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野良猫放浪記

                     地駆鴉



 長い通路。
 少女は人待ち顔でひとつのドアの前に立っていた。そのドアは通路に並ぶ他のドアとは色が違っていた。
 少女は落ちつきの無い様子で通路の両側を何度も見やった。
 見つかってはまずい。
 少女の様子はそう感じ取れるものだ。
 少女の名は水月みつき。猫の耳の形をした帽子をかぶり、サイズの合わない大きなコートに身をまとっている。
 やがてドアが開き、中からは別の少女が出てきた。それを見て、水月は顔をほころばせ、安堵の息をもらした。
 出てきた少女は自分の胸を軽く数回叩いてみせた。

「待たせてごめん。でもほら、ちゃんと元に戻ったよ」

 出てきた少女の名はティン・カザヤ。いや、少女のような容貌だが、少なくとも今は少年だ。背は低く、伸びた髪を首の後ろで束ねている。

「そう……でござるな。いやはや、安心したでござる」

 口では納得をあらわした水月だが、内心、どこが先ほどまでの女の体と違うのかと考えていた。
 注意深くティンの体を見る。胸以外に変化は見られない。声さえも、先ほどまでと全く同じに少女の声だ。
 だが、ティンはそう感じてはいなかった。
 声が違うのか同じなのかは自分自身ではわかりづらいが、体の変化ははっきりとしていた。
 胸の違和感は無くなって、股間の奇妙な物足りなさも無くなっていた。ただ、それ以上の変化は自分でもわからなかった。
 しかしこれでいい。完全に元に、少女から少女のような少年に戻っている。たとえ見た目の違いが無くても、ティンにとっては重要な違いだ。
 二人は肩を並べ、通路を歩きはじめた。

「動くようになっていたのでござるか?」

 水月が先に口を開いた。

「エネルギーの事? さっき見たら補給されてたみたいなんだ。けど……」

 言葉の途中で言いよどみ、ティンは思案の表情を見せた。

「どうしたでござるか?」

 水月は横からティンの顔を見て、その透明な藍色の瞳を向けた。
 しばし物思いにふけっていたティンは水月の視線に気づき、ほおを赤く染めた笑顔を浮かべた。

「あ、さ、さっき管理局に聞いたら補給なんかしてないって言ってたからおかしいなって。そ、それにエネルギーってバッテリーの電力使ってると思ってたんだけど調べたらそれだけじゃ動いてなくって、何を使ってるかよくわからなくって。ブースタ用の燃料使ってるわけなんかないからなんだろなって……思って……」

 照れ笑いを浮かべて話していたティンは水月が苦笑いを浮かべているのに気づき、途端に表情を暗くした。

「ごめん……こういう話、ミツキはよくわからないんだよね……」

 ティンはすまなそうな顔を向け、その深く青い瞳で水月を見た。
 ティンと目が合った水月は困ったような笑顔を見せた。

「申し訳ないでござるが理解できかねるでござる。よければ、あとでいろいろと教えてくれればありがたいでござる」

 水月のその言葉を聞くと、ティンは笑顔を浮かべた。

「う、うん、もちろんいいよ。何を教えればいいの?」

 ティンに聞かれた水月は長い通路の先に顔を向け、両手を互いのコートのそでに差し込み、小首をかしげて見せた。
 しばらくの間そうしていたが、ティンの方を向き、またも困ったような笑顔を見せた。

「いろいろでござるな。僕には知らない事が多すぎるでござる」

 水月の表情は、どこか落ち着きが感じられるものだった。


 ティンと水月が船内の通路を歩いている頃。ブリッジには背の高い女と丸いボールのようなロボットがいた。

「ビーュン、ビー!」

 ブリッジから出ていこうとする女の行く手をロボットがさえぎる。
 ロボットの細長い目の下には“R−B”と書かれている。それがこのロボットの名前だ。

「何、R−B? さっきからそうして。何か隠してるの?」

 女が足元のR−Bを見下ろしながら、疲れたような表情をした。
 女の名はアルバトロス・カーム。ティンたちは“アル”と呼んでいる。

「ビー! ビー、ビー!」

 アルの言った事が図星だったのか、R−Bは動揺したように目を点滅させた。
 だが、アルにはR−Bの“言葉”や“表情”は完全には理解できない。眉根を寄せたアルは、R−Bを軽々と持ち上げた。

「ビュン!」

 アルの腕の中で、R−Bが驚きの声を上げた。

「ティンも、あんたに電子音じゃなくて言葉をしゃべらせてあげればいいのにね。あたしにはあんたが何言ってるかわかんないよ」

 不満気な顔をしながら、アルがブリッジの外へと向かう。R−Bは何度も声を上げ、アルにブリッジから出ないよう“言った”。だが、アルはR−Bに構わず、通路へと通じるドアの前に立った。
 しかしドアが開くと、そこにはティンと水月が立っていた。

「あ、遅くなってごめん。わかった事話すよ。この船について」

 ティンはやや落胆の表情を見せたアルからR−Bを受け取り、コンソールへと歩いた。

「ありがとR−B。見られないようにするの、上手くやってくれた」

 こっそりとした小さな声で、ティンはR−Bにそう言った。


第四話

超装甲船アインホルン之章



「モニターを見て」

 ティンはコンソールを叩いて、天井近くの壁にある大型モニターにひとつの船を表示させた。流線形をした、どこか勇ましい雰囲気のある船で、華やかと言うより実用的なデザインと言った方がいいだろう。
 これこそが今ティンたちが乗っている船、アインホルンの姿だ。
 ティンはモニターを見て表示を確かめた。アインホルンの全形を見るのはティンもはじめてだった。この船の倉庫に収めているクルーザーとは全く違う。大きさもそうだが形もだ。クルーザーはその名の通り、水に浮かぶためのクルーザーとほぼ同じ形だが、この船はどちらかと言うと飛行機に似ている。
 ティンはしばらく表示に見とれたあと、アルとミツキの方へと振り返った。R−Bはミツキの足元にいるので、視界には入らない。

「これがアインホルン。全長が八百二十七メートルで、船内全体に風船石が敷かれてる。今は0.2Gに設定してるからね」

 そこまで言ってから、再びコンソールへと振り返る。

「かざや殿、風船石とはなんでござるか?」

 ミツキの声に、ティンは体を戻した。

「風船石は重力を遮断して、電気刺激を受けると逆に重力を発生させる金属だよ。本当はミスリルって言うんだけど……ミツキ、知らないの?」

 言ってから、ミツキを馬鹿にしたような聞き方をしたのではないかと後悔した。もちろんティンにそんなつもりは無かったが、そう受け取れる事を言ったのは確かだった。
 だが、幸いミツキにはティンの言葉を気にした様子は無かった。

「重力……とは、どのような物でござるか?」

 決まりが悪そうに訊ねてきたミツキに、ティンは不思議に思った。
 重力を知らないなんてありえるのだろうか? 風船石だって、少なくともコロニーに住む人間なら誰でも知っている。そう考えると、ミツキは天然の重力がある、星に住んでいたのかもしれない。

「重力は……なんていうか、その……引き寄せる力だよ。これがないと浮いちゃうんだ」

 そう言ってティンは足踏みをした。重力がなんなのか、理論的に説明してもミツキの質問の答えにはならないだろう。初歩的な質問は説明しにくいものだ。

「浮いてしまうでござるか。それならば、わかる気がするでござる」

 ミツキはそう言ったが、おそらくはまだ完全にはわかっていない。あとで重力設定をいじって、実際に体感させてみればわかってくれるだろう。

「風船石を知らないなんて、あんた箱入り娘だったんじゃないの〜?」

 アルが冗談めかした口調で言いながら、ミツキのほっぺたを指でつついていた。つつかれる指に、ミツキのほっぺたは柔らかそうな弾力を見せた。

「そんな事はないでござるよ」

 困ったような笑顔をして、ミツキは何度もつつかれている。
 女は男よりも大胆にふざける。まだ中学生の時、自分に、無理矢理女子の制服を着せようとしてきたのも女の子たちだった。
 そんな事を思い出しながら、ティンは再びコンソールに振り返った。
 慣れた手つきでキー操作をする。
 速い。

「これは?」

 ミツキをつつくのを止めたのか、背中からアルの声がした。だが、振り返らずにティンはキー操作を続けた。

「それは……ちょっと待って」

 ティンは最後のキーを押して振り返った。

「この船はノア」

 後ろを向いて、モニターに映し出された船を見上げる。さっきまで映っていたアインホルンを鈍重そうにした船だ。

「ノア?」

 ミツキとアルが同時に言った。ティンはモニターを見上げたまま口を開いた。

「そう、ノア。元は、だいたい千五百年頃に使われていたシャトルの名前で、風船石ができてからは大型移民船に名前を引き継いだ。それがこの船」

 見上げていた顔を正面に戻す。ミツキの表情を見ると、理解できていないのがわかる。
 とりあえずミツキにはあとでゆっくりと説明すればいい。

「五百年前の船ね……。で、似てるって事は関係あるんでしょ?」

 アルの言葉にうなずいて、ティンは話を続けようとしたが、ミツキの言葉にさえぎられた。

「つかぬ事を訊ねるでござるが、今は何年の何月何日でござるか?」

 本当に変な事を聞くと思いながら、日付を思い出す。

「二千一年九月ニ十……えーと……」

 何日かがはっきりと思い出せない。

「九月二十五日」

 アルが横から口を出した。
 ミツキの前で思い出せなかったのが恥ずかしかったせいか、ティンはほっぺたが少し熱くなるのを感じた。

「二千一年、九月、二十五日。で、ござるか……」

 ミツキは両手を互いのそでに差し込んで、小首をかしげた。考え事をしている時はミツキはいつもこうしている。多分、癖なんだろう。

「で、いい? 話して」

 ティンがそう聞くと、アルがうなずいた。考え事を続けているミツキにあえて構わずに、ティンは説明を再開する。

「この船はノアの後継型、ノア級移民船を元にした船だと思う。だけど、よくわからないエネルギーを使ってたり、よくわからないシステムがあったりして、ただの移民船じゃないよ」

 よくわからないエネルギーとは性転換装置に使用されていたエネルギーの事だ。性転換装置はエネルギー不足で使えなかったはずなのだが、補給もしていないのに増えていたという、名前を見てもティンにはどういうものかわからなかった代物だ。

「よくわからないって?」

 アルだ。ミツキはまだ何かを考えている。

「エネルギーの方はなんだかよくわからなくて。何もしてないのに増えてたんだ。システムは特殊装甲展開って……よくわからない」

 そう言って首を振ってみせる。
 ティンは性転換装置の事だけは黙っておいた。いつかは言わなければならないだろうが、今は隠しておいた方がいい。そう考えるのは、アルに知られると、何か遊ばれたり、からかわれたりされそうな気がしたからだ。

「ふーん。その特殊装甲って言うの、一回やってみたら?」

「そんな事……慎重にしないと、どんなものなのかわからないんだから、もっと調べてから試してみても遅くないよ」

 さっきまでティンは慎重にしない事で厄介な目に遭っていた。もっとも、大胆な事をしてくれたのはミツキだが。
 アルが納得したのを見届けてから、ティンは再びコンソールに向かって、アインホルンの船内見取り図を呼び出した。

「船内の部屋とかの事も言っておくよ」

 ティンが船内の細かな事をアルに伝える間も、ミツキは首をかしげたままだった。


 “どあ”を開き、水月は割り当てられた部屋の中に入った。
 部屋はかつて水月が住んでいた長屋程度の大きさであろうか。一人で利用するには十分すぎる広さだった。机と“べっど”しか置かれていないので、余計に広く感じる。
 水月は床に三度笠と“りゅっく”を置き、その隣にあぐらをかいた。今の水月には不似合いな姿勢なのだが、自分から気にするような性格はしていない。
 しばし考える。
 かつて居た平成の時代と同じ年、同じ日付。それは問題ではなく、気にするほどの事ではない。
 水月が考えているのは、かざやが口にした“重力”、“のあ”、“しすてむ”、“えねるぎい”などの言葉の意味だ。
 先ほどから考えていたが、やはり一人で理解できる事ではないようだ。教えてもらえばいいのだが、かざやは“ころにい”の中に行っている。しかたなく、船の中をぶらりと散歩してみる事にした。
 特に当てもなく、廊下で歩を進めてみる。すると、あるの姿が見えてきた。

「ある殿」

 近づいてから、水月は声をかけた。
 あるは他とは色の違う“どあ”の前に立っていた。
 声に気づいたあるが、近くに寄った水月を見下ろしてきた。

「ああ、ミツキちゃん」

 水月は苦笑した。

「呼び捨てで、水月とだけ呼んでくれればいいでござる」

「あ、そうだっけ」

 あるは“どあ”を一瞥すると、親指で指し示してみせた。

「ここ、ティンは立ち入り禁止だなんて言ってたけど、ミツキはなんなのか知らない?」

 この部屋には“性転換装置”とやらがあるのだが、それを答えるわけにはいかない。かざやに口止めをされている。

「わからないでござる」

 苦笑いを浮かべて答える水月を見て、鋭い者ならば、何かを知っている、と感づいただろう。あるがそうなのかは水月にはわからなかったが、あるが眉をひそめた事は気になった。だが、すぐにあるは顔を穏やかなものとした。

「まいっか。ミツキは? 何してんの」

 あるの注意が部屋からそれた事に水月は安堵した。

「散歩でござる」

「散歩? 暇なんだ」

 水月の言葉をあっさりと解釈すると、しばし考え込んだのち、あるは提案をした。

「船降りて、一緒に服買いに行かない?」

 突然の誘いに、水月は困惑した。

「服……でござるか?」

 水月はかつての“でぱあと”での光景を思い出した。
 様々に彩られ、飾られ、江戸の時代では考えられないほど豪奢な生地でできた服は、今は自分が少女であるという事とは関係なく、感心できる物ばかりだった。
 あるやかざやの服を見ると、この世界の服はかつての世の平成の時代とさして変わらないようだ。

「安くていい店知ってるから。着替えは多い方がいいでしょ?」

「しかし……」

 確かに、水月が持っている服は多くない。一日に一度着替えたとして、四日目には一日目と同じ服を着なければならないほどだ。寝間着すら持ってはいない。だが、男であった頃に旅慣れた水月は、それでも十分だと考えていた。

「大丈夫。ミツキの分もあたしのお金で買ってあげるから」

 あるに手を取られ、なかば強引にそのまま船の出口へと連れていかれた。
 その活発な勇ましさに、水月は苦笑した。


 コロニーの中を歩きまわるのは、ティンにとって辛すぎた。
 普段からこのコロニーで、またはこのコロニー以上の重力下で生活していればいいのだが、ティンの住んでいたコロニーは多くのコロニーの中でも最低という重力だった。ティンが普段すごしている重力は0.2Gで、このコロニーの中は0.5G。普段の2.5倍の重力下で、しかも見た目よりは軽いといっても、ロボットのR−Bを抱いている。疲れないはずがなかった。
 R−Bを置いてくればいいのだが、三年前からのこの友人にも久し振りの一番コロニーの中を見せてあげたかった。R−Bは0.2Gを基準にしたホバー走行で移動するので、このコロニーでは自力で動けない。2.5倍の自重のせいで浮く事ができないからだ。
 ティンはファーストフード店の椅子に座って、R−Bを床に置いて、ようやく息を整える事ができた。
 前に来た時は連れの友人たちがR−Bを持っていてくれたので疲れはしなかった。友人もティンと同じ0.2G育ちだが、体力の違いがあった。ティンはメカにかけては自信があるぶん、体力は女の子よりも自信がない。

『やっぱり、今度からR−Bは置いてこよう』

 R−Bにとっては無情とも言える事を考えながら、ティンは机に両手を置いて、注文した品ができるのを待った。


「これなんかいいんじゃないかな」

 あるは束になった服からその内の一着を手に取ると、水月の体に当てた。

「うん、ピッタリ!」

「そ、そうでござるか?」

 あるが親指を立ててみせたが、何を意味している動作か水月にはわからなかった。

「本当は試着してみた方がいいんだけど」

 あるが不満気に首をひねった。
 試着などするわけにはいかない。そのような事をすれば、帽子と“こおと”により隠している水月の猫の耳と尾を見られ、おそらくは騒ぎが起こる。やましいものではないが、簡単に人が受け入れる事のできるようなものでもないだろう。

「申し訳ないでござるが、この場で着るような事だけは……」

 水月の言葉を気にした様子もなく、あるは当てていた服を手渡してきた。

「ん、いいよいいよ。楽しみは取っとくっていうのもあるから。んー、これぐらいでいいかな。あとはパジャマね」

 あるに手を引っ張られ、危うく抱えている服を落としそうになった。
 水月が抱えている服は“ぶらじゃあ”、“しょおつ”、“ぶらうす”、“ろんぐすかあと”など、様々な物だ。
 三日分しか着る服が無いと口をすべらせた事が、この事態を招いたのだった。


 じっと待っていると、ささやく声が聞こえてくる。

「ほらあの女の子、凄いかわいいよね」

「へー、あいつ美人になるぜ」

 ティン自身はその声を聞いて、苦虫をかみ潰したような表情をしているつもりなのだが、周囲はそうは受け取らないようだ。
 ティンは男だ。少なくとも、今ははっきりとそう言える。

「あ、かわいい、ふくれてる。彼氏が来ないのかな?」

「そんな歳?」

「まだ小学生だろ。親父でも待ってんだよ」

 “小学生”という言葉に特に反応して眉をしかめる。
 十五歳の男。それなのに小学生の女の子として見られる。珍しい事ではないが、やはり腹の立つ事だった。
 音が鳴った。
 ティンはポケットからカードを出した。八番と書かれたそのカードは電子音を鳴らしていた。注文した品ができた合図だ。
 カウンターに行き、笑顔の店員にカードを渡す。

「お待たせしましたー。こちらでよろしいでしょうか?」

「あ、はい」

 芋の匂いのする紙袋を受け取って、元の席に戻る。

「声もかわいいよ、あの子」

「歌手とかできるんじゃねえの」

 遠慮のないささやき声が、ティンをいらだたせる。
 椅子に座らずに、R−Bを抱えてそのまま店の外に向かう。

「いーな、あたしもあんなふうだったらなー」

「ぜってー無理だっての」

 ささやき声が聞こえていた席から笑い声が起こった。
 ティンは立ち止まって、その席を一瞥した。

「オレは……普通の男だよ」

 誰にも聞こえないぐらいに小さな声で呟くと、ティンは逃げるように店をあとにした。

「ピュン」

 R−Bもティンにしか聞こえないぐらいに小さな声で呟いた。


「これでミツキのぶんは終わったわね」

 そう言って、あるが最後の袋を手渡してきた。
 もはや水月の体は抱えた袋で埋もれんばかりになっていた。これらは全て、あるが水月にと買った服だ。
 あるはさらに一着の服を手に取った。

「これ、どうかな?」

 その服は、上着から“すかあと”までがつながっている物だった。水月の服は終わったと言ったので、おそらくはあるの服だろう。
 しかし……。

「ある殿には小さいように思えるでござるが……」

「ああ、違う違う。これはティンにどうかなってね」

 水月は眉をしかめた。

「かざや殿に? しかし、それはおなごの服ではござらぬか?」

 もしやあるは“性転換装置”の事に気づいたのではないかという考えが水月の脳裏をよぎった。
 不安に見つめる水月に、あるは得意気な笑みを見せた。

「女の子の服だから買うの。ティンは隠してるけど、あの子、どう見ても女の子でしょ?」

 どうやら心配していた事とは違うようだ。水月は安堵した。あるは誤解をしている。それだけの事だ。

「見た目はそうでござるが、かざや殿は男でござるよ」

 水月がそう言っても、あるの得意気な表情は消えない。

「ちゃんと確かめた?」

 あるが上から見下ろすように顔を寄せてきた。

「確かめた……とは?」

 あるの気迫に、水月はやや気圧された。

「ちゃんと下を見た?」

「下……!」

 この言葉の意味がわからない水月ではない。驚きながら、大胆な事を口にする女だと、水月は感心さえした。

「ね、証拠なんか無いでしょ。なんで隠してるか、これ突きつけて聞いてみないと」

 この誤解を解く事は、おそらくはかざや本人にしかできないだろう。水月は成り行きに任せる事にした。
 あるは服を広げ、見つめると、満足気にうなずいてみせた。どうやらこの服に決めたようだ。
 服を持ち、“れじ”へと歩いたあるは、ふと水月の方へ振り返った。

「ミツキ、“ござるござる”のしゃべりかた、変だから止めた方がいいよ」

 言われて、はじめて水月は自分を見つめる周囲の者の、おかしな物を見るような視線に気づいた。

「いやはや、これは参ったでござるな」

 気にするような性格はしていない。


 港まで戻ってきたティンは、最後の力を振り絞ってアインホルンへと歩いた。
 結局、コロニーの中をいろいろと回ってみたが、仕事の依頼はひとつも無かった。
 悔しい事だが、やはり自分とR−Bだけで行っても信用がないのだろう。とりあえずはアインホルンに戻ってから、インターネットに広告でも出せばいい。
 そう考えて、息を切らしながら歩くティンは、アインホルンをじっと見つめる男に気がついた。背中しか見えないが、中年のようだ。
 しかし、ティンにはその男に構う余裕などない。気にせずに、アインホルンの入り口へと歩いた。
 R−Bを床に置いてからパスワードを打ち込んで、入り口を開けてからR−Bを抱え上げる。
 そしてアインホルンの中へ。

「ちょっといいかな?」

「えっ? ――うわっ!」

 突然背中から声をかけられて、驚いた拍子に大きく前に転んでしまった。

「ビッビッビッ……」

 R−Bはティンが転んだ勢いで、アインホルン内の通路を激しく跳ねながら転がっていった。最後にどこかの壁に当たった音が、通路の暗がりから聞こえてきた。
 ティンにはどういう具合か、紙袋から飛び出たフライドポテトが頭から降ってきた。最後にコックの帽子のように、紙袋が頭に乗った。

「わ! ごめんお嬢ちゃん! 大丈夫か!?」

 さっきと同じ声が聞こえて振り向くと、そこには口髭を生やした中年男が立っていた。
 ティンは立ち上がって、バランス良く乗っていた紙袋を頭から取った。

「オレは男です。お嬢ちゃんじゃありません」

 髭の男はティンの言葉に特には驚かずに、アインホルンを指差した。

「この船の船長さんいるかな?」

 あきらかに子供相手の口調を続ける髭の男に、ティンは少し腹が立った。

「オレが責任者です」

 毅然として言って、ティンは自分の頭の上のフライドポテトを取って口に運んだ。もったいなかったからだ。

 ティンは髭の男を船の中の、テーブルや椅子の置かれていた広い部屋――ラウンジに連れてきた。
 なかなかアインホルンの所有責任者がティンだとは信じなかったが、なんとか髭の男は納得して、用件を話してくれた。
 男は食品会社の社員で、六番コロニーから野菜を届けてもらうはずだったのだが、それを運ぶための船が故障したので、野菜と故障した船を回収してきてくれないか、という事だった。
 この巨大な船ならば、船と野菜を一度に運べると考えて、持ち主が来るのを待っていたらしい。
 料金は仕事のわりには安かったが、贅沢を言える状況ではないため、ティンはその依頼を引き受けた。

「それではお願いします」

 港に戻り、少し不安そうな髭の男を送り出す。仕事が見つかったという安心感から、自然とティンの声も愛想が良くなる。

「はい、任せてください」

 髭の男がいなくなってから、ティンは自分の鼻の下を指で触ってみた。
 なめらかな肌があるだけだ。
 男なのに、この歳になっても産毛すら生えないティンにとって、髭は男の象徴で、憧れだった。いつか生えるかもしれないと期待する気持ちもあるのだが、自分でも髭が生えたところなんて想像もできなかった。
 髭の男をうらやましく思いながら、アインホルンの中に戻った。
 何はともあれ、これで仕事の当てはできた。
 出港の前にもう一度アインホルンの機能などを確認するために、ティンはブリッジへと向かった。

 途中、機嫌の悪いR−Bと合流して、ティンはブリッジのコンソールの前についた。
 キー操作をして、適当に表示を確認していく。
 問題ない。さっき見た時と全部同じだ。
 いや、ひとつだけ違う部分があった。あのよくわからないエネルギーがさっき見た時の約半分になっていた。性転換装置使用後の約半分だ。
 このエネルギーは何をきっかけにして増えたり減ったりしているのだろうか? ティンは考えたが予想もつかなかった。
 あきらめて、ティンが表示を変えようとした時。
 突然、エネルギーの量が増えた。さっき性転換装置を使ったあととほぼ同じ量だ。
 わけがわからずにティンがコンソールの前で頭を抱えていると、後ろでドアが開いた音がした。

「やっぱりここにいたの。ティン、ちょっとあとであたしの部屋に来て」

 アルの声だった。用件だけを伝えて、すぐにアルは通路に戻っていった。
 しかたなく、ティンは表示を消して、R−Bと共にブリッジを出た。
 ライブファンタズマエネルギーとかいうよくわからないエネルギーも気になったが、今は忘れて、アルの用事を確かめる事にした。


 水月は船の中に戻り、考えていた憶測を確信に変えた。
 この船は生きる者の持つ“気”を己のものとする力がある。
 そう考えはじめたのは、あるが船に乗ってからだ。
 あるが船に乗ると、それまでかざやと同じような“気”を放っていた船が、あるとかざやの“気”が混ざったような“気”を放ちはじめた。そしてかざやが船から降りると、今度はあると同じような“気”だけを放ちはじめた。水月の“気”は、どうやら水月が無意識に張っている結界のせいで船は取り込む事ができないようだ。
 この船は中に乗った者の“気”を取り込み、何か術のようなもののために使うのだろう。

『物の怪の宿った船か。それともゆうれ……!』

 水月は首を激しく横に振り、身震いをしながら、服を抱えて自分の部屋へと戻った。


 ティンがアルの部屋に入って見せられた物、それは……。

「どう、これ? 似合うと思って買ってきてあげたんだけど」

 アルはノースリーブのワンピースを両手で広げて、差し出してきた。
 さすがにティンの表情も怒りのそれへと変化する。

「言っただろ? オレは男だって」

 怒鳴りだしたくなる心を抑えて、努めて冷静な口調で言った。しかし声は震えている。
 対してアルは軽い口調だ。

「ふっふーん。あたしは騙されないよ。これは何かな? これは〜?」

 アルは手の甲でティンの胸を叩いた。
 ティンの外見がいくら少女のようだといっても、そこに膨れた胸は無い。
 二回三回と叩く内に、アルの表情が困惑していく。

「あれ? おかしいな……さっき見た時は……」

 腕組みをして考えるアルを見て、ティンはため息をついた。
 どうやら女になった時の胸の膨らみに気づかれていたようだが、男に戻っている事には気づかれなかった。性別が変わった事に気づかれても困るのだが、自分がどれだけ男に見えないか、遠回しな嫌味を言われている気分だ。

「え……じゃあホントに……?」

 ティンは自分の股間にアルの手が伸びてきたのに気づいて慌てて飛びのいた。

「僕は男だって! 何回言ったらわかるの!」

 動揺のせいか、一人称が“僕”になっていた。
 背中が壁に当たるまで逃げたティンを見て、アルはしばらく納得できないといった顔をしてから、再びワンピースを広げてみせた。

「……似合うと思うよ?」

「着るわけないだろ!」

 苦笑いを浮かべてうかがってきたアルに、ティンは大声で怒鳴ってやった。


 一時間後、アインホルンは出港した。
 ほとんど補給の必要はなかったので、ティンは安心した。もしも燃料やバッテリーの補給の必要があったら、これだけ巨大な船だ。ティンが持っているお金だけでは足りなかっただろう。
 コロニーを離れてから、完全に自動操縦に切り替える。これでブリッジでコンソールをにらむ必要はなくなった。

「それじゃあ、オレは荷物を運びに行ってくるから」

 椅子に座ったアルにそう言ってから、ティンはブリッジを出た。R−Bもついてくる。
 長い通路を抜けて、船内後部の倉庫に辿りついた。
 広い倉庫の中にぽつんと置かれているクルーザーの中に入って、ティンは中の物を整理した。
 着替え、工具、コンピューター関連のフロッピーなど、そして一番多いのが本だ。いくらコンピューターが普及しても、紙束の本という物は読みやすくて便利がいい。ティンも様々な本を持っていた。
 電気関係の本はもちろんだが、漫画や小説もかなりの数を持ってきている。

「……あ、これは」

 いかがわしい本も持っている。もっとも、友人がせんべつにとくれた物で、読んだ事はない。

「ピーピーピーピピュンピピュン」

 手に取った本の表紙に思わず見とれていたティンを、R−Bが意地悪そうにからかった。

「う、うるさいな。こんな物もあったんだなって、思っただけじゃないか」

 ほっぺたを真っ赤に染めて、ティンは積み重なった本の山の上にその本を置いた。そしてその本の表紙が上になっているのを見て、慌ててその本を積み重なった本の山の中に入れなおした。
 それぞれにまとめた荷物を見る。これだけの量があると、一度で全部運ぶのは無理だろう。
 とりあえずは最初に本を運ぶ事にして、ティンはさっきの本が入っている本の山を抱え上げた。少し重いが、持てないほどではなかった。
 よろけながらも、なんとか通路を進む。

「おまえが荷物を……持てれば……いいのに……」

「ビービ―」

 意味のない事を呟いて、R−Bに軽く馬鹿にされた。
 通路が真っ直ぐなのが、余計に道のりを長く感じさせた。
 それでも必死に通路を歩いていると、突然、頭に刺さるような警報音が鳴り響いた。

「警報!? ――あっ、あっ……うわあ!」

 警報音に驚いてバランスを崩したティンは、またも大きく転んでしまった。
 床の上に本が音を立てて落ちた。立ち上がって、ばらばらになった本をなんとか拾い集めようとするが、なおも鳴り響く警報音に気があせる。

「こんな時になんだって言うの!?」

 ティンは散らばった本をそのままにして、ブリッジへと走った。


 水月は困惑し、廊下に出た。
 先ほど突然、船がからくりの音で鳴きだしたのだ。何かが起こったのであろうが、何が起こったのかがわからない。
 なすすべもなく、廊下で水月は立ち尽くした。すると、激しい足音が聞こえてきた。水月はだんだんと近づく足音の先に、かざやの姿を確かめた。
 水月は声を上げた。

「かざや殿! 何事でござるか!」

「わからないよ! ブリッジに!」

 かざやは叫び、せわしなく水月の前を通り過ぎていった。
 水月はとりあえずはかざやについていけば何かわかるのだろうと考え、あとを追い、走った。

 激しい二つの足音が駆け抜けたのち、遅れて廊下を走る物があった。

「ピーュン、ピュン、ビー!」


 “ぶりっじ”へと飛び込むと、あるが“こんそおる”とやらの前を走り回っていた。

「やっと来たの。大変よ。海賊船に狙われてる」

 立ち止まらずに、あるは振り向く事もなくそう言った。
 それを聞いたかざやは真っ直ぐにあるの隣へと走った。

「海賊船って……どういう事!?」

 動揺を隠せないのか、慌てた口調でかざやは言い、あると同じく走り回りはじめた。

「海賊船っていったら海賊船。もうレーザーが当たってんのよ」

「レーザーが!?」

 あるの言葉にかざやは驚いたが、水月にはなんの事かわからない。しかし、海賊船に狙われているという言葉の意味はわかった。そしてそれにより、かざやたちが危機に見舞われているという事も。

「警備局には!?」

 走り回りながらかざやが問い、あるが答える。

「もう連絡したけど、全部出払ってて、いつになるかわかんないってさ」

 慌てるかざやを見ながら、水月はそでに手を入れ、考えた。
 海賊船など、自分の術を使えばどうにかする事ができる。術を使えるという事は包み隠すべきだと考えてはいたが、こうなってはしかたがないだろう。そのためには、海賊船の見えるところに行かなければならない。相手を目でとらえた方が、術は使いやすい。

「かざや殿、外に出たいのでござるが……」

 水月のその言葉を聞くと、かざやは振り返ってけわしい表情を見せた。

「ミツキ……今はそんな事をしてる場合じゃないんだ」

 表情とは裏腹に穏やかな口調でかざやはそう答えた。どうやらかざやは、水月は戯れに外に出ようと言った、と考えているようだ。
 水月は自分が何をしようとしているか、かざやに説明をしようとした。しかし、その前にあるが口を出した。

「いや、ミツキの言う通りにした方がいいかもね」

 静かな口調でそう言い、あるは立ち止まった。
 かざやも驚いたように立ち止まり、あるの方を向いた。

「……どういう事?」

「連中の目的が船だとしたら、外に逃げて救助を待てば、あたしたちは捕まらないですむでしょ?」

 あるの言葉が終わると、かざやは再び“こんそおる”に向かい、慌ただしく手を動かしはじめた。

「冗談だろ? できるわけないじゃないか。船を捨てるなんて……」

 かざやの声は震えていた。

「でも、あたしたちには武器も救助もなんにも無し。このままじゃ船ごと捕まって……」

 そこまで言うと、あるは頭をかき、水月に顔を向けた。

「殺されるか……連中の慰み者か。あんた、そんな事ミツキにさせたい?」

 ここで水月は、あるが先ほどの水月の言葉の意味を誤解していると気づいた。

「殺されるって……そんな事……」

 かざやは立ち止まると、水月の方へと振り向き、うつむいた。
 やがて決心したように、かざやは顔を上げた。

「わかった。宇宙服を三人分。貴重品は持っておいて」

「ふう、この船とも短い付き合いだったわね」

 話をまとめ、出ていこうとする二人を見て水月は慌てた。二人は、あきらめて何か好ましくない事をしようとしている、と。

「待つでござる。あきらめずとも、僕が術でどうにかするでござる」

 言い放った水月に二人は振り返り、覇気のない笑みを浮かべた。

「ミツキ……あきらめるしかないよ。運が悪かったんだ」

 暗く沈むかざやを見て、水月は決心をした。
 すぐに“ぽけっと”という物入れから符を取り出し、念を込める。

「千里眼、在れ」

 符が破れ飛ぶと、あたかもそこに在るかのように、水月の目の前にこの船の姿が浮かび上がった。暗い闇の中の船には、後ろから一本の光の線が当てられている。

「ホログラフ……?」

 かざやがそんな言葉を口にした。

「どうすればよいでござるか?」

 驚愕し、立ち尽くす二人に、静かに水月はたずねた。と、その場にようやく飛び込んできた物があった。

「ビービー、ピュウン」


 男は焦っていた。
 ここまでしぶとい獲物は見た事がなかった。大体にして、レーザーでちまちまと攻めるやり方も好きではなかった。
 男はいつも大気圏内で獲物を追っていた。今回のように、宇宙で獲物を追いかける事は珍しかったのだ。
 大気圏内ならば重力も、抵抗になる空気もある。だが宇宙にはないのだ。大気圏内での警備船相手の時のようにミサイルを撃てば、爆発したミサイルは自身と獲物の破片を飛び散らせ、そしてそれはスピードを落とす事なくこの船にも当たるだろう。それは大気圏内での機銃よりも威力のあるものだ。
 飛来物の勢いを殺すもののない宇宙では、破片を飛び散らせる可能性のある機銃やミサイルは使えない。獲物をしとめるにはレーザーを当てて時間をかけて獲物に穴を開けて、混乱したところを制圧するしか方法がない。しかも今回はなるべくなら無傷で捕獲してほしいという依頼なのだ。
 その唯一の頼りであるレーザーは、問題なく獲物を溶解していたかと思うと、突然、見えない壁でもあるかのように獲物に届かなくなった。

「ええい、なんだ貴様ら! 真面目にやっているのか!」

 船長の八つ当たりにも似た怒声が飛んだ。それは男の焦りをより強いものとする。
 男は憎らしげにモニターに目を落とした。そこには獲物の寸前で消滅するレーザー光が映し出されていた。なにがレーザーをさえぎっているのかわからない。ありえない事なのだ。
 もはや平静ではいられなかった。

「ちりにでも当たっているんじゃないだろうな!」

 何度目かの船長の怒鳴り声を合図にしたかのように、火器担当の男は操作をはじめた。宇宙空間では絶対にしてはならない操作。空間に浮かぶちりなどに邪魔をされる事のないそれは、船内に轟音を響かせて発射された。

「貴様――ばかものぉー!」

 青ざめる男には、船長の怒鳴り声はもう聞こえてはいなかった。


「これ……本当なの?」

 アルが大型モニターを見上げてそう言った。モニターには船外後部カメラからの映像が映っている。
 既に警報音は鳴り止んで、船内は静かになっていた。

「なんとか防げているようでござるな」

 ミツキはホログラフのようなものを見ながらそう言った。
 ティンはモニターを見上げた。信じられなかった。
 ミツキが術なんてものを使える。そしてそれは、今、レーザーを阻む、“結界”という壁を作り上げてしまった。
 改めて、自分がミツキの事を何ひとつ知らなかったと痛感した。同時に、ミツキが少し恐くなった。
 ミツキは何者なのだろうか? 噂に聞く、地球圏の改造人間なのだろうか? それとも超能力者か? ミツキが自分の事を話さないのは、話したくないという理由以外に何か隠さなければいけない理由があるのではないだろうか?
 ティンは悩んだ。しかし唐突にモニターを横切った影のせいで思考は中断された。
 まさか、と思った。

「……ちょっと……ミサイル!?」

 いつの間にかアルがコンソールに向かっていた。

「まさか。宇宙空間でミサイルなんて。漫画や小説みたいな事言って」

 自分の不安を打ち消すように、ティンは嘲笑を浮かべて、ふと、ミツキの前に映し出されているホログラフを見た。
 遠くから見たかのようにアインホルン全体が映っているそこには、アインホルンの他に宇宙空間をふらふらと飛び回っている円筒形の物体が映し出されていた。

「これはなんでござるか?」

 ミツキがのんきな笑みを浮かべて、その円筒形の物体を指差した。
 このホログラフが正しいとすれば、まぎれもなくそれはミサイルだった。
 ティンは驚愕した。

「本当にミサイル!? そんな馬鹿な! 自爆する気なの!?」

 ミサイルは頼りなくアインホルンを通り過ぎては転身し、それを繰り返していた。おそらくは大気圏内用のミサイルを無理に撃ったので不安定なのだろう。しかし、命中するのは時間の問題だ。

「ミツキ! 結界でそれが当たるのを防いで!」

 うろたえるティンをよそに、アルが叫んだ。ミツキが術を使えると話してくれた時も、アルはわりとあっさりと納得した。術を見せられたあとだったからかもしれないが、ティンにはなぜそんなに簡単に信じられるのかがわからなかった。

「どこに張ればいいでござるか?」

 聞かれたアルはホログラフに映っている、アインホルンの周りを回るようにして飛んでいるミサイルを見て、すぐにミツキに顔を向けた。

「全部! どこに来るかなんて全然わかんない!」

 ミツキの結界にも限界があるらしく、今はレーザーを防ぐためだけに小さな結界を張っている。確かにその結界だけでは、ミサイルとその後に飛び散る破片は防ぎきれない。

「……全部は無理でござる」

 ミツキのその言葉に、アルは大きく落胆した。

「ビビー、ビビー、ピピュン!」

 R−Bが声を上げたが、気がつく者はいなかった。ティンさえもその声に気づかずに、ただ立ち尽くしていた。

「そう……じゃあできるだけ大きくして適当な位置に張っといて。こうなったら運任せしかないわね」

 そう言って、アルは無理に笑顔を作ってみせた。それを見て、ティンは衝動的に自分も何かをするべきだと思った。
 まがりなりにも、自分はこの船の船長なのだ。アルが必死に考えて、ミツキもこの船を守るために力を出してくれた。だが自分は何をした? 狼狽して、ただ混乱して立っているだけだ。
 ティンは考えた。この窮地を脱する方法を。
 思い浮かばなくても、必死に考えた。
 ふと、声に気づいた。

「ビビー、ビビー、ピピュン! ビビー、ビビー、ピピュン!」

 考えがある。
 R−Bはそう言っていた。
 すかさずティンはR−Bを拾い上げて、コンソールに向かった。
 幸い、コネクターとコンピューターノートを置いたままだったので、すぐにノート経由でR−Bをコンソールに接続する。
 一瞬だった。
 R−Bを接続してノートのスイッチを入れた瞬間、アルの声が聞こえた。

「えっ!」

「どうしたの!?」

 ティンが振り向くと、ホログラフのミサイルは爆発してこなごなに砕け散っていた。
 ミサイルは壁に当たっていた。アインホルン全体を繭のように包む半透明の赤い壁に。
 ミサイルの破片もその壁に当たって防がれて、ひとつもアインホルンに当たる事はなかった。そして破片がホログラフの端へと消えていったかと思うと、すぐに大量の破片がホログラフの中に現れて、赤い壁に当たって四散していった。おそらくは、ミサイルの破片に当たった海賊船が爆発して、そのせいで飛んできた破片だろう。
 見ていると人の形をしたものも見えて、ティンは目をそらした。こちらも殺されかけたのだ。冥福を祈る気にはなれなかった。

「ミツキ、これ、ミツキの結界?」

 気がつくと、アルがミツキの近くに寄ってそう聞いていた。

「いや、これは……」

 ミツキの顔からは笑みが消えて、じっとホログラフの赤い壁を見ていた。
 ティンは何が起こったのか全くわからなかった。ただ、R−Bと何か関係があるのだろうかという思いが、ティンをコンソールへと向かわせた。

「ピーピピュン!」

 R−Bの得意気な声を聞いて、ティンはノートのモニターを見た。

「これは……この船の結界でござる」

 ミツキの声が聞こえるのと同時に、モニターの『バリアハッタ』という表示が目に入った。
 ようやく、助かったという安心感を実感した。

「そうか、特殊装甲って……この事だったんだ」

 ティンは穏やかに呟いた。
 コンソールを見て、ライブファンタズマエネルギーというよくわからないエネルギーを使う、特殊装甲展開というよくわからないシステムのおかげで助かったのだと、ティンは確かめたのだった。


 危機は去った。

「どうして海賊船に狙われたのかな?」

「見かけだけは大きくて、物資もいっぱい積んでるって思ったんでしょ」

 そう言って、アルはドアの前に立った。

「海賊船に襲われるなんて十年に一回あるかないかだし……。運が悪かったのよ」

 部屋に入ったアルは立ち止まって、こちらを振り返った。

「お風呂、先に入っときなよ。あたしはあとでミツキと入るから」

 宇宙船では湯を溜めて入る風呂が主流だ。水の使用量が少なくてすむ。

「え、いいよ。オレがあとで入るから」

 女の子が先に入るものだ。そう考えての言葉だった。

「先に入っときなって。それとも、ティンもあたしたちと一緒に入る?」

「ば、馬鹿な事言わないでよ!」

 アルの意地悪そうな笑い顔が見えながら、ドアが閉まった。
 顔全体が熱くなっているのを感じる。
 しかたなく、着替えを取りにクルーザーに向かった。その途中で、散らばったままの本が目についた。

「忘れてた!」

 急いで本をまとめて抱え上げる。引き返して部屋に置いてくるかどうかと考えて、このままクルーザーに戻す事にした。
 息を上げてクルーザーに戻って、本を置いて着替えを拾った。クルーザーの中が散らかっているのが気になったが、疲れていたので今日は放っておく事にした。
 風呂場へと通路を歩いていると、足が痛くなってきた。今日は朝からよく歩いた。そしていろんな事があった。
 はじめての航海に出て、すぐにこの巨大な船に出会った。中にはミツキがいて、そのあとにアルに会った。この船、アインホルンが自分の物になって、そして海賊船に襲われて、アインホルンやミツキの不思議な力を見た。
 幸い、アインホルンは表面の装甲が少し溶けただけで特に修理の必要はない。特殊装甲と結界のおかげでその程度ですんだ。R−Bは今朝、表示言語変更のためにつないだ時から特殊装甲の事は知っていたらしい。船はいい。不思議な力があっても使うのは人間だ。だが、ミツキは……。
 風呂場についてティンは髪を束ねていたリボンを外した。リボンと言っても地味な色で、はちまきのように締めているだけだ。髪を切ればいいのだが、短髪が自分には似合わないとわかっていた。
 カラスの行水をして、風呂を出た。
 髪は乾くまでは束ねられない。
 アルに風呂を出たと伝えに行く。

「へー、髪下ろしてた方がいいんじゃない? おとなしい感じで」

 そんな感想を受け取った。

「どうせ、かわいいっていうんだろ」

 軽い口調でそう言い返す。いつも言われている事だ。今はそんな事を気にする余裕もなかった。
 真っ直ぐに自分の部屋に戻って、ティンはベッドに寝転がった。ミツキの事を考える。
 ミツキの術。ミツキの口調。ミツキの仕草。ミツキの笑顔。全部、素直に受け取る事ができなくなった。
 ティンは思考を続けなかった。疲れからの睡魔が、すぐにティンを眠りに落としたのだ。


 水月は部屋で今日買った服を眺めていた。どれも華やかな物だ。これが自分の着る物だと考えると気恥ずかしくなる。
 そして着るにしても、上着はいいのだが足にはく物はどうしようもない。“すかあと”とやらはいい。穴があいてなくともはく事はできる。しかし“しょおつ”や“ずぼん”は無理なのだ。水月には猫の尾が生えている。それを出す穴があいていないとどうしようもない。
 水月は思案に暮れた。
 勢いに気圧されて買ってもらい、その後の事は全く考えていなかった。船に戻った時には服を着て見せてくれとあるから言われているのだ。
 穴をあけるための裁縫など、水月にできるはずがなかった。
 どうしようもなかった。
 しかたなく符を取り出し、何かよい術でもなかったものかと考えた。
 幻術が思い浮かんだ。
 あるに幻を見せ、あたかも自分が服を着ているかのように見せかければ……。
 水月は首を振った。
 そんなごまかしはするべきではないだろう。それに、水月を今のような少女にした邪鬼じゃくは、自分の姿を他のものに見せかける術も通用しないと言っていた。
 水月は思考を続けなかった。
 なるようになるだろう。
 水月はのんき者だった。

「ミツキ、お風呂入るよ!」

 突然、アルが部屋に飛び込んできた。
 さすがに慌てた。

「あ、ある殿、これはどれを着ればよいかと迷っていたところで、決してどう着らずにごまかそうかと考えていたわけでは……」

 ろれつの回らぬ水月に、あるはなんの事かといった顔つきをした。

「だから、お風呂入るよって」

「はにゃ?」

 動揺をしていたせいか、予想外のあるの言葉に無意識に出た言葉だった。
 しかし、どうやら服を着て見せろと言いに来たわけではないようだ。水月は安堵した。どうもこのように元気のよいおなごは苦手なところがある。婚約者であるしずにもそのようなところがあった。ふと水月は静の事を思い出した。待っていろ、と心の中で呟く。そして春画本の事も思い出した。静はどこにやったのであろうか?

「ほら、行くわよ」

 あるは部屋の中の水月の服から“ぱじゃま”と呼ばれる物などを取り、強引に水月を引っ張った。
 引っ張られながら、水月はかつての江戸の時代の事から、今の状況へと思考をうつした。
 どうやら自分は風呂に入るために引っ張られているらしい。大丈夫なのだろうか? 風呂に入るには裸にならねばならないため、猫の耳と尾の事がばれてしまう。いや、そもそもあると風呂に入る事も問題ではないか?
 あるに引きずられながら、水月はのんきにそでに両手を差し入れた。




あとがき

 「野良猫放浪記第四話」お楽しみ頂けたでしょうか? 半端なSFに閉口されたかもしれませんね。一応、パラレルワールドものなので、こんなのもどうかと思いまして……いやはや。アインホルンの章はひとまず次回までの予定です。それでは読んでくださってありがとうございます。文句、苦情、意見、感想、等々、何かありましたらどうかお寄せください。次回予定は当てにならなさすぎるので廃止しました。


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