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坂道

作:ふらっと




 この坂道を登り詰めたら、君が住む町が見える。
 3年前、僕が逃げるようにして去ったこの町。学校から図書館の前、そして花屋を通り僕の住んでいた家の前へと続く、この坂。つぼみをつけ始めている立派な桜並木もあの日のままだ。
 僕は立ち止まり、坂を見上げた。3年前は見るのも嫌だったこの道が、今は甘酸っぱい思いと共に妙に懐かしい。
 僕は感慨にふけりながら少し急な坂道を登る。あの頃は毎日通っていた、道。よく立ち読みをしていたあの本屋さんはつぶれ、代わりに喫茶店が出来ている。あ、あの花屋さんはそのままだ。

「手みやげも無しってのは、変だよね」

 一人呟くと、僕は花屋さんへと入っていった。

「あの……すみません、何か、贈り物に出来るような花、貰えますか?」

 店に入り、店員に声を掛けた。若い、僕とそう変わらなさそうな女の子だ。黒地の飾り気の無いエプロンをつけ、懸命に花の世話をしている。

「え……と、どんな贈り物です?」

 女の子はくるっと振り向いた。明るそうな子だな。少し長めの髪を後ろで束ねている。あれ? この、顔……?

「もしかして、由香里?」
「え? た、健史君?」

 お互いに驚いた顔。まさか、こんなところでいきなり会うとは。

「どうしちゃったのよ? 突然。えっと、3年ぶりくらいになるのかな?」
「あ、うん。中学卒業以来だから、そのくらいかな? ここで働いてるの?」
「学校が始まるまでのバイトだけどね。由香里って、花が好きだったでしょ? ちょうど良いかなって思ってね」
「そう……かな?」

 ちょっとぎこちない挨拶。3年ぶりの再会なんだから、しょうがないか。久しぶりに見た彼女の顔は、仕事をしている姿のためか、中学生だった頃よりも大人びていて、僕の眼には眩しく映る。

「あれ? お友達かい?」

 奥から男性が一人、でてきた。

「あ、店長。ええ、中学校の時に引っ越した、友達……です。あの……」
「いいよ、今日はあがりにしちゃいなさい。久しぶりに会った友達だろ? ゆっくりするといい。今日は客も来なさそうだしな」
「ありがとうございます」

 彼女は頭を下げると、店の奥に引っ込んでいった。店長らしき人は優しく笑った。いい人そうだな。花に囲まれて、こんなところで働いている彼女が、ちょっとだけ羨ましくなった。
 再び現れた彼女はエプロンを外し、ハンドバックを提げていた。トレーナーにジーンズという、ラフな格好。さっきまで作業着を兼ねていたのだから、当たり前か。

「じゃ、行こっか」
「どこに?」
「歩きながら決める!」

 そう言うと、彼女は僕の手を引っ張り、店の外へと連れて行く。外に出て、坂道を上り始めても僕の手を握ったまま。恥ずかしくないのかな?









 僕はあの頃、この町に住む普通の中学生だった。学校に通い、友達と遊び、勉強をし、恋をした。相手は同じクラスの子。僕の方から告白し、相手にOKをもらい、晴れてつきあい始めた。
 つきあうって言っても、中学生同士。キスはおろか、お互いの手を握ることもためらうような、うぶな関係。それでも毎日一緒に登下校し、この坂を並んで歩くだけで幸せだった。そんなある日……。
 坂の頂上で、夕暮れの町並みを見下ろしながら、二人の間にいつにないムードが高まっていた。顔と顔が近づく。初めての、キス。まさに唇が触れようとしたその瞬間。
 目をつむっていたため、足下がおろそかになっていたのかもしれない。不意にバランスを崩した僕は転がっていた空き缶につまずき、思いっきり転んだ。成り立ての恋人はそんな僕を支えようとして支えきれず、2人で豪快に転がってしまった。
 急な坂道で転んでしまった僕たちはそのまま、坂の下まで落ちていった。何度もお互いに頭をぶつけ、目から火花が飛び散り、それでもお互いの手を握りしめていた。やっと体が止まったとき、僕は恋人の姿を見て、気付いた。

 目の前に、『僕』の姿をした人が座っていること。女子中学生だった『僕』が男子の制服を着ていること。そして、『僕』の身体が明らかに以前とは違っていること。

 そう、坂道を転げ落ちたショックか、頭をぶつけ合ったせいかはわからないけど、僕たちの心と体はその時、入れ替わってしまっていたのだった。

 その後、同じ事を何度も試してみたものの、入れ替わりは二度と起こらず、二人とも生傷が増えていくだけだった。
 いつからかお互いに顔を合わせなくなり──他人が入っている自分の顔を見るのが、耐えられなかったのだ──中学を卒業する年、僕は父親の仕事の都合でこの町から引っ越していくことになった。
 引っ越し先は、遠かった。遠かったと言っても、来ようと思えば来れない距離ではない。しかし、この町を、この坂を、そして自分の顔を見るのが怖くて、僕は連絡を取ることすらしなかった。

 でも……。









「背、伸びたね」

 並んで歩きながら、彼女は言った。手はつないだまま。まるであの日が戻ってきたかのようだ。

「そうかな? 由香里が小さいだけじゃない?」

 そう言いながら、僕は確かにお互いの間に3年の月日が流れていることを実感していた。あの頃はそう変わらなかった身長差が、今は10センチ以上ある。握った彼女の手も、記憶にある物よりずっと小さい。
 いや……。入れ替わってから、お互いの手を握ったのは初めてかな? 男の僕の手で握れば、小さく感じるのも当たり前か。

「ひどいなぁ。あたしは変わってないよ。健史君が大きくなったんでしょ?」

 ・・・変わってなくなんかない。ずっと綺麗になっている。トレーナーを持ち上げる胸の膨らみも、『僕』だったころよりも大きくなっているんじゃないかな? まぁ、確認するわけにはいかないけど。

「それで、どうしたの? 突然帰ってきて。」
「由香里の顔が見たくなったって言ったら、信じる?」
「元の自分の顔を? あり得なくもないけど、違うでしょ?」
「なんでさ」
「だったら連絡くらいするでしょ? あんな偶然みたいな出会い方、するわけないよ」

 うん、理論的だ。流石に数学が得意だっただけのことはある。元の『あたし』とはえらい違いだ。

「まぁ、道々話すよ。それより、さ」

 僕は隣を歩く彼女を見下ろした。少し息を切らしている。僕のペースで歩いていたからな。彼女のペースに歩調を揃えると、僕は続けた。

「ずいぶん女の子らしくなったね。前とは別人みたいだよ」
「そりゃそうよ。3年よ、3年。女の子らしくしなきゃ、お母さんとかもうるさいし。がさつにしていたら、もしも元に戻ったとき、あなたが困るでしょ?」
「お母さん……。元気にしてる? お父さんも」
「大丈夫よ。病気らしい病気、一つもしてない。ウチのは?」
「まぁ、元気かな? お父さん、最近老眼が進んでるみたいだけど」
「そっか。懐かしいな、お父さんか」

 それきり彼女は黙ってしまった。いろいろと思うところはあるのだろう。もう、親子としては顔を会わすことのできない両親。僕にもその気持ちは痛いほど分かる。
 そうこうするうち、僕たちは坂の頂上までたどり着いた。

「変わらないな、この眺め」

 僕は眼下に広がる町並みを見下ろした。頂上はちょっとした展望台になっており、小さな町は坂を挟んで二分されているため、頂上に立つと町並みを一望に出来る。ここに住んでいた頃、僕はこの眺めが好きで、よくここに立って飽きもせずに見渡していた。

「自分の家、覚えてる?」
「どっちの?」
「由香里の家」
「あれだろ? あの、赤い屋根。あれ? 健史の家は……?」
「うん、無いよ。マンションになっちゃってる」
「そっか。変わらないって思ってたけど、変わってるんだね。少しずつだけど」
「そうだね。毎日見てると、気付かないんだけどね」
「毎日?」
「うん。この姿でここから町を眺めてると、健史と由香里の二人でいるような気がしてくるんだ。3年間のあたしの日課の一つ」
「そっか。日課って他にもあるの?」
「うん。ゴミ拾い」
「え?」
「この坂のゴミ拾い。空き缶とか転がってたら、困る人がまたでてくるでしょ?」
「そ、そっか。あはは」

 僕は笑い出した。起こるかどうかわからない事故に備え、誰ともしれない相手に気遣う彼女の優しさ。彼女がそんな優しい子になっていることを知って、妙に嬉しく、そして楽しくなってしまったのだった。お腹を抑えながら笑う僕の姿を、彼女は少しふてくされた目で睨んでいた。

「あ〜〜、笑った、笑った」
「そんなに笑うこと、ないじゃない。傷つくなぁ」
「いや、良いことだと思うよ、うん。でも、あの健史君がその姿で花屋でバイトして、朝晩ゴミ拾いまでしてるなんて……可愛すぎて」
「由香里だったらそうするんじゃないかなって思っただけよ。違う?」

 う〜ん、そうかな? 『僕』が『あたし』のままだったとしたら、そこまでしたかな?
 しないだろうな、多分。そう思うと、『僕』よりも今の彼女の方が女の子らしいということになるのかな?

「それで? ここまであたしを笑いに来たの?」

 ふてくされたまま、彼女は訊ねた。はは、拗ねてる。可愛いなぁ。

「違うよ。実は、さ」

 僕は町並みに見える、大きな建物を指さしながら言った。

「この春から、あそこに通うことになったんだ」

 その建物は、私立大学の校舎だ。本校はもっと大きな街にあるのだが、僕の通うことになる学部は、この町に校舎がある。

「え? そうなんだ。でも、健史君の家って……」
「通うとしたら、ここから片道で3時間くらいかかるかな。だから、下宿しようと思って、アパート探し。由香里にも挨拶はしようと思ってたけどね」
「ついでに?」
「違うよ。まず最初に行こうと思ってた。だから花を買おうとしたんだよ」
「ふぅん。まぁ、そういうことにしとこっか」

 ・・・信じてないな、こいつ。

「でも、優秀なんだね、健史君。『俺』だった頃とは違うな」
「そんなことないよ。健史が何をやりたいか、それを考えていたら勉強がはかどっただけさ」
「『俺』が?」
「うん。健史君、車好きだったろ? だから、工学部の動力機械学科。一日中エンジンとかの勉強をするとこ。いいだろ?」
「車は好きだったけど……そこまでする気はなかったのに」
「え? そうなの?」
「そりゃそうよ。でも、健史君もそう考えたんだ」
「由香里は? 何やってるの?」
「この春から、保母の短大」
「え? それって?」
「うん。由香里、子供好きだったでしょ?」
「好きって言っても……保母になるなんて……」

 僕たちはどちらからともなく笑った。はは、お互いに深読みのしすぎ、か。ちゃんと話していれば違っていたかもしれないのにな。
 まぁ、連絡を取ろうともしなかったのだから、しょうがない。それに僕も今では車とか好きだしな。きっと……由香里も、子供が好きになっているのだろう。
 ひとしきり笑い合った後、由香里は切り出した。

「アパートを探すって……見つかったの?」
「いや、まだ。あのさ、それで……」
「ウチのお父さんに会いたいんでしょ?」
「うん、まあ、そういうこと」

 由香里のお父さんは、アパートの大家をしている。なにせ、元は自分の親だ。そのことは僕が一番よく知っている。
 いや……違うかな? 今の『お父さん』の事は、今の『由香里』の方がよく知っているのかも。

「うん、いいよ。あたしの友達って言えば、貸してくれると思う。確か、空きもあったはずだし」
「助かるよ。いきなりアパートを借りるって言ってもよくわからなくてさ」
「でもそれって、結局あたしはついでってことじゃない」
「そ、そんなことないよ。どっちかって言うと、アパートがついで。それに、ホントに重要な用事は他にあるんだから」
「なに? その、重要な用事って。あたしに手伝えること?」
「と言うより、由香里が居ないとどうにもならないこと、かな?」
「え? なによ、それって」

 僕は大きく深呼吸した。18年の人生で、二度目の経験。男としては初めて。う〜ん、やっぱり、緊張するな。
 僕は正面からまっすぐに由香里の目を見ながら、はっきりと言った。

「この春から、お世話になる健史と言う者です。由香里さん、好きです。付き合ってください」

 見る見る由香里の顔が真っ赤に染まっていく。はは、完全に不意打ちだったのかな?

「3年間、ずっと想ってきました。今日、久しぶりに会ってみて確信しました。自分の身体だからとかそう言うんじゃなくて、今の、君の心が入っている由香里が好きです」

 僕の顔も真っ赤になってるんだろうな、うん。自分でもわかる。
 あまりにもストレートな、告白。3年とちょっと前、『あたし』がしたのとほとんど同じ内容。もちろん、その時は身体がどうこうなんて言ってないけど。あの時は、『健史』は小さく頷いて、一言だけ言ってくれた。

「あたしでよかったら」

 由香里は、小さく頷いて、そう言った。やっぱり、あの時とほとんど……一人称が違うだけの、同じセリフ。はは、僕も由香里も、根本的なところでは何も変わっていないらしい。

「良かった……。断られたら、どうしようかと思った。これから4年間、大家の娘と気まずいのもなんだし」
「それって、やっぱりついでってことなんじゃない?」
「そうじゃないよっ。3年間、由香里以外の子は好きになれなかったんだ。僕が好きになれるのは、由香里しかいないって離れてみて思い知ったんだ」
「消去法であたしのことを選んだんだ?」
「ああっ、もうっ、そうじゃないったらっ」

 由香里はクスクス笑いながら僕を見つめている。からかってるな、こいつ。

「わかってるよ。あたしもそうだもん。健史君以外、好きになれそうにない。でも……一つだけ、条件があるの」
「なに? その、条件って」
「あの日……入れ替わった日の、続きをしたいの。しておかないと、あたしたち、いつまでも先に進めない……そんな気がするの」

 入れ替わった日……。

「ダメ、かな? そうだよね、順番、逆だもんね」

 由香里の顔が、更に赤くなる。まだお昼前だというのに、夕暮れに染まったかのような、赤い顔。あの日の『あたし』もそんな顔をしていたのだろうか。

「逆とか何とか気にしていたら、僕たちの関係は自体が成り立たないさ。……いい?」

 由香里は瞼を閉じ、僕は少しかがみこんだ。正面から向き合っていた二人の顔が、徐々に近づいて行く。

 そして……。










あとがき

うわぁぁぁぁ、こっ恥ずかしいっっっ。

ども、ふらっとです。
ははは、先日のオフ会で猫野さんに刺激され、ハートフル路線を突っ走ってみたら……とんでもなく恥ずかしいモノを書き上げてしまいました。
いや、私には無理そうです。ハートフルは。純愛にしかなってませんな。




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