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りぼんの明日
作:けぼ



 その封筒は、他の郵便物と同じように何の変哲もなく送付されてきた。
 「国立人口開発センター」と書かれた封筒には、章弘の名前が明記されており、中には俗に”赤紙”と呼ばれる「出頭カード」が、丁寧にこれまた章弘の個人データが生年月日から裏面には出生病院まで記された履歴付きで入っていた。
 政府が、下がり続ける出生率に歯止めをかけ、環境ホルモン問題や公害で大きく崩れた性別の男女比を修正するためにこの政策を実施して久しいが、出生率は若干の上昇に転じたものの10〜20代の男女比は、いまだ7:3といったところで女性の倍男性がいるのだった。しかし、そんなことは自分に関係ないといわんばかりに青春を謳歌する章弘は、どこにでもいる20歳の「男の子」だった。


 数十年前・・・・
 その日、この国の国会は強行採決によってある法案を可決した。
 「国家再生法」。これは、出生率の低下や同年齢人口における男女比の著しい崩壊という事態を打開すべく作られた法案であった。このころこの国では女性の社会進出に対する国家的認識不足や経済的な理由による出生率の低下は危機的状況を迎え、さらに「環境ホルモン公害」という国家の存亡に関わる事態が発生していた。これは初め、人間の精子数の減少という状況によって現れたため、各界の徹底調査によって「メス化」する物質の特定と除去が行われた。しかし愚かなことにメス化物質を浄化すべく投入された浄化剤の副作用で、生まれてくる子供の実に9割が男の子であるという状況が出現してしまったのである。この国家的危機により、「国家再生法」が出現する。
 その内容は「女性の社会進出と育児の両立を計る」「出産家庭への公的援助」等出生率に関してはそれなりに賛同を得られるものであったが、男女比対策として「男女産み分けの奨励」「性転換手術の奨励」等といった医学倫理に関わるものであった。国会は紛糾し、周囲はデモ隊が取り巻くという状況のなかバイオ系産業の支持を得た与党は、強行採決によりこの法案を可決する。そして同時に暴動一歩手前の状況を逆手に取り一方的に戒厳令を布告、反対分子を次々と逮捕・投獄し強力な独裁政権を作り上げていった。
 「奨励」が事実上の「強制」に変わるまで時間はかからなかった。
 1年後、「男女産み分け」の技術的失敗(3割程度しか成功しなかった)と性転換技術の飛躍的向上により、「国家再生法」の一部修正が行われた。すなわち「18歳以上の定職を持たぬ男性は女性に転換し国家の再生に貢献すべし」といういわゆる「性転換法」である。この結果全国各地に「人口開発センター」が増設され、望むと望まざるとにかかわらず「非生産的」な男性は”赤紙”によって出頭命令を受け、女性化され子供を「生産」する義務を負わされ現在に至ることとなる。


 その封筒を開けたとき、幸江はそれがなんであるか理解していなかった。が、内容を確かめるにつれて、彼女は言い表せない恐怖を覚えた。
 「弟が女にされる」ということは、今まで考えないでもなかった。がそれはあくまでもただ毎日ブラブラ遊び回っている章弘を叱る時の常套句でしかなかった。実際今まで噂で「どこどこのだれそれはセンターにつれていかれた」程度のことしか聞いたことのない彼女は、実際”赤紙”を見るのも初めてだったのである。が、じっさいに自分の弟がその運命になろうとは思っても見なかった。
 彼女は別に政治に興味がある訳ではなかった。しかし政府に対する言い表せない恐怖感は確かにあった。それはこの時代の人間は誰も同じである。彼女にとっては「センターに連れていかれる」ことよりむしろ「逮捕される」ことの方がずっと身近だったのだ。
 まだ父がいた頃、父は一度酔った勢いで大声で政府批判をしてしまい、逮捕されひどい格好で帰ってきたことがあった。その時の恐怖が、彼女の中で鮮烈に蘇っていた。


 電話が鳴った。相手の男は短く「センターです」と名乗った。
「ご家族の方でらっしゃいますか」
「はい」
「お宅の章弘さんに出頭命令が下りました。3日後の18時までに最寄りの○○センターまで出頭させて下さい」
「弟はどうなるのですか」
「最新の完全性転換プログラムで健康な女性に生まれ変わり、幸せな結婚をして幸せな出産をし、国家に貢献するのです。なお出頭なさらない場合は」
「出頭しない場合は?」
「法律に基づき弟さんは逮捕され、予備教育をした後センターに送られます。この場合ご家族の方の引き取りはできません。また家族の方も逮捕されることになります。大丈夫ですよ、ちゃんと出頭すれば転換後にご家族の方で引き取っていただきリハビリができるほか、奨励金も出ます。できればご家族の方も一緒に御出頭下さい。このプログラムのきちんとした説明をさせていただきますし、何しろ男性としての章弘さんに会えるのは最後になりますからね。こちらの方の準備はすべて整っておりますのでいつでもよろしいですよ。では、お待ちしております。」
 電話は一方的に切れた。
 彼女は、恐怖のあまりもうどうしたらいいか分からなくなっていた。


「そういうことなの」
 3日目の朝食後、幸江はようやく決心し弟にそのことを告げた。
「今日の晩六時までに出頭しろという命令なの」
「姉さんはいつから政府の犬になったんだい」
 章弘は、思いの外冷静だった。
「遊び仲間が次々やられて、いつかは来るなと思ってたけど、姉さんからそう言われるとは思わなかったよ。仲間たちが戻ってきた後、みんな大人しくて行儀の良いお嬢ちゃんに変わっちまってるのを見ていつもぶん殴ってやりたかったよ。奴らみんな帰ってきてから口をそろえていいやがる。やれ早く仕事を見つけた方がよいですわ、だの私女になれて本当に幸せだわ、だの。俺と一緒にそいつらに悪態をついてた奴が、捕まって帰ってくると同じような女になっちまってる。きっと奴らみんなセンターで頭ん中まで変えられちまってるんだ。こんなことが許されるのか?少なくとも俺は許さないね。姉さんには悪いけど俺は逃げるぜ」
 幸江はうつむいて聞いているしかなかった。章弘は席を立ったが玄関まで行くことすらできなかった。朝食に入れた睡眠薬が効いたのだ。
「ごめんなさい章弘。あなたがそう言うのは分かってた。でも、父さんのようにはしたくなかったの...」
 彼女は電話をダイヤルした。
「○○センターですが」オペレーターが出る。珍しく女だ。
「搬送を...」
「かしこまりました。出頭カードの番号をどうぞ」
 彼女は番号を告げると、へたりこんだ。
 程なく、黒塗りのワンボックス車が現れ、章弘を収容した。
 彼女は同行を求められ、それに従った。

 彼女たちの父親は、二度目の逮捕をされた時から戻っていなかった。


 センターは以外と近かった。
 きれいな外見とは裏腹に外壁には冷たさが漂い、まるで刑務所のようだった。 「国立人口開発センター」と書かれた何の変哲もない門からワンボックス車は進入した。この車を見ても、知らなくては誰もセンターの車とは思うまい。幸江はぼんやりそんなことを考えながら外を眺めていた。
「到着です。降りて下さい」
促されて彼女は車を降りた。男が数人現れ、てきぱきと章弘をストレッチャーに載せると彼女が追う間もなく「検査棟」の方へ運んでいった。
 続いて白衣姿の女が現れた。
「ご家族の方でしょうか?」
「はい」
「本日は大変ご苦労様です。失礼ですが睡眠薬か何かを使われましたか?」
「はい」
「失礼しました。よくあることですのでどうかご心配なさらないで下さい。私どもとしましてはそれを確認した方が検査がスムーズにすすみますので」
「検査?」
「ここに来られた方にはまず簡単な身体検査と脳波チェック、催眠テストを受けていただきます。そして異状がなければプログラムが開始され、約5〜6週間で健康な女性に生まれ変わるのです。また、検査結果は第2段階のカウンセリング時の重要なデータになります」
 マニュアルを棒読みするように女は説明した。
「こちらへ」
 女は幸江を別の部屋に案内した。
 幸江が通された部屋は、町医者の診察室のような部屋であった。その中に応接セットが無造作においてあり、そこに座って待つように告げると、女は部屋を出ていった。
 部屋の壁にはたくさんのパネルが貼ってあった。その多くは、なにやらグラフのかかれた資料的なものであり残りは性転換プログラムを受けている最中と思われる女性化しつつある男性の全裸写真であった。よく見るとそれは順を追うに従って女性化が進んでおり、最後の一枚はどう見ても一枚目の男性とは同一人物と思えぬ完全な女性の写真であった。
 (章弘もこうなってしまうのかしら)
 彼女は少なからず衝撃を受けたまま、座り込んでいた。


 やがて医師とおぼしき中年の男が入ってきた。
「どうも。本日は本当にご苦労様です。いやあ、ご家族の方が一緒でほんとに良かった。もちろんプログラム後の身元引き受けもして頂けるんでしょうな?」
「はい」幸江ははっきりと頷いた。
「おお、本当に良かった。それが本人のためにはなにより一番です。それでは早速ですがこのプログラムのご説明をさせていただきます」
 医師は、何枚かの資料を応接テーブルに広げて「国家再生法指定・MtF完全性転換プログラム」の説明をはじめた。
「まず外科治療で睾丸を摘出します。そしてDNAホルモン剤を投与して染色体の変換を行います。これは一種のDNA治療で、男性のXYであった染色体が徐々にXXに変換されいままで体内にあった男性ホルモンの受容体を女性ホルモンの受容体に変質していきます。さらに爆発的な女性ホルモンの分泌を促すことによってわざわざ女性ホルモンを投与をしなくても3日ほどで身体の女性化が始まり、1ヶ月程で完全に女性的な肉体に変化させます。ここまでが第1段階ですがこの間は周囲の影響はもちろん本人のストレスを最小に抑えるために隔離病棟に入院していただきます。」
 担当の医師は表情すら変えずに続けた。
「続いて第2段階、といっても睾丸摘出後一週間ぐらいからもう始めるものですが、第1段階の加療結果男性ホルモンが全く分泌されなくなり女性ホルモンが非常に大量に分泌され、また細胞も劇的な速度で女性化します。これはもちろん脳細胞も例外ではありません。男性ホルモンを絶たれた脳が女性ホルモンに浸される事と染色体変換とによって男性の脳から女性の脳へ急速に変質して行きます。それは通常の環境変化とは比べものにならないほど精神的に負担のかかる現象です。この負担を少しでも和らげスムーズに自分の変化を受け容れられるように専門の医師によるカウンセリングが行われます。但し...」
「ただし?」
「あえていえば....」
「はっきり聞かせて下さい」
「あえていえば、場合によって特殊な治療を行うことがあります」
「特殊な治療とは」
「治療と呼ぶのが相応しいか分かりませんが、一種の洗脳です」
「洗脳!?」
「はい。このプログラムを受けられる方はほとんどが自ら望んで受けられるのではありません。半ば強制的に女性化される、すなわち自分のアイデンティティを根底から変えられてしまうのです。耐えきれずに自殺を図ったりする者もいる。そのためにカウンセリングを行うのですがプログラム施術が知らされた時点で絶望してしまっている者はこのカウンセリングを受けるどころじゃないんです。そこで考え出されたのが洗脳プログラムなのです。もっともこれにもいろいろな種類がありますが」
 彼女は医師による現実の話に引き込まれていた。「種類、というと」
「まずは軽い方法で、本人の意識を変革する。すなわち政府の政策を全面的に支持し、自分から望んで積極的にプログラムに参加するようにしてしまう方法。いわゆる予備教育ですな。この方法は逮捕された者や、適性が著しく低い者には全て行われます。最初にセンターにつれてこられた時点でね。特別処置室に入れて機械的に暗示をかけて行く。自我が弱い者では数十分、強い者でも数時間の処置で従順になります。ほとんどの者はこれで進んで女性になっていきます。がこれでも受け容れられない者がいた場合、彼らには先に強制的に手術をしてから選択肢をあたえます。一つは第3段階終了後に過去の記憶を一切消してしまう方法。これだと自我は残るが社会復帰が非常に難しい。そしてもう一つが自分の自我も記憶も一切消去してさらに別の記憶と人格をインプットしてしまう、すなわち完全に別の人間になってしまう方法です。これだと社会復帰は簡単ですが、はっきりいって人間を一人殺してクローン人間を作ったのと同じであまり意味がないんですよ。しかし今までにも何人かはそうやって別の人間になっていきました」
 彼女はこの事実に圧倒されていた。が、こんな機密事項じみたことを自分が知ってしまって良いのか?
「そんな重要なこと、話してしまって良いのですか?」
 医師は淡々と答える。
「たとえあなたが誰にこの話をしようと無駄です。誰も信じやしないし、たとえ信じてもどうすることもできない。そのうち密告されて逮捕されて記憶を消されるなり洗脳されるだけの話です。聞かなかったことにしておくしかないんですよ。それより説明の先をお聞きになりますか?」
彼女は医師の態度に半ばあきらめつつ頷いた。
「かなり話が逸れましたが、1ヶ月程して心身共に完全な女性化の準備が整ったところで、第3段階の施術を行います。これは、もうお察しのことと思いますが最後に残った男性器、とはいってもこの時期には本当に小さくなっていますがその切除と女性器の形成ならびに切除した睾丸の細胞から培養して作られた卵巣と子宮の移植手術です。本人の細胞を培養したものなので拒絶反応はほとんどありません。まあ過去に数人おりましたが確率的には非常に小さいです。また万が一拒絶反応が起こった場合には少し辛いですがもう一度培養し直して移植すればよいわけですから心配はいりません。余談ですが第2段階のカウンセリングが問題なく進めば予定日の1週間前ぐらいには手術を待ち焦がれるようになるそうです。早く完全な女性になりたいとね。そして術後約一週間で、この期間には各個人差がありますが完全な女性として退院することになります。皆さん本当に晴れやかな顔で退院されますよ。生理が来るようになれば妊娠・出産でさえ可能になったのですし。この時点で完全性転換プログラムは終了です。ちなみに戸籍・本人の希望があれば名前の変更その他の手続きはこちらで入院中にセンターがすべて行います。でも科学の進歩は凄いものですよ。ほんの数十年まえには完全な女性化どころか肉体の外見だけ女性化するのさえ大変な費用と期間がかかったのに、今や数週間で子供まで作れて費用は国持ちですからね」
 彼女の頬を涙が伝った。やはり弟は女にされてしまうのだ。それも否応なしに必要とあらば洗脳され、逃げようとすることすらかなわぬまま。いったいこの国の、いや私たちの人権はどこへ行ってしまったのだろう。そして私は弟になんて事をしたんだろう...
 机の電話が鳴った。弟の検査結果が出たのだろう。
医師は2、3指示をして受話器を置いた。
「弟さんの検査結果が出ました。年齢的に遅いのでどうかと思いましたが身体的にも精神的にもとりあえず問題ありません。また催眠テストによる反抗的言動も特にないのでこのままプログラムを始めさせていただきます」
 (反抗的言動も特にない!?)
「ちょっと待って下さい、本当に反抗心がないんですか」
「はい。催眠テストの結果、適正がAだそうです。最高がA++ですから深層心理に少なからず女性化願望があり、さらに政府に対する反抗いや抵抗心も強固なものではないことを示しています。こういうことはよくあるんです。職に就けない焦りや周囲の同じような人間たちが女性化される事によって追いつめられ自分の人生を投げてしまう。その結果精神的無抵抗状態になってしまうと私は考えています」
 彼女は打ちのめされていた。章弘はそんなに追いつめられていたのだ。
「あ、あと年齢的に遅いとはどういうことですか」
「法律では18歳以上となっていますが実際はもっと低年齢の時からセンターにチェックされています。今時の男の子は大変なんですよ。初等学校時から毎年行われる心理テストの結果、適性が高いと思われる者や成績不良により将来が危ぶまれる者はさらに催眠テストを受ける。そこで適性が確認されれば保護者や本人の同意の上、いや事実上の強制ですが、即座に女性化させられる。もちろん自ら望む者は適性などの確認もなく即女性化されます。人生をやりなおすなら早い方がよいですし、実際に若い分細胞もスムーズかつ速く女性化します。その上保護者の元でリハビリもできますしね。技術の進歩で夏休み中にプログラムを受け秋から女子校に転校するのも現実的に可能になっています。実際に現在の被転換者の6割から7割は18歳に達せずとも既に女性化させられているのです」
 (そういわれてみれば中等部、高等部の時は夏休み明けの転校生が多かった。でも彼女らが元男だったなんて全く気づかなかった。)
「弟さんのデータがここにありますが、決して成績は悪くない。催眠テストを受けさせられるようになったのは高等部に上がってからですね。それも1年次の評価はC+です。それが3年次にはB+まで上がっている。このころにはおそらく女性化への抵抗はあまりなくなっていたのではないかと思われます。今の男子校は初等部からそういう教育してますからね、女性としての人生はいかに素晴らしく、いかに時代に求められているかと。ところによっては成績不良者を集めて女性化適性を促進させる為の「補習」を行うところすらあります。まあそれはともかくセンターへ呼ばれるのはA−以上ですから彼はそのまま高等部を出た。しかしその後定職につかず進学もせずブラブラとしていて、追い打ちをかけるように周りの遊び仲間がみんな女にされてしまった。元の適性が低くない分あきらめもすんなりついていたのかもしれません」
 彼女は医師の説明に少しは救われる気分だった。自分が弟を政府に売り渡したのだという思いが、さっきからずっと重くのしかかっていたのだ。弟の彼女への抵抗が、単に自分の願望に対する心の準備ができていなかったのと、仲間がおそらくされたような「洗脳」に対する恐怖心からのものなら、洗脳されぬ上自分が引き取ってリハビリできるというこの選択は結果的に正しかったのではないか?
 しかし...彼は自分の意志によって女になるわけではないのだ。
「このままと言われましたが」
「そうです、即刻です。もうすでに弟さんは手術室に入っている、というよりこの処置は数分で済みますからもう終わっている頃かもしれない。少し可哀相ですが今度目を覚ましたときは隔離病棟でしょう」
 おそらくもう既に章弘は「男」ではなくなっているのだ。
「そんな、じゃあもう弟には」
「次に面会可能な日はこちらから連絡差し上げます。だいたい3週間ほど後になると思います。ではこれにサインを」
 彼女の前に戸籍変更に関する書類が差し出された。一瞬握りつぶしてやろうと思ったが、この医師なら表情一つ変えずにもう一枚新しいのを出すだろう。それにもはや弟のためには何にもならない。彼女は機械的に必要箇所にサインをして書類を返した。
「ありがとうございます。それではまた連絡差し上げますので、あなたも心の準備をしておくことです。今度会うときにはもう今までの弟さんではありません。おそらく心身ともにほぼ女性になっている、妹さんとしてあなたの前に現れるのです。そしてその後の彼、いや彼女を導いてあげられるのはあなただと私は信じています。逮捕された者も含めて身元引受人のない者がどうなるかご存じですか?彼らは社会復帰まで施設に入れられ見ず知らずの教官から指導というより現実には調教されていくのです。女性としてより、政府に従順な人口生産用女奴隷としてね。あなたの所はそれが免除されている分まだ幸せですよ。どうかせめて彼、彼女が幸せに生きてゆけるように導いてやって下さい。
 実を言えば、私だってこんな政策には反対ですよ。自ら望む者はともかく望まない者まで...でも自分が生きていく為には仕方がない。この国はもう政府に逆らってタダですむような国じゃないんだ。だからせめて私が担当した相手には少しでも幸せな人生を送って欲しい。それだけです」

 彼女は、センターを後にすると足早に家路についた。医師の言うとおり自分にはまだ彼にしてやれることが何かあるはずだった。でもいまは「弟」を失った哀しみと受け容れがたい現実の重さでこころが一杯だった。


(俺はどうなったんだ)
 章弘は朦朧とする意識の中にいた。
(「摘出処置完了」「ホルモン剤投与」)
 誰かの声が冷たく響いていた。
 何となく下半身から痛みらしき感覚が伝わってくる。そして新たに腕に何かが刺さるような感覚が加わった。
(「投与開始」「よし、担当婦長に連絡しろ」)
 感覚がまた遠くなる。章弘は、再び重い眠りに落ちた。


幸江はその翌日から、このプログラムについてできる範囲の実態調査を始めていた。もちろん限りなく目立たない程度に。しかし調べれば調べるほど出てくるのは驚くべき事ばかりであった。
 学校教育が男子と女子に完全に分けられているため彼女には知る由もなかったが、男子学校のカリキュラムは、ある意味では彼女の想像を絶するほど過酷であった。そして医師が言ったとおり、毎年行われる心理テストと実力テストの成績によってクラスが編成され成績の悪い者、及びおそらく心理テストにより「適性が高いと思われる」と診断されたのであろう者が集まったクラスのカリキュラムは、他のクラスに比べて「国家再生法概論」「性別人生論」等の科目が多く、さらに他のクラスでは考えられない「育児論」「家庭生活実習」等明らかに将来女性にされることを前提とした科目が組まれていた。これらの授業を通じて女性化を賛美し、「女性化適性の促進」が計られていることは彼女の想像に難くなかった。これらのクラスにいた生徒の実に9割が、「転校」という記述を最後に学籍を抹消されているのである。さらに資料をめくっていくと、夏休みが近くなると「補習」が増え、休み一週間前にクラス全員の催眠テストが行われること、そして「転換希望者面接記録」によれば明らかに誘導尋問と思われるやり方で「自ら女性化を望む者」をセンターに送り込んでいたことも明らかになっていた。
 (かわいそうに。章弘はこんなに厳しい学校生活を強いられてきたんだわ)
 彼女は激しい怒りを感じていた。しかし、自分の力ではどうにもできないということも分かっていた。自分の力でどうにかできるくらいなら、ここまで女性化政策がエスカレートすることもなかったであろうし、何しろ今の政府の力は絶大で誰も逆らおうとしないことについては彼女も痛いほどわかるのである。
 さらに彼女は調べ続けた。そして女性化された者が大方の場合政府機関によって相手の男性を紹介されすぐ結婚していること、そしてほとんどが選択の余地なく、おそらく疑うことさえなく専業主婦をしていることを知った。
(これってはっきりいって政府の掲げた「女性の社会進出と育児の両立」なんてはじめから全く無関係で要は政府の連中が思うような「都合のいい女」を作っているだけじゃない。)
 政府が女性の生き方を支援する風をして実はより厳しい女性差別社会を作ろうとしていること、そして自分たちがそれに乗せられていたという現実に彼女は愕然とするのだった。
(章弘、あなたをこういう風にはさせたくない。でもどうやって)


 目が覚めると、そこはベッドの上だった。が、いつも自分が寝ているベッドよりも明らかに硬く、そして信じられないくらい体がだるく、重かった。
「ここは、どこだ」章弘は呻くようにつぶやいた。
「あまり無理して動かない方がいいわ。今は身体の変化のスピードにあわせて凄い体力が使われているの。それに血液の中の赤血球の数も減り始めているからすぐ貧血みたいになるわよ」若い女の声が答えた。
 章弘はまだ重い頭の中で、自分の状態を把握しようと努めた。朝飯を食べて、姉と口論して、その後......?
 その後から、記憶がぷっつり途切れていた。かろうじて、何かの痛みと誰かの話し声が記憶にあるが、それも夢か現実か定かではない。頭が痛い。
「おれは、どうしたんだ?」章弘は、とりあえず声の主に聞くことにした。
「あなたはセンターに出頭させられて、性転換プログラムを受けているの」
若い女は続けた。
「あなたは2日前眠らされた状態でセンターに収容され、検査の結果異状もなくそのままプログラムが開始された。そして第一段階として睾丸が切除されDNAホルモン剤が投与されて女性化の第一歩を踏み出したの。そろそろホルモン剤の効果が出てくるはずよ。おそらくもうここで私が脱いだぐらいじゃペニスも勃なくなっているはずだし。あなたのためだからはっきり言うけど、あなたはもう男じゃないの。あとはどんどん女になって行くだけなのよ。」
 章弘は自分でも驚くほど冷静だった。というより「プログラムを受けている」と告げられた時点で自分がどうなったか予想はついていた。
 (どうせ姉さんが朝飯の中に睡眠薬でも入れたんだろう。姉さんは昔から権力に弱かったからな。まあいつかはこうなると思ってたし、仕方ないか)
「で、具体的にどうなるんだ」
「まず男性的な性欲が3日か4日でなくなるわ。それと同時に体全体が丸みを帯びてきてどんどん女性化して行くの。顔も女っぽくなるわ。そして脂肪が胸とお尻に移動して腰がくびれる、いわゆる女性らしい体型になるの。もちろん筋肉は落ちて行くし肌もすべすべに変わっていくから、力仕事は前と同じようにはできなくなるし、やらない方が無難ね。そのうち脳も女性化していくから心配しなくても順応していくと思うわ。女性の脳は男性よりも順応性が高いから、すぐに現実を受け容れられるようになる」
「それで、あんたは?」
「わたし?、私はあなたの担当看護婦。名前は春美。よろしくね。そういえば一回も聞いてなかったけど、具合はどう?」
 章弘は明朗快活な春美のペースに巻き込まれていた。
「最悪。体中がだるくて重い」
「うん、体力が追いついていってないのね。栄養摂らせてあげたいんだけどまだ普通に食事するのはたぶんきついと思うわ。あとで何か流動食用意してあげるからそれまで寝てて。体力の無駄遣いをしないよーに」
 章弘は正直に従った。


 ホルモン剤の作用で章弘はどんどん変わっていった。体中の男性ホルモン受容体が女性ホルモン受容体に変化し、さらに大量の女性ホルモンが分泌されたことによって細胞が急速に女性化しつつあったのだ。
 筋肉は目に見えて落ち、代わりに脂肪が胸などにつき始めた。体の線も細く丸く、体毛も頭髪を除いて薄くなり、顔つきも徐々に女性化し始めていた。しかし、体の脱力感と倦怠感だけはどうにもならなかった。春美は、「それは完全に変化が落ち着くまではどうしようもない」と言った。血液の変化や体格の変化によるものだという。
 一週間目、章弘は検査棟に連れていかれ、全身写真を撮らされた。開始当日に撮られた、つまり彼が眠っている間に撮られたプログラム開始前に比べると、明らかに女性化しているのが分かった。
「今日からこれを使うといいわ。」春美は、大きめの紙袋を一つ、章弘に手渡した。中には、女性用の下着が数揃え入っていた。
「今日からカウンセリングの先生がいらっしゃって、女性としての基本的な生活の仕方を指導して下さるわ。もちろん今渡した下着の着け方や、髪の手入れまで。ちなみに先生はカウンセラーであって、教祖や政府の手下ではないからあまり心配しなくてもいいわよ。ついにあなたも今日から女性としての人生の第一歩を踏み出すのよ」
(好きでやってんじゃないんだけど...)
 しかし章弘は、抵抗が思ったほど激しくないことに、自分でも動揺していた。
(もしかして、自分でも女性化を「受け容れ」てるのか...?)


 年齢不詳系女性のカウンセラーは、やってくるなり章弘と春美を裸にさせた。
「どう、看護婦さんを見て何とも思わない?」
 章弘は、全く性欲を感じなくなっていた。もちろん、小さくしぼんだペニスも春美の体に反応することなく、小さいままだった。
「あー、えー」章弘は、恥ずかしさで真っ赤になった。
「いいのよ。あなたが女性になりはじめている証拠だから。ちょっと看護婦さんには可哀相だけど。ふふふ」
「えー先生、それどういう意味ですかぁ」春美がふくれた。
「え、ああ、あなたの美しいボディを見ても勃起しないのは美しすぎるからよって言ってるの。あなたのお名前は」
「もーやだぁ先生ったら。春美といいます」
「じゃあ春美ちゃん、ちょっと手伝って」
 彼女らは二人ががりで章弘に下着を着けさせ、カウンセラー女史が持参したワンピースを着させ、短い髪をショート風に整え、化粧をさせ...すなわち「女装」させていった。そして.....
「どう、気分は?」カウンセラー女史は章弘に尋ねた。
 章弘は鏡に映った自分に呆然としていた。その姿はあまりに自然に思えた。
「それが今のあなたの姿。もともと線が細い方だし男の子の割に肌がきれいな方みたいだし、一週間でこれだけ変わっている所を見るとこの分で行けば割に早く体の変態も落ち着くかもしれないわね。おそらくあなたの適性からいって精神的な抵抗が少ないから、変態が速いのかも。いずれもっと胸も大きくなるし、髪も伸びるわ。でももうこのまま外を出歩いてもきっと女性で通じるわよ」
「でも....」章弘は、戸惑いながらつぶやいた。
「そんな情けない声出さないの。見ての通りあなたはもうこれから女になって行くだけなの。後戻りはきかないわ。ありのままを受け容れるほかないのよ」
「それって、男を捨てて女になれって事ですかね?」章弘は意を決したかのように聞いた。しかしその声は、かつて聞き慣れた自分の声より1オクターブは高いように感じられ、自分でも驚くほどだった。
「誰もそんなこと言ってやしないわ。あなたはあなたよ。でも今の体の状態と心の状態はバランスがとれていなくて、違和感があるでしょう。男を捨てるとか女になるとかよりも、女性になりかかっている自分を受け容れなさいって言ってるの。あなたははじめから女性として生まれたわけではないから、今日この瞬間から女性として生きろといってもそれは不可能でしょう。そもそも男と女の違いって何なの?そんなのちょっと体と精神構造が違うだけじゃない。人間であることには変わりないわ。それに世間で言うところの男らしさとか女らしさなんて、十人聞けば十人とも同じ答えが返ってくるわけじゃないし、いい加減なもんじゃない。私はね、自分の体の状態と精神の状態を自覚して欲しくてこんな格好をしてもらったの。春美ちゃんの体に性欲を感じなかったでしょう。それに自分の姿を見てどう思った?素敵だと思わなかった?それは体だけでなく精神構造も徐々に女性のものに変化しているからなのよ。それを自覚して欲しかったの」
 カウンセラーは続けた。
「私はね、その変化の過程で心身のバランスが大きく崩れないように調整するのが仕事なの。あなたが女性になってしまうのは仕方ない。それは私の力ではどうすることもできないわ。でも体も精神構造も女性のものに変化していくのに、本人が自分を男性だと思いつづけているのは不自然だし、それでは幸せに生きていくことはできないわ。私はあなたが女性の精神構造を受け容れて、最終的に女性として生きていけるようなるためのに手伝いに来たの。決して女らしさをたたき込みに来たんじゃないわ。あの社会復帰支援センターの連中と一緒にしないでちょうだい」
「社会復帰支援センター?」
「そう。あなたには関係ないから話すけど、あそこで行われていることは実際には洗脳よ。心身共に女性になりたての娘たちが、”自分は一人の女性”というやっと得られた自覚を徹底的に破壊され強制的に政府の言うところの”女性らしさ”を植え付けられ、たたき込まれるの。そして従順で大人しく、人に決められた結婚をすんなり受け容れてどんどん子供を生産するような、そう、人形のような女に改造されていくの。もちろん社会へ出て働こうなんていう意欲も夢も希望も完全に心から除去されて。可哀相に、あそこから出てきた娘たちは誰を見てもみんな同じ。ほんの少しの個性さえも破壊されて、政府の思いのままになる従順な奴隷人形になっているわ」
 章弘には心当たりがあった。
「あなたはあそこへ入れられない分幸せなの。ここへ付き添ってくれた家族の方に感謝なさい。そのおかげで、あなたはあそこへ入れられずに家でじっくりリハビリできるのだから」
(姉さんのおかげだって....)章弘は複雑な気分だった。姉のおかげで自分はセンターに連れてこられ性転換プログラムを受けさせられている。しかし、あの時逃げていたら、いずれ捕まって仲間たちと同じように女にされた上に洗脳までされたかもしれないのだ。どちらにしろ女にされるのなら、結果的に今の方が良かったのかもしれない。しかし自分を「騙した」姉に対するわだかまりは、少なからず章弘の心の中にあった。


 カウンセラー女史がやってくるようになって一週間近くが過ぎ、章弘は、徐々に「女性になりつつある」自分を自覚できるようになっていった。と同時に体も「20歳にしては速い」変態を続けていた。もちろん脳細胞の女性化も進行していたので精神構造も徐々に女性的なものへと変化し続けていた。
 この間にカウンセラー女史がくれたアドバイスは、章弘が前向きな姿勢になるために、必要十分なものであった。
「今この瞬間の自分を受け容れるの。今のあなたは通常の人生ではまずあり得ないスピードで精神的な変化を遂げているわ。おそらく一度眠って目を覚ましたら、まず体の変化を感じるでしょうし、それ以外でも一つ一つの事がすべて眠る前とは感じ方が変わっているはずよ。でもいちいちその違和感に戸惑っているんじゃ前に進まないわ。今この瞬間、新しく感じた事の方が今の自分なの。違和感を感じたら、今の感じ方にあわせなさい。そうすれば、逆に自分も見えてくるはずよ」
 章弘はこのアドバイスに従って、生活を徐々に変化させていった。それはペニスが縮んだことで不便になった用の足し方を変えたことであったり、脂肪が付き活動するのに邪魔になった胸を押さえるのに自発的にブラジャーを着けることであったりといった「自分の心身状態」に生活をあわせるものだったが、その中で一番大きかったのは、自分の口から出た言葉と声のギャップに春美と二人で爆笑してしまった事がきっかけで、言葉遣いを意識して変えてみた事であった。章弘には、言葉遣いを少し丁寧な風に変えてみるだけで鏡の中の自分と、そして「今の」自分がずいぶんフィットしたように思えた。
 二週間目の写真検査が終わり、章弘は今までの三枚の写真を並べてみた。
 三枚目には、「今の」自分が写っている。膨らんだ胸、くびれたウェスト、少し大柄な少女のようなその姿は、初々しさを湛えて章弘のナルシズムを刺激した。
「もうそろそろ体の変化は落ち着くはずよ。でもまだ終わった訳じゃない。これからゆっくりと、そう、つぼみが開くように女として完成されて行くんだわ」
 春美が羨ましがるように語った。章弘は既に、他の二枚の写真が自分の写真ではないような感じさえ受けていた。そしてそれは、章弘にそのことを決意させるに十分なきっかけと勇気を与えていた。
 カウンセラー女史がやってくると、章弘はすっかり高くしっとりと変わった声で女史に告げた。
「先生、ご相談があるのですけれども」
「何かしら」
「私、名前を変えたいんです」
「どうして?」女史は、温かな表情で尋ねた。
「章弘という名前は、今の私にはもう合いません。今の私は、もう”章弘”ではないんです。このままこの名前に縛られて自分の気持ちに迷いを残すより、名前を変えて本当の自分自身に、今の自分自身に生まれ直したいんです」
 女史は頷いた。「あなたがそう望むなら、それが一番だわ。あなたの人生だもの。自分で決めたことなら、そうなさい。それより、あなたに聞かなくてはいけないことが一つだけあるの。思い出したくなかったら答えなくてもいいけど、あなた、ここに来る前にはどんな夢があったの?」
 少し間があいて、章弘は話し始めた。
「ここに来る前、私は毎日ふらふらふらふら遊んで歩いていました。別に何がやりたいでもない、そう、学校時代の息詰まる日々から解放されたかった。学校にいる間は競争競争の毎日だし、夢見る暇もなかった。毎日毎日”女にされる”っていう、自分でないものにされるっていう恐怖感にせき立てられて。でもいざ競争から解放されたら、今度は自分が何をやりたいのか分からない。みんなはエリート目指して進学したり、仕事に就いたり、でも私は自分を騙せなかった。別にやりたくも無いことをして息が詰まったまま生きるのは嫌だった。でも自分がやりたいことなんて、見つける暇も、考える暇もなかった。私の人生っていったい何なんだろうって何度悩んだことか。でもここに連れてこられて、私にはもう一つの人生を生きるチャンスが与えられた。ここに来るのは人生の終わりかと思っていたけど、私にとっては新しいスタートになるのだと今では感じるんです。私は、ここに連れてきてくれた姉さんに感謝しています。私の人生に新しい可能性を与えてくれたことに」”章弘”であった者は、いつしか涙を流していた。
「それを聞いて安心したわ」女史は言った。「安心して名前をお変えなさい」
 その瞬間、章弘は生まれ変わった。そして、この瞬間から「章絵」と名乗ることにしたのだった。
 春美も祝福した。
「お誕生おめでとう、章絵ちゃん。センターの方には私から伝えておくから。手続なんて一切センターにさせればいいわ。それより今日三人でお誕生パーティーしようよ。外出届けは私が手配するし、先生も一緒だから最悪でもリハビリとかなんとか言っとけばたぶん大丈夫だと思うわ。これからもよろしくね!章絵ちゃん」と言うなり春美はきれいにラッピングされた包みを章絵に手渡した。
「開けてみて」というすすめに従って包みを開けると、そこにはとても素敵な赤いワンピースが入っていた。
「え、どうして?」
「だって、毎日つきっきりで世話してるのよ。あなたの心理状態ぐらい把握できなくって、ナースがつとまるもんですか。実を言えば私も昔、まだ春美になる前、”春彦”だったの。今のあなたよりもずっと若かったけどね。まあそんなわけであなたの気持ちはよく分かるの」春美はさわやかに答えた。
「お化粧手伝ったげるから。さあ、はやくはやく」


 幸江の所に、面会解禁の連絡が入った。
「3日後から面会が解禁になりますのでご連絡いたします」
 電話の向こうで、無愛想な男の声は告げた。
「それから、あまり変なことを嗅ぎ回るのはよろしくありませんなあ。そういうことは淑女のすることではありませんよ。女だてらに探偵さんごっことは全くもって感心しませんねえ。早くご結婚でもなされたらどうですか」
 幸江は鳥肌が立つ思いだった。
「ど、どういう意味かしら」
「女のくせに、あまり出しゃばるなってことだ。身のためにならないぞ」
 電話は一方的に切れた。
(女のくせに....)幸江の中で、男の声が回っていた。
 彼女の記憶の中で、幼い頃テレビで見た古典芸能のワンシーンが蘇る。
(そうだわ!)彼女の中から恐怖感が吹き飛んでいった。そして次の瞬間、彼女は”妹”を導く道しるべをつかんでいた。


 三週間目の写真検査が終わり章絵は鏡の前に立っていた。その視線の先に「それ」はあった。もうほとんど親指以下の大きさになってしまった、かつてペニスであった物。章絵はここ数日、その存在に感じる違和感が大きくなっていた。
 既に身体の変化はほとんど落ち着き、脱力感や倦怠感もあまり感じることがなくなっていた章絵は「女として完成された」といっていいほどになっていた。美しく張った乳房、つんと上を向いた乳首、女性らしい曲線を描くウェストとヒップ、そして輝くばかりのみずみずしい肌。しかしその視線の先の物が章絵のナルシズムを、このところえらく傷つけていた。
「手術はいつ?」待ち切れぬように章絵は春美に尋ねてみた。
「まだ正式な通達はないけど、もう一週間ほど我慢してね」
「もっと早くはならないの?」章絵は珍しく食い下がった。
「もう困ったわね。移植用子宮と卵巣の培養が、だいたい4週間かかるのよ。それより前にはできないでしょ。それにタダなんだから、贅沢言わないの」
「うーん、がっかり...」
「そんなにがっかりしないの。子供じゃないんだから、ナルシス章ちゃん」
 二人は顔を見合わせて笑った。
章絵の精神構造は、もうほぼ完全に女性になっていた。そして自分自身でも、”自分は一人の女性”という自覚を持ちつつあった。カウンセラー女史に言わせれば「まだ少し早い」そうなのだが女史も特に止めることはしなかった。
「そんなことより、今日はお姉さんが来るんでしょ」
「そうそう。びっくりさせてあげなきゃ」章絵は、姉を迎える準備を始めた。


 幸江は悩んだ。口論のあと、睡眠薬で眠らせて以来の再会である。考えれば考えるほど合わせる顔がなかった。しかし、「妹」を導いてやるのは自分しかいないという気負いも同時にあって、彼女はもう何分もドアの前でうろうろしていた。
 しかしその状態は不意に破られた。中からドアが開いたのだ。
「お姉さまですね。どうぞ中へ」若い看護婦が、彼女を中に半ば押し込み、出ていった。
 そこは、病室というよりむしろホテルに近い雰囲気の部屋だった。彼女は思わず中を見回してしまった。中央部のソファに座ってこちらを見ている女がいる。
「姉さん」しっとりした声で、女は彼女に呼びかけた。
「あ・き・ひ・ろ?」幸江は女を凝視した。
「いいえ、私は章絵。私は姉さんから新しい人生をもらって、章弘から章絵に生まれ直したの」
「あきひろ...」幸江は泣きながら章絵を抱きしめた。
「ごめんなさい章弘。私いままであなたの気持ちなんて一つも考えてなかったわ....」
「やめてよ姉さん。私姉さんに感謝してるわ。姉さんのおかげで今の私がいる。姉さんのおかげで私は自分自身に出会うことができたの」
「あきひろ...」
「それに、今の私は章弘ではなくなったのよ。姉さんの妹、あ・き・え」
 幸江は章絵を離すと、手をしっかり握って呼んでみた。「あきえ、私の妹」
「やっと呼んでくれたのね」二人は涙を流してしっかりと抱き合った。
「もうこれ以上章絵を政府の好きにはさせないわ」幸江は誓った。
「私の方こそ。私たちは二人っきりの姉妹なんだから」章絵も答えた。

 春美が飲み物を運んできた。「毒など入っておりませんのでご安心を」相変わらずの明朗快活な雰囲気が、雰囲気を和らげた。しばらくすると、カウンセラー女史がやってきた。
「章絵が大変お世話になりまして」幸江が挨拶する。
「いえいえ。私の方は仕事ですから」女史はいつもの温かい口調で答えた。
「それより、今日はお別れを言いに来たの」
「え?」章絵は驚いていた。
「私の出番はここまで。ここから先はお姉さんの仕事よ。幸い今の法律なら会社から家族のリハビリ休暇もらえるはずだから、お姉さん、しっかりしごいてあげて下さいね」
「はい。いろいろとありがとうございました」と幸江。
「ちょっと待って下さい、ほんとに先生、もう来ないんですか?」章絵は信じられないといった面もちで、尋ねた。
「ええ。あなたはもう私がいなくても大丈夫。それに強力な指導者がここにいるでしょう。私はまたあなたのように、自分自身を求めている人の手助けをしに行くの。それじゃあ、くれぐれも、急ぎすぎないようにね」
 そう言い残して、女史は去っていった。
 章絵は、門まで女史を見送りその姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
「ありがとう、先生」


 それからの一週間、姉は妹の所に通い、女性としての身だしなみや社会的マナーを教えていった。
「社会に帰ったら、世間は男か女かでしか見てくれないの。その中で自分自身を認められるには、そのどちらかの条件を満たしていないと取り合ってはくれないのよ」幸江は、章絵にそう言い聞かせていた。
「大丈夫。私にはもう”一人の女性としての自分自身”って自覚があるから」
「まだ早いって、先生もおっしゃってたでしょ」
 二人は笑いあった。
 そして、いよいよ第三段階、手術の日がやってきた。
「やーっとこの日が来たわね」春美が冷やかした。
「ええ。でも私にとっては”あれ”を取るだけ。本当は移植だの整形だのが今の私に必要とは思わないけど”あれ”はもう私には必要ない物だから...」
 幸江も、章絵の落ち着いた様子に安心していた。
 やがて章絵は、麻酔で眠らされここに来たときと同じようにストレッチャーで運ばれていった。しかしその寝顔は、来たときとは違って明るく輝いていた。


 数日後、章絵の下半身に着けられたパンツ形包帯とギブスが外されて、最後の写真検査が行われた。その姿からもちろん”あれ”は消えて、その場所には女性の外性器が姿を現していた。そして5枚目となったその写真に写っていたのは、間違いなく美しい女性の姿、すなわち章絵の姿であった。
「手術に邪魔だからみんな剃っちゃったけど、また何日かしたら毛が生えてくるから、ちゃんと手入れしなよぉ」春美はあいかわらず明るく茶化した。
 しかしそれが聞こえないかのように章絵は幸江と二人で写真に見とれていた。
「これが、私なのね」
「そうよ。これがあなたよ」
「なんだか、改めて自分自身に出会ったような気がする。これが”章絵”なんだ」
 章絵は、自分自身に一致した喜びをかみしめていた。
 そして、ついに退院の日が来た。
「おめでとう章絵ちゃん。幸せにね。ところで、これからどうするの」大きな花束を手渡しながら春美が尋ねた。
「何か人の役に立つ仕事、人の力になれる仕事がしたいと思っています。本当にありがとう。春美さんもお幸せに」
「やだぁ。今生の別れみたいじゃない」春美は初めて、湿っぽい顔を見せた。
「また、会えますか」
「私の方は、いつでも。サボるきっかけつくってよね」
(絶対仕事サボったりなんかしないくせに)という言葉を、章絵は口に出さなかった。代わりに、ありったけの笑顔を振りまいて見せた。
「本当にお世話になりました」幸江が締めくくり、姉妹はセンターを後にした。


 家に帰り着くと、早速「結婚推進公社」の営業マンが帰宅を待っていたかのように大きなアルバム片手にやってきた。
「どんなご用件でしょうか」幸江が応対した。
「ええ、本日はおめでとうございます。早速ですが政府からのご指示により妹さんの結婚相手をご紹介に上がりました。もちろんあなた様ももし気に入った方がありましたらおっしゃって下さって結構ですよ」
「はあ?」幸江はわざととぼけて見せた。
「ですから妹さんには国費で女性になられたわけですから、結婚して子供を作る義務がございます。そこで当公社が遺伝情報診断や性格診断により妹さんに最適な花婿候補を何人か選ばせていただきました」
「残念ですがうちには関係ありませんわ」
「なぜです?古来、女の幸せは結婚にありというではありませんか。政府もこのように女性の幸せを推進する政策を取っていることですし、妹さんにとっても、いえあなたにとってもこれが最高の人生だと確信しておりますが」
「ではお聞きします。なぜ女の幸せが結婚なのですか?それは幸せかもしれませんけど、もしそれを幸せというのなら女の幸せではなくて、愛し合う二人の幸せというべきではなくて?それに子供だって、愛する人と一つになりたい、愛する人の命をつなぎたいと思うからこそ、男は命を放ち、女はそれを受け止めて育むのではなくて?結婚なんて紙切れ一枚のことよ。でもその紙切れ一枚は、本当に愛し合う者には地球の、いえ全宇宙の全てより重く大切な現実なのよ」
 営業マンは呆気にとられていた。おそらく今までこのように正面から断られたことがなかったのだろう。”政府の御威光”のおかげで。
「繰り返すようだけど、私にも妹にもやりたいことがたくさんあるの。女にだって自己実現する権利はあるわ。自分の幸せを追求する権利もね。私たちの幸せは、私たちが決めるわ。政府だろうが公社だろうが文句は言わせない。女の幸せが結婚だなんて誰が決めたのよ。女の幸せなんて定義は、この世にはないわ。あるのは無数の夢と、それを実現する幸せよ。可哀相な人。あなた、こんな仕事してて幸せ?あなたに夢はないの?何のために生きてるの?」
 営業マンは目を白黒させた。そして、訳の分からないことをうわごとのようにつぶやきながら、逃げるように帰っていった。
「姉さん...私...」章絵も、一部始終を見ていた。
「章絵...」
「私、しあわせになるね...」
 二人は強く抱きしめあった「幸せになろうね....」
 公社の人間は、二度と現れなかった。


 それから一年が過ぎた。
 章絵は、あれからかつてなく勉強に励み、念願の女子大に春から通うことになった。彼女は自分で言ったとおり、「ひとの力になれる仕事」に就くべく心理学の勉強をするためである。今では近隣の男子学生の間で噂の美人となっているが、本人はそんなことは眼中にない。早く「自分自身」を探す人の手伝いができるようになるため、必死なのである。もちろん、「義務」はまだ果たしていない。しかしいつか素敵な相手が現れたら、結婚して子供を産んで、仕事と両立できるようになっていたいとも思っている。「義務」に縛られるのではなく、自分と相手の愛の結果として。
 そして幸江は、最近悩んでいる。会社では、「数年ぶり」といわれる女性の総合職へと抜擢され精力的に仕事をこなしているが、実は、このところ彼女の心を占領しつつある男性がいるのである。彼のハートはどこにあるのか彼女にはまだわからないが、今の自分では仕事との両立は難しいと感じている。努力あるべしとひたすら自分に言い聞かせて、早く両立できる自分になりたいと頑張っている。
 二人の「しあわせ」への道は、まだまだ長い。
  (了)


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