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黄色い闇
作:けぼ




 紅葉が山を彩り、絶好の行楽シーズンを迎えていた。
 しかし、山中宏樹はそんな美しい光景など眼中になく、ただただ彼の卒業研究のテーマを追い続けていた。
 12月には中間発表がある。それまでには何とか格好だけでも整えなくてはならない。彼は自然と時間に追われるようになっていた。
 そして、彼はこの村にやってきた。

「萌黄山で新種の蛾発見か」
 1年前の夏、港南大学生物学部の桐原教授が、萌黄山中で新種らしい蛾を発見し、写真に収めた。しかし、残念ながら捕獲することはできず、新聞にも一度小さな記事に載っただけだった。
 桐原教授は、引き続き近くの広里村に滞在し探索を続けたが、秋も深まる11月頃、萌黄山に探索に出かけたまま消息を絶ってしまった。村をあげての捜索もむなしく結局行方はしれず、蛾の話題共々、忘れられていった。
 昆虫に興味があった山中は、その筋では有名だった桐原教授の講義を受けたくて港南大に入り、努力の結果桐原ゼミで卒業研究の指導を受けることになったのに、肝心の教授が消えてしまったため研究にはちっともやる気が湧かなかった。
 そして、指導してもらえないのならせめて教授が発見したという「新種」でも探してテーマにしようと考え、広里村までやってきたのだ。

「へえ、にいちゃん、例の新種の蛾探しに来たんかえ」
 民宿の主人らしき線の細い男が、出迎えるなり口を開いた。
「蛾ぁ探すのは結構だども、例の何とか言う教授..桐原さんていうたかの、あん人みたいに騒ぎばおこさんでけろ。わしら去年の収穫シーズンだったけ、大迷惑じゃったがの」
 山中は少しムッとしたが、主人はにこやかで悪意はなさそうだった。
「まあ明るい内に山から出たらばまず大丈夫じゃけの、気を付けてな。夕飯まで少し間があるけ、そこらの散歩でも行ったらええがの」
 確かにこれから山に入るには少し時間が遅かった。彼は男の言うとおり、散歩に出かけることにした。
 奥に引っ込む主人を見ると、気のせいか妙に女っぽい気がした。

 村を歩くと、山の紅葉が見事であった。
 夕方ということもあって人通りも少なく、本当に静かな秋の夕暮れという感じだった。
 しかし山中は、どういう訳か道行く人の視線が少ないながら刺さってくるのを感じていた。確かに鉄道が通るでもなく、一本通る国道にバスが一日数本しかなく、更に民宿も一軒しかないとなれば「よそ者」という感じが強いのであろう。彼はそんな視線を受け流しながら歩いた。
 だが彼が違和感を感じたのはそんなことではなかった。
 ふと考えると、さっきから一人もいわゆる「農家の男」といった感じの人に出会わないのである。晩飯時にはまだ早いし、かといって出稼ぎシーズンでもなくむしろ収穫期で人手が要るはずであろう。
 しかし、行き会うのは女性か、男性でも線の細い、むしろ女っぽい体型の男性ばかりであった。
(自分のイメージの方が現実離れしていたのかな?)
 彼はあまり気にしないことにして、宿へ戻った。

 その夜...
 山中はふと目を覚ました。
 明日に備えて夕食後すぐ寝たのだが、明日の事を考えると深く寝入れなかったのである。
 気が付くと、何やら外に人の気配がする。彼は電気を消したまま外を覗き見た。
(....?)
 夜中だというのに夕方散歩したときより人通りが多かった。というより一方向に向かって村人が歩いていた。そして、その方向は確か、萌黄山...。
 そしてやはり、道行く人々は皆女性か「女っぽい」男だった。
(山で何かあるのだろうか?)
 時計は11時半を指している。常識ではこんな時間に集まりや何かがあるとは思えない。
 彼は、思い切って後を付けてみることにした。

 民宿はもぬけの殻だったので、別に怪しまれずに外に出ることができた。
 しかし夜中にもぬけの殻とは、この村はどうなっているのだろうなどと考えながら、山中は山の方へと歩いていった。
 道に迷ってはたまらないのでどうやら最後尾らしい村人を見失わないように、かつ気付かれないように彼は進んだ。
30分ほど歩いただろうか...
 結構山奥に来た感じがした。そしてそこで彼は、信じられない光景を見た。
 森の中の少し広場になったような場所に灯りが点けられており、その灯りの回りを、たくさんの何かが舞い飛んでいた。
(こ、これは....!)
 彼には一目でそれがあの蛾であることが分かった。しかしその大きさは写真のものより一回り、いや二回りは大きいのではないかと思われた。
 だが、それより常軌を逸した光景がそこにあった。その灯りを囲んで村人が何やら奇声を上げたり、踊ったり、不可解な行動をとっていた。
(麻薬パーティーでもしてるのか?)
 山中がそう思うほどに彼らの行動は異様で、また彼らの目はどう見ても心ここにあらずといった感じであった。
「ひゃあ、いいあん、いいあんおおいえお」
 気が付くと彼は村人に囲まれていた。奇妙な笑みを浮かべた村人に両手を引っ張られ、彼は村人達の渦の中に引っ張り込まれた。村人の手は執拗で、何度ふりほどいてもそこらじゅうから手が伸びてきた。
 灯りに近づくにつれ、何か金色に光る粉のようなものが宙を舞っているのが分かった。しかし彼にはもうどうにもできなかった。
 恐怖感は長く続かなかった。やがて全身から至福感がわき起こり、意識が遠のいていった。

 目覚ましが鳴った。
 朝7時半だった。
 よくよく見ると、そこは民宿の部屋だった。
(なんだ、夢だったのか...)
 朝食の時も別に何ら変わった事はなかった。彼は部屋に戻り、山に行くための準備を始めた。
 服がどうも埃っぽい様な気がする。夕べ「夢」の中で着ていた服だ。
(.....!)
 それは埃ではなかった。あの金色に輝く粉が、服に付着していたのだった。
(夢、じゃ、なかった...)
 村人はあの場所で何かをしていたし、彼はそこで何とも言えない至福感を味わった。そして何より「蛾」は実在したのだ。
 「蛾」という事実が、彼を動かした。
 彼は再び、萌黄山に入った。

 夕べと同じように道を通り、山に入り、あの広場へと彼はやってきた。
(夕べの灯りは何だったのだろう)
 彼は周辺を見回してみたがそれらしき物は何もなかった。しかし、彼の求めていた発見があった。
 蛾の死骸が、あたりに相当数落ちていた。そして、あの輝く粉も。粉の正体は、おそらくこの蛾の羽根から落ちる物だろうと思われた。
 不意に彼は、夕べの至福感を思い出している自分に気が付いた。夕べはこの粉が宙に舞っているのを見てからおかしくなったのだ。
 彼は誘惑に負けた。蛾の死骸から取った粉を吸い込んでみた。
 再び全身から至福感が沸き起こり、彼は夢と幻の世界に落ちていった。


(わあーい!!)
 彼は子供のように、草原を駆け回っていた。
(子羊よ)何者かが彼に呼びかけた。
(こちらにくるがよい)
 彼はこくりと頷き、その者の方に歩いていった。
(我についてくるのじゃ)
 その者は真っ赤なローブを身に纏っていた。顔を見ようと思ったが真っ黒で分からない。辛うじてローブから出た手も真っ黒で、年格好も分からなかった。
 しかし声の感じからすると、老人男性の様な気がした。
彼はよく分からないが逆らい難い気がしたので、その者に従った。
(見よ)その者が言った。
 次の瞬間、彼の視界が変わった。
 気が付くと、そこは昔遊園地で入ったミラーハウスのような空間だった。
 一つ一つの「鏡」に、様々な光景が映し出されていた。
(見よ)再びその者の声が言った。
 彼は一つの鏡を見た。それは女に振られたのか、非常に落ち込んでいる風な男が映っていた。
 彼の心に男の感情が入り込んできた。
(俺はもうダメだ。死んでしまいたい...)
 彼は慌てて隣の鏡を見た。いきなり明るい感情が彼を満たした。
(さあて、今日はどの服を着ようかしら)女が出かける服を選んでいた。
 次の鏡を見ると、サラリーマン風の男が道を歩いていた。
(毎日毎日何のために働いてんだ?俺の人生って一体...)
 彼はまた思わず目をそらして次の鏡を見た。
(ねえ、彼ったらね...)
 幸せそうな若い女が、友達とおしゃべりをしていた。
 再び彼は明るい気分になった。
 鏡は次々と現れ、彼が嫌がり目をそらした鏡は消えて行った。
やがて残った鏡に映っているのは、女ばかりになった。
 彼は、快感に貫かれていた。彼が見ているの鏡の中で、若い女が、おそらく恋人であろう若い男に抱かれていた。そして、今までにない快感が彼を襲い、思わず彼は気を失いかけた。
 気が付くと、鏡の中の女たちが、彼を見つめていた。
(ねえ、あなたもこっちの世界に来ない?)
 女たちが直接心の中に語りかけてきた。
(辛いことばかりの男なんかやめて、女の世界へいらっしゃいよ)
(女である事って素晴らしいわ...)
(ねえ、男なんかやってたって、苦しいことばかりよ)
(怖がる事なんてないわ。ねえ早く...)
(女の子になって、私たちみたいに素敵な生活したくない?)
(あなたなら綺麗な女の子になれるわ)
(ほら、何を迷っているの)
(さあ)
 鏡の中から、女たちの手が伸びてきて、彼の服を脱がせ始めた。
(ああ....)
 完全に服を脱がされ、女たちに体に触れるられると、そこからたまらない快感が沸き起こった。さらによく見ると彼の体は触れられた部分から変化していくようだった。
 既に彼は完全に鏡に囲まれており、その囲みは徐々に狭まり、そして、そこから伸びる何本もの手が彼を抱きすくめようとしていた。
(うふふふ...)
(さあ、あなたも私たちの仲間入りよ)
(全身で女になる歓びを感じなさい)
(かわいい女の子におなりなさいな)
(もう男なんかに未練はないでしょう)
(なにも恐くないのよ)
(女になるって、気持ちいいわ)
彼は完全に無抵抗になっていた。もう彼にはそこが鏡の中なのか何なのかわからなくなっていた。
 いまや彼の体には鏡の中にいた女たちが何人もまとわりついており、その不思議で気持ちのいい感覚が彼の体を徐々に女性化させていた。
身体が変化していくのが、彼にははっきり感じられた。触られ、撫でられ、頬摺りされ、キスされるごとに胸は膨らみ、腰、腕、脚は細くなめらかに、そして、股間のものは小さくなっていった。しかし、彼はもうどうでもよかった。むしろ一秒ごとに敏感になっていく体の感覚を、進んで感じ取ろうとさえしていた。
(さあ、いよいよ女になるのよ)
(ふふふふ...)
(これで、辛い男ともさよならね)
(おほほほ。本当に可愛いわ)
(準備はいいかしら)
(はい、あーん)
(はい、あーん)
 口が何かで塞がれ、生暖かい何かが中に入ってきた。と同時に、頭の中全体に溶けてゆくような快感が広がっていった。
(さあ、おんなになあれ)
(おんなになあれ)
(おんなになあれ)
(おんなになあれ)
(おんなになあれ...)
 女たちの声が詠唱のように広がっていき、彼は溶けてゆく快感に身を任せようとした。
 しかしそのとき、何かが彼の脚をつかみ、その強い力が彼を転倒させた。


 彼は我に返った。
 体中にまだあの不思議な感覚が残っていたが、彼はすぐにそれが何か理解した。
 服を脱いでしまった彼の体に、おびただしい数の蛾がたかっていた。彼は吐き気を催しながらそれをはらった。そしてそこらに脱ぎ捨ててある自分の服を着ようとして、さらに恐怖に襲われた。
 彼の脚を、骨が、正確には骨だけになった手がつかんでいた。
(醒めてしまったようじゃの。哀れなことよ)あの不思議な男の声がした。
「お前は誰だ!」
(フォッフォッフォ...せっかく特別にすぐ女にしてやろうと思ったものを)
 妖しい笑い声が遠のいていくと、別の声が聞こえた。それは、彼が聞いた覚えがあり、またずっと聞きたいと思っていた声でもあった。と同時に、彼の脚は骨から解放された。
(周りを見てみなさい)その声は彼に告げた。
 声にしたがって辺りを見回すと、そこら中の木々に、何やら白い物体がついていた。
(あの闇生物の繭だ)声が説明した。
「繭!?」彼は驚き、再び周りを見回した。
 無理もない。その「繭」はどれも彼が見たことがあるものよりも遥かに大きく、大きいものではおそらく1メートル以上はあった。
(あの蛾は本来この世界には存在しない。闇の世界にのみ存在する生物なのだ)
「しかし...」
(そうだ。何者かがこの世界に持ち込み、利用しようとしたのだ)
「利用?」
(あの生物は人の負の感情、すなわち恐怖や欲望、怒りといった感情を吸収して成長する。そしてその羽根から作り出される粉には強力な麻薬の作用があり、人間の欲望を増長させていく)
 彼はふと自分の体を見た。体中がかなり女性化していた。
(それだけではない。あの粉には人間の男を女性化させる作用がある。おそらくそれは女性の方が感情のエネルギーが大きいためだろう)
「そうやって、自分の食料を確保している...?」
(おそらくな)
「でもなぜ、それが何に利用できるというのですか」
 後ろから、別の声がした。
「お前も、そこにいる先生とやらと同じにしてやる!」
 振り向くとそこに、村人たちが、手に手に鎌や鉈、松明などを持って彼の方を睨んでいた。
「なんだって」
「お前の魂胆はわかってるぞ。夢蛾の粉を独り占めしようってんだろ」
「違う!」
「違うもんか。夢蛾の粉は我々の村のもんだ。神様が村にくれた贈り物だ。おめえらにはわたさねえ」
 繭がブクブクと音を立てて、蠢いた。村人たちの怒りの感情を、吸収しているのだろう。
「先生を、どうしたって」
「見りゃあわかるだろ。楽にしてやったのさ」
 彼は、村人が顎で指す物が何か理解した。やはりあの骸骨は、桐原教授だったのだ。
「貴様ら、よくも先生を!」彼は怒りがこみ上げてくるのを感じた。
(怒りに身を任せてはならん)声が告げた。
 その瞬間、彼には理解できた。もしこの蛾が日本中、いや世界中に解き放たれたら、どのようなことになるのか。しかし、そうだとしたら、その「何者」か、おそらくさっきの謎の男は、人類を滅ぼそうとでもしているのか...?
 しかし、現実にこの村ではこの蛾の粉のために犠牲者が出ているのだ。
(この山ごと、この闇生物を焼き払うのだ。今ならまだ間に合う。私を、成仏させてくれ。この蛾が生きている限り、私の精神は死ぬことができないらしい)
「桐原先生...」
 うわあー、と彼は村人の方に逆に襲いかかっていった。おそらく反撃など予想していなかったであろう村人側は、一瞬ひるんだ。
そのひるんだ隙に、彼は村人の一人から松明を奪うと、辺り構わず火をかけた。
折からの乾燥した天気のおかげか、火は瞬く間に燃え広がり、木々を、そして繭を焼いていった。燃えた繭の中から、半完成の巨大な蛾が転がり落ちたが、炎の中で息絶えていった。
 村人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。そして彼は、炎の中に一人、立ち尽くした。
(フォッフォッフォ、私利私欲のために殺し合いまでするとは。やはり人間など生かしておく価値もない生き物よ)
 あの謎の男の声がした。しかし彼はもう動じなかった。
「負け惜しみを言うな。この炎が闇を焼き尽くす」
 やがて炎が、彼を包み込んだ。


「萌黄山の山火事は、甲子園球場20個分の面積を焼いてようやく収まる気配を見せ始めました。なおこの山火事で....」
 テレビのニュースが告げていた。
「目が覚めたかの。それにしてもよくあの山火事の中で無事じゃったの」
「....」
「それにしてもあんた、どこの人かね。身に着けとった物も焼けたのか、なんもなくてえ、家族の人にも連絡取れんとよ。家の方も心配してんでねえけ、よう、なんとか言ってけれ、お嬢さん」
 村の駐在さんといった感じの男が一生懸命話しかけていた。それもどうも自分にらしい。ところが、自分では何を言われているのか全くわからない。
 そんなことより自分の方が聞きたいことがあった。
「あの、私は、一体、誰?」

(了)


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