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野良猫放浪記

                     地駆鴉



 服を脱ぎ捨てる女を前にして、水月みつきは両そでに互いの手を差し入れ首をひねっていた。
「ミツキ、何してんの? 早く脱いじゃってよ」
 女がせかすが、水月はあいまいな笑顔を返すだけで服を脱ぐ事はしなかった。
 肉体だけ見れば今の水月は年若い少女。このアルバトロス・カームという女と風呂に入る事はさして問題ではないのかもしれない。
 しかし……かつて水月は男だったのだ。婚約者もいた。
 さらに服を脱げない理由もある。裸になるという事は、帽子とコートを脱ぎ、その下に隠している猫の耳と猫の尾をさらす事に他ならない。
 そのような理由もあって水月は服を脱げないでいるのだが、アルがその理由を知るはずもない。いささか活発すぎるこの女は、自身が下着姿になると痺れを切らしたのか、強引に水月の服をはぎ取ろうとしてきた。
「あ、ある殿。何をするにゃ!?」
 手で振り払いながらも、動揺したためにふざけた猫のような口調が出た。
 アルは手を下ろし、予想よりも激しく抵抗する水月を見据えた。
「ミツキ、もしかして……服を脱ぎたくない理由があるの?」
 気まずさをたたえた瞳を向けるアル。
 それを見返し、水月には考えが浮かんだ。術を使った時、アルはさして恐れずに、術の力を認め冷静に利用さえしていた。ならば、猫の耳と尾も驚き嫌悪する事もなく、冷静に見据えてくれるのではないか? むしろ隠し事をする方が、アルにとっては不愉快のようだ。
「言いたくなかったら別にいいけど、言ってくれないかな? できれば」
 若干の好奇心からアルは言った。だが水月はその言葉をしかと受け止めた。やはり、包み隠さず全てを明かすべきなのだと。
「ある殿……」
 穏やかにそう呟き、水月は帽子を脱いだ。
 久方振りに空気に触れた猫の耳が無意識の内にぴくりと動く。
「僕には猫の耳と……」
 続いて、すばやくコートを脱ぎ猫の尾を空気にさらし、生きている物だという事を証明するかのように動かしてみせる。
「……猫の尾があるでござる。だからと言って、どうというわけではないでござるが……」
 水月は多少の後悔の念と共に、じっと目を向けてきているアルの言葉を待った。
『やはり、さすがにこれは……常人には受け入れられぬか……』
 そう考えた時、アルが顔を明るくしつつ、丁寧に言った。
「ちょっと触ってみていい?」
 さすがの水月もその言葉の中に好奇心を感じ取れた。しかし、アルの表情から、嫌悪など抱かず受け入れてくれたのだともわかった。
 全てを語っても、これならばさして問題はないだろう。
 いくら旅慣れていると言えど、やはり何ひとつ知らぬ世で孤独に過ごすのは心細い。水月はアルの言葉に答える前に語るべく、その口を開いた。
「ある殿、まだ話しておきたい事があるでござる」


第五話

超装甲船アインホルン之章
そら別れ



 広い脱衣所の中、水月は全てを語った。
 自分が元は男であり、符術士を生業とし江戸の世で生きていたところを、邪鬼じゃくという男に今のような猫の耳と尾を持つ娘にされた事。
 婚約者を置き時と世を越え、ここにたどりついたのだという事さえ、包み隠さず、あるに語った。
「ミツキ、それ……嘘じゃないのね?」
 繰り返されるその問いに、水月は無言でうなずく。
 もはや水月が語る事はない。あとは、あるが信じてくれるのを待つだけだ。
 ただそれだけを祈り、あるの目を見る。
 あるも無言で水月の目を見る。おそらくは、信じるか信じまいか、思案をしているのだろう。
 しばらくの間そうしていたが、あるは目を微笑みに歪めると、同じように歪めた口で言った。
「ありがとう、ミツキ。話してくれて」
 水月はそれを聞き、ようやく安堵の息をもらした。
「かたじけないでござる」
 水月が信頼し事情を語ったのだという事をあるは理解し、その上で認めてくれたのだ。水月はあるのその態度に感服した。
 水月がその愛しい相貌に似合わぬ落ち着きでうなずくと、あるは一瞬顔をそむけ、暗い瞳を向けた。
「……あたしの事も話しておかないと、フェアじゃないね。ミツキ、聞いてくれる?」
 再び水月が無言でうなずくと、あるは軽く“たおる”を羽織り、椅子に腰掛け、そして語りはじめた。
「話してミツキにわかるかわかんないけどね……。あたしは……産まれも育ちも海賊船なの。さっき見たでしょ? ああいう船の中であたしは育った。父さんは海賊船で船長をしてて、母さんはそこに捕まった商船の乗組員で……もう生きてない。つまりはそういう両親なわけ」
 寂しげな笑顔を浮かべるあるに、水月はただ静かな瞳を向けた。
 普段の気丈さからは考えられぬほど、覇気のない声であるは語る。
「生活に困る事なんてなかったけど、毎日どの船を襲うとか、どの施設から盗み出すとか、そんな事ばっかりしてて……。そんなとこで育っちゃったせいで変に男っぽくなったりしてね。それで半年前……警備局の船にみんな捕まっちゃって……でもあたしだけは、母さんの両親……あたしのおじいさんとおばあさんに引き取られて助かったの」
 水月は何も言わず、あるの横に腰を下ろした。
 するとあるは立ち上がり、照れるように笑ってみせた。
「でもやっぱり居心地悪くてね。自立する、なんて言って家出同然で出てきちゃったってわけ」
 おそらくは、あるは己の過去に後ろめたさを感じ、それを隠す事に罪悪感を持っていたのだろう。そして水月と同じように心細く思ってもいたのだ。
 水月が事情を語った事をきっかけとし、あるは自身の過去を語ったのだ。
 そう考えた水月は立ち上がり、あるに向かって小さな右手を差し出した。
「これで双方わだかまり無しでござるな。感謝するでござる」
 突然の言葉に、あるははじめ戸惑っていたようだが、すぐに顔に笑みを戻すと、右手を伸ばし水月の手を力強く握り締めた。
「かたじけないよ」
 あるは芝居がかっていながらも静かな声でそう言った。
 水月は自分が事情を語っても嫌悪されなかった事と、あるの晴れやかな笑顔に安堵した。
 そして握られた手を見て、ふと気付いた。
『右手には右手で握り返すのであれば……左手には左手で握り返すのであったか……』
 しばしの間、二人の手は固く結ばれたままであった。


 巨船アインホルン。全長八百二十七メートルのこの船の中心には、最後部の倉庫から最前部のブリッジにかけて長い通路が伸びている。
 車も通れるほどに大きなこの通路に、球型の小さな機械がいた。
 二つの半球型の足を使って滑るように走りながら、頭部にあるウサギのような二つの耳を、辺りを探るように機械的に動かしている。
 細長い目の下に書かれた名前はR−B。
 球型ロボットR−Bはしばらくそうして走っていたが、突然その足を止めてひとつのドアに二つの耳を向けた。
 感じ取るのは人の寝息。メモリーという名の記憶にある、聞き慣れた小さな寝息。
 その寝息に向かって滑って、ドアの前に立つ。しかし、ドアを開ける事はできない。自動ドアなのだが、小さなR−Bは認識されないのだ。
 ドアの前に立ち尽くして、R−Bは目を明滅した。ドアの中で寝息を立てている少年なら、R−Bがどうやったらドアを開けられるかについて悩んでいるのだとわかっただろう。


「ミツキー、大丈夫だから早く来なって」
 風呂場の中からのあるの声に、水月は困り果てていた。
「ある殿。先に言った通り僕は男でござった。ゆえ、おなごと湯浴みを共にするわけには……」
 そう固く入浴を拒むと、あるが脱衣所と風呂場を隔てている戸を開け、そのたくましくもあでやかな裸体を水月の前にあらわにした。
「今は女同士でしょ。いいから服を脱ぐ!」
「あ、ある殿! そのようにゃ姿で……」
 水月は激しく動揺しつつ、怒鳴り込んできたあるを見ないように自身の足元に視線を落とした。
 だが近付いてきたあるの足が、すぐに視界に入ってくる。
「自分の体だって見てるんでしょ。つべこべ言わないで服脱ぎなってば」
 その声に思わず顔を上げると、眼前には“たおる”が巻きつけられたあるの体があった。しかしあるのその格好よりも、間近から見下ろされている事に水月は圧倒された。
 水月は肩へと伸びてくるあるの手から逃げるように、振り返り出口へと走った。
「僕はあとで入るにゃ! ある殿の前で裸になどなれないにゃ!」
 そう叫び終わったところで水月は体のいずこかに痛みを覚えた。それと同時に、つんのめるように前に転ぶ。
「にゃああっ!?」
 猫の反射神経などというものとはほど遠い動きで、水月は受け身を取る事もなく床に全身を叩きつけた。男であったころから、体を使う事はめっぽう苦手なのだ。
 痛みをこらえ背を向くと、水月の猫の尾をあるがしっかりと握り締めていた。先ほどのいずこかの痛みは、尾からの感覚だったのだ。
「女の子なんだから慣れなきゃね」
 あるはいとも楽しげな声を出し水月の横にかがむと、強引に服を脱がせようとしてきた。
 必死に水月は抵抗をする。
「だ、駄目にゃあ!」
 水月はもはや完全に落ち着きを無くしながらもなんとか服をかばうが、上半身の服をかばえば下半身の服を脱がされ、下半身の下着をかばえば上半身の服を脱がされ、あげく全身を両手でかばえば力尽くで上半身の下着を脱がされる有様であった。
 ほどなくして、水月の体を隠す物はいっさい無くなった。
 水月はわずかにふくらんでいる胸と下腹部を手でおおい隠し、とんび座りをした。女人の前で、そして少女としての裸をさらし、怒涛のごとく罪悪と羞恥の心が沸き上がる。さすがの水月も頬を桜に染めた。
 見上げれば、あるが笑顔で見下ろしていた。
「あきらめが悪いよ。さあ、もう観念しなさい」
 何がおもしろいのか弾んだ声で言うあるに、水月は弱々しい笑みを返した。
「しかしこのような……共に入るのはいけないにゃ」
 水月は心から拒むのだが、あるには伝わらないようだ。
「全くもう」
 あるは嘆息するように呟くと、水月の背後に回り脇に手を挿し込んできた。
「みゃっ!?」
 水月は逃げる間もなく、軽々とあるに持ち上げられた。抱きかかえられ、そのまま風呂場へと運ばれる。
 背に感じるあるの豊満な胸の感触にさらに動揺しつつ、水月はもはや抵抗は無駄なものと観念し、おとなしく運ばれた。
 あれよあれよという間に水月は湯船の横に下ろされ、湯をかけられたのち泡のついた“たおる”で全身をこすられはじめた。
 背後から抱くようになで回るあるの手に、胴をくねらせ悶える。
「こ、こそばゆいにゃ! ある殿!?」
「いいから、じっとして」
 すばやく、されど丁寧になでるあるの手は、水月の胸や股間にさえも容赦なく伸びてきた。
「ふみぃっ!」
 激しい雷撃のような感覚にいささか滑稽とも言える声を上げ、全身をこわばらせる。
『臨兵闘者皆陣列在前! 臨兵闘者皆陣列在前!』
 九字の呪文を繰り返し心で唱え、次なる感覚に備え正気を保つ。
 幸い、これ以上心を惑わせる感覚が襲う事はなかった。あるの手は水月の胸や股間を離れ、背をなではじめたのだ。ややこそばゆくはあるものの、たえられぬほどではない。
 水月が安堵し、己の中に少々の落胆の思いを見つけていると、あるが話しかけてきた。
「ミツキ……」
 声の調子から、先ほどまでのからかいの言葉などとは違うとわかる。
「正直に言うと……さっきのあんたの話は信じられない。別の世界から来たとか、江戸時代から来たとかね……」
 無理もない。水月はそう思いながら、続くあるの言葉を聞いた。
「でも嘘はついてないってわかる。それに術だって見ちゃったし、この耳とか尻尾も本物だもんね」
 そう言うと、あるは水月の猫の耳を軽くつかんだ。猫の耳に触れられたという慣れぬ感覚に、水月はやや戸惑った。
 そのまま猫の耳を洗いはじめるあるに、水月は振り返らずに言った。
「おいそれと信じられる事だとは、僕も考えてはいないにゃ。ただ、狂言や嘘などというものではないとわかってくれれば、それでいいにゃ」
 頭の上の心地良い感覚に少々陶酔しているせいかその口調は滑稽なままであったが、水月の言葉に偽りはなかった。
 言葉は信じてもらえずとも、疑われるのでなければそれでいい。
「……あたしより年上だったっていうのは、本当みたいね」
 あるは感慨深げにそう呟くと、今度は水月の青銀色の長い髪を洗いはじめた。そして楽しげに言う。
「でも、今はあたしの方が年上だからね。妹と思ってお世話してあげるよ、水月」
 あるの言う「世話」とは、いったいどのような事を示しているのであろうか。
 猫の耳の近くでささやかれたあるの言葉に、水月はただ苦笑いを浮かべるしかなかった。

 湯浴みを終えた水月は脱衣所に戻り、先ほど脱いだ下着を手に取った。
 あるが持ってきた服は尾の部分に穴があいていないため、上着はともかく“ずぼん”と“しょおつ”は着る事ができないのだ。
 しかたなしに同じ“しょおつ”をはこうとしていたのだが、突如としてあるがすっとんきょうな声を上げた。
「水月、何してるの!」
「下着をはいているのでござるが……」
 詰め寄ってくるあるに気圧された水月は“しょおつ”をはく手を止め、“たおる”を体に巻いた。
「これ、さっきはいてたやつでしょ」
 あるは水月が床に置いた“しょおつ”を拾い上げ、眼前に突きつけてきた。水月は改めて目にするその布を気恥ずかしく思い目をそらした。
「し、しかし……それしかはく事ができないにゃ」
 あるがなぜここまで憤慨しているかわからずに、水月は困惑しあとじさりをした。
「それしかはけないって……」
 言いかけて、あるは手に持った“しょおつ”に目を落とした。あいている穴に気付いたようだ。
 しばらく“しょおつ”の穴と水月の尾を交互に見やり、やがて得心したようにうなずく。
「そうか。そういう事ね……」
 あるは“しょおつ”を棚に置きすばやく服を着ると、脱衣所の出口へと歩き水月の方へ振り返った。
「他の穴があいてる下着は、部屋に置いてあるんでしょ?」
「そうでござるが……」
 水月がうなずいてみせると、あるは声をかける間もなく出ていった。
「じゃあ、持ってきてあげるからちょっと待ってて」
 最後にそう声が聞こえ、足音は遠ざかっていった。
 水月は椅子に腰掛け、静かになった脱衣所を見渡した。
 にぎやかなのも悪くはないが、やはりゆるりとする方が性に合う。
 しばしの間、温まった体に感じる涼しい空気を楽しんでいた水月だが、ふと思う事があり、自身の胸へと目を落とした。
 今は薄布一枚しか身につけていないにもかかわらず、かろうじて膨らんでいるとわかる程度の小さな胸。
 あるの豊満な胸を思い出し、なぜか気落ちしたため息を吐き出してしまったのであった。


 暗い部屋の静かな寝息がやんだ。
 ティン・カザヤはベッドの上でゆっくり体を起こした。顔の横に垂れた長めの金髪を払いのける。
「ピューンピューン」
 ドアの外から聞こえるこの“声”に起こされたのだ。
 ティンは目をこすりながらベッドから降りて、ドアを開けた。
「なんだよR−B……」
 眠そうなその声は、自分でも女の子みたいだと思うようなかわいらしいものだ。
 すぐ足元にいたR−Bはその声に気付いたのか、後退して目を合わせてきた。
「ビービビュン」
 R−Bは怒っていた。ティンにはそれがわかる。「忘れていただろう」と責めているのだ。
「悪かったよ……でもしょうがないだろ。今日はいろいろあって疲れたんだ。それに、おまえだって自分の事ぐらい自分でできるだろ」
 目を明滅させて「無茶を言うな」と訴えるR−Bを両手で抱え上げて、ベッドの横に腰掛ける。
 そして思い出してしまった。今日あった事を。
「本当にいろいろあったんだ……」
 R−Bをヒザに乗せて考える。
『ミツキはなんのためにこの船に乗ってるんだろう? どこかに行くため? それともこの船に関係ある事?』
 考えれば考えるほど、自分がミツキの手のひらの上で踊らされているような気がしてきた。
 そんな事は馬鹿げた考えだとわかっていても、じっと座っていると次々と考えてしまう。
『僕は……こんなに臆病だったんだな……』
 ミツキの事だけではない。アルの事も、アインホルンの事も、改めて考えると少し怯えるような気持ちになってしまう。
 自立への興奮が冷めてしまうと、初対面の人間と得体の知れない地球圏の船は恐いもののように思えてきた。自分が今ここで本当に理解しているのはR−Bだけで、ミツキの事もアルの事もアインホルンの事も、ごく浅い印象だけしか知らないのだ。
 これからは仲間というものになるのかもしれないが、今はまだ知り合いでしかない。そんな中で、自分の友人はR−Bだけだ。
『ホームシックなのか……?』
 そう考えて、そんなはずはないと頭を振る。ミツキの術を見てしまって、一時的に臆病になっているだけなのだと。
 会ったばかりなのだから、見つけたばかりなのだから、良く知らないのは当然だ。これから知っていけばいいだけの事だ。
 結論を出して、それ以上は考えないようにベッドの上に横になって目を閉じる。
「ピュゥゥゥゥン……」
 枕元に置いたR−Bが、心配そうに声をかけてきた。
 ティンは目を開けて、横になったままR−Bを抱きかかえた。
「大丈夫……きっとその内、ミツキとだって仲良くなれるんだ……」
 R−Bにというよりは自分自身に言い聞かせた言葉だった。
 ミツキは不思議な力を持っているだけで、他はただの女の子だ。そうであって欲しい。そうでなければ、ミツキはとても遠い存在のように思えた。


 あるの持ってきた浴衣を着た水月は、部屋に戻りながら思案をしていた。両手は互いのそでに差し込んでいる。
 あるに猫の耳と尾を見せ事情を語っても、嫌悪される事はなかった。やはり、かざやにも語るべきだろうか?
 しかしかざやは術を見せてからというもの、どうも様子がおかしい。避けられているのだ。今、猫の耳と尾を見せ語れば、嫌悪される事になるだろう。嫌悪される事自体はそれほどまでに恐いわけではない。だが、嫌悪から怯えられるようになってしまっては、相手が気の毒なのだ。
 かつての江戸の世でも、術を見せると怯えだす者がいた。ましてや猫の耳と尾を持っているとなれば、物の怪と見られてもしかたがない。かざやは心穏やかにはいられなくなるだろう。
『どうしたものか……』
 部屋に戻り眠りに落ちるまで考えたが、結論が出る事はなかった。



 出港から四日。
 アルとミツキは毎日一緒に何かをしていて、二人に話しかけるチャンスはほとんどなかった。例えそのチャンスがあったとしても、背の高いアルには気後れをしてしまって話しかけられなくて、ミツキの事はつい避けてしまっていた。
 ティン自身はというと、毎日R−Bと一緒にブリッジのコンソールに向かってこの船について調べている。新しくわかった事はいくつもある。アルにはその事を話しておかなくてはいけないのだろうが、ミツキと仲良く話しているところを見てしまうと声をかけにくい。
 まだミツキはティンにとって得体のしれないものなのだ。
 なぜ術とかいう不思議な力を使えるのか? なぜこの船の中にいたのか?
 聞こうと思った事は何度もある。だがその答えを聞くのが恐かった。聞いてしまうと、ミツキとの距離が離れてしまう気がした。
「かざや殿。話しておきたい事があるのでござるが……」
 通路で偶然出会ったミツキに、今日もこうして呼び止められた。
 返事はいつも決まっている。
「ごめん。今ちょっと忙しいから……」
「そうでござるか……。いやはや、邪魔をして申し訳ないでござる」
 いつもと同じ言い訳なのに、ミツキは怒りもしないで通路の先に消えていった。
 ミツキから話しかけられたというのに、大して近くない今の距離がもっと離れてしまうのが恐くて、毎回こうして逃げている。
 そう、大して親しいわけではない。出会ったばかりで、容姿に少し心をひかれているだけだ。
 自分にそう言い聞かせる。ミツキに執着する必要はない。それは拾い物のアインホルンにも同じ事が言えるのだと。
 目的地である六番コロニーにつくのは明日の朝。ティンはアインホルン内の自分の部屋に運んでおいた荷物を、クルーザーの中に戻す事にした。


 このところ水月は船の中の“らうんじ”という広い部屋で、あるから様々な事について教えられていた。
 かつての平成の世でも耳にしたような“ぱそこん”や“てれび”などの使い方を、あるはそんな事も知らないのかと、なかば呆れながら指南してくれた。そのあるの教えのおかげで、なんとか水月は“電源”を“入れる”事ができるまでになった。これは大した進歩であると、水月は自画自賛をしている。
 そしてあるが中でも熱心に指南してこようとするのは、少女に似合う振る舞いについてであった。
 今日もまた、向かいに座っているあるが言葉について指摘してきた。
「水月、『ござる』はつけないで、もっと柔らかい口調でしゃべりなよ」
 そう言うとあるは“こっぷ”を手に取り、口に運んだ。
 口調については毎日指摘されている事なので、あるの前では極力気をつけているのだが、やはり少しでも気がゆるむと本来のかしこまったものになってしまうのだ。
 水月自身はあまり人の目など気にする性格ではないため、口調や物腰などどうでも良いと考えているのだが、こうまで熱心なあるに逆らうのも無粋かとも思う。
 あるが机に“こっぷ”を置き、飲み物を飲み込んだのを確認してから、教えられた通りに言い直す。
「かざや殿には――」
 言いかけて、言葉を遮られる。
「『殿』はいらない」
 すばやい指摘に内心苦笑しながらも、一息ついて再び言い直す。
「かざやにはまだ話をしなくても良いで……」
 うっかりと「ござる」と言いそうになった口を止め、柔らかい口調ではどのように言えば良いのか考え、続ける。
「……良いで……しょうか?」
 水月の口調にあるは苦笑いを浮かべたが、指摘してくる事はなかった。
「ティンはね……。水月の事、避けてるみたいだし……今はまだ言わなくてもいいでしょ」
「そうでござるか……?」
 うっかりとかしこまった口調になっていた事にも気付かず、水月は“こおと”のそでに手を差し込み思案した。
 すでにかざやは術に怯えてしまっているようだ。何か、良からぬ誤解を抱いている事も考えられる。もし、不必要に怯えるほどの誤解を抱いているとしたら、全てを語った方がかざやは安心をするだろう。
『疑心から暗鬼と見られてはたまらぬな……』
 やはり、多少強引にでもかざやには全てを語っておいた方が良いのかもしれない。
 そう考えた時、あるの威勢の良い声が聞こえてきた。
「水月、『ござる』はいらないんだってば」
 あるは眉をしかめ、いささか厳しい視線を送ってきている。
 先ほどの水月の口調を聞き逃さなかったようだ。
「うっかりとしてしまって……」
 苦笑を顔に浮かべながら言う水月に、なおもあるは叱責する。
「もうちょっと柔らかく、敬語なんて使わないで」
「しかし……」
「『しかし』なんて言わない!」
 あるの勇ましさに気圧され、その威勢に水月は感心と困惑の笑みを浮かべたのであった。



 出港から五日目の朝。ようやくアインホルンは六番コロニーに辿りついた。
 半球型の住居区画が二つくっついた球型をした、農業用コロニーだ。ティンはまだ幼い頃、ここに来た事がある。
 港にアインホルンを停泊させて外に出ようとしたところでアルに会った。
「アルも外に出るの?」
 聞きながら、ティンは足元のR−Bを抱え上げた。かがんだ時に肩の前に垂れてきた束ねた髪を背中に戻しながら、アルを見上げる。
「当然でしょ」
 うらやましいぐらいに背の高いアルは、ティンを見下ろしてきながらそっけなく答えた。
 よく見ると、アルの肩には大きな鞄がかかっている。
「何? その鞄は」
 特に気になったわけではないが、会話を探したティンは気がついたらアルの鞄を指差して、そう聞いていた。
「これは水月の服」
 ミツキという言葉に反応して、つい聞き返してしまう。
「ミツキの服?」
「そう。ちょっとね」
 アルはそれだけ言うと、さっさと外に出ていこうとした。その背中に向かって聞く。
「ミツキ……ミツキは?」
 今日はまだミツキを見ていない。ミツキは得体がしれなくて、どこか恐い。だが、気がつくと目はミツキを探してしまっていた。
 近頃はいつもアルと一緒だったミツキがいない事が、なぜか気になった。
 不安に思うティンに、アルは振り返らずに小さな声で言った。
「水月は女の子の日」
 そう言うと、聞き返す間もなくアルは外に出ていってしまった。
『女の子の日……?』
 アルの言葉の意味はティンにはわからなかった。しかしよくはわからないが、ミツキはまだこのアインホルンの中にいるんだろう。
 それだけわかれば、ティンには十分だった。
 R−Bを腕に抱いて、ティンもコロニーの中に入る。その瞬間、体が重くなった。
 このコロニーの重力は0.3G。一番コロニーの0.5Gよりはるかにマシなものだが、0.2G育ちのティンにとっては、やはり気分の良い重力ではない。
 ティンが深呼吸をしていると、先の方を歩いていたアルが軽快な足取りで港から出ていったのが見えた。
「そういえばアルって……なんG育ちなんだ?」
「ビビビューン」
 呟きに答えたR−Bの言葉に、ティンは腹が立った。
「うるさいな。育ったところがそうなんだからしかたないだろ。おまえだってオレが持ってやらないと移動もできないじゃないか」
「ビー!」
 R−Bは「そんな事ない」と言ってティンの腕から飛び降りると、床の上を両足のホバーで滑ってみせた。アインホルンの中よりは遅いものの、あまり問題はない早さだ。
「オレだって動くぐらいできるよ。そんな事、自慢になんかならないんだからな」
 ティンは足元を自慢げに走り回るR−Bにそう言って、ふと、周りの視線に気付いた。
 好奇の目で、港にいる何人かの男たちがティンを見ている。周りの人間にはティンはロボットと真剣に言い合う女の子と見えていて、それが珍しかったのだろう。
 視線の意味に気付いたティンは頬を少し赤くして、すばやくR−Bを抱き上げた。
「こんなところで……変に見られただろ」
 腕の中のR−Bにそう呟きながら、できる限り急いでティンは港をあとにした。
 そして、さっきまでミツキの事を考えて少し沈んでいた気持ちが、気にならなくなっている事に気付いた。
 「ティンがひ弱なだけだ」と言って絡んできたのは、R−Bなりの励ましだったのだ。
 ティンは何も言わずにR−Bを抱きしめるように腕に力を込めて、この小さな友人に感謝した。


 水月は“べっど”の中で、腹部に経験した事のない痛みを覚えていた。
 先ほどかわやに行き、あるから教えてもらった通りに処置をしたが、痛みはひかなかった。
『くっ……! 女とは厄介なものだな……』
 耐え難き痛みに耐え、胴を丸める。
 元来、結界によって怪我をする事もなく、また病とも縁遠い水月にとって、このような痛みは腹痛以外に経験した事はなかった。そして、この痛みは腹痛を凌駕するものなのだ。
『個人差とある殿は言ったが……このようなものに、全てのおなごが耐えていたとはな……』
 感慨深くそう考えるが、痛みをまぎらわす事はできなかった。腹部の痛み以外に、頭痛もしているのだ。
 「痛み」自体に慣れぬ水月にとって、今のような体調は終わりのない苦行に思えた。
 猫の耳を後ろに倒し尾をこわばらせ、一人苦に悶える水月であった。


 農業用コロニーの名の通り、六番コロニーの中には田園風景が広がっている。
 長い農道を、ティンはR−Bを抱えたままとぼとぼと当てもなく歩いた。農業用コロニーといっても都市部はあるが、今は用もないのにそんなところに行く気にはなれなかった。
 行かなければならないところは特にない。アインホルンの中には食料も十分残っていて、水や電力など生活に必要なものはまだ補給はしなくても大丈夫なのだ。だいたいにして、小型コロニーほどの大きさもある船に、R−Bを含めて四人だけで住んでいるのだ。当分、補給の必要はないだろう。
「畑ばっかりだな……R−B」
「ピュー」
 そろそろアインホルンにでも戻ろうかと考えた時、ティンはキャベツ畑を見つけた。
 遠目に、茶色い畑に緑の固まりが並んでいるのが見える。
「キャベツ畑か……」
 ティンはR−Bにというわけではなく、一人言を呟いた。
 幼い頃、まだ父の働いていた商船に住んでいた時、乗組員の誰かからキャベツ畑の話を聞いた事がある。
 赤ん坊はコウノトリがキャベツ畑に置いていくのだという。
 もちろんティンはそんな話を鵜呑みにはしていない。いまだに赤ん坊がどうやって産まれるかは知らないが、何かの比喩的表現なのだろう。鳥が人間の子供を運んでくるなどあるはずがない。
 赤ん坊がどうやってできるか、学校の授業で習った事がないわけではないが、説明の中でなぜか裸の女の人の絵などが出てきて、まったく頭に入らなかった。
「ピューン」
 キャベツ畑をじっと見つめていたティンは、R−Bの声で我に返った。
「そうだな。戻ろうか、R−B」
 長い農道を、港に向かって歩く。やがて農道は舗装されたコンクリートになって、その先に天までもある灰色の壁が見えてきた。港への入り口だ。
 港に入るとすぐにアインホルンの中に向かう。パスワードを打ち込んでアインホルンの入り口を開けて中に入る。それから、真っ直ぐにブリッジに入った。
 コンソールに向かって、通信をはじめる。
「……ティン・カザヤですが……さんに……はい……」
 ティンは通信先の野太い中年の声に、依頼内容を確かめた。
 野菜と故障した船を一番コロニーの中に運ぶ。会社も、間違いなかった。
「……はい、船籍コードは016−01−3124で、船名はアインホルン……はい……」
 すでに相手は用意していて、今日の夜にでも野菜と船を運び終えられるのだという。
 内容はそんなもので、あまり長い通信ではなかった。
「……それじゃあ、お願いします」
 ティンは通信を切ると、ため息を吐き出した。
「夜か……」
 意外に早く運び終えるようだ。これなら今日中にでもここを出港できるだろう。
 ティンが急いでいるのは、早く今の依頼を片付けてアインホルンから出て行きたいからだ。一番コロニーに戻ったらアルにでもこの船は譲って、自分はR−Bと一緒にクルーザーで運搬の仕事でもしよう。ティンはそう考えている。すでに、クルーザーの中に荷物は全て戻してあるのだ。
「やっぱりコロニーの中は疲れたよ……。R−B、ちょっと休もう」
 ティンは背伸びをしてから、ブリッジを出てラウンジに向かった。R−Bも床を滑って、そのあとを追った。


 水月はあるに教えられた通りに水を流し、かわやから出た。頭痛と痛みは続いているが、先ほど急激にこみ上げてきた吐き気はもうしていない。
 痛みで頭がはっきりとせず足元もおぼつかずに、水月は壁に寄りかかりながら部屋へと歩いた。その途中、かすかに聞こえた声に、帽子の中で力無く後ろに倒していた猫の耳を立たせた。呆然とする意識の中、かすかな声を捕らえるべく猫の耳を動かす。
「……って逃げて……」
「ピー……」
 帽子の布ごしに聞こえてきたのは、かざやの声と“ああるびい”の音だった。
 水月は特に気にせずに、そのまま部屋へと戻ろうとしたが、唐突に聞こえてきた言葉にその足を止めた。
「……ミツキは恐いよ、だから……」
 かざやが水月への怯えを口に出した言葉だ。
 やはり危惧したように、かざやは良からぬ誤解を抱いているのではないだろうか?
 考えると同時に、水月の足は声のする方に向かっていた。かざやが誤解を抱いているとしたならば、もはや全てを語るべきだ。これ以上、不必要に怯えさせるわけにはいかない。
 水月はよろめく足取りで、なんとか“らうんじ”へと辿りつく事ができた。中央の机の周りの椅子に、かざやが腰掛けていた。
「ミ、ミツキ!?」
 かざやは水月を見て慌てて立ち上がったが、駆け寄ってくる事はなかった。
 水月は立ち尽くすかざやの前を通り、椅子のひとつに腰掛けた。荒い息を吐き出してから、かざやを見やる。
 かざやは困惑を顔に表し、立ったまま水月を見据えてきていた。ふと目が合うと、かざやは慌てて目をそらした。
「かざや殿……」
 水月は痛みに耐えながらも話しかけたが、かざやは何も言わずに立ち尽くしたままだった。
 しばらくして、ようやくかざやが返事をした。
「な、何?」
 何気なく半歩後ろに下がるかざやを見て、水月は決心をした。
 まずは語るべく、口を開く。
「かざや殿……話があるでござる」
 かざやは何かに気付いたように半歩前に出た。
「ご、ごめん! 今から……ちょっと……」
 かざやは言葉に詰まったのか、口を止め、机の上の“ああるびい”を抱えると廊下の方へと振り返り、水月に背を向けた。
 ただ避けられているだけだという事が、はっきりとわかる素振りだ。
「かざや殿!」
 水月が声を荒げ叫ぶと、ティンは振り返らずに足を止めた。
「ピューン……」
 R−Bが何事か音を出し、かざやはそれに応えるかのように頭だけを振り返らせた。
 水月はかざやの目を見据え、苦しみをこらえ、言った。
「頼むでござる……」


 ミツキがしゃべった事は、とても信じられる事ではなかった。
 目の前にいる女の子が元々は十九歳の男で、符術士というもので、こことは違う世界からやってきたなんて信じられるわけがないのだ。
 ティンは椅子に座っているミツキの目を見た。ミツキは真剣に、立っているティンを見上げてきている。その頭には猫みたいな耳が二つ並んでいた。
「かざや殿……」
 苦しそうに眉をしかめているミツキが、うめくような声を出した。
 苦しそうな表情は、この部屋に入ってきた時からしていた。うめくような声は、話をしている途中で何かに耐えるように何度も出していた。
 いつも笑っているミツキがこんな顔をしてこんな声を出しているのははじめてだ。
 心配だと思う。だが、これが演技だとしたら? さっきの話も、どう考えても嘘としか思えない。
 ティンには、ミツキを信じられる理由が無かった。
 今のミツキの話も表情も声も、全てが嘘で演技ではないのか?
 ティンは知らない間に、三歩ほど後ろに下がっていた。ミツキはそれを見て、苦しそうなものとは違う顔を向けてきた。
 ティンにはそんなミツキの瞳が、何かを謝っている瞳に見えた。
 ミツキはよろけながら立ち上がって、ティンの横を通って廊下に出ていった。
 ミツキが横に来た時、聞こえた言葉。
「すぐにでも……僕はこの船を降りるでござる。……申しわけなかったでござる、かざや殿」
 ティンは何も言えずに、ミツキがそう言った時に体を一瞬震えさせただけだった。
 足音はゆっくり遠ざかっていって、そして聞こえなくなった。それでもティンはその場に立ち尽くしたまま動けないでいた。
 ミツキは船を降りると言った。止めなければいけないのかもしれない。止めた方がいいのかもしれない。だが、動けなかった。何も言えなかった。
 ミツキが恐かった。
「ビー!」
 突然、腕の中のR−Bが大声で叫んだ。
「なんだよ、びっくりするじゃないか!」
「ビー!」
 ティンの言葉など聞こえていないように、R−Bは叫び続けた。
 R−Bは叱ってきているのだ。「なぜ何も言わなかった」と。
「うるさい!」
 気付いたら、R−Bを床に叩きつけていた。
 金属と金属がぶつかる音がラウンジに響き渡る。
 だが、ティンが叩きつけたぐらいで壊れるR−Bではない。
「ビー!」
 R−Bは叱り続けてきた。反論はできない。R−Bの言う通りなのだ。
「うるさいんだ! もう……知るもんか!」
 ティンは叫んでからラウンジを飛び出した。自動で閉まったドアは、R−Bをラウンジに閉じ込めた。
 R−Bに指摘されて、改めて何も言えなかった自分が嫌になった。そして、友人に八つ当たりした事を激しく後悔しながら、ティンはアインホルン内の自分の部屋に飛び込んだ。
 歩いて、ベッドの脇に腰掛ける。
「僕は……バカだ」
 なんの荷物も無い部屋の中、ティンは一人呟いた。


 なんとか部屋へと辿りついた水月は、着替えなどを“りゅっく"に詰め、三度笠を脇に抱えた。脱いでいた帽子をかぶり、再び猫の耳を隠す。
 水月は先ほどまでよりもひどくなった頭痛と腹部の痛みをこらえ、“りゅっく”を背負った。あるからもらった処置のための下着のような物も、“りゅっく”に入れている。
 できればこの体調が整うまで休養をしたかったが、これ以上この船にいてはかざやに迷惑がかかるだろう。体調が悪いからといっても死ぬわけではあるまいと考え、部屋を出る。
 水月は頭痛をこらえつつ、船の出口へと向かった。



 しばらく頭を抱え込んでいたティンは、ベッドから立ち上がってミツキの部屋に向かっていた。
 何をしに行くのかは自分でもわからない。ただ、ミツキに会わなければと考えただけで、謝れる自信も何かを言える自信もない。
 前に立つと、ミツキの部屋のドアは自動で開いた。ティンは意を決してうつむいた顔を上げた。
「ミツキ!」
 しかしミツキはいなかった。
 部屋の中には荷物もひとつも見当たらない。ティンの部屋と同じように何も無い部屋がそこにあった。
 ティンはすぐに部屋を出て通路を見渡した。ミツキの部屋に間違いない。ミツキの姿も見えない。
 ミツキはもう、アインホルンを出ていってしまったのだ。
『なんでもう出ていっちゃうんだよ……』
 ティンはどうしようもなく、呆然と立ち尽くした。
 どれぐらいの間そうしていただろうか。通路の先から足音が聞こえてきた。
 一瞬、ミツキが戻ってきたのかとも思ったが、軽快なその足音はアルのものだった。
「ティン」
 アルはティンを見つけると声をかけてきた。その肩には、船を出る時にも持っていた鞄がかかっている。
「水月はどんな具合? あんまり男の子が見舞いに来るもんじゃないよ」
 そう言うとアルは部屋の中に入ろうとしたが、それをさえぎってティンは呟いた。
「ミツキは……出ていった」
「え?」
 アルは立ち止まってティンを見下ろしてきた。うつむいて目をそらして、ティンは続けた。
「ミツキはさっき船を降りるって言って……。ここに来てみたら……もういなかった」
 アルの顔は見えないが、驚いているのがわかった。
「どうして!?」
 怒声にも似たアルの声に、ティンは体を一瞬震わせた。
「話を聞いて、そのあと出ていくって言ったんだ……」
「話……?」
 しばらく考え込んだアルは何かに気付いたのか、再び怒声を上げた。
「あんたは……止めなかったの!?」
 アルの右手がティンの肩を力強くつかんできた。何も言えずに黙っているティンを見て、アルは続けた。
「どうしてあんたはそんなに水月の事を信用しないの!?」
 肩にかけられたアルの手に、さらに力が加わった。ティンはこらえきれずに叫んだ。
「どうしてアルは信用できるんだよ! あんなの……どう考えても嘘じゃないか! 信用なんか……できるもんか!」
 首を上げてしっかりとアルの目を見つめる。向こうも厳しい目で見つめ返していた。
「あたしだって水月の話は信じられないけど、疑う理由なんて無いでしょ!?」
 ティンはアルの言葉に心の中で激しく反抗した。知らない間に、目にはなぜか涙がたまっていた。
「信じる理由が無いんだ! 疑う理由なんていっぱい――」
「信じる理由は助けてくれたから!」
 アルの叫びに、ティンは言葉をさえぎられた。言葉に詰まったティンに、アルは続けた。
「海賊船に襲われた時、水月は不思議な力をあたしたちのために使ってくれたでしょう。それは、信じる理由にはならないって言うの?」
 アルはさっきまでとは違って、落ち着いた口調で言った。ティンの肩に置かれた手の力も、少しゆるくなっている。
「疑う理由だって……あるんだ」
 ティンは再びうつむいて、アルから目をそらした。目からこぼれた涙が、床に落ちるのが見えた。
 ミツキが好きなのに信じる事ができない自分が、悔しかった。
「疑わなきゃいけない事なんか無いはずよ。あんたが疑わなくてもいい事を疑ってるだけ……」
 アルが呟くように言った言葉に、ティンは奥歯をかみしめた。
 アルの言っている事がわからないわけじゃない。自分が疑っていた事など、ミツキの事が少しでも信用できるならどうでもいい、馬鹿げた事だったのかもしれない。
 そう考える事はできるが、態度に出す事はできなかったのだ。
「あーあ……せっかく服に穴開けてきてあげたのに……。無駄になっちゃったわね」
 アルがため息をつくように呟いた時だった。けたたましく警報が鳴り出したかと思うと、突然轟音が船内を駆け巡った。
「どうしたの!?」
 アルが叫んだ。音は低く鳴り続いて、床や壁を振動させている。
 明らかに、アインホルンの中からの音だ。
「ティン!?」
 ティンは何も言わずにブリッジに駆け出した。金属が何かにぶつかった音がすると低い音は鳴り止んだ。金属の音はどこかの隔壁が閉じられた音だ。
 ブリッジに飛び込むとそのままの勢いでコンソールに向かってデータを呼び出す。
 ティンの予想通り、アインホルンの宇宙側の外壁から穴が開いていた。さっきの音は空気漏れの音だったのだろう。ブロックの隔壁が閉じているのでこれ以上の空気漏れの心配はないが、穴があいた原因が問題だった。
 記録では特に衝撃はなくて、徐々に外壁が溶けていっていた。つまり、レーザーによるものだったのだ。
 しかしレーダーで見る限り、近くに海賊船のたぐいはいない。
 ティンが困惑してコンソールのモニターを見つめていると、ようやくアルが飛び込んできた。
「ティン、何があったの!?」
 ティンが答える前に、アルもコンソールに向かって状況を確かめていた。
「なんだかわからないんだ……」
 ティンがそう呟くと、アルはコンソールを見つめたまま言った。
「かなりの距離からのレーザーね」
 さっきの気まずさもあって、ティンは一息ついてからアルの方を向いた。
「レーザーなのはわかるよ。けど、どこから? 近くに船なんかいないんだ」
「長距離よ。こんな事……」
 ティンの言葉に顔を向けずに答えたアルは、眉根を寄せてしばらく考え込んだ。
「長距離からなんて、並の海賊じゃないわね……」
 アルの呟きを、ティンは聞き逃さなかった。
「どういう事?」
 ティンが聞くと、やっとアルは顔を向けてきた。
「海賊なら、相手を仕留めたあとにすぐに乗り込めるように、レーザーで攻撃してくるのは近距離に来てからでしょう?」
 アルはティンにではなく、自分自身に呟いて考えているようだった。そんな事には構わずに口を出す。
「遠くからだと、仕留めた船に近付く前に警備船に見つかってしまうから……?」
 ティンがそう言うと、アルは腕組みしてあごに手を置いた。
「そう。一隻だけならね。たぶん、もう一隻小型船か何かが……」
 アルは床に目を落として言葉を途切らせた。考えをまとめているようだ。
 アルが再び口を開く前に、通信をしらせる電子音が鳴った。すぐにティンは通信を受け取った。
「こちら一番コロニー警備局です。船籍コード016−01−3124、アインホルンですね?」
 ティンが何かを言う前に、抑揚のない声が聞こえてきた。その声にアルも考えるのをやめて通信に注意を向けてきた。
「はい。アインホルンに間違いないです……」
「そちらのアインホルンは、現在海賊船に狙われています。六番コロニーに被害が及ばないよう、至急、港から出てください」
「どういう事です!?」
 通信先の男の言葉に、ティンは思わず叫ぶように聞き返していた。
「警備船を向かわせますので、できるだけコロニーから離れてください。それではお願いします」
 一方的に用件だけを伝えてきた通信は唐突に切れた。
『おかしい……』
「なんで一番コロニーから通信があるわけ……?」
 ティンが心の中で考えた疑問と同じ事を、アルが口に出した。
 アルが言った通り、六番コロニーに停泊しているアインホルンに、なぜわざわざ一番コロニーが通信してくるのか疑問だった。
 しかし今は悠長に考えている暇はない。今もレーザーがアインホルンを溶解させているかもしれないのだ。警報はまだ鳴り止んでいない。
 とりあえずは言われた通りにアインホルンを出港させるために、二人はコンソールに向かって操作をはじめた。
「襲われてるのがこの船だけだって……わかっているような言い方をして……?」
 横でアルが時々漏らす呟きが、ティンは妙に気になった。


 男は我が目を疑った。今から貨物を運び入れてやろうとした船が、連絡もなしに動き出したのだ。
 そのままその巨大な船は、男が乗った船をあざ笑うかのように離れていった。モニターに映った、乗っている船が牽引している貨物を見る。あの巨大な船、アインホルンに運び込むはずだった故障したオンボロ船とコンテナに入れられた野菜だ。
「いいかげんなもんだ。まったく」
 男はしかたなく、船を転身させてコロニーの中に戻る事にした。


『動き出したのか……? 海に飛び込むわけには……。術を使うしかあるまいか』
 冷たい床に座り込み、壁に背を預けつつ符を取り出そうと考えたが、頭痛と腹の痛みのために手を動かす気にはなれなかった。
『かざや殿には悪いが、今しばらくは動けぬな……』
 きつく目を閉じ、痛みをこらえる。
 歩いて出るにしろ、体調の悪さのせいか道に迷ってしまい、どこが出口かまったくわからないのだ。術を使って出るにしろ、わずかでも気分が良くなってからにしたい。
 けたたましく鳴り響くからくりの音が、痛む頭に響いていた。


 必死に操作をしながら、ティンはレーザーの事が気になっていた。
「まだ……当たってるのかな……?」
 呟いてみるが、アルからの返事は返ってこない。
「当たってるとしたら……どこに当たってるのかな?」
 下手をしたら、このブリッジに突然穴があいてしまうかもしれない。
 そう考えると落ち着けなかった。
 必死に操作しているアルの横顔を見て、ティンは呟くのをやめた。
 そのまま黙ってコンソールに向かっていたが、アルが遅い返事を返してきた。
「水月の術なら、どこに当たってたか目に見えてたんだけどね……」
 それを聞いて、ティンは何も言えずに操作を続けた。アルもそれ以上は何も言ってこなかった。
 しばらくたってからオートクルーズにセットして操作を終わらせて、ティンはアルの方を向いた。アルも操作を終えて顔を向けてきた。
「警備局の船……」
「えっ?」
 アルが呟いた言葉に、ティンは思わず短く聞き返した。
「警備局の船がまだ出てないでしょ。まさか一番コロニーの警備船がこんなところまで来るはずはないと思うんだけどね」
 アルのその言葉に、ティンは考えた。
「一番コロニーからここまで来るのには時間がかかりすぎるよ。六番コロニーから来るだろ? アインホルンが停泊してたのは、六番コロニーなんだから」
 当然の事だと思いながらティンはそう言ったが、アルは眉をしかめた。
「でも……一番コロニーから連絡があったんだから、一番コロニーから来るんじゃない?」
 そう言うと、アルは腕組みした。ティンはそんなはずはないと言い返そうとしたが、警備船がまだ来ない事に気付いて口を閉じた。
 六番コロニーから警備船が来るにしては、出てくるのが遅すぎる。他のコロニーから来るにしても、通信では「警備船を向かわせる」とぞんざいに言われただけで、どこから来ていつ救出できるなど、何も言われなかった。
「一番コロニーからここまで……どんなに急いだって二日はかかるだろ!」
 アルに向かってティンは叫んだ。叫ばずにはいられないほど、不安が湧き上がってきた。
 もし警備船は一番コロニーから来るのだとしたら、それまでの間、このアインホルンが無事で済むはずがない。
「コロニー側は、この船を助けるつもりなんてないのかもね……」
 その呟きにティンは絶句して、アルの次の言葉を待った。
「連続して二回も海賊船に襲われて、一回目は救援無し。二回目の今も警備局の対応はこの程度。現時点でアインホルンが地球圏の船って知ってるのはあたしたちとコロニーぐらい……という事は……」
「コロニーもこの船を狙ってる!?」
 そう叫んだティンに、アルは険しい表情を向けてきた。
「海賊船とグルなのかもね」
 そう言ってじっと見つめてくるアルに目を合わせて、ティンは言った。
「地球圏がもうこの船を見つけたのかな……?」
「いや、地球圏ならこんな回りくどい事はしないでしょうね。まだコロニーが狙ってるだけだと思うけど……どっちにしろ、警備船の助けは当てにできないわよ」
 アルのその言葉を最後に会話はやんだ。ティンはモニターを見ながら、どうするかについて考えた。
 アインホルンには特殊装甲というバリアのようなシステムがある。それを使えばレーザー攻撃は防げるのだが、今確認したところ、連続で一分程度しか使用できないのだ。そんなわずかな時間ではまるで意味がない上に、防いだからといってその後に助かる当てがあるわけではない。
『ミツキがいれば……』
 思わずそう考える。
 ミツキがいれば、術を使って今レーザーがどこに当たっているかもわかって、さらに防いでもくれるだろう。
 ティンは無言で首を横に振った。
 いない者を当てにしてどうするのか。ミツキを追い出してしまったのは自分だ。今更、助けて欲しいなんて都合のいい事を考えては駄目だ。
 自分たちだけで、今の事態をどうにかしなければならないのだ。
 ティンは同じように考え込んでいるアルに顔を向けた。
「火星もやっぱりこの船を狙ってるのかな?」
 声に気付いたアルが顔を上げた。
「火星は……」
 そう呟くと、アルは視線をモニターに向けた。しばらく考え込んだあと、再び口を開く。
「まだ狙ってはないでしょうね。コロニー側も、火星にはこの船の事は伝えてないだろうし……」
 そこで言葉を止めて、何かに気付いたようにアルは眉を寄せて、ティンを見据えてきた。
「ティン……」
 アルの小さな呟きに、ティンは小さくうなずいてみせた。
「火星に逃げ込むしかない」



 けたたましく鳴り響き続ける甲高いからくりの音の中で鳴り響く、もうひとつのごく聞き覚えのあるからくりの音。それがやんだ。
 その代わりに聞こえてくる声があった。
「……めん、忘れてたわけ……」
 少女のようなかざやの声を、猫の耳が捕らえた。痛みに耐えながら、ゆっくりと立ち上がる。
 船を降りると言っておきながら、出口がどこかとさまよってしまい、まだ外に出ていない。船はもう海上に出ているようで、今は降りる事はできないだろう。
 その次第を、とりあえずは声の聞こえる方に行きかざやに会い、説明しておくべきだろう。
 よろめく足取りで、かざやの元へと歩いた。


 ティンはR−Bを抱きかかえて、ラウンジの椅子に座った。R−Bを両手で挟むように持って、目を合わせる。
「アインホルン、また海賊船に狙われてるんだ。警備船も……たぶん、来ない」
 R−Bは黙って聞いていた。丸い体の中のCPUで、何かを考えているのかもしれない。
 ティンはしばらくR−Bを見つめてから、話を続けた。
「コロニーもオレたちを狙ってるかもしれないんだ。そうなったら……おまえも僕も秘密を守るために殺されちゃうかもしれない……」
 知らない内に、つい一人称が「僕」になる。
 クルーザーで故郷のコロニーを出る時、これからはもっと男らしくなろうと思って、自分の事を「オレ」と呼ぶようにした。
 無理をしていたのが自分でもわかる。だからこそ、意識していないと一人称は「僕」になってしまう。
 ティンは力を込めて、R−Bを抱きしめた。
「ミツキがいなくなってアインホルンも捨てなきゃいけなくて……なんでこんな事になるんだよ」
 アルと話し合って、火星についたらアインホルンを捨てて、偽名を使って生活するという事になった。
 最初はそこまでする必要はないと思った。しかし、アインホルンの事を知っている自分たちをコロニーが見逃すはずはないだろう。
 アインホルンをまずティン所有の船にしたのも、証拠を残さないために海賊船に奪わせて、行方不明という事にするためだったのだ。
 確証はないが、可能性は高い。そして、確かめている余裕は自分たちにはない。
 宇宙を飛び回るという夢も、あきらめなければならない。
 考えると、徐々に悔しさと怒りが込み上げてくる。
「なんでみんな捨てなきゃいけないの!?」
 ティンは叫んだが、誰も答えてはくれない。R−Bでさえも、黙って腕に抱かれていた。
「なんでこんな! なんでこんなの!」
 積もり積もった思いを吐き出すように、ティンは叫んだ。その言葉に意味はない。だが叫ぶ事で、心の重みは軽くなっていったような気がした。
 叫び終わってしばらく、ティンは荒い呼吸をした。ティンの息が整のうと、R−Bの長い耳が頬をなでてきた。わずかにこぼれたティンの涙をすくうかのように。
「ピューピピュー」
 R−Bの高い声が、優しくティンの耳をくすぐった。
 ティンはR−Bのその、「重力は大丈夫か?」という冗談めいた、しかし優しい言葉に一笑して、立ち上がって言った。
「火星の重力は確か0.38Gだろ? 一番コロニーの0.5Gでも、おまえを抱えて歩けたんだ。大丈夫だよ」
 ティンは床にR−Bを降ろして、かがんで目を合わせた。
「自分はどうなんだよ? 火星では自分で動かなきゃ、オレは抱えてやらないからな」
 意地悪く言ってから立ち上がって、ラウンジの出口へ歩く。
 反論してくるR−Bと言い合いながら通路に出ると、突然何かが体に倒れ込んできた。受け止めきれずに、そのまま押し倒される。
 それがなんなのか一瞬わからなかったが、青銀色の鮮やかな髪を見てティンは気付いた。
「ミツキ!?」
 ティンを下に敷いた状態でミツキは顔を上げると、苦しそうに歪ませた表情で見据えてきた。
「かざや殿……」
 押し殺したような声で呟いたミツキを見て、ティンは沸き上がる思いを覚えた。あえてその思いに逆らわずに体の上のミツキを、細腕で力の限り抱きしめた。
「ミツキ!」
 ミツキに対する恐れが全て無くなったわけではない。だが、もうそれを理由にミツキを避ける気はなかった。ただ嬉しいという単純な感情のままに、ミツキを離さないように抱きしめた。
「か、かざや殿?」
 戸惑うミツキの言葉で我に返る。
「あ……ご、ごめん」
 ティンが抱きしめていた腕を離すと、ミツキはよろめきながら立ち上がった。
 ティンも立ち上がって、自分がどれだけ大胆な事をしていたかに気付いて頬を染めた。少し気まずさを覚えながら、目をそらした状態でミツキに聞く。
「戻ってきて……くれたの?」
 言ってから、出ていくのを止めもしないで、こんな言い方は身勝手なのかもしれないと考える。その後悔でミツキと話しているのだと実感が沸いて、なぜか心地良かった。
「申し訳ござらぬ。道に迷ってしまい降りる事ができなかったでござる。陸地につけばすぐにでも――」
 ティンは直感的にミツキの次の言葉を悟って、考える前に声を上げた。
「出ていかなくてもいいよ!」
 目をしっかりとミツキに向ける。ミツキは困惑してこちらに目を向けてきていた。
「しかしかざや殿……」
「オレが悪かったんだ。ミツキの事、勝手に疑って……。だから……だからアインホルンを降りなくて……だから……」
 言いたい言葉がひっかかってなかなか出てこない。一度息を飲みこんでから、心を決めて言う。
「一緒にいて欲しいんだ!」
 驚いたように目を見開いてから、ミツキは微笑んで、両方のそでに互い違いに手を差し込んで首をひねった。目を閉じて考えている。
 ティンははじめて会った時の事を思い出しながら、ミツキの言葉を待った。
 ティンにとっては長くて、実際にはせいぜい数分ほどの時間がたってから、ミツキは目を開いた。
「では今しばらく、厄介になるでござる」
 ティンは自分の表情がほころんだのを感じた。そして思い出した。これからの事を。
「あ……ミツキ」
 徐々に自分の表情が暗くなっていくのを感じながら、ティンは、海賊船に襲われている事、コロニーから逃げるために火星に行ってアインホルンを捨てる事を話した。
 ミツキはそでに手を入れて、考え込みながら聞いていた。どれだけ理解してくれるかは疑問だが、ティンは構わずに、なるべくわかりやすく話した。
 話し終わってしばらくして、ミツキは壁に背を預けてそでから手を出した。
「……大丈夫なのでござるか?」
 辛そうに頭を抱えるミツキに、ティンは小さくうなずいてみせた。
「どこかのコロニーにいたら海賊船はまだ来るかもしれないけど、火星なら、コロニーはきっと気付かないよ。うまくいけば、R−Bが偽の戸籍を作れるかもしれないから……」
 ティンは言い終わった時、ミツキがよろけたのを見て慌てて肩を支えた。
「ミツキは大丈夫?」
 これからの事ではなく、今のミツキに向けた言葉だった。だがミツキはそれには答えずに、眉をしかめて聞いてきた。
「今も……賊に襲われていると言ったでござるな……」
 答える前に、ミツキを支えて歩き出す。
「そうだけど……大丈夫だよ。アインホルンは大きいから、レーザーなんて気にしなくても……」
 若干、自分自身の希望も混ざった言葉だった。アインホルンは確かに巨大で、レーザーで穴をあけられたぐらいで航行不能におちいる事はないだろう。しかしそれは、ブリッジや推進部を打ち抜かれなかった場合だ。
 賭けだった。主要部を打ち抜かれて航行不能になるか、その前に火星にたどりつけるか。相手の目的がアインホルンの捕獲なら、主要部を打ち抜かれるはずはないが、断言できるものではない。
 その不安が、ティンにミツキの次の言葉を期待させていた。
「かせいにつくまで……なんとか……守ってみせるでござるよ……」
 ミツキの体調が悪いのはわかっていたが、止める事はできなかった。
 ティンは本当に自分は身勝手だと自責した。それと共に、自分から言い出してくれたミツキに感謝した。


 かざやとあるは、水月の術によって浮かびだされたこの船の全景を見て安堵していた。
 空中に幻のように浮かぶ船の中心には、どこからか一本の光の線が当てられていた。かざやたちが“れえざあ”と呼ぶものだ。
「とりあえずこの位置なら問題ないわね。やっぱり、本気でアインホルンを沈めるつもりは、ないみたいね」
 あるが息を吐き出しながら呟き、かざやがそれに続く。
「火星につくまでの一週間、無事ですむといいけど……」
 水月にはよくはわからないが、どうやらかざやたちは賊から逃れるために“かせい”という国へ行き、隠遁の生活をするようだ。
 この“あいんほるん”という船が原因らしく、“かせい”につくと捨ててしまうのだという。
 痛む頭の中で、水月はひとつの決心をしていた。“かせい”とやらにつき、かざやたちがこの船を捨てる時、また別の世へ旅立とうと。
 ここにいるのが嫌になったというわけではない。むしろその逆で、先ほどかざやにはこころよく迎えられ、あるとも気が置けぬ仲となった。正直なところ、水月としてもまだ二人と共にいたい。
 しかしそれゆえに焦ってしまっているのだ。かつての江戸の世での諸国漫遊のように、当てもなくふらりと旅をしているのなら問題はない。だが、今は邪鬼を追い、見つけ、滅すという目的があるのだ。かつてのように、ひとつの町に留まるような事は、許されるものではない。
 餞別とばかりに、水月は体に無理を命じ、術を使っているのだ。
「防がぬともよいのでござるか?」
 水月が聞くと、かざやは首を振って瞳を穏やかなものとした。
「まだ大丈夫だよ。今レーザーが当たってる場所は、穴があいても問題ないから」
 あきらめや投げやりにではなく、かざやはしっかりと言い放った。
「それより、もういいよミツキ。しばらくは大丈夫だから」
 いたわるかざやの言葉を聞き、水月は術への集中をやめた。心なしかいつもよりも疲労が激しく、気を抜くと同時にひざをつく。
 慌てた様子でかざやとあるが駆け寄ってきた。
「水月、もう部屋で休んでなさい。まだ軽くないでしょ?」
 あるに肩を貸してもらい、“らうんじ”から出る。腹部と頭の痛みは先ほどよりはわずかに弱くなっているが、やはりまだたえがたいものだった。
「このような時に……」
 痛みに対する苛立ちが、水月にそう呟かせた。
 あるは身長差がわずらわしくなったのか、水月を支えていた腕をほどくと、背を向けてかがんでみせ、乗れと言わんばかりに後ろ手を差しだしてきた。
 水月がどうしてよいか当惑していると、あるに無理矢理背中に乗せられてしまった。水月をしっかりと背に抱くと、あるは言った。
「もう気にしなくたっていいってば。とにかく休んでなさい」
 あるの背中は今の水月にとっては広く、妙な安心感に包まれるものだった。
『おかしなものだ……』
 水月は一笑し、静かにあるの背中に揺られた。



 数日が過ぎて、海賊船のレーザーに主要部を打ち抜かれる事はなく、外壁近くに十二ほど穴があいただけだった。
 十二の穴と言えばなかなかの被害だが、航行できる限り気にする必要はない。大気圏突入も特殊装甲を使うので問題ないのだ。ミツキの術のおかげでどの位置にレーザーが当たっているかもわかっていたので、恐怖感もほとんどなかった。
 そして十三個目の穴があく事はもうない。アインホルンの巨大さにあきらめたのか、それとも火星に向かっていると知ってあきらめたのか、もう海賊船は追ってきていないようだ。
 ティンはアルやミツキに、この船について新しくわかった事を話しておいた。
 地球圏のこの船には、外宇宙探査船というデータが記されていて、居住性能が高いのもそのせいなのだろうという事。そしてその時、うっかり口をすべらせて話してしまった事があった。
「ほら、どう?」
 アルが正面からどいて、目の前に少女が現れる。
 一本の三つ編みにした金髪を胸の前に垂らして、ノースリーブのワンピースを着ている。
 ごく自然にかわいいという感想が沸き上がってくるが、同時に怒りが込み上げてくる。目の前にあるのは鏡で、そこに映っているのは他でもないティン自身なのだ。ワンピースは以前アルが買っていた物だった。
「アル……!」
 ティンは押し殺した声を出したが、それさえも少女のようだった。少年であるにも関わらず、少女の声だ。
 アルはティンの怒りを気にした様子も見せずに、腕をつかんできた。
「さあ、こんな格好しちゃったんだから観念しなさい」
 こんな格好にしたのはアルだと言いたかったが、ティンは黙って言葉を飲み込んだ。
 アルには秘密にしていた性転換装置の事を話してしまったのがまずかった。すぐにアルはとんでもない事を言い出した。
 自分たちはこれから隠れ住まなくてはならないのに、まるで少女そのものの珍しい少年がいたら、そこからコロニーに見つかってしまうのではないかと。それなら少女になった方が目立たない。今のように見た目だけではなく、体そのものも。
 アルの言う事もわからないわけではなかったが、もちろんティンは反対した。しかしアルとティン自身の命に関わる事だと説得されて、しかたなく了解した。アル自身も同じように装置を使って、性別を変えて完全に別人になりきるのだと。
 二人はアルの部屋を出て、性転換装置の部屋に入った。
 さすがのアルも不安そうに顔を暗くするが、それは一瞬の事で、すぐにティンをカプセルの中に押しやった。
「はい、最初はティンね。ほらほら、早く入って」
 怒りを通り越して、半分あきれながらティンは黙ってカプセルの中に入った。
 アインホルンは捨てるのだから、またこの装置を使って元に戻る事はできないが、ミツキの術で性別を変える事ができるというので、いざという時は当てにしている。
 一応、R−Bにこの装置についてのデータを記憶させてもいるので、スポンサーがいれば作れない事はないかもしれないのだ。アルにそう説得された。
 重い音が響いて装置が起動する。しばらくして、体にわずかな変化が現れる。
「これで女っぽいとか、言われなくてすむよ……」
 自嘲めいた呟きをもらして、ティンは少年の体に別れを告げた。


「装甲は大丈夫なんでしょうね!?」
「大丈夫! 壊れるとか、そういうのじゃないみたいだから!」
 あるとかざやが“もにたあ”を見て、何やら叫びあっている。なんでも今、大気圏とやらの中らしい。嵐のようなものかと、水月は考えている。
「R−B! 大丈夫だから速度上げて!」
 かざやがまたも叫ぶ。もはや体調は回復しており術を使ってもよいのだが、何をすればいいのかわからず呆然とし、水月はかざやたちを見るばかりだった。
「バリアがあるんだ! 墜落するつもりでもいいよ」
 かざやがそう叫んだのとほぼ同時に、“もにたあ”が茶一色となった。
「装甲解いて、バランス! わかるな、R−B」
 “ああるびい”がかざやの言葉に答えるかのようにからくりの音を出すと、船が大きく揺れた。
「ちょ、ちょっとティン!」
 壁に手をつき、あるがかざやに叫んだ。
「大丈夫!」
 水月は完全に床の上に倒れてしまい、あるとかざやのやり取りを見上げていた。
 やがてひときわ大きく揺れると、船は止まり、“ぶりっじ”は静かになった。
 しばしの間、誰もが口を開かず、“もにたあ”に映る茶と青を見つめていた。そこに映っているのが地面と空である事は水月にもわかる。今更なのだが、水月はこの船は空を飛ぶものだったのかと驚いた。
「ついたよ……みんな」
 かざやが静かに告げた。


 地球と変わらずに茶色い地面が広がる火星の辺境に、三人がいた。
 一人はごく背の低い金髪の、三つ編みを垂らした愛らしい少女。
 その隣に立つのは、背の高い颯爽とした青年。
 そしてその二人に向かい合うように立っているのは、青銀色の髪を背中に流す、帽子をかぶったコートの少女。
 いや、三人ではない。もう一人、金髪の少女ティンの腕に抱かれたロボットがいる。
「ピュー……」
 R−Bは別れを惜しむ声を上げた。
「ミツキ、本当にもう行っちゃうの?」
 ティンが聞くと、水月は風で顔にかかる髪を払いのけながら、コートのポケットから符を取り出した。
「おそらく邪鬼は、同じ世界にいればすぐにでも僕の前に現れるでござる。ここまで待っても出てこないという事は、別の世にいるのでござろう」
 水月が言い終わると、今や青年となったアルが一歩前に出た。
「そんなに急がなくてもいいんじゃない? もうちょっとゆっくりしてても……」
 水月が首を振ると、アルはそれ以上言うのをやめた。
「今生の別れというわけではないでござるよ。また、会いに来させてもらうでござる」
 そう言ってから、水月は目の前にある巨大な船を眺めた。それに釣られるように、アルとティン、それにR−Bもアインホルンに目を向けた。
「なら、たぶんここから北に二十キロの町に住むと思うから、その時はそこに来てね」
 男の口調にしては随分と柔らかく、アルはアインホルンから目を離さずに言った。
「二十キロ……!」
 アルの言葉に、なぜかティンが驚愕の悲鳴を上げた。
「ではある殿、かざや殿。また……」
 水月は手に持った符をかざした。視線が集まる。
「絶対また来てよ……水月」
 ティンのその言葉に笑顔とうなずきで答えると、水月は唱えた。
「現世門、在れ」
 瞬間、水月の体を黒い霧のような物が覆い隠し、それが晴れた時には、そこにはただぽっかりと、地平線が見えるだけだった。
 ティンたちにとっては信じられないような光景だったが、手品でもなんでもない事はわかっている。
「行っちゃったか……」
 アルが呟いた。
 ティンはまだ、水月が元は男でいろいろな世界や時間を旅するという話を信じているわけではない。だが、信じていないわけでもない。信じるか信じないか、少なくとも今は結論は出さなくてもいいと考えている。
 水月がいた場所をまだ見つめていたかったが、ティンは視線をアインホルンに戻した。
「さよなら……アインホルン。……ユニコーン」
 巨大船とその中に入ったままのクルーザーに別れを告げて、ティンは北を向いた。
「さ、行こう!」
 奮い立つためにわざと大声を出して、ティンは歩き出した。ティンにとっては強い重力のせいで走れはしないが、そのぶん、一歩に力を入れた。
「ティン」
 アインホルンを眺めたまま動かずに、アルはティンに声をかけた。
「何?」
 三つ編みを揺らして、ティンは振り返った。
「アインホルンの意味、知ってる?」
 少し意地悪い口調でアルは聞いた。ティンが答える前に嘲笑を浮かべて続ける。
「ドイツ語で、一角獣」
「え……?」
 ティンはなんの事かわからずに考える。その間にアルは二人分のわずかな荷物を持って、ティンの横を通り過ぎていった。
「ちょっと、それってまさか……」
 慌ててアルを追いかけるティンの腕の中で、R−Bは声を上げて笑った。
「ピピューピーピー」
 意味を読み取ったティンがR−Bに視線を落とす。
「おまえ、わかってたのに黙ってたな!」
「ピーピピューピー」
 ティンが怒っても、R−Bは笑い続ける。おとなしそうな少女が怒っても、恐くないのかもしれない。
 アルも笑った。すがすがしい青年の声で。
 とある世の火星の空に、ロボットと青年の笑い声が響く。あたかもそれは、別れをあざ笑っているかのようであった。





あとがき

 野良猫放浪記第五話、お楽しみ頂けたでしょうか? というわけで、今回でアインホルンの章は終わりです。次回からはまた別の世界の話になります。本当になんというかふらふらと放浪するような話ですが、良ければこれからもよろしくお願い致します。それでは、読んで下さって本当にありがとうございます。御意見、御感想、文句、苦情、他にも何かありましたら是非お寄せ下さい。


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