戻る


あさひはまた昇る (中篇)

作:あおき あきお


(前編ダイジェスト)
 親友、武本透(たけもと とおる)との友情を取って、失恋してしまった太田匡(おおた ただし)。  友情のためとはいえ、やはり落ち込む匡。そんな彼を慰めるため、幼馴染みで弟分の河村旭(かわむら あさひ)が立ちあがる。
 旭は女装すると、匡の想いの人、飯室沙代子(いいむろ さよこ)そっくりになるのだった。
 デート大作戦の影の司令官、旭の姉である香(かおり)によって、旭は山村夕姫(やまむら ゆうき)として匡とデートをしたのだった。
 デートはうまくいき、匡は元気になったが、旭は彼をだましているようで気が気でなく悩んでいた。
 しかし、運命の神様のいたずらか、姉のノートパソコンに引っかかり、感電してしまった旭はなんと女の子になってしまったのだった。
 後継ぎが女の子になってしまい、大騒ぎになる河村家。香の提案により、その場はなんとか収まったが、あさひのこれからの運命はどうなるのか?
 匡との仲はどうなるのか?
 怒涛の中編スタート。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ピピピピ、ピピピピ
 カチッ
 無意識に目覚ましを止める。
 『もうちょっと寝たい』そう思って再び布団に手を戻した瞬間のことであった。
ムニ
 胸がある。
 分厚くはなかったが、男らしくなるために母親に無理やりやらされていた古武道のおかげで硬い胸板のはず。今の感触は何かが違う。
 思考停止状態の脳が現状だけを認識し、記憶が混乱する。
「うああああああああ」
 パニックに陥るが、はたと気づく。
「あ!」
 一気に目が覚め、現実に引き戻される。
「思い出した。昨日、そういや、女になっちゃったんだ」
 あさひは思い出した、昨日姉のパソコンに引っかかって、感電して体が女の子になったことを。
 もう一度確認するように胸をさわりその感触を確かめる。少し小ぶりな胸は、感度がよく、存在感と共に不思議な快感をあさひに与える。
 そして、パジャマをめくって、股間を覗く。やはりそこには毎朝元気な存在はない。
「はぁ〜〜〜〜」
 肺の中に入っている空気をすべて吐き出すほど長いため息をつく。
 感電して性転換するなんてあまりにも非現実的なことだったので、一晩たって元に戻ることを期待したが、そうはいかなかった。
 がっくりとうなだれて台所に向かうと、姉の香に出会う。
「あさひ」
「ん?」
「おはよ」
「おはよう……」
「ねぇ、ねぇ、あんた朝、自分の胸を触って確かめた? 元もどってないっかって……」
「……う、うん」
「がっかりした?」
 これ以上に楽しいことはないという笑顔を浮かべて次々と質問してくる姉に、あきれて声も出ない。不満そうにクビを縦に振る。
「…………」
「お約束どおりね、いいわ」
 香は目をつぶってちょっと打ち震えている。
「姉ちゃん、ボクの不幸を思いっきり楽しんでない?」
「不幸? ばかね、この奇跡を喜んでるのよ。いい、生きているお人形が……」
 香はその理由を語り出したが、あさひは聞き流すことにした。
(聞いたボクが本当にバカだった)
 食事や身支度を整え、学校の支度をするため部屋に行くと香が部屋の前に立っている。
 なんとなく予想はしていたが、お約束の女子の制服を持って待ち構えていたのである。
「着ないよ」
 香が用件を切り出す前に先制攻撃をしかける。
「え? 男のカッコのまま登校するの?」
「当たり前だろ、ボクは男だし、いきなり、女子の制服で行ったりなんかしたら、変態に思われるよ」
「……似合ってかわいいのに……」
「ばれるまでこれで行くからいいよ。それと、姉ちゃん、お願いだから無理やりばらしたりしないでよね」
 一気にまくし立てるあさひ。
「特に匡兄ちゃんには、ばれるわけにはいかないから」
「あたしだって鬼や悪魔じゃないから、そこまではやらないわよ」
(『うそつき』)マックスボリュームで突っ込みを入れるあさひ。ただし心の中で、である。
「とにかく、ボクは、このままで行くからね」
「じゃ、ちょっと男っぽくメイクしてあげる」
 そういって部屋に入り、恒例となった眉を書いてもらう、これだけでもずいぶんと印象が変わる。
 すっかり女顔になったあさひも、ちょっと男の時代の顔つきに変わる。
「今日は学校が終わったらまっすぐ、家に帰るのよ。あたしもすぐに帰るから」
「姉ちゃん部活は?」
「あんたが、こんなことになってるのに部活どころじゃないでしょ!」
「姉ちゃん……」
 ちょっぴり感動して目をうるますあさひ。
(だまされている、絶対にだまされている)
 心の中で『ニヤソ』と笑う香がいた。遠高演劇部の『白い悪魔』は伊達ではないようだ。
 もともと女子の平均ぐらいの身長(160センチ)しかないので、着るものに問題はなかった。しいていうなら、ズボンのお尻がパンパンになって少しきつかった。逆にウエストは少しゆるい。
 衣替え前なのが助かった。暑くはなってきていたが、制服の上着さえ着てしまえば、軽く胸にサラシを巻き、声を少し低めに話すことで、旭になることができた。後は平常心を保つことができれば、なんとかなる。
 心配していた学校だが、体育がなかったおかげか難なくクリアしてしまった。
 周りの生徒も何も気づかず、昼にて学校を終えるのであった。
 まっすぐ家に帰ると、もうすでに姉が準備を終えて待っていた。
 昼食もそこそこに、姉の部屋に連れて行かれる。
「さ、これを着て」
 香はアイボリーのタンガリーシャツと薄い水色のキュロットスカートを差し出す。
「なにこれ?」
「着替えよ。これからデパートへあんたの服を買いに行くのよ」
「なんで服を買う必要があるんだよ」
「バカね、あんた下着はどうすんの? ブラは合うサイズがないし、なにより下もあたしのずっと借りるつもり?」
「う……」
 香の気迫に押されるあさひ。
「いいよ。自分の服を着て行くから」
「あんたって救いようのないバカね。男物着て婦人服売り場に行くほうがよっぽど勇気が要るけど……。店員さんもしっかりチェック入れるし」
「だからって、なんでこんなのを着なきゃならないんだよ」
 ここが正念場とばかりに抵抗をするあさひ。
「パソコン」
「え?」
「あれ高かったんだな」
 にやりと笑う香、まさに悪魔である。
「弁償してもらおかな」
「ううっわかりました。絶対服従です」
「でも、今のあさひちゃんならバイトで一発返済可能かもよ」
「へ?」
「『エミリーズ』あそこの制服かわいいし、時給も超いいのね」
「…………」
「『はいから通り』の袴姿も捨てがたいわね。露出度弱いから時給はちょっと下がるけどね」
 あさひは、『エミリーズ』の胸を強調した制服のスカートの短さを思い出し身震いした。
「でも、あさひちゃんの胸じゃ、『エミリーズ』はちょっとね」
 あさひの胸元で手をひらひらさせながら香りはつぶやく。
 当の本人は胸のことをいわれ、ちょっとむっとする。
 しぶしぶ香から渡された洋服を着込むと、あさひはどっから見てもかわいい女の子になっていた。
「うん、胸は控えめだけど、なんでも着こなせるいい娘になったわね。姉さん鼻が高いわ」
 (キュロットだからちょっとだぶだぶのズボンだと思えばなんともないんだけど、ご丁寧にパレオみたいに別パーツの生地がまきついているから、スカートをはいているように見えるんだよね。ちょっと恥ずかしい。
 姉いわく訓練用の衣装だそうだ。常に鏡を見てスカートをはいているように意識しなさいと言うことらしいけど……、べつにね。慣れたくもないや。
 でも、なんだかんだ言っても色々と気を使ってくれる姉の存在がうれしいな。
 ちなみに上は黄色にロゴが黒でプリントされているトレーナーを袖をまくって着ている。暑いけどサイズの合うブラはないし、サラシをしていくのもなんだったので生地の厚いものを借りたんだ。  あ〜あ、女の子のカッコ恥ずかしいよ〜)

「母さんから軍資金はたんまりもらっているから、安心してかわいいやつ選んでいいわよ」
(前言撤回。どうやらボクはまた、姉の『飴』にだまされたようだ。今は『鞭』を持って舌なめずりをしているように見える。こうしてボクの一人ファッションショーの開催が宣言された)
「さ、まずは下着からよ。あ、すみませんこの娘の下着のサイズ測ってほしいのですが……」
 近くにいる店員を捕まえて着々と準備を整える香。あさひはおとなしく従うことにした。
 更衣室に入り、上を脱ぐように言われる。
「ぬ、脱ぐんですか?」
「はい、正確に測っておいたほうがいいでしょうから」
 後ろから香が頭だけをカーテンに突っ込んで覗いている。その顔は『有無を言わさないわよ』と言っている。
 あさひがしぶしぶ脱ぐと、店員はてきぱきと採寸する。数字や記号を色々言われるがいまいちピンと来ない。すると、香が声をかけてくる。
「帰ったら教えてあげるからね」
 そういうと、首を引っ込めた。店員のお姉さんは「ちょっと見立ててきますね」といって売り場のほうへ歩いていった。
 とりあえずしばらくはやることがなさそうなので服を着ると、そこへ香がカラフルな布を持って店員と一緒に帰ってきた。
「あさひちゃんのサイズに合ったものを見繕ってきたわよ」
 香はわざと無難な柄を持ってきていなかった。
 白にワンポイントぐらいなら何とかと思っていたあさひだったが、香のチョイスしたものはおとなしいものでパステルカラーのしましまや恥ずかしいプリントが施された白、はたまたスケスケレースといったものだった。
 レースは冗談のつもりだろうが、それ以外には拒否権はないだろうと悟った。
「さあ、試着タイムよ」
 ここは香を刺激しないで、一通り着てみせる作戦に出た。
 レースの下着を着たときは、イチゴのように赤くなる。
 香は冷静に全体を見て感想を述べた。
「……う〜ん。やっぱり、そこそこのスタイルじゃないと似合わないわね」
(人を散々おもちゃにして、挙句にこういうことというのか! この姉は!!)
 さまざまな感情があふれ、怒りに燃えるあさひだったが、何とか持ちこたえた。
 結局、パステルカラーのものと、赤いリボンが所々についている白の上下セットを5点買った。
 おとなしくしていたかいもあって一着だけ濃紺のスポーツタイプを買ってもらえたが、勝負用といって派手な赤と、おとなしめの黒のレースも押し付けられた。
 次に家用にとスパッツや短パンと裾の長いTシャツなどを買う。
 香から強烈にネグリジェを強要されるがなんとか譲歩してもらい、ネグリジェに近いパジャマで落ちついた。正確に言うとネグリジェのようなフリフリのワンピースタイプの上着に裾がフリフリのズボンとのセットになっている。色気というよりは幼さが強調されるのでこれは大失敗だったと後悔するあさひだった。
 いよいよ、香の期待していたメインイベント、洋服の番になった。
 このときとばかり、エプロンドレスやピンク○ウス系のフリフリドレスを持ってくる。
 エプロンドレスを着たあさひを見た香は、文化祭で彼女を主人公にした『不思議の国のアリス』オリジナルをやろうと思いつく。もちろん、あさひにはなにも言わない。
「次これね」
 今度はタイトスカートに、白いシャツを渡す。
「これで黒いストッキングも試着できればいいんだけど。さすがにそれはないか……」
「お姉ちゃん、さっきから買うつもりのない服ばかり、選んでるでしょ!」
「失礼ね、ちゃんとあさひの可能性をみてるのよ。まだ、アダルトな服は似合わないわね」
 事ある毎にスタイルのことを持ち出す香に、あさひは無性に腹が立ってきた。だが、それが女の子としてのプライドが芽生えているためだということには気付かない。
「だったら、最初から着せなきゃいいでしょ」
 香は本気で怒るあさひを見ながら心の中でほくそえむ。
 むかむかしているあさひに、今度はミニのプリーツや裾の短いフレアのワンピースを渡す。
 あさひは怒りで何も考えずフレアのワンピースを着てみる。鏡を見てまんざらでもないと確認すると香を呼びつける。
「お姉ちゃん、これなら文句ないでしょ」
 香は術中にはまった弟(妹)を腕組みをしながら見つめる。
「あら、本当! 似合ってるわ、でも次はどうかしら?」
「……みてろよ……」
 闘争心に火がつき、気を良くしたあさひは次に着替えかかる。
 どれも、香が本命として選んできたものだけよく似合う。
「あら、あさひちゃんはかわいい洋服がよく似合うわね」
「でしょ」
 香にうまく乗せられ、ちょっと天狗になる。
「じゃそれ、みんな買いましょう」
「え?」
 ここで初めて姉にはめられたことに気づく間抜けなあさひ。
 結局、香の趣味で選んだミニスカートや夕姫をイメージしたワンピースやスカートを買って帰った。
「かわいい服や、女の子らしい服ならお金を出すという約束になってるからね。ボーイッシュなものがほしければ、自分の小遣いで買いなさい」
 『買ったからには、絶対着せられるのだろう』そう思うとブルーになるあさひだった。
 帰って早速、タンスの中の強制模様替えが香によって行われる。まだ変装用の男物もいるので、冬物をすべてダンボールにしまわれる。
 実は香のこの行為は、あさひに対して『冬までもたないわよ』とのメッセージも含まれていた。しかし、『にぶちん』の彼(彼女)は気づかない。

 2度目のデートの日。朝から河村家は黄色い声が響き渡る。
「あ・さ・ひ」
 香は、白い半袖のブラウスと赤色のプリーツのミニをもってあさひにせまる。
「やだ、今日は絶対にミニなんか穿かない」
「匡君も喜ぶわよ〜♪」
「いやだよ、そんな短いの、お姉ちゃん一番短いのをわざと選んでるだろ」
「何いってんの、フレアのワンピースのほうが短いわよ」
「今日は夕姫用に買った黒の上下を着るって決めたの」
 まだ完全に吹っ切れてないのか、男言葉と女言葉が混じっている。
「それじゃ、その代わりに……」
 案の定黒のレースセットを持ち出してくる。
 ほとんどの下着は、あさひの控え目な胸に合わせてローティンズ向けのかわいいものだったが、この黒のレースと、赤の下着はサイズこそ合わせているもののデザインは妖艶なアダルトタイプになっている。
「……こ、こんなの、こんなの、……いやらしいよ……」
「このままじゃ一生お子様ね、雰囲気を出せば胸も大きくなってくるわよ」
「ベストがあるたって、ブラウスは白なんだよ。透けちゃうよ」
「じゃ、この黒のタンクトップを着ればいいわよ」
「……え〜」
「洋服は譲歩してあげたじゃないの。下着はしたがってもらうわよ」
「でも、これ……」
「やけに抵抗するわね。……はは〜ん、本日さっそく下着を公開するつもり?」
「ち、ちがうよ、そんなわけないじゃないか。いきなりこんな下着……」
「慣れよ、慣れ。何事も経験ね。ハイ、決定。逆らえば、あさひちゃん恥ずかしい写真大公開!!」
「なんだよそれ!!」
「あんたがあまりにも無防備だったからつい、ね」
 『ね』でかわいい仕草をとって、デジカメを見せる。
 あさひの完敗である。姉の言うことに従うことにした。
 しかし、これが後で思わぬ事のきっかけになろうとは誰も予想しなかった。
 黒のロングスカートとおそろいのベストの組み合わせにして、ブラウスの裾を出してワンポイントにする。
 ちょっと暑苦しそうな色だが、『避暑地のお嬢様』的な雰囲気はよく出ている。
「なんかスースーするよ」
 スカートの前をちょっと持ちあげて、ひらひらとさせながら最終的な身だしなみチェックを行う。
 ロングスカートで隠れてはいるものの、やはりズボンとはかなり感覚が違う。前回のワンピースの時は『ばれやしないか』という緊張感がありそれどころではなかったが、落ちついてみるとその喪失感も伴い股のあたりが頼りなかった。
 また下着も昨日まで穿いていた綿のものとは違い、レース系の薄手なものなので、穿いた心地がしない。
 『昨日のキュロットにしとけばよかった』と思う夕姫(あさひ)だった。
 今回も夕姫(あさひ)が少しだけ早くきて、匡は時間通りにやってきた。
「お、おはよう山村さん」
「おはようございます。太田さん」
 匡は、『なんとなくこの前より胸が小さくなっているような気がする』と無意識にチェックを入れてしまう自分が恥ずかしかった。
「きょ、今日は自然公園へ行かないか?」
「……え? は、はい」
 二人は2駅先の自然公園へ行くことにした。
 五月の下旬の陽気は、ちょっと暑いぐらいになるが、公園の木々の間は少し涼しかった。
 ときおり強い風が吹き、ザザザっと林を鳴らしていく。
 匡は今日の夕姫(あさひ)が、ものすごく女の子っぽく見えて、この前以上にどきどきしていた。
 前回も可愛いなとは思っていたが、フェロモンみたいなものを感じることはなかった。
 しかし、今日は、女の子独特の色気というか色香が漂っていた。
 風で髪が弄ばれると、それを片手で丁寧に直すしぐさがまた『ぐっと』くるのだ。
 緊張しまくりの匡は、話したいことはたくさんあるのだが、何から話してよいか考えあぐねていた。
 というより、夕姫(あさひ)といっしょにいるだけで満足できた。
 夕姫(あさひ)はというと、下手にしゃべるとぼろが出そうなので、これ幸いとだんまりを決めていた。
 ただ、時々匡の方を向いては彼のうれしそうな顔を見て微笑んでいた。
 このままでは、永遠に見詰め合ったまま歩くと思われたが、しばらく歩くと林が切れ、中央の池が見える。
 匡は突然想いついたように夕姫(あさひ)に声をかける。突然のことに夕姫(あさひ)は驚く。
「ボートに乗ろうか?」
「あ、はい」
「じゃ、行こう」
 匡は自然と手を伸ばし、夕姫(あさひ)の手を取ってエスコートする。
「あ!」
「ご、ごめん。つい」
 匡が手を離そうとすると、今度は夕姫(あさひ)が優しく握り返す。恋人同士が手を握り合うというより、小学生のカップルが照れながら手をつないでいるといった感じである。
 二人はレンタルボート乗り場に向かうが言葉はない。しかし、雰囲気で会話を楽しんでいるように見える。
 少女漫画でありがちな、『ぽわぽわ』で囲まれている状態を思い浮かべて欲しい。
 匡はボート代を払うと、先に乗り込んでボートをがっちりと桟橋に固定して、夕姫(あさひ)が乗りやすいようにしてやる。
 さきほどとは違い今度は、ちょっと芝居がけて手を差し出す。
「さあ、姫君お手をお取りください」
「よしなに」
 夕姫(あさひ)はくすりと笑って手を差し出し、そして空いた手でロングスカートをちょっと持ち上げて、ボートに乗り込む。
 池の中央までは力強く漕いでいた匡も、今は操船にとどめ、夕姫(あさひ)に話しかけてきた。
「ほんと、いい天気になってよかったね」
「ええ、ちょと日差しが強いぐらいですね」
 夕姫(あさひ)はちょっとまぶしそうに手のひらをかざして、匡に笑顔を向ける。
「じゃ、あっちの木陰のほうまで行こうか」
 そういって再びボートを、木が茂る湖岸まで進める。
「あの、山村さん、その、なんでオレのファンになったの?」
 唐突にすごいことを質問する匡。
「ええ?」
 夕姫(あさひ)は困った顔で匡を見たが、彼は見つめてうなずくだけだった。
 絶対に答えて欲しいことだ。
「ええ、その太田さん一生懸命練習しておられるし、大会でもがんばっておられるし……」
 話すうちに何をしゃべっていいかわからなくなり、思わず旭としての考えを話してしまう。
「……後輩の方たちの面倒見はいいし、なにより優しそうだし、その、いつも守ってもらえるようで頼もしいところ…………です」
 その答えを聞き逆に驚く匡。
「……そ、そんなところまで見られてたの?」
「あ、いえ、色々お話を聞いたんです。そう、大会などで遠山高校の方と知り合いになりまして、話しを聞いていたら、その、ファンになったんです」
「そうなんだ。ね、山村さんのことも、オレ知りたいな」
「へ? え、ええ〜〜」
「山村さんの好きなものって何? 食べ物の好みとかでいいんだけど」
「す、好きな食べ物ですか……」
 突然の展開だったがこれくらいの質問なら、前回香と打ち合わせおいた山村夕姫のプロフィールを思い出して答えられる。
「甘いものは、洋菓子でも、和菓子でもフルーツでも好きです。特に好きなのは生クリームをたっぷり使ったケーキです。夏はゼリーとかもさっぱりしていいですね」
 これは夕姫でなくあさひも好きなので、何かあっても疑われることなく食べられる。ただ、あさひは一部の和菓子、特に干菓子なんか苦手である。あんこは実は『こしあん』派であったりする。
「へー、じゃ、おいしいケーキやさんとか探しておいたほうがいいね」
「あ、駅前にできたパン屋さん」
「ああ、2階がレストランになっているところ?」
「はい、そうです寿々屋さんは、お昼にケーキやサンドイッチ食べ放題をやっているんです。おいしいですよ」
「サンドイッチも?」
「ええ、甘いものばかり食べていると、たまに塩気のあるものがほしくなるんです。口直しみたいなものなんですけど。ですからいくらでも食べられますよ」
 これは、ケーキ食べ放題好きのあさひの意見。
「へーそうなんだ。そう言えば、オレの知り合いで、旭っていうやつがいるんだけど、こいつが男のくせにケーキとか好きでね。山村さんと同じこといってたような気がする」
 『旭』という単語にドキっとする夕姫(あさひ)だったが、ふと思いつく。
「へえ、なかなか通な人ですね。でもケーキ食べ放題にくる男の人って少ないんですよ」
「ああ、旭は外見は女の子みたいだからな、混じってもわからないよ」
 『しめた』、ほしいキーワードが匡から出てきて、夕姫(あさひ)はたたみかける。
「もしかして、太田さんの言ってる人って、よく競技会にくる人ですか?」
「ああ、多分応援に来てると思うよ」
「あの人、旭さんて言うんですか、実は太田さんのこと、色々聞いたの多分その人だと思います」
「え? 旭を知ってるの?」
「太田さんのことを『お兄ちゃん』って呼んでおられたのでてっきり妹さんだと思ってました」
「そうだったのか。ははは、でも妹に見えたか。本人の前では言ってやるなよ。あれであいつ気にしてるから」
「はい、そんなこと言えません。旭さんからは太田さんのことをたくさん教えてもらいましたから」
 自分のことを第3者として話すのは照れくさかったが、これで話題をそらすきっかけを掴んだと思った夕姫(あさひ)だったが、そうはうまくいかなかった。
「だったら、オレも、もっと山村さんを知らなきゃいけないな」
 今日の匡は手ごわかった。
「ね、趣味は?」
「はあ、趣味ですか。……そうですね洋画を見たり、陸上競技を見たりですね」
 とても無難な回答を返す。これはあさひの趣味とはちょっと違う。旭は『ご近所探検』というちょっと変わった趣味を持っている。
 もう少しまともにいうなら地域密着型歴史散策というべきだろうか。近所の遺跡とか歴史を調べるのが趣味なのだ。本人いわく意外な発見の連続でものすごく面白いそうだ。
「この前も言っていたね。じゃ休みの日はなにしてんの?」
「そうですね、本を読んだり、ビデオを見たり、お友達と買い物に行ったりしています。ウィンドショッピングとか結構好きなんです」
「へえ〜、女の子っぽくっていいね」
 『この状態は非常にまずい』どうかわしていこうかと、少し挙動不審な動きであたりを見回していると、いいものを見つけた。
「あ、蝶々」
 そういうと葉の上に止まる蝶を見るため、立ち上がる。
「危ないよ、山村さん」
 その矢先、強烈な風が湖面に吹き渡る。
 不安定な船の上で、突然の突風であおられ、バランスを崩す夕姫(あさひ)。
 プニ
 柔らかい感触が匡の手のひらに伝わってくる。とっさに助けようとして胸に触ってしまったようだった。
「いや」
「あ、ご、ごめん」

パン

 あさひは、思わず匡の頬を叩いてしまう。その反動でまたバランスを崩し倒れる。
 匡は今回も助けるために手を出す。
 そのとき2度目の突風が吹き、夕姫(あさひ)のスカートがめくれあがる。
 しかし匡にそれを気にしている時間はなく、視界をスカートにさえぎられても彼女を抱きとめようと懸命に体を張る。
 その甲斐あって、夕姫(あさひ)が頭を船縁にぶつけないよう船に横たえることができた。
 彼女をゆっくりとおろすと、目隠し状態のまま少し後ろに下がり、船のバランスを保つために腰を落ち着けようとする。
 そのとき初めて、自分の頭上を覆っているものが、彼女のスカートだということを思い出す。
 見下ろすと、そこにはまぎれもない女の子の秘密の場所があった。
 匡が支柱の役割をし、本来そこを隠すスカートはその頭上にあり、そこにはまぶしいぐらいの光線で照らされる。
 黒い下着はレースなので、夕姫(あさひ)の女の子の形や淡い茂みまでわかる。
「うわ、うわ、うわ」
 あまりのことに動揺する匡。しっかり見つめつつも、すぐに「もっと見たい」「今すぐ目をつぶれ」の本能と理性の激しいバトルが心の中で繰り広げられる。
 夕姫(あさひ)も現状を把握できたようだ。
 目の前の黒いスカートに覆われた匡が、海坊主のように見える。
「いやー」
 その声で、匡の理性が勝った。
「きゃー、きゃー」
 条件反射で、匡の頭を押さえつける。匡はバランスを崩し、頭から夕姫(あさひ)の股間に突っ込む。
 次に夕姫は、股を閉じようとする。それはよけいに自分の股間に押さえつけていることになるのだが、夕姫(あさひ)はパニックに陥って気づかない。
 匡はなんとか夕姫(あさひ)のスカートから抜け出そうとするが、ロングスカートがあだとなった。もぐりこむのも難しいが、脱出するのも同等の苦労を要する。夕姫(あさひ)の下着や股間の鑑賞だけではなく、感触や香りまでしっかり味わってしまった。
「落ち着いて、山村さん。落ち着かないと出られないんだ」
 懸命に夕姫(あさひ)を落ち着かせようとする。
「オレ、目をつぶってるから。ね。ゆっくりと後ろに下がって。オレも下がるから」
 夕姫(あさひ)は、我に返って匡の言うことに耳を傾ける。
「そうすれば、スカートを捲り上げることなく出られるから」
 小鳥のさえずりと、ボートのきしむ音のするなか、二人は落ち着いて身繕いをする。
 夕姫(あさひ)は終始真っ赤になって、体を縮めるようにひざを抱えている。心なしか震えているようにも見える。
 匡もどう声をかけて良いかがわからず、無言のままボートを桟橋に戻す。
「……ごめんなさい……」
 あさひはそれだけを搾り出すように叫ぶと、全速力で駆け出した。
 陸上部員の匡なら、すぐに追いかければ簡単に追いつけるのだが、あえて一人にさせたほうがいいと思い、そっとすることにした。

 夕姫(あさひ)は、とにかく家まで全力で走った。そして玄関にたどり着くと、あふれる涙を両手でぬぐいながら、自分の部屋まで倒れこむように入っていく。
 乱雑にウイッグ以外の身に着けているものをすべて脱ぎ、生まれたままの姿になる。
 姿見に向き合うとおもむろに『ギュッ』と自分の胸を揉み扱く。適度な快感の直後に激痛が走る。
「はぅ!」
 そのまま、ベットにダイブする。
 小学校のときに隣の女の子の胸が直接見えたとき『ドキッ』としたり、それからも『見えないかな』とわざと覗きこんだりしてたこと。
 中学校の委員会で、クラスで一番かわいいと評判の娘と夏休みの誰もいない教室で作業をしていたとき、彼女のブラの隙間から見える『ポッチ』に欲情してしまい、自分を押さえられなくなってトイレに駆け込んだことを思い出していた。
 あさひも普通の男の子だったので、その激情が暴走する怖さや絶える辛さがよくわかる。
 自分ならどうしていただろう。我慢できず押し倒していのではないか、逃げる彼女を追いかけて逃げる理由を聞いていたのでは?
 それを我慢して、どこまでも自分(夕姫)にやさしくしてくれた匡の気持ちに気づいてしまったのだ。
 匡の自分(夕姫)に対する気持ちに胸が痛むあさひだった。
 男の自分では、彼に応えてあげられない。
 優しい彼を傷つけてしまうだけだ。
 そう思うと、涙が止まらなかった。
 泣きながら帰ってきて、部屋から一歩も出てこないことから察してか、香もその日は、あさひの元にはこなかった。

「ボク、おにいちゃんのおよめさんになるよ」
 男の子のカッコをして泥だらけになった女の子と同じように、泥だらけで脇の部分が破れたシャツを着た男の子が手をつないで歩いている。
「ばかだなぁ。男はおよめさんになれないだよ」
「なんで?」
「男どうしはけっこんできないからだよ」
「じゃ、ボクおんなのこになる」
「あはは、いくらおまえが、女の子っぽくてもなれるわけないだろ」
「いっしょうけんめいおねがいしたらゆめはかなうもん」
「よし、おまえが女の子になたっらおよめさんにしてやるよ」
「ボク、まいにちおいのりするからね」

 翌日はいつもより早くが覚めた。夕べはいつのまにか寝てしまったようだ。
 なにか懐かしい夢を見たような気がするが、よく思い出せない。
 朦朧とした頭で、横を見ると香が部屋に置いてくれた姿見の中のあさひと目が合う。
 目は真っ赤に腫れ上がりひどい顔になっている。
 とりあえず顔を洗いたかったので、下におりることにする。
 顔を洗ってちょっとさっぱりすると、後ろから声をかけられる。
「おはよ、あさひ」
 香は、心配そうな顔をしている。昨日のことには触れようとしない。
 あさひは、『あんた昨日どうしたの?』と聞いてくるとばかり思っていたので、香のこの行動が不思議に思えた。
 『今日は、学校を休もう』と決心して部屋に戻ろうとすると、香がいつもの化粧道具を持って待っていた。
「さ、やっちゃおうか」
 いつもと変わらない態度で接してくれる。恐らく気を使ってなるべくいつもどおりにしてくれているのが、あさひでもよくわかる。
 姉は、自分を旭として扱ってくれる。旭に戻れば変なことを考えずにすむだろうと思った。
 (やっぱり学校へ行こう)
 しかし、学校に行っても上の空で、クラスの友人たちも最初はいぶかしがったが、何を言ってもやってもなしのつぶてだったので、そっとしておくことに決めたらしい。
 その日だけは『ばれちゃダメだ』とか考えることもなかった。
 頭の中では匡に対する気持ちの言い訳を一生懸命考えては、その強さと確かさだけが結論として残っていく。
 香に相談しようと思った。誰かに聞いてもらわないと気が狂いそうになっていた。
 授業が終わると、夢遊病者のようにふらふらと帰宅する。
 香が部活から帰ってくると、部屋に行ってノックをする。
「はい?」
「……お姉ちゃん……あさひだけど……」
「……開いているから入ってきなよ」
「……うん……」
 遠慮がちに入っていくと、Tシャツと短パンという楽な服装に着替えた香がきょとんとした顔で出迎えてくれる。
「どうしたの? 生気がないわよ」
「……あのね、お姉ちゃん。ボク、ボク……」
 何から話そうかまとまらず、感情だけが高ぶって思わず香に抱きついて泣きじゃくるあさひ。
 香は自分の胸に押し付けて静まるのを待つ。優しくも柔らかい感触に、あさひは次第に落ち着きを取り戻す。
「ごめんね、お姉ちゃん」
「あんたが、小さいときを思い出すわね。何かあるとすぐ『姉ちゃん、姉ちゃん』って泣きついてきたっけ。2つしか年が違わないのにね」
 そのままの姿勢で話す香。
「あんたが生まれて最初に見たとき、女の子かと思って、妹ができたって喜んだのよ。父さんからはちゃんと弟だって聞かされたのにね」
 そう言いながら肩を竦める。
「でも物心つく頃には、あんたが男だってことを認識したわ。それまで妹だと信じてたから、あんたにあたしと同じことをさせたり、お気に入りのお古を着せたりしていた。なまじ似合ってるものだから、それが見つかってそりゃ母さんに大目玉くらったわよ。『旭は大切な河村家の跡取りなんですから、男らしくなってもらわないとダメなの』ってね」
 思い出すように『クスッ』と笑い出す。
「なんで妹じゃなかったのって、母さんに聞いたこともあるんですって。小さいときはよっぽど妹がほしかったんだ。多分今も……。ごめんね、あさひ。多分それからもあんたに結構うそ教えて、妹にしようとしてたと思う」
「ううん、お姉ちゃん違うの。男に戻れないから辛いんじゃないの。自分の本心がわからないから怖いの……。男のときの気持ちと今の気持ちが混ざり合って、どっちが本心なのかわからないの……」
 一言一言搾り出すように、あさひは不安な心の内側を姉に打ち明ける。
「……男なのに男を好きになるなんて……、男の子のときから匡兄ちゃんを好きじゃなかったのかって……」
「……あさひ……」
「……うっ、うっ……」
「過程がどうであれいいじゃない? あんたはもう、立派な女の子なんだから、男の子を好きになっても何もおかしくはないのよ」
 香はあさひを抱きしめて優しく諭すように語り掛ける。
 姉の言葉に『はっと』するあさひ。
 今まで、ずっと男であろうとしてきた自分に気づく、『そうだ今は体が女の子になって戻れないんだ。気持ちが女の子になっててもおかしくないいんだ』そう姉は言ってくれている。
 今までかみ殺していた感情が一気に爆発し、姉の胸で大声を上げて泣きじゃくるあさひだった。
 結局、香はあさひが泣き止んで笑顔を見せるまでずっとそのままでいてくれた。
「大丈夫?」
 声には出さず、顔を縦にふって答えるあさひ。表情は満面の笑顔だった。
「じゃ、あたしは、お風呂に入ってくるね」
 あさひの涙で濡れたTシャツをつまみ上げて笑っている香。
「ご、ごめんなさい。……お姉ちゃん……」
「別にいいわよ」
「……あ、あの……いっしょに入っていい?」
 幼子のように香のTシャツの裾を持って、見上げるようしてたずねる。その行為は、またもや香の母性をくすぐったようだ。
「いいわよ」
 優しくあさひを引き寄せ風呂場に向かう。
 しかし、お風呂の中ではいつもの香りに戻って、あさひは、Hないたずらの洗礼を受ける。照れながらも反撃したりするなか、あさひは、『姉妹っていいな』と感じていた。

 だが、ちょっとだけ気持ちがすっきすると、あさひは急に明日からの学校生活が不安になってきた。
 匡はあさひを夕姫として認識している。気持ちの整理が付いた途端、もし正体がばれたら匡は現在と同じようには扱ってくれないかも、という新たな心配のタネが生まれてきたのだ。
 だからこそ、あさひは必死になって体の秘密を守った。
 体育の日にはサラシをまいてその上からちょっと厚めのTシャツを着る。
 下は、次第にトランクスのゆったり感に不安を感じるようになり、密かにフィット感のあるショーツを愛用し始めていた。さすがにそれだけだと一発でばれてしまうので、その上からトランクスをはいていた。
 着替えるときは教室の隅の方までいって、念を入れて壁のほうを向いて着替えた。
 男友達は、そんなあさひの奇行を見て見ぬ振りをした。
 月曜から様子のおかしかった彼を暖かく見守ろうということにしたのだ。実は昔から年に数回、旭がおかしくなるのをみんな知っていた。原因はたいてい母親の『男らしさ強化週間』だったので、今回もそれだと思われている。
 あさひはそのことに気づかず、なんとかばれずにすんでるとしか思っていなかった。
 小学校のとき、念仏のように何かをぶつぶつ言っている旭をみて、みんな気味悪がって近づかなかった。その様子を目撃した匡が、みんなに河村家の家の特殊性を話したことが誤解を解くきっかけになったことを旭は知らない。

 後半は中間テストなので平穏な日々が続いた。しかし目の前に迫る衣替えやプールの授業のことを考えると憂鬱になる。
 さらに休み時間になるたびに、わざわざ1年の教室まで香がどことなく様子を見に着ている。
 信用していないわけではないが、いつ香がいらないことをいうかひやひやするのだ。
 そんなある日、プリケイの着メロが鳴り響く。
 この番号は匡しか教えていない。緊張しながら、通話ボタンを押す。
「もしもし、山村さんでしょうか?」
「……はい……」
 なんだか気恥ずかしい。
「夕姫さんですね。オ、オレ太田です」
「……太田さん…………」
「……その、この前はごめん……」
「いえ、太田さんはなにも悪くありません!」
 叫ぶように、匡の話しをさえぎる夕姫(あさひ)。
「勝手にボートの上で立ったのも、せっかく助けてくださった太田さんを叩いたのも、勝手に帰ったのも、すべてワタシが悪いんです」
 感情的になりながらも、夕姫としての言葉使いで思いを告げていくあさひ。互いに顔が見えないということもあるが、ぼろを出さずにいられるのは色々と吹っ切れたおかげだろう。
「ワタシのほうこそ本当にごめんなさい。せっかく太田さんワタシに優しくしてくださっているのに……。ワタシ、太田さんに良くしてもらう資格なんてありませんね」
「…………夕姫ちゃん…………」
 しばらくの間の沈黙の後。
「……山村さん、本当に悪いと思っているなら、態度で示してくれるか?」
「……え?」
「今度の日曜、もう一度デートしよう。そこでオレを思いっきり楽しましてくれること。オレも夕姫ちゃんを楽しませる。これでいいだろ」
 初めて匡が『デート』という単語と、夕姫ちゃんと名前で呼んだ。これは彼が、2人の仲をどうして行きたいかはっきりさせた意思表示でもある。
「……デート……」
「嫌かい?」
「いえ、嫌じゃありません」
「じゃ、いつものところにいつもの時間でいい?」
「……はい……」
「それじゃ、お休み、夕姫ちゃん」
「あ、太田さんもおやすみなさい」
 当然夕姫として誘われたのだが、なんだかうれしかった。あの事件がなければ、自分に正直にならなければ、思いきりいやがっていただろう。
 よせばいいのに香にそのことを報告してしまった。
「そうねお詫びだから、手料理のひとつやふたつは食べさせてあげなきゃね。お弁当なんかいいんじゃない。手作り弁当」
 早速お弁当作りの特訓が始まった。
「まぁ、まずは無難なところでサンドイッチと、から揚げ、サラダといったところね」
「大丈夫かな……」
「あんたこれぐらいできなきゃ、かなり致命的よ。それと、今晩から晩御飯の支度手伝いなさいよ。母さんには話を通してあるから」
 夕方、母、みちるは複雑な顔をしながらもあさひに料理のいろはを教えていく。
「はぁ〜、あさひが料理をね。すっかりあさひも女の子らしさに磨きがかかってしまったわね。どこでどう間違えたのやら、母さん悲しいわ」
「……ごめんね、お母さん……」
 本当に申し訳なさそうな顔で見上げるあさひを見て、さすがにまずいと思ったのか話題を変えようとする。
「それより、順調にいってるみたいね」
「へ?」
 突然何の話題を振られたのか理解できないあさひ。
「匡ちゃんとの仲よ。母さん応援してるからね」
「そ、そんなんじゃないよ。今回はあくまでもお兄ちゃんを元気付けるためなんだから」
「もうちょっと、女の子らしいしゃべり方にしなさい。匡ちゃんに嫌われるわよ」
「……だから関係ないって……」
「いい、あさひ。あんたが女の子になってしまった以上。あなたの役目は河村家に婿養子を連れてくることなのよ」
「ね、姉ちゃんがいるじゃないか」
「元長男として、当然の義務です」
 女の子になっても母は変わらないと実感するあさひだった。
 そして、あさひが夕食を作った事を誰よりも喜び、おいしそうに食べたのは父の政利だった。

 このところ毎週土曜は特訓日になっている。今回は明日のお弁当のための料理教室になっている。
 午後学校から帰ってくると、香と一緒にスーパーに買い物に出かける。
 香は、品物を買うコツをあさひに教えながらてきぱきと買い物を済ましていく。正直あさひは驚いた。河村家の買い物は、たいていは母か父が行う。いつも香は何もしていないように見えた。
「姉ちゃんすごい」
 ポツリと感想をもらすと、香が頭を小突いていう。
「あんた、あたしがなんもしてないのにと思ってんでしょ。小さいときはあんたが遊んでいる間に、母さんと一緒に買い物に行ったりしてたし、今でも母さんの手伝いはしてるわよ」
「へー、いがい」
「バカにしないで、これでも演劇部の合宿の買出しから調理までほとんど仕切ってるんだから」
 それは料理がうまいのではなく、単に仕切りたいからではないのだろうかと心の中で思うが口には出さない。
「母さんは男だけではなく、女にも厳しいのよ。落ち着いたらあんたも今度は花嫁修行が待ってるわよ」
「え〜〜」
「さて、卵買ったし、鶏肉、ハム、レタスにきゅうりと……」
 香はぶーたれるあさひを無視して買い物チェックをはじめる。
「お姉ちゃん。ちょっと量が多くない?」
「今日の練習用と、明日の本番用よ」
「今日も作るの?」
「夕飯はあんたオンリーの料理よ。父さんも大喜びね」
 帰ったあと、あさひは思いもよらないほど苦戦する。包丁と格闘し、油で騒ぎ、熱湯で疲弊する。
「サンドイッチとから揚げで、どうしたらあれだけ手に絆創膏が貼れるか不思議ね」
「甘やかしすぎたのかしら、母さん先が思いやられるわ」
 香はあきれ、みちるは将来を不安がった。
 それでも一応あさひの力だけで完成した料理は、見た目こそ少し悪いものの味に関しては父のお墨付きをもらうことができた。
 ちなみに父政利は料理がうまい。その父がお世辞抜きの及第点を出したのだから、きっと匡も喜ぶに違いない。
 翌朝、早朝に起きて、本日の分のお弁当を作る。その後、手の絆創膏の数を減らして支度を整える。これまでにないあわただしさだった。
 前回の反省を踏まえ、今回はおとなしいパステル色のチェック柄の下着セットとフレアミニの若草色のワンピースにした。
 最初はキュロットにしようと思っていたのだが、香に言いくるめられた。
「今回はお詫びのデートなんでしょ。少しぐらいはサービスしてあげなきゃ、サービス」
「え〜」
「あんたは、自分に対する罰だと思えばいいでしょ。『恥ずかしい』の刑」
「…………」
「男たるもの自分に厳しく行かなきゃ」
「い、今は男じゃないよ」
「認めた? 認めた?」
「だめ、いや、絶対に認めない」
「なら、いいじゃない。きびしくきびしく。キャー、あさひ君かっこいい。まさに男の中の男」
 たとえ途中が矛盾してようとも、結果かわいいカッコさえさせられれば満足な香の理論にどうしても勝てないあさひだった。
「そして、これ」
 香は白い長い布をを出してくる。
「?」
「ニーソックスよ。ミニには似合うわ。素足もいいけど、こういうロングの靴下もまたかわいいのよね」
 顔面アップでプレッシャーをかける香。
「さ、マッハで履いて」
 勢いに押され、靴下を履くあさひ。太ももまでくる靴下は、なんだかストッキングをはいているようで恥ずかしかった。
 今まであまり感じたことのないぴったり感に違和感を覚える。
「な、なんか恥ずかしいんだけど……」
「ささ、ささ、もうそろそろ出ないと間に合わないわよ。夕姫ちゃん出動!!」
 強引に玄関を送り出されるあさひだった。
「今日は、お詫びデートか……、お兄ちゃんどうしたら喜んでくれるかな?」
 このデートで、あさひ(夕姫)にまたとんでもない事件が起こるのであった。

後編へつづく


次回予告
ついに匡に正体がばれてしまうあさひ。
だんだん情緒不安定になってるくるあさひが引き起こす騒動。
あさひはまた昇る、次回いよいよクライマックス。



いいところで切れましたね。
やっぱり3つにわけました。すみませんがもう少し付き合ってください。
旭くんはなんだかんだ言って順応が早いようです。元々内に秘めたる女の子がいたようですね。(笑)
なんかあやしい話しになってきてたなぁ。

戻る


□ 感想はこちらに □