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夢の中に生きて

作:SAND ROSES



 こんな夢を見た。
 自分は女の視線で裸でベッドにいる、上には男。そして鏡を覗く自分の顔は別の人。
 僕は自分の鏡に写る裸の姿を、見つめている。
 「でも私はもっとスマートなはずなのに、、、」

 そこで僕は目が覚めた。今日も長い一日が始まる。
 おかしな夢は子供の頃から、度々見ている、もうとっくに慣れたこと。けれどもこの頃以前より頻繁になった気がする。それはまるで子供の頃、日暮れ時にした影踏みのように、自分が追いかけられているのか、追いかけているのか、自分の影を踏んでいるのか、相手の影を踏んでいるのか、どちらかわからなく錯覚してしまうかのよう。僕が自分の影を踏む瞬間など来るのだろうか?

 夢を見ることを、いつのまにか毎晩待ち遠しくしている自分に気が付く。僕は自分が余程疲れているのだろうかと、始めは大して関心を払うこともなかった。
 けれども逆に、夢を見なかったときの朝の目覚めが、物足りなくなっていた。僕は次第に夢日記なるものを記録し始めた。そして僕は夢の種類によって、目覚めた後の体の調子が全然違うことに気づいた。
 幸せな夢を見た後は、一日中体が軽い。けれども滅多にこれは無かったが、悪夢のような、重苦しい夢のときは、やはり一日中気分がすっきりしなかった。

 僕が一番好きな夢は、自分が自分以外の存在になっている夢だった。僕はいつもと違う自分となり、違う行動を取る。普段は取らないような行動も、平気でする。
 ある晩は、僕は役者になり、舞台に立っている。周囲にも仲間の俳優や女優陣、僕は真っ暗な客席の一番奥を見ている。非常口の明かりが見える。僕は舞台を降りる、着替えをするために楽屋に戻るらしい。二つ楽屋の入り口が並んでいる、片側は普段着姿の俳優たち、僕はここは違うと思い、迷わずもうひとつの方の楽屋へ行く。そこは中世の時代のような豪華なドレスを着た、女優陣たちの楽屋だった。私は早くドレスを脱がないと、しわになると思いドレスの裾をたくし上げ、部屋に入る。 

 夢の中ではよく鏡が出てきた。そこに映る自分の顔は、知らない男の顔のときもあったが、知らない女の顔のときもあった。
 そしてある晩の夢で、僕は口紅を塗っていた。青白い顔をした女の顔。鏡を見ながらだというのに、手元は恐ろしく不器用なのか、大幅に口紅がはみ出た赤い唇。そしてしかも女である僕は、その後お歯黒ならぬ歯にまで口紅を塗り、しまいにはドラキュラのような顔になってしまった。僕は恐怖で叫びながら目が覚める。そして夢から覚めた後でもその顔が頭から離れない。

 僕は一日中気分が悪く、この悪夢をどうにかして忘れようと努力した。その晩はいつもと違い、眠るのが憂鬱、夢など見なければいいと思った。しかし、僕はその晩また悪夢を見た。今度その女は青い口紅を塗っていた。日ごとにエスカレートしていく、凄まじく崩れた化粧の女。しまいに朝に見る、見慣れた青白い細面の、鏡の中の自分の顔に変化がないことを確認し、馬鹿馬鹿しいながら安心するようにもなった。
 僕はある日思いついた。口紅の塗り方を実際に、この僕が練習し上手になれば、もはや夢の中でそんなにひどく不器用になることもあるまいと。僕の潜在意識に、口紅の塗り方が習得され組み込まれれば、夢の中でもそんなおかしい行動になるまいと。

 僕は口紅を塗ったことは、子供の頃母親の鏡台から拝借して、一度試したきりだった。あまり記憶はないが、かなり酷く母親に叱られ、それ以降一度も試したこともなかった。もしかすると、夢の中で見た女のように、唇を実際に真っ赤に塗りたくっていたのかもしれない。
 僕は夜中にコンビニに行き、カップラーメンや雑誌や缶ビール等、幾つかゴロゴロとカゴに入れ、その後何食わぬ感じで赤い口紅を一本入れレジに行く。本当は口紅だけ買えばいいのだが、僕には口紅を買うことは、まるで女の下着を買うかのように照れ臭いことだった。

 僕は鏡の前で、先程買ったビールを片手に、さて実演とばかりに口紅をケースから出す。ちり紙で一度唇を拭いた後、僕は鏡を見ながら紅を引いて行く。まあそんなに緊張するほどでもない、簡単なものだ。と出来上がった自分の顔を見る。
 よし、これで僕はもう、悪夢のような顔の女の夢は見ないで済むと安心する。僕は鏡に写った自分の顔を見る、それは初めて見た顔のはずだけれど、何だか胸の奥が熱くなるような、なつかしい感じがした。誰かに似ている気がした。そして僕は、この瞬間いつもいい夢を見た後、目覚めた朝に感じるような、不思議なエクスタシーを感じていた。これでもう悪夢にうなされない。そう思い僕は、さっさとこんなもの落としてしまえ、と唇をゴシゴシと拭った。少し唇がヒリヒリした。

 その晩見た夢で、また女は口紅を塗っていた。今度の僕は、その女を背後から眺めている視線。女はようやく塗り終わり、鏡を真剣にのぞき込みむと、クルリと振り向き満足げにこう言った。
 「今度は奇麗に塗れたみたいよ。だからお母さん、もう怒らないでね。」 
 奇麗に紅が艶やかに引かれた唇。その女の顔は、昼間見た自分の顔だった。その瞬間僕は全身で、体の芯から頭頂まで電流が抜けたような、体験したことのない、快感のエクタシーを感じていた。

 そして僕はすべてを納得した。僕はやっともう一人の自分と邂逅したのだ。そしてそのとき僕はもう、これは自分の夢の中なのだと自覚していた。僕は彼女の体をしっかり抱き締めた。そのとき僕の体と彼女の体が一つになれた。僕の耳には鏡の割れる音が遠くに聞こえた。

 「そして僕は今は彼女の体の中で生きている。僕は夢を見なくなった、僕自身がもはや夢なのだから。」
 「そして私はそれ以来というもの、朝も夜もそのまま夢の中で生き続けることになったのです。」

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