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野良猫放浪記

                     地駆鴉



 果てしなく続く闇。冷淡ささえ思わせる黒さが、散らばった光たちを際立たせていた。
 人は、その闇を宇宙と呼んだ。
 宇宙空間に点在する小さな光たちの中に、他の光とは違った形の光を跳ね返す物があった。
 小型宇宙船、クルーザーと呼ばれる船である。


「見ろよR−B! 宇宙だよ! 広いだろ! もうながめてるだけじゃないんだ! 自由に動きまわって、いろんな所に行けるんだぞ!」

 クルーザーの狭い室内の中で、窓からのぞく宇宙を包み込むように大きく両手を広げて、少年がひとり言を叫んでいた。少年の足元には半球型の足とウサギの耳のような物をつけた、バレーボールよりひとまわり大きいぐらいの、丸い球型のロボットがいた。おそらくは腹にあたるであろう部分に“R−B”と書かれている。少年の叫びはひとり言ではなかったのだ。

「ピーピピピ、ピュン」

 “R−B”と書かれ、呼ばれたロボットが、二つの小さく細長い目で少年を捕らえて、軽快な電子音を鳴らした。このロボットに感情プログラムがあると知る者ならば、この音がR−Bの言葉であり、喜びをあらわすものだと気づいただろう。
 もちろんここにいる少年は気づく者であり、それ以上にR−Bの言葉を理解できた。

「そうだよな、ワクワクするよ! これからいっぱいもうけて、ここを……飛びまわるんだ……」

 少年は感動をかみしめるように窓から見える宇宙を見つめた。あまりにも静かな漆黒の闇から、全身を満たすほどの希望を受けて。
 その時、船内に穏やかな電子音が鳴り響いた。R−Bの“声”ではない。
 少年が船内前部にある、申し訳程度の規模のコンソールに駆け寄った。ボタンを押すと電子音は鳴り止んだ。

「はい、もしもし」

 受話器などは無く、何も持たずに立ったままの姿勢で少年がそう言った。この通信も、感動の時を邪魔する無粋なものなどではなく、胸を躍らせるものなのだ。少年は上機嫌だった。

「こちら一番コロニー警備局。船の登録コードと所有者の名前をお願いします」

 スピーカーからのぶっきらぼうな男の声がいきなりそう告げた。しかし、気にするほどのことではない。今はそれよりも、自分が小さいながらもひとつの船の所有者として通信ができることが大事であり、嬉しいことなのであった。

「船籍コードは016−01−1112で、オレ……僕が所有者のティン=カザヤです」

 かしこまった通信の時などは一人称は“僕”の方がいいだろう。はずみで“オレ”という一人称が出てしまったが、少年、ティンはよどみなく答えた。はっきりとした快活な声だ。

「カザヤ? 三番コロニーのティンか! 大きくなったな! たしかもう15歳になったんだったか!?」

 突然通信先の男が叫んだ。ぶっきらぼうではあるが、先ほどまでとは違って友好的な調子の声だ。

「え……あ、はい」

 声の調子を落として、ティンは言いよどんだ。
 男は親しげに話しかけてきているが、男の声には憶えが無かった。“大きくなった”という言葉から考えると、まだ自分が小さな頃に会った事があるのだろう。幼い時に、話しかけてくる大人の顔や声をひとりひとり憶えるわけがない。一方的な面会の記憶だ。

「あれ? おまえ女だったのか?」

 また言われた、とティンは思った。ティンの声は男の声というより女の声なのだ。いや、周囲の人間が言うには完全に女の声らしい。声変わりもしたのだが、ますます女っぽい声になったとよく冷やかされていた。

「男です……まだ声変わりしてないんです」

 これ以上色々と言われるのが嫌で嘘をついた。しかしティン自身は、これから本当の声変わりがあり男らしくなっていくのではないか、という淡い期待を持っているのだ。
 声だけではなく、顔も女顔の上に童顔で、体格もメカいじりが好きなのがたたったのか見るからにか弱い。背丈も同世代の女の子よりも低い、チビなのだ。初対面でティンが男だと思う者はまずいない。

「そうか、悪かった悪かった」

 そういう男の声からは、少しも悪気など感じられない。

「その船は倉庫にあったオンボロか?」

 男が突然話題を変えた。仮にも自分の船を、オンボロよばわりされるのは気持ちの良い事ではない。だが事実だ。このクルーザーは、ティンが住んでいたコロニーの倉庫で歳経た老人のごとく朽ちかけていた物だったのだ。

「そうです、皆と一緒に直して……それで飛んでます」

 そのティンの言葉には、わずかだがこのクルーザーに対しての不安があらわれていた。何度もチェックしたのでエア漏れやエンジン停止の心配はないはずだが、何せ元が素なのだ。

「そうか、がんばってくれよ。ああ、それと、海賊には気をつけるんだぞ。じゃあな」

 その言葉を最後に通信は切れた。中途半端な知り合いに会うという緊張から解放されたティンは、男の声が消えると同時にベッドの端に崩れるように座った。

「ピュウゥウン」

 R−Bが『お疲れさま』とでも言いたげな声を出した。今の通信で、ティンが完全に勢いを殺されてしまった事に気づいているのだ。

「はあ……なんだか世間って狭いよ」

 これから広い宇宙を飛びまわってみようという時に、一方的な知り合いに会ったのはひどく疲れる事のように思えた。もっとも、これしきの事で大海に馳せる期待を少しでも失うような性格はしていない。夢見る少年にとって、この宇宙はあまりにも魅力的なのだ。
 しかしR−Bの“言う”通り、疲れてもいた。故郷のコロニーを出て丸一日近く経つのだが、興奮のせいでティンは一睡もしていない。加えて今回の通信もあり、ティンは久し振りの眠気に襲われた。一気にベッドに横になり、静かに眠りについたのだった。


 数時間後、ティンの目を覚ましたのはけたたましい電子音だった。

「警報!? どうしたんだ!」

 飛び起きるなり、コンソールに食らいつき状況を確認する。レーダーにはこのクルーザーをあらわす光点の前に、巨大な光点が映し出されていた。
 レーダーの光点の大きさから考えると、優に500メートルはある巨大な船だ。すでにクルーザーとの距離は100メートル以下、しかも巨船は進行方向にいて、とても今からはかわしきれない。

「なんでこんなになるまで警報が鳴らないの!」

 誰にともなくそう叫んで、瞬時に自分の修理が甘かったという考えが浮かんだ。接近物を教える警報は重要な部分なので、念入りにテストをして問題は無かったはずなのだが……。
 しかし今はそんな悠長な事を考えている余裕などない。すでに巨船との距離は約50メートルになっていた。このままではぶつかるが、幸い巨船の搬入口が開いているため、そこに入る覚悟で緊急停止すればおそらく問題は無い。

「止まれぇーーー!」

 緊急停止用の前部ブースターが作動して、クルーザーのスピードが失われていく。だが間に合わない。ティンは必死に面舵を操作して、クルーザーを巨船の搬入口へと収める。思っていたよりも中はかなり広く、壁にぶつかる事もなく余裕を持って停止させる事ができた。エンジンのテンションが下がる音が、クルーザー内だけに響く。

「助かった……」

「ピュウーン……」

 R−Bと共に安堵の息を漏らしてコンソールに寄りかかる。そのまま腕を伸ばして通信用のボタンを押した。しばらくの間、相手の応答を待っていたが、いつまで経ってもノイズのような音が鳴るばかりだった。

「…………?」

 顔を上げて通信先の確認をする。間違いなく巨船に向けているのだが応答が無い。公用の周波数で、例え相手が海賊船でも何らかの反応があるはずだ。それでも応答が無い。新手の海賊の手口か、どちらかの通信装置が故障しているのか、それともこの巨船は無人なのだろうか?
 理由はどうあれこの巨船のブリッジまで行かなければならない。こっちは人の船に、言わば不法侵入をしてしまったのだ。あいさつぐらいはしに行く必要がある。しかし、この巨船が海賊船の可能性もある。それならば早々に逃げ出した方がいいのだが……。
 そう考えたティンが船の後方、巨船の搬入口をクルーザーの窓からのぞいた。すると謀ったように搬入口が閉められて、それがぴたりと閉じると同時に巨船内に明かりがついた。ティンとR−Bが突然の事に動揺していると、今度は少しづつ、震えるような低い音が巨船内から伝わりはじめた。おそらくは巨船内に空気が注入されているのだ。だんだんと音が大きくなり、うるさいとまで思うほどになったところで音は唐突に止んだ。

「……どうする? R−B」

 ティンがそう聞くと、R−Bは二つの足でホバー移動をしてクルーザーの出口の前に立って、くるりとティンの方を向いた。

「ピュン!」

 R−Bの軽快な声に決心をして、ティンもクルーザーの出口の前に立った。

「わかったよ、行こう」

 出口のドアの横に取りつけられているパネルを操作してドアを開けた。巨船内が真空の場合も考えて、すぐにドアを閉じられるように手はパネルに添えたままだ。
 ドアが完全に開いた。心配していた空気漏れはなく、巨船内は明るく照らされている。
 周りを見渡して、搬入口とは反対方向にあるドアを見つけた。

「搬入口は後ろにある物だから……こっちがブリッジだよな。行こう、R−B」

「ピュン!」

 金属の床をける音を鳴らしながら、ティンとR−Bは巨船前部、ブリッジへと向かった。


 真っ直ぐに伸びた長い通路を、ティンは歩いて、R−Bはすべって進んでいた。途中いくつもドアがあったが、ひとつひとつ調べていては何時間かかるかわからない。それに、関係の無い部屋にフラフラと立ち寄っていては、いざという時にこちらの立場が悪くなるかもしれないのだ。そんな理由もあって、ずっと真っ直ぐに進んでいるのだがいつまで経っても通路の突き当たりにたどりつかない。

「広いなあ……オレのクルーザの何倍あるんだろ?」

「ピッピュンピピュピュン」

 ティンの呟きをR−Bが軽く笑った。『ばかばかしい』とでも言っているのだろう。たしかに、この巨船はばかばかしいほどの広さだ。下手をしたら小型のコロニーぐらいはあるかもしれない。ティンが割と抵抗なく巨船の中を歩きまわっているのは、この巨船に対する興味と憧れによるものだった。いつかこんな船で飛びまわれたら……。
 とりとめの無いことを考えていると、いつの間にか通路の突き当たりのドアの前に立っていた。ティンがさらにドアに近づくと、軽く空気の抜けるような音がして自動でドアが開いた。さすがに緊張する。
 予想通り、そこはブリッジだった。が、ひとりとして人がいない。まさかの光景に驚きながらティンとR−Bはブリッジの奥へと進んだ。搬入口が閉じたり明かりがついたりしたのはオートによるものだったのか、こことは違う別の場所にもブリッジがあるのか、様々な憶測が浮かぶには浮かぶのだが……。
 困り果てたティンが何気なくコンソールに目を落とした。クルーザーの物とはまるで規模が違う。感心しながらひとつの表示に目を奪われた。おそらくは巨船全体の見取り図だろう。その中のブリッジの部分に、“3”という表示があった。ブリッジ以外の場所にはなんの表示も無い。
 なんの表示だろうと考えてみる。他の場所にはあって、ここには無いもの。それは動いているものなのではないだろうか。短絡的とも言える思考で、ティンはそう推測した。サーモグラフィーか何かで動いている物質を感知して、それを表示しているのだとしたら、ブリッジにはもうひとり、あるいはもう一個何かがいる。あくまでも憶測だ。
 ティンが自分の考えが正しいかどうか、ブリッジに何かいるか探してみようとしたその時。

「ピュゥウーン」

 いつの間にか隅に行っていたR−Bが、こちらからは影になっている部分に向かって声をかけた。何かを誰かに聞いている、そんな調子の声だ。

「ぬし殿はからくり玉でござるか? なんとも珍妙でござる」

 R−Bに向かって誰かが話しかけている。女の子の声だ。慌ててティンはR−Bのもとに駆け寄った。

「あ、これは。人がいたでござるか」

 ティンを見た女の子が安心したような声でそう言った。そこに立っていたのは、透き通るような青い目をした輝くような青色のロングヘアーの、13歳か14歳ぐらいのかわいい女の子だった。しかしこの女の子、口調も変だが格好も変だ。まず頭にかぶっているのは毛糸か何かの猫耳型の帽子で、着ているのはたしか日本の民芸衣装の浴衣とかいう服だ。その上にはそでの広いジャケットのような物を着ている。ジャケットというよりは、これも浴衣の一種なのかもしれない。そして素足にスニーカー。いったい何を考えてこんな組み合わせを着ているのだろう? 大きなお盆みたいな物まで抱えている。
 だがティンは、関わり合いになりたくないという思いよりは、関わり合いになりたいと思う気持ちの方がすでに強くなっていた。

「えっと、君は……何?」

 言ってから、もう少し言葉を選ぶべきだったと瞬時に後悔した。緊張してしまっているようだ。
 ティンの言葉に、女の子は両手を互い違いに浴衣のそでに入れて首をかしげた。どうにもティンの心を動揺させる仕草だった。
 女の子は首を真っ直ぐに戻して、ティンとR−Bに向かってこう言った。

「僕の名前はミツキでござる」

 ティンたちに、名前に漢字を使うという習慣は無い。


第三話

超装甲船アインホルン之章
大船迷いて



 水月みつきは困っていたのだ。
 邪鬼じゃくを追うために“現世門”の術を使って別の世に来たのはいいが、いざ降り立ってみるとそこはわけのわからない、しかも明かりもついていない場所だったのだ。仕方がないので術を使ってわずかな明かりを作り、この建物の中をさまよっていたのだが、体が宙に浮いて思うように動けなかった。しかもどこの扉も堅く閉ざされており、水月は途方に暮れてしまった。しかし突然明かりがついたかと思うと、今だ宙には浮くもののなんとか床に足がつくようになり、あちこちの扉が前に立っただけで開くようになった。つい先ほどまでいた世では、たしかこのような扉の事を“地蔵どあ”と呼んでいた。名前からして術の力を使っていそうな物だが、からくりによって開け閉めされる扉なのだ。
 その“どあ”を開き、廊下の突き当たりにある大きな部屋に入ってみたが誰もいない。この世界は水月にとっては文字通り右も左もわからない世界。人を見つけ、訊ねなければどうする事もできない。再び途方に暮れた水月は“れっどどらごん”との戦いの疲れもあり、起きたばかりというのに物陰に寄りかかって眠ってしまった。幼い頃より旅を続けてきた水月は寝床を選ばない。
 そして水月は何かに小突かれる感触によって目を覚ましたのだ。目を開けると、水月を小突いていたのは丸いまりのような形をしたモノの、尖がった耳だとわかった。その丸いモノには椀のような足もついており、口や鼻は無く、小さな光る目を持っていた。

「ピュゥウーン」

 丸いモノが目の光を点滅させたかと思うと、何ともおかしな音を鳴らした。どこか“てれび”や“ばあちゃるぼおい”の音に似ている。となるとこの丸いモノも、それらと同じくからくりの一種なのだろう。

「ぬし殿はからくり玉でござるか? なんとも珍妙でござる」

 言葉が通じるかはわからなかったが、今は話し相手の欲しい気分だった。いかに旅慣れた水月と言えど、ここまで見知らぬ土地に来ては心細くなるものだ。
 足音がした。水月とからくり玉の方へ駆けてきているようだ。立ち上がって足音の方を見やると、金色の髪をした年の頃十三といった少女が走ってきていた。

「あ、これは。人がいたでござるか」

 これでこの世界についての知識の心配は無い。水月は安心した。
 少女はじっと水月を見つめてきていた。水月も少女を見てみる。長く伸びた金色の髪は首の後ろで短い尻尾のように束ねられおり、瞳は異国を思わせる深い青だった。

「えっと、君は……何?」

 意を決したように、少女が水月にそう問いかけてきた。少女は言い終わると、はっとしたように片手で口を押さえ、赤面をしていた。
 何か、と問いかけられるといかに答えたものか。少女が何を聞いてきているのかを水月は考えた。いつもの癖で、知らずの内に両の手を互いのそでに差し入れ、首をかしげた。何者か、と少女は聞きたいのだろうか。何にしろ、まずは名を名乗るのが礼儀というものだろう。

「僕の名前は水月でござる」

 かしげていた首を正して、水月はそう言った。

「あ、オ……僕、じゃなくてオレはティン=カザヤ」

 しどろもどろといった口調で少女は“かざや”と名乗った。“ていん”という部分の名は水月には理解しがたい発音のものであった。水月は少女を“かざや”と憶えた。
 それにしても愛しい容貌とは裏腹に男のような口振りだ、と水月は思った。今の水月が言えた事ではないのだが。

「ピーュン、ピピュピュン!」

 足元のからくり玉が突然おかしな音を鳴らした。なぜこのような音を出すのかは、水月にはさっぱりわからない。だが、かざやは意を汲み取ったようにうなずくと、からくり玉を拾って抱え上げた。

「こいつはR−B、オレが作ったんだ」

 先ほどよりははっきりとしているが、どこか緊張したような調子の声でかざやはそう言った。“ああるびい”、もはや水月には意味の無い言葉だとしか思えない名前だった。
 さて、水月はこの世界について聞きたいのだが、どのように切りだしたものか。いきなりに、ここはどこかなどと訊ねるのはいささか不自然である。

「ここはどのような所でござるか?」

 だが不自然さなど気にしないのが水月だ。さもなくば浴衣に“すにいかあ”など履けたものではない。邪鬼が化けていた同舟どうしゅうには、和服に靴など“ばかぼん”のようだ、と言われたものだ。

「こ、ここ? オレもわからないんだ、すぐ調べるよ」

 かざやはそう言うと、何やら色々なでっぱりなどがついた壁に慌ただしく向かった。


 ティンは困っていたのだ。
 コンソールに向かってはみたが、全ての表示言語がアルファベットなのだ。ティンは日本語しか使えないので、何を書いているかなど全然わからない。船内表示言語を日本語にすれば、メカに慣れているのですぐにこの巨船がどういう船か確かめられるのだが、船内表示言語を変えるには、まずアルファベットだらけのコンソールをいじらなければならないのだ。かわいい女の子に見られているという緊張で頭が上手くまとまらない。でたらめにいじって何かを起こしてしまうと、巨船の持ち主があらわれた時に問題になるだろう。ティンは本当に困っていた。

「ピーン」

 腕に抱えているままだったR−Bが声をかけてきた。そのR−Bの言葉でティンは閃いた。R−Bをここのコンソールにつなげれば表示言語などに関係なく直接処理をしてくれる。そのためには一度クルーザーに戻って、コネクターと一般にノートと呼ばれるハンディーコンピューターを持ってくる必要がある。

「ちょっと待ってて、すぐ戻るからさ」

 ポカンと立っているミツキを横目で見て、なぜかR−Bを持ったままティンは駆けだした。


 数十数分後、やっとティンは巨船のブリッジに戻ってきた。ミツキを待たせてはいけないと思い全速力で走ってきたので、息が上がって足も乱れてがくがくだ。考えてみればR−Bを置いてくればよかったのだ。何が悲しくてこんなお荷物を持って往復しなければいけないのか。

「お、お待たせ」

 疲れを見せないようにカラ元気を出したつもりなのだが、つい声が上ずってしまった。ティンは床にR−Bと持ってきた物を下ろしながらミツキを目で探した。

「大丈夫でござるか? えらく疲れているようでござるが……」

 ティンが向いていたのとは反対の方向からミツキの声がした。ティンが振りかえって見てみると、ダッフルコートに全身を包んだミツキがいた。よく見ると靴下も履いている。ブカブカのコートを着ているミツキを見て、ティンの胸は一瞬大きく脈打った。あまり人の事をかわいいなどと言えたものではないのがティンなのだが……。

「だいっじょうぶだよ。き、着替えたの?」

 どうにもはっきりと喋れない。声も裏返っていた。

「寒かったでござるから、厚い服に着替えたでござるよ」

 そう言ってミツキは手を軽く広げてみせた。そでの中に手が隠れているのを見て、どうにも平静になれないティンだった。

「あ、暑い服か、寒いからね、この中は」

 どうもティンはミツキの言葉を勘違いしているようだ。大した事ではないが。
 全身をしどろもどろにさせて、ティンはノートのスイッチを入れた。R−Bのお腹のフタを開けてコネクターを接続して、そのコネクターの反対側をノートにつないだ。

「問題無いな、R−B」

 R−Bに向かってティンが呟いた。ミツキに向けてのものとは違う、はっきりとなめらかな口調だ。

「ピュン!」

 R−Bがそう言うのと同時に、ノートのモニターに『マカセロ』という文字が表示された。それを見たティンはうなずいたあと、もうひとつのコネクターをノートにつないだ。そのコネクターの反対側を持って、巨船のコンソールを見渡す。

「何をしているのでござるか?」

 じっと見ていたミツキが不思議そうな顔で聞いてきた。再びティンの頭はショートをはじめる。

「こ、これはR−Bをコンソールにつないで直接処理をしてもらうんだ、この船のモニタなんかの表示言語を日本語にして操作できるようにしようと思って、オレは日本語しかわからないから、あ、もしかしてミツキはアルファベットでも操作できるの?」

 緊張のせいで早口を一気にまくしたててしまった。自分でも何を言ったのかよくわからない。ティンはなかばパニックになりながらも、何とかコンソールの接続端子を見つけだした。

「操作……? よくわからないでござるが……できないでござる」

 ミツキがさっきと同じようにそでに手を入れて、小首をかしげながらそう言った。その言葉を聞いてティンは自分のしたちぐはぐな説明を後悔した。

「ご、ごめん!」

 あやまりながら、持っていたコネクターをしっかりとコンソールに接続した。ティンは女の子への気まずさから顔を赤く染めて、R−Bの方へ向いた。

「あ、R−B、どれくらいかかる?」

 R−Bに向けた声もやや上ずってしまった。それぐらいにティンは動揺してしまっているのだ。

「ピー」

 R−Bに促されてノートのモニターに目を落とす。モニターには『30プン』と表示されていた。船内表示言語を日本語にする操作にあと30分かかるという意味だ。これはR−Bにしては遅い。だがティンにとっては好都合だ。

「ちょっと、調べるの時間かかるからさ、船の中を見てみようよ」

 思ったよりろれつが回る口調で言えた。ブリッジに誰もいないとなればこの巨船の中を徹底的に調べてみる必要がある。どうやらミツキもこの巨船の乗組員ではないようなので、今の所は不法侵入が続いているという事になるが、無人船を放っておくわけにもいかない。めったな事はせずに、本当に無人船かどうか確かめなければならないのだ。R−Bがしている事もハッキングなどではなく、手動操作の代わりをしているだけだ。

「行こう、ここはR−Bに任せればいいんだ」

 ミツキを促して、ティンはブリッジの出口へと向かった。

「ビー!」

 ノートを経由してコンソールにつながれたR−Bが、憤然と抗議の声を上げたのだった。


 かざやと共にあちこちの部屋を見てまわったが、船の中には猫の仔いっぴき見当たらない。船……かざやはこの建物の事を船と言った。これは船なのだ。何と巨大な船なのであろうか。水月はそう感心していた。

「ここで待ってて、中を見てくるからさ」

 部屋の前でかざやがそう言って、ひとりで部屋の中に入っていった。危険があるかもしれないからと、先ほどからこのようにしてかざやが部屋の中を確かめているのだ。水月にとってそのような心配は無用と言っていいのだが、かざやの方がこの世界について知っているようなので言う通りにしている。
 ほどなくかざやが部屋から出てきた。

「ここも誰もいない……」

 神妙な面持ちでかざやが言った。先ほどからずっと、部屋を調べてもこのように人ひとりいないのである。再び二人で廊下を歩き出す。

「ミツキは何でこの船にいたの?」

 唐突にかざやがそう聞いてきた。術を使い偶然にここに来たなど信じるのだろうか? かつての江戸の時代もその三百年後の平成の時代でも、術が使えるなど言ってもおいそれと信じてくれるものではない。特に平成の時代では術そのものが信じられていなかった。軽々しく術の事を語っては余計な騒ぎを生むだけなのかもしれないのだ。

「気づいたらここにいたでござる」

 やはり術の事など語るべきではないと考え、適当に茶を濁し、かわした。かざやは納得できないといった顔で水月を見てきたが、すぐに気を取り直したのか、ぎこちない微笑みを浮かべた。

「じゃ、じゃあさ、水月はどこの出身なの?」

 これもまた答えにくい質問である。出身の地を語ろうとすれば時を越え世を移った事も語らなければならない。江戸の時代でも信じる者などいないであろう話だ。
 水月はそこまで考えて、いっその事、全てをかざやに語った方が良いのではないのかと考えた。だがやはり、自分は男であったが邪鬼によってこのような少女にされたなどと語るのは気持ちの良いものではない。それならば全てを包み隠してしまった方が良い。
 いつの間にかそでに手を差し込んでいた水月が考えていると、かざやが小さく声を漏らして後悔を顔にあらわした。

「ご、ごめん! 変な事聞いて……」

 言葉のあと、かざやは顔色を暗くし、うつむいて押し黙った。水月も何と言っていいかわからず、黙って歩みを続けた。


「ここ、他の部屋とはちょっと違う」

 かざやが部屋の入り口の前に立ち、言った。たしかにかざやの言う通り、他の部屋とは入り口の“どあ”の色が違っていた。

「何だろう……この部屋。とりあえず中を見てくるから、またここで待ってて」

 そう言うとかざやはさっさと部屋の中に入っていった。しばしの間じっと待っていたが、なかなかかざやは出てこない。待ちかねた水月は部屋の中に入ってみた。
 部屋の中にはかざやの姿は無かった。部屋の奥には入り口とは別に“どあ”がある。おそらくその“どあ”を通り、別の場所に行ったのだろう。退屈をした水月が部屋を見渡すと、何やらでこぼこした台が目についた。大きな部屋でかざやがいじっていた物に似ている。何気なく水月はその台のでっぱりのひとつを指先でつついてみた。するとでっぱりはへこんで、すぐに戻った。これを見て水月は思い出した。これは“ぼたん”という物だ。水月は台についている“ぼたん”を何度もつついてみた。へこんでから戻ってくるのがたまらなく面白いのだ。水月は“ぼたん”をつつき続けた。


 ティンが奥の部屋に入って見てみると、大きなカプセルが目に入った。カプセルは縦に置かれていて、その大きさは部屋の中いっぱいを占めていた。

「何だろう……これ」

 小さくひとり言を呟いて、ティンはカプセルの中に入ってみた。外から見ると大きいが、入ってみると人ひとり分ぐらいの空間しかなかった。アニメで見たワープ装置がなんとなく頭に浮かぶ。何かの装置なのだろうが、何の装置であるかは全くわからない。
 この装置がなんなのか自分にはわからないとわかると、ティンはカプセルの内壁に寄りかかって、さっきの事について考えた。
 何でこの船にいるのかと聞くと、ミツキは気づいたらここにいたと答えた。たしかにこの船の事は何も知らないようだが、いくら何でも気づいたらいた、などという事はないだろう。記憶喪失でもないかぎり、ミツキは何かを隠しているという事だ。それは初対面の人間に話すような事ではないのだろう。それなのに自分は出身なんかを続けて聞いてしまった。とても思いやりの無い事をしてしまった。ミツキにはミツキの事情があるのだから、これ以上余計な詮索はしないようにするべきだ。ティンはそう心に決めてカプセルから出ようとした。しかしその時カプセルの扉が閉められ、重い音が室内に鳴り響きはじめた。このカプセルの装置が作動してしまったようだ。

「な、何だよこれ!?」

 必死に叩いてみても、カプセルの扉はびくともしなかった。


 水月は“ぼたん”をつつき続けていた。指で“ぼたん”を押しへこませ、指を戻すと勢いよく“ぼたん”は飛び出るように元に戻る。これが何度やってもあきない。夢中とまではいかないが、水月はそれを繰り返した。そうしていると台がからくりの高い音を鳴らした。その音に驚き、思わず水月は指を引っ込めた。何かやらかしてしまったのかという考えが浮かんだ。

「うわあーーーーー!」

 突然かざやの叫び声が聞こえた。何事かと思い、急いで水月は部屋の奥の“どあ”へと走ろうとした。だがそれよりも早く、当のかざやが“どあ”から飛び出してきた。見たところ特に何事も無いようなのだが……。

「どうしたのでござるか?」

 水月が訊ねると、かざやは口をぱくぱくと閉じては開き、必死に自分の控えめにふくらんでいる胸を指差した。控えめと言っても今の水月のわずかな胸のふくらみに比べれば大きい。水月はなぜかいらついた。

「こ、これ、おん、おん、おん」

 かざやは声を出しはじめたかと思うと犬の鳴き声の真似をした。何があったのかさっぱりわからない。物の怪にでも取り憑かれたのかと水月は思った。

「女なんだよ! これは!」

 ようやく人の言葉でかざやはそう言った。いったい何が言いたいというのか。たしかにふくらんだ胸は女といえるだろう。女でもあまりふくらんでいない者もいるが。
 水月が疑問を顔に出し見つめると、かざやは深呼吸をして息を整えた。

「だから、女になってるんだ!」

 ある程度は落ちつきを見せたものの、まだかざやには仕草にも声にも慌ただしさがあった。女になったという事は元々は女ではなかったという事なのだろうか?

「女なのではないのでござるか?」

 水月は聞いた。先ほども今も同じく、かざやはどこから見てもどう声を聞いても少女だった。そでに手を差し込んで、水月はかざやの言葉の意味を改めて考えようとした。

「さっきまでは男だったよ! でも部屋の中のカプセルに入ってたらいきなり女になったんだ!」

 そう言われてみれば、水月は、先ほどまでかざやには胸のふくらみなど無かったように思えた。だが変わっている所などそれぐらいのものだ。かざやの言葉を信じないわけではないが、水月にはかざやの体は胸以外は寸分違わず先ほどまでと同じに見えた。

「どうしてこんな! この船って何なの!?」

 あきらかに取り乱しながら、かざやは水月がつついていた台に向かってかがんだ。自分のした事が原因なのかという思いから、水月はやや気まずさを感じた。
 しばらくかざやは台をつついて何かをしていたが、やがて手を止め、体を起こした。

「ダメだ、まだ表示がアルファベットのままだ……ブリッジ、R−Bはまだ!?」

 かざやはそう叫ぶと、あたふたと廊下へと飛び出した。水月も慌てて廊下へと出た。先ほどまではかざやは男だったのかと考えながら、水月はかざやの後を追った。


「R−B! おまえ何かしたの!?」

 ブリッジに飛び込むなりティンは叫んで、R−Bとつながれているノートのモニターを急いでのぞき込んだ。モニターには『ヒョウジゲンゴヘンコウオワッタ』と表示されていた。それを見て、今度は巨船のコンソールに目をやった。表示言語が日本語になっているのを確認して、ティンはコンソールのモニターに食らいつくように向かった。
 ティンは様々な表示には目もくれず、素早く船内見取り図を呼び出した。その中からさっきまでいた部屋を、モニターの表示部分を直接触って選択した。部屋の見取り図が呼び出されて、あの謎の装置の説明も表示された。

「オプション……性転換装置!? 何だよそれ!?」

 表示を見て、ティンは思わずまた叫んだ。性転換装置……名前だけで何の装置かすぐにわかった。すでに触って確かめていたが、ズボンとパンツを前に引っ張って股間を見下ろしてみた。体毛が一本も生えていないのは元からなのだが、ティンの唯一の男の証明もそこには生えていなかった。代わりにあるのは女の証明だ。ズボンとパンツから手を放して、ティンはコンソールに突っ伏した。

「ピュ―……」

 R−Bが心配そうに声をかけてきた。だが答える気にもなれない。ミツキと話している時の華やかに浮き立つパニックとは違って、今のティンは動揺だけが支配するパニックに見舞われていた。変な船に迷い込んだと思えばおかしな女の子に会って、妙な装置のせいで女になってしまった。わけがわからない事ばかりだ。

「かざや殿……」

 後ろからミツキの声がした。それでもティンは体を起こす気にはなれなかった。

「すまないでござる……どうも僕があの台をいじってしまったのが悪かったようでござるな……」

 ミツキの申し訳なさそうなその声で、ようやくティンは体を起こした。ミツキを怒ろうとしているわけではない。さっきから一緒に船内を見てまわっていてわかったのだが、この女の子はずれているのだ。口調も言葉も、服も仕草も、全てどこかおかしい。浮世離れとでも言うのだろうか、とにかくずれている。そんな天然ボケの、そしてかわいい女の子を、どうしてティンが怒る事などできるだろうか。

「いいよ……ミツキが悪いんじゃない。悪気があったわけじゃないんだろ?」

 ティンが降り返ってそう言うと、ミツキはホッとした様子で微笑んだ。それを見て、ティンは動揺だけのパニックが消え去り、華やかなパニックに包まれるのを感じた。
 ティンは顔を赤く染めてミツキから目をそらして、コンソールのモニターを見つめた。“性転換装置”という表示が目に入って、それでティンは閃いた。“性転換”ならば、女から男に戻る事もできるはずだ。気持ちをあせらせながら、モニターをタッチして装置の詳しい説明を表示させた。細かい字で書かれた説明を拾い読みして、目的の“女から男”という文を見つけた。

「大丈夫だよ! 男に戻れる!」

 首を後ろにひねって、ティンはミツキに向かってそう叫んだ。すぐにモニターに目を戻して、さらに表示を切り替えて詳しく確認する。大丈夫だ。装置によって性転換した者も、もう一回装置を使えば元の性別に戻れると書いてあった。
 喜び勇んで使用方法を確認しようとした。だが使用方法よりも先に目に飛び込んできた文に、ティンは大きく落胆した。

「現在エネルギー不足により使用不能……そんなぁ……」

 再びティンはコンソールに突っ伏したのだった。


 とりあえずは“えねるぎい”を補給しなければならない。そのために一番“ころにい”にこの大船を持っていく。かざやはそう言った。言葉の意味は水月にはよくわからなかったが、とにかくかざやが男に戻る手段があり、そのために何かをしようとしているのはわかった。

「……はい、船です。……まだ動きます。……はい、遺失物としてそっちに……はい……」

 かざやは今、一番“ころにい”に“つうしん”をしているらしい。電話をかけているようなものだと水月は納得していた。何でもこの大船は落とし物であり、ねこばばをするわけにはいかず、その“ころにい”に届けるのだという。そしてその時に“えねるぎい”を補給し、大船を渡す前にかざやを男にしたからくりを使わせてもらうとの事だ。
 かざやが“つうしん”をしている間に、水月はこれからの事を考えた。
 邪鬼を追って来たものの、今回は邪鬼が行き先を告げ、それを追ってきたというわけではないので、この世界に邪鬼がいるかどうかは全くわからない。いや、おそらくはいない、と言っていいだろう。邪鬼がいないのならば早々に次の世界に行った方がよいのだが、別の世界ならば必ず邪鬼がいるというわけでもない。どこの世界に行っても邪鬼はおそらくはいない。だが、その“おそらく”という断言できない所に邪鬼はいるのだ。早い話が、この世界に邪鬼がいるのかもしれなく、いないのかもしれないのだ。目の前にいるかざやが邪鬼の変化であるという事も無いわけではないのだ。もっとも、水月はあくまでありうる事態のひとつとして考えているのであり、かざやを疑っているわけではない。どうしたものか、と考える水月はいつもの姿勢を取っていた。

「通信終わり。じゃあこれから一番コロニーに行くけど、いい?」

 “こんそおる”という物に向かっていたかざやが振り向いて聞いてきた。水月は無言でうなずいて見せた。

「よし、オートクルーズ……セット!」

 そう言ってかざやがひときわ大きく“こんそおる”を叩いた。すると重厚な音と共に辺りが細かく揺れはじめた。どうやら船が動きだしたようだ。
 この世界に邪鬼がいるにしてもいないにしても、水月は時を移る術を使う事もでき、不本意ながら不老不死の身でもあるのだ。師にもあせりは最大の敵のひとつと教えられている。水月はしばしの間、この少女と共にゆるりと参る事にした。


 一刻もしない内に水月は変化に気づいた。かざやが“ぶりっじ”と呼ぶこの大きな部屋の黒い壁に、何か際立った物が浮かんできたのだ。いや、よく見ると黒い壁は壁ではなかった。水月が壁だと思っていたのはこの部屋の“がらす窓”であり、黒いのはそこから見える外の漆黒の闇だったのだ。

「あれが一番コロニー……第16層で一番大きなコロニーなんだ……」

 かざやが際立った物を見て、感嘆の声を漏らしたようだ。断言できないのは水月にはかざやの言葉の意味がよくわからないからだ。そのかざやの言葉で、漆黒の闇に注意をひかれていた水月は改めて際立った物を見やった。それは丸い輪がいくつも重なっており、輪たちの中心には一本の細い柱が備えつけられていた。その際立った物、かざやが“ころにい”と呼ぶそれは闇の中で映え、何と美しい事か。水月はその壮大にして優美な景色に目と心を奪われ、見入った。
 さらによく見ると、漆黒の闇にはちらほらと小さな光が散らばっており、それはまぎれもなく星空であった。星たちの彩る漆黒の海に、あきらかに人の造った建物が浮いているのだ。水月は感動というか興味というか、押さえがたい感情に満たされていた。
 やがて“がらす窓”いっぱいに“ころにい”が大きく見えるようになると、かざやが慌ただしく動きはじめた。

「……管制局? あ、はい……直接停泊していいんですね……はい、すぐに……」

 かざやは再び“つうしん”をはじめたようだ。だんだんと“ころにい”が近づいてくる。そしてぶつかるのではないかという所までせまると、船は方向を変え、“ころにい”に船体をこすらんばかりにして進み、やがて止まった。

「……こっちは問題ありません……はい、切ります」

 “つうしん”を終えたかざやは水月の方へと振り返ってきた。かざやは満足げにうなずいて見せると、笑顔でこう言った。

「何とか無事についたよ。さあ、降りよう」


 かざやに促され、水月は“ぶりっじ”を出てすぐ横の“どあ”から入った細い廊下を通り、上下左右の壁が蛇腹状になっている廊下に入った。その時に水月は気づいた。今まで自分は何かの“気”に包まれていた事を。そしてわずかだが、かざやの後ろをすべっている“ああるびい”からも“気”が感じ取れた。“ああるびい”から発せられている“気”は、おそらくは人形に魂が宿るように、かざやの“気”が宿ったものなのだと予想ができた。だが今まで自分を包んでいた、この大船全体から発せられる“気”がなんなのかは予想もつかなかった。神仙の類いではないがそれ以外のものでもない。あえて言えば人の、それもかざやの“気”に似ているだろうか。
 水月はこの大船に改めて興味を覚えながら“ころにい”の中へと降り立った。大船からの廊下は直接“ころにい”の中につながっていたのだ。水月が降り立った“ころにい”の中はとても大きな空洞になっており、その四角い大きな部屋の中をたくさんの者たちがせわしなく走りまわっていた。どこか、かつての江戸の時代の大通りの活気に似たものがある。
 ふと水月は自分の体が先ほどまでよりも重くなったような感覚を覚えた。だがおそらくは気のせいだろうと思い、気にはとめなかった。
 すぐに人がやってきて、かざやと何やら話しはじめた。

「こちらが遺失物の船ですか……大きいですね」

 眼鏡をかけたその男は、水月の後ろの“がらす窓”から見える大船ではなく、かざやを見ながらそう言った。いぶかしげな目つきである。

「届けはもう船から出してます。確認にはどのくらいかかりますか?」

 男の視線を特に気にした様子はなく、かざやはなめらかな口調で男に聞いた。

「そうですね、一時間もあれば終わります。ある程度はすでに調べていますから」

 男の口調には抑揚がない。かざやはしばし考え込むと、足元の“ああるびい”をゆっくりと抱え込んだ。

「じゃあそのぐらいの時間になったら来ます。オ……レは用事があるので失礼します」

 なぜか一人称の部分でつまってかざやはそう言うと、水月の近くに寄ってきた。

「君はどうするの?」

 小声で耳打ちするようにかざやは聞いてきた。どうする、と聞かれてもかざやと離れては当てがないのだ。

「ついていってもよいでござるか?」

 水月もかざやに合わせて小声で聞いた。かざやは水月の言葉に、やや驚いた顔を見せた。

「い、いいよ」

 ほのかに顔を赤く染め、かざやは上ずった声でそう言った。

「ピュン!」

 “ああるびい”が高い音を鳴らした。水月はその“ああるびい”を抱えたかざやと二人で、“ころにい”の奥へと進んだ。


 先ほどの“ころにい”の入り口、かざやが港と呼んだ大部屋から長い廊下を通り、“えれべえたあ”に乗った。“えれべえたあ”はなかなかに広かったのだが、水月とかざや以外に乗っている者はいなかった。“えれべえたあ”が動き終わるのを待っていると、かざやがR−Bを床に下ろし苦しげに壁に寄りかかった。

「どうしたでござるか?」

 肩で息をするかざやが、なぜそんなに疲れたのか気になった水月は問いかけた。

「……ここの重力は0.5Gで……オレはいつも0.2Gだから辛くって……」

 苦しげに答えるかざやの言葉は、残念ながら水月には理解できなかった。
 からくりの音が鳴り、“えれべえたあ”が水月たちを運び終わった事を知らせた。かざやは最後に大きく息をつくと、小さくうめいてR−Bを抱え上げた。

「……こいつは持っておかないと、けられたり迷子になったりするかもしれないんだ」

 かざやは苦しげな顔で微笑んでみせると、水月より先に“えれべえたあ”を出た。水月もかざやの背中を追って“えれべえたあ”を出た。
 再び長い廊下を抜けると、高く丸い天井に囲まれ活気に満ちた広い廊下に出た。曲がりながら続く廊下の両端には様々な店や建物が建ち並んでいた。丸い天井の両端には“がらす窓”があり、閉ざされたその廊下に開放感を生んでいた。平成の時代以上に水月には何もかもが新鮮だ。
 水月が辺りを落ちつきなくきょろきょろと見渡すのを見て、かざやが不思議そうな顔をした。

「こういうコロニーの中、見た事ないの?」

 水月に対してそんな問いは愚問だ。

「もちろんでござる!」

 水月はやや興奮した声で答えた。かざやは水月の言葉を聞いて、しばし何かを考え込んだようだった。しかしすぐにかざやは辺りを見まわしはじめ、やがて一点を見すえた。

「あった。……こっちだよ」

 かざやは水月の方を向き、そう言って、建物のひとつに真っ直ぐ歩みはじめた。水月もかざやに並ぶようにしてその建物へ向かった。


 建物はどうやら食処(食べ物屋)のようだった。中に入ると、所狭しとばかりにたくさんの者がいくつも並ぶ机を囲んでいた。喧騒の中、かざやはひとつの机へと向かい、水月もそれについていった。

「アルバトロス=カームさん……ですか?」

 机の前にひとりだけで座っていた男に、かざやは背中から声をかけた。その男は茶色でやや長めの髪をしていた。水月からも男の姿は背中しか見えないので顔はわからない。

「……あんたがティン=カザヤ?」

 男……いや、女だった。かざやが“かあむ”と呼んだその女は、降り返ってかざやにいぶかしげな視線を送った。一方かざやは驚いた様子で女を見つめていた。

「女の人だったんですか」

 かざやがそう言うと、女は立ち上がってかざやと水月を見下ろしてきた。その女の背は高いのだ。容姿も美しいと言うよりは、さっそうとしていると表現した方が似合っていた。

「あんた……本当にティン=カザヤなの? 15歳には見えないけど……」

 女にそう言われると、かざやはその言葉がかんにさわったのか眉をしかめ、上着の物入れから一枚の紙のような板を取り出し、女に渡した。かざやは片手だけで“ああるびい”を支えたため、危うく落としかけたのを必死で抱え直していた。

「間違いはないみたいだけど……本当に男なの?」

 その言葉を聞いたかざやは胸を隠すためか、“ああるびい”を胸の前で抱きかかえた。少女が気に入った人形を抱きかかえているようにも見える。

「お、男ですよ。顔写真だって間違いはないでしょう?」

 少なくとも今はかざやは女になっているはずだが、水月は黙っておいた。事情は飲み込めないが、かざやが女になっている事を隠そうとするならば、かざやを女にした原因の自分がそれをばらすわけにはいかないのだ。

「ふーん……何か頼り無いけどしょうがないか。じゃ、これがあたしの証明書」

 そう言って女はかざやが渡した板と一緒に、もう一枚同じような板を差し出した。だがかざやはそれを受け取らず、“ああるびい”をしっかりと胸の前で抱きかかえたままだ。

「ミ、ミツキ、悪いけど、それもらってオレに見せてくれない?」

 かざやにそう言われ、水月は女から板を受け取り、片方の板をかざやに見せた。

「違うよ、それはオレのだから、そっちのカードを見せて」

 そう言われて水月はもう一枚の板をかざやに見せた。

「表裏が逆だよ、裏返して見せて」

 あたふたと水月は板を裏返した。

「アルバトロス=カーム……女……18歳……」

 呟きうなずきながら、かざやは水月が持っている板を見入った。そしてかざやは女の方を向き、見上げた。

「確認しました。これからよろしくお願いします」

 かざやはかしこまった口調でそう言うと、水月が持っている板の方へと片手を伸ばした。それを見て、水月はかざやが持っていた方の板を手渡した。かざやはよろけながら“ああるびい”を片手で支え、渡した板を上着の物入れに入れた。

「まあ、よろしく」

 女はそう言いながら、もう一枚の板を水月の手から抜き取った。ともすれば不快な動作だが、その女のゆっくりとした優しげな動きは不快さなど微塵も感じさせるものではなかった。
 それにしてもこの女とかざやはいったい何の事を話しているのか? 水月は不思議に思いかざやを見やった。

「先ほどから、何の話をしているのでござるか?」

 水月が問いかけると、かざやは“ああるびい”を持ったまま近くの椅子に座り込んだ。どうやら疲れてしまっているようだ。

「カームさんには仕事を手伝ってもらうんだ。オレひとりで船の仕事をするのは大変だから、随分前から頼んでたんだよ」

 深く椅子に腰かけたかざやは水月の方を向いてそう言った。仕事仲間という事なのだろう。仕事とは何かと思ったが、船の仕事と言えば人や物を運ぶ仕事だろうと見当がついたので、水月は問わなかった。

「こっちの女の子は? 聞いてなかったけど?」

 女が水月を見下ろしながらかざやに聞いた。水月は女と目が合い、女が黒い瞳をしているのだとわかった。

「そのこはミツキって言って、オレも会ったばかりなので名前ぐらいしか知らないんですけど……そう言えばミツキ、君はこれからどうするの? これ以上……一緒ってわけにはいかないだろ?」

 どこか落胆するような声でかざやは言った。考えるまでもなく、この世界について知るにはかざやについていった方が良さそうなのだが……。

「できればこれからも同行願いたいでござるが、迷惑なようであれば遠慮するでござる」

 これだけ人がいれば、別にかざやを頼らずともこの世界を知る事はできるだろう。水月はそう考えたのだが、かざやは水月の言葉を聞き、あきらかに顔に喜びを浮かばせた。

「迷惑なんかないよ! 同行してくれていいよ!」

 かざやが興奮した声でそう言った。その言葉を聞いて、女が呆れたような顔をしてかざやの前の椅子に座った。

「あんたの船ってたしかクルーザーでしょ? 三人も大丈夫なの?」

 女に言われかざやは一瞬はっとした様子だったが、すぐに笑みを取り戻した。

「大丈夫、狭くはなるけど何とかなります!」

 無邪気な笑みを顔いっぱいに浮かべながら、かざやは楽しげな声でそう言った。それを聞いた女はさらに呆れた様子で頭を抱え、机にひじをついた。

「はあ……子守りだなんてやってられないんだけど……」

 深いため息をつく女と、無邪気に喜んでいる少女を見て、水月は苦笑したのであった。


 ミツキに同行してもいいと言ったのは少し浅はかだったのかもしれない。この女の子の事を自分は名前以外全然知らないのだ。だが、つい有頂天になって言ってしまったのだ。このカームという女に会って、これからこの女とR−Bだけで仕事をしていくという心細さもあったのかもしれない。ティンは食事をしながらそんな事を考えた。
 その後、カームにあの大船の性転換装置以外の事を話してから港へと戻った。そろそろ1時間経っているはずなのだ。
 ティンが港に入ると、最初に港に入った時に話しかけてきた、眼鏡をした管理局員の男が待ちかねたといった顔で話しかけてきた。

「待っていました」

 管理局員は片手で眼鏡を持ち上げながら、ティンに向かってハンディーコンピューターであるノートを差し出してきた。おかしい……ティンは泊めた位置から動いていない大船を見ながらそう思った。

「どうしたんです? 何か問題でも……」

 問題が無ければ大船は回収されて持ち主が出てくるのを待つはずだ。それなのに大船が港に泊まったままだという事は……コロニーの中に直せないほど大きいからかもしれない。管理局員に聞いてみたものの、ティンはひとりで納得した。

「この船は未登録……それも地球圏の船です」

 管理局員の言葉にティンとR−Bとカームは驚愕した。ティンたち火星圏の人間にとって、地球圏という言葉は聞いて気持ちの良いものではない。だが地球圏の船というならば、性転換装置などという突飛な物があるのも納得できた。地球圏は様々な高度な技術を火星圏に隠している。そんな噂があるのだ。

「で、でも地球圏の船だったら何だって言うんです? それがわかったんなら地球に送ってしまえばいいんじゃないんですか? オレ……を待っていたっていうのはどういう事なんです?」

 ティンは慌てて、一気に質問を並べ立てた。全ては少年ゆえの素直な疑問だ。もう少しティンが察しが良ければ、全ての疑問は自分の中で答えが出ただろう。

「地球圏に送るわけにはいきません。地球圏の機密保持とは、一個コロニーよりも重いのですから」

 管理局員は皮肉めいた口調でそう言った。管理局員は眼鏡を白く光らせながら話を続けた。

「当然、一番コロニーで預かる事もできませんし、解体する費用もありません。そこでですが……」

 そこまで言うと管理局員はティンに差し出していたノートのボタンを押した。モニターには船舶登録用の画面があらわれた。

「拾得者であるあなたの船として、通常船舶の登録をする事をお勧めします」

 男の言った言葉がティンには信じられなかった。クルーザーの何十倍という船を自分の物にできる、というその言葉の意味が。

「すごい……ラッキーじゃない! カザヤ君!」

「ピュンピュンピュンピュン!」

 カームとR−Bが喜びで騒いで、ティンに登録をせかした。ミツキはきょとんとした顔でティンを見ている。
 もちろんティンも嬉しい。例え厄介払いだとしても、未知の巨大船を自分の自由にできるという少年の心をくすぐるチャンスを、ふいにする気などない。
 ティンは抱えていたR−Bを床に下ろし、震える手でノートのキーボードを打った。何度も入力ミスをしながらも、素早く登録を終えていった。そして、モニターに船名入力画面が出た所で手が止まった。

「どうしたの?」

 カームがのぞき込みながら聞いてきた。

「船名……何にしましょうか?」

 ティンはまだ事態を信じられない頭を、船名を考える事にまわして落ちつこうとした。心臓の動きが体全体に重く響いている。

「……クルーザーには何てつけてたの?」

 そう言って優しく微笑むカームの顔は、どこか母を思わせた。

「ユニコーンです。でもそれ友達がつけたもので、オレは嫌いなんです」

 よどみなく話せてはいるのだが、声は震えていた。

「どうして?」

 なおも微笑みながら、カームは聞いてきた。それを見て、ティンは自分がやや落ちつけたような気がした。

「清らかな少女しか乗れない船って意味でつけられたんです。だから嫌いなんです」

 ティンがそう言うと、カームは目を泳がせた。何かを考えているようだ。

「じゃあこの船にはアインホルンって名前はどう?」

 カームが提案した名前、アインホルン。意味はわからないが、響きが良く、あの船に似合うような気がした。まだ頭の中がまとまっていないティンは、この名前でいいと考え、ノートに入力をした。

「はい、ありがとうございました。登録が完全に終わるのは明日ですが、今日出港してくださっても構いません」

 遠回しに早く出港するようせかすと、管理局員はさっさとコロニーの奥へと入っていった。残されたティンは、まだ今起きた事が信じられずに、ぼーっとその場に立ち尽くした。そのせいで、カームの視線が自分の胸に注がれていた事に気づかなかった。

「それじゃあ改めて、よろしく、カザヤ君、ミツキちゃん、R−B君」

 カームの声で気がついたティンは、差し出されたカームの左手を左手で握った。

「ティンでいいよ」

 意図的になれなれしい口調でティンは言った。

「じゃ、あたしの事も今度からはアルって呼んで」

 ティンは笑顔のカーム……アルと握手をした。なかなかに力が強く、人知れずティンは顔をゆがませた。
 アルは今度はミツキの方を向いて手を差し出した。

「僕の事も呼び捨ての方がいいでござる」

 そう言ってミツキは差し出されたアルの左手を右手で握っていた。やはり天然ボケの節がある。

「ピピューン」

「R−Bも呼び捨てでいいって」

 ティンはそう言ってR−Bの言葉を通訳した。

「そっか、ほら、R−B!」

 アルはR−Bを軽々と拾い上げて、巨船の方に向いた。

「退屈は、しなさそうね……」

 何を考えたのか、ぽつりとアルが呟いた。だがティンは気にせずに、自分の船となった巨船を見つめた。ミツキも巨船の方を向いていた。

「退屈なんてできないよ……きっと……」

 言いながら、ふと自分が女になっているままだった事を思い出した。この後すぐに男に戻りに行こうとティンは考えた。もう船内の設備も自由にできるのだから……と。

 ミツキだけが、黙って大船を見つめていた。




あとがき

 野良猫放浪記第三話、お楽しみ頂けたでしょうか? 今回から序章が終わって一応本編なのですが……こうなってしまいました(笑)。しばらくはこの雰囲気が続きますが、ずっとじゃありません。水月はまた別の世界に旅立ちます。かなり試験的というか挑戦的というか無謀的な話ですが、良ければこれからもよろしくお願いします。それでは読んでくださってありがとうございます。できれば御感想も頂けると嬉しいです。文句、意見も遠慮なくどうぞ。最後に、試験的に次回予“定”を入れてみました。それでは御覧ください。

次 回 予 定

巨船アインホルンを手に入れたオレたち
何とか初仕事の依頼があって六番コロニーに向かった
だけど
運悪く途中で海賊船に遭ってしまう
海賊船のレーザーがアインホルンの外壁を刺す
そして
ついにはミサイルまでもがオレたちに襲いかかる

次回
野良猫放浪記

それぞれの壁

宇宙が波立つ……



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