僕の名前は高森(たかもり)しのぶ。高校一年生。
女みたいな名前だけど、僕はれっきとした男……のはずだった。
ある日、いじめにあっていた僕は、公園で不思議な機械を拾った。
手のひらサイズの携帯端末のようなその機械で個人情報を変更すると、驚くことにその内容が現実になってしまうのだ!!
僕はその機械をあつかっているうちに、誤って自分の性別の項目を“女性”に変更してしまった。
翌日、女の子に変身してしまった僕は、再変更が可能になる24時間後まで「女の子のふり」をすることにした。
だけど学校から帰る途中、機械を拾った公園で神秘的な衣装を着た女の人が現れて、僕の手から機械を取り上げ忽然と姿を消してしまったのだ……。
天使の携帯端末
(後編・パターンA)
作:ライターマン
「……ただいまぁ」
日が暮れてしばらくして、ボクは家の玄関のドアをくぐった。
「お帰りなさいしのぶ。……遅かったわね、どうしたの?」
母さんが台所から夕食のしたくをしながら尋ねてくる。
「うん、ちょっと落し物して、探し出すのに時間かかっちゃって……」
あれからしばらく、ボクはあの曲がり角の近くを走り回って、機械を持っていった女の人を探しまわった。
この近所では金髪の外人なんて珍しいし、服装もギリシャ神話の挿絵に出てくるようなデザインだったので目立つはずなのだが、その女の人は影も形も見当たらなかった。
ボクの様子を心配した土屋君も一緒に探してくれたけど、結局見つからず、ボクは家に帰ったのだ。
部屋に戻ったボクは、セーラー服とスカートを脱いでハンガーに架け、タンスの中からブルーのTシャツとジーンズを探し出して着替えた。
ボクは父さん母さんと一緒に夕食を食べたけど、終始無言だった。
そんなボクが夕食を食べ終わって部屋に戻ろうとしたら、母さんが後ろから声をかけてきた。
「……しのぶ。お風呂沸いてるから先に入りなさい」
洗面所に入ったボクは、Tシャツとジーンズを脱いだ。
それから自分の体を意識しないようにブラジャーとショーツを脱ぐと、それを洗濯機の中に放り込んだ。
なるべく下を見ないようにして風呂場に入ったボクは、ゆっくり息を吸い込み……そして、目の前にある鏡に映っている自分の姿を見た。
「…………」
顔は男の頃のボクの顔とほとんど同じだったけど、顎のあたりが細くなり、口のあたりも小さくなったような気がする。
髪は長くなって肩のあたりまで伸び、緩やかにカーブしている。
幅が狭くなってなで肩になった肩、胸にある大きな二つのふくらみ、細くしまったウエスト、腰は大きく張り出し……と、そこまで視線を下げたボクだったが、それ以上は見ることが出来なかった。
ボクはシャワーからお湯を出すと温度を調節し、始めのうちは左腕から肩にかけてお湯を浴びていたのだが、意を決して体全体にシャワーのお湯を浴びせた。
お湯がボクの体を流れていく。ボクの肩、胸、腰、そしてその下を……それはボクに、体のラインの変化を意識させた。
そのうちにお湯が皮膚に当たる感覚が気持ちよくなって、ボクはそのまましばらくシャワーを浴び続けていた。
髪の毛を洗う。長くなった髪をシャンプーするのはけっこう面倒だった。
次にタオルと石鹸を使って体を洗ったんだけど、タオルが肌をこするときの感触は男のときと全然違っていた。
(女の子の肌って……敏感なんだ……)
お湯で石鹸を洗い流し、ボクは風呂の中に身を沈めた。
体の……特に胸の部分の感覚にボクは戸惑い、心臓がドキドキと早鐘のように脈打ちだした。
興奮したボクは体が温まり始めると、すぐに風呂を出た。
そして、その日はベッドにもぐりこんでそのまま寝てしまうことにした。
次の日の朝、目が覚めたボクは自分の体を確かめてみた。
……まだ女の子だった。
鏡を見たボクは、大きくため息をついてつぶやいた。
「はー、どうしてこんな事になっちゃったのだろう……」
一昨日あの機械を操作しなければ……いや、そもそもあの機械を拾わなければ…………
頭に浮かんでくるのは後悔の念ばかりだったけど、今日も学校はあるのでボクは着替えることにした。
さすがに昨日に比べてスムーズに着替えられるようになったものの、鏡に映ったセーラー服姿の自分を見ると、やはり恥ずかしさが先に立った。
朝食を済ませると、例の公園に立ち寄るために、いつもより早めに家を出た。
歩きながら、ボクはこれからのことを考えた。
あの機械がないとボクは男に戻れず、ずっと女の子のままということになる。
まわりのみんながボクを「女の子」だと認識し、おそらく戸籍の方も「女性」になっているだろうから、このままでも社会的には問題ないだろう。
けれどもボク自身が「男の子」だった記憶を持って、自分を男だと認識している以上、今後「女性」として生きていくことができるのだろうか? ……自信はなかった。
何とかしてあの女の人を探し出し、事情を説明して男に戻してもらうしかない。
「けど……本当に見つかるんだろうか?」
手がかりのないボクは、歩きながらそうため息をついた。
公園についたボクは、10分ほど公園の中や周りを捜してみたけど、あの女の人の姿や手がかりは全く見つからなかった。
始業時間が近くなり、仕方なく学校へと歩き出したボクを後ろから呼び止める声がした。
「しのぶ!?」「……え? あ、若松さん」
それはボクのクラスメイトの若松純(わかまつ・じゅん)さんだった。
「どうしたのこんなところで? あなたの通学路から少し離れているはずだけど?」
「え……あ、あの、女の人を捜してたんだ」
「女の人?」
「うん、金髪で少し間延びしてるけど流暢な日本語をしゃべる外人の……昨日は白い神秘的な服を着てたんだけれど、そんな人見たことないかな?」
「うーん……この辺はよく通るし、金髪の外国人なんてこの辺じゃ珍しいから目立つはずなんだけど……ごめん、全然わからないわ」
「そうか、はぁ……どうしよう……」
ボクがため息をつくと、若松さんは不思議そうに尋ねた。
「どうしてその女の人を捜さないといけないの?」
「え、えーと、詳しいことは言えないんだけど……と、とにかく、その女の人に会わないといけないんだ」
ボクがそう言うと、若松さんは少し考え込んで、顔を上げた。
「しのぶ、今度の土曜日に隣町のショッピングモールに行かない?」
「ショッピングモール? どうして?」
「その女の人がこの辺の人の可能性は高くないんでしょう? だったら人通りの多いところで捜したほうがいいんじゃない?」
「そうか、そうだね」
若松さんの言うことは正しいように思えたし、人通りが多いといえば去年オープンした隣町のショッピングモールが最適のように思えた。
「じゃあ決まり!! 9時半に中央広場の時計の前で待ち合わせしよ」
若松さんはうれしそうに笑いながら、ボクの肩をたたいた。
金曜日の夕方、ボクは公園の近くの通りを歩いていた。あの日からボクは登下校時に公園の近くを捜していたのだけれど、結局あの女の人は見つからなかった。
日が暮れてきたので帰ろうとしたボクは、女の人を見失った角の所で、また土屋耕輔(つちや・こうすけ)君とばったり出会ってしまった。
「あ、あれ、高森さん? どうしてここに?」
土屋君はびっくりしたようにきいてきたけど、それはボクも同じだった。
「土屋君? 土屋君こそどうして?」
逆にボクが質問すると、土屋君は、
「僕は家がこの近くだから……あ、もしかしてこの前の女の人を捜してるとか?」
「う、うん。あれから似たような人、見たことないかな?」
「いや、残念だけど……ごめん、役に立てなくて」
土屋君は首を横に振り、すまなそうにそう言った。
「もしよかったら、これから捜すのを手伝おうか?」
「ううん、いいよ。今日はもう遅いし、明日は若松さんと別の場所で捜す事になってるから……」
そう言ってボクは土屋君と別れ、家路についた。
土曜日、ボク達は約束の時間に待ち合わせ場所に到着した。
「おはようございます、若松さん」
「おはよう。うーん……しのぶ、その格好ちょっと似合わないんじゃない? もっと明るい服を着てスカートを穿いた方がいいのに」
その日のボクの服装はクリーム色のブラウスに、紺のジーンズという格好だった。
ボクの洋服ダンスには若松さんが言うような服もたくさんあったけど、それを着て人前に出るのはとても恥ずかしくて出来なかった。
僕が下を向いて返答に困っていると、若松さんは、
「しのぶ、実はここに私の叔母さんの店があるのよ。叔母さんにも協力してもらった方がいいと思うから、これから行ってみようっ」
と、なかば強引にボクの手を引っぱってきた。
ボクが連れて行かれたのはメインストリートにある若い女性用のブティックだった。
若松さんはボクを連れて開店前のその店に入ると、準備をしていた店長らしき女の人に声を掛けた。
「叔母さん。連れて来たわよ」
「あら、来たわね。純、その娘が例の?」
「そう、高森しのぶさん。私のクラスメイト」
「高森です。よ、よろしく……」
若松さんに紹介され、僕はお辞儀をしながら挨拶した。
「私は美作弥生(みまさか・やよい)よ。こちらこそよろしく」
弥生さんは自己紹介をしながらやさしく微笑んだ。そしてボクの顔や服装をジロジロと見て、
「ふーん、服のセンスはイマイチだけど素材は悪くないわね。……ちょっと待ってて、今服を選んでくるから」
そう言うと、店の奥に入っていった。ボクは訳が分からずに、
「どういうこと?」
と、若松さんに尋ねると、
「実は以前、叔母さんが『マヌカンも出来るアルバイトが欲しい』って言ってたから、しのぶのことを紹介しといたのよ」
と、答えが返ってきた。
「えーっ!! そ、それってつまり……」
「そーいうこと。バイトと言っても店の服を着て挨拶するだけで、お客さんの応対はお叔母さんがやってくれるし、ここからならガラス越しにメインストリートが見渡せるじゃない」
「ち、ちょっと勝手に決めないでよ! それにここからメインストリートを見れるということは、逆にメインストリートからボクが見られるということじゃないか。そんなの恥ずかしいよっ」
「お願いしのぶっ、今月小遣いピンチなのっ!! 引き受けてくれたら紹介料もらえることになってるし、あなたもバイト料が入るからいいじゃないっ」
両手を合わせて拝まれて、ここ数日特に世話を焼いてもらっていると感じていたボクは、「はめられた……」と思いつつも断ることが出来なかった。
その日は夕方近くまで、弥生さんのブティックで働いた。
ボクは弥生さんから渡された萌黄色の上下を着て、来客の応対をした。
スカートの部分は裾が少し広がるような感じになっていてすごく恥ずかしかったし、バイトの経験のなかったボクは上手に応対出来なかったのだが、どういう訳か弥生さんはボクのことが気に入ったみたいで、「しばらく来てくれ」と言われ、バイト代の一部としてその日に着た服を渡された。
バイトが終わったボクはレジで手伝っていた若松さんに挨拶して店を出ると、一人でショッピングモールを歩いていた。
結局、店の中から見た限りではあの女の人らしい人物は見つからなかった。それでも諦められずにショッピングモールの中を歩いていたボクは、中央広場で、
「高森さんっ」
と呼ばれて振り返った。「……え? つ、土屋君!? どうしてここに?」
こんな所で土屋君に会うなんて……ボクはびっくりした。
土屋君は顔を赤らめて、
「え……あ……ち、ちょっと買い物に……」
「そ、そうなんだ。ボクはここなら人通りが多くてもしかしたら、と思って捜してたんだけど……」
「で、どうだったんだ?」
「ダメ、見つからなかった」
「そうか、実はボクも似た人がいるかもしれないと思って通行人を見てたんだけど……でも、諦めずに捜せばきっと見つかるよ。僕でよければ手伝うしさ」
「ありがとう。そうだよね、諦めなければきっと見つかるよね」
土屋君に励まされて少し元気になったボクは、ほんのちょっとだけ笑うことが出来た。
それから1ヶ月位が瞬く間に過ぎた。
相変わらずボクは女の子として学校に通い、土日は弥生さんの店でバイトをしていた。
(学校はバイト禁止なので、内緒なんだけど……)
そして登下校時やバイトの行き帰りに、公園に立ち寄ってあの女の人を捜し続けた。
女の人の手がかりは未だに見つからず、落ち込むときもあったけど、そんな時は若松さんや土屋君が励ましてくれ、土屋君はクラブ活動の合間にボクを手伝ってくれた。
おかげで何とか今の生活にも慣れてきたのだけれど……
「どうしたんだ高森さん? ……気分でも悪いのかい?」
帰り道を一緒に歩いていた土屋君が、心配そうに尋ねてくる。
「な、なんでもないよ」
「でも顔色が悪いし、病気か何かじゃ……」
土屋君が心配してくれるのは嬉しかったけど、こればかりは彼に相談する訳にはいかなかった。
……“男”の土屋君には。
「だ、大丈夫だよ。少し休めばすぐによくなるから、心配しないで」
僕はそう言って土屋君に微笑みかけた。
しばらく前から覚悟はしていた。
洋服ダンスの引出しの中にあった生理用品の説明書を見たりして、それが起きても慌てないようにと自分に言い聞かせてもいた。
それでも実際に始まったときはショックだった。
そして今感じている痛みが、自分が”女”なんだということをこれまでになく強烈に訴えていた。
「高森さんがそう言うなら……あの、もしかして、僕が高森さんのそばにいるのって迷惑だったかな?」
土屋君が急にそんなことを言い出すので、ボクは慌てて
「そ、そんなことないよ!!」
と否定した。
土屋君はしばらく黙り込んだ後、ボクに話しかけてきた。
「高森さん……実は僕、嘘をついていたんだ」
(えっ? 何を?)
「一ヶ月前の土曜日、ショッピングモールで高森さんと会ったとき、買い物だって言ったよね。……あれ、違うんだ。本当は高森さんに会いたくて行ってたんだ」
「ボクに?」
「うん。高森さんって以前から内向的だったけど、あの頃はさらに思いつめたような感じがして、とても心配だったんだ。そしたら土曜日の朝、若松さんが出かけるところを偶然見つけてさ、高森さんが若松さんと一緒にあの女の人を捜すって聞いてたから後をつけてしまったんだ」
「じゃあ、もしかしてずっと待ってたの? ボクが店を出るまで」
びっくりして尋ねるボクに、土屋君は苦笑いしつつ、
「いや、さすがにブティックの前でずっと待ってる訳にはいかないんで、人捜しも兼ねてショッピングモールの辺りを歩いて、2〜30分おきにブティックの様子を見てたんだ。そしたら夕方近くになって高森さんがいなくなったんで、慌てて捜して中央広場で思わず声をかけちゃったんだ」
「そうだったんだ……」
「ごめん、こんなストーカーまがいの事をしちゃって」
「いいよ、ボクのことを心配してのことだったんだから」
「よかった。嫌われてたらどうしようかと思った……」
土屋君はホッとした表情で、少し照れて笑いながらそう言った。
「高森さん、以前に比べてずいぶん明るくなったし、すごく綺麗になったと思うよ」
「そ、そうかな?」
ほめられて少し嬉しくなったボクは、そう答えた。すると土屋君は顔を赤くしながら、ボクに向かってこう言った。
「……そ、それでね……も、もしよかったら……そ、その……つ、つきあって欲しいんだけど……」
「えっ!?」
突然の告白にびっくりしたボクは、絶句してしまった。
土屋君は顔を赤くしてうつむきながら、
「突然こんなこと言ってごめん。でも本気なんだ。……その、別に今すぐに返事をしなくてもいいから……でも考えておいてくれないかな?」
「……あ、あの」
「き、今日はもう失礼するよ。……高森さんも今日は無理しないで早く帰ったほうがいいよ」
そう言うと、土屋君はショッピングモールの出口の方へと走り去っていった。
ボクは公園の方に歩きながら、自分のことについて考えていた。
さっき土屋君は、ボクが明るくなったと言っていた。
確かに男だった頃のボクは、自分の身長のことやイジメのこともあって、クラスメイトと会話することも少なかったけど、最近はよくおしゃべりや行動をともにするようになった。
でも、それと同時にボクは自分が女らしくなっていることにも気付いていた。
最初は自分の体をまともに見ることも出来なかったけど、今ではお風呂で体を洗うのも苦にならなくなった。
セーラー服はもちろん、バイトで綺麗な服を着るのも平気になった。読む本が少年漫画から少女漫画やファッション雑誌になり、テレビもアクション物よりアイドル物を見るようになった。
それでもボクは自分のことを男だと思っていた。
女の子になったばかりの頃は、男子と付き合うなんてとんでもないと思っていた。
でも、ついさっきボクは土屋君から告白されてしまった。
そのときのボクは顔と胸が熱くなり、心臓がドキドキと脈打ち破裂しそうなくらいだった。
そしてそれは驚くべきことに、決して不快なものではなく、むしろ心地いいものだった。
公園に入ったボクは、子供たちが騒ぐ声と猫の鳴き声を耳にした。
声のする方に行ってみると、子供たちが猫を捕まえてイタズラをしようとしていた。
猫は逃げようとしていたのだけど、首に紐をつけられていて逃げられないでいた。
「こらっ!! やめなさい!! かわいそうじゃないか!!」
ボクがそう怒鳴ると、子供たちは走り出して逃げていった。
ボクはベンチに座って猫の首に巻きつかれた紐を外してあげると、猫はお礼を言うように「ニャー」と鳴いた。
僕は泥だらけになった猫を抱き上げて話しかけた。
「ねえ、ネコさん。ボクって男に見える? 女に見える? ……たぶん女に見えるよね。でもボクは一ヶ月前までは男だったんだ。ここで拾った機械を使うまではね」
猫は黙ってボクの顔を見ている。
「すぐに戻ろうと思ったんだけど、その機械は持ち主の女の人が持ってっちゃって戻れなくなっちゃったんだ。それからボクはその女の人を捜し続けたけれど見つからなくて、その間にボクはどんどん女の子らしくなってくるし……もう元に戻れないのかな? ははっ……ごめんね、変な話して」
そう言って猫を放すと、猫は再び「ニャー」と鳴いて公園の外へ走り去っていった。
それから三日後の夜、ボクは不思議な夢を見た。
そこは自分以外何もない白一色の世界で、自分が立っているのか浮かんでいるのかもよく分からなかった。
何でこんな所にいるんだろうとボンヤリ考えていると、
「高森しのぶさんですね〜」
振り返ったボクが見たものは、苦労知らずの柔和な顔で微笑むあの女の人の姿だった。
「どうぞ〜粗茶ですけど〜」
突然現れた卓袱台で、女の人は緑茶を淹れてくれた。
「はあ、い、いただきます」
女の人にすすめられ、ボクは卓袱台の前に正座してお茶をいただいた。
お茶を飲みながら聞いた話によると、彼女はこの世界を管理する天使なのだ……そうだ。
人々に幸せを与えるためにたまたまこの町の近くで活動していたのだが、その際あの公園で例の機械を落としたのだとか。
「官給品で無くすと始末書だったから〜、見つかったのが嬉しくて〜、ついそのまま帰っちゃいました〜」
彼女はにこやかな表情でそう言うと、お茶をズズッとすすった。
「あなたにも大変迷惑をかけちゃいまして〜、申し訳ありません〜。この子にもこっぴどく怒られてしまいました〜」
そう言って女の人が抱き上げたのは、三日前に公園で泥だらけになっていたあの猫であった。
「ところでしのぶさんのことなんですけれど〜、しのぶさんは元の姿に戻りたいですか〜?」
お茶を飲み終わった女の人は、ボクにそう尋ねてきた。
「も、もちろん」
ボクはすかさず答えた。そのためにボクはこの人を捜し続けたのだから。
「本当にそうでしょうか〜? しのぶさんの幸福度を測定すると〜、女性になってからの方が〜、グ〜ンと高くなってるんですよね〜」
そう言われて、ボクは何も言い返せなかった。
「本来であれば元に戻さないといけないんですけれど〜、こちらのミスでもあるわけですし〜、このまま女の子のままでいてもいいですよ〜、ただし二度と男に戻れませんけど〜」
女の人はにこやかな顔をして、ボクに究極の選択を迫ってきた。
そしてボクはしばらく悩んだ後、決断を下した……
翌日、ボクは目覚ましの音で目を覚ました。
起き上がったボクは、自分の部屋を見回した。
前日までと変わらない女の子としてのボクの部屋。
けど、机の上に置かれているヘアバンドが、昨夜体験した事がただの夢ではないことを示していた。
セーラー服に着替えてヘアバンドを着けたボクは、体の中を何かが通り抜けたような感覚をおぼえた。
あの女の人の話によると、このヘアバンドには着けた者を本人の持つ理想の女性像に近づける効果があるらしい。
それほど強力なものではないらしいけど、精神がだいぶ女性化したボクが着けると一週間ほどで女性の体に対する違和感がなくなるそうだ。
公園のそばを通る道を通って学校へ向かったボクは、途中で土屋君を見つけて声をかけた。
「おはよう土屋君」
「お、おはよう高森さん」
土屋君はそう返事をした後に、ボクが着けているヘアバンドに気がついた。
「あれ? 高森さん、そのヘアバンドは?」
「ふふ、あの女の人があたしにくれたの」
「えっ、見つかったの? どこにいたの?」
「それは内緒。とにかくあたしはあの女の人に会うことが出来て、女の人はあたしの希望をかなえてくれた。これも土屋君のおかげよ」
「そうか、よかった。それにしても高森さん、いつも自分のことを『ボク』と言ってたのに、今日は違うんだね」
「女の子が自分のことをずっと『ボク』と言うのも変じゃないかと思って。……それとも『あたし』の方が変かな?」
「そ、そんなことないよ。かわいい感じがしてすごく似合ってるよ」
「ありがとう。土屋君にそう言ってもらえてうれしいわ」
ボクはそう言って、土屋君に微笑んだ。
ボクはまわりに人がいなくなったのを確認して、土屋君に向き直った。
「あ、あの、土屋君…………こ、この前の話の……返事だけど……」
夢の中ですでに決断したこととはいえ、実際に口にするのは非常に勇気が必要だった。
土屋君も緊張した顔になって立ち止まり、ボクの返事を待っている。
「お、OKよ。……あ、あたしも……つ、土屋君のこと……す、好きだから」
言い終わって顔が真っ赤になり、土屋君の顔を見ることが出来ずに下を向いてしまったボクは、突然土屋君に抱きしめられた。
「高森さん……ありがとう」
そう言ってボクを見つめる土屋君の顔を見て、ボクは自分の決断が間違っていなかったことを確信した。
「朝からお熱いわね、お二人さん」
突然声がしたので振り向くと、そこには若松さんが立っていた。
「「わ、若松さん!!」」
ボク達が飛び上がって離れると、
「二人とも仲がいいのはわかるけど、早く学校に行かないと遅刻するわよ」
若松さんはにやにやと笑いながら、さっさと学校の方に歩きだした。「……いや〜、今日は朝からいいものが見れて幸せな気分だわ。さっそくクラスのみんなにもこの幸せな気分を分けてあげないとね」
ボクと土屋君は顔を真っ赤にして、お互いの顔を見つめた。
「い、行こうか、高森さん」
土屋君がそう言って、右手を差し出してきた。
ボクは……いや、あたしは土屋君が差し出したその手に自分の手を重ね、一緒に学校に向かって歩き出した。
(おわり)
あとがき
結末が決まらないままに始めてしまったこの物語も、何とか完結することが出来ました。
さて、機械の持ち主である女性についてですが、ある作品の設定を参考にさせていただきました……ってバレバレですね。
『天使のお仕事』のスタッフの皆さん、ごめんなさいっ!! 書き始めたときはこんなつもりはなかったんですっ!! ただ、書いてるうちにだんだん似てきて、それならいっそのこと……い、いやそうじゃなくて出来心なんですぅ!!
……と懺悔の言葉はここまでにして。
タイトルにも書いてますが、これは後編の「パターンA」です。途中のストーリーを微妙に変えた「パターンB」を現在書いていますので、出来上がりましたらこちらのほうも見ていただきたいなと思います。
それでは今回はこれにて失礼します。
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