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生きる事は時代とともにあり……のつづきのつづき

ヤマダ


 辺りが光に包まれ、闇は影となって消えた。かすかに鳥の声が響いていた。
 いくら時代が過ぎようと、朝は朝だ。68年前の朝も21世紀の朝も、昨日と今日の朝ぐらいの差しかない。自然は決して変わらない。その、無限の世紀の「朝」を僕は歩いている。そう、そして光はすべてのものに対して、平等に光をあたえる。21世紀の僕にも、1933年の僕にも、ユダヤ人にもドイツ人にも、男にも女にもだ。なぜ人間は光になれないのだ。

 僕は左手で、馬に鞭をいれるように自分の足を叩いた。そして自分の長い髪をかきむしりながら、井戸のわきに腰掛けた。僕は井戸の底を見ながら、可笑しくも楽しくもないのに笑った。自分に対する軽蔑の笑いである。

「わっ」

 僕は暗くてみえない井戸の底へ叫んだ。

「わっ」

 声が反射して戻ってきた。僕はまた「わっ」と叫んでみた。すると、「わっっ」と低い怒鳴り声が僕の後ろから返って来た。慌てて立ち上がり振り向いてみると、あごに立派なひげをはやした大男が立っていた。にわかに血の匂いがこの男からしてきた。

「なにをしている」

 低く太い声で、井戸に桶を投げ入れたあとに言った。桶についている縄が勢いよく音をたてながら伸び、ばしゃん……という音が何重にも響き渡った。

「顔を洗おうかと思って……」

 僕が桶の着水音と一緒にそう言うと、大男はどたどたと歩きながら、

「へっ、顔を洗うときはこうするもんなのかい……わっっ」

 男の声が井戸の中で、何回も響いた。男は井戸に付いている巨大は木製のハンドルをガラグル、ガラグルと回した。すると、ずるずると水の入った桶が上がってきた。木の棒をハンドルの間に挟み、

「顔を洗うってのはな、こうするもんなんだよ」

 上がってきた桶をつかみ、頭の上でひっくり返した。
 ばぁしゃん 井戸に掛けられたタオルを掴み取り、顔と髪をむしるように激しくふいた。最後に髭を丁寧なで下ろすと、「けっっ」と僕に向かって声を飛ばした。タオルを肩にかけて、でかい図体を左右に大きく揺らしながら、レンガの家の影に消えていった。
 この寒いのによくやるなぁ、と思っていると、後ろから聞き慣れた声がした。

「彼は肉屋のデリ、この街一番の金持ちよ」

 またまた驚いて振り向くと、プーリさんがいた。
 昨日のことを考えると恥ずかしくて、情けなくてプーリさんに合わせる顔がなかった。でもここで黙ってうつむくことはしなかった。どうせプーリさんとは話すのだし、謝るときは早いほうがいい。これは、小学一年のころ先生から教わった初めての哲学なのだが……。
 プーリさんは微笑みながら何か言おうとしたが、それを突き飛ばして僕はさけんだ。

「おはよう……ごめんなさい、すみません、ありがとうございますプーリさん」

 そう言ったあと、僕はおもいっきり頭を下げた。
 プーリさんはしばらく黙ったあと、「エレミヤ、頭を上げてここに座りなさい」と言った。

 僕はゆっくりと頭を上げていった。長く垂れ下がる髪の間から井戸に座っているプーリさんが見えた。僕はそのまま井戸に向かいすこし距離をあけて座った。だがそこはさっきの大男が飛ばした水滴で、びしょびしょに濡れていた。驚いて立ちあがると、プーリさんが自分の左側を手で叩きながら「もっとそばに」と言った。僕は肩が触れるか、触れないかぐらいの所まで来て座った。

 

最大多数の最大幸福   ベンサム

 

「私があなたを助けたのは感謝されるためじゃない。あなたがあそこに倒れていたとき、あなたは生きていた。だから死なせたくなかった……それだけの理由さ。だから過去なんてどうでもいい。あなたに生きる気があるならば、一緒に生きましょう」

 僕はこの話を自分の爪先を見ながら聞いていた。過去なんかどうでもいい……か。
 僕に過去なんて何もない。すべてを未来に置いてきてしまった。どうすればいいのだ。僕が未来に帰りたい、ここから逃げ出したいと思うと、くだらない『大口正彦』としての毎日や、汚れきった街並みが頭に浮かんできて僕を止める。かといってここにいたら、恐ろしい未来しかない。
 そこで僕はある結論に達した。『正彦』という人間はひとまず置いておいて、僕は『エレミヤ』という人間をこの世界で演じてみよう、と。

 男と女という違いはあるが僕は「記憶喪失」ってことになっているし、ルソーだってこう言っている。「一度めは人間に生まれ、二度目は男性か女性に生まれる」と。僕も人間の段階からやり直してみようじゃないか。

 2日間この状況に置かれてたどりついた答えがこれとは、自分の感性の貧弱さには吐き気がする。とにかく冷静に考えれば、プーリさんのところに置いてもらうほどいいことはない。飢えない程度の食べ物はあるし、寝床もある。これさえあればなんとか生きていけるはずだ。プーリさんにはかなりの負担をかけることになるけど、そのぶんは働いてなんとか返すことにする。歴史的問題を差し置いて、日々の命を優先させるならば、そうするしかないだろう。思いきって「一緒に」生きてみようじゃないか。
 僕はつまさきを見るのをやめて、空に顔を向けた。大きな雲が風におされて、ゆっくりと流れていった。僕はこの雲を吸い込んでしまいそうなぐらい大きく深呼吸をした。

「プーリさん、自分になにができるのか、まったくわかりません。でも、できることはなんでもしますだから、家においてください」
「なに言ってるのさ、だから『一緒に生きよう』と言ったんじゃないの」

 プーリさんは笑いながらいった。僕には「一緒に生きる」ことの意味がよくわからなかった。そんな僕の前にプーリさんは手を差し出した。

「メツァーを貸して」

 僕は必死に自分の記憶から『メツァー』を引きずり出そうとした。しかし、いくら叩いてもまったく思い出せなかった。
 その表情をみたプーリさんは「ほら、このくらいの木の筒……始めて会った時、渡したでしょう?」と詳しく説明してくれた。
 僕はいそいで胸元に手を突っ込んだが入ってなかった。たしか一昨日、これのせいで起こされたから昨日は眠る前にどかして……

「そうだ、鏡台の上だ」

 あわてていたので、つい声に出してしまった。

「じゃあ、取ってきて玄関で待っててちょうだい」

 僕は少しあせりながら、プーリさんの小さな家に向かって走っていった。鏡台の前でメツァーを手にとったとき、プーリさんはこれを何に使うのか疑問を持ったが、考えてもしょうがないので、玄関に向かった。

 僕はあの絵の前で立ち止まった。そしてこの絵についてプーリさんに聞いてみようと思った。僕はどうしてもこの絵を描いた人に会いたかった。その人なら、僕がいた21世紀を知っているような気がしたからだ。

 どう考えても、このキャンバスに広がる世界は21世紀そのものなのだから。

 僕は外に出た。玄関のドアの右上を見ると、風や雨や時代に吹かれてぼろぼろになったメツァーと思われる物が取り付けてあった。
 僕が今持っているものと比べると、どれだけ長い時間がたったのかがよくわかる。それでも原型はちゃんととどめていたし、色を見るととても威厳のある色になっている。それにたしか昨日プーリさんは、メツァーはユダヤ教徒の家のドアに取り付けておく、と言っていた。
 じゃあこれがプーリさんのメツァー……僕がそれに手を伸ばそうとしたとき、

「やっと見つけたよ。こんなものめったに使わないからね。……どこにしまったかすっかり忘れていてね」

 僕の後ろにはトンカチと釘を持ったプーリさんが立っていた。「さあ、メツァーを貸して」

 僕は差し出された手に渡そうとしたが、一度手を引っ込めて、「これを取り付けてくれるんですか」と尋ねた。

「メツァーが二つあるときは、本当は両方付けないで戸主のをつけるのだけど、一緒に生きていくのなら二つあっても神様は怒らないでしょ」

 プーリさんはいつもの笑顔で答えた。

 僕は自分のメツァーを丁寧に回してみた。これを持っていたおかげで、自分がユダヤ人だということもわかったし、プーリさんとも出会えた。それに、「エレミヤ」という名前をくれたのもこいつだ。頭にぶつかったりもしたが、いろいろと助けてくれた。だから僕は、誰にも聞こえないような小さな声でメツァーにお礼を言った。

 メツァーをゆっくりとプーリさんの手におさめた。冷たい風の吹く朝に、僕の……いやエレミヤのメツァーが鉄のトンカチと釘が激しくぶつかる音によって、僕の手を離れて家の一部となっていく。何か大切なものを失ってしまったような気がして、僕の心は冬のドイツのように冷たく寂しかった。
 しかし僕はこの冬のドイツにもっとすばらしいものを手にいれたのだ。どんなに寂しく冷たいドイツにも、僕には帰ってこられる家がある、一緒に生きる人がいる。21世紀には感じることのできなかった、「生きる素晴らしさ」が僕の心の曇りガラスを通して見えてきたのだ!

 

玉磨かざれば光なし。瓦も磨けば玉となる   毛吹草

 

 プーリさんの食前の祈りが始まった。昨日はほとんどなにも食べていないので、今すぐにでも朝食にとびつきたかったが、目を瞑って必死に我慢した。それでも匂いが僕の鼻に寄り付いてくる。プーリさんの言っている言葉を訳したりして、気を紛らわせながら、なんとか地獄の時間をのりきった。お祈りが終わるとすぐに席につき、最低限のマナーのみ守って狂ったように食べた。プーリさんは、自分の分より僕にかなり多くの食べ物をくれていたようだが、気にしているひまはなかった。食べながら昨日のことを考えると、ただでさえ腹が減っているのに二食分の食事を抜かした上に、気持ち悪くなるまで本気で走った自分の頭の悪さには、情けないという言葉がもったいないぐらいだった。
 今までだって自分の歩んできた道を振り返って、一度でも素晴らしかったと思ったことがあっただろうか。あんなに暑い日にデパートの屋上に立つようなまねさえしなければ……。
 次第に僕の手の動きが遅くなり、食べ終わるときはプーリさんとほとんど同時だった。

 プーリさんはお祈りが終わると、昨日のようにすばやく皿を集めて運ぼうとしたが、僕もそれに負けないぐらい早く、

「今日は、ぼく……じゃなくて、私がやります」

 と、叫んでいそいで皿を集めた。いくらなんでも皿洗いくらいならできるし、できることから始めなければ、なにも始まらないと思ったからだ。

 大きい皿を右手に、小さい皿を左手でしっかりと持ち、カーテンを越えたところにある台所の流し台へ持っていった。やさしく皿を置き、井戸から汲んであった水を、流しにある桶に移し変えた。水道がないとは、なんて不便な事なのだと、つくづく思いながら桶の中でじゃぶじゃぶと皿を洗った。皿を手でこする音や、水がはねる音、波打つ音、いろいろな音が、突き刺さるような冷たい水のなかにある僕の手を包んでいった。
 水のバラードが鳴り響く中、「エレミヤ」と呼ぶ声がかすかに僕の耳へはいってきた。僕は冷たい水から手を引っこ抜いて、水の演奏を中止させた。名残惜しむように水がぽたん、ぽたんと垂れる音のなか、プーリさんがエプロンを腰に巻きながら、カーテンから出てきた。

「エレミヤ、皿を洗い終わったら司祭さまに、あいさつにいきましょう」

 僕はまた桶に手を突っ込んで、水のバラードの演奏を始めた。司祭ってどんな人なのかとか、なんのためにあいさつに行くのかとか少しは気になったが、宗教的なことを言われても、自分を困らせるだけなのできかないことにした。

 すべての皿を洗い終わり、布巾で一枚一枚、丁寧にふいた。真っ白で、汚れも水滴の一つも付いていない完璧な皿洗いのできに、我ながら自分の才能に恐ろしくなった。洗った皿をすべて重ねて食器棚へ運んだ。食器棚はテーブルの後ろにあった。食器棚といっても、一番上は本棚で、中段が食器、一番下はタンスになっていた。
 皿を同じ種類に分けて片付けながら、一段上の本に目をやっていた。「トーラー」「ネビイーム」「ケトゥビーム」などの分厚い聖書が大半を占めていたが、カフカの「変身」やシェイクスピアなど、本嫌いの僕でも知っているような作品がいくつかあった。やっぱりここは、地球なんだ、と思えて、なんとなく安心できた。
 皿を全部しまい終えたので、一冊本を取ってのぞいてみた。迫り狂う横文字の恐怖! 僕は一瞬にして本に敗北し、元あったとおりに戻しておいた。

 プーリさんにこれからどうするのか聞こうと思い、また台所に向かった。黄色いバナナみたいな重たいカーテンをめくって台所をのぞくと、ちょうどプーリさんが木戸から入ってきた。手にいっぱい抱えた薪を床に下ろして、三本ずつ束にして薪入れに入れていった。僕はプーリさんが薪を入れる姿と木のぶつかる独特の音を楽しんでいた。そしてそれが、僕の中学一年の郊外学習を思い出させた。

 野外炊飯の時間があって、僕は釜戸の係りになった。しかし火がなかなか強くならないで、弱弱しく蝋燭の火のように、燃えてくれたものだから、恐ろしく硬いご飯でカレーライスを食べるはめになってしまったのだ。そのときグループのみんなから散々非難をあびて、「昔の人はすごかった」と何回も繰り返したものだ……。

 「昔の人はすごかった……か」とプーリさんの姿と重ねてつぶやいた。この声が聞こえたのかはわからないが、プーリさんは僕に気づいた。残っている薪をすべてつかみ、一気に入れて手を叩きながら立ち上がった。

「皿洗いは終わったみたいだね」

 流しに目を向け、そのあと視点を僕に向けて、困ったような顔をしてじろじろとみた。僕の顔ではなくて服をみているようだった。そういえば僕はずっとこの服を着ていたし、あまり綺麗な状態とはいえなかった。たしかになんとかしたかったが、上着は温かくて、それほど女性的なものを感じさせなかったし、下だってロングスカートだったけど中にズボンみたいなものをはいていたから、それほど抵抗はなかった。しかし着替えるとなれば……まず脱がなければならない。
 あぁ、人生はなんて冷たいのだ。せめてタイムスリップだけにしてほしかったのに、それに加えて女になってしまうとは……。
 もし自分の人生を操っている神がいるのだとしたら、僕はすぐにでもそいつからリモコンを奪い取ってやるだろう。

「エレミヤ、ちょっと来て」

 僕はやっぱり着替えるのか……と憂鬱な気分で、タンスをいじっているプーリさんの後ろに立った。プーリさんは、ちょっと僕に目をやり「その服、随分汚れているからね。その格好で外に出るわけには行かないでしょう」と言った。
 別にこのままでいい、とでも言おうかと思ったが、さすがにこれ以上は同じ服を着ていたくはなかった。宙ぶらりんな状態でさまよっていると、もう服の用意ができてしまって、「私の服で悪いけど、入らないことはないと思うから、とりあえず着ていてくれる」といって渡されてしまった。

 渡された服とプーリさんの顔を、交互に見ながら立ちすくんだ。「とりあえず……着替えてきます」

 全く気の入らない声でプーリさんに断ったあと、のそのそとベッドのある部屋へと向かった。
 とりあえず服をそのままベッドに置いて、僕もそのわきに座った。ちらちらと服を見ながら、自分の心と体に納得させていた。プーリさんが渡してくれた服も、今着ている服とほとんど変わらなかった。とても地味で、素朴だった。それだけが今の僕の幸せかもしれなかった。

 腕の袖のボタンや、首の位置にあるボタンをゆっくりとはずした。とにかくすぐ脱いで、すぐ着ようと思った。脱げる状態のぎりぎきまでボタンをはずして、着替えるほうもすぐに着られるようにしておいた。これから僕のすることは一刻一秒を争うスピード競技だ。目を瞑り、一瞬で服を脱ぎ着なければならない。僕は体育の時間にいつもやる準備体操をして、自分の心と体をおちつけた。そして自分の服を冷や汗にぬれた両手でしっかりとつかんだ。

 プーリさんは部屋から出てきた僕を見るとすぐに、「ずいぶんかかったねぇ、何していたんだい」と待ちくたびれたような顔をして聞いてきた。なんとも答えるわけにはいかず、なんとか話しをそらすために、今両手に持っている脱いだ服をどこに置けばいいのか聞いてみた。

「洗うのなら、そこのたらいに入れておいて。……ともかく服が合ってよかったよ、じゃあ行こうか」

 プーリさんはテーブルの上にある小さな帽子をかぶって言った。

 

Oh, I am so bored with it all.   チャーチル

 

 僕はプーリさんと二人で凍える空気の中を歩いていった。プーリさんは白い息を吐きながらいろいろなことを教えてくれた。

「あれは肉屋のデリの家、その奥の少し離れた丘の上に木で囲まれている家があるでしょ、あれはジルダの家。無口で無愛想な老人が一人で住んでいるわ」

こんな感じで話してくれたので、僕はただ聞いているだけでよかった。プーリさんの話を聞いていると、ここは完璧な農村地帯で、まわりは畑の海に囲まれていて、その中心に残された島のように家や店があつまっているようだった。
 ほとんどのことは村の中でできるが、どうしてもできないことがあるときは、畑の海を5マイルほどわたって「モルセイノ」という街に行くそうだ。きっと昨夜、あの野菜売りの少年が走ってきた道が「モルセイノ」につながる道なんだと、僕は思った。

 どんどん歩くにつれ、大きくなっていくものがあった。それはプーリさんの家からも見えた紺色のとんがり屋根の建物だ。僕はこれが教会だと信じていた。他の建物よりなにかが違っていて、何かが足りなかったからだ。
 間違いなくプーリさんは教会に向かっていた。そして、教会に重なっている建物をどんどん通り越して、ついに教会が形をあらわした。僕はその位置で止まった。教会の偉大な姿に圧倒されたのだろうか、僕の心はぞくぞく、と振るえた。いや、それだけではなかった。僕の目は教会の中央に飾られているマークで止まった。それはユダヤの星とよばれる星型のマークだった。僕は教科書でみたことがあったので覚えていた。たしかナチスがユダヤ人の胸につけさせたマークがこれだったはずだ。つまりこれはユダヤ教の教会!

 プーリさんも僕もユダヤ人なのだからユダヤ教の司祭にあいにいくのはあたりまえのことだった。しかし陸の孤島のようなこの村に、こんなにも立派なユダヤ教の教会があるということは……僕は思いきって尋ねてみることにした。

「プーリさん、あれはユダヤ教の教会なのですね……」

 震える声をなんとかこらえてしっかりとしゃべった。

「ええ、でも教会ては呼ばないで『シナゴーク』と呼ぶのだけどね」

 他の家の説明と同じ調子で教えてくれた。僕は張り裂けそうな頭の中をなんとかまとめて、プーリさんに質問をぶつけた。

「つまり、この村の人々はみんなユダヤ教徒……ユダヤ人なのですね」

 僕の質問が、一度でも良い答えで返ってきたことがあっただろうか。もちろんプーリさんの答えは「YES」だった。
 でもこの答えは僕にとって絶望へ一直線とはいかなかった。かえって僕にとってはよいことかもしれなかった。僕はただ未来を知っているだけで、置かれている立場はみんなと同じなのだ。一人ではない。その言葉が自分にはうれしかった。人間……特に日本人は同じ立場にいる人間が多ければ多いほど安心できるものだ。たとえそれが殺されるはずの人間でもだ。

 しかし僕の喜びはそれだけではなかった。なんとかなるかもしれない、そんな希望が微かに生まれたのだ。一人でだめなら二人でやろう、二人でだめなら三人でやろう、三人でだめならみんなでやろう! 小さいころ歌っていたこの歌が、僕の記憶の引き出しから飛び出してきた。みんなでやればなんでもできる。小さいころは本気で信じていたこの言葉、大きくなるにつれて疑い、忘れていってしまったこの言葉。小さくたって立派な街だ、みんなが生きている。みんなでやれば、きっと何かを変えられる。

 僕は心の中のなにかが変わっていくのを、薄々ながら気がついていた。それがいいことなのか、悪いことなのか、それは僕にはわからなかった。教会のまっすぐ天に突き刺さるかのように伸びている紺色の屋根を見た。冷たく強い風が僕の服や髪をなびかせた。僕はこの風を真正面から受けることしかできない。でも教会のてっぺんに止まっていた鳥たちは、この風ではるか空の彼方まで昇ってしまっていた。
 僕は少し前でとまっているプーリさんの所まで走っていった。プーリさんはいつもの笑顔といつもの声で注意するように僕にいった。「司祭さまは、あそこのシナゴークのなかにいらっしゃるからね、礼儀にきょうつけるのだよ」

 

弱き者よ、汝の名は女なり   シェイクスピア

 

 僕とプーリさんは教会の中に入った。そこは待合室のような形になっていた。その先には入り口のドアよりずっと大きく美しい扉があった。このさきに礼拝堂があるのは間違いないと思った。今すぐにでも中の様子をみたかったが、我慢するしかなかった。
 プーリさんは小さなふちなし帽をかぶった頭の先から脚の先まで真っ黒な男と話していた。顔も体つきもそれといって特徴はなかったが、とても 綺麗な声をした男だった。

「わかりました、呼んできましょう」

 と軽やかにプーリさんに言うと、大きな扉に向かって歩いていった。歩く姿をみてわかったのだが、姿勢がとてもよく歩く姿がかっこよかった。大きな扉のわきにある小さなドアに入って姿を消すと、プーリさんが寄ってきて、「彼はハイネルソン、司祭さまと二人だけで、ずっとこの教会を支えているの。おそろしく真面目でね、だからこのシナゴークがいつまでもあり続けられるのかもね」と教えてくれた。

 僕はなかなか司祭が現れないので、飾られているいろいろな物を見ていた。蝋燭立てに銀杯、ユダヤの星が大きくかかれている布もあった。宗教はなんでも生み出してしまうのだなぁ、と感心しながら見ていくと、立派な額につつまれた一枚の絵が目にとまった。あまりにもリアルに描かれている手に握られているのは花瓶と枯れている花。間違いはないと僕は思った。これは「ハンス」の絵だ。確認のためにキャンバスの左端を見てみると「ハンス」と下手な筆記体で描かれていた。
 意外な所でまったく予想をしなかった出会いに気が動転していたが、必死に落ち着けてプーリさんに「ハンス」の絵について聞こうとした。しかしこのときあの男がドアを開けて現れた。男はドアを開けたまま押さえていると、なかから腰の少し曲がった老人がでてきた。間違いなく司祭、というよりは司祭以外考えられなかった。僕は急いでプーリさんのそばに戻った。

「おはようございます、司祭様」

 と、プーリさんがとても丁寧に挨拶をした。

「ひさしぶりですね、ベイス・プーリ」

 威厳のある顔をまったく動かさないで、まるで大きな灰色の目で語りかけているように見えた。「用というのは、その娘のことですかな」といい、二つの灰色の目が僕に向けられた。なぜかとても緊張してしまって、頭がぐちゃぐちゃになりながら、

「こ、こんにちは司祭様、僕……じゃなくてわたしはエレミヤと申し上げます。……よろしくおねがいします」

 と、後悔だけが残る自己紹介をしてしまった。恥ずかしさが僕の顔を真っ赤に染めた。

「エレミヤですか……私はこのシナゴークで司祭を務めているヘルマルト・ハイネです」

 やはり司祭もエレミヤという名に、なにかを感じているようだった。司祭は手を僕の前まで上げてきたので、僕はその手をすぐに両手でつかみ握手をした。恥ずかしさに流されて、なにも考えずに行動したのがまずかったのだ。僕はまったく表情のなかった司祭の顔が驚きに引きつっていくのがわかった。プーリさんの顔を見るとそれ以上に驚いていて、なんとか取り繕うと、必死に思考をめぐらせているのがわかった。

 僕は自分が恐ろしくまずいことをしたような気がしてきて、慌てて手を離した。なんとかして謝ろうと思ったが、手を離したあとでも驚いた顔のままで握られていた手を見ている司祭を見ていると、出るはずの声も出なくなってしまった。それに代わるようにプーリさんが必死になってしゃべった。

「司祭様!! その、エレミヤはいろいろとつらいことがありまして、記憶を失ってしまいまして、その……」

 プーリさんは顔を真っ赤にして、自分の罪さえわかっていない僕を必死に弁護してくれた。司祭は「もういいですから」と手と顔でいいながら、プーリさんを止めた。
 プーリさんも落ち着き、司祭は一度せきをして、僕が握ってから動かさなかった右手を胸のポケットにつっこんで、眼鏡を取り出した。

「最近はどうも目が弱くなってしまってね」と言って、一度眼鏡をかけたが、またはずしてハンカチをとりだし、光にかざしながら何度もぬぐった。

「ところでなんの用件でしたかな?」
「あ、このエレミヤが私と一緒に生きることになりまして」

 眼鏡をふきながらやさしい声で尋ねる司祭に、プーリさんはまだ興奮が抜けきれていない声で答えた。司祭は「ほう」と言い、曇り一つなくなった眼鏡を静かに耳へかけた。

 司祭が眼鏡を通して僕を見たとき「ほう」とさっきよりも驚いた声でつぶやいた。大きな灰色の目がもっと大きく見開き、なにか素晴らしい事を知ったときのような顔をした。

「いやはや、『エレミヤ』などと名をつけるのはどんなに変わり者かと思いましたが……素晴らしい目をもっていますね、エレミヤ。この目をみた者が『エレミヤ』と名付けたのがわかるような気がしますよ」

 事実、司祭の心は自分が女性と握手してしまったことなど忘れて、『エレミヤ』の愛らしく、美しすぎる顔に打ち付けられていたのだ。特に目であった。司祭はこの目がまったく新しいものを生み出すような気がして仕方なかったのだ。司祭の脳はこの素晴らしい出会いを言葉として出すことを拒み、口から言葉が出たのは1分もしてからだった。

「わかりましたプーリ。今夜の光の祭の集いでみなに紹介しましょう」
「おねがいいたします、司祭さま」

 プーリさんが丁寧にお礼を言うと、司祭は「良き一日を、プーリ、エレミヤ」と言って、礼拝堂の方へ姿を消してしまった。

 僕達は教会を出て、家に向かって歩いていった。プーリさんは僕の失敗に対しては何も言わず、「光の祭」について話してくれた。光の祭とは、紀元前165年のシリアの圧政から解放されたことを記念する8日間の祝いで、12月12日から……つまり今日から始まるそうである。もっと詳しく話してくれたが、僕は中学の時の友達で自称帰宅部部長、「持田 哲郎」のことを思い出していた。

 あいつが言っていた言葉。「どんなにつまらない一本道だって、必ず2回は楽しめるのだ」
 帰宅部部長の演説はいつもこれから始まった。「……その訳は行く道と帰る道があるからなのだ」

 帰宅部部長は今ごろ何をしているのだろうか。あいつの言ったとおりに、僕にも必ず帰る道があるのだろうか。もう一度だけ、あいつと馬鹿な話しをしてみたい……なんて歩きながら考えていた。

 「光の祭」の説明も終わりに近づいたとき、「プーリ、プーリ」と大きな声が後ろから響いてきた。僕とプーリさんが振り返ると、声に遅れて少し太り目のおばさんが現れた。すぐにプーリさんのところへ来ると、彼女の大きな口が止まることなくしゃべり始めた。

「プーリ、プーリ、家で洗濯していたら、なんとあなたが若い娘をつれて家の前を通りすぎていくじゃないの。もうこれは洗濯どころではないと思ってね、すぐに追いかけてきてしまったんだよ。……ところで誰なんだい? その娘は?」

「この子のことかい?」と、プーリさんは自分に集中している彼女の視点を僕に移した。彼女は驚いたように僕を見たかと思えば、すぐに口が動き始めた。

「さっきはよく見えなかったけど、可愛らしい子じゃないの。さては肉屋のデリが言ってたのもあんただね! 美人だけど、変わっている知らない娘がいたって言ってたからね。でもいったい誰なんだい? プーリには親戚の若い娘なんていないはずだし……名前は? 年は? どこから来たんだい?」

 僕とプーリさんを交互に見ながらありったけの質問をぶつけてくる。しかし僕が答えられるはずがなかった。途方もない質問と機関銃を思わせる口に、僕はただ圧倒されていた。その姿を見たプーリさんはなんとかしてこの場を逃れようと口を開いた。

「彼女はエレミヤ、そのねメリット、いまエレミヤは……」
「エレミヤ!! それはたいそうな名前だね。名をつけた人の顔が見たいものだよ。……そうそうあたしゃメリット。そこの家に夫と二人で住んでいるの」

 プーリさんはこのあとにできたわずかなスキを聞き逃さなかった。「……ちょっと私の話を聞いて、メリット」

「ああ、ごめんよプーリ。あたしゃどうも一人でしゃべりすぎてしまうようだね。……でもねプーリ、あたしだって新婚当時は物静かで無口な娘だったんだよ! でもねぇ夫があんまり無口なものだからさ二人とも無口だと家の中が寂しくて寂しくて……あっ、ごめんなさいプーリ。話があるんだったわね」

 やっとプーリさんに口を譲った。プーリさんはあきれている暇もなく、とにかく自分の意見を言おうと必死になっていた。

「エレミヤは今、いろいろな事が起きて少し混乱していてね、記憶喪失になっているの。だからねメリット、いまはそっとしておいてほしいのよ」

 しっかりと言い聞かせるように言った。はたして彼女がこの言葉の意味をどのくらい理解したのかは定ではなかった。

「キオクソウシツ? ……記憶喪失!! まぁ、かわいそうに。でもエレミヤ、きっといつか記憶を取り戻せる日が来るでしょうからね、頑張るのよ。この広大な自然とやさしいプーリが一緒にいてくれれば……プーリ! まさか記憶喪失の、全くの赤の他人を自分の家に置くなんて言わないわよね」

 彼女はなにかとんでもないニュースを手にいれたように、興奮で声を張り上げ、ほとんどを好奇心に包まれ期待を表情にしたような顔でプーリさんを問い詰めた。

「いいえ、メリット」と、プーリさんは落ち着き払って答えた。彼女は素晴らしい夢から覚めてしまったように、がっかりとしたが、言葉ではプーリさんの判断は正しかったと褒め称えた。

「いくらあなたがお人好しでも、どこの誰かもわからない子を家におくなんてことしないわよねぇ……ああ、あたしゃまだ洗濯の途中だった。呼び止めて悪かったね、プーリ」

 早々に言葉を切り、自分の家へ戻ろうとする。

「まって、メリット」とプーリさんは彼女を呼び止めて話しつづけた。

「エレミヤと私は『家に置く』とかいう一方的な関係じゃなくてね、『一緒に生きて』いこう、と思っているの」

 プーリさんは「一緒に生きる」ということを強く強調して言った。僕はなぜプーリさんが一緒に生きるという事を、そこまで重大視するのかわからなかった。しかしそんな疑問も、向日葵が太陽を奪い返して明るく開いていくように立ち直っていく彼女の様子をみていると吹き飛ばされてしまった。

「つまりプーリ、この子……エレミヤはこの村で私達と暮らすことになるんだね! これは大変なニュースよ」

 と、彼女は張り裂けそうな興奮の中、飛び跳ねるように自分の家とは反対の方向へ駆けて行った。
 プーリさんはとても疲れたようなため息を大きくつき、「光の祭で司祭さまから紹介されるときは、もうあなたのことを知らない人はいないでしょうね」と、複雑な笑顔で僕に言った。

 とても大きなデリの家の前を通り、朝日にかぶる丘の上のジルダの家を眺めながら道を歩いていた。がちょうの大群が僕達のわきをうるさく通り、僕はあまりに意外な鳥達の行列に目を奪われていた。さっきからまったく話していなかったプーリさんの口が開き、「たぶんジルダのところのがちょうね、世話もしないで朝になると放してしまうものだから、毎朝ガァガァうるさくてね」と迷惑そうに言った。
 無口で無愛想で無神経な老人「ジルダ」はいったいどんな気持ちであの丘の上に住んでいるのだろうか、と振り返りながら僕は思った。

 

天才とは1パーセントの霊感と99パーセントの汗のことである   エジソン

 

 僕は家に帰ったあと、プーリさんにいろいろなことを習った。釜戸のつけ方、洗濯のやり方、水の効率的な使い方、そして教会でのマナーだ。もちろん何一つ文句は言わなかったし、言う筋合いもなかった。とにかく僕は覚えることに必死になっていた。
 もっとも利口な生き方は同じ間違いを2度と繰り返さない事だ、と僕は思っている。付きっきりで僕にここで生きる方法を教えてくれるプーリさんのためにも、僕は産まれたばかりの子供のように全てのことを吸収していった。こんなにも自分の頭がすっきりと冴えていたのは始めてのようにも感じられた。生きていることが楽しくて、時間などを刻んでいるのは時計だけだった。そう、僕が時間に戻されたのはもう日が沈んでしまった6時過ぎのことだった。

 太陽の微かな光の忘れ物で、あたりはうっすらと明るかった。まったく湿度の感じられないカラカラの空気のなかを虫の声がわたりはじめた。チィチィチィ、ジージー、チョンチョロチョン、こんなに寒いのになぜ虫が歌っているのか不思議に思いながら、僕はベッドに転がりながらプーリさんに渡された聖書を読んでいた。こんなにも膨大な量の「教え」や「きまり」で自分達の生活を拘束してつらくはないのだろうか、と思いながら600ぐらいあるページをぱらぱらと何度もめくった。男になっても女になってもやっぱり文章嫌いは直らなかった。そのとき遠くの方でトントンという木を叩く音が聞こえた。なにかと思い、僕はベッドから身を起こした。その音がした方に気を向けるとプーリさんと、まったく聞いたことのない女の声が聞こえてきた。

「プーリ、そろそろ光の祭が始まるわよ。シナゴークに行かない?」

 知らない声の女は、かなり親しい感じで話しかけていた。たぶんいつもプーリさんを誘って教会に行っているのだろう。

「あ、もうそんな時間!?」

 プーリさんは驚いたような声を上げ、「少し時間がかかりそうだから、悪いけど先に行っていてくれる?」と続けた。

「そうか、あなたの家に来た新しい娘を連れて行かなければならないものね。……じゃあねプーリ。その子のこと、教会で紹介してね」

 僕はメリットとかいうおばさんが本当に村中に僕のことを知らせてしまったことに、感心と困惑で頭を抱えた。

 プーリさんはランプに火をつけ、ぶら下がっている裸電球を消した。明るい炎の光が僕とプーリさんを包んだ。プーリさんは肩にショールをかけ頭に帽子をかぶっていた。僕はプーリさんの貸してくれたマフラーで首をぐるぐる巻きにした。そのおかげで朝以上に冷え込んでいる外に出ても、首から下が冷えることはなかった。もうみんな教会に行ってしまったのか、ランプの光はプーリさんの一つだけだった。あとは綺麗な無限の星の光と、丘の上にある小さな輝きだけであった。あの丘の上にはジルダの家があるはずである。変わり者のジルダは教会にも顔を出さないのだろうか。プーリさんから離れると闇において行かれることになるので、止まらずに丘の上の輝きを眺めつづけた。

 闇に包まれた村とは対照的に、教会だけが光り輝いていた。教会の入り口には姿勢よくたっている男がいた。僕達のランプの光に気がついたのか、手にあった懐中時計をポケットにしまうとこっちに向かってきた。あのかっこいい歩き方は、教会にいた「ハイネルソン」に間違いなかった。教会の光から抜け出して、プーリさんの光の中に入った。

「ベイス、エレミヤ、御急ぎください。もうそろそろ始まってしまいますよ。……さて、全員集まりましたね」

 ハイネルソンはそう言うと、プーリさんのランプを預かった。

「全員?」と聞き返し、僕はここからでも見える丘の上の光に目をやりながら、「ジルダさんは来ないのですか」と鋭く尋ねた。プーリさんもハイネルソンも立ち止まり、嫌な沈黙がしばらく続いた。

「ジルダはいつもこうだから……丘から降りてくることだってほとんどないしね」

 ハイネルソンをかばうようにプーリさんが言った。しかし僕にはもっと深い意味があるような気がしてならなかった。

「さあ、急がないと」

 プーリさんが言い、僕達は急いで教会に入った。ハイネルソンは入り口の鍵を閉めていたので、僕達は先に行った。思ったとおり礼拝堂への扉は開かれており、期待に胸が踊った。たかが礼拝堂を見るのに、なんでこんなにも心が湧き上がったのかわからない。でも礼拝堂に僕の知らない世界があるのは確かだった。神を信じる人々が神に近づける場所、それだけで僕の心を引き付けるのには充分だった。

 僕はプーリさんを追い越して、礼拝堂に飛び込んだ。「……すごい」

 空気が変わった。学校の体育館ほどの広さの礼拝堂は、宇宙のような空気だった。もちろん体育館のようなむんむんとした空気ではなく、永遠のモノを感じさせる空気だ。僕の真正面には巨大なステンドグラスが広がり、アークとビマー(演壇)がその下にあった。信じるということはこんなにも偉大なことなのか、と心の底から思い、前に進もうとしたそのとき、

「待ちなさい、エレミヤ!」

 プーリさんの声が後ろから飛んできて、礼拝堂のなかで何回も響いた。それが渾身の叫び声だったので、僕の心は我に帰った。礼拝席に座っている男達の視線がみな僕に集中していることに始めて気づいた。慌てて礼拝堂を見渡すと、100人ほどの人々がみなあっけに取られて僕を見ていた。また何か訳のわからない間違いをまた犯してしまったことを心から悔やみ、大急ぎでプーリさんの所に戻った。

 プーリさんは僕を隠すようにして、礼拝堂の端にある階段へ急いだ。階段の人目につかないところまで僕を登らせると、プーリさんは大きく首を振った。

「ごめんなさいねエレミヤ、私が入る前に言っておけばよかったのにね……」

 プーリさんは悔やみながら小さな声で言った。「……礼拝席より先はね、女性が入ってはいけないの。だからこの階段を上って、2階の女性用の席にいくことになっているの」

 僕は自分が本当に女なのだ、とはっきり証明されてあきらかな失望感に包まれていた。女がいきなり土俵に飛び乗ったら驚くだろうな、と自分の心をからかって自分を納得させようともしていた。
 もう僕は男としては見てもらえないのか……女としてこの階段を上がるしか、もう……。

「女性は2階なのですか……それならわたしは……2階ですね」

 ……あたりまえのことを僕は悲しい笑顔で言った。そして女性用の席に向かって、決して急ではない階段を1歩ずつ登っていった。

第一部おわり! 第二部につづく?


後書き? 〜すべてに対して感謝の言葉を〜

 『生きる事は時代とともにあり』、ここにて第一部を終了させていただきます。そこで少しながら後書きをさせていただきたいと思います。

 「まずはすべてにありがとう」

 なんと素晴らしい言葉でしょうか。僕はこの言葉の通りにお礼を述べたいと思います。
 まずは誤字脱字の多く読みずらい文章を編集して下さり、その上掲載もしてくれた「少年少女文庫管理委員会」様にありがとうございます。そしてこのナメクジと納豆が混じったようなひどい文章を読んでくれて、そのうえ、僕が存在さえ知らなかった感想欄に感想を書いてくださった人々にありがとうございます。

 最後に僕がこの話を書く上で目標としている「7割のウソと3割の真実」のために使用した三冊の本、そして勉強のふりをして1933年のドイツ生活や現状について質問した世界史の先生に、実際にはお礼を 言えないのでここで言わせてもらいます。「ありがとうございました」

 さてここで、この訳のわからない話を少しでも理解してもらうために僕の個人的なこの話しに対する解説をさせていただきます。

 まずは、なぜここで第一部を終了させたかといいますと、それはここまで僕(ヤマダ)がエレミヤになって書いてきたのですが、ここから先の物語はエレミヤの心理的な面より行動を重視していくつもりですので……本当のことを言うと、エレミヤの気持ちになって物語を書いているとぐちゃぐちゃになり話が長くなってしまうので、僕は筆者としてこのどうしようもない物語をクリアリーに、素早くラストにつなげたいと思います。なぜこのようなことになったのかは、個人的には第1話でこの話を終わらせて続きも考えていなかったし、書かないつもりだったからです。そのために「つづく?」とつけたのであります。ですから、話しが全体的に混乱しておりますし、自分が書いた話など読み返さないものだからぐちゃぐちゃですがご了承願いたいのであります。

 そこで僕が今回の話を書いていて、自分で疑問に思った事を自分なりに解説していきたいと思います。
 ではまず訂正です。この話の第1話に、確かエレミヤがヒトラーの首相選挙演説をラジオを通して聞く場面があったはずです。この時点では1933年の12月で、歴史に詳しい人……というか一般常識かもしれませんが、ヒトラーがドイツ帝国首相になったのは1933年1月30日なのです。これではヒトラーは当選したあと11ヶ月も選挙演説をしていたことになってしまいます。これはまずい! と気がついた時にはもう遅く、何も調べずに書いてしまった自分をせめるほかありませんでした。こうなれば歴史を変えてしまうしかありません。これから起こることを1年ずつ繰り上げていきます。戦争が終わるのも1946年になってしまいますが、悪いのは僕ではなく時代を変えたエレミヤです。ただ一人の女性が現れただけで帝国首相の着任が1年遅れるとは、まったく歴史とは恐ろしいものですよ。

 次に疑問に思ったのは引用文のことであります。
 感想欄に「引用文の関連性がわからない」と書き込んであって、僕は我に帰りました。なぜ僕は引用文をこんなに使っているのか、と。良い言葉や好きな言葉を見つけるとただ面白いから暇つぶしもかねて夢中で載せていたのです。だから「これからわかっていくのでしょうね」なんてことありえません。始めの文字をつなぐと言葉になるとか、あったら楽しかっただろうなぁと思ったけれど、僕の好きな言葉をそれだけ捜すのも大変だしそれでは暇つぶしになりません。ですから引用文は無視してくれても結構ですが、これらの引用文の中から自分の愛せる言葉を見つけてくれれば、それほど嬉しいことはありません。

 最後ですが「なぜプーリさんの夫と子供は死んだのか」です。
 これに関しては本文で語られないと思いますので、ここで言い分けをさせていただきます。確かにプーリさんは第2話で「私は夫と子供を戦争で失って……」とありますが、疑問に残るのは「なぜユダヤ人であるプーリさんの夫と子供が、戦争で死んだのか?」です。この時プーリさんは、2歳の女の子と28歳のドイツ人の夫がいて金銭的な面を除けば幸せにやっていました。しかし戦争が激しくなるにつれ、まだ若い夫は戦地に飛ばされて、プーリさんは軍事工場で働くことになります。その工場内にある保育所が爆撃を受けてしまい、預けていた子供は死んでしまいました。プーリさんにはそんな悲惨な過去があったのです。プーリさんは「ただ生きていたからあなたを助けた」とカッコをつけていますが、エレミヤを助けた理由の一つに子供のことが忘れられないこともあるのでしょうね。

 では話は第二部に移ります。できるだけ早く短く終わらせますので、どうかよろしくお願いします。

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