいないんだ。警察の事情聴取なんて面倒な事はどうでも良いから早くミッちゃんに会いたいよ。

(病室で行われた警察の事情聴取の間も、由美の頭の中は満夫の事で一杯で質問も上の空。警察側は恋人を失ったショックで放心状態になっていると解釈して当然の事と受け止めた様だ。原因はトラックの荷物の固定の不完全な事と、過積載でバランスを崩した事によるもので、由美の過失責任は無いとの判断の為事情聴取も型通りの簡単な物だった。その後、由美は打撲以外に身体に異常が無いのを確かめると病院を強引に退院し、母親と共に満夫がいると言う研究所に向かった)

「大丈夫なの?強引に退院しちゃって。脳にも内臓にも異常は無かったけど、打撲の痛みは無くなった訳じゃないでしょう。一日くらい安静にしていたらどうなの?」

「そんな事出来ないわよ。今は一秒でも早くミッちゃんの無事を確かめたいの。それで、ミッちゃんは研究所にいるって言ってたけど何で?あの時の様子では内臓はほとんどがやられていた筈だから、臓器のクローン培養が済むまでは生命維持装置のある病院側じゃないの?何で隣の研究所なのよ」

「…行けば判るわよ」

お母さん、複雑な表情ね。実はミッちゃんの居るのが研究所と聞いて、私も思い当たる事がある。考えたくはないけど、事故の時のミッちゃんの状態は最悪、と言うより即死でも不思議ではない程の状態だった、身体の半分は潰されていたはず。それでも助かるなんて、不可能に近い。いくらクローン再生のパーツが作れるとは言えあの状態では…、とすれば結論は一つしかないわね。研究所にある物を使うしかない。そう、「あれ」を…。私も現実と向き合う心の準備をしなくては。

(程なく車は研究所に到着、中に入ると由美の父親が出迎えた)

「大変だったな由美、身体の方はいいのか?あまり無理するな…、と言っても駄目か。母さん、あの件は、由美には話したのか?」

「いえ、まだ…」

(母親は辛そうに首を振ったが、由美は既に心を決めていた)

「お父さん、言わなくても判るわ。あの状態で病院じゃなく研究所に運んだと聞けば考えられる事は一つだけ。使ったのでしょう?『あれ』を」

「判っているなら話しは早いな。手術は既に成功している。ナノマシンに依る神経の接合に時間が掛かるので、その間は脳を眠らせてあるから意識の回復はかなり先の話だが、会ってみるかね」

(由美は父の後に続く。通された部屋には満夫の父親である坂崎教授が彼女を迎えた)

「由美ちゃん体は大丈夫かね?説明は…、今更する必要も無いとは思うが、坂崎満夫は戸籍上死亡した。満夫の脳は実験用の献体として保存された事になっている。今ここにいるのは本来は存在しない命だ。言うまでもないがこの件は我々以外には絶対に知られてはいけない。あくまで君の妹として扱うしかないんだ」

(無言で頷いた由美はクローン培養装置を覗き込む。そこには脳の移植手術を終えた満夫の女性化クローンが横たわっていた)

ミッちゃん…、目を覚ましたら何て思うだろう。私を恨むかな、女の子の身体と言う名の、いくら自由に動き回れても決して脱出が出来ない檻に閉じ込められてしまったのだから…。でも、今は恨まれてもいい、元気になってさえくれれば再度のクローン再生で元の身体を取り戻せるかも知れないもの。それまでは私が支えてあげなくてはね。

ふふっ、それにしても可愛いな、まさかミッちゃんが本当に私の妹になるなんて、半年前にシミュレーションで悪戯をした時には思ってもいなかったものね。「お姉ちゃん」って呼ばれたらどんな気分かな〜。「お・ね・え・ち・ゃ・ん」って、うふふ、なんか良いかも…

「由美、なんだか嬉しそうだな、目が笑ってるぞ」

「えっ!あぁ、そんな事はないわよ、早くミッちゃん元気になってくれないかなーって…」

(そりゃ確かに元気になって欲しいだろうけどね。由美ちゃん、君の望みが叶ってしまったんだよ、満夫君をおもちゃにしようなんて考えているんじゃないだろうな)

(続く)


薪喬です。4月以来ですから忘れ去られているかと思いますが久々の投稿です。
なにしろ新年度に突入した途端に仕事で撃沈状態…、何も書く気力も無く過ごしてきましたが、最近やっと一息ついたので、再び何か書きたくなりまして今回の投稿となった次第です。しかも初めての連続物、無事に終了出来るか少々不安ではあります。(一応、全8話を予定しています)

TSっ娘が身内や恋人の女の子におもちゃにされるのは定番中の定番ですが、敢えて私流に料理するとどうなるか、試しに書いてみたくなりまして今回の「ミィちゃん…」となりました。

題名の頭にfit…Uとあります。これは以前私が「fit…」と言う作品を書いていまして、その中に謎のプログラム“Fittre”を登場させたのですが、今回は再度“Fittre”が現われて新しいドラマが始まる意味でfit…Uとしました。前作「fit…」の続編ではありません、敢えて言うなら姉妹編と言っておきましょう。2話目からはfit…Uのタイトルは外します。尚、「fit…」の登場人物の美紀ちゃんは第一話に顔見せ程度に登場させましたが、最終回に或る役割を持って登場させる予定です。

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