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空想科学小話
人魚の涙
作:けぼ



 最高の天気に恵まれた浜に、波が打ち寄せていた。
 亮は、夏休みを利用して友人と海水浴に来ていた。
「どうしたんだよ、ぼーっとして?」
「いや、何でもない」
「一緒にナンパしようぜ」
「いいんだ」
 他の友人達はともかく、彼がこの島へきたのは理由があった。彼にとってこの島は忘れられない思い出の島だった。
 そのために今回の旅行計画が持ち上がったとき、彼は強硬に「神姫島がいい」と言い張ったのだ。
 はしゃぎ回る友人をよそに、彼は一人浜に佇んでいた。
 その姿を、遠くから見つめる影があった。

 神姫島といえば古くから伝わる伝説がある。
 既にマスコミ等で取り上げられているので新鮮味はないが、よその島にある伝説とは違ってここの伝説は言い伝えというより「記録」のような古文書に書かれてあったらしいため一種異彩を放っていた。
 しかし残念ながらその古文書は、何者かに盗まれここには残されていなかった。 
 かつて古文書に書かれていたといわれる話は、以下のようなものである。

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 昔々、神姫島はこの近辺を荒らし回る海賊の根城だった。
 ある日、島に若い娘が流れ着いた。権兵衛という島人が、その娘を助けて自分の家に連れて帰った。
 その娘はあまりに美しかったので、海賊の頭領が噂を聞きつけ権兵衛の家にやってきて、娘を差し出せと迫った。
しかし権兵衛は、「島に流れ着いたものを助けるのは島人のつとめ。弱り果てたこの娘をどうしてあなたがたに差し出せましょう」と頑なに断った。
 怒り狂った頭領は、いったんは引き下がったものの手下を集めて力ずくで娘を奪い取ろうとした。
他の島人の知らせで権兵衛は、やむなく娘を連れて島を逃げ出した。しかし海賊どもも船を出して追ってきた。いよいよ追いつかれようかというとき、突然娘が言った。
「私の言う方向へ船を進めて下さい」
 権兵衛が娘の言うとおりに船を進めると、海賊との距離は縮まらなくなった。
 それでも海賊は執念深く追ってきた。
 どのくらい逃げただろうか、権兵衛も疲れ果て、もう諦めかけたころ再び娘が言った。
「もう少し頑張って下さい。もうじき彼らは、永遠に追うことができなくなります」
 娘が妖しい微笑みを見せた。権兵衛が気がつくと、さっきまで穏やかだった海に嵐が襲っていた。海賊どもの船は次々と波に飲まれ、海賊どもは悲鳴を上げながら、海へ沈んでいった。
 ところが権兵衛は、安心するどころか船を戻した。娘が驚いて権兵衛に尋ねた。
「何をするのです」
「私が助けなかったら、彼らは皆溺れ死んでしまいます」
 彼は必死になって溺れかけた海賊を船に引き上げた。頭領でさえも、彼は助けた。権兵衛の小さな船は、たちまち海賊どもで一杯になってしまった。
「ハッ、馬鹿な奴よ。俺たちを助けたのが運の尽きだ」
 海賊はあろう事か権兵衛を海に放り出し、娘に迫った。
 しかし娘は、氷のような視線を海賊どもに向けると、身を翻して海に飛び込んだ。海に飛び込むやいなや娘の手や脚には鱗が生え、その先は鰭のようになった。
「ば、化け物だ」海賊どもは恐れおののいた。
 娘は溺れる権兵衛を抱えると、恐怖にのたうつ海賊どもをよそにあっと言う間にどこかへ泳ぎ去った。

 数日後、奇跡的に生き延びた権兵衛が島に流れ着いた。
 しかし権兵衛の生還は、すぐに海賊どもの知るところとなった。
「よくも俺たちをさんざんな目に遭わせてくれたな」
 海賊どもはよってたかって権兵衛を袋叩きにして、死にかけた権兵衛を見せしめのため浜に放置した。島人も海賊を恐れて近づこうとしなかった。
 やがて雨が降り出し、権兵衛の体についた血を洗い流した。すると海から、再びあの娘が現れた。
 娘は涙を流して権兵衛を抱きしめた。そして持っていた小刀で彼女自身の腕を突き刺すと、流れ出した血を権兵衛に飲ませた。そしてこう言った。
「心優しい権兵衛さん。あなたの命を助けるために、私の血を分けました。私の呪われた血を....許して下さい、たとえこの血が呪われていようとあなたの命には代えられない」
 娘は泣き続けた。やがて海賊がやってきて、化け物と恐れていたことも忘れたかのように娘を連れていき、さんざん慰み物にした後、やはり浜に捨てた。
驚くべき事に、権兵衛は歩ける程までに回復していた。娘に歩み寄ると彼は娘の弱り切った体を抱き上げた。
「私のためにこんなひどい目に遭わされて、私はどう償えばよいのでしょう」
「いいえ権兵衛さん、私はあなたのおかげで人間の心を取り戻す事ができました。それどころかあなたの命を助けるためとはいえ私の呪われた血を分けてしまいました。許して下さい...」
「命を助けてくれたのに許して下さいなんて...」
「私があなたにもたらしたのは災いだけです。いずれ私を恨む日が来るでしょう」
「そんな...」
「お別れです。あなたのことは永遠に忘れません。永遠に....」
 娘は権兵衛の止めるのも聞かず、海に入った。するとたちまち娘の顔に生気がみなぎった。娘は、島に向かって叫んだ。
「愚かな海賊どもよ、お前たちの命運は尽きた。永遠にこの血によって呪われるがよい」
 娘は悲しげな瞳で権兵衛に別れを告げると、海に潜り、再びその姿を現すことはなかった。

 その後海賊は、跡取りの男児を得る事ができず、やがて他の海賊に攻め滅ぼされた。そして争いの絶えない世を憂いた権兵衛は、何処へともなく姿を消した。

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 話は戻る。
 やがて日が落ち、亮達は民宿に戻った。しかしそこは遊びたい盛り、親元を離れた開放感も手伝い彼らは食事後再び遊びに出ることにした。
とは言っても、島の夜は早い。彼らの遊び場は若者の定番コースに落ち着いた。
「せっかくだから、肝試しにでも行かないか」友人の一人が言い出した。
「肝試しって、どっかするようなとこあるのかよ」
 言い出した彼は、自信ありげに頷いた。
「町外れの神社あるだろ。あの脇の道を降りて海岸の岩場の所までいくと、海につながった洞窟があるらしい。昔から人魚の住処って言われてるんだってよ」
「おまえ、なんでそんなこと知ってんだよ」
「さっき民宿の婆ちゃんが言ってた」
「なあんだ。でもただの洞窟だろ」
「いや、婆ちゃんによればどうやら満月の夜にそこに近づいちゃいけねえって昔から言われてるらしい。婆ちゃんも別に何があるかは知らねえけど昔からの言い伝えで満月の夜には誰も近寄らねえっていうし、実際何年か前に観光客が行方不明になって後で死体が上がった時も、行方不明になったのは満月の晩だったんでその洞窟に行ったんじゃないかって言われたそうだ」
 好奇心が一気に盛り上がった。
「よし、行ってみようぜ」
「人魚の住処って事は、伝説の人魚に会えるかもな」
 彼らは肝試しというより、探検の気分になっていた。
「ちなみに今日、満月か」一人がつぶやいた。
 空には明るく輝くまん丸い月があった。

 町外れとはいえ神社はすぐ近くだった。
 この神社はこの島唯一の神社で、境内には本殿の他に伝説の人魚を祀った祠がある。
 この祠はマスコミにも取り上げられるくらい有名だったので、彼らも見覚えがあった。
 さらに辺りを見回すと、祠の脇に海岸の方へ降りる狭い道があった。
「あったあった。ここを降りるんじゃないか」
 彼らは草をかき分け、道を降りていった。
「足下に気を付けろ」
 坂道には石で段が付けられていたが、じめじめして滑りやすくなっていた。
 降りて行くに従って、神社が断崖の上に立っているのが分かった。
「すっげー!自殺の名所になってもおかしくないぜ」
 ようやく一番下の浜までたどり着くと、上までは数十メートルはあった。
 小道は浜で終わっていた。あまり広くないこの浜は小道以外に進入路はなく、島の中でも完全に隔離された場所になっていた。
「神主のプライベートビーチってとこだな」
「なんかあやしいカップルでもいそうな雰囲気だよな」
 彼らは口々に感想を述べあいながら、浜を散策した。そして...
「おーい、この穴じゃないか!」仲間の一人が叫ぶと、みんなが集まった。
「おお、思ったより狭そうだな」
 そこには、直径2メートル程の穴が、黒々と口を開いていた。
「中にはいってみようぜ」彼らは、懐中電灯を持った者を先頭に次々と中に入っていった。

 洞窟の中は、入り口から想像するより広くなっていた。が、別に何か異様な雰囲気があるでもなかったので、彼らはどんどん奥へと入っていった。
「おお....」 
 やがて、洞窟はホールのようになって行きどまっていた。正確に言えば下に向かって穴が続いており、そこは水面になっていて、おそらく海につながっているものと思われた。
 そして、そのホールの天井には1メートル程の穴が開いており、その穴から差し込む月明かりが水面を照らして幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「おい、何かいるぞ」一人が、水の中を指さした。
「なんだ?でかいぞ」
 それは、水面に姿を現すと、人間大の大きさになって直立した。
「うわあああ、出たぁあああ」驚いた彼らは、先を争って逃げ出した。しかし、亮は運悪く仲間とぶつかってはじき飛ばされ、水の中に転落した。
「...?」
 パニックの中、亮はそれの顔を見た。それはひどく懐かしく、また彼が再びこの島に来た理由でもあった。しかし彼は落ちた拍子に頭を打ってしまい、その顔をじっくり眺める間もなく気を失った。

「ねえ、どうしたの、なんで泣いているの」
 幼い日の亮が、海岸に佇み海の方を見て泣いている娘に訊いていた。
「ううん、なんでもないの」娘は振り返ると答えた。
 亮は、思わず絶句した。振り返ったその姿が、子供心にしてもあまりに美しかったのだ。
「おーい、亮。帰るぞ」父が遠くで呼んでいた。
「ねえ、元気出してね。父さんが呼んでるから、ぼくいかなきゃ。じゃあね、バイバイ」
「バイバイ」娘は、やっと微笑んでくれた。
 亮は、上機嫌で父の方へ走っていった。そして、その光景は亮の記憶に焼き付いたまま消えることはなかった。

 亮は、目を覚ました。
 そこは、どこかの洞窟だった。しかし、あの洞窟ではない。ゆっくり辺りを見回すと、たき火が見えた。そして、その向こうに人間らしき影が二つあった。
「お若いの、目が覚めたようじゃの」かなりの年と思われる声がした。
「娘が迷惑を掛けたようじゃの。脅かす気はなかったようじゃけ、許してやってくれ」
(娘?)
 そこには老人と、彼女がいた。

「君は...あの時の」
 老人が下がって、亮は彼女と二人きりになった。
「やはりそうだったのね。覚えていてくれてうれしいわ」
 しかし、どうみても彼女はあの時と同じ年格好だった。あれからもう10年は立つというのに...。
「ずっと、あなたを待っていたの」
「ぼくを?」
 彼女は答えず、代わりに身に付けたものを外し始めた。
「何をする気なんだ...」
「怖がらないで。来て」
 まだ女性経験のない亮は少し戸惑ったが、彼女に導かれるまま彼女を抱いた。

「どうして私が年を取っていないか気になっているのでしょう」
「ああ」
「私は、人間ではないの。あなた達の言うところの、人魚」
「ああ。もう一度君に会えたときから、そんな気がしてた」
 心地よい疲労感の中、二人はたき火のそばに身を寄り添わせていた。
「あの時、なぜ泣いていたんだい」
「あの日、母が死んだのです。あの日私は私の種族の最後の一人になった」
「あの、お父さんは?」
「父は、もとは人間なのです」
「もとは?」
「ええ。でも母の血をもらった為に、父は長い、本当に長い人生を送らねばならなかったのです」
「どういうこと?」
「私の種族は、もう単独種では繁殖できないのです。私の種族には雌しかいません。だから一番近い種である人間の力を借りて、子孫を残すほかないのです」
「それとお父さんとどういう関係が?」
「私の血液には、他の種でも近ければ同化させてしまう遺伝子が入っているのです。だから父は普通の人間では考えられないほど長生きすることになりました」
「...いったい君たちは、どれくらい」
「母は、1200年ほど生きたそうです」
 彼女は、悲しそうな瞳で話した。
「おそらく父はもう長くはないでしょう。でももうだいじょうぶ。あなたのおかげでもう私は独りぼっちじゃない」
「...?」
「本当にありがとう。あなたにもらった命、大事に大事に育てるわ。さあ、もう戻らなくては、仲間のみんなが心配するわ」
「そんな..僕はもっと君のことが知りたい」
「いいえ、あなたは自分の世界に戻らなくてはいけない」
「もしかして...」
「え?」
「もしかして、子孫を残すためだけに僕と寝たのか...?」
「そんな訳では」
「だったら」
「お願い分かって。これ以上あなたを不幸にしたくないの。今なら引き潮だから岩場伝いにもとの浜に出られるわ」
 彼女は泣いていた。その顔は、あの時の事を思い出させた。
「もう会えないのか...」
「ごめんなさい。でも、これだけは信じて。私は」
「分かっているよ。困らせてごめん」
 亮は別れを告げると、洞窟を出た。
 泣き続ける彼女を、戻ってきた老人がなぐさめた。
「これでよかったのじゃ。これ以上知れば、お前も彼ももっと傷つくことになる」
 彼女は泣きながら頷いた。

 亮は彼女の言ったとおり岩場伝いに進んだ。月明かりのおかげで足下ははっきり見えたので、10分ほどであの神社の下の浜に戻った。
(本当に、人魚の住処だったのか)彼は不思議な感慨にとらわれていた。
 民宿に戻ると、仲間達は薄情にも既に寝ており、時計は深夜より明け方近くを指していた。
 彼は、大騒ぎにならなかったことを感謝しつつ、部屋の隅で横になった。

 翌日、亮達は再び何事もなかったかのように海水浴に出かけた。仲間達は置いて帰った事を気にしているらしく、夕べの事は口に出さなかった。
相変わらずはしゃぎ回る友人をよそに彼は一人、浜に佇み海を眺めていた。
 ふと、視線を感じたような気がした。
(気のせいかな?)
 彼は何気なく振り返って、目を疑った。
 あの日と同じ彼女が、そこにいた。

「父に内緒で、出てきたの」
「でもなぜ?」
「あの時の私は、人魚の私。今の私は、人間の私。そう見えない?」
 彼女はどう見ても普通の、人間の美少女だった。
「お願い、少しの時間でもいい。少しでも多くの時間をあなたと過ごさせて」
「君は、お願いばっかりだね」
「...」彼女は不安げな表情をした。
「嘘だよ。でも、本当にいいのかい?」
 彼女は、答えの代わりに腕を絡ませた。

 老人は、遠くからその光景を見ていた。
「愚かな...あの母の血か...」老人はつぶやいた。

 それから二日間、「いったいいつの間にナンパしたんだ?」という仲間達のつっこみもなんやかやと交わしつつ、二人は普通の恋人同士のように過ごした。
 もっとも、それは昼の間だけにしていたのでそれ以上怪しまれることもなかったのだが。
 しかし、事件は起こってしまった。
 三日目、二人は仲間と別行動で、島の裏手の岩場を散策していた。その岩場で彼女の方が脚を滑らせて転んでしまったのだ。
「だいじょうぶか?みせてごらん」
 幸い脚の方は怪我もなかったが、転んだ拍子についた手の平に、血が滲んでいた。
「おうおう、血が出てるじゃないか」彼は、彼女の手を取った。
「あっ、だめ!」
 遅かった。
 彼の口が、彼女の傷口を消毒していた...
「ああ、なんてこと」
「どうしたんだ?」
「い、いえ、何でもないの。ありがとう」
 しかし彼女のあわてかたを見て、彼は思い当たった。
(でも母の血をもらった為に、父は長い、本当に長い人生を送らねばならなかったのです)
「もしかして...」彼は、問うように彼女の顔を見た。しかし彼女は何も答えなかった。

 それから二人の間には、気まずい雰囲気ができてしまった。
 別れ際にも、彼女は笑顔を見せてはくれなかった。
 翌日、亮と仲間達は家に帰る為に桟橋に来たが、彼女は現れなかった。
「おい、あの彼女どうしたんだ?」
「なんだ、振られたか」
 亮は仲間達の冷やかしを受けながら船を待っていた。
「お若いの」
 突然、声を掛けられて振り返ると、そこにあの老人が居た。
「人の運命とは分からぬものじゃ。いずれわしのところにくるがよい」
「どういう意味ですか?」
 しかし老人は答えず、そのまま去っていった。
 亮は彼女に心を残して、島を去った。

 それから数日が過ぎた。
 夢のような世界から現実に引き戻された亮にとって、残りの夏休みは宿題と受験勉強に追われるものになっているはず、だった。
 しかし彼はそのどちらも手に着いていなかった。あの旅行以来、頭の中が彼女のことで一杯なうえ、身体が変調をきたしていたのだ。

「じゃあ、悪い、また今度な」亮は電話をおいた。
 このところかかってくる仲間達の誘いは全て断っていた。
(こんな体で、あいつらとなんか歩けねえ...)
 彼の体は、島から帰って以来変化し続けていた。
 頭の毛が伸びるのが速くなり、体重は変化していないのに腰回りが細くなった様な気がしていた。そして、皮膚が敏感になり、さらには胸まで筋肉が付いた訳でもないのに膨らんできている。
 もともと痩せていたので体に起伏が出てきたのが非常によく分かった。
 そして、何より町を歩く薄着の女に、魅力や性欲を感じなくなってきていた。現実問題仲間とナンパする気などなくなっていたのだ。
(まるで女になっていくみたいだ)彼は感じていた。鏡を見ると、まるで顔つきまで変わってきている気がするし、もっと困ったことに大事なところが元気が出なくなってしまっていてサイズまで小さくなってしまったようだった。
(もしこのまま女になってしまったら...)
(もしあのことに何か関係があるのなら...)
 全てが、島での出来事につながっていた。
 じたばたしても始まらない。彼は旅行カバンに荷物を用意し始めた。
 真実を知るため、そして男であるうちにもう一度、彼女に会うために。

 船が桟橋に着いたのは夕方だった。
 亮はあの日と同じように神社の脇を抜け、浜に降りた。
 彼女が、そこで待っていた。
「やあ」亮は、努めて明るく挨拶した。しかしその姿は既にかの日の亮の姿ではなく、背の高いボーイッシュな女性のような姿だった。
「あの日は送りに行かなくてごめんなさい。こちらへ...」
 彼女は少しうつむいたまま、案内した。
 亮が案内されたのは、先日とはまた別の洞窟だった。
「おお」
 そこには、亮が思わず声を上げるほどにたくさんの本の山があった。
「驚いたかの。この本と言う奴は本当に役に立つし、人生の友じゃのう。まさに最大の発明じゃ。ここ百年ぐらいの科学の進歩には本当に感心しとる」
 本の山に埋もれて、老人が座っていた。
「おお、やはりそなたはそのようになったか...。娘のしたこととはいえ許してほしい」
「いえ、許すも許さないも、どういうことか教えて下さい」
「聞いてどうする?」
 亮は、返答に困った。
「どうするといわれても...」
「そうじゃ。聞いてもどうにもならん。そなたの人生はもうほとんどきまっておる。問題はそれを受け容れる覚悟があるか否かじゃ」
「覚悟?」
「わしはもう長くはない。わし自身も真実を語り継ぐべきか否か迷っておった。そこにそなたが現れ、わしによく似た運命を歩むことになった。じゃが、真実は重い。真実を知るにはその重さに耐えうる覚悟が必要じゃ」
「覚悟...そんなものとっくにできてます。そんなの承知で彼女とつきあったんだから。それで覚悟とは認めてもらえないですか」
「そなたはまだ知らぬのじゃ。いずれわかることじゃが」
「だから、どういうことなんですか」
 亮は苛立っていた。
「まあよい。では聞け。はじめにそなたの運命から話そう」
「...」
「そなたも察しているとおり、そなたの体はもうじき完全に女のものになるじゃろう。じゃが、その先はまだわしにもわからん。娘の血を吸ってしまった故、仕方のない事じゃ」
「...」
「かくいうわしも、大昔にその母の血を吸ったが故、男でも女でもない体になっておる。じゃがわしが吸った時はそなたよりももっと年が行っておったからのう、完全に女になりはしなかったし、海に入っても鱗ができたりはせんが、そなたはまだ若い。体が完成されておらんが故、もしかしたら完全に娘のようなからだになるやもしれぬ」
 老人は続けた。
「ここ数十年の間、つまり本というものが手にはいるようになってから、わしはそれの母の話を、やっと信じられるようになった。それまでの400年間は、ただの作り話、神のなせる技かとおもっていたがの」
「母の話?」
「人魚は、どこから来たかという話じゃ。そしてなぜとてつもなく長生きをし、なぜ海に入れば魚になり、なぜその血は人間を同化し、そしてなぜ雌しかおらぬのか...こんな自然の摂理に反したものがあってよいのか?結論から言おう。これは神の仕業でも、あやかしでも何でもない。人魚は、人間が作ったのじゃ」
「人間が、作っ、た?」
「そう、今の科学から考えても、十分にそれの母の話はありうることじゃ」
 それは、驚くべき話だった。

 
 大昔、老人が出会った人魚の数世代前の時代...
 人類は高度な文明をもち、地球上のあらゆる場所を制覇しようとしていた。
 繁栄をきわめた人類は、いつしか宇宙へも進出しようとしていたが初期の宇宙進出計画はことごとく失敗に終わった。
 そんな繁栄の陰で、地球の自然バランスは崩れはじめ、人類は次第に滅びへと進み始めた。それを察した科学者達は宇宙進出計画、すなわち地球脱出計画を企て始める。
 しかし、宇宙で人類を生存させ子孫を残すには、地球環境に似た星を探すか、人類そのものの変革しか方法がない。科学者グループの一部は、ついに禁断の領域である遺伝子の世界へ踏み出していった。人間の適応力を高め、厳しい宇宙環境でも生活し繁殖できるように改造しようとしたのだ。
 人体実験が繰り返され、ついに「新」人類第一号が完成する。しかし、時間はなかった。
 地球の自然バランスは取り返しのないほど破壊され尽くされていた。そして、新人類誕生のデータを、我先にと手に入れたがる権力者達。もはや人類には力を合わせて危機を乗り切る団結力はなく、おのおのが私利私欲に走っていた。あるものは地球を脱出しあてのない旅に出かけ、あるものは「進化」への切符を手に入れようと争奪戦を繰り広げた。
 終末は必然的だった。欲のぶつかり合いは憎しみを生み育て、育った憎しみは地球規模の大破壊を生んだ。
 大洋が火を噴き、巨大な津波は全地球的な大洪水を発生させた。繁栄を誇った都市はことごとく海に沈み、古代文明はここに滅ぶのである。
 生き残ったわずかな人々は、自分たちの行為を恥じ、文明を捨て地球の自浄作用にすべてをまかせた。

 津波に飲まれたのは、新人類とて例外ではなかった。しかし、「彼女」は死ななかった。
 極限まで高められた適応能力は水中という環境に即座に適応していた。手足には魚のような鰭ができていた。「彼女」は次の本能である、「繁殖」を目指した。
 しかし、「彼女」の遺伝子には致命的な欠陥があった。
 「彼女」の遺伝子は適応能力と生存能力を高めるために自信の体を変化させるようにインプットされていた。その結果、性別までもがより高い適応能力と生存能力を持つ「女性」になっていたのだ。その上、他の個体から輸血や臓器提供を受けた場合でも生き残れるよう、また他の種との交配によっても繁殖ができるように血液自体に他の細胞を自分の種に同化するような遺伝子が組み込まれていた。
 結果的に、同種間でなくとも単独種として繁殖することは可能ではあったが、雄は永遠に生まれることはないのだった。
 そして、長い恒星間飛行に対応するため、寿命は飛躍的に伸ばされていた。
 こうして、「人魚」は古代文明の遺産として、あらゆる環境に適応しつつ現代まで生き延びた。


「ぼくの体が女性化していくのは、つまりその、適応力と生存力を高めるためというわけですか」
 老人は頷いた。
「どちらにしろもうそなたは男の子を産むことはできなんだ」
「え?」
「血液だけでなく、人魚のあらゆる体液には我々人間に影響を及ぼす作用があるらしゅうての。それの母は言わなんだが海賊どもはすぐに滅んでもうたよ」
「あなたは、もしかして伝説の権兵衛さん!?」
「若い頃はそう名乗っておったがの、これだけ長生きするともう名前などどうでも良いもんじゃ。そなたにもそのうち分かる。わしはわし、ただの本好きの老人じゃ。そろそろ薬も切れた。娘、を、よろ、しく、おたのみ申す」
 さっきまで元気だった老人は急激に顔色が悪くなり、そのままついに事切れた。
「あなたが来るのを、待っていたの」娘が言った。
 傍らには、空き瓶が転がっていた。
「母の、骨の最後のひとかけら」
「...」
「父は、あなたを選んだ。私も」
「僕も、君を選んでいいかい」
「え?」
「僕は僕。何になっても僕は僕。君と、三人でいつまでも暮らそう」
「本当に...」
「僕は自分が分かったんだ。文化も何も、僕にはいらない。君がたとえ何であっても君がいればそれでいい。あの日、君と出会ったあの瞬間から、僕の運命は決まっていたんだ。ここへもう一度来て、本当に良かった」
 彼女の目から、涙が溢れた。
「それに、僕の秘密が公になったら困るしね。それとも、僕が女になるのが気に入らないっていうのかい?責任は、とってもらうよ」
 彼女は、膨らみが出始めていた亮の胸に飛び込んだ。
「あなたはあなた、私は私。ずっと、いっしょよ」
 こうしてこの世に、また新しい人魚が生まれた。

 
 朝日が昇る。
 二人の娘は、遠くを見つめていた。
 自分たちと、人間の未来を。
 (了)


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 あとがきにかえて
 人魚はどうしていつも美女なのか、という素朴な疑問から始まったのがこの話でした。
 はっきりいって話の内容はそっちのけで人魚の起源に焦点を絞った(でもおかしいな、企画時点でもっとドラマチックに性転換するはずだったのに...)ので、またもや設定ばかりが重くのしかかり、結果的にお話が完全に付け足しになってしまうという悪循環に陥っています(ついでに言えばほぼまったく萌えません)。
 自分のイメージを文章表現する事がとても難しい作業であるのを痛感し、書きながら今まで読んだ作品の作者すべてをすっごく尊敬しました。
 また時間があったらお話を作ってみたいと思います。
(こんどはもっとうまくやるわ!)
平成10年夏  けぼ


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