戻る


紅い闇
作:けぼ



<プロローグ>

「RRRRR.....RRRRR.....ガチャ
 はい、島田です。ただいま外出しておりますので....」
 ガチャ、彼は受話器を置いた。
もう1週間以上、正確には9日間も理紗とは連絡が取れていなかった。
(急な不幸でもあって実家に帰ってるのかな)
 最初は耕平もそう思っていた。しかし几帳面な彼女のこと、もしそうならばとっくに彼に連絡があるだろう。なぜなら、連絡が取れなくなった次の日は、前々からデートの約束があったし、彼女が非常に楽しみにしていた映画を見に行くことになっていたのだ。
 おまけに学校にも現れていないとなるとこれはもう彼にしてみれば、立派な行方不明である。
 しかし、万が一億が一他の男に「騙されて」いたとすると、後で笑われるのは自分だと思い、彼はなかなか人には言えないのだった。


<1.謎の足音>

「遺伝子工学概論、今日も休講かよ」
 耕平は「ラッキー」と喜ぶ友人たちをよそに浮かない気分だった。
 後期が始まってからこの講義は毎回休講でまだ一度も講義がなかった。
 耕平にしてみれば、この講義は数少ない理紗と一緒の講義だった。成績はともかく彼女とはこの講義で知り合い、いい仲になったのだ。
彼はだんだん彼女が離れていくような気がした。
「この講師、最近何やってんの」彼はなにげに友人たちに訊いた。
「なにやら研究が忙しいんだって」友人の一人が答えた。
「研究が忙しいならわざわざ講義持たなきゃいいのに」
「でもこの人仕事で研究してる訳じゃないから講師でもしなきゃ生活できないんじゃない」
 この講義を持っている講師、大里博士は、ここの大学の教授というわけではなく、ここの大学ではこの講義だけを持つ講師だった。他にもいくつかの大学で講義を持っているらしく、この大学に来るのも週一回だった。
 しかしこの講義は面白いと評判で、またよほどのことがない限り単位がもらえたので、人気のある講義の一つだった。
「で、研究って何?」
「さあね。でもあの人昔、なんかヤバイことやって学界から追放されかけたらしいよ」
「ヤバイことって?」
「なんか、人体実験か何かしたらしいけど」
「おお!すっげー!マッドサイエンティストじゃん」
「学界への復讐とか狙ってたりして」
 皆がどっと笑った。
「でも何の研究してんだろう」
「そういえば、休み前に旅行行くとか言ってなかった」
「そんなこと言ってたっけ」
「ほら、何処とかの古代遺跡がなんとかかんとかって」
 話をすればするほど、大里博士の「正体」?は分からなくなっていった。
「結局あの人、何の博士なの?」耕平はもう一度、口に出してみた。
「何なんだろうね?」
 結局彼らの中に、大里博士の正体?を知る者はいなかった。


その夜....
 いつものように定食屋で夕飯を食べて、アパートに帰る途中、耕平は奇妙な事件を目撃した。
 女が一人、ひどく怯えたように歩道を走っていった。
(何だろう?)と彼が思う間もなく、女が走ってきた方向から、妙な格好をした三人組が現れた。
 三人組は暗い色のローブをまとい、その格好は昔話の魔法使いを思わせた。
(テレビのロケか何かか)彼はなんとなしに身を潜めた。
 やがてさっきの女が戻ってきた。というより行った先で別の三人組に見つかったようである。女はちょうど挟まれた格好になった。
 女と妙な三人組(今となっては六人か)と女の間はじりじり狭められていった。
タイミングを計っていたのか、女がガードレールを乗り越えて、通りへ出ようとした。すると突然、黒塗りのワンボックス車が女を遮るように止まった。
女は抵抗する間もなく、ワンボックスの中に押し込まれた。そして、六人は次々とローブを脱ぎ捨て、ワンボックスの中に放り込んだ。
 ローブの中から現れたのは、ぱっと見何処にでもいる感じのフツーのOL然とした女たちだった。
 六人の女たちは、そこで解散したように何処へともなく歩き去った。しかしその表情は皆一様に無表情、というか感情を感じさせない表情で、耕平は何となく恐怖を覚えた。
 最後にワンボックスが走り去っていった。そこで耕平は、目を疑った。
 ワンボックスを運転していた人間が、大里に見えたのだ。
(え!?)と思ったときにはもうワンボックスも女たちも消えていた。
耕平には何がどうなっているのか全くわからず、事件なのか何なのかも判断が付かなかった。


「RRRRR.....RRRRR.....ガチャ
 はい、島田です。ただいま外出しておりますので....」
 やはり彼女はいなかった。女が拉致されたとおぼしき現場を目撃してしまっただけに、彼は余計心配になった。
(なんか、人体実験か何かしたらしいけど)
(なにやら研究がいそがしい...)友人の言葉が頭の中をよぎった。
(もしも、もしもあれが本当に大里博士で、あの捕まった?女が研究の実験台だったとか...いやいやちょっと想像が飛躍しすぎだ)
 今時テレビでもそういうのは少ない、彼は思った。
(だいたいあの妖しい姉ちゃん集団は何だったんだ?)
 謎は深まるばかりだった。
(だいたい暗がりでぱっと見ただけで、大里博士だと断定するのもな...)
 彼は深く考えるのをやめた。
 さあて、風呂に入って寝ようかなと思いつつさっきポストに入っていたチラシを見て、彼は思わず声を上げた。
チラシには、大里博士の顔が出ていた。
”「宙の声」
 迫り来る滅びの風。
 今からでも遅くはない。
 神々に魂を捧げ、悔い改めよ
 講演会日程 ○月○日 市民会館小ホール
 大学講師 大里 博
 宗教法人 宙の声教主
      内藤 鉄
 尚、ご来場の皆様には記念品を差し上げます”
 そして彼は、「教主:内藤 鉄」の写真に非常に興味を持った。
 その姿は、鮮やかな紅いローブを身に纏った顔写真だったが、顔がまっ黒で目鼻立ちがはっきりとは分からなかった。そして、色は違えどそのローブ姿は、あの妖しい女たちを連想させた。
(どうやらワンボックスのドライバーは間違いなく大里氏だったみたいだな)
 彼は既に、「宙の声」について、カルト教団のような想像をしていた。
 しかし、大里は耕平の記憶にある限り講義で勧誘めいたことを言った事はなかった。もっとも、家に遊びにおいでと言ったことはあったが。
 その講演会の日時は、三日後だった。
(ちょっと危険かもしれないけど、行ってみよう)
 彼はそう思った。


 翌日から、彼は「宙の声」についての資料を集め始めた。
 相変わらず、理紗とは連絡が取れない。そしてさらに「遺伝子工学概論」を取っていた女子学生があと二人ほど最近見かけられなくなっていることも耳に入ってきていた。
 ちなみにその二人は、彼女と仲のいい子たちだった。
(いよいよ怪しいな)彼は思った。
 彼は「宙の声」が、カルト教団の例に漏れず人を勧誘してセミナーなどを繰り返して熱心な信者にすると、さらにその知人も半ば強引に入信させ「出家信者」に仕立てて集団生活させているのではないかと想像していた。そしてもしかしたらその中に彼女もまきこまれているのではないかと疑い始めていた。
 何よりあの晩の女性拉致事件が証拠ではないか。
 しかし、ネットやその他集められる限りの範囲で集めた「宙の声」に関する資料では、そのようなことは一切出てこなかった。
 第一に集団生活や出家する事自体がないのである。事務局はあっても教会のような物や人が多く集まれるような場所は一切持っておらず(だから市民会館なんかで講演会をしているらしい)、さらにこの手の新興宗教にありがちな「被害者の会」なども存在しない。
強いて言えば「巡礼ツアー」といって南太平洋のどこかの無人島(この宗教では聖地らしい)へ信者を無料で連れていく事があるくらいで、それが目的で入信する者もいるらしいということである。
周辺の評判は、教義が怪しいという以外は決して悪くはなく、むしろ、入信した者が親切になったり、清掃等の町内の行事に参加するようになったりと、良い評判の方が多かった。
(あの晩の出来事はこことは無関係なのか)彼の想像は揺らいできた。
(まあいいや。必ず暴いてやる...)


<2.突撃!>

 相変わらず、理紗との連絡がとれないまま、その「講演会」の日になった。
(「講演会」なんて今頃ダサイ言い方だな)耕平はそう思いながら会場へ向かった。
 会場内の人の入りは、多くも少なくもなく、むしろ彼の想像よりは多い方だった。
 受付でパンフレットをもらい、真ん中ぐらいの席に座って暫くすると、司会の挨拶の後に、大里氏の講演が始まった。
 久しぶりに見た大里氏は、何ら変わったところはないように見えた。
 講演のタイトルは、「人類とはなんぞや」であった。
 耕平は驚いた。
 その内容は、「人類は神の創った物で、その出来が良かったために神々もその中に同化し、現在に至っている」という、およそ科学者らしからぬものだったのである。
 その講演が終わると、おもむろに「教主、内藤 鉄」が現れた。彼?はあの写真そのままの紅いローブ姿で顔もあまり分からなかったが、不思議とあまり不気味な感じを受けなかった。というより宗教団体の教主としては似合いすぎている感じを受けた。
 彼?はしわがれた声で教団の教義と、その他の説法を一通りした。その内容は特に変わった物ではなく、ただ彼の言うところの「神」は、既存の神ではなく、南太平洋のとある無人島に実在する神だということだった。
 教主挨拶の後、司会が教団のシステムを説明した。これが講演会の名を借りた勧誘セミナーであることは明らかだったが、「絶対に逃がさない」というような感じは受けず、むしろ「興味のある方はどうぞ」という感じだった。
(きっと最初はみんなそうなんだ)と耕平は思いつつ帰ろうとロビーの問い合わせコーナーの前を通りかかった。
 なにげにそのコーナーの方を見て、彼は驚いた。
 あの晩、ワンボックスに押し込まれた女が、後ろの方で片づけか何かの作業をしていた。
 しかし彼女の動きにはあまり生気がなく、その表情はあの晩、彼女をワンボックスに押し込んだ女たちのように、感情を感じさせない表情で、まるで人形が作業しているようだった。
(やはり間違いない。あれは「宙の声」で、男は大里だったんだ。この人、何をされたんだろう)
 そして、彼は思い当たった。
(確か大里の家っていえばかなりの大邸宅だったよな。あそこが教団の施設だったら...)
 彼は実際に行ったことはなかったが、人伝いに大里邸の話を聞いていたところでは確か自宅を兼ねた研究所になっているはずだった。
(この際、「遊びに」行ってやるか)


 というわけで....
 耕平は大里の研究所兼自宅へ向かった。
 大学で調べた住所に従ってくると、そこはえらくへんぴな所であった。
 彼は目指す建物を発見して、またもや驚かされた。
 その建物は、市街からは少し離れた所にあった。そして、何より驚いたことに、断崖の上に建っていた。
(まるでマッドサイエンティストの家そのままのイメージだ...)
 耕平は思った。
ただ、建物自体は比較的新しいようで、近代的なイメージだった。


 耕平は、正面から入る気など全くなかった。
 彼は、暗くなるのを待って出直した。そして、建物周辺の一番塀が高いところから侵入する事にした。
塀の上から覗いたところ、建物には人気がないようだった。彼は一気に塀を乗り越えた。裏口なのかどうか、庭に出る扉に鍵はかかっていない。
(これってやっぱり犯罪だよな...)彼はそう思いながら内部に侵入した。


「おうおう、ネズミが一匹入ったようだな。ちょうどいい、生け捕りにしろ」
 大里は、研究室のモニターを見ながら、そこにいた二人の男に命令した。


 耕平は、家の中を大方見て回ったが、研究室らしい部屋は何もなかった。
(それにしても誰もいないのに鍵開けっ放しなんて不用心だな)彼は思った。
 彼は残った最後の扉をそっと開けた。するとそこは、下に降りる階段になっていた。
(なるほど。地上部分が住居で地下が研究所だったんだ)
 彼はそっと階段を下りていった。
階段を下りると、雰囲気はガラッと変わって近代的な病院のような感じになった。
 地上部分は電気がついていなかったが、地下部分は照明がつけられており、明るかった。
(げげ、この廊下じゃ隠れ場所ないぞ)
 そう思ったとたん、遠くの方から「カツ、カツ、カツ」と足音が聞こえてきた。 彼は慌てて「貯蔵庫」とある近くのちょっと大きめなドアを開けて、その中に飛び込んだ。
ホッ、として部屋の中を見ると、そこには異様な光景が広がっていた。
 彼は一瞬、SF映画の中にでも入り込んだのかと思った。部屋はかなり広く、そこには、何というか、円筒状のカプセルのような物がたくさん並んでいた。
 彼は映画で見た宇宙船の冷凍睡眠装置を思い浮かべた。それを裏付けるように、一つ一つのカプセルの中には、ドライアイスのような煙とともに裸の人間が入っていた。所々に空のカプセルもあったが、この部屋にある何十ものカプセルは、八割方中身入りだった。
彼は一つ一つ中身を見て歩いた。がっちりした男、若い細身な女など、中身は様々だったが、概ね若い者しか入っていないようだったので、若い女のカプセルを見たときなど、思わず彼は見入ってしまった。
 そうして見て歩いている内に、彼は見覚えのある顔を発見して、ぎょっとした。
(この子は確か、「遺伝子工学概論」を一緒に取っていた理紗の友達の子、確か、柴山さんっていったな)
彼女は他のカプセルの中身と変わらず一糸纏わぬ姿であったが、他の中身と違って頭に何か、コードの付いたヘアバンドのような物を着けられていた。
 彼は、知っている女の子の生気のないヌード姿を見て、思わず興奮してしまったが、その興奮はすぐに戦慄に変わった。
 近くにコード付きヘアバンドを着けられたカプセルがあと二つあった。
 恐る恐る見ると一つ目はやはり同じく理紗の友達の山田亜紀、そして二つ目は
「り、理紗...」
 彼は彼女の美しい身体をこんな形で見ることになるとは思いもよらなかった。彼女とはまだそこまで深い仲ではなかったのだ。
カプセルの中で眠っている?彼女の生気のない裸身は彼には女神像のようにさえ思えた。ただ彼女がいつも「母方の先祖代々のお守り」といって身に着けているペンダントだけが、むなしく胸に輝いている。
(畜生、どうしたら助けられるんだ...)
 彼はカプセルの周りを見回したが、この機械について何も理解できなかった。

「王子様よう、眠りの森の美女は見つかったかい」
 不意に声を掛けられて、耕平は振り向いた。
「ここのお姫様はキスだけじゃ目覚めないようだな」大里は言った。
「畜生、彼女に何しやがった!」
「見ての通り。人工冬眠と睡眠教育の効果について実験台になってもらっているのだ」
(人工冬眠!?、睡眠教育!?)
 SF用語のような単語のオンパレードに、耕平は面食らった。
「君はまだ理解していないようだね。これは現実の出来事なのだよ。人工冬眠も睡眠教育も私が完成させた。もうSFの世界の事ではないのだ」
(こいつ、狂ってるのか)耕平は本気でそう思った。
「いまその三人で実験しているのは、冷凍睡眠中に睡眠教育を施した場合どの程度効果が上がるかということだ。通常の睡眠における睡眠教育の効果については既に実証した」
「てめえ、人をなんだと思ってやがる」
「人、ここの人間は皆私の貴重なサンプルだ。もっともこの部屋の物の大半は残念ながら私の物ではないがな」
「どういうことだ?」
「この部屋に置いてあるのは大半が『宙の声』の預かり物なのだ」
(やはり...)耕平は思った。
「あの晩拉致した女も実験台にしたのか?」耕平は口に出してみた。
「...見ていたのか。だがあの娘に関しては私は関係ない。もっともこちらにくれと頼んだが内藤に断られたのだがな」
「じゃあなんで彼女は講演会の手伝いをしていたんだ?」
「内藤はあの娘を巡礼に連れていくと言っていたからな」
「巡礼?」
「それは後でゆっくりと教えてやろう。君にはやってもらうことがある」
「何だと」
 大里が合図すると、後ろから二人の男が出てきた。驚いたことに、二人は一卵性双生児のようにそっくりだった。耕平は抵抗する間もなくみぞおちに一撃を食らい、気を失った。


<3.大いなる転生>

 耕平は次に目が覚めると、別の部屋で少し変わったイスに身体を固定されていた。
 いつの間にか服は脱がされ、パンツ一丁にされていたが、彼はどうやら「人工冬眠」させられなかったようなので、少し安心した。
「おめざめのようだな。これが解るかね」
 大里は黒光りする機械を指した。
「今から君にはあそこで眠っていた島田理紗君になってもらう」
「何だって!?」
「愛しの彼女そのものになれるんだ。最高に幸せだろハッハッハ」
「ふざけるな、どういうことだ」
「ここに彼女の髪の毛が一本ある。これをこの機械に入れる」
 大里は自慢げに理紗の髪の毛を機械の一部にセットした。
「次にこのスイッチを入れる」
 スイッチをいじると、ブーンと言う音がして、機械が動き始めた。
「この生成機が髪の毛の遺伝子構造を解析し、人間一人に最適な量の遺伝子コンバート剤を生成する」
 やがて機械の一部、昔社会科見学で見たコーラ工場の瓶詰めをするような所に注射器らしき物がセットされ、中に紅い液体が充填され始めた。
「この液体がなんだか解るかね」大里の声は、新しいおもちゃを得た子供のように少しうわずっていた。
「これが私の最新の発明、遺伝子コンバート剤だ」
(こいつ、やっぱり狂ってやがる)耕平はもうほとんど呆気にとられていた。
「これを注射すると何が起こると思う?」
「そんなこと知るか!それより俺を放せ!」
 ムダとは思いつつ耕平は抵抗した。
 彼を固定したイスは、彼の動きに合わせてアームレストやフットレストが動くようになっていたので、ある程度自由な動きができたが、立ち上がったりはできないようになっていたので、端から見たらただバタバタしているようにしか見えなかった。
「おいおい、これから君の身に何が起こるか聞かないのかい」大里は微笑みを浮かべながら言った。
「これを注射すると、注射された者はこの遺伝子構造の持ち主と同じに変身する。つまりこれを君に注射すると、君はこの遺伝子構造の持ち主である島田理紗君に変身するというわけだ。彼らを見たまえ」
 大里は、さっきの二人の男を指した。
「左側がオリジナルだ。私の開発した睡眠教育のおかげで今では完全に私の忠実な僕だ。それに対して右側がダッシュだ。彼、今ではだが彼女は元は小柄な女だった。彼女を変身させたときはまだ開発途上だったのでね、記憶障害がひどかった。そこで大がかりな改良をして、実験体が欲しかった所に君が現れたのだ」
「一つ教えてくれ」耕平は尋ねた。
「何かね」
「彼女たちは何故ここにいるんだ」
「ああ、彼女たちか。あの中の一人、山田亜紀君が以前から遊びに来たがっていたので友達も連れだって来るといいと言ったら三人で来たのだ」
(そういえばあの前の日は何か友達と約束があるっていってたな)彼は思いだした。
「ちょうど実験体が欲しかったし三人とも一人暮らしというので、実験体になってもらった」
「何だと」
「彼女たちは最初はとても喜んでいた。しかし研究所内を案内して実験内容を説明する内に、三人ともえらく怖がってね。仕方なく催眠テープを聞かせて協力してもらった」
「催眠テープ...?」
「そう、私の自信作でね。聞く麻薬とでも言おうか、人間の快楽中枢に直接働きかける。聞いた人間は酔っぱらうよりいい気持ちになって、大抵のことは聞いてくれるよ」
 耕平の頭に、為す術もなく大里の意のままに操られカプセルに入れられる彼女たちの姿が浮かんだ。救われるとすれば大里が色情狂でなかったことぐらいだ。
 本当にこの男は人を研究対象としか思っていないらしい。
「この催眠テープに目をつけて『宙の声』が近づいてきた。そして彼らは私に資金提供を申し出、私は彼らに技術を提供した。人工冬眠も睡眠教育も。もっとも彼らは睡眠教育にはあまり興味を示さなかったがな。そしてこの、遺伝子コンバート剤生成機が出来上がったのだ。彼らが最も欲しがっているのがこれだ。しかしこの実験が成功すれば、もう奴らにこれを渡す必要などないハッハッハ」
「どういうことだ」
「ま、実験が成功したらゆっくり教えてやる。では始めよう」
 大里はおもむろに何かリモコンのスイッチを押した。
 ガシャ、と耕平の左腕が固定された。
「あまり暴れると他の部分も固定してしまうよ」
 大里は満面の笑みをたたえて注射器を手に近寄ってくる。
「や、やめろ!」耕平はその笑顔に、心の底から恐怖を覚えた。
 抵抗むなしく、大里は耕平の左腕に注射器を突き立てた。
「ウッ」鈍い痛みの後、紅い液体が耕平の体内に注入されていった。
「ハッハッハ、さあ、変身したまえ」
大里がリモコンのスイッチを押すと、耕平はイスから解放された。しかし、耕平は全身に脱力感を感じて、イスから崩れ落ちただけだった。
 耕平は、体の中を何かが回って行くのを実感していた。やがてそれは頭の中にも回ってきて、何か心地よい感じを与えた。
 「何か」が全身に達するのを感じるや否や、彼の身体は変化し始めた。
 まるで映画のCGによる画像処理をスローで見ているように、彼の身体は「理紗」の身体にスムーズに変身した。彼は全身が変化していくのを感じていたが、それは決して不快ではなく、むしろ心地よかった。
 やがて感覚が戻ってきた。変化が終息したようである。
「どうかね気分は、自分が誰だか判るかね」
「お、おれは、え!?」
 声が違っていた。信じたくはなかったが、大里の言ったとおり変身したらしかった。注射される前と、微妙に全身に感じる感覚が違う。そして、目に入る体の部分は、まさしく女の物だった。
「し、信じられねぇ...」高くなった声で耕平はつぶやいた。
「どうやら成功したようだな。君は宮田耕平から、島田理紗’(ダッシュ)に生まれ変わったのだ。ハハハ、これで世界は私の物だ」
 理紗’になった耕平は、なぜか反抗する元気が湧いてこなかった。
「おうおう、大人しくなったな。こいつは大成功だ。この方法では記憶などの後天的な物以外はすべてオリジナルと同じように変換される。理紗君も大人しく従順な気質の娘だったからな。三人の中で一番素直に私の言うことに従ってくれた。だからこそ彼女の細胞を選んだのだがね。フフフ、これで装置は完成だ」
 大里が「実験結果」に満足して喜んでいるうちに、理紗’すなわち耕平には別の感情がこみ上げてきた。彼女?は胸を両手で隠しつつ床にうずくまった。
「恥ずかしいのか?そうかそうか。おい、服を持ってきてやれ」
 下男?が服を持ってきた。
「それを着るが良い。オリジナルの物だからサイズは合うはずだ」
(理紗の服...)理紗’=耕平に悔しさがこみ上げてきた。が、それが抵抗する力になるまでは行かなかった。
(おいおい、理紗ってこんなに弱気な子だったっけか)彼女?は少し情けなかった。おそらく彼女も大里の狂気を目の当たりにして、あっさり抵抗する気をなくしてしまったに違いない。
しかし耕平はそんな彼女を「守ってあげたい」と思ってつきあい始めたのではなかったか。だが現実には彼女を守れなかったどころか自分まで敵の手に落ちてしまっている。理紗’=耕平はひたすら情けなかった。
 選択の余地がなかったので服を着ることにした。もちろん、だぼだぼになってしまったパンツをいつまでもはいているわけには行かないので下着も取り替えた。しかし、気が付くとそこには、初めて着ける女性の服に思わず興奮している自分がいた。
 そんな理紗’=耕平の複雑な気分を知ってか知らずか、大里はその光景を楽しんでいた。
「おお、良くお似合いではないか。我が事成就の暁にはオリジナルととも私の侍女として取り立ててやろう」
「我が事?」
「そうとも。教えてやろう。これからは私が世界を支配するのだ」
「え!」理紗’=耕平は、あまりの突拍子のなさに唖然とした。
「ちょうど2年ほど前、私は旅行先のとある島で、ある古文書を発見した。愚かな考古学者たちにくれてやるのももったいないので自分で読んだ。すると驚くべき事にその中には今までに全く未知の事柄が書かれていたのだ」
 大里は続けた。
「君にも教えてやろう。一万二千年ほど前に、この地球上には高度な文明が存在したのだ。五千年前のエジプトよりもさらに七千年も前のことだ。おそらくいわゆるムー大陸やアトランティスと呼ばれているものの事だろう。
幾たびの戦いの後、一人の女王がその恐るべき力で世界を統一し、絶対的な支配を行った。その女王は何か強大な力、今で言う超能力のもっと凄いものだろう、をもって世界に君臨した。しかし彼女が世界を統一したときには既に地球という惑星は度重なる戦いや人類文明による自然破壊により生命の危機に瀕していたのだ。
彼女を倒さねば地球を救えない思いこんだ愚かな者どもが、ある手段を使って彼女を倒した。しかしそれは逆に人類滅亡の引き金を引いたことになった。
 世界は再び欲望と憎しみが支配するようになった。やがて、空から紅い衣の予言者が現れ、人類の最後を宣告した。そして、海の底からそれがやってきた。
 それが一回目の腕を振り払うと、空は暗黒に包まれ、黒い風が吹いた。
 それが二回目の腕を振り払うと、海と山が火を噴き、煮えたぎった。
 それが三回目の腕を振り払うと、煮えたぎった海が立ち上がり、陸を飲んだ。
人々は悔い改め、太陽と大地に祈った。祈りを捧げた人々が、大津波に飲まれたとき、奇跡が起こった。
 それの頭上の空が裂け、奇跡の光が降り注いだ。
 それは何日間か太陽と睨み合ったが、やがて海に帰り、再び深い眠りについた。
 紅い衣の予言者は、それの再来の予言を残して、空に帰った。
 人類はすべての文明を失い、自然に帰った」
 大里が読み上げる古代のカタストロフィに、理紗’=耕平は聞き入っていた。
「どういうことか判るかね。そうとも、紅い衣の予言者こそ、『宙の声』の教主、内藤に他ならないのだ。そして、奴がいう神こそ、この記述にある”それ”に違いないのだ。おそらく”それ”は南太平洋に封印されている。奴は巡礼と称して信者、実際には若い女の信者のみを連れて行っている。そして巡礼から戻った娘たちはすべて、一切の感情を失い内藤の人形となって働いている。
 ここにある”それ”についての記述を読み上げよう。
 それは人が遥かに見上げる大きさで、その形は見る者すべてに絶対的な恐怖を与えた。
 それは人々の恐怖すべてを飲み込むと、予言者に頷いた。そして予言者は言った、神に心を捧げ悔い改めよと。
 この記述がすべてを物語っているのだ。娘たちは生け贄にされ、感情を吸い取られているに違いない。おそらく復活のために感情エネルギーが大量に必要なのだ。
奴らがこの装置を欲したのは他でもない、宗教をかたる以上信者は選べない。女性信者が増えればそれに男性信者が付いてくるのが現代の道理だ。女性信者に比べて感情エネルギーの小さい男性信者も、この装置を使えばより大きな感情エネルギーをもった女性に転換できる。つまりより効率的に感情エネルギーを集めるためにこの装置を使おうとしているのだ」
 理紗’=耕平には大里が実は良い人間なのか、悪い人間なのか、それともただの妄想狂なのか判らなくなっていた。しかし妄想にしては辻褄が合いすぎている。
「なんとしてでも奴の企てを防がねばならぬ。そのためには人類全体を正しく導く存在が必要なのだ。人類全体が正しい道を歩めば、奴らなど恐るるにたらん。
 私が発見したのは古文書だけではない。もっと偉大な物だ」
 そういい放つと大里は大事そうに何かを出した。
「古文書のあった洞窟の奥でついに発見した。これが、偉大なる支配者、女王アニタの骨だ」
 理紗’=耕平には大里が考えていることが解ったような気がした。
「君のおかげでこの機械の効果を確かめることができた。フッフッフ、これから私は女王アニタの化身に変身し、世界を支配し人類を正しい方向へ導く。そして未来永劫、人類は私の元に跪き、繁栄の道を歩むのだ」
(人を単なる研究対象としか見ない奴が、人類を正しい方向に導けるか)
 理紗’=耕平は思った。しかし大里の目は既に常人のそれではなく、自分の野望成就に手が届きかけている男の狂気に満ちた目であった。
 それが人類を救うなどと思いこんでいるのがさらに質が悪かった。
大里は早速機械の操作を始めていた。その隙に理紗’=耕平は研究室から逃げだそうとしたが、ただ一つあるドアの前には、あの下男及び下男’が立ちはだかっていた。それを見た瞬間、理紗’=耕平は逃げようとする勇気が失せていくのを感じた。
(おい、弱虫、何とかしろよ...)しかし耕平だった記憶をもってしても、力を奮い立たせることはできなかった。
 大里の言うとおり、完全に理紗のおとなしい、素直で従順な気質に変換されてしまったらしい。
「おいおい、あまり邪魔をするようだと、君もオリジナルのように人工冬眠してもらうよ」大里の一言に、理紗’=耕平の気力は完全に失せた。
「さあ、見ていてくれたまえ。私の大いなる転生を」
 大里は生成された紅い液体の入った注射器を、満面の狂った笑みをたたえて自らの左腕に突き立てた。そして、その液体を自分の体内に一気に注入した。
「ハッハッハッハッハ。力を、力を感じるぞ。ハッハッハッハッハ...」
 しかし大里の狂喜の笑い声は、不意に恐怖と苦痛に満ちたものに変わった。
「ウオ、ウ、な、なんということだ、ウ、ア、ア、ア....」
 理紗’=耕平には、何がどうなっているのか全くわからなかった。大里の苦痛にゆがんだ顔が変化しはじめ、そして、その苦痛に満ちた表情に再び変化が現れた。
「フフフフフ、ホホホホホ、ハハハハハ、アーハッハッハッハッハ!」
 苦痛に満ちた顔が歓びをたたえた美しい女の顔に変わり、苦痛にゆがんだ叫びはヒステリックな高笑いに変わった。
 そして、理紗’=耕平は、そこに立ち上がった女の姿を見た。その姿は美しく、いや、完全無欠の究極の美しささえ感じさせた。しかし、その美しさは同時に、この世のものとは思えぬ恐るべき冷たさを持っていた。
 理紗’=耕平は、戦慄を感じた。おそらく本能的に。
 女が口を開いた。
「我蘇れり。わらわこそ、人類の支配者。力、そして死の女王アニタなり」
女は、冷たい視線を理紗’=耕平に向けた。
「そなたは、美しい。わらわに仕えるが良い」
「お、大里博士...?」理紗’=耕平はやっとの事で声を出したが、こんな単語しかでてこなかった。
「大里?ほう、あの者の意識は既にわらわが体内にて消滅した。あの者の功績は大きい。わらわを創りし者も滅ぼした者もこのようにわらわが復活するとは思いも寄らなかったであろうのう」
「あなたは一体...」
「わらわは創造主によって創り出された究極の存在。あらゆる遺伝子と、森羅万象のあらゆる力、そして創造主の念じたすべての怒り、憎しみ、哀しみ、そして恐怖を吸収し、それらを司る女王。わらわこそ、すべての始まりにして終わり、力と死の女王アニタなり」
 そう答えると、アニタは恐れおののく下男二人組に冷たい視線を向けた。
「そなたたちは醜い。美しくない者は消えよ」
 アニタの右手が彼らに向けられた。そしてその先から冷たい光が迸った。
 理紗’=耕平は目を背けた。「ジュ!」という音がして、再びそちらを見たときには、彼らがいたところには煙が漂っているだけだった。
「ひどい、ひどすぎる...」アニタは明らかに自分の好みで人間を選別しているように見えた。しかし理紗’=耕平にはそれ以上反論する勇気が湧いてこず、ただ思いも寄らぬ事に涙が流れてきただけだった。
流れる涙が頬を伝ったとき、不思議なことが起こった。
 今まで恐れおののくだけだった理紗’=耕平の意識の中に、何かが語りかけた。
(恐れてはならない。アニタを倒すのは我が使命。我が血を引く者よ、立ち上がるのです)


 「貯蔵室」の一角で、彼女は目を覚ました。
 煩わしいコード類を頭から外し、目の前にある透明な蓋を簡単に押し上げて彼女は立ち上がった。そして明らかな意志を持った足取りで、歩き始めた。


<4.新世界>

「世界はすぐにわらわの前に跪く。そこで大人しく我が覇業を見ておるのじゃ」
 アニタは、研究室のコンピューターに両手を一体化させていた。
 世界中のネットワークに繋がれたあらゆるコンピューターに侵入し、自らの力を世界に示した後、彼女にとって「不要」な人間を軍事関係のコンピューター等を使って粛正し、その後、恐怖により世界を支配するつもりなのだ。
すでに理紗’=耕平はこの方法がいかに効果的か理解していた。実際にさっきの下男たちのことを目の当たりにして、ここで何らかの妨害活動を行う勇気は湧いては来なかった。
 もっとも、今でこそ「理紗’」なので何もできなかったが、何せこの研究所に乗り込んだぐらいである。もし耕平のままだったらとっくに「粛正」されていたかもしれない。ほんの一瞬、アニタが手をこちらへ向ければ、自分は消滅してしまうのだ。
(大里は間違っていた。こいつは世界を正しく導いたりはしない。どちらにしろ人類を滅ぼすことになっていただろう)理紗’=耕平は思った。
(その通り)再び声が聞こえた。この声が聞こえてから、不思議と落ち着くようになっていた。
(え!?)
(私はラミ。アニタが復活せし時、再び滅ぼすためにサリュウの血を引くあなたにメッセージを与えるように遺伝子に組み込まれたプログラム)
(アニタを滅ぼす?)
(そう。アナジンが創りし究極の生体兵器アニタは、あらゆる遺伝子を合わせて創られた。そしてその創生時においてアナジンのすべての悪しき感情を吸収し、自らの意志を持つに至った。その意志とは、全ての所有、全ての支配、そして全ての破壊)
(全ての破壊...)
(アナジンは、自ら創ったアニタに滅ぼされた。アナジンの弟アナワンは、アニタを滅しうる最後の力、希望の刃をアニタに仕えさせられた娘サリュウに託した)
(希望の刃?)
(希望の刃を使えるのはサリュウの血を引く娘のみ。サリュウは希望の刃を使いアニタを辛うじて滅ぼした。そして未来の子孫たちを守るため、アナワンはサリュウの遺伝子にこのプログラムを組み込んだ。アニタの波動を感じたとき、私は目覚め、アニタを倒すべくメッセージを送る)
(でも、その希望の刃って...何処にあるんだ?)


「アーハッハッハ。世界中の電子計算機を押さえたわ。これで世界はわらわのもの。さあ、わらわの前に跪くのよ!」アニタの高笑いが響いた。
「そうはさせないわ!」不意に研究室のドアが開かれた。
 理紗’=耕平も、アニタも、思わずドアの方を振り向いて、あまりのまぶしさに手をかざした。
「我こそはサリュウの血を引く者なり。大いなる使命を帯びて、今ここに希望の刃を受け継がん」
「理紗!」そこには、理紗が、一糸纏わぬ美しい姿のまま立ちつくしていた。
 彼女の胸には「母方の先祖代々のお守り」であるペンダントが、まばゆいばかりに輝いていた。彼女が両手で握ると、光が広がり、ペンダントヘッドが短刀の形になった。
「我が先祖アナジンの悪しき遺産アニタよ、今ここに大いなる裁きを受けるが良い」
 理紗は「希望の刃」を構えて突進し、アニタを刺した、かに見えた。
「ああー!」次の瞬間、理紗ははじき飛ばされていた。
「アーハッハッハ!それしきの力でわらわを倒せると思ってか。一万二千年分の恨みがわらわをより強力にしたのじゃ。もはやわらわを倒せる者など存在しない」
 アニタは両手を理紗の方に向け、冷たい光をほとばしらせた。
「理紗ぁー!」理紗’=耕平が叫ぶ。理紗は希望の刃を使って何とか受け止めていた。しかしだんだんと押されていく。
(今のこの身体は、理紗と同じはずだよな...ならば)耕平だった記憶が、勇気をやっと呼び覚ました。
 理紗’=耕平は理紗の方へ駆け寄り、その両手で理紗の、希望の刃を握った両手を包み込んだ。
「暖かい...」理紗がつぶやく。
「ごめんよ、遅くなって...」理紗’=耕平が言った。
 理紗はその一言で、この自分と同じ顔をした者が誰なのか理解した。
「大好きよ。耕平君...」
 攻撃がやんだ。
「オーホッホッホ!せっかく揃ってわらわの侍女に取り立ててやろうと思ったのに、心中を選ぶとはねぇ。ご希望通りに地獄へ堕ちるがよい」
 アニタが再び両手を向けた。しかし、二人はその両手で希望の刃を握りしめ、恐れず立ち上がった。
 二人は声を合わせて、口から無意識に流れ出る言葉を唱えた。
「母なる地球よ、そして太陽よ、今あなたが子である我らに貸し給え、愛という名の大いなる力を!」
 二人は真っ直ぐアニタの方を見据えて、一歩一歩確実に前進していった。
希望の刃が、輝きを増して行く。
「何!」アニタの放った光線は、ことごとく跳ね返され研究室を破壊していった。
数瞬後、希望の刃がアニタの胸を貫いていた。
「ウゥ!」アニタの動きが止まった。
 アニタの胸から、黒い炎がたちのぼり、アニタの身体を包んだ。炎の中、アニタの美しい姿から冷たさが消えていった。
 アニタの顔から、恐ろしく冷たい笑いが消えて、そこに暖かい微笑みと、涙が溢れた。
「あ、り、が、と、う...」崩れ落ちるアニタの口から、その言葉は出た。
「あなたは知らなかったのよね、アニタ。人間の負の感情しか持つことができなかった可哀相な生命。そう、これが愛よ。アナジンが、そしてアナワンがあなたに与えようとして叶わなかったもの」理紗は泣いていた。
「おとう、さまに、あい、に、いく、わ」アニタは安らぎの表情を浮かべ、目を閉じた。
 黒い炎が消えるとともに、アニタの美しい身体は、砂の城が崩れて行くかのように塵と化していった。


 バン!バン!何かがはじける音で二人は我に返った。アニタの光線によって研究室はめちゃくちゃに破壊されていたのだ。
 室内のそこらじゅうから火花が散って、所によっては火を噴いているところもあった。
 火花を散らせている物の中には、あの「遺伝子コンバート剤生成器」もあった。
(もう元には戻れないのか...)理紗’=耕平は思ったが、「宙の声」に渡すよりは良かったのかもしれないと自分を半ば強引に納得させた。だがそれは、理紗の気質と女性が持つ現実的な適応力の高さの賜物だったのかもしれない。
 それよりも、研究室の破壊はさらに進行しつつあった。
 アニタの光線がそれほどまでに強力だったのか、それとも何か他の力が働いているのか、不気味な振動とともに破壊は拡大し、建物全体に拡がりつつあった。
 理紗’=耕平は理紗の手を引き、建物から脱出する事にした。
 状況は思ったよりも悪かった。すでに廊下のあちこちも火を噴いたり、天井が落ちかかったりしていた。慣れないロングスカートが、脚にからみつく。
「女の子ってどうしてこんな動きづらい格好するんだ!」
「それがおしゃれなの」
「でも邪魔だよ、これ」
「じゃあ返してよ、私のなんだから」
(そういえば理紗は裸だったっけ)理紗’=耕平は思ったが、もちろんそんな悠長な事をしている暇はない。
 途中で「貯蔵室」の前を通ったが、既に扉はつぶれかかっており、中を確認することはできなかった。理紗’=耕平は強引に立ち止まる理紗の手を引っ張った。二人が地下からの階段を上り切ったところで、階段の地下側の入口の天井が落ちた。
「危機一髪!」
「安心してる場合じゃないわ」理紗は、半分べそをかいていた。
 不気味な振動はさらに大きくなっていた。
 建物の外に出てもそれは変わらなかった。崩れかかった門の前に、あの黒いワンボックスが置いてある。運良くキーが付いていた。エンジンをかける。
「理紗!急いで!」
「でも...」おそらく理紗は、友達のことをまだ気にしているのだろう。一瞬乗るのをためらっていた。
「早く!」
 理紗は渋々車に乗った。
「つかまって!」
 理紗’=耕平はアクセルを一気に踏み込み、崩れかけ半分開いた門を突破した。
 暫く走ると振動を感じなくなったので、二人は車を止めて大里邸の方を見た。
スローモーションのように、大里邸が断崖ごと崩れていく。まさに危機一髪だった。
「陽子ちゃん...亜紀ちゃん...」理紗は友達のために泣いていた。
 裸のまま涙を流す彼女は美しかった。しかし、理紗’=耕平はその姿を見てももう美しいと思う以外の感情を持てない自分に気付いていた。
(もう僕は男じゃないんだ...)理紗’は、車の後ろにあったローブを理紗の肩から掛けて、優しく抱いてやった。しかしそこには、愛する女性を受け止める男性としての感情はなかった。
「フォッフォッフォ」空に響いた不敵な、しわがれた笑い声が、そんな二人の感傷を吹き飛ばした。
 理紗’には、誰の声だか解った。
「なんとまあ、大里めを始末した上まんまと逃げおおせるとはのう。まあよい。いずれそなたたちもただの人形にしてくれるゆえ、せいぜい覚悟して待っておれフォッフォッフォ...」
 大里邸があったあたりから、巨大な陽炎のような何かが飛び去って行くのが見えた。
「今の、何?」
 震える理紗に理紗’は答えた。
「気にしないで。さあ、帰ろう」
 理紗は、コクン、と頷いた。しかし彼女は、次の瞬間何かを思い出したように振り向いた。
「帰ろうって、そういえば家の鍵持ってる?バッグの中だと思うんだけど」理紗が突如、超現実的なことを聞いた。
「あ、あの下だ...」理紗’は、崩れた断崖の下を眺めた。理紗の服は着たものの、バッグまでは持っていない。
「あーん、あのバッグお気に入りだったのに..。まあいいわ。鍵は大家さんに借りましょ」理紗はあっさり言い放った。
(なんて切り替えが早いんだ...)理紗’は思った。
 しかし理紗’は気付いていた。この姿では、理紗の合い鍵は借りれても、耕平の合い鍵は絶対借りられないことを。


<エピローグ>

「じゃん、けん、ぽん!勝ったぁー!私今日休みぃー!」
「えーまた私...」
「仕方ないでしょ。そう決めたんだから。じゃ、いってらっしゃーい」
 また今日も理紗’がアルバイトに行く事になった。あれ以来、二人は一緒に暮らしている。ご近所以外には二人とも「島田理紗」で通している。
 同じ人間が二人ということで、一日に二つの用事を足す事ができるので、二人はいつも、ジャンケンで足す用事を決めていた。
 理紗’はこれで七連敗。昨日は学校があったからともかく、今日は学校が休みなので出かけるのは自分一人。割に合わない。
 今ではもう耕平だった事は記憶の一部でしかないぐらいになっている。もっとも理紗は今でも「こうちゃん」と呼んではいるが、もうそんなことはどうでもよかった。
(男って馬鹿よね、女の実態知らなすぎるわ。でもこんなちゃっかり者だって知ってたら、つきあってなんかくれないわよね。それに騙されてた私って一体...)と思ったりするようになっている。すれ違う男の子が振り向く。一瞬の快感。
 ちなみに女になった自分の目から見ても、「耕平」って結構格好良かったかな、とも最近思ったりしている。女心は難しい。自分でも分からない。
「おはようございます!」
「おはよう。理紗ちゃん、今日も頼むよ」結構格好良い主任が笑顔を向ける。
「はーい」うふ、女の子って、楽しい。
「いらっしゃいませ」と、今日も仕方なくバイトに励む。
 この店、仕事してても外が見えるから、ま、いいか、なんて思う。
 その外の通りを、女が二人歩いていった。
「え....」理紗’は一瞬、心臓が止まるかと思った。
間違いない、山田亜紀と柴山陽子だった。二人とも、ぴったり合わせたような足取りで足早に歩いていった。
 あの、感情を感じさせない表情で。
(了)


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
あとがきにかえて
 どうも最後までごらん頂きましてありがとうございます。
「紅い闇」です。一応シリーズ物なので「闇」を付けましたがタイトルにはあまり意味はありません。
 ちなみに「赤い」だと山口百恵さんになってしまうので、「紅い」にしました。

ちなみに「黄色い闇」について
 この話、全然黄色くないんです。「蛾」の粉も金色だったし。
 それにこの話だけならわざわざ「女性化」する必要もないんですよね。でも秋だし、紅葉をイメージして創ってみました。
 最後に中川氏の記憶を消したのは、「闇」との戦いに際してあまりにもあっさり勝利してしまったもので、中川氏にもそれ相応の報いを受けて頂くべく自分のアイデンティティ全てを失っていただきました(性も含めて)。
たぶん内藤さんの仕業じゃないでしょうか。萌えないのもいまいち盛り上がりに欠けるのもみんな内藤さんのせいにしときます。
 この話が一応、あくまでも一応序章になります。

「紅い闇」について
 たぶん皆様分かってらっしゃる方も多いと思いますが、この「闇」シリーズはあの「クトゥルフ神話」をモチーフさせてもらってます。(けっこうだいそれてるかも)
 さらにもうばれているかと思いますが、私は特撮変身ヒーロー物の大ファンでありまして、無理矢理改造されたり洗脳されたりというシチュエーションが大好きなんです。特に性別の改造なんて、こんなにファンタスティックな変身他にないじゃないですか。この話もヒーローが助けに来ないで済んだのは奇跡みたいなものです(本当は出そうでたまらなかった)。
 もともと「ムー帝国を滅ぼした邪神が現代に蘇り、ムーの血を引く五人の戦士と戦う」という設定の戦隊ものをその昔書いてみようと思った事がありまして(もちろん挫折)、いつかはこの設定使ってみようと思っていたので、出来と萌え度はともあれ心のこりだったことが一つ解決しつつあります(まだ完結しないので)。
 次の話がどうなるのか、そもそもあるのかどうか、まだ分かりません。
 厳しいご感想お待ちしております。

 というわけで、さいごまでおつきあいいただきありがとうございました。
 いつもながら自分の表現力と構想とのギャップに苛ついております。
 それでは

 けぼ



戻る


□ 感想はこちらに □