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いえす あい うぃる

 作:猫野 丸太丸




 セーラー服に着がえた俺がリビングルームに入ったとき、母さんと姉貴はぴったりと並んで、ぺちゃくちゃしゃべりながら朝のしたくをしていた。
「暑苦しいね。おはよう」
 俺はそう言い放ってテーブルに座った。おしゃべりの邪魔をするようにテレビの音量を上げる。ニュースキャスターがふたり、不自然な笑顔で暗いニュースを読み上げていた。
「ちょっと。暑苦しいとはなによぉ」
 姉貴が俺の向かいに座って、両手を組んだ上にあごを乗せて、じっとこっちの顔を見つめた。
「そういう態度が暑苦しいんだろうがよ。気持ち悪い」
 俺は彼女の右腕を叩いて、そのポーズをやめさせた。姉貴が仕返しに俺の手をつかんだので、ふたりは腕の引っぱりあいになる。そのすきに、野沢菜を刻み終わった母さんが後ろから俺の肩を揉(も)んできた。
「そういう義輝くんは、ほんと、かわいいわねぇ」
 ぞわぞわっ。
「止めろ、へんたい」
「ねえ、いじわる言わないですこしは手伝ってよ」
 俺はふり向いた。
「男女平等。俺はいまの生活を変える気はない」
「ひどいわひどいわ、お母さん泣いちゃう」
 母さんは服の袖で目蓋をこすった。母さんは最近、エプロンするのを止めてしまった。今は毎朝、寿司屋の割烹着みたいなのを着ている。まったく、カタチから入る人だから。
「へい、お待ちぃ」
 母さんが冷やご飯にお茶をかけた。
「いただきます」
 俺は急いで茶漬けをかき込んだ。姉貴がにらみつけてきたので、しかたなく脇を締めた。野沢菜をポリポリ噛む。あ、母さん、青じそをいっしょに刻んだな。
「ねえ、母さん、みてみて。ここんとこ、ちゃんと剃れたかなあ」
 姉貴があごの先を突き出して見せた。母さんがそっと触れる。
「気にしすぎよ、ほら、何回もあたったから血が出てるじゃない」
「ほんと? うう、それなのにこのざらざら感が取れなーい」
 姉貴が両頬をこすり、俺はため息をついた。
 ついこないだから、我が家はずっとこうだった。いや、全世界がきっと、こんな感じだろう。

 一九九九年七の月。

 ある日突然いっせいに、すべての女性が男性化した。

 これでは子供が産まれない。誰にでも分かる理屈で、人類は九九パーセント確実に、ゆっくりとした滅亡を約束されたわけだ。ノストラダムスめ、味なことをする。

 滅びる前に精神が参ってしまいそうだ。

 …………ひげぇ。
 

 俺は姉貴といっしょに家を出た。
「あんた、ちゃんと言われたとおりの付けかたしてるでしょうね」
「ったりまえだろ、」
「こないだみたいに途中でずり落ちても知らないよ」
 姉貴がブラウス越しに、俺の背中のブラジャーのひもを引っ張った。俺の胸に、きゅっと張力が伝わる。
「そういうことは外で止めろっ」
 俺が振り払ったら、頭に乗せたかつらがずれた。もともとスポーツ刈りだった髪が伸びるまで付けているようにと、母さんがむりやりかぶせているのだ。
「こんなやつらに見せるためにあれこれ努力する必要があるのかよ」
 道すがら、通りすがる男たちはみんな俺のことを見た。俺の付け髪、俺の胸、俺の足、全身を視線でなめまわしているのだ。とくに「もと女」たちの遠慮ない目つきに、俺は食傷ぎみである。
「なあ姉貴。……こいつら怖い」
「だぁいじょうぶ。あたしがついてるから」
 姉貴が一歩、俺の前に出た。
「足の毛だって剃らないほうが良かったんじゃないか?」
「女の子がそんなことじゃ、みっともないでしょ」
 姉貴と母さんは男になったあとも、毎日のように風呂場で手足のむだ毛を剃っていた。このごろは嫌がる俺のパジャマまで無理やりまくり上げて、すね毛とわき毛を剃ってしまうのだ。
 まあたしかにわき毛はだめだな、夏だし。俺はセーラー服の腕を持ちあげてみた。袖口から、かんたんにわきの下が透けて見えてしまうのだ。そのポーズを見つけてなにか感じたか、
「おはよう、義輝ちゃん。いいねっ、フェロモンたっぷりだねっ」
 友人の久里のやつが声をかけてきた。そのまままっすぐ近づいてきて、俺の髪の匂いを嗅いでため息をつきやがる。このご時世になっても、のんきな男だ。
「……もと男の色気がいいのか、おまえは」
「も、最高だよっ、義輝くん。きみの愛らしさに、世界中の男どもはめろめろさっ。うらやましいね」
「そんなこと言うなら、おまえが代わりに女になってくれ」
「やだよーん」

 そう、そうなのだ。

 世界中の女性が男性化した一方で、もとから男だった者はどうしたか? みんな逆に女になってしまったのか? いや、全員無事だったのだ。

 ただひとり、俺をのぞいて。

 あの日、俺は男のなかでひとりだけ性転換して、たちまち身体が女子高生になってしまったのだ。なぜ俺だけが? その理由は分からない。分かっているのは、

 俺が、世界でたったひとりの女の子だということである。

 もしかして、いまの俺って、人類最後の希望だったりする?

 いちじゅうひゃくせん、まんっ!
 

 ふむ。学校ではさすがにみんな俺の雄姿(雌姿?)にも見飽きたのか、ふつうの女子生徒を相手してるみたいに接してくれるようになった。俺はえいっ、と気合いを入れて教室に入った。
「おはよー」
 委員長が声をかけてきた。あれ以来もと女子生徒の半数が休んでいるクラスで、彼女(彼)はつとめて明るく振る舞っている。
「おはよう!」
 俺は身長一八〇センチを越えるその素敵な男の子を見上げた。委員長め、もともとかわいかったくせに男になってもじつに美男子で、まったく、世の中は不公平だねぇ。
「登校ご苦労さま。ほら、リラックスして」
 委員長が肩を揉んできた。今朝の母さんといっしょだ。「もと女」は柔らかい肌に未練があるらしく、学校でもよく俺の身体にぺたぺたと触ってくるのだ。
「まー実際、肩がこるねえ、この格好は」
「そんなこと言ってると、早く老けちゃうよ。だいじょうぶ、校内での義輝くんの身の安全はあたしたちが守るから」
「そういうこと。俺たちに任しとけぇ」
 久里と委員長がふたり並んで、にこやかにうなずいた。スケベとオカマの護衛つきか、ありがたいもんだ。

 体育の時間、俺はこのふたりが外で見張る更衣室で、ひとりでジャージに着替えた。どんなに暑苦しくてもブルマは論外、短パンだって履く気はない。
「うっし」
 鏡の前で姉貴に教わったとおり、ヘアピンと輪ゴムでかつらをうまく固定すると、俺は運動場へ乗り出した。ほんとはここぞとばかりに
「あたし、あの日なんですぅ」
とか言って休みたかったのだが。姉貴に
「身体動かしとかないと太るよ」
と言われたから、それは大変だと思い直したのだ。俺の今の体重は四五キロ、バストは七五センチ、ウエストは五五センチ、ヒップは七八センチ。できればこのまま、このボディーを保ちたい。
 体育教師は、俺がみなといっしょにできるだろう競技としてソフトボールを選んだ。俺は外野でのんびり構える。走るときのコンパスの差には、わりと早く慣れた。俺が打球めがけて走り、つい調子に乗ってダイビングキャッチなんかすると、クラス中から歓声が上がる。どうも、教室の窓からも俺を見ているようだ。
 俺はセンターの久里と談笑する。
「あんなところから俺のジャージ姿を眺めたって、見た目が男と変わんないだろうが」
「そこはかとなく胸がふくらんでるのがいいみたいよ」
「そんなもんかねー」
「義輝だって、けいけんあるっしょ」
 たしかに、伸び上がったときに体操服の裾からおへそが見えたら。それだけで、幸せになれるやつも、いるのかもしれない。
「おら、行ったぞーっ!」
 よそ見をしている間に、打球がライトへ飛んできていた。え。やばい、当たる? 次の瞬間、久里が走り込んで俺の鼻先で捕球した。
「あ、ありがと」
「いぇーいっ」
 そのまま俺にもたれかかり、軽くきゅっと抱きしめる久里。
「おまえっ、なにすんだよ」
「不可抗力、ふーかこうりょく」
 返球し終わった久里は、俺を見てにやっと笑った。内野から「ふざけてるなぁ」と叫び声。このとき俺が真っ赤になっていたと、久里はその日しつこく皆に言いふらした。

 英語の時間は、女性教師がいまだに休んでいるため、視聴覚室での洋画鑑賞となっていた。今日は前回の続きで、「第三の男」のクライマックスだ。ヒロインが主人公に訣別を告げる場面で、ぞわぞわするクラス内。ラストの冷たく歩み去るシーンでは、ため息をつく奴が続出だった。
 実際、みんな女性のヴィジュアルに飢えているのだ。テレビからも街角からも、花のような彼女たちの姿は消えた。ビデオ店からは、AVソフトに限らずすべての作品が一週間で貸し出しつくされた。俺は、みんなが画面に集中しているのをいいことに、そっと自分の胸に触ってみた。ブラウス越しに肋骨からゆっくりと指を滑らせて、胸の丸みを指先で追う。
 この柔らかさをいますぐにでも取り戻したいやつが、少なくとも六十億人はいるんだろうなあ。俺自身ですら、この感触には気持ちよさを感じてしまう。俺は自分を触りながら、スクリーンの女優の胸を思い浮かべる。ムラムラはもうしない、ただ触る気持ちも、触られる気持ちも、痛いほど分かってしまうもんだ。
 しっかし、この話の主人公も、ほんとに情けない男だよな。……情けないだけに、男としては彼のこころがよく分かってしまう。嫌いじゃないからこそ、ヒロインがやつの顔を見たくもないのも本当。主人公の未練たらたらも本当。
 はあ、素直に楽しめなくなっちゃったな、俺。

 放課後、おれは委員長に呼び出された。こないだの選挙で就任したばかりだってのに、生徒会室はすっかり委員長たちの私室になっていた。
「おいおい、さっそく男並みに散らかしてるよ」
「んー、なんかね。視線が高くなると細かなところに目がいかなくなるってゆうか」
「うそつけ」
 俺は雑誌やらなにやらをかき分けて、椅子に座った。
「部屋の掃除をさせに呼んだんじゃねえだろうな」
「まさか。もっと重要なこと」
 委員長は俺が注いだマグカップの麦茶を飲んだ。
「きみ、ちょっと不用心すぎるよ」
「は? なにが」
「視聴覚室でよ。きみってば人前で自分の胸を揉んでたでしょ? そんなとこ男子に見つかったら欲情されてさ、その、ひどい目に遭わされてたかもよ」
「なんだよ、授業中ずっと俺をチェックしてたのか、委員長」
 委員長は言いよどんだ。
「だって、義輝くんてば自覚がなさすぎるんだもん。スキを作ったらだめじゃない」
「そういう考え方するんだな。痴漢に遭うのはやられたほうが誘惑するからだって?」
 俺は髪をかき上げて、ため息をついた。
「べつにいいじゃん、そんなこと」
「よくないっ。女の子は、いろいろ気を使わなきゃいけないんだから」
「たとえば男とふたり、こうして助けを呼べない密室に入ってはいけない、とか」
「え」
 俺は委員長の間抜け面の鼻先を、かわいい指先でつんつんしてやった。
「なんで俺にそう構ってくれるわけ? むしろさ、男になっちまったせいでまだ休んでるほかの女子たちを気づかってあげたほうがいいんじゃないか」
 俺はなるべくやさしく、かわいく言ってやった。
「そりゃいまの俺は珍獣みたいなもんだけどさ。いいじゃん、もうこの生活にも慣れたし。委員長は自分の仕事に専念してよ」
「そんなんじゃないんだ!」
 委員長はうつむいた。あーあー、顔が真っ赤になってるよ。
「あ、あたしね。もっと早く言うつもりだったんだ」
「あー、はいはい。ようやく俺の魅力に気づいたわけね」
 俺はひらひらと手を振った。委員長、ひっしと俺の手を握りしめ、
「さきに言わないでよ! もっと前から、こんなになる前から、義輝くんのこといいなって思ってたんだよぉ」
言いつのる委員長。あたぁ、あんたもすき者だねぇ。俺は困惑してしまった。
「ごめんな。俺、こういう事態じゃ、そんな気分になれない。分かるだろ?」
「そんなこと言って、これから残りの一生、恋もしないつもり」
 ったく、男の子なりたてが、いっちょまえに人を口説くなよ。
「委員長。それな、たぶん一時の気の迷いだ。うちに帰って一発抜いてきな? すっきりするから」
「…………」
 委員長が伏し目がちににらんでいる。ジャニーズばりの魅惑のフェイスの、自分より身長が高い美男子にこれをやられると、かっこいいだけによけいに怖い。俺は両腕でガードする真似をした。
「わ、殴んなよ? いまの委員長に殴られたら、この身体じゃ耐えられないんだからな」
「暴力なんかに頼らないよ」
 そのまま沈黙する委員長。どうしても返事が聞きたいらしい。俺はしばらくじらしてから、言った。
「じつはさ、先週、久里の奴にもコクられてさ」
「なんですって?」
 俺は椅子にそっくり返った。
「どっちもまだ俺にとっては同性みたいなものじゃん。正直、判断つきかねるわ」
 委員長はものすごい勢いで駆けだしていった。俺はただそれを、見送った。

 委員長の愛の言葉。俺が男で委員長が女だったときに聞ければね、そりゃもう天国、久里の出る幕なんかなかったのよ。いや、その場合、俺から言いださなきゃならなかったのかな?

 翌日聞いた話では、あのあと委員長と久里、殴り合いのけんかをしたらしい。久里のやつ、途中までは一方的に殴られてやってたんだが、委員長が「もと女だと思って馬鹿にしないで!」と言ったもんだからしかたなく一発殴り返したらしい。そしたら委員長がひどく痛がっちゃって、決着はうやむやのままに終わったんだと。それ以後、俺の護衛には委員長と久里が同時にふたり、ぴったりつくようになった。朝、俺が上履きを履く時刻から、夕方脱ぐ時刻まで、ずっとだ。なんでも、「抜け駆け禁止」なのだそうだ。
 

 だいたい久里はもともと、隣りのクラスの小沢って少女とつきあっていたのだ。ご多分に漏れず小沢が男になってから、ふたりの仲はぎくしゃくしっぱなしだった。
「久里くぅん」
 問題のその日、帰宅しようと校門を出ると、セーラー服を着た小沢がオカマ声で久里に寄り添ってきた。
「んな、おまえ待ってなくていいっつったろ。べつにいっしょに帰るんじゃないんだからさ」
 久里にうざったがられて、小沢はちびっこい身体をぶるぶる振るわせた。
「久里くん、なんでですか。あたしたちの関係って、そんなにもろいものだったんですか」
「ああ、もう。こんなとこでそういう話すんじゃねえよ」
 久里は小沢の手首をつかまえて走りだした。俺もつい、その後を追っかけてしまったのが間違いだった。

 開店休業状態のオープンカフェのテーブルを勝手に占領して、久里と小沢は向かい合った。
「昨日電話でさんざん話しただろうが」
「でも、あたし、一晩寝ないで考えたんですけど……」
 七月のあの日以来、男になった女の取る態度には二種類あった。うちの姉貴のようにはっきりと男の格好をするのと、女の服装のままでいるのとだ。小沢は、男になったにしてはまあ頑張っているほうだと思う。化粧がうまいし、制服の肩もまるく見せている。スカートからのぞく脚線もきれいだ。胸もなんとなく、あるように見えるからな。声さえださなきゃ久里の彼女で通るかもしれない。でも、小沢に対する久里の態度は冷たいものだった。まあ、ふたりのほんとの気持ちは、よくある恋愛のもつれなのだろう。俺は頬杖ついて、親友のもがく様をぼうっと眺めていた。だが、その日はすこし雲行きが違った。
「いくら理屈を付けたっておまえ、いまのおまえは男じゃんよ」
「……じゃあ、あたしのこと好きだって言ったのはうそだったんですか?」
「うそじゃねえよっ」
 いきなり久里は俺の後ろに立った。
「いいか? まず友情としての感情があるよな。俺は友達として、小沢のことも、義輝のことも大好きだ。それプラス、おまえが女だったから、友情の『好き』が恋愛の『好き』って気持ちに発展した。そうだろ?」
「それじゃ、久里くん、まさか……」
 小沢が俺の顔をじっと見つめた。なんだなんだ、俺かぁ?
「いまは小沢は男だよな、だから親友として大切にしたい。もし、『好き』が今後発展するとしたら……、それは、義輝相手にだ」
 久里くん、正気か。
 じっと俺の顔を見る久里と小沢。どうしろというの。
「ひどい。久里くんはあたしのことを好きだと思ってたのに。前から義輝くんのほうがよかったんですね!」
「だから、変身する前は義輝とは同性だったんだってば」
 小沢は、わあっと泣きだして、テーブルをばんばん叩き始めた。俺は久里の向こうずねをけっ飛ばした。
「おまえ、最低だよ。二度と俺の前に現れるな」
 久里は、信じられないという顔をしていた。
「最低って?」
「くだらないこと言いやがって、ひとの気持ちを踏みにじるやつだ、おまえは」
「なんだよ、おまえだって委員長にずいぶんなこと言ったんじゃなかったっけ」
「ぎく」
 久里が立ち上がった。
「『すっきりするさ、うちで一発……』真剣な愛の告白をした男の子に、女の子が言うことばなのかなー」
「あの、久里くん、そういうことは黙ってて」
「ばかぁ、どっちを見てしゃべってるんですか!」
 うひゃあ、とうとう小沢が久里につかみかかった。俺はその隙に逃げ帰った。ふたりがその後どうしたのかは、聞きたくもない。
 

 俺が風呂場で一日の疲れを癒していると、姉貴が入ってきた。
「まあ、どうどうとしたモノで」
 俺が思いっきり姉貴の股間を見つめてそう言ってやると、姉貴はそのまま俺の鼻先につきつけようとした。
「この変態ヤロー。変身前に自分が同じことされたらどうしてた!」
「もちろん叩き出すわね」
「なら!」
「なによ義輝くん、おねえちゃんといっしょにお風呂にはいるのが嫌なの?」
「ったりめえだ、すぐ出ろいますぐ出ろ、でなきゃ一生目ぇつぶってろ!」
 姉貴は意にも介さず、自分の身体を洗いはじめた。う、男臭え。俺は姉貴の身体にちょっとでも触れないように端っこに身を寄せた。うちの風呂が広くてよかった。
「そうやって恥じらってるとこがまた、かぁわいいんだぁ」
「う、うるせえっ」
 そのまま三分過ぎた。俺がぴくりとも動かず、しゃべらないのを認めた姉貴は、風呂場に座りこんだままの俺の髪にシャンプーをかけると、ゆっくりと指でこすりはじめた。
「男どうしってのにさ、あこがれてたんだ」
「え?」
「裸のつき合いってやつ? あんたとはそれがなかったからね、距離感を感じてた」
「そりゃそうだろ」
 姉貴はふふっ、と笑った。
「いまはこうしてふたりで、お話しできるんだよね。ねえ、学校でいろいろあったんでしょ?」
 だれがそんな恥ずかしい話、できるか。そう思っていたのだが……、なんか、委員長や久里のことを話しているうちに、つい全部、しゃべっちまってた。
「うん。こんな状況に置かれたら、義輝くん、つらくないはずないものね」
「べつにつらいわけじゃねえよ、シャンプーがしみただけだっ」
「いいえ、そう、よ。ほら、できた」
 姉貴が俺の髪から手を離した。頭には輪ゴムが二本。短い髪をむりやりキャンディーヘア(?)にしようとした痕跡があった。
「なんじゃこれ」
「ま、元気だしなよ」
 姉貴はカラスの行水のごとく、風呂をあがってしまった。本気で俺とこういう話をするためだけに入ってきたのだ。俺は浴槽から出て、あらためてゆっくりと自分の身体をボディーソープでこすりはじめた。
 でもさ。いまの俺は女の子で、姉貴は男なんだぞ?
 

 ある日は姉貴の進路相談だった。昼休みに偶然見かけた母さんは、スーツにネクタイ姿で先生に何回も頭を下げていた。でも先生としても、こんな姉貴たちの人生設計になんら決め手になる情報があるわけではない。学期末試験も中止になったことだし。面接の内容はどうだったと聞くと、肩を落としてみせる姉貴。
「とにかく大学は出ておきましょうって、先生までそんな言い方するのよ。はあ」
「ちょっと。自分の人生にため息つかないでよ」
 俺は姉貴をなだめようとした。結局、女の子の将来にまだまだ大きな影響を持つ「結婚」という制度そのものが崩れてしまっては、みなどうしていいか分からないのだ。クラスのもと女子たちも、
「あたし、それでも結婚する!」
「相手がほんものの男だって、どうやって見分けるのよ」
「あたしたちが女だってこと証明するほうが難しいじゃん」
「気持ちが通じ合ってればいいんじゃないかな」
「でも……こども、生まれないんだよね」
 日頃「結婚ってのはイコール、家事を押しつけられることだ」くらいに考えていた女子たちも、いざウェディングドレスの権利が奪われてしまうと、悔やまれてしかたがないようだった。そしてやっぱり、最後は俺に話が振られてくる。
「いいわよね、義輝は。結婚、できるんだもんね。自分を高く売れば、きっと遊んで暮らせるよぉ」
 姉貴がぼそっとそんなことを言って……俺の腹を見た。
「や、やめろ。結婚はしません。子供は産みません!」
「そんな、もったいないよぉ」
 姉貴は本気でそう言っているようだ。冗談じゃない。だいいち、こっちは本物だろうが偽物だろうが、男と好きあう趣味などないのだ。
 でも。世の中の男たちが結婚できる万に一つの……億に一つの可能性は、俺と結婚することなんだ。委員長や久里の顔が浮かんだ。あいつらもそんなことを考えて、俺に声をかけてきたんだろうか。
 ますます、冗談じゃない!
「女はどうせ出世できないしねぇ。あんたはとくに頭悪いんだから、家庭に入ったらのことも考えといたほうがいいよ」
「女になったとたんに、結婚が前提の腰掛け人生かよ。やってらんねえぜ」
「じゃ、あんた、なんになりたいのよ」
「なにって。それは……決めてねえよ、まだ高二なんだし!」
 廊下の真ん中で口げんかをはじめた俺たちの背中を、母さんがどやした。
「ほら、いいかげんになさい! 男の子だとか女の子だとか気に悩むより、もっとほかに考えなきゃいけないことが山ほどあるでしょ! まずはお勉強!」
「……はぁい」
 俺たちを黙らせると、母さんはハンドバッグを抱えてにっこりと、笑った。
「じゃ、あたし、帰るわ」
 俺は、母さんの背中を見つめた。
「母さん」
「ん、なに?」
「なんかさ。父さん、みたい」
「なによ、へんな子」
 母さんは微笑みながら、行ってしまった。俺たちもそろそろ教室に引き上げないとまずい。でも、姉貴はまだ話すことがあるようだ。
「ちょっと」
「なんだよ、まだやるのかよ」
「ちがうわよ。……なんでそこで父さんが出てくるのよ」
「はあ?」
 俺たちの実の父親は、十年前、愛人を作って逃げた。そのとき俺はまだ小学一年生だったから、父親のことはよく覚えていない。それ以来母さんは女手ひとつで俺たちを育ててきた。俺にとってはまさに母さんが父親みたいなものだ。でも姉貴にとっては、父親と聞けば自分たちを捨てたやつのことを思い出すのだろう。
「ほんと姉貴、父さんのことにこだわるね」
「あったりまえでしょ、あんなサイテー男」
「そうやっていつも気にしてるってことは、ほんとはもう一度会いたいんじゃない?」
「なによそれ」
 姉貴は不愉快そうな顔をして、最後に言った。
「義輝。久里くんにしろ委員長さんにしろ、結婚するなら相手をよぉく選びなさい」
「だから結婚なんてしねぇよ」
 

 またある日、俺は教室で久里の愚痴を聞いていた。どうやら久里は、本気で小沢と喧嘩しているらしい。そんな感情をこっちに振られても迷惑だっつうの。俺は一貫して白けた態度をとっていた。
「……でさ、夜中の三時に電話がかかって来るんだぜ。うらめしそうな男の声で、」
「あ、そう。まだ連絡があるだけ、いいじゃん」
「なんでそうなるのよ」
「おまえ、自分がどれだけ小沢を傷つけたか、まだ分かってないのかよ」
「だーかーら、それは一方的な解釈っしょ。おまえ女になったからって、まるっきり女の味方かぁ?」
 そんな俺たちの様子さえ、他のクラスメイトからはうらやましく見えるらしく、俺たちは始終、連中の注目を浴びているのだった。
「ところでさ、夏休み、どうする?」
「なにがよ」
「海水浴。去年も行ってたじゃんかよ」
 そうだった。このところ騒動で水泳の授業もなかったものだから、すっかり忘れていたのだ。でもそれ以前に、水着姿で俺が人前に出られるかという問題があるっての。俺は即答した。
「行かねー」
「えぇー」
 久里は残念そうに身をよじった。
「義輝くぅん。いったいきみがいなければ、海がどれだけ暑苦しいメンバー構成になるか分かってるの?」
「勝手なこと抜かすな」
 ま、健康な男子高校生としては、是が非でも海でかわいい娘(俺のことかい?)を眺めていたいのだろう。久里は大げさに両手を差しあげた。
「ああっ、こんなにも待ち望んでいた情熱的な夏の海も、義輝くんのいじわるのせいでこの世界から消え失せることになるのねぇ」
 久里のよた話は、そこまでで委員長に強制終了させられた。机をげんこつでぶん殴ってから、委員長は久里を怒鳴りつけた。
「なにふたりだけでしゃべってんの、久里! ぬけがけ禁止って言ったでしょ、この卑怯者。男らしくない」
「ちぃがうって。俺が小沢とちゃんと別れたってことをちょっと説明してたの」
「しらを切っても聞こえてたわよ。そのあと海水浴のはなしとかしてたじゃない!」
 委員長はすごみのある微笑みを俺に向けた。まだ手が痛いのだろう、頬がひきつっている。
「ねー、ふた股かけてる久里くんなんかほうっといて、今年はあたしと海へ行かない?」
「そうは言われても……」
「ほらほらー、ためらった。やっぱ義輝は俺、俺に気があるんだって」
「違うわ、ぼけ」
 ふたりとも思いこみが激しすぎるって。いや、待てよ。この場合、思わせぶりな態度で楽しんでるのは俺ってことになるのか? うーん、暑さで参ってきた。

 結局委員長と久里が牽制しあっている以上、俺は姉貴とふたりで下校するしかなかった。
「なに黙ってんの、義輝くん」
「あんま話しかけんなよ」
 姉貴は軽やかな足どりで俺のまわりをぐるぐる回った。
「へえ、なんで?」
「この歳で姉貴に送り迎えしてもらうなんて、ほんとは恥ずかしいに決まってんだろうがよ」
「兄貴と妹が仲良く下校してるんだから、けっこう似合ってると思うけどね」
 それを言っちゃあおしまいだ。俺は姉貴の、汗の浮いたシャツの広い背中を見た。
「姉貴、たしか俺が汗くさいの大嫌いだったよな」
「ええ、もう、あんた部屋に入れただけでぷんぷんするもの。ん? まさかあんた、臭いんじゃ」
「いや。いま匂ってるのは姉貴だ」
「あたー」
 姉貴は近くの児童公園に入ると、鞄からスプレーを取り出して首筋にかけた。
「気づかないなんて一生の不覚。あーあ。こんな身体じゃ、鼻も鈍感になるのかな」
 俺は姉貴がおどけるのを、ぼうっと見ていた。
 そのとき、姉貴が「あっ」と叫んで、全速力で走り出した。児童公園の裏、マンションの周りの生け垣から壁の上へよじ登って自転車置き場の屋根の波板の上に立つ。途端に、頭上にひとりの男の子が落ちてきた。
 姉貴はその子を受け止め、倒れた。屋根は衝撃に耐えきると思ったが、しばらくするとたわむように折れ、姉貴たちをさらに下に落とした。
 俺がやっと走り出したのは姉貴たちの姿が見えなくなってからだった。マンションの反対側へ回り、自転車置き場へと向かう。途中で、落ちたやつの泣き声が聞こえてきた。
「姉貴!」
「はーい」
 下の自転車のハンドルに幸い急所を突かれることもなく、姉貴はすり傷だけで砂利の地面の上に座っていた。
「なにやってんだよばかっ」
「この子、飛び降り自殺しようとしてたのよ。ね?」
 それで落ちたところを姉貴に受け止められたってのかよ。四階から二階の高さなら助かったものの、もう一階落差が高かったら、こいつも姉貴も怪我してたかもしれない。……って、落ちたのは小沢かあ?
「おまえ、小沢じゃねえか」
 化粧を落としてTシャツ姿になった小沢は、すっかり男子学生に見えていたのだ。俺は小沢の肩を揺すった。
「なにやってんだよ、おまえ」
 小沢は俺を見てぼそぼそ言った。
「あんたが、なんでこんなとこにいるんですか」
 ああ、態度硬いな、やっぱ。
「おまえを助けたこの人、俺の姉貴なの。了解?」
「あ、そう」
 たしかにここんとこ、男になった女の自殺が非常に多かったのだ。そりゃそうだ、しかし、なんで小沢まで。
「ほんと、人騒がせな子ね」
 姉貴はやさしく、小沢の長い髪をなでた。
「で、どうしてこんなことしたのかな」
「久里くんがあたしのこと馬鹿にするから、だからあたし、あいつを後悔させるために飛び降りてやるんです」
「なに言ってんの」
 姉貴は反論した。
「だからって死んでどうするのよ」
「だって! だって、あたしの姿が久里くんの彼女にふさわしくないのは、本当だから!」
 あたー。フォロー不能。しかし、姉貴はしつこく食い下がった。
「自分を否定しちゃ負けだよ。あなた、十分かっこいいじゃない」
「うるさいっ。ごつい顔でいい加減なこと言わないでください、このポニーテールおかまぁ」
「うわ」
 でも姉貴は怒らなかった。逆ににやりと笑った。
「そうそうその調子。くじけてると、ほんとにうちのバカに彼氏を取られちゃうよ」
「なんで俺が出てくるのよ」
 小沢が勢いよく立ち上がった。
「やっぱ、みんな義輝くんが悪いんじゃないですか」
「俺が?」
「久里くんを誘惑しといて、しらばっくれないでください!」
 小沢は痛む足を引きずりながら自分の家へ帰っていった。俺たちがぐずぐずしていると、上の階から怒鳴り声が響いた。
「姉弟そろってバカにして! さっさと帰れ!」
「はいはい」
 姉貴も肩をぐるぐる回しながら自転車置き場を出た。振り返るが、小沢はもう出てこない。
「これで大丈夫だろうけど」
「大丈夫じゃねえよ。俺が久里を取るだなんて言って、怒りの矛先が俺に向かったらどうするの」
「なによ。素直になりなさい、ほんとは久里くんのこと好きなんでしょ」
「論外」
 こうあちこちで誤解されると、いいかげん疲れてしまう。
「ついこないだと逆の性別でつき合うなんか、納得できるわけねえだろ。俺だって小沢だって、だから苦しんでんじゃねえか」
「ハッハーン?」
「まじめに聞けよ」
 俺は姉貴につかみかかった。
「姉貴。こんなんなっちまって、ほんとは姉貴だってつらいんだろ!」
 姉貴が目を見開いて、俺の顔をじっと見つめた。
「んだよ」
「よけいな、お・せ・わ」
 俺は姉貴に、殴られた。
 

 長かった七月も後半になった。臨時の時間割のまま、俺たちは夏休みに入ろうとしていた。俺のそばには久里と委員長がしっかりとくっついていて、今日も暑苦しくて嫌になる。
「なにかしら」
 急に、委員長が窓の外を見てつぶやいた。
「あれって、警察の護送車かな、容疑者を押し込めておくやつ?」
 俺もカーテンのすきまから盗み見てみた。そうだ。それと、黒いクラウンが一台、裏門の前に止まっていた。なかから、合わせて十人くらいの男たちが出てくる。黒ずくめにサングラスって、あんた。
「この真夏に、暑苦しい格好だこと」
「うわ、かっけえぇー、マトリクスみたい! 日本にもいるんだねー」
 脳天気な久里が言った。
「なんでそんなのがうちの学校に来るのよ」
「だって……そうか、分かった!」
 久里が手を叩いた。
「なんつったって、我が校には世界でたったひとりの少女、義輝くんがいるじゃねえか。きっとどっかの組織が捕まえに来たんだ。義輝、誘拐されて科学者に身体を調べられちゃうの、かも……」
 そんなアホな。でも、それが冗談ではない可能性に、久里も俺も気づいてしまった。勘弁して……。

 男たちは校舎中央に入っていった。俺たちはしかたなく授業を受けていたが、三十分後、担任が教頭に呼び出され職員室へと行ってしまうと、一斉に怪しい男たちの話をしはじめた。
「ねえ、あの車、よく見たら国連のマークとか書いてあるよ」
「てことは、超国家的組織かぁ?」
「これはほんきで、義輝を奪いに来たんじゃねえか」
 あわてて周囲を見回す俺。俺に注目するみんな。ちょっと照れてみたら、久里に頭を叩かれた。
「あたし、ちょっと行って、職員室を覗いてみるわ!」
 久里がうなづくと、委員長は姿勢を低くして教室を出ていった。
「義輝っ。間違いないぜ、あいつら、おまえを探しに来たんだ!」
 久里が興奮した様子で言った。
「なにうれしそうに言ってんだよ。おまえ、俺が連れてかれたほうがいいのか?」
 久里はまじめな顔をして、ぶんぶんと、首を振った。

 じきに委員長が戻ってきた。
「委員長、どうだった?」
 尋ねる久里に、委員長は声を震わせていった。
「ええ。ほんとに、義輝くんを出せって要求してた」
 俺は呆然としてしまった。委員長が俺の開いた口を閉じてくれた。
 がたんっ。久里が机の上に立ちあがった。
「みんな、聞いてくれ!」
 しんとしてしまう、教室。
「国連だかなんだか知らないが、やつら、義輝を連れていこうとしてるみたいだぜ。それってふつう、許されることか? 拒否するよな、義輝!」
「そりゃそうだけど」
「そうだろ! 断固、抵抗すべきだろ!」
 クラスから、WHOも男性化の病にたいした対策を取れてないくせにとか、このごろの世の中への不満がぶつぶつと聞こえた。
「委員長。やつら、実力行使で義輝を連れていくつもりみたいか?」
「ええ」
 委員長が肯定した。久里は皆を見回した。
「俺たちで、義輝を守ろうぜ!」
 お調子者の久里の言うことだ、この状況であっても、彼ひとりなら全員を動かすことはできなかっただろう。ところがとんでもないことに、久里にまっさき同調したのが、さっきまで喧嘩していた委員長だったのだ。
「みんな、がんばりましょ!」
 おおっ! 一同が声を挙げた。

「よし、扉を閉めろ、つっかい棒しとけ!」
「得物は? 金属バット三本かよ。あとはほうきか?」
「机でバリケード作ろうぜ」
 俺が机運びを手伝おうとすると、「主役は奥に座ってて」と軽くいなされてしまった。主役ってなんだよ。
 あるものでとりあえずの籠城の準備ができたころ、廊下のほうでばたばたと音がした。担任の「待ってください、困ります!」という声が聞こえた。
 担任が転んで「きゃっ」と叫んだとき、全員の興奮は一気に高まった。
「あいつら! 先生にまで手を挙げやがった!」
 閉まった扉をがたがたと揺らす音がする。ガシャン! 窓ガラスが割れた。
「なによ、これぇ」
 机の向こうから、馬鹿にしたようなオカマ声が聞こえる。どうやら向こうの黒服の中にも、もと女がいるらしい。連中は示し合わせて、机をひとつづつ除けだした。
「あ、こいつら!」
 久里たちが机の隙間からほうきで連中の手を叩いたり、顔目がけて傘を投げつけたりしている。しかし、所詮は即席のバリケード。じきに机がこっち側へ倒れ落ちてきた。
「ちくしょおっ!」
 久里が黒服のひとりに跳び蹴りをかました。ここからは乱戦である。むこうは少人数だったが、武術の心得でもあるのか、まったくひるむ様子がない。
 黒服のひとりが俺をにらみつけた。
「いたわ、あの子よ!」
 ほんとに俺が目的なのかよ! 俺の背筋に悪寒が走った。ひとりパニックりそうなところを、委員長に手を引かれた。
「こっち、こっち」
 俺を窓の外へと導く委員長。なんと、彼女が三階の上級生と協力して、上からロープを垂らしてもらっていたのだ。
「のぼって」
「サ、サンキュ!」
 俺はカーテンを結びつけた即席ロープにつかまった。身体が激しく揺れて、また弱気になる。俺の足をつかもうとした黒服の顔面に、委員長の正拳突きが決まった。
 俺も、がんばんなきゃ。必死の思いで、カーテンの結び目に足をかけて登る。スカートがじつに扱いにくい。いっそ脱いでしまおうかと思ったが、下着がちゃんとショーツだったことを思い出して遠慮する。
 三階の窓に手が届くくらいのところで、三年生の長い腕に引っ張り上げてもらった。
「はい、お疲れ、義輝くん」
「はは、怖かった。あれ?」
 そうだ。俺は気づいた。上のクラスといったら三年三組。姉貴のいるところじゃねえか。
「きゃあ、とっこ(姉貴)の妹だあっ! か、かぁわいいっ!」
 あっというまに十人のオカマに囲まれてしまう俺。だから姉貴のクラスには近づきたくなかったんだよぉ。
「俺、いちおう弟なんすけど……、いてて」
「ほんとに自分のこと、『俺』って言うんだぁ」
 堂々と俺の胸やほっぺたを触ってくる、もと女たち。しかたがないか。彼女らは二重の意味でこの感触が恋しいはずだから。
「はいっ。そこまで!」
 厳しい一喝が飛んで、さっと人垣が割れた。この野太い声は、姉貴だ。
 姉貴はシャツの腕をまくり、立てた木刀の柄に両手を置いていた。ぞわぞわっとするクラス。俺もすこし感じちまった。
 姉貴は剣道部の女子の主将をやっていた。女子で団体戦にコンスタントに出られるくらい部員がいたのは、姉貴に憧れて入部する下級生が多かったからだと、うわさに聞いたことがあった。
 認識せざるを得なかった。たぶん姉貴って、かっこいいんだ。
「とっこ、指示をちょうだい!」
「ええ。うちの義輝を誘拐しようとする奴らが来たのは、いま説明したとおり。このことは三年生全体に連絡したわ、みんなの決は取ったから」
 姉貴が木刀で天井を突いた。
「敵を屋上で迎え撃ちましょ!」
 その声を合図に、一斉に動く上級生たち! でも、俺はその様子をじっくりと見ることができなかった。急に、頭からスタジャンをかぶせられてしまう。
「あんたは敵に見つからないようにこうしていて」
 俺は前も見えないまま、姉貴に手を引かれて教室を出た! すでに俺が三階にいるのがばれていたのか、廊下のあちこちで争う音がする。
「あ、姉貴!」
「心配しないで。しっかりついてくること」
 姉貴はしばらくは俺の手を引いてくれたが、俺の足がもたつくのを見て取ると、がばっと抱き寄せていっしょに走ってくれた。姉貴の筋張った胸が、俺の背中に当たる。姉貴の息づかいが、しずかに、聞こえてきた。
「震えが止まったわね。ふふ、安心したでしょ?」
「うるさい」
 でも実際、姉貴には俺の不安を包みこむ力があった。

 ……ああっ、ったくよぉ。俺はほかのことに頭を回すことにした。そして気づいた。へんだな。いくら政府の黒服だろうが、十人ぽっちじゃ学年全員には勝てっこないはずなのに?
 屋上に着いて、俺はその理由を悟った。
「なんで車が増えてんだよっ!」
 十台以上の大型車が、グラウンドに乗り付けていた。護送車に機動隊の装甲車も見える。でも、マイクロバスとかふつうの軽トラックとかまであるのはなぜだろう? 国連にしてはかっこわるくないか。
 しかし、そんな疑問を持っている暇はなかった。押し寄せてきた暴漢たちと全学年の生徒たちが、戦争をはじめてしまったのかもしれない。あちこちで窓ガラスが割れた。捕まって校庭へ叩き出される生徒もいた。叫び声がただごとではない。
「やめろよ、みんな。あぶないじゃないか……」
 俺は両手でスカートをぎゅっと握った。
 だいたいここしばらく、この学校の男子どもは女性に触れることもできず欲求不満だったはずだ。女子たちだって急に身体が大きく強くなったから、慣れない攻撃的な気持ちに惑わされて力の加減ができないだろう。だからみんな、こんな殺気だった雰囲気なんだ。でも。このままじゃほんとに人が死んじゃうぞ? 振り向くと、屋上入り口で姉貴たちが木刀を振るいはじめた。敵も木刀や鉄パイプ持ちだ。
「おらぁっ!」
 ちんぴら風のひとりの男が背後から蹴倒され、そのうしろから久里が走り込んできた。
「来たぜ、義輝! おまえ、だいじょうふか!」
「おまえこそ無事なのかよ!」
 俺は奴の額から垂れる血を、ハンカチで拭ってやった。
「はは、一、二発食らっちまったけどよ。根性で耐えればなんとかなるもんだな」
「ばかっ、そんなこと言ってると死ぬぞ!」
「どうしてよ。死なねえってば」
 久里は、俺ににこっと、微笑みかけた。
「大好きな女の子を護れるんだ。男として、こんな気持ちいいことはないぜ」
 久里のやつ。俺の頬にキスを残して、また戦いの場へ走っていった。

 おまえら、かっこいいじゃねえか。俺はまた、感じちまったのを悟った。最低だ。馬鹿馬鹿しい。なんで腹が立つんだろ。つうか……変身してのこのかたの自分自身の扱われ方が、ぜんぶぜんぶ気に入らねえ。

 俺は争いの最後尾にいることをいいことに、これからどうするかを考えた。
 だって、俺だって、みんなを嫌いじゃないのだ。立場が逆だったら、同じことを仕返してしまいそうなんだ。でもそれは、されるほうにとっては我慢ならないんだ。

 望まぬヒロインになっちまったのなら、いっそなりきるか? 後ろできゃーきゃー騒いでるだけのやつができることといったら、やっぱ、自己犠牲(イケニエ)だよなあ。

 制止しようとした委員長を突き飛ばし、俺は姉貴が戦ってるほうへ歩き出した。
「姉貴!」
「なに」
 姉貴が驚いた顔で振り向いた。
「おれ、連中におとなしく捕まるわ」
「なに言ってんの、あんた」
 俺を押さえ込もうとする姉貴の向こうずねを、俺は思いきり蹴っ飛ばした。
「なんでこんなことするんだよ! 俺が女の子だからか? 勝手にヒーローごっこしやがって、馬鹿にすんじゃねぇよ!」
 俺はその場にいる全員に叫んだ。
「俺はおまえらの、カゴの鳥でも玩具でもねえっ!」
 姉貴は一瞬、呆然と立ちすくんだ。その後頭部に敵の竹刀が振り下ろされる!
 ごりっ。

「……い、いったいなぁっ!」
 振り向きざま、姉貴はそいつの横面を左手で殴りつけた。ひるむ男の股間を蹴り上げる。生まれてはじめての感覚だったのだろう、男(もと女)は「きゃっ」と叫んで、倒れてしまった。
「義輝、あんたなに勘違いしてんの?」
「え?」
 姉貴は木刀を握りしめて、言った。
「理由なんかいいでしょ! 久里くんだって委員長だって。好きだからあんたを護りたいんだよ!」
「それがうっとうしいんだよ!」
 そのときもうひとり、いや、ふたりの敵が近づいてきた。俺たちは孤立していた。
「もうっ、バカ義輝がよけいなこと言ってるからっ」
「姉貴、俺っ」
 黒服のひとりがスタンガンを取り出した。俺は姉貴をかばおうと、姉貴は俺をかばおうとしてもつれた。敵が俺たちの隙をつくには十分な時間だった。
 俺は目をつぶってしまった。目を開けたとき、俺たちを助けてくれていたのは、久里だった。
 久里は男にタックルした。倒れない男。むりにスタンガンを奪い取ろうとする久里。委員長はもうひとりの男と必死に格闘している。姉貴は委員長を助けに行かなければいけない。
「久里!!」
 久里が首にスタンガンを食らって倒れた。勝ち誇る男の不意をついて、倒したのはなんと小沢だった。姉貴と委員長は勝利したようだ。ほかの生徒も集まってきて、とりあえずこの場の安全は確保された。
 小沢は久里のそばにしゃがみこんだ。いや、抱きついたと言ったほうが正しい。そんな小沢も、腕を怪我しているようだ。そのへんにあった布を、左腕に巻き付けている。
「……なんで小沢まで」
「ひとりの男の子を好きになったどうし、対等でしょう!」
「べつに好きじゃねえよ」
 小沢は俺をにらんだ。
「じゃあ、あなたは久里くんのこと、どうとも思ってないんですか! あたしが『二度と久里くんに会うな』って言ったら、そうしてくれるんですか?」
「だれがそんなことするかよ」
 俺がどう思っているかって?
 もう、分かんねえよ。
「じゃあ、」
 俺は落ちている金属バットをつかんだ。なんの解決にもならないのは分かってるけど、俺にも意地があるのだ。
「せめて一発、俺にも連中を殴らせろや!」

 しかし俺がバットを振り下ろす前に、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。暴漢たちは急に泡を食って逃げだした。階下を見れば、敵の退路を塞ぐようにぞくぞく集まってくるパトカー。なんで?
「あー、みんな逃げてくよ。卑怯者!」
 小沢がぼんやりした声で叫んだので、みんなつい、笑ってしまった。
「……終わったのかな」
「たぶんね」
 姉貴が、そう答えてへたりこんだ。委員長たちが手分けをして、負傷者を運んでいった。

 しだいに静かになっていく学校。俺たちは空が近くに見える屋上で、まだ呆けたように座っていた。今のうちに全員に土下座して謝ろうか、よし、そうしようと思ったところで、久里が意識を取り戻した。
「姐御、お疲れさまです。おふたりともぼうっとしちゃって、頭のほうは大丈夫?」
「だいじょうぶよ、失礼ね」
「おまえこそ無事かよ!」
 俺は大声を出してしまった。でも、久里には抱きつけなかった。いまは、やつの腰にくっついている小沢に任せた。
 俺と姉貴が階下に降りると、校舎中のみんなが拍手で迎えてくれた。俺は複雑な気分だったけど、とりあえず微笑んだ。
 

 しかし歩いて帰った久里もその後無事なわけはなく、翌日めまいを訴えてあっさり入院してしまったのだ。
 学校でそのことを知った俺がとって返して見舞いに行くと、小沢はすでに泊まり込みをしていたらしい。俺の顔を見てふふん、と鼻で笑いやがった。不思議と腹は立たなかった。小沢が笑う余裕があるということは、久里の命に別状はないということだからだ。病室にはいると、久里はしごく元気にしゃべった。
「お、うれしいねぇ、義輝。男臭い看護婦ばっかだから、退屈してたんだ」
「こら、久里!」
 そんな台詞を聞いたら小沢が怒り狂うかと思っのだ。でも、小沢の表情は天使のように穏やかだった。
「それより、義輝、聞いたか?」
「いんや」
 久里は得意げに話し続ける。
「昨日襲ってきた奴ら。あいつら、芸能プロダクションの役者たちだったらしいぜ。どっかのエージェントのふりして、おまえを誘拐しようとしてたんだ」
「なんで?」
「義輝を『今世紀最後の美少女アイドル』として全世界に売り出すためだと。あっちこっちのテレビ局も、一枚噛んでたらしい」
 状況をいまだ把握できてない政府や国連よりも、そういう損得勘定ができる会社のほうが先に動いたわけね。
 俺が無関心を装っていると、なにを思ったか久里は俺とふたりきりで話がしたいと言いだした。小沢は文句も言わずに部屋を出た。久里のやつ、ゆうべ小沢にいったいどんなマジックを使ったんだ?
「なんだよ」
「寝たまま話して、いいか?」
「ああ」
 俺はさっきまで小沢のいた椅子に座った。久里は真剣な口ぶりになった。
「おまえ、これからのこと、ほんと分かってんのか」
「なにが」
「今回はただのバカしか来なかったけど。つぎは世界中が殺到するかもしれないんだぜ。対策とらなきゃよ」
「そうだね。そんときは山奥にでも隠遁するかい」
 あくまで投げやりな俺に、久里はこぶしを固めて……なにもしなかった。
「……無理だね。ごめん」
 怒りを押さえこむように、久里はむこうを向いた。
「謝るなよ。久里はそんな優しいキャラじゃねえ」
「心配なんだ。心配すぎて、ここんとこがきつい」
 久里が胸を押さえた。俺は舌打ちした。
「心配されるのはおまえのほうだろ」
「ほんきだぜ」
「なら、ほんとに言いたいことはほかにあるんじゃないのか」
 お互いが緊張してきたのが、いやでも分かった。久里がはっきりと言った。
「俺はやっぱりおまえが好きだということだ」
 俺は返事をしなかった。
「……俺、義輝に嫌われてんのか?」
「どうしてそう思う」
「怪我したから」
「ああ、もちろん。そのことは許さねえけどよ」
「すまん」
「それだけじゃないんだ」
 俺は久里の背中に頬を寄せた。うっすらと、久里の汗の匂い。久里の鼓動が速くなるのが聞こえた。
「おまえ、俺が好きだから相手してくれてんのか? 好きじゃなかったら、俺たちのつきあいはもう終わりか?」
「なに言ってんだよ……」
「おまえのガールフレンドになっちまったら、ぜんぶが『好き』になっちまうんだよ」
 俺は明るく言った。
「小沢とよりを戻せや。俺、もう帰るわ」
「うわ」
 久里のやつが慌てて間抜け面をこっちに向けた。俺は手を振る。
「勘違いすんなよ。友達は続けてやるぜ」
「あー、そういうこと言うわけ。思いっきり傷ついた」
 久里は勢いよく立ち上がった。
「つまりこういうこと。『俺が義輝に振られた。』だろ」
「そうともいう」
「ふふっ。そうか」
 久里は微笑んだ。
「わかった。せいせいした」
 そんな風に言ってもらえたら、なんだか救われたような気がした。でも、傷つけたかもしれなかった。
「おい、おまえ、だいじょうぶなのかよ」
 久里は顔をしかめた。
「まだ痛いに決まってるだろ、あっちこっち」
「どれどれ」
「あ、いや、やめて!」
 俺が触ろうとすると、久里は身をよじって逃げた。そしてそのままベッドから落ちた。
「お、おいっ!」
「あらら、腰が抜けた」
 久里は立とうとするのだが、バランスが取れない。そのうちなんだかガクガクしはじめた。
「どうしたの!」
 音を聞きつけて、外にいた小沢がすぐに入ってきた。なんだ、委員長もいる。
「こら、久里ってばまた義輝と密会してたの」
「それどころじゃない、久里がヘンなんだ」
「ほんとだ、たいへん、久里くん!」
 小沢が両手を口に当てた。久里は病室の床の上でタコ踊りを踊っている。
「ふざけてんのかな」
「……いいえ。ていうか、これ見たことあるでしょ」
 委員長が一歩進み出た。
「このあとしばらくすると、全身が痙攣するのよね」
「あ、そうか。で、足下に魔法陣が現れて、」
「もし俺のときと同じなら、赤く光るはずだ」
「ほんとだ、赤だ! あたしたちのときは青かったんだよ」
「うんうん」
「そして、光が消えたころには……」
 久里はすっかり小柄になってしまった。俺は久里に歩み寄り、彼の丸くて小さな顎に手をかけた。こいつ、俺が必死の思いで振ってやったのに、また話がややこしくなるじゃねえかよ。
 つまり、こういうわけだ。
「久里くん。こっちの世界に、ようこそ」
 女の子になった久里は、すぐさま自分に胸があることを確かめはじめた。病衣をはだければ色よく日焼けした乳房が見える。うっわー、かぁわいいっ。
「もしもし、久里くん」
「これは、あれですな。……夢にまで見た、一ヶ月ぶり、一ヶ月ぶりの……揉みごこち!」
 小沢が真っ赤になって下を向いた。久里のやつ、先月は彼女のを揉んでたらしい。
 呆れたやつだったが、それでも俺は自分のときの経験から、いちおう彼(彼女)の肩に毛布をかけてやった。委員長が肩をすくめた。
「お盛んねー、久里くん」
「ね、看護婦(夫)さんを呼びましょうか」
「いやっ」
 久里はいきなり俺に抱きついてきた。
「ほらほら義輝くぅん、どーしよ。あたしも、おんなのこだよぉ」
 やつの右手はもう俺の胸をまさぐっている。周囲がしんとしてしまったので、久里は次の言葉に困ったようだった。久里のナイスなボケに敬意を表し、俺はやつの頭に空手チョップを見舞った。久里がささやいた。
「義輝。俺、」
「なんだ?」
「小沢と、仲直りできるかな」
「プロポーズされるのを待ってみたら?」

 その日から世界のあちこちでちらほらと、男が女になる現象が確認されるようになった。つまり恐怖の大魔王は、女を男にするよりも男を女にするほうに時間がかかっただけだったのだ。
 まったく、人騒がせなやつだ。それなら最初から全員変身させてくれたらよかったのに。

 これで人類が救われたかもしれない。

 それとも、焼け石に水かもしれない。みんながみんな、久里や姉貴みたいに順応できるわけではないからだ。自殺者もまた、出るかもしれない。
 おかしくなった世界でいままでどおりの生活をしていくのは大変だ。政府は一ヶ月経ってもまだ揉めている。姉貴は進路を迷っている。あの誘拐未遂事件がニュースになって以来、俺を盗撮に来るやつは引きも切らない。

 そして俺は姉貴といっしょに家路を急ぐ。なんたってもうじき夏休み、女の子がいっぱい遊んだ帰りは、危ないおじさんに気をつけなければならない。
「なあ」
「うん? なに?」
「父さんってさ、いまもきっと浮気相手と暮らしてるんだよね」
 姉貴は素直に、聴いてくれた。
「そうなんじゃない」
「なんで相手が男になっても、俺たちのところに帰ってこないのかな」
「うん」
 俺はつぶやいた。
「父さんって、よっぽどその愛人のことが好きなんだ。立派じゃない? 一途で」
「そうかもね」
 姉貴はくすっと笑って僕の右手を握った。
「なんか、あったかいな。姉貴」
「暑苦しいのまちがいでしょ」
「ううん。あったかい」
 俺は姉貴の肩越しに腕をいっぱいに伸ばし、柔らかな両手のひらを空にかざして、ふたりで見つめた。
「俺さ、高校卒業したら保母さんになろうかな。看護婦さんってのもいいかも」
 姉貴は爆笑した。
「なーに言ってんだか」
「笑うなよ! ったく、傷つくなあ」
 俺はかつらを脱いだ。姉貴が手ぐしで髪型を直してくれる。それなりに伸びたから、スポーティーな少女と見えなくもない俺の髪。遅れて久里と委員長、小沢もやってくる。
「よぉ。退院おめでと」
「やーん、義輝くぅん、あたし以外の人とくっついちゃいやっ」
 女の子の特権とばかりにスキンシップを求めてくる久里には、お望み通りコブラツイストをかけてやる。委員長が悔しそうにしたから、彼にも飛びついてヘッドロックしてやった。俺の胸の感触に、真っ赤になる委員長。

 父さんはいまだに愛人と暮らしてるのだろう。母さんは元気に仕事を続けている。こうしていても夏休みはやってくる。甲子園は男女混合でやるらしい。

 こんな女の子の身体で、こうしておかしなやつらに囲まれている俺。いつか、俺は赤ちゃんを産むだろう。父親の顔は、いちばんの好みのタイプにしよう。

「いえす、……うぃる」
「ん? なんて言ったの?」
「『俺のかわいさに股間ふくらませるなよ』って、言ったの」
「義輝。手遅れかも」
 股に手をやる久里に「ねえだろ、おまえにはっ」と叫んで、俺は蹴りを入れる。
「あ、あたしも」
 姉貴まで真似をしたので、一気に場がひいてしまう。
「……なにやってんだよ、姉貴!」
「ふふん、どうせあんたも昔あたしのハダカのぞき見して、勃っちゃったことあるんでしょ」
「……そりゃ、ときどきは」
「きゃはは。さいってーだわ」

 姉貴は笑ったけど、俺のそばにいてくれた。久里も小沢も委員長も、来週はいっしょに海水浴だ。
「俺たちの水着姿を拝んで悔しがれ。ねーっ!」
「ねーっ!」
 肩を寄せあう女性陣。
「なによ義輝くんに久里くん、ふたりそろってー」
 むくれる委員長に、まだ心配そうな小沢。胸を張る、姉貴。
「よし、久里君、妹のことはあんたに任せた」
「拒否権使いまーす。パスいち」
「即答かよ!」
 爆笑する俺たち。

 いえす、あい、うぃる。それでみんなが、大好きになれるのなら。





あとがき
 こんばんは、猫野丸太丸です。おそらくほとんどの方に、はじめまして。ここへきたのは一年ぶりなのです。
 一風変わったリリカルハートフルストーリー、いかがでしたでしょうか。
 ええ、リリカルです。猫野はそのつもりで書きました。すね毛リリカルとお呼びください。

 先日あるところのオフ会で、漫画雑誌の切り抜きを回し読みさせてもらいました(YさんBさんTさん、感謝)。TS(F)系の内容ばかり集めたそのコレクションは五百くらいあったのですが、そのうちのひとつが、猫野のこころに衝撃を与えました。

「ぼくは、おんなのこ」、志村 貴子。コミックビーム、1997年。

 一九九九年恐怖の魔王が人類全体を性転換させるという話だったのですが、主人公のおとこのこ→おんなのこの静かに流れる心象描写はあまりに美しくて、これ以上のものはないかもしれないと思ったものです。
 そんな話が書きたくて、切り抜きのコピーを枕の下に敷いて寝ていたら、ある朝「いえす あい うぃる」が思い浮かびました。もとの話とは似ても似つかぬものになりましたが、全力で完成できたと思います。
 猫野が他の方のオンラインTS小説を読んで「TSってなんだろ」「TSした人の気持ちってなんだろ」と考えて出した答えも、入ってます。深読みしてみるのもいいかもしれません。
 このつぎの投稿はまた来年になる気がしますが。いずれ、またお会いできましたら、どうかそのときはよろしくお願いいたします。

 ちなみに「ぼくは、おんなのこ」はほんとうに傑作です。いまからの入手は困難ですが、もし機会があったらぜひ、読んでくださいね。

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mailto: gnekono@pop07.odn.ne.jp
Last update: 2001/07/27(Fri)

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