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 僕の名前は高森(たかもり)しのぶ。高校一年生。
 女みたいな名前だけど、僕はれっきとした男……のはずだった。
 ある日、いじめにあっていた僕は、公園で不思議な機械を拾った。
 手のひらサイズの携帯端末のようなその機械で個人情報を変更すると、驚くことにその内容が現実になってしまうのだ!!
 僕はその機械をあつかっているうちに、誤って自分の性別の項目を“女性”に変更してしまった。
 翌日、女の子に変身してしまった僕は、再変更が可能になる24時間後まで「女の子のふり」をすることにした。
 だけど学校から帰る途中、機械を拾った公園で神秘的な衣装を着た女の人が現れて、僕の手から機械を取り上げ忽然と姿を消してしまったのだ……。



天使の携帯端末

(後編・パターンB)

作:ライターマン


 「……ただいまぁ」
 日が暮れてしばらくして、ボクは家の玄関のドアをくぐった。
 「お帰りなさいしのぶ。……遅かったわね、どうしたの?」
 母さんが台所から夕食のしたくをしながら尋ねてくる。
 「うん、ちょっと落し物して、探し出すのに時間かかっちゃって……」
 あれからしばらく、ボクはあの曲がり角の近くを走り回って、機械を持っていった女の人を探しまわった。
 この近所では金髪の外人なんて珍しいし、服装もギリシャ神話の挿絵に出てくるようなデザインだったので目立つはずなのだが、その女の人は影も形も見当たらなかった。
 ボクの様子を心配した土屋君も一緒に探してくれたけど、結局見つからず、ボクは家に帰ったのだ。
 部屋に戻ったボクは、セーラー服とスカートを脱いでハンガーに架け、タンスの中からブルーのTシャツとジーンズを探し出して着替えた。
 ボクは父さん母さんと一緒に夕食を食べたけど、終始無言だった。
 そんなボクが夕食を食べ終わって部屋に戻ろうとしたら、母さんが後ろから声をかけてきた。
 「……しのぶ。お風呂沸いてるから先に入りなさい」



 洗面所に入ったボクは、Tシャツとジーンズを脱いだ。
 それから自分の体を意識しないようにブラジャーとショーツを脱ぐと、それを洗濯機の中に放り込んだ。
 なるべく下を見ないようにして風呂場に入ったボクは、ゆっくり息を吸い込み……そして、目の前にある鏡に映っている自分の姿を見た。
 「…………」
 顔は男の頃のボクの顔とほとんど同じだったけど、顎のあたりが細くなり、口のあたりも小さくなったような気がする。
 髪は長くなって肩のあたりまで伸び、緩やかにカーブしている。
 幅が狭くなってなで肩になった肩、胸にある大きな二つのふくらみ、細くしまったウエスト、腰は大きく張り出し……と、そこまで視線を下げたボクだったが、それ以上は見ることが出来なかった。
 ボクはシャワーからお湯を出すと温度を調節し、始めのうちは左腕から肩にかけてお湯を浴びていたのだが、意を決して体全体にシャワーのお湯を浴びせた。
 お湯がボクの体を流れていく。ボクの肩、胸、腰、そしてその下を……それはボクに、体のラインの変化を意識させた。
 そのうちにお湯が皮膚に当たる感覚が気持ちよくなって、ボクはそのまましばらくシャワーを浴び続けていた。
 髪の毛を洗う。長くなった髪をシャンプーするのはけっこう面倒だった。
 次にタオルと石鹸を使って体を洗ったんだけど、タオルが肌をこするときの感触は男のときと全然違っていた。
 (女の子の肌って……敏感なんだ……)
 お湯で石鹸を洗い流し、ボクは風呂の中に身を沈めた。
 体の……特に胸の部分の感覚にボクは戸惑い、心臓がドキドキと早鐘のように脈打ちだした。
 興奮したボクは体が温まり始めると、すぐに風呂を出た。
 そして、その日はベッドにもぐりこんでそのまま寝てしまうことにした。



 次の日の朝、目が覚めたボクは自分の体を確かめてみた。
 ……まだ女の子だった。
 鏡を見たボクは、大きくため息をついてつぶやいた。
 「はー、どうしてこんな事になっちゃったのだろう……」 
 一昨日あの機械を操作しなければ……いや、そもそもあの機械を拾わなければ…………
 頭に浮かんでくるのは後悔の念ばかりだったけど、今日も学校はあるのでボクは着替えることにした。
 さすがに昨日に比べてスムーズに着替えられるようになったものの、鏡に映ったセーラー服姿の自分を見ると、やはり恥ずかしさが先に立った。
 朝食を済ませると、例の公園に立ち寄るために、いつもより早めに家を出た。
 歩きながら、ボクはこれからのことを考えた。
 あの機械がないとボクは男に戻れず、ずっと女の子のままということになる。
 まわりのみんながボクを「女の子」だと認識し、おそらく戸籍の方も「女性」になっているだろうから、このままでも社会的には問題ないだろう。
 けれどもボク自身が「男の子」だった記憶を持って、自分を男だと認識している以上、今後「女性」として生きていくことができるのだろうか? ……自信はなかった。
 何とかしてあの女の人を探し出し、事情を説明して男に戻してもらうしかない。
 「けど……本当に見つかるんだろうか?」
 手がかりのないボクは、歩きながらそうため息をついた。



 公園についたボクは、10分ほど公園の中や周りを捜してみたけど、あの女の人の姿や手がかりは全く見つからなかった。
 始業時間が近くなり、仕方なく学校へと歩き出したボクを後ろから呼び止める声がした。
 「しのぶ!?」「……え? あ、若松さん」
 それはボクのクラスメイトの若松純(わかまつ・じゅん)さんだった。
 「どうしたのこんなところで? あなたの通学路から少し離れているはずだけど?」
 「え……あ、あの、女の人を捜してたんだ」
 「女の人?」
 「うん、金髪で少し間延びしてるけど流暢な日本語をしゃべる外人の……昨日は白い神秘的な服を着てたんだけれど、そんな人見たことないかな?」
 「うーん……この辺はよく通るし、金髪の外国人なんてこの辺じゃ珍しいから目立つはずなんだけど……ごめん、全然わからないわ」
 「そうか、はぁ……どうしよう……」
 ボクがため息をつくと、若松さんは不思議そうに尋ねた。
 「どうしてその女の人を捜さないといけないの?」
 「え、えーと、詳しいことは言えないんだけど……と、とにかく、その女の人に会わないといけないんだ」
 ボクがそう言うと、若松さんは少し考え込んで、顔を上げた。
 「しのぶ、今度の土曜日に隣町のショッピングモールに行かない?」
 「ショッピングモール? どうして?」
 「その女の人がこの辺の人の可能性は高くないんでしょう? だったら人通りの多いところで捜したほうがいいんじゃない?」
 「そうか、そうだね」
 若松さんの言うことは正しいように思えたし、人通りが多いといえば去年オープンした隣町のショッピングモールが最適のように思えた。
 「じゃあ決まり!! 9時半に中央広場の時計の前で待ち合わせしよ」
 若松さんはうれしそうに笑いながら、ボクの肩をたたいた。



 金曜日の夕方、ボクは公園の近くの通りを歩いていた。あの日からボクは登下校時に公園の近くを捜していたのだけれど、結局あの女の人は見つからなかった。
 日が暮れてきたので帰ろうとしたボクは、女の人を見失った角の所で、また土屋耕輔(つちや・こうすけ)君とばったり出会ってしまった。
 「あ、あれ、高森さん? どうしてここに?」
 土屋君はびっくりしたようにきいてきたけど、それはボクも同じだった。
 「土屋君? 土屋君こそどうして?」
 逆にボクが質問すると、土屋君は、
 「僕は家がこの近くだから……あ、もしかしてこの前の女の人を捜してるとか?」
 「う、うん。あれから似たような人、見たことないかな?」
 「いや、残念だけど……ごめん、役に立てなくて」
 土屋君は首を横に振り、すまなそうにそう言った。
 「もしよかったら、これから捜すのを手伝おうか?」
 「ううん、いいよ。今日はもう遅いし、明日は若松さんと別の場所で捜す事になってるから……」
 そう言ってボクは土屋君と別れ、家路についた。



 土曜日、ボク達は約束の時間に待ち合わせ場所に到着した。
 「おはようございます、若松さん」
 「おはよう。うーん……しのぶ、その格好ちょっと似合わないんじゃない? もっと明るい服を着てスカートを穿いた方がいいのに」
 その日のボクの服装はクリーム色のブラウスに、紺のジーンズという格好だった。
 ボクの洋服ダンスには若松さんが言うような服もたくさんあったけど、それを着て人前に出るのはとても恥ずかしくて出来なかった。
 僕が下を向いて返答に困っていると、若松さんは、
 「しのぶ、実はここに私の叔母さんの店があるのよ。叔母さんにも協力してもらった方がいいと思うから、これから行ってみようっ」



 ボクが連れて行かれたのはメインストリートにある若い女性用のブティックだった。
 若松さんはボクを連れて開店前のその店に入ると、準備をしていた店長らしき女の人に声を掛けた。
 「叔母さん。連れて来たわよ」
 「あら、来たわね。純、その娘が例の?」
 「そう、高森しのぶさん。私のクラスメイト」
 「高森です。よ、よろしく……」
 若松さんに紹介され、僕はお辞儀をしながら挨拶した。
 「私は美作弥生(みまさか・やよい)よ。こちらこそよろしく」
 弥生さんは自己紹介をしながらやさしく微笑んだ。そしてボクの顔や服装をジロジロと見て、
 「ふーん、服のセンスはイマイチだけど素材は悪くないわね。……ちょっと待ってて、今服を選んでくるから」
 そう言うと、店の奥に入っていった。ボクは訳が分からずに、
 「どういうこと?」
 と、若松さんに尋ねると、
 「実は以前、叔母さんが『マヌカンも出来るアルバイトが欲しい』って言ってたから、しのぶのことを紹介しといたのよ」
 と、答えが返ってきた。
 「えーっ!! そ、それってつまり……」
 「そーいうこと。バイトと言っても店の服を着て挨拶するだけで、お客さんの応対はお叔母さんがやってくれるし、ここからならガラス越しにメインストリートが見渡せるじゃない」
 「ち、ちょっと勝手に決めないでよ! それにここからメインストリートを見れるということは、逆にメインストリートからボクが見られるということじゃないか。そんなの恥ずかしいよっ」
 「お願いしのぶっ、今月小遣いピンチなのっ!! 引き受けてくれたら紹介料もらえることになってるし、あなたもバイト料が入るからいいじゃないっ」
 両手を合わせて拝まれて、ここ数日特に世話を焼いてもらっていると感じていたボクは、「はめられた……」と思いつつも断ることが出来なかった。



 その日は夕方近くまで、弥生さんのブティックで働いた。
 ボクは弥生さんから渡された萌黄色の上下を着て、来客の応対をした。
 スカートの部分は裾が少し広がるような感じになっていてすごく恥ずかしかったし、バイトの経験のなかったボクは上手に応対出来なかったのだが、どういう訳か弥生さんはボクのことが気に入ったみたいで、「しばらく来てくれ」と言われ、バイト代の一部としてその日に着た服を渡された。



 バイトが終わったボクはレジで手伝っていた若松さんの作業が終わるのを待って、一緒に店を出た。
 そしてショッピングモールを歩き回ったあと、そこを出て駅前の喫茶店に入り込んだ。
 「しのぶ……怒ってる?」
 若松さんが珍しく上目づかいになって、ボクに尋ねてくる。
 「そりゃ普通怒るでしょう。バイトなんて勝手に決められて、店の中や外からジロジロ見られるし」
 「うー、ごめん……でもさあ、ショッピングモールの中をただ捜しまわってもうまくいかなかったと思うよ。ナンパされてそれどころじゃなかっただろうし」
 「まあ、確かにそうかもしれないけど……」
 驚いたことに弥生さんのブティックを出て、喫茶店に入るまでの間、男の人から声をかけられて、「一緒に食事をしないか」と誘われてしまったのだ。それも二度。
 もちろんボクにそんな気は無く誘いを断ったのだが、男の人はあきらめずにボクに話しかけ、結局二度とも若松さんに助けてもらったのだ。
 「しのぶって顔はかわいいし、雰囲気がはかなげな感じがして『守ってやりたい!!』って感じがするのよねー」
 若松さんの言葉にボクはただ「ハハ……」と乾いた声で笑うしかなかった。
 本来なら逆であるべきなんだけど、ボクと若松さんの関係はボクが女の子になる前から若松さんの方が守る側だった。
 ボクはそれを情けないと思いつつ今まで何も出来ないでいて、活発でボクに明るく笑いかけてくる若松さんにあこがれの念を抱いていたのだ。



 「それにしても結局見つからなかったね」「……うん」
 ボクは答えて少し落ち込んだ。
 そんなボクを見て若松さんは、
 「そんなに落ち込まないで……まだ捜し始めたばかりじゃないの。あきらめないで捜せばきっと見つかるよ。私も手伝うし、バイトも一緒に付き合ってあげるからさ。元気出してよ」
 と、言って励ましてくれた。
 「ありがとう。そうだよね、諦めなければきっと見つかるよね」
 若松さんの言葉で少しだけ元気が出たボクは、ほんのちょっとだけ笑うことが出来た。



 それから1ヶ月位が瞬く間に過ぎた。
 相変わらずボクは女の子として学校に通い、土日は弥生さんの店でバイトをしていた。
 (学校はバイト禁止なので、内緒なんだけど……)
 そして登下校時やバイトの行き帰りに、公園に立ち寄ってあの女の人を捜し続けた。
 女の人の手がかりは未だに見つからず、落ち込むときもあったけど、そんな時は若松さんや土屋君が励ましてくれ、若松さんは学校の帰りとバイトの時間にボクを手伝ってくれた。
 おかげで何とか今の生活にも慣れてきたのだけれど……



 学校からの帰り道、ボクと若松さんは公園への道を二人で歩いていた。
 「どうしたのしのぶ?どこか具合が悪いの?」
 若松さんが心配そうに尋ねてくる。
 「な、なんでもないよ」
 ボクはそう答えたが、たぶん顔色が悪かったに違いない。
 若松さんは周りに誰もいないのを確認して、小さな声で、
 「ねえ、もしかして……アレ?」
 と、聞いてきたので、ボクは真っ赤になりながら
 「う……うん」
 と答えた。



 しばらく前から覚悟はしていた。
 洋服ダンスの引出しの中にあった生理用品の説明書を見たりして、それが起きても慌てないようにと自分に言い聞かせてもいた。
 それでも実際に始まったときはショックだった。
 そして今感じている痛みが、自分が”女”なんだということをこれまでになく強烈に訴えていた。




 「そうか、それじゃあしょうがないか。最近しのぶは明るくなってきたのにどうしたんだろうと思ってさ心配してたんだ」
 「ごめんね……でもボクってそんなに明るくなったかな?」
 「うん、以前とは比べ物にならないくらい。これもバイトのおかげかな。お膳立てした甲斐があってよかったわ」
 「え!?」
 ボクはその言葉にびっくりして立ち止まった。
 「な、何? どうしたの?」
 「どういうこと? 『お膳立て』って?」
 「あっ!! ……そ、それはその……うー、仕方ない。……しのぶ、怒らないで聞いてくれる?」
 「いいから教えて!!」
 若松さんは少しもじもじしながら話し始めた。
 「あ、あのさ、しのぶって以前から内向きな性格だったんだけど、1ヶ月前はさらにひどくなって思いつめたような感じに見えたのよ。だから、『これは荒療治してでも治したほうがいい』と思って叔母さんに相談したの」
 「じゃあ、あのバイトは……」
 「そう、私が叔母さんに頼んで協力してもらったの。叔母さんの方はしのぶの事がだいぶ気に入ったみたいで『もっと来て欲しい』って言ってたけど」
 「そうだったんだ……」
 「ゴメンねしのぶ。騙してバイトなんかさせて……」
 ボクはため息をついたあと、若松さんに微笑みかけた。
 「いいよ、ボクのためにしてくれたんだし、おかげで若松さんや他の人たちと仲良くなれたんだし、感謝してもいいくらいだよ」
 「本当!? よかった、しのぶに嫌われたらどうしようかと思った」
 若松さんはホッとした表情で少し笑いながらそう言った。



 ボクは若松さんと公園の方に向かいながら、自分のことについて考えていた。
 さっき若松さんは、ボクが明るくなったと言っていた。
 確かに男のときだったボクは、自分の身長のことやイジメのこともあって、クラスメイトと会話することも少なかったけど、最近はよく会話や行動をともにするようになった。
 でも、それはボクが女らしくなっていることでもあった。
 最初は自分の体をまともに見ることは出来なかったけど、今ではお風呂で体を洗うのも苦にならなくなった。
 セーラー服はもちろん、バイトで綺麗な服を着るのも平気になった。読む本が少年漫画から少女漫画やファッション雑誌になり、テレビもアクション物よりアイドル物を見るようになった。
 意識の上では、今でもボクは自分のことを男だと思っている。
 その一方でボクは現在の状況を、女である自分を受け入れつつあった。女にならなければクラスの中で浮いた存在のままだっただろうし、若松さんとこんなに仲良くなることも無かっただろうから。



 ボクと若松さんが公園の近くまできたとき、空き地の草むらで何かガサガサと音がするのに気がついた。
 なんだろうと思って音がする方に目を向けたボクが見たものは50センチくらいのヘビだった。

 (住宅地のまん中でヘビなんて珍しいな)

 ヘビを見た瞬間、ボクが思ったのはその程度のことだったけど、若松さんはヘビを見たとたん、
 「キャーーッ!!」 と言ってボクに抱きついてきた。
 ボクはびっくりして、「ど、どうしたの若松さん!?」と訊ねると、若松さんは、
 「ご、ごめんなさい。わ、私、小さい頃マムシに噛まれたことがあって、ヘビはどうしても駄目なの」
 と言って、ボクの胸の中で震えていた。
 「わ、若松さん。……大丈夫だよ。あのヘビ頭が三角形じゃないから毒蛇じゃないし、もう向こうに行って見えなくなったから」
 「そ、そう? あ、ありがとうしのぶ。えへへ、みっともないとこ見せちゃったね」
 「いいよ別に……ところで若松さん」
 「なに?」
 「そろそろボクの胸に顔をうずめるのを止めて欲しいんだけど……」
 「イヤ、もう少しこのままでいたいの。しのぶの胸って大きくって柔らかくって気持ちがいいから」
 「若松さんっ!!」



 若松さんはしばらくボクに抱きついた後、ボクと別れて一人で帰っていった。
 元気そうに振舞っていたのだが、やはりヘビを見たときのショックが残っているみたいで無理をしているようにボクは思えた。
 ボクは若松さんを家まで送っていこうとしたんだけど、若松さんは、
 「大丈夫、私一人で帰れるから、しのぶは公園へ行きなさい。でも今日は早めに切り上げるのよ。あなたも普通じゃないから」
 と言って、手を振りながら去っていった。



 公園に入ったボクは、子供たちが騒ぐ声と猫の鳴き声を耳にした。
 声のする方に行ってみると、子供たちが猫を捕まえてイタズラをしようとしていた。
 猫は逃げようとしていたのだけど、首に紐をつけられていて逃げられないでいた。
 「こらっ!! やめなさい!! かわいそうじゃないか!!」
 ボクがそう怒鳴ると、子供たちは走り出して逃げていった。
 ボクはベンチに座って猫の首に巻きつかれた紐を外してあげると、猫はお礼を言うように「ニャー」と鳴いた。
 僕は泥だらけになった猫を抱き上げて話しかけた。
 「ねえ、ネコさん。ボクって男に見える? 女に見える? ……たぶん女に見えるよね。でもボクは一ヶ月前までは男だったんだ。ここで拾った機械を使うまではね」
 猫は黙ってボクの顔を見ている。
 「すぐに戻ろうと思ったんだけど、その機械は持ち主の女の人が持ってっちゃって戻れなくなっちゃったんだ。それからボクはその女の人を捜し続けたけれど見つからなくて、その間にボクはどんどん女の子らしくなってくるし……もう元に戻れないのかな? ははっ……ごめんね、変な話して」
 そう言って猫を放すと、猫は再び「ニャー」と鳴いて公園の外へ走り去っていった。



 それから三日後の夜、ボクは不思議な夢を見た。
 そこは自分以外何もない白一色の世界で、自分が立っているのか浮かんでいるのかもよく分からなかった。
 何でこんな所にいるんだろうとボンヤリ考えていると、
 「高森しのぶさんですね〜」
 振り返ったボクが見たものは、苦労知らずの柔和な顔で微笑むあの女の人の姿だった。



 「どうぞ〜粗茶ですけど〜」
 突然現れた卓袱台で、女の人は緑茶を淹れてくれた。
 「はあ、い、いただきます」
 女の人にすすめられ、ボクは卓袱台の前に正座してお茶をいただいた。
 お茶を飲みながら聞いた話によると、彼女はこの世界を管理する天使なのだ……そうだ。
 人々に幸せを与えるためにたまたまこの町の近くで活動していたのだが、その際あの公園で例の機械を落としたのだとか。
 「官給品で無くすと始末書だったから〜、見つかったのが嬉しくて〜、ついそのまま帰っちゃいました〜」
 彼女はにこやかな表情でそう言うと、お茶をズズッとすすった。
 「あなたにも大変迷惑をかけちゃいまして〜、申し訳ありません〜。この子にもこっぴどく怒られてしまいました〜」
 そう言って女の人が抱き上げたのは、三日前に公園で泥だらけになっていたあの猫であった。



 「ところでしのぶさんのことなんですけれど〜、しのぶさんは元の姿に戻りたいですか〜?」
 お茶を飲み終わった女の人は、ボクにそう尋ねてきた。
 「も、もちろん」
 ボクはすかさず答えた。そのためにボクはこの人を捜し続けたのだから。
 「本当にそうでしょうか〜? しのぶさんの幸福度を測定すると〜、女性になってからの方が〜、グ〜ンと高くなってるんですよね〜」
 そう言われて、ボクは何も言い返せなかった。
 「本来であれば元に戻さないといけないんですけれど〜、こちらのミスでもあるわけですし〜、このまま女の子のままでいてもいいですよ〜、ただし二度と男に戻れませんけど〜」
 女の人はにこやかな顔をして、ボクに究極の選択を迫ってきた。



 そしてボクはしばらく悩んだ後、決断を下した……



















 翌日、僕は目覚ましの音で目を覚ました。
 起き上がった僕は、自分の部屋を見回した。
 白色の壁に貼り付けられているF1の写真。そしてハンガーにかかっている詰襟の学生服。
 昨日までと一変した……のではなく、1ヶ月前と同じ状態に戻った僕の、男の子としての部屋だった。
 やはり昨夜見たのは、ただの夢ではなかったのだ。
 僕は学校に行くためにパジャマを脱いで、1ヶ月ぶりに学生服に着替えた。
 まだ女の子としての意識が残っているらしく、着替えるときは少し気恥ずかしかったが、学生服の自分の姿を鏡で見て、僕は自分に気合を入れた。
 「さあ、これからが大変だぞ……」



 「お先に失礼します」「おう、お疲れさん」
 男の子に戻ってから1ヵ月後、部活を終えた僕と土屋君はクラブの仲間に挨拶して部室を出た。
 あの後僕は、学校のサッカー部に入部した。
 とは言っても、今までスポーツの経験が無かった僕は、今のところランニングなどの基礎体力作りがメインである。
 僕が女の子だったときに体験した出来事は形を少し変えてみんなの中に残っていて、僕は女の子のときに出来た友達を失わずにすんだ。
 友達が多く出来たことで、以前のようにイジメの対象になることもなくなった。
 それから身長が少しずつ伸び始めてきたけど……これはもしかしたらあの女の人が気を利かせているのかもしれない。
 とにかく周りの全てが順調に動き始めていた。



 「そう言えば高森、お前あのバイトまだ続けているのか?」
 校門に向かって歩いてる途中で、今では同じクラブの土屋君が僕に訊ねてきた。
 「え!? ああ、あれか……」
 僕は苦笑いをしながらそれに答えた。
 男に戻った後、弥生さんの店でのバイトは、僕が『女装』してやっていることになっていた。
 そしてどういう訳か、土屋君はそのバイトの事を知っていた。
 もちろん僕はバイトを続けるつもりはなく、捜している女の人が見つかったことを理由にバイトを辞めたのだが、最後に一回だけと懇願されて、男の体のまま「女装」することになってしまった。
 そのときの服装は、ピンクの上下でフリルや飾りの多いすごく派手な服だった。
 弥生さんは「こういった服のほうが中の体形を誤魔化せるのよ」と言っていたが、僕には弥生さんと若松さんが最後の機会を最大限に楽しむためにやったのではないかと思った。
 とにかくその日のバイトは今までの中で一番恥ずかしく、何をやったのかさえよく憶えていなかった。
 僕の話を聞いた土屋君は、「わはははは」と大声を出して笑った。
 「でも僕ももう一度見てみたかったよなぁ、お前の『女の子』の姿を」
 「うるさい。そんなに見たければ今度はお前があの店でバイトして、自分の姿を鏡で見ればいいんだ」
 僕はそう言って土屋君の脇腹を肘で小突いた。
 そうして僕と土屋君は、笑いながら校門へ向かった。



 校門の横では若松さんが立っていて、こちらを見ていた。
 「お、今日も待っていてくれたようだな。……いいよな、高森には彼女がいて」
 「……まだ彼女じゃないよ」
 「そうか、『まだ』か。……高森、僕は先に帰ってるからな」
 土屋君は微笑んでそう言うと、手を振りながら校門を通り過ぎ去っていった。



 若松さんの側に来ると、若松さんは「お疲れ様」と言って、僕にスポーツドリンクを渡してくれた。
 「ありがとう」
僕はそう言ってスポーツドリンクを飲み干すと若松さんと一緒に歩き出した。
 「それにしてもしのぶがサッカー部に入部するとはねー。確か『女の人が見つかった』と言ったすぐ後に『スポーツをやりたい』って土屋君に頼んだのよね。女の人に会ったときに何かあったの?」
 「女の人と会った事は確かにきっかけだったけど、スポーツを始めたのは体を鍛えたかった、というか自分に自信をつけたかったんだ」
 「ふーん。で、自分に自信をつけて何をするつもりなの?」
 若松さんの質問に僕はしばらく答えずに歩いていたけど、10メートルくらい歩いたところで思い切って若松さんにこう言った。
 「……若松さんを……守れるようになりたいんだ」



 女の人から男に戻るか女のままでいるか訊ねられ、迷っていた僕は「女のままでもいいかな」と思っていた。
 あの機械で僕が女の子になる前と後とでは、女の子でいるときの方が楽しかったから。
 けれどもヘビを見て震えながら僕に抱きついた若松さんの姿を思い出して、僕は決心した。
 明るくて、やさしくて、パワフルで、それと同時にか弱い部分を持っている若松さんを、僕は「男性」として守りたいと思った。
 そして、「好きな女性を守れるような存在になりたい」と言った僕に、あの女の人はやさしく微笑んでくれた。



 若松さんは僕の言葉を聞いて立ち止まった。
 そして少し考え込んだ後、
 「ねえ、しのぶ……私を守ろうと思ってるのなら、お願いがあるんだけど?」
 「え? おねがい?」
 「そう、一つは私のことをもう『さん』付けで呼ばないで。他人行儀だから」
 「わかった。けどなんて呼べば……」
 「純……でいいわよ。それともう一つ、……あ、あの……キスしてくれる?」
 「キ、キス!?」
 「う、うん。……ダ、ダメかな?」
 そう言う若松さんの顔を見ると、少しおびえているような表情をしており、頬がほんのりと赤く染まっていた。
 僕は高鳴る鼓動を抑えて、
 「わかったよ……純…………じゃあ、いくよ」
 若松さんはコクリとうなずいて目を閉じた。
 そして僕は若松さんの唇に僕の唇を重ね合わせた。



 キスをしたのはほんの一瞬だったけど、若松さんはキスの後僕に抱きついてきた。
 「私ね、ずっとしのぶのことが気になってたの。なんだか放っておけなくて。……でもこれからはしのぶが私を守ってくれるんだよね」
 「うん、守るよ。何があっても純は僕が守るよ」
 僕も若松さんを抱きしめ、二人は抱き合ったまま、お互いの大切な存在を確かめ合った。

(おわり)


あとがき
 お、終わった。やっと終わったぞ。最初に二通りの結末を考えたときに「パターンA、Bとすれば楽して2作品作れる」と思ったけど倍以上苦労したような気がするぞ。
 さて、この「パターンB」は少年少女文庫の読者の皆様には賛否両論あると思いますが、「このままじゃ若松さんが悪役かお邪魔キャラになってしまう」との思いから作り上げました。
(実は二人が抱き合ったところで階段から転げ落ちて精神が入れ替わる、というのも考えたけどやっぱりボツ)
 こんな作品ですが楽しんでいただけたら幸いです。
 それでは今回はこれにて失礼します。


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