戻る


野良猫放浪記

                     地駆鴉



 まだ早朝の薄暗い中、少年はマンションの立ち並ぶ団地を駆け回っていた。
 新聞配達のアルバイトだ。
 ポータブルMDプレーヤーを買うために先週から始めているのだが、どうにも配達先をおぼえられず、おまけに朝が弱かった。
 なぜこんなバイトを選んでしまったのかは、今となっては少年にもわからない。大体にしてマンション担当という事が不運だった。しかし、愚痴を考えても何にもならない。
 配達が遅いだの、間違って配られていただのといった苦情のせいで、もうどれだけ減俸をくらっているかわからないのだ。これ以上ヘマをやらかすわけにはいかなかった。
 あせる少年が苦しまぎれに周囲を見渡す。何かの拍子に思い出すかもしれない。
 そして少年は見つけた。
 マンション同士の間のコンクリートの上に、人間が倒れていた。うつ伏せで、遠目だがかなり小柄に見えた。
 その小柄な人は時代劇に出てくるような笠をかぶっていて、そこからは束ねられた青い髪が出ていた。友人が髪を青く染めていた時のものとは全然違う。おそらくは地毛だ。
 変なやつだ。それがその少年の思ったことだった。まだ頭がボーっとしているのかもしれない。
 しばらくそのまま見ていたが、その小柄な人がまったく動かないのを見て、さすがに少年も助け起こしに行くべきかと考えた。しかしその時、小柄な人の近くのマンションから出てきた男が、小柄な人を抱きかかえてマンションの中へと連れていってしまった。
 あまりにも躊躇の無い行動だったので、少年は特に不信には思わなかった。小柄な人が助け起こされたのを見た時に女の子だったとわかって、早く助け起こしに行くべきだったとは考えたが。
 少年はすぐに新聞配達を再開した。時間の問題で、今日も適当に配るしかない。
 少年にとってこの朝の出来事は、友人に話して、「ふーん」で終わらせられる程度の事でしかなかった。


第二話

縦長屋の飼い猫


「う…………」

 意識が戻るなり目を開けた水月みつきは、すぐに自分の体に違和感を感じた。
 尻の辺りに何かが何かに乗られている感覚。頭の上に慣れた耳とは違う耳の感覚。考えようとして、すぐに思い当たった。
 邪鬼じゃくという男によって、自分は異形の少女にされた事を。そして、邪鬼を追って三百年のちの世に行く術を使ったのだと。
 気を失ったのは、霊力を多く必要とする“血返”の術を使った上に、“時越門”という莫大な霊力を必要とする術を使い、急激に霊力を失ってしまったためだ。
 自分が今までにどうなったかを思い出した水月は、今度は自分が今いる場所を見渡した。
 おそらくは建物の部屋の中で、水月が寝ているのはどうやら台の上に乗った布団のようだった。その横には水月の三度笠が立てかけられるように置かれていた。部屋の中には棚のような物があったが、水月がわかるのはそれだけだった。あとは意味があるのかないのか、大小さまざまな置物が置かれている。
 かつて諸国を漫遊した水月でさえ、それらが何なのか、どこの物なのかはわからない。そして水月は、自分が今、自分がいた時代から三百年のちの、想像もつかぬ世にいる事を自覚した。
 水月が可能な限り現状を把握したその時、部屋の隅にあった四角い枠が門のように開いた。

「よう、起きてたのか」

 門の奥から出てきた、おそらくは二十歳すぎであろう男が、水月にそう声をかけた。

「ぬし殿は? それにここは……?」

 目を覚ましてからだいぶん落ち着いた水月は、身を起こして男に聞いた。

「ここはマンションの俺の部屋。そんで、俺はどうしゅうごういち」

「まんしょん……?」

 聞き慣れぬ言葉に水月は眉をしかめた。いくら幼いころより師と共に旅をしてきた水月といえど、江戸の時代の言葉しかわからない。

「ああ、おまえにゃわかんねぇか。そうだな……長屋が縦に重なってるようなもんだよ」

 どうしゅうと名乗る男が、快活な笑い声を上げた。
 それを聞きながら、水月には疑問が浮かんだ。

「どうしゅう殿、僕の事を知っているのでござるか?」

 水月は、少女としては滑稽といえる口振りで聞いた。ここは三百年のちの世、水月を知る者などいないと考えるのが当然だ。

「そうだな。じゃ、ちょっと説明してやるよ」

 同舟剛一どうしゅうごういちの話では、同舟の家系では水月の事が古くから言い伝えられていたという。
 平成十三年九月十八日の“今日”、三度笠をかぶり、ぶかぶかの紺色の着物を着た、猫の耳と猫の尾を生やした青銀色の髪の少女、水月という少女が江戸の世より現れるのだと。そして剛一には、その少女に現代というものを教える使命があるという。
 その説明を聞いても水月には疑問が残っていたが、立て続けに起こり来る出来事にさすがに考えがまとまらず、今は好意に甘える事にした。

「とりあえず風呂に入れよ。お湯張ってあるから」

 そう言って同舟は、水月に色々な着物を渡してきた。

「これはなんでござるか?」

「着替えだよ。その着物、サイズ……大きさが合ってねぇし、それに江戸時代の男物のままって事は、下着は……だろ?」

 同舟の言葉に、さすがの水月も赤面した。
 その後、見た事の無い着物の着方を教えてもらったのち、風呂場へと案内された。ちなみに、部屋の外へと通じる門は、この時代の言葉で“どあ”というらしい。


「戸の開け方とかわかるな? じゃあ何かあったら言ってくれ」

 同舟はそう言って、“洗面所”から出ていった。
 戸が閉められてから、水月は束ねていた髪をほどき、着ている物を全て脱ぎ落とした。そして、ふと、鏡台のような物が置かれているのに気づいた。鏡を見やった水月を、年若い少女が見返していた。
 水月は鏡台に近づき、その少女を見つめた。一糸まとわぬその少女は、腰ほどまである長い青銀色の髪をしており、人の耳とは別に頭の上に青銀色の猫の耳を生やし、後ろには少女のものとおぼしき青銀色の猫の尾があり、水月が今までに見た女たちの中でも格別に愛しい容貌であった。
 ためしに水月が右手を上げると、鏡の少女はまったく同じに左手を上げた。左手を上げれば、鏡の中の少女は右手を上げた。さらに水月が、頭の上の耳に力を入れてみると、少女の猫の耳がぴくりと動いた。尻の辺りの感覚を操ろうとすると、少女の猫の尾が水月の思いのままに動いた。
 すでに予想のついていた事とはいえ、水月は軽く動揺した。と同時に、自分がこのような愛しい少女となっている事、そしてその裸を見ている事に気恥ずかしさを感じてもいた。

「今はどうしようもないでござるな」

 小さいながらもはっきりとした声で水月は呟き、そこで悩むのをやめた。それは、あきらめ……というより、楽観的な意味合いを持つものであった。
 水月は風呂場へと向き直り、戸を開けて風呂場の中へと入った。
 置かれていたたらいで湯船のお湯をすくい、全身と髪、それに猫の耳と尾に湯を流したのち、湯船に浸かった。
 温かい湯に癒されながら、水月は考えた。
 祝言のためにようやく旅を終えて間もなく、水月の前に現われ、水月を今のような異形の少女とした邪鬼。その邪鬼が時を越え、この三百年のちの世に来いと言った。だが、今この世で、邪鬼の発するまがまがしい“気”を、水月は微塵も感じ取っていない。水月と話をしていた時と同じく、特徴であるその“気”は発せず、人が持つ普通の“気”を発しているのだろう。
 ゆえに、邪鬼を探す手がかりはその人相しかない。だが、邪鬼ほどの術の使い手ならば、姿形を自在に変化させている可能性も十分に考えられる。
 そうならば、水月には邪鬼を探すすべが無い。邪鬼が水月の前に出てくるのを待つ他ないのだ。第一に、本当に邪鬼がこの時代に逃げ込んだのかはわからない。水月をあおっておいて、自分は時を動かずして残ったか。さもなくば、ここではない別の時代に逃げ込んだか。そのような意味では、邪鬼を信用するしかない。
 どちらにしろ、元の時代に戻ったとしても今の水月には帰る場所が無い。今は同舟を頼るしかないのだ。

「邪鬼……か……」

 小鈴がころころと鳴るような声が、風呂場に響き渡った。
 特に意味があって呟いたわけではない。
 ややのぼせ始めていた水月は、上半身を湯船のふちに乗せ、さらに考えた。
 水月は今、かつていた世の三百年のちにいる。
 最初に自分のいた部屋を見渡した時には、わからない物があまりにも多くあった気がした。部屋自体も、自分の知る物とはあまりにも違いすぎる気がした。
 だが、あの同舟の言葉、“長屋が縦に重なったようなもの”という言葉を聞いた時、水月は安心をしたものだ。
 まだ外を見ていない水月には、“縦に重なった”というのがどういう意味かはわからない。それでも“長屋”という聞き慣れた言葉で説明をされ、水月はこの時代が、自分のいた時代と大きく変わっているように見えても、実際には大して変わっていないのだと感じた。
 水月は、現代とは果たしていかなるものかと考えながら、湯船より立ち上がった。長く湯に浸かっていたためにややおぼつかなくなった足取りで、洗面所へと戻った。
 同舟が、“たおる”と言っていた布で体を拭き、水月は同舟の渡した着物に目をやった。
 まずは、“しょおつ”という女性用の淡い桃色の下着を手に取った。尻の部分にはしっかりと尾を出す穴が開いている。“女性用”と聞いて水月の心にひるむものがあったが、これだけは仕方がないと考え、言われた通りにはこうとした。
 しかしその時、水月は自分の股間に在る女のモノを見てしまった。
 春画本などで絵に描いたモノは見た事があっても、本物を見るのは水月は初めてだった。
 動揺しながらも、水月の手はそこへと伸びていった。

「…………ん! みゃっ!?」

 触れた瞬間、落雷よりも激しい衝撃が水月の体を駆け抜けた。思う間もなく、猫のような声も出た。
 激しい動揺ののち水月は、以後、ここには触れないようにする。という決心を立て、“しょおつ”をはいた。
 次に同じ色をした、胸につける、“ぶらじゃあ”というサラシのようなものを手に取った。“ふろんとほっく”という物で着やすいとの事だったが、やや手間取った。大きさがやや合わなく、“ぶらじゃあ”が大きいということが、なぜかわずかに水月を不愉快にさせた。
 今度は、“すかあと”という筒型の布をはいた。薄い黄色に縦縞と横縞の入った模様――“ちぇっく”というらしい――をしており、尾を出す穴は開いてないが、ひざの下ほどまであり、中に尾を隠す事ができた。そして茶色い、“ていしゃつ”という着物を上に着て、最後に、“くつした”という灰色の足袋をはいた。
 髪は束ねる事なく広げたままにした。面倒だったのか、それとも束ねない方が良いと思ったのかは、水月にもはっきりとはわからなかった。
 すべて着終わった水月は、着物への好奇心から鏡の前に立った。
 この着物がどういう物なのかは水月にはわからないが、より愛しく華やかにする物だとだけはわかり、水月の気恥ずかしさはより強いものとなった。
 しばしの間、頬を染め立ち尽くす水月であった。


「絵を動かす……いや、風景を映し出す術でござるか?」

 “てれび”という箱の前で、水月は同舟に聞いた。
 箱の中では不可思議な場所――同舟の話では“合成”と呼ばれる技術らしい――に座った中年の男が、なにやら告げている。
 かと思えばどこかの海が映ったり、巨大ではばたかないおかしな鳥が柱のような建物にぶつかり、爆炎を上げたりもしていた。

「それは術じゃない。機械……カラクリってやつだ」

「カラクリ箱でござるか……」

 術も使わずにこのような面妖な事ができるなど、水月には及ばぬ考えであった。
 その後も同舟は水月に色々と不思議な物を見せてくれた。
 声や様々な音を出す”えむでいらじかせ”。何かはわからないが、様々な事ができるという“ぱそこん”。炎のものではない、白い灯をともす“けいこうとう”。思いのままに“てれび”の中の絵を操る事のできる“ぷれいすてえしょんつう”。眼鏡のようにつけ、中に見える赤い線で描かれた絵を操らなければならない“ばあちゃるぼおい”。
 そのひとつひとつに、水月は驚きの声を上げた。


 同舟が並べた朝御飯は、鶏肉と味噌汁に白米の御飯という豪華な物だった。
 同舟の話では、鶏肉と味噌汁は“いんすたんと”という技術が使われているらしい。何の事かは水月にはわからないが、かつて自分のいた世と大して変わらぬその品々が、そして何より白米が嬉しかった。
 朝御飯を食べ終わってからも、同舟は水月に色々な事を教えてきた。
 符術以外はからきしの水月には、いささかつらい講習であった。果たして水月は、同舟の言った言葉のほとんどを理解できなかったのであった。


「これかぶって、こっちの着とけ」

 昼御飯を食べ終わると、同舟はそう言って帽子と服を水月に渡してきた。
 ふわふわとして淡い黄色をした帽子は、水月の猫の耳をすっぽりと覆い隠す形をし、つんと出た猫の耳を隠す部分のてっぺんには“がらす玉”という赤く透明な石がつけられていた。
 服は白く、“じいじゃん”という羽織る物だった。ぎこちなくも、水月はそでを通した。
 これより水月の服を買いに行くという。
 水月は同舟に連れられ、“すにいかあ”という靴をはいて同舟の家から出た。
 石に囲まれた通路を通り、石の階段を降りて外へと出た時、水月は今まで自分のいた建物を見て驚いた。
 灰色の石でできた巨大な城壁のような物が、かなりの高さまで雄々しくもそびえ立っていたのだ。さらに周りを見渡すと、まったく同じ建物がいくつも立ち並んでいた。
 これほど堅固な建物が立ち並んでいるという事は、これらは何かの砦なのではないかと水月は考えた。そしてその考えを同舟に話すと、声高らかに大笑いされたのであった。
 その後、様々な物を見ては水月は驚かされた。
 中でも天空に届かんばかりにそびえ立った“びる”という建物は、水月を圧倒した。このような建物をいくつも作り出せるほどの知恵と力を、人は身につけたのだと。
 そして水月は、“でぱあと”という建物の中に連れられ、“えれべえたあ”という摩訶不思議な箱に乗り、服を売る場所についた。
 華やかな服が所狭しと飾られており、その中には水月の知る着物もあった。

「よし、こん中から好きなの選べよ」

 同舟に言われ、水月は考えた。癖によって知らずの内に、両の手が互いのそでに差し込まれようとした。だが、今着ている服のそでは肩とひじの間までほどしかなく、いつものような姿勢はとる事はできなかった。行き場を失った両の手が、ふらふらと落ちつきなくゆれた。

「はは、おまえに言ってもわかんねえか。えーと、何がいいか……と」

 そう言って同舟は水月の答えを待たずに、辺りを見回した。だが、水月はすでに決めていた。

「あの着物がいいでござるよ」

 水月が言いながら指を差したのは、かつて水月のいた時の着物とほぼ同じ物だった。

「ありゃ……浴衣だぞ」

 同舟の話では祭り事の時に着る衣装なのだという。だが、水月の希望でその着物を買う事になった。
 水月が選んだのは、白地に花の絵柄が控えめに描かれた浴衣で、これは尾が隠れるように丈の長い、さらに水月にはやや大きい物だ。それにその上に羽織る茶色の広そでも選んだ。二つ共、並んでいた中でできる限り地味な物を選んだのだ。

「それは夏服だな……冬服は俺が選ぶよ」

 そう言う同舟の顔は、いささか疲れた表情をしていた。
 その後に同舟が選んだのは、“ぶらうす”という白い上着に、“すとれえとぱんつ”という黒いはかま。さらに、白い“くつした”を三足に、淡い黄色をした“せえたあ”という上着。最後に尾を隠すための“だっふるこおと”という薄い水色をした外套。“だっふるこおと”は浴衣と同じく、丈が長く、やや大きい物だった。
 そして……。

「じゃこいつの計ってやってください」

 同舟が店の者に言い、水月は狭い部屋の中で、裸にされた胸になにやら板のような布のような物を巻きつけられた。“さいず”という胸の大きさを計ったのだという。
 それが終わると、“ぶらじゃあ”と“しょおつ”を、どちらも淡い色の物を白色、青色、桃色と三枚ずつ同舟が選んだ。店の者に、“ぶらじゃあ”を試しにつけさせられたのだが、今度の物は大きさがちょうどよく、不愉快にはならなかった。

「それじゃ、レジ……勘定を払いに行くか」

 同舟がそう言った時、水月は、はたと気づいた。
 水月が持っている金はあまりにも乏しく、しかも風呂に入る前に脱いだ着物のたもとに符と共に入れたままであった。いや、そもそも水月の時代の金は通用しないだろう。
 その事を同舟に話すと、同舟は笑って、勘定は気にしないでいいと言った。

「かたじけないでござる……。この礼は必ず……」

「なあに、その内、水月にはやってもらう事がある。その時にがんばってくれりゃいいさ」

 同舟の先ほどからの異様なほどの親切に、水月は同舟の家で、どのように自分の事が伝えられているのか不思議に思った。
 同舟の言った“やってもらう事”とは何か? 邪鬼に関わる事であろうか? それとも、何か別の話なのだろうか? 水月は同舟の家に戻る道で、風景を見る事も忘れ、行き場のない手をゆらしながら考えたのであった。


 その夜、水月は疑問に思っていた“やってもらう事”や、邪鬼について同舟に尋ねた。

「今はまだ話す時じゃない。そうだな……おまえがこの現代にあるていど慣れるころ……二週間後に話そう」

 同舟はそう答えた。
 その夜、水月は同舟の言葉について考え、とても眠れたものではなかった。


 明くる日の朝、水月は前日に買った服を同舟に渡された。
 見ると、三枚の“しょおつ”と、“すとれえとばんつ”の後ろには、尾が出せるよう綺麗に穴が開けられていた。
 水月は浴衣と広そでに着替えた。浴衣は水月には大きく、手を伸ばしてもそでの中に手が隠れるありさまだった。そでの広さを確認した水月は、おもむろに右の手を左のそでに、左の手を右のそでに差し入れ、手と腕がすっぽりと隠れるのを見て満足し、思わず無邪気な笑みをこぼしたのであった。
 この日から水月は様々な事を同舟に教えられた。だが……。
 “自動車”という、からくりによって動く、人を運ぶ乗り物。“こんぴゅうたあ”とは、人の代わりに考える事のできるからくり。
 “電話”、遠くの者と距離変わらずして会話する事のできるからくり。“時計”、異国の数字にて、時を現すからくり。
 水月には、これだけの物をこのように理解する事が精一杯であった。
 他にも、同舟は“漫画”という滑稽本や、“映画”という劇芝居、“あにめ”という絵芝居について熱心に教えてきた。

「こういう空想の突飛な話を見聞きしてりゃ、色んなパラレルワールド……あまたの世ってのに行っても、ある程度は大丈夫だろ」

 同舟は水月にそれらを見せながら、そんな事を言ったものだ。
 この言葉でも水月は、同舟がどれだけ自分と邪鬼の事を知っているか気になったが、すべては先の話として、その時を待った。
 同舟と共に現代を学びながら、飛び去る矢のごとく日々はすぎていった……。


 そして、水月の現代への戸惑いが薄れてきたころ、約束の日が訪れた。

「ラッキーだ、今日もとってない新聞が入ってた」

 朝、いつも通り玄関から上機嫌で戻ってくる同舟を、水月は座して待っていた。

「同舟殿、そろそろ話してくれないでござるか?」

 水月が問うと、戻ってきた同舟は顔を曇らせた。

「そうか……今日で二週間か。よし、それじゃあ旅支度をしてから外に来い。俺は先に待ってるからな」

 そう言って同舟はそのまま玄関へと引き返し、外へと出ていった。
 旅支度……という言葉に、水月はこの生活が終わるのだと感じ、やや寂しいような気持ちに捕らわれた。だが、ようやく邪鬼の手がかりを得られるかも知れないと考え、急いで旅支度をした。
 同舟よりもらった“りゅっく”という、水月の体の半分ほどの大きさの物入れの中に、大きさの合わない“ぶらじゃあ”以外の、同舟に助けられた時にもらった服や、今着ている浴衣と広そで以外の、“でぱあと”で買った服を入れた。
 次に白い紙を洋ばさみで切って作っておいた符を、浴衣のそでのたもとに入れた。
 そして、猫の耳を隠すための帽子をかぶり、“りゅっく”を背負い、三度笠を小脇に抱えて、素足に“すにいかあ”をはき外に出た。


「来たか……」

 “まんしょん”の外に出ると、すぐに同舟に会った。
 水月が問うまでもなく、ゆるゆると同舟は語りだした。

「まず最初に言っておかねばならん事は、同舟家など、そこに伝わる言い伝えなどは嘘だ」

 その言葉に水月は驚いた。そして、それならばなぜ自分の事を知っているのだと考えた。いくつもの推測が浮かび、その中には到底考えたくない事もあった。
 同舟はさらに語った。

「おまえに現代を教えたのは、すべて俺の判断だ。これからあまたの世さえ旅して行くおまえが少しでも世を理解できるために」

 そう語る同舟からは、みるみると今までと違う“気”が放たれていた。
 それを感じ取りながら、水月は自分の考えが間違いである事を祈り、同舟に問うべく口を開いた。

「同舟殿……ぬし殿は……?」

「おや……俺の事を……」

 同舟の体が黒い光の中で、その形をわずかに変えていった。
 短い髪はどんどんと伸びていき、“ていしゃつ”と“じいぱん”は一つの黒い着物となった。やがて闇を放つ光が消えた。
 すっかりと同舟の面影を無くした、その黒い男は……。

「お忘れですか……水月様……?」

「やはり! 邪鬼にゃっ! ……くう!」

 自分のふざけた口調に腹を立てながらも、水月はたもとより符を取り出し、かざした。

「飛炎、在れ!」

 言葉と共に符は破れとび、同時に発生した炎が邪鬼へと伸びた。
 しかし過去の雷撃と同じく、邪鬼の目の前に達した炎は球形の壁にさえぎられたかのように消滅した。
 邪鬼はそれに構う素振りも見せずに、宙へと浮き上がって水月を見下ろしてきた。

「それでは水月様……憶えておいででしょうか……残りの決まり事をお伝えします……」

 邪鬼を目の前にして、またも水月は恐怖で動けないでいた。この邪鬼には、自分の知るどの術も通用しないのではないか、と。

「ひとつ……今の水月様は非常に愛しくおいでです……。ですので……水月様のお体を別のものとする術……あるいは別のものに見せかける術は通用しません……。いえ……術に限らずそのような効果のあるものは……いかなるものとて水月様を今の愛しい者から変貌させる事はできません……」

 邪鬼の言う事に、水月は思い当たる事があった。一度、この体に“男化”という、性を男に変える術を使ったが、水月の体は寸分も変化する事はなかった。

「ふたつ……水月様は……昔と同じ体に変化したいと思っておられるようです……。ですので……昔の体に変化するただひとつの方法をお教えしましょう……。水月様の術を使い……千に千を千の回数かけた数だけ男を女に変化させれば……水月様は昔の体に変化できます……。ただし……女を男に変化させれば……その分だけ差し引かれ……また……水月様が女に変化させた者が……別の者に男に変化させられた場合も……同じように差し引かれます……。さらに……水月様が使う……女を男へと変化させる術は……使うと余計な効果がでるようになっております……。くれぐれもお気をつけください……」

 水月は邪鬼の話をただじっと聞くしかできない自分にいらだっていた。何をしても無駄だという思いが、水月を凍りつかせていた。

「ふふふ……それでは私は失礼します……。かくれんぼを再開いたしましょう……。これからは行き先を告げません……。あまたの世……悠久の時……どこに隠れたか……水月様は鬼となって私をさがしてください……」

 邪鬼の体が黒い霧に包まれ始めたのを見て、水月は慌てて符を取り出した。だが、水月が符を手にした時には、邪鬼は次の言葉を残し、気配と共にかき消えた。

「それでは水月様……このまま去るのでは無礼になります……。このレッドドラゴンとお遊びください……」

 邪鬼と入れ替わりに、黒く大きな卵と祓い棒を持った小鬼が現れた。
 小鬼が呪文を唱えながら卵の周りを回り始める。水月はどう動いていいのかわからず、その様子をじっと見ていた。
 “れっどどらごん”? “どらごん”という言葉に聞き覚えはあるが、どんな物かは思い出せなかった。それよりも、またも邪鬼を逃がしたという思いに水月はさいなまれていた。
 そして、小鬼が呪文を唱え終わり、いずこともなく去っていくと、たちまち卵にひびが走り始めた。
 突如、大地をゆるがす雄叫びと共に、卵が割れて、赤く巨大な、見た事もない獣が飛びだした。
 とかげに翼が生えたようなその獣は、天高く飛び上がり巨大な翼をばたつかせた。その途端、信じられないほどの突風が水月を吹き飛ばした。
 水月が常に無意識で張る結界も、風や雨、それに暑さ寒さは防げない。空中で小さな体でもがきながらも、水月はしっかりと一枚の符を手にした。

「空遊、在れ!」

 符が破れとぶと同時に、風に遊ばれながらも水月は空中を自在に飛び回り始めた。
 空中で姿勢を正し、巨大な獣へと向き直る。水月をその巨大な瞳で睨んでくると、獣は翼の動きをゆるやかなものにした。

『好機』

 そう思うと同時に水月は新たに符を取り出した。

「天雷、在れ!」

 たちまち雷撃が獣へと伸びる。ほどなくして獣に達したそれは、蒼い帯となって獣の体を這い、獣に苦しげな叫びを上げさせた。
 雷撃が通用するとわかった水月がもう一枚符を取り出す。だが、その間に獣が口を大きく開き、赤く光るどろどろとした液を、溶岩を吐き出した。
 獣が放った溶岩が水月の体に降りそそぎ、思わず手にしていた三度笠を突きだし自分の体をかばった。水月の無意識の結界が、水月と三度笠を熱から守った。だが、空中で放たれた溶岩は火の雨となって地上に降りそそいだ。
 地上より上げられた悲鳴が水月の四つの耳に届いた。いくらか余裕のある悲鳴だったので大事はないようだが、これ以上手間取れば、関係の無い者にまでこの獣は害をなすだろう。それだけは防がなければと、水月は手にしていた符に念を込める。

「天雷……在れ!」

 先ほどよりも激しい雷撃が、またも動きを止めていた獣を打った。

「コケーーーーーー!」

 勇ましい外見にも関わらず、先ほどまでの雄叫びとはまったく違った、情けない断末魔の叫びを上げた獣は、あばれながら体を縮ませてゆき、最後には消滅した。

「やった……でござるな……」

 口ではそう安堵をもらした水月だが、心では激しく後悔していた。邪鬼を目の前にして、またも何もできなかった事を。
 がむしゃらにでも打って出ればよかったのではないか? だが、まさしくは後悔である。今さらそう考えて何になるというのか。
 自分へのいらだちからあせりを生んだ水月は、空中に浮いたまますぐに符を取り出した。

『邪鬼の口振りから、時をうつるだけでは奴は見つかるまい。お師様、申し訳ありません……。あまたの世への門……開かせて頂きます』

「現世門…………在れ!」




 かくして……時をさまよい世をうつろう、長き旅路に通ずる門を、一人孤独の野良猫が、仇敵討つべく、開き、通ったのであった……。




あとがき

 というわけで第二話でした。お楽しみ頂けたでしょうか? 時代調の展開を期待してくださったみなさん、すみません。それとは別に、ちょっと細かい描写が足りなかったかも知れません。まったくだ、描写が荒い、と思ったかたがおりましたらお知らせください。それでは、読んでくださってありがとうございました。よければ御感想もお寄せください。ところで……邪鬼が召喚したのはどういう所のレッドドラゴン(というか卵……エッグですね)か、わかるかたいますか?


戻る

□ 感想はこちらに □