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海に還る日 〜続・人魚の涙〜
作:KEBO



<プロローグ:18年前>

 ヒュゥゥゥゥゥ
 嵐が吹き荒れていた。
「これでは向こうの船に近寄ることもできない!」
 宮島は、島の近くで座礁した中型タンカーと、その近くに駆けつけた巡視船の救助活動を見ながら、嘆いていた。
「我らの海が、原油で汚染されてしまう...」

 同時刻
「もうじきここにも油が来る」
「どうしてもこの子は連れていけないの」
 すやすや眠る赤ん坊を前に、二人は話し合っていた。
「仕方ない。連れていっても新しい住処を見つけるまでに弱ってしまう」
「でも」
「この子は、希望なんだ。油まみれの海にまで適応させたくはない」


<第一章 初夏>

「ねえ、本当に出ないの」麻理子がしつこく言っていた。
「出ない」
「どうして、瞬クンなら絶対優勝間違いなしなのに」
「わかってるよ」
「じゃあどうして、日本記録どころか世界記録だってその気になれば出せるんでしょ」
「そんなことに興味はないんだ」
「でも...」
「うるせえ!もうその話はやめだ」
 先日の水泳大会で、瞬は異常な強さで優勝してしまった。
 高校の水泳大会なので公式記録にはとてもならないが、記録係の計測したタイムは世界記録並のタイムだったのだ。
 彼は水泳部に入っているわけではない。
 しかし、その日以来教職員始め周り中が夏の全国大会の予選に出場させようと躍起になっていた。
 始めは同情してくれていたガールフレンドの麻理子でさえ、最近ではこのような有様である。
「船が出るから、かえるわ」瞬は、逃げ出すことにした。
「ちょっとま」麻理子は、言い終えられなかった。
「もう...」
 唇が離れた後、麻理子は駆けていく瞬を顔を真っ赤にして見送った。
 
 宮島瞬は、神姫島の漁師の家に育った。
 毎日、島の対岸にある高校に通っている。
 彼が十五才になったとき、父親は彼に真実を告げた。
「おまえは、私たちの本当の子供ではない」
 父親の話によれば、彼は十五年前の嵐の夜、島の神社に捨てられていたのだという。
「俺は十五で親父の跡を継いで漁師になった。おまえに後を継げと言うつもりはないが、自分の将来のことを、一度考えてみてくれ。血は繋がって無くても、俺はおまえを本当の息子と思っとる」
 宮島家に子供は瞬一人だった。瞬は、始めはとてもショックを受けたが、両親の苦しみと決意を、瞬には理解する事ができた。
「母さん、父さん、今まで育ててくれてありがとう。もし許してもらえるなら、僕はこれからもずっとこの家の子でいたい」
 そして、彼は翌春から対岸の高校へ通うことになった。
 高校に入ってからも別段家族関係に変化はなく、宮島家は仲のよい三人家族であった。

「ねえ、瞬クンの将来の夢ってなあに」
 日曜日、瞬は麻理子といつも通りデートしていた。
 島の裏手の岩場は、あまり立ち入る者もなく二人の格好のデート場所であり、麻理子はそのためにほとんど毎週対岸から島にやってきている。
 瞬は岩に座って波の音を聞きながらぼーっとするのが、麻理子はそんな瞬を眺めるのが好きだった。
「夢ねえ・・・」瞬は半ば上の空で受け答えしていた。
「町に出たいと思わないの」
「町ねえ・・・でも俺たぶん、親父の後継ぐと思うなあ」
「どうして」
「だから、たぶんだって」
「他にやりたいこととかないの?」
「ああ、っていうか、まだわからないよ」
 麻理子は少し間を置いて言った。
「私、大学受けよっかなあ」
「おまえそんなに頭よかったっけ」
「馬鹿にしないでよ、これでもクラスでは常にトップ3キープしてるわよ」
「ふーん、俺勉強もあんまし好きじゃないしな。んで、どこの大学受けんの?」
「東京の、女子大・・・」
「おお、すげえな。東京の女子大生になるんか」
「まだうかったわけじゃないわ」
「でも成績は大丈夫なんだろ」
「もう・・・ばか・・・」
「何だよ」
 初夏の潮風が、二人の頬を撫でている。
 麻理子はしばらく顔を伏せていた。
「麻理子」瞬が先に声を掛けた。
「ごめん」
 麻理子の顔に明るさが戻る。
「ううん、いいの」
 瞬が、遠くを見ながらふと言った。
「俺は、親父の子供じゃないんだ」
「え?」
「俺は、捨て子だったんだ」
「どうしたの、突然」
 麻理子はびっくりした顔で瞬を見つめている。
「18年前の座礁事故知ってるだろ」
「うん」
「あの時、この辺は油まみれになって、島のみんなは命がけで原油の回収をした」
「ええ。私の叔父さんもその時無理して体壊したって言ってたわ」
「そのおかげできれいな海が還ってきたんだ」
「うん」
「その座礁事故の晩、俺はここで親父に拾われた」
「そんな・・・」
「親父は今まで、自分の子でもない俺を育ててくれた。それも自分の子供を作らないで、だ。そんな親父を俺は裏切れない」
「・・・・・」
 潮風で、麻理子の大きな帽子が飛びそうになる。瞬があわててそれを押さえた。
「瞬クン・・・」
「あんまりボケっとしてると、飛んでっちまうぞ」
 瞬の笑顔が、麻理子の視界を埋める。
 長い抱擁の後、瞬はこういった。
「ここは俺の故郷だから・・・」


<第2章 盛夏>

 全国大会の予選もどうやら出場しなくて済み、学校は夏休みに入ろうとしていた。
 神姫島は、漁業もさることながらその新鮮な海鮮類やきれいな海を始めとする観光資源が豊富であったため、夏休みになると大勢の観光客が訪れ、島の貴重な収入源になっている。
 今年も観光客の出足は良好で、島はこの時期特有の賑わいを見せていた。
 麻理子は今年も、島の旅館でアルバイトをすることにしている。瞬の方はといえば、父の船に乗せてもらい、漁の手伝いをすることになっていた。
「私、また毎日島に行くから」麻理子は無邪気に微笑んでいた。
「通うのか」
「うん」
「気を付けろよ、この時期変なの多いからな」
「一番変なのここにいるじゃない」麻理子は瞬を指差した。
「こいつ」
 二人の楽しそうな笑い声が響く。
「瞬クンこそ、早起き大丈夫?」
「大丈夫にきまってらあ」
「今年は毎朝市場に行くから」
「じゃあ腕によりをかけていい魚取ってくるかな」
「無理無理」
 夏の日は長い。
「じゃあ、また明日」麻理子が手を振る。
「じゃな」
 瞬は、夕方の船で島に帰る。明日から高校最後の夏休みだった。

 次の日から、瞬は父と一緒に漁に出た。
 漁から帰ると、市場では麻理子が待っている、そんな日々が続いていった。
 ただそれだけの事だったが、二人には、とても幸せに感じられていた。
 父親の宮島は、そんな二人の将来が幸せになることを、願わずにはいられなかった。しかし、一緒に漁に出るようになってから、宮島には、瞬について気がかりな点があったのである。
 魚群探知機や割と最新の装備を備えているとはいえ、いつも魚群に出会えるとは限らない。しかし、瞬を連れていくようになってからは、毎日大漁の連続で、外したことがなかった。
 それも、試しに瞬の意見をきいて、そのポイントに行くと必ずといっていいほどでかい魚群に遭遇するのだ。
 それについて瞬は、「何となく」という以外の理由は付けなかった。
 仲間の漁師たちはラッキーボーイといって喜んだが、宮島にして見ればただ何となくといって魚群を見つけてしまう瞬が異常に見えた。
 宮島は18年前のことを今でもはっきりと覚えている。
 あの晩、吹き荒れる嵐の中、彼は島で一番見晴らしのいい神社の裏手の断崖の上で座礁したタンカーの救助作業を見守っていた。
 その時、ふと下の方から赤ん坊の泣き声が聞こえたような気がしたのだ。
 気のせいかと思ったが、彼は念のため、神社の脇から断崖の下へ降りてみた。
 そこには小さな砂浜と、あまり人が立ち入らない岩場が存在している。
 下に降りるに連れ、鳴き声ははっきりと聞こえるようになっていた。
 その鳴き声は、砂浜の反対側にある、「人魚の住処」といわれる洞窟の方から聞こえていた。
 宮島が行ってみると、その入口に風雨をしのぐように、赤ん坊が置かれていたのである。
(誰がこんな事を)宮島はその子供を家に連れて帰った。
 妻もそれが当然であるかのように子供の世話をした。
 そしてそのまま18年の月日が過ぎていった。
 しかし、結局の所誰が瞬を捨てたのかは分かりはしない。
(もしかして・・・・)
 宮島の頭の中を、妙な考えがよぎっていた。
 島には、古くから人魚伝説がある。
 伝説によれば人魚は、潮の流れや魚の匂いを、体で嗅ぎ分けるという。
(瞬は、人魚の子孫でないのか)
 そんな疑念を、彼はここ数日抱いていた。
 始めはばかばかしいと思ったが、伝説と照らし合わせれば合わせるほど、瞬の謎について説明が付くのだ。
 おまけに捨てられていたのは「人魚の住処」である。
 水泳大会のこともあり、宮島の中でその疑念は膨らんでいった。

 一方・・・
 瞬は海に出るようになってから、毎晩と言っていいほどうなされ続けていた。
 夢の中には毎晩、二人の女が現れる。
 一人は均整が取れていてとても美しく、もう一人は割と大柄だった。
 その二人が毎夜、夢の中で彼に両手を差しだし、彼を招くのだった。
 そして二人は彼に告げる「帰っておいで」と。
 その夢を見るようになって以来、彼の体は変調をきたし始めていた。
 船に乗って海の上にいるときはいいのだが、船を下りるとどうも体がだるい。
 最初は船酔いのせいかと思ったが、子供の頃から船に親しんできた彼にとっては急に船に酔うようになるなど到底考えられない。
 そのうちに、心なしか体そのものが変化してきているような気もした。
 毎日漁に出て力仕事をしているにもかかわらず、どうも筋肉が少し落ちてきているような気がする。
 それどころか、つい去年までなら島に来る観光客、つまり都会的な女の水着姿に少しは目を惹かれたものだが(おかげで麻理子によく足を踏まれた)、今年はまったく興味が湧かなかった。
 もちろんそれだけ麻理子は大事だったが、それにしても健康な若い男がスタイルのいい水着の女に目を惹かれないというのは少しおかしい。
(慣れない仕事で、疲れてるのかな?)始めは彼もそう思った。
 しかし、身体の変化は徐々にエスカレートしていく。
 毎日海で仕事をして日に焼けているはずなのに、以前より肌の色自体が白くなってきている。というより皮膚そのものが薄くなった感じだった。
 もともと父に比べて体毛は薄かった方だが、最近ズボンを脱ぐとすね毛が一緒に抜け落ちていることが多かった。
 麻理子には、とても自分から言う気にはならない。
 彼は、自分がどうなってしまうのか不安でたまらなかった。

「瞬クン、最近疲れてない」麻理子が心配そうな顔をしていた。
「ああ」
「やっぱりな。お父さんのお手伝い、大変なの?」
「まあな」
「少し休んだら?」
「そんなわけいかないよ」
 夕日が沈み、空には暗闇が広がりつつあった。
 瞬は夕方の船に乗り遅れた麻理子を、父親の船で送っているところだった。
 船には二人きりである。
 最近ゆっくりデートする暇もない二人を見て、宮島は無免許の瞬に「送っていけ」と船を貸したのだ。
「なあ、麻理子・・・」瞬が言いかけたとき、別のプレジャーボートが、彼らの前を横切った。
 瞬は慌てて逆進でブレーキを掛ける。
「ばっかやろう!」
 最近は離れた港からも釣り客のプレジャーボートがよく島の近辺に来るようになっていた。
 ボートの航跡波で小さな漁船は揺れる。
「きゃっ」
「気を付けろ!」
 大きな揺れに、麻理子は危うくよろけそうになる。
 瞬の手が、麻理子の手を引き寄せ、それを防ぐ。
「瞬クン・・・」
 そのまま瞬の胸に飛び込む麻理子。
 二人はそのまま船の上で倒れ込んだ。
 が、・・・
 次の瞬間、麻理子が信じられないといった表情をした。
「瞬クン・・・」
 麻理子が飛び込んだ胸には、彼女が知っている厚い胸の代わりに、小さいが柔らかい二つの盛り上がりがあった。

「瞬クン」長い沈黙の後、最初に口を開いたのは麻理子だった。
「お願い、私には何も隠さないで」
「ああ、でも俺にも何がなんだかわからないんだ」
 瞬は何一つ隠さず、麻理子に話した。不思議な夢のこと、夢の中に出てくる女のこと、漁のこと、身体の変化のこと。
 そして、麻理子には知られたくなかったということも。
 麻理子はいつしか、瞬を母親のように抱きしめていた。
 船は月夜の波にやさしく揺られている。
「瞬・・・」
「俺は、恐いんだ。これから俺はどうなっていくのか」
 瞬が初めて見せる弱音だった。
 麻理子には、そんな瞬がたまらなく愛おしかった。
「大丈夫よ。怖がらないで、私が一緒だから。私が瞬を守ってあげる」
 麻理子の唇が、瞬の唇に重なる。
 そして・・・
 波の上で、二人は初めて結ばれた。
 月が優しく、二人を見守っている。

 島の浜辺に一頭のイルカが打ち上げられた。
 瞬は他の漁師たちと一緒に、そのイルカを海に戻してやる作業を手伝っていた。
「せえのぉ!」
 漁師たちのかけ声で、多くの観光客が見守る中イルカがようやく海に戻る。
 キュイッキュイッ!
 ようやく水の中に戻れたイルカは、疲れた身体を癒すようにしばらく浜辺の辺りをうろうろしていた。
 瞬は、ふとイルカの視線が、自分を見つめているのに気付いた。
 キュイッキュイッ!イルカがこちらに向かって何か言っている。
(おまえはこんな所で何をしてるんだ?)
「え!?」驚く瞬。
 イルカが瞬に向かってそう言ったような気がしたのだ。
 キュイッキュイッ!
(そこはおまえの世界じゃないだろうに)
 確かにイルカが自分に向かってそう言っている。
「どういうことなんだ!」
 しかしイルカは答えず、そのまま向きを変えて泳ぎ去った。
「俺の世界じゃ、ない・・・?」
 瞬は呆然と立ち尽くした。
「瞬、どうしたの」麻理子が声を掛ける。
 瞬は釈然としない表情で、麻理子と共に浜から引き上げた。
 その様子を、一人の女が遠くから見守っていた。

「今日はやめだ」宮島は、今日の漁を中止することにした。
 台風が近づいている。予報は時化になっていた。
 海が時化るということは、対岸へも渡れないことを意味する。
 従って、たくさんの観光客が、島で足止めを食うことになっていた。
 RRRRR・・・・・電話が鳴った。
 宮島が受ける。
「・・・なんだって、・・・わかった、すぐ準備する」
「親父、何があったんだ」瞬は宮島に聞いた。
「釣り船が一艘、行方不明らしい」
「え!」
「俺はこれから船を出す。今なら少しは何とかなる。おまえも来るか?」
 瞬は返事より前に体を動かしていた。

 荒れはじめている海に、宮島は船を出した。
「瞬、連中どの辺流れてると思う!」
 宮島は瞬に言った。
「え!?」瞬はきょとんとした顔で宮島を振り返った。
「え、じゃねえ。おまえのカンは海の上じゃ外れたことねえんだ」
「そんなこと言っても」
「いいから、言って見ろ!」
 瞬はしばらく目を閉じた後、宮島に方向を指示した。
 やがて、彼らの行く手に、白い浮遊物が現れた。
「やべえぞ、転覆してやがる」
 宮島はまず島に無線連絡をして位置を伝えた。
「あそこ!」瞬が叫ぶ。
「なんだ!」
 瞬が指差した先に、オレンジ色のライフジャケットが見える。
 宮島は即座に船を寄せた。
「大丈夫か!」
 二人掛かりで、ライフジャケットの男を船に引き上げる。
 海水を吐かせ、頬を叩くと、男は少し生気を取り戻した。
「他はどうした!」
「俺の、ほかに、三人投げ、出された」
 しかし、周囲には他の人間は見あたらない。
風も波も強くなる一方だった。
「瞬、そいつ見てろ」
「どうすんだよ」
「島に戻る」
「他の三人は!」
「馬鹿野郎、このままひどくなったらこっちがもたねえぞ」
 宮島は船を島に向ける。
「もうじき保安庁に連絡行ってヘリコプターなりが来るはずだ」

 宮島の船は何とか島に帰り着いた。
「いま保安庁のヘリと巡視艇が向かってるそうな」
 駐在が宮島に告げた。
 救助した男はひとまず駐在所に運ばれ、島に一人の医師が応急手当をした。
「大丈夫。命に別状はない」医師の一言に宮島たちは胸をなで下ろした。
「何で船出した?台風来とるのわかっとるだろうに」宮島はたまらず男に問いかけた。
「信じねえかもしれねえが、人魚を、見たんだ」男は言った。
 宮島の表情が凍り付いた。
「俺たちが港を出たのは昨日の夕方だった」
 男が話し始めた。
 彼の話によれば、彼らは昨日の夕方、夜釣りに出かけた。
 台風の影響が来るのは明日の朝からだろうと踏んだ彼らは、早めに戻る旨を周りにも伝えていた。
 しかし、もう引き上げようかという頃になって、仲間の一人が突如、叫んだ。
「人間が浮いてる!」
 慌ててライトで照らすと、それは身を翻して海に潜った。
 魚探にも人間大と思われる影が映っている。
 彼らは慌ててその影を追いかけた。
 しかし、追いかけているうちに、まだ穏やかだった海は徐々に荒れ始め、仕舞いには大波が船を襲い始めた。
 あっと言う間に船は転覆し、彼らは海へ投げ出されて、結局宮島らに救助されたということだった。
 しかし彼によれば夕べの嵐は異常だったという。
「あれは、人魚だ。まちがいねえ」
 男は続けた。
「昔の海賊も、人魚を追いかけて嵐に飲まれたってえじゃねえか。人魚伝説は本当だったんだ」

 救助した男の話は、宮島の心を揺さぶった。
 さらに、瞬のカンは外れることなく釣り船を発見している。
(やはり瞬は・・・)
 彼は知っていた。瞬が最近徐々に変化していることを。
 ここ何週間かで、体型がかなり女っぽくなっている。
 彼は敢えて瞬には言わないが、彼の思うところこれは、病気などではなく、瞬の、もって生まれた運命というか、先天的なものなのであろうと思っていた。
 人魚伝説では、女の人魚が島の男を誘惑したという話はあっても、男の人魚の話はまったく出てこない。これは、人魚の中に男がいないからではないだろうか?
 伝説の中の人魚は、人間と普通に話をするほど人間に近い。実在するなら、もっと目撃談等があっても良さそうなものである。何らかの理由(やはり女しかいないのか?)で単独種での繁殖ができず個体数が少ないのだろうか?
 瞬が人魚ならば、という仮定に置き換えてみると、説明が付く点がある。
 もし人魚の男が成長後瞬のように女性化していくならば、単独種での繁殖は難しい。
 したがって、女の人魚が男を誘惑するという話も理解できる。
(しかし・・・)
 宮島は、推理してみたものの、証明したくも、信じたくもなかった。

 台風が通り過ぎたが、島はさしたる被害は受けていない。
 しかし、釣り船の遭難から始まった人魚騒ぎが、マスコミを巻き込んで再び島を襲い始めた。
 連日、TV局などが島の神社や、「人魚ゆかりの場所」を訪れている。
 観光客が増えるのは良かったが、今まで静かだった島の裏手のほうまで人が入り込むようになったのを見て、瞬は内心面白くなかった。
 今まで瞬と麻理子の聖域だった岩場も、ほぼ毎日マスコミに占領されていた。
 そして、誰が漏らしたのか、魚群を見つける名人として、瞬の所にも取材の申し込みが来るようになっていた。
 こういうときの噂の広がりは早い。
 あっと言う間に、瞬が水泳大会でとんでもない記録を出したこと、遭難した釣り船を発見したことなどが週刊誌に書かれ、取材攻勢は日々激しくなった。
 もちろん瞬は取材を受ける気など全くない。
 それがまた、取材意欲を煽るようだった。
 麻理子と会うのもままならない日が続いた。
 そして・・・


<第3章 晩夏>

「あーあ、夏が終わっちゃう」麻理子は努めて明るく言った。
「ごめん・・・」
「何で瞬が謝るの?」
「俺のせいで・・・」
「ううん、瞬のせいじゃない。夏は、行くものだし」
 夏休みも余すところあと2日。
 政界で起きた大事件のおかげでようやく人魚騒ぎも一段落していた。
 瞬の変化はさらに進んでいた。
「いいなあ。私もそんなすべすべのお肌になりたい」
 麻理子は、プラス指向で瞬と話をするようにしていた。
「俺、このまま女になってくのかなあ」
「そんなこと言わないの。瞬は、瞬でしょ」
 日々不安が強くなる瞬を、麻理子は少しでも助けてやりたかったのだ。
 岩場を駆け抜ける風も、秋の気配を運んで来始めていた。
 麻理子がふと、視線を感じて振り返る。
「瞬、あの人たち」
 そこに、二人は立っていた。
 あの、夢の中で見た、二人の女が。

「一体あんたらは」瞬が、たまらず口を開いた。
「18年前、私たちはこの島を去った」大きい方が答えた。
「大きくなったわね」もう一人の方が言う。
 瞬には、二人の正体が分かったような気がした。
 しかし、瞬が見たところ二人ともあまりに若く見える。
 それに気付いたのか、再び大きなほうが答える。
「君もじき解ると思うが、我々は人間と同じように年を取るわけではない。生き延びるために途中までは人間と同じ早さで成長するが、そのうちに人間よりも成長速度がかなり落ちる。代わりに、寿命は非常に長い」
「瞬、この人たちって?」麻理子は不思議そうに聞いた。
「人魚、ですね」瞬は、辛うじて声を出した。
「そう。そして、君も私たち種族の一人だ」
 大きい方は、外見はどう見ても女だったが、話し方を聞いていると、男なのか女なのかよくわからなかった。
「18年前、流出した原油がこの島に押し寄せた。私たちには問題のないことだがこの島の生態系には大きな打撃だった」
 大きい方は続ける。
「私たちはここでの生活を諦め、新天地を求め避難することにした。しかし、まだ生後間もない子供を連れていくのは、リスクが大きすぎると判断した」
「ごめんなさい」小さい方は涙を流していた。
「子供は男の子だった。私たち種族に男性は存在しない筈だった。私たちは考えた、もしかして我が種族にもついに単独で繁殖できる日が来たのかと。そう考えるとなおさら宛のない旅にまだ体力のない子供を連れていくことはできなかったのだ」
「でも俺の身体は・・・」瞬は言いかけた。
「そう。あなたもついに女性化が始まった。それはやはりあなたが私の血を引いているからに他ならないの」
「私たちには、個々の生存能力を最優先する遺伝子が組み込まれている。その働きによって、現在自分が過ごしている環境に最適な身体構造に変化していくのだ。人間に限らずとも、オスよりもメスの方が生命力も順応性も強い。私たち種族がメスの身体構造に特化するのは仕方のないことなのだ」
「じゃあ何で俺は男でいたんだ!」
「わからない。我らのもとで生まれた時を含めておそらくいままではオスとして生活する方が適応しやすい環境だったのだろう。人間社会の中では、オスとして生きる方が適していたのかもしれない」
「私たちには、もう単独で繁殖する希望は失われたわ」
「君も厳密に言えば純血種の人魚ではない。それはもともと人間であった私の血が入っているからだ」
「もともと人間だった?」
「私もちょうど君ぐらいの年だった。私は妻と交わり、妻の血を吸って人魚になったのだ」
 麻理子が目を丸くして聞いている。
「あれは事故だったが、私は後悔していない」
「俺に、どうしろと言うんだ」瞬は、問いかけた。
「できることなら、私たちと一緒に暮らして欲しい」
「ずいぶん勝手じゃないか」
「わかって!ああする他なかったの」小さいほう(おそらく母親だろう)が言った。
「今すぐに決めてくれとは言わない。しかし、いずれ解るときが来る。今の人間と我々は一緒に生きていくことはできないのだから」
 父親に当たるであろう大きな方の人魚は言った。
「今の人類は大昔に我が種族を創り出した人類と何ら変わるところはない。目先の自分のことばかり考えている。いずれ滅びるときが来よう」
「それであんたは、人間を捨てたのか」
「私の場合はそうではない。私は妻を愛した、ただそれだけのことだ。しかし人魚になってわかることもある」
「大昔の人類って?」麻理子が口を挟む。
「有史以前、高度な文明社会が存在したのだ。だが彼らは自分の事だけしか考えていなかった。自分たちが生き延びるために遺伝子工学を駆使して我が種族を創り出した。だが創り出した当人どもが人魚に変身する前に地球の怒りによってその文明はことごとく海に沈んだ。自分たちの創った我々の末路も見ないうちに」
「末路?」
「彼らが組み込んだ遺伝子のおかげで我々は例外なく女性化する。我々に流れている血は人間の体内に入ればその血液を同化していく。すべては自分が生き延びるためだ。文字通りエゴの塊の利己的な遺伝子ではないか。そこにいる我が子は奇跡的な例外だったのだ。しかし、その奇跡も夢に終わった。これからも我らの血を残すためには人間と交配せねばならぬのだ」
 大きい人魚は続ける。
「我々が何年生きると思う?普通の人間の10倍以上だ。こんな事が今の人間どもに知れたらどうなるか?人間どもはこの秘密を必ず手に入れようとするだろう。そして我が子は実験台にされ、その血液は高値で取り引きされるのだ」
「少し、考えさせてくれ」瞬は、頭を抱え込んだ。
「我が子よ」水に触れると大きな人魚の皮膚が鱗状に変化した。
「もうわかるはずだ。この皮膚を見るがいい。人間とかけ離れた早さで代謝を繰り返すこの皮膚は、すぐに新しい環境に対応する。おまえの皮膚にも同じ事が起こっているはずだ」
 皮膚の代謝が早くなり、いわゆる「きれいな肌」になっているのは確かだった。
「人間と我々は共存していくことはできないのだ」
「待っているわ、いつまでも」
 二人の人魚は、海に飛び込み泳ぎ去っていった。

「瞬・・・」
「麻理子・・・」
 二人はそれから、ずっと抱きしめ合っていた。
「麻理子、俺のこと、嫌いになったか?」
 麻理子は首を振る。
「でも俺、人間じゃないんだぜ。人魚なんて、得体の知れない化け物だぞ」
 瞬の涙が麻理子に伝う。
「ううん、瞬は瞬よ。人間とか人魚とか、そんなの関係ない」
 麻理子の涙も瞬の胸を濡らしていた。
 人間と人魚は共存できない、と人魚は言った。
 マスコミの取材攻勢に晒された瞬にはよくわかっていた。
 しかし・・・それが運命なのか・・・
 いつしか二人は、激しく求め合っていた。
「もしかしたら、これが最後かも知れない」
 そんな予感が二人を支配していた。
 二人はそのまま、一夜を過ごした。

 翌朝、宮島が船を出すために港へ行くと、瞬がすでに出漁準備を整えて待っていた。
 宮島にはわかった。ついにその日が来たのだと。
「よし、行くか」
 瞬が無言で頷く。宮島は船を出した。
 港の見える高台の上で、麻理子は涙を流して彼を見送った。
「瞬、大好きよ。ずうっとずうっと」

 漁は大漁だった。
 瞬は終始無言だったが、完璧に仕事をこなした。
「ご苦労さん」宮島が、肉の落ちた肩に手を掛けた。
「親父・・・俺・・・」
「ああ。来るときが来たんだな」
 瞬は頷いた。
「そうしょげるなって。俺はお前という息子に会えて、ほんとに感謝してるぜ」
 宮島の目には、涙が溢れていた。
「親父・・・」瞬はそんな父と、しっかりと見つめ合った。
「わかってらあ。こんな事いえた義理じゃねえかもしんねえが、またいつでも戻ってこい」
「親父・・・!」
「馬鹿野郎!余計なこと言うんじゃねえぞ。見せ物になる前にとっとと行け」
 宮島は溢れる涙を抑えもせずに言い放った。
 瞬は宮島に向かって頷くと、身を翻して海に飛び込んだ。
 服を脱ぎ捨てた瞬の身体は、もうほとんど女のようだった。
 海に入った瞬の皮膚が、鱗状に変化していく。
「元気でいろよ!」
「ああ、親父もな」
 瞬はそのまま、海の彼方へ泳ぎ去っていった。


<エピローグ:春になったら>

 久しぶりに、暖かい日差しが覗いていた。
 麻理子は、目立つようになったお腹を抱えて、あの岩場でひなたぼっこしていた。
 日差しは暖かくても、波の音とともに吹く潮風は冷たい。
 最近、肌がすごく滑らかになったような気がする。それが妊娠のせいなのかどうなのかは解らない。
 でも最近、ぽこぽこ動くようになったお腹の中身が、彼女に瞬を感じさせてくれるようになっているのは確かだった。
「春になったら、お父さんの所へ行こうね」
 麻理子は、お腹の中にいる子供に向かって、微笑みかけた。

(海に還る日:おわり)



あとがき

 再びこの話です。
 もともと話の筋をあまり考えずに書き始めたので、あっちへ飛びこっちへ飛びとまとまりのない感じはありますが、その辺はご勘弁を。
 ついでに今回は漁師さんについて勉強したわけではなくイメージだけで書いたのでその辺について無茶苦茶な事を書いているかも知れませんがご容赦下さい。
 このパターンで行くと、世代ごとに話が書けてしまいそうで恐いです。
 ちなみに私の中では、女性であることが人魚の必要条件になってます。
(男の人魚って、あまり想像したくないもんで・・・)
 ただ、瞬がはじめ男で生まれた理由は、「こういう話にする」という以外は何も考えてないので本当にわかりません。今の人間社会は平等かどうかは別として男と女どちらが得かなんて分からないし(なんて無責任・・・)。
 たぶん、亮君の血がまだ濃く残ってたんじゃないかと思います。

 では

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