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「天使のお仕事 第十四話」



「はああ〜」
 夏休みも目の前だというのに、伊織の口から出るのはため息ばかり。
 登下校の時も、いつも一人きり。
 いつもなら、自分の隣には、一緒に暮らしている女の子がいたのに。
 期末テストも目前なのに、勉強にも全然身が入らない。
 見かねてか、瑞樹が伊織を誘った。
 ついさっきまで、2人でバーガーショップに寄っていたところだ。
「なあ……ナニがあったんだ? お前だけならともかく、真織ちゃんの落ち込みよう、ありゃ尋常じゃねえぞ?」
「……まあ、誤解なんだけど……」
 伊織は力無く答える。
「実は、この間……」



 たっぷり10分後。



「はあ……そりゃまずかったなぁ」
 男と女、2人の伊織の正体を知る瑞樹には、その行為に何のやましいところもない事がすぐに分かる。
「けどさ、真織ちゃんにそれを分からせるの、難しいだろうな……あいつ普段はおっとりしてるけど、思いこむと一直線な所あるし」
「うん……」
 いつぞやの家出騒動を思い出す伊織。
「何しろ正体ばらすわけには行かないし」
「そりゃそうだな。そんな事したら真織ちゃん、別の意味でひっくり返っちまーわ」
「だけど……どうすりゃいいんだろう」
 伊織の口から、ため息一つ。
「そうだよな……こういう時は、とにかくきっちり真実を言って、あとはひたすら待つか、納得出来るような嘘を作るか、どっちかしかねえんだけど、どっちも無理だからな〜」
 瑞樹の口調にも、今ひとつ元気がない。
「とにかく何にしても、話をしないことには始まらないと思うんだけど、真織ちゃん、全然口きいてくんないんだ……」
「完全絶交かよ。そりゃキツいだろうな……お前も、おじさん達もさ」
「うん……」
 伊織はうなずいた。実際、暗い表情のまま、両親にすら口を開かない真織のことを、守衛さんも、真須美さんも物凄く心配している。
 けど、そんな2人ですら踏み込めないくらい、真織の壁は厚かった。
 結局、何の生産的な意見も出ないまま、伊織は瑞樹と別れて帰り道を一人歩いていたのだった。





――少年少女文庫100万Hit記念作品――

 

原作 100万Hit記念作品製作委員会

最終話担当 ゴールドアーム


第十四話 「史上最悪の作戦!」



 朝の社務所。
 守衛さんに席を外してもらい、伊織はパラレル&シリアルと、善後策を練っていた。
「とにかく取っ掛かりがないんだ。説明しようにも説明出来ないし、言いつくろうにも真織ちゃん、完全に誤解しちゃって、まともに話を聞いてくれそうにないし……そもそも話を聞いてくれさえしないし……」
「あの壁は厚そうだしね」
 同情するように、シリアルも言う。
「ホント、まるでA○フィールドですわ〜」
「シャレになってないぞ、それ」
 パラレルのボケすら、いまいち不発だ。
「せっかくもうすぐ夏休みだって言うのに、このまんまじゃ、男に戻るのも夢また夢だよ……」
 ますます落ち込む伊織に、パラレルが全然落ち込んでいない口調で言った。
「そうそう、それどころじゃなかったのでしたわ〜」
「???」
 伊織がパラレルの方を見ると、彼女の眉がほんの少しだけしかめられていた。
「ここ数日、イオちゃんの中にたまっていたシードの力が急速に減少してるんですの〜」
「何だって!」
 伊織は大いにあわてた。シードに力が満ちてこそ、男に戻ることも出来るのである。なのに、その力が、急速に減少?
「ちょっと、それどういう事?」
 シリアルも不思議そうにパラレルに聞く。
「そりゃここんとこの真織ちゃんの落ち込みは半端じゃないから、幸運度が減少することはあるかもしれない。でも、急速にっていうのはどういう事だよ?」
「それが、どうやら……シードにとってもっとも大きな影響のある幸せは、ある人物が結ばれることだったみたいなんです〜」
「瑞樹と芹沢だろ? それは」
 伊織もツッコむ。
 それに対するパラレルの答えは、ある意味当然であり、ある意味驚愕であった。
「いえ、もう一組。伊織君と真織さんも、そのターゲットだったみたいなんですわ〜」
「な〜〜〜〜っ!」
 思わず叫んでしまう伊織。
「もし、本来の予定通り、シードが瑞樹さんに宿った場合は、伊織君と真織さんを結びつけることが、彼女の最大の使命になるはずだったみたいですね〜」
「おい、ちょっと待て!」
 それを聞いたシリアルが、急にあわてふためく。
「どうしたの、シリアル」
 伊織が聞くと、猫のくせに真っ青になったシリアルが言った。
「最悪だ……あの時と同じ状態になってきてるじゃないか……」
「あの時?」
 そう聞く伊織に、答えるシリアル。
「レムリア王国を滅ぼし、大陸が海に沈んじゃった時だよ。わかりやすく言えば、ムー大陸の時」
「そ〜言えばそ〜ですね〜」
 のーてんきなパラレルの態度に怒りを覚える伊織であったが、なにも言い返すことは出来なかった。
 急に血の気が引いて、気が遠くなっていたからだ。
「あら〜、イオちゃん、しっかりしてください〜」
 そこで伊織の意識はとぎれた。



 目が覚めると、自分の部屋であった。
 ぼけた瞳に、真須美さんと守衛さんの姿が映る。
「気がついた?」
 真須美さんが心配そうに、伊織の手を額に当てる。
「熱はないみたいだけど……ごめんなさいね。真織のせいで心配掛けて」
 そんなことないです、と言おうとしたが、喉に力が入らなかった。
「学校には連絡しておきましたから、ゆっくり休んでね」
「すみません……おばさん」
「いいのよ。何かあったら呼んでね。今日はゆっくり休みなさい。あたしはよく知らないけど、おつとめの方も大変なんでしょ」
「すまんな、娘のことで心配掛けて。私たちでよければいつでも相談に乗るぞ」
 そういい残して、2人は部屋を出ていった。
 一人伊織は、ぼけっと天井を見つめていた。
「ねえ、大丈夫?」
 そこにシリアルがすっと忍んできた。
 伊織はゆっくりと体を起こしてみる。特に異常は感じなかった。
「何とか……大丈夫みたいだ」
「そうか、よかった」
 伊織は、ふとシリアルの様子に違和感を感じた。
 もっと大きなことを心配している。そんな気がしたのだ。
「何かあるの、シリアル」
「……鋭いね、伊織。その様子ならすぐにはレムリアの再来になる心配はないか」
「レムリアの再来?」
 シリアルは伊織のことをじっと見つめた。
 それを見つめ返すシリアル。
「……難しい、仕事だった。ボクにも何であれをよりによってパラレルが担当したのか、未だに分からない。というか、誰がやっても、成功率は低い、そんな仕事だった」
 シリアルの目は、遙か遠くを見つめていた。
「シードの目的は、王子と王女、愛し合う2人を結びつけ、王国に平和をもたらすことだった。だが彼らの周りには、己の欲のために、その2人を邪魔する奴がわんさかいた。それでも何とか、うまく行きかけたんだ……信じられないかもしれないけど、パラレルのボケがうまく邪魔者の思惑を外し続けたせいで。そんときはホント、神の偉大さを思い知ったよ。けど……」
「けど?」
「些細な偶然が、すべてをぶちこわしちゃったんだ。ある日、階段から足を滑らした侍女を、王子が下で受け止めて助けた。だけど、勢い余ってもつれた2人は、そのまま床の上をこんがらがったまんまいっしょに転がってっちゃったんだ。で、何とか止まった時、ちょうど王子が侍女に覆い被さる形になってたんだ。しかもご丁寧にキスしている形で。ぐるぐる回っためまいが取れた2人はあわてて立ち上がったけど、混乱していたその侍女は王子を突き飛ばして、その場から逃げ出したんだ」
「そこを王女様に見られた、っていうわけか?」
 伊織は自分のことを思いだしてそう言った。
「そう。しかも間の悪いことに、彼女が見たのは、最後の所だけだった。後はもう誤解一直線。さらにまずいことに、シードを持っていたのは彼女だったんだ。シードは思いに反応する。基本的に善も悪もない。それまでの幸福感が一気に逆転して、シードは『堕天』を起こしちゃったんだ」
「『堕天』?」
 聞き慣れない言葉に、伊織は首を傾げる。
「堕天使の堕天だよ。本来幸福の力をためるシードに、不幸や憎悪といったよくない力を込め続けると、シードが属性反転を起こす。こうなると手が付けられない。シードは周り中の恨みつらみを吸って暴走し、幸福の変わりに不幸をまき散らす。彼女の場合は最悪だった。堕天したシードに対し、『滅び』を願ってしまった。そして、シードはその願いを叶えた……これが、ムー大陸が消えた原因さ」
「は、はあ……」
 何となくうなずきながらも、伊織はまた血の気が引いていくのを感じていた。
 何とか自分をしっかりと保つ。
「けど、よく知ってるな。パラレルのこととかは、眉唾な話が多いんだろ?」
「ううん、これだけは別。シードに関わるものは、教訓として必ずこれを教えられるから……おかげであんな本が出るくらい、パラレルは天界でも有名人なんだけど」
「はあ……」
 さっきとは違う意味のため息をつく伊織であった。
「幸い伊織の場合は、直接の誤解じゃないから、シードがいきなり堕天するようなことはないけど……」
 シリアルはいまいち言いにくそうに言葉を繋ぐ。
「もしシードにたまっている幸福度が減り続けて、零を下回っちゃったら、やっぱりシードは堕天しちゃう。そうなったら男に戻るどころじゃないよ。反動でありとあらゆる不幸が伊織に押し寄せてくることになるから。そしてそれに耐えかねて、伊織が世界を呪ったりしたら……この世は終わり、だね。パラレルにまた一つ黒星が増えることになる」
 そのとき、どたどたと廊下を走る音がした。不思議がるまもなく、扉が開いて、真っ青になった真須美さんが顔を出した。
「伊織ちゃん……落ち着いて、聞いてね」
 真須美さんの方がよっぽどあわてている。
「あなたのご両親が、亡くなったわ」
 伊織はこの日、二度目の気絶をした。



 次に目が覚めたときは、すでにあたりは真っ暗だった。
「起きた?」
 枕元でシリアルの声がした。
「誤解されないうちに言っておくけど、死んだって言うのは、シードの力によって設定されていた、『早川伊織』の両親だからね。進藤の両親じゃないよ」
 それを聞いて、伊織の心も少し落ち着いた。
 しっかり勘違いしていたのだ。
「これって、やっぱり、シードのせいか?」
「はい〜」
 そこにパラレルも姿を現した。
「シードの力が減ったせいで、設定にほころびが生じ始めたのですわ〜。イオちゃんから一番遠かったご両親の設定が、現実との狭間で破れてしまったのですね……」
「分かりやすく言うとね、今のシードには、設定されていた『早川伊織』の両親を、この場に存在させることが出来るだけの力がなくなっているんだ。そのせいでおそらく、伊織の両親は『消えて』しまった。死んだとなってるけど、きっと『死体のない事故』になっていると思うよ。行方不明じゃないってことは、きっと車を運転しているときに消えたとか、そう言う状況だったんじゃないかな。無から有を生じさせる力は、事実上力を使い続けている分、一瞬で終わる変化とかに比べて負担の重い力だから」
「はあ……実感はないけど、それって……相当ヤバくない?」
「ああ、絶対に一月持たないね。それまでに何とかしないと、世界が危ない」
「冗談じゃないぞ」
 伊織はわき上がってくるふるえを押さえるのに必死であった。

 翌日から、伊織は猛然とアタックを開始した。
 朝……。
「真織ちゃん、話があるんだけど」
「……」



 玉砕。



 昼休み……。
「ねえ、真織ちゃん……」
「勉強の邪魔しないで。明日っから期末なんだから」



 玉砕。



 放課後。
(瑞樹〜、手伝ってくれ〜)
(……ま、親友のよしみだ)
「真織ちゃん、ちょっと」
「なれなれしくしないで」
「おいこら! お前何様のつもりだ!」
「わあっ! 瑞樹、落ち着いて!」



 ……状況悪化。



「おい、むっちゃくちゃこじれてねえか、真織の奴」
 人気のないサッカー部の部室で、伊織と瑞樹、そしてパラレルが密談していた。
 テスト前で部活は全面中止。人の来る心配はない。
 瑞樹は真織のかたくなな態度に心底頭に来ているようだった。呼び方が呼び捨てになっている。
「家でもずっとあんな調子なんだ。それに、今朝先生もいってただろ……俺の両親が死んだって言う話」
「ああ、本当はこの世にいないはずだったって知ってるあたしでも、こたえたからな……」
 状況が状況だけに『忌引きにしてもいい』といわれていたが、報告は入ったものの遠い異国のこと、具体的なことが全然伝わってこないのでこちらも動けなかった。今は続報待ちという、事の重大さの割に情けない状態になっている。
 そんな状態なので、テスト前と言う事もあり、伊織は学校を休まなかった。
「でも、真織ちゃん、それを聞いても態度を変えなかったんだ。おかげでお父さん達と大げんかしちゃって……」
 さすがに瑞樹の顔色が変わった。
「おい……そりゃちょっとマジヤバくないか、真織ちゃん」
「ええ〜。真織さん、意地とショックがごちゃごちゃになって、元に戻れない、というか、壊れかかっちゃってるみたいなんですの〜。思い詰めるたちですし」
 脳天気に言うパラレル。とたんに伊織は激高した。
「そんな事いってる場合か〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
 そのときの伊織は、瑞樹の目にも『男』に見えた。
 愛するものを心配する『男』の姿に。
「こうなったら何でもやる! 正体がばれようか真織ちゃんに嫌われようがかまわねぇ!! ……けど、なんとしても真織ちゃんは元に戻す!」
「そこまでの覚悟があるのなら、方法がないわけでもないですわ〜」
 動じもせずに、パラレルは言った。
「ただ、この作戦をするには、かなり長時間、髪留めを付けてもらう必要性があります。残念ながら素のままのイオちゃんでは、うまくいかないので……」
「外したら今度こそ許さねえからな」
 ドスの利いた声で脅しをかける伊織。
「はい。今の真織さんには、普通に話しかけてもなんの効果がありません。心の扉を閉ざして、引きこもっちゃっているわけですから。ならば、真織さんの側から扉を開けさせる必要があります〜」
「言うは易し、行うは難しってな」
 瑞樹が茶々を入れる。
「そして古来よりこの国には、引きこもった女性を誘い出す手段が、歴史の中にすら残っています〜」
「それって……天の岩戸の話?」
 あきれ顔の瑞樹。しかしパラレルは気にもせずコクコクとうなずいた。
「はい、そうです。そしてそのためにはイオちゃんにアマノウズメの役をやっていただかなければなりませんの〜」
「なるほど、そりゃ伊織が男の意識じゃうまくいかんわな」
「でも本当に大丈夫なのか? そんないい加減な作戦で」
 さっきまでの威勢もどこへやら。伊織の顔に、不安の色が漂っていた。
「大丈夫、細工は隆々、仕上げをご覧じろ、ですわ〜。あ、そのためにはちょっと調整しなければならないので、髪留めを貸してくださいな」
 そう言いつつパラレルは、伊織から髪留めを受け取った。
「取りあえず試験頑張ってください。試験が終わったら、本番開始です」
 こうして一抹の不安を残しつつ、真織救済作戦は発動した。

「試験、どうだった?」
「最悪」
 今日は期末の最終日。学校も午前中で終わり。
 普段なら開放感で思いっきりはしゃぐところだ。
 だが伊織と瑞樹にはそんな余裕はない。
 真織は試験終了と同時に、さっさと一人で帰ってしまった。
 さすがにこのころになると、クラスのみんなも真織の様子が変な事に気づいていた。
 心配した先生の言葉も無視してしまう。完全に自分の殻に籠もってしまっていた。
 先生は親を呼び出す事も考えたそうだが、肝心の両親は伊織の両親の死亡事故に関する事でてんてこ舞いだ。
 彼らにとっても兄と姉の不幸である。他人事ではない。葬儀を出すなら当然喪主として立たなければならない。しかもそのための連絡がまともに付かず、とことん困っている状況なのだ。これでは呼び出したり訪問したりするわけにも行かない。
 芹沢などは、せっかく瑞樹と恋人関係になれたのだから、デートにでも行きたいだろうに、きっちりと自分を押さえてこう言った。
「笹島さん、こんな時だ。俺の事は気にしなくていい。早川さんを……伊織さんと真織さんを、よろしく頼む。俺の目から見ても、早川……真織さんの様子は異常だ。早く昔通りの、明るい彼女に戻してあげて欲しい」
 瑞樹も決まり悪そうにうなずいた。
「悪いな……」
「いや、こんな時友人を見捨てて俺と一緒にいたいというような人なら、俺は好きにはならなかったさ」
「ば、馬鹿野郎! 何恥ずかしい事言ってんだよ!」
 瑞樹は真っ赤になってそう言った。



「お待たせしました〜」
 校舎の屋上で、伊織と瑞樹はパラレルを待っていた。
 そこへ息を切らせながら、男伊織の姿のパラレルがやってきた。
「で、終わったのかい? 調整」
 実際この3日間、調整のためと使用して髪留めを持って行かれてしまっていたため、伊織はフルタイム男の意識のままで過ごすことになっていたのだった。真織を救うために気を張っている状況でなければ、とてもじゃないが持たなかったであろう。
「はい〜。これが真織ちゃんを救うための秘密兵器ですわ〜」
 そう言って差し出された髪留めは、微妙に色が変わっていた。
 うっすらと赤みがかった色が付いていた。地のシルバーと合わさって、蛍光ピンクに見える。
「今までとどう違うんだ?」
「論より証拠ですわ〜。付けてみれば分かります〜」
 そう言われて、取りあえず髪留めを付ける伊織。
 いつものように、意識が変化していく。だがそれが、何故か一段深いところにまで及んだような気がした。
「おい、伊織……」
 瑞樹が伊織の方を見ると、伊織は『ふうっ』と、物憂げなため息をついた。
 それは同性であるはずの瑞樹ですら、思わず引き込まれるような色気を湛えていた。
「な、なんだぁ?」
 頓狂な声を上げる瑞樹を、伊織は下から見上げるように見た。
 その目が変に潤んでいる。
 瑞樹は顔に血が上るのを感じた。
「瑞樹はいいなぁ……」
 ちょっとハスキーな声でいう伊織。しかしそのイントネーションはまるで別人だ。
「お、おい、パラレル! 伊織に何をした! まるで別人じゃねえか!」
「芹沢君と結ばれたんでしょ。彼、こんな風に愛してくれたの……?」
 そう言いつつ、さわさわと瑞樹の胸に手が伸びる。
 まるでいい加減なシナリオのエロゲーだ。

おさわり伊織ちゃん(by ことぶきひかる)

「ば、馬鹿、やめろ、伊織〜〜っ!」
 しかし伊織は蛇のようにからみついてくる。やがてその手は瑞樹の胸のふくらみを制服の上から『むにゅっ』と掴んでいた。
 違う、こいつは伊織じゃねえ!
 瑞樹は伊織を突き飛ばした。転がった伊織は、じっとこっちを見つめる。
「ひどい……瑞樹」
 訴えかける目すら、蠱惑的であった。

よよ……と崩れる? 伊織ちゃん(by ことぶきひかる)

「おい、パラレル!」
 さっきより一段階気合いの入った声で、瑞樹はパラレルをねめつけた。
「お前、何をしたんだ!」
「ちょっとアニマの影響を強くしたんですわ〜」
「アニマ? 男の理想的な女性像って奴か?」
 パラレルはうなずく。
「アマノウズメは色っぽい踊りでアマテラスを誘いました〜。ですからイオちゃんを色っぽくするために、髪留めが呼び起こすアニマの影響力を強めたのです〜」
「けどこれじゃまるで色情狂じゃないか!」
 しかしパラレルは平然としていた。
「一時的なものですわ〜。すぐに落ち着きます〜」
 そしてパラレルは瑞樹の方に向き直った。
「男の子にとって、やっぱり、『やらせてくれる女の子』は理想ですからね〜」
「お前、なんかすっごく危ない事言ってないか?」
 さすがに瑞樹も伊織に同情した。
「でもこれくらいでないと、真織さんの気は引けませんの」
「はいはい」
 心配ではあったが、取りあえず様子を見よう、そう思った瑞樹であった。
 取りあえず伊織の頭から、髪留めを外す。
 とたんに伊織の顔がいつものものに戻り始めた。
「……うう、なんかとんでもない事をしたような気が……」
 そして瑞樹の顔を見たとたん、伊織の脳裏に、先ほどの狼藉が浮かぶ。
「す、すまん! 瑞樹! 俺がどうかしてた!」
「いいっていいって……」
 苦笑いする瑞樹。そしてパラレルの方を見る。
「なあ……どういうつもりなんだ? 詳しく教えてくれ」
「俺も説明を要求する」
 伊織もパラレルに詰め寄る。パラレルはあくまでもいつものペースで説明を開始した。
「はい。これが真織ちゃんの心の扉を開くための作戦ですわ〜」
 それを聞いたとたん、物凄く嫌な予感がした2人であった。
「これを付けていれば、イオちゃんは自然に男の人といいムードになれます〜。真織ちゃんがそんなイオちゃんの様子を見ていれば、伊織君が好きだからあんな事をしたんじゃないって気がついてくれるはずです〜」
「んなわけがあるかよ」
 瑞樹があきれ顔で突っ込む。
「そこまで行かなくても、イオちゃんの様子が変になれば、嫌でも真織ちゃんの態度は変わりますわ〜。なんだかんだ言っても、真織ちゃんはイオちゃんの事を見ていますもの。恋のライバルからは、目を離せないのが女の子というものですし〜。元々真織ちゃんは優しい娘。イオちゃんがそうなれば、心配が意地を上回りますわ〜」
「はあ、それを期待するしかないか。ただ、パラレルの作戦だからな〜」
 今までの苦労が走馬燈のように伊織の脳裏を駆け抜ける。
「名付けて『史上最大の作戦』ですわ〜」
 落ち込む2人を後目に、パラレルは高らかに宣言した。
「『史上最悪の作戦』の間違いじゃないのか?」
 伊織のツッコミに、瑞樹は深くうなずいた。

 伊織が家に戻ると、守衛が社務所の脇の倉庫を開いていた。
「何してるんですか?」
 伊織が聞くと、守衛はにっこりと微笑んだ。
「おお、お帰り。休みに入ったら、ここで盆踊りがあるからな。そのための機材を出していたんだ……こんな状況でも、これはこれだからね」
 倉庫の中には、いろいろなものが入っていた。提灯、和太鼓、垂れ幕、独鈷杵……
「ん?」
 伊織は奇妙な違和感を感じた。
「あの、叔父さん……なんであんなものが?」
 独鈷杵は密教のものである。神社とは縁がない。
「ああ、興味があるかね?」
 少しやつれた顔を、守衛は伊織に向ける。
 何となく伊織がうなずくと、守衛は独鈷杵を手に語ってくれた。
「伊織君はパラレル殿の助力を勤めているわけだから、当然ここに異界よりの回廊があり、我々がそれを守護している事は知っての通りだと思う」
 そんな事、すっかり忘れていた伊織であった。
「それとは別に、一応表の神職があるのだが、うちの神社がまつっているのは、兵主神という。渡来の神で、兵器の製造を司る神だ。実体は蚩尤……中国の魔物なんだけどね」
「へえー」
 伊織は素直に感心していた。
「そして『回廊』より魔の者が出現したとき、相手が手強いときは当然応援を頼む事もあった。神職だけでなく、密教の退魔師の力を借りた事もある。これはそのころの名残だよ。ほかにもいろいろと、退魔のための武具や道具が、この神社には伝わっている。妖魔の正体を見る天眼鏡や、幽霊を捕らえられる幽縛縄などが、奥のひつに入っているよ。まあ最大のものは、この神社のご神体だけどね」
「そう言えばご神体ってなんなんですか?」
 神社で暮らしていながら、そんな事も知らなかった自分を、少し伊織は恥じた。
「刀だよ。変わった作りの古刀でね。大きな両刃の直刀なんだ。定めにより魔を封じるとき以外は抜けないと言われている刀でね。銘を『岩切の太刀』という。そんな名前のせいか、鞘も石で出来ているんだよ」
 どっかで聞いた名前だなと、伊織は思った。
「おっと、いかんいかん、早いところ出しておかないとな。明日業者の人が来て、ここに櫓を建てるから、出しておかないといかんのだ」
「手伝いますか?」
 そう言った伊織であったが、守衛はそれをやんわりと断った。
「いや、重い物ばかりだからな。女の子には酷だ」
「じゃ、頑張ってください」
 伊織は頭を下げると、部屋へと向かった。



 自分の部屋に入った伊織は、ピンクに染まった髪留めを見て、大きくため息をついた。

『明日の試験休みから、そうですね〜、だいたい一週間、できるだけそれをつけていてください〜。寝るときも外しちゃだめですよ〜』下着姿の伊織ちゃん(by ことぶきひかる)

 そう言われていたが、どうにも気が重い。
 だが、真織ちゃんのためにはそうもいっていられない。意を決して、伊織は髪留めを付けた。
 ふっと、自分の中で何かが変わる。
 部屋の鏡を見る伊織。
「こうしてみると、結構かわいいのよね、あたしって」
 普段の自分はおろか、髪留めを付けていても意識していなかった事が、妙にくっきりと意識に残る。
 着替えを出してセーラー服を脱ぎ、下着だけになったところで改めて鏡を見る。
「胸だってそこそこにあるし、体のラインだって悪くないし……」
 下着のまま、胸を持ち上げる。鏡の中で、自分の胸の谷間が強調されている。
 普段なら絶対にやらない事だ。
 そして取りあえず着替えたところで、さらにもう一度鏡を見た。
「ちょっとダサいかな〜。そうだ、明日見てこよっと!」
 今の伊織には、自分が男だったという意識は、かけらも残っていなかった。
「本当に大丈夫かな、伊織の奴……」
 その様子をタンスの上でじっと眺めていたシリアルは、そう小さく呟いた。



 翌日伊織は、電車で数駅先の大きな街でブティックをはしごしていた。
 今までなんで興味がわかなかったのか、自分でも不思議であった。
 こんな時に、と真須美さんも思わないでもなかったようだが、
「まあ、くよくよしているよりはいいわね」
 と、元々このために預かっていたというお金を渡してくれた。
 結構な額だったので内心焦る伊織であったが、女の子の服は結構高いと言うことを思い出して、そのまま言葉をのみこんだ。
 そしてその金額が決して多すぎない事を、改めて実感する伊織であった。髪留めのせいで意識が女の子のものになっていても、基本的な事以外は知識が増えるわけではないし、金銭感覚が変わるわけでもない。
(女の子も大変なのよね、こういうところは)
おでかけ伊織ちゃん(by MONDO) そんな事をしみじみ感じている伊織であった。
 はしごの成果は、今伊織の着ている服に現れている。夏向けのタンクトップにミニスカート、さっぱりさわやかなデザインでいやらしさや媚は感じないが、いつもの伊織なら着るのを絶対ためらうくらい露出の多いデザインである。これにサンダルと日焼け防止の、つばの広い帽子を組み合わせた伊織は、いかにも

 「夏のお嬢さん」

 という感じになっていた。
 少し時間に余裕のあった伊織は、そのまま街中をぶらついていた。いつものご町内よりやや都会の街並みに、何かうきうきしたものを感じる伊織であった。
 それなりにナンパもされたが、さすがに見ず知らずの男についていく事は、かなり引かれるものがあったものの、最後の理性がブレーキをかけていた。
(へえ〜っ、あたしって、結構イケてたんだ)
 ナンパ男にもピンからキリまでいたが、伊織に声をかけてきたのは、同じ歳くらいの、藤本みたいなタイプが多かった。
 軽くて明るくて遊び人だが、いやがる女の子を無理矢理襲ったりはせず、会ったその日にいきなりホテルへ直行などという事はしないタイプ、とでも言おうか。
 キスくらいまでは行ってしまいそうであったが。
 まあつきあうとこそ言わなかったが、こうしてモテている事自体を妙に嬉しく伊織は感じていた。
 (まあモテるのは悪い気はしないけど、やっぱりいきなり見知らぬ男の子とっていうのはちょっとためらっちゃうわね)
 そんな事を考えていたら、思わぬ伏兵が伊織の前に現れた。

 「あれ、伊織ちゃん?」
 「……ん?」

 妙に聞き慣れた声で呼びかけられ、振り向いた伊織が見たのは。
 藤本幸也であった。



「でも伊織ちゃんのそう言う格好、初めて見たな」
「何が初めてよ、チアガールの格好させたの、藤本君じゃない」
 数分後、2人は並んで街を歩いていた。
「ははは、それもそうか。うっ……」
 突然何故かつらそうな顔をする藤本。
「どうしたの?」
 心配そうな顔をする伊織に、藤本はわざと苦しそうな顔を作っていった。
「あの時の、股間の痛みが……」
 わざわざがに股になり、股間を手で押さえる。普通の男が女の子の前でこんな事をしたら変態扱いだが、藤本がやるとコメディアンの芸にしか見えない。得な男である。
「もう、それは言いっこなし!」
 伊織も怒りは感じなかった。
「ごめんごめん。それより、ちょっと休まない?」
 バーガーショップの前で、藤本は足を止めた。
「あ、ちょっと待っててね?」
 そう言われた伊織は、時計を確認した後、傍らの公衆電話に駆け寄った。
「もしもし、おばさん? あ、伊織です。今日出先で友達にあったので、ちょっと遅くなりますから……はい、お願いします」
 受話器を置くと、再び藤本の脇に戻る。
「ちょっと遅くなるって行って来たから、もうちょっと平気だよ? でもお泊まりはだめだからね」
「い、伊織ちゃんって、なかなか過激な事いうんだね」
 思わず藤本もちょっと引いていた。
「つきあうっていったからには当然の礼儀でしょ? 夕ご飯くらいまでならいいわよ」
「それって、おごってくれって言うこと?」
「割り勘でも別にいいけど、そうしてくれるとうれしいなっ!」
「ふっ、男としてその挑戦、受けざるをえませんね。となるとここではちょっともったいない、ランクを上げましょう」
 自信たっぷりにいう藤本に、今度は伊織のほうがあわてた。
「あっ、無理はしなくていいよ」
「いいえ大丈夫です、お嬢様。バーガーショップからファミレスへクラスチェンジするだけですから」
 道化がかった藤本の台詞に、伊織は思わず吹き出した。



 楽しく2人でお食事した後、近くの公園へと立ち寄った。駅前再開発の余録で生まれた、結構大きな自然公園である。本来いくつものビルが建つはずだったこの一等地は、ちょうど建設直前にバブルが弾けてしまったため、結局公園ぐらいにしかならなくなってしまった。
 もっともこの公園が近隣の市民やカップル達を呼び寄せ、地元商店の売り上げに貢献しているというから、人生万事塞翁が馬である。
 つまり逆にいえば、この公園は有名なデートスポットでもあった。
「でも藤本君って、本当に女の子と自然につきあえるのね」
 伊織は藤本に、そんな事を聞いていた。
「前にも言っただろ、僕は自分を偽らない事にしているからね」
 軽く返す藤本であつたが、どこか真摯なものがその言葉に混じっている。
「いいな〜そういうの。今ちょっと真織ちゃんとぎくしゃくしちゃってるから、よけいに」
「そうじゃないかな、とは思ってたよ」
「えっ!」
 驚く伊織。しかし藤本は平然と言葉を続けた。
「僕はあらゆる女の子を愛しているからね。かわいい娘はもちろん、そうでない娘もそれなりに。女の子の観察は欠かさないよ」
「それなりにはないんじゃない?」
 突っ込む伊織。
「そりゃ僕にだって好みのタイプくらいはある。何も全世界の女性をすべて同じように愛するといった覚えはないよ。けど僕は少なくとも、容姿で女性を差別した覚えはないよ。見た目は今ひとつでも、つきあってみたらすっごく好みの性格をしていたっていう可能性もあるんだし。僕が愛してやまないのは、そういう女の子固有の美点だよ」
「なるほど」
 いわれてみて伊織にも納得出来るところがあった。
 女性にはだらしがないように見える、というかかなりだらしない藤本ではあったが、彼が女性を傷つけるような発言をした事はただの一度もない。ナンパ師藤本、手玉に取られるの図(By 猫野丸太丸)
 それが彼の、プレイボーイとしての矜持なのだろう。
「つきあってみないと、見えない事ってあるんだね」
「そりゃそうさ。人間誰でも、いろんな面があるもんさ。だから僕は、いろんな女の子といっぱいつきあいたいのさ」
 かなり独善的ではあるが、肯けるところもある伊織だった。
 そのとき、伊織の内側に、不思議な『何か』がわき上がってきた。
 藤本に対する、今まで感じた事のない、何か。
 それに突き動かされるように、伊織は言った。
「じゃ、こんなのは?」
 不思議がっている藤本を置いて、伊織は公園の木陰に駆け込んでいった。
「あ、伊織ちゃん、待って!」
 伊織を追いかけていると、物陰から不意に彼女が抱きついてきた。
 薄着なだけに伊織の胸の弾力がモロに感じられて、さすがの藤本も動転する。
「うふっ、藤本君……」
 下から見上げるように藤本を見上げる伊織の目には、紛れもない『女の色香』が見えた。
「い、伊織さん!」
 伊織ちゃんが伊織さんになっている。
 と、その顔が急速に近づいてきて……直前で逸れた。
 ワンテンポ置いて、頬に柔らかいものが触れる。
「ありがとうね、藤本君! 今日は楽しかったよ。じゃ、また学校でね!」
 呆然としている藤本の前から、伊織は弾けるように立ち去っていった。



「やりますねー、イオちゃん、藤本君を手玉にとってますわ〜」
 一連の様子を、上空から見ていた4つの目があった。
「全く何考えてんだ。あのまんまだと真織だけじゃなく、伊織までぶっ壊れるぞ?」
「覚悟の上ですわ〜」
 恐ろしい事を、パラレルは平然という。
「イオちゃんが真織ちゃんを本当に愛していれば、ちゃんと耐えられるはずですもの〜」
「パラレルって、大ボケの癖して時々こういうすさまじい真似するよね、昔っから」
 シリアルはため息をつく。
「アニマの増大、か……知らず知らずのうちに、伊織は自分にとっての『理想の女の子』を演じるようになっていく。姿形だけでなく、性格までも……それも『男にとって』の理想だ。この先引っかかる男がどんどん増えるよ、これじゃ」
「それが狙いですし……さすがに真織ちゃんもあわてるでしょう、こうなれば」
「まさに天の岩戸になってきたね」
 パラレルは会心の笑みを浮かべながら、シリアルの言葉を聞いていた。
「アマノウズメは存分に踊ってくれていますわ。後はタジカラオの用意がいりますね」
「瑞樹?」
 そう聞くシリアルに対して、パラレルは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「いいえ、ちょっと意外な人物ですわ」
「ま、いいよ。任せた」
「はい、任されました。あっと、そろそろ戻らないと進藤のお母様が心配しますわね、じゃ、後よろしく」
 そういい残してパラレルの姿が消えた。
 後に残ったシリアルは、一人呟いた。
「あいつ、時折みょ〜に有能っぽく見えるよな……たいてい今みたいに、『シード』のパワーが減って、世界が危機に陥ったときなんだよね、考えてみると」
 そしてシリアルも、その姿を消した。

 自宅に帰った伊織を迎えたのは、嬉しいとも悲しいともつかない、真須美さんの顔だった。
「あ、伊織ちゃん、やっとカナダのほうから連絡が来たわよ」
 さすがに伊織の心からも浮かれた部分が消えていった。
 男としての自覚が減っている分、シードによって設定されていた両親への思いがわき上がる。
「どうなったんですか?」
「それがね、なんというか、はっきりしないのよ」
「はっきりしない?」
 そう聞く伊織に、真須美さんはますます顔をしかめた。
「どうやら交通事故で、義兄さんと義姉さんの乗っていた車が事故を起こした……という事らしいんだけど、死体が見つからないそうなの。あ、他の人は巻き込んでいない単独事故らしいから、そっちは心配しないでね。で、いわゆる、その、検死……じゃなくって、現場検証? その結果、どうも妙な事が分かったらしいの」
 不思議がる伊織に、真須美さんはさらに言葉を重ねた。
「事故を起こしたとき、ひょっとしたら2人は車に乗っていなかったかもしれない、って言うのよ」
「はあ?」
 不思議がる、が、不思議そのものに昇格していた。伊織の口が大きく開かれる。
「走行中の乗用車が高速道路の外壁に激突、となれば、当然運転者の血痕が車内に飛び散るはずよ。ところが調べた結果、車内には事故当時運転者が存在していた形跡が全くなかった……つまりこの事故は運転者が何者かに連れ去られ、車だけが暴走したとしか思えないらしいのよ。っていうか、運転者と助手席の乗員が、突然車内から消えたとしか思えないらしいわ。つまり、どちらも生死不明……現代のミステリーだって、あちらでも頭を抱えているらしいの。そのせいで連絡が遅れたって言うんだけど」
「それじゃ、万に一つかもしれないけど、生きてるかもしれないんですね、お父さんも、お母さんも……」
 伊織の目に喜びが浮かび上がる。理性の醒めている部分ではそんな事がないと分かっているのに、その喜びを押しとどめる事が、今の伊織には出来なかった。
「え、ええ、そうなるけど……」
 真須美さんもちょっとびっくりしている。
「なら私、お父さんもお母さんも、死んだなんて思いません!」
「伊織ちゃん?」
 突然そう明るく宣言する伊織を、真須美さんはじっと見つめていた。
「死んだと決まった訳じゃない以上、私までお父さん達が死んだなんて思ったら、本当に死んじゃうかもしれないもん、2人とも。だから私、本当に2人が死んだって確認されるまで、絶対生きてるって思う事にする。人間、何事も、あきらめたら終わりでしょ!」
「伊織ちゃん……」
 真須美さんは、我慢できない、とでも言うように伊織を抱きしめ、涙をこぼしながら言った。
「そうよね……あきらめたら、終わりなのよね……」



 真織はその様子を、じっと物陰から眺めていた。
 と、彼女の肩に、誰かが手を置いた。
「お父さん……」
 久々に真織の口から、その言葉が出ていた。
「真織、お前が何を思って怒り、私たちと口をきこうとしないのかはあえて聞かん。お前ももう、聞き分けのない子供では無かろうからな。だが、これだけは確かなんじゃないのかな? 伊織君の言う通り、何事もあきらめたらそれで終わりだ。違うかな?」
 返事は聞かずに、守衛は玄関で抱き合っている2人のほうへと歩いていった。
 真織はただ、それをじっと見つめていた。

 翌日、学校。サッカー部の朝練。試験も終わり、クラブはこれからが本番である。
「おっ早ー、みんな〜っ」
 いきなりハイテンションな伊織に、クラブのみんなは驚いた。
「おい、伊織、どうした!」
 真っ先に瑞樹が質問する。それら対して伊織は明るく答えた。
「ひょっとしたら、なんだけどさ、お父さん達、生きてる可能性があるんだって! ま、実際は死んでないかも、くらいらしいけど。でもさ、死亡確定、よりはずっといいじゃない! だから嬉しくって。0が0じゃなかったんだもん! あたしは絶対、お父さん達が生きてるって思う事にしたの! みんなもそう思わない!」
 一瞬、思いっきり当てられていたクラブのみんなも、伊織の言葉が脳裏に染みこむにつれて、だんだんとわき上がってくるものがあった。
「そうだね。死んだと決まったわけではない以上、生きている。その通りだ。試合だって、どんなに点差があろうと、ホイッスルが鳴るまでは負けると決まった訳じゃないんだ」
 芹沢がそういうと、みんなに同意の意志が伝わっていった。
「そうだそうだ!」
「負けるな我らのアイドルマネージャー!」
「あきらめないでね!」
「もちろん、僕もそう思う」
 みんなが、伊織を祝福していた。



「ところで瑞樹さん、応援団のあなたが何故ここに?」
「わ〜っ、それいいっこなし!」







「伊織さーん、一緒にご飯食べない?」
 数名の男女のグループが、伊織を誘っている。今まではあまり見ない光景であった。
「うん、いいよ〜」
 当然のように、伊織も受ける。
 そんな伊織の事を、数名の男子が熱っぽい目で見つめていた。



「伊織さん、一緒にカラオケ行かない?」
 クラスの男子に誘われて、うきうきとついていく伊織。念のために言っておくが、男女とも多対多だ。
 それもやはり、今までには見られない光景であった。







 翌日のクラス。
 伊織を見つめる目が明らかに増えていた。



 真織はそれをじっと、ただ、見つめていた。







 夏休みに入った。
 初日、伊織はさりげなく着飾って出かけていった。
 どう見てもデートだった。



 真織の瞳に、明らかに困惑の色が浮かび始めた。







 夕方の早川神社。すっかり組み上がった櫓の影に、パラレルと瑞樹がいた。
「おい、どうなってるんだ、伊織の奴」
 心配そうに聞く瑞樹に対して、パラレルは平然と言う。
「今のところ怖いくらいに順調ですわ〜。真織ちゃんも、しきりにイオちゃんの事を気にしていますし」
「そりゃあたしも同感だ。あんだけ人が変われば、何事かと思うぞ。芹沢も心配していた。あれは無理に明るく振る舞ってるんじゃないかって」
「さすがは瑞樹さんが好きになった方ですわね〜」
 パラレルに突っ込まれて、瑞樹は真っ赤になった。
「それで一つ、瑞樹さんにお願いしたい事がありますの」
「それであたしをこんな所に呼びだしたのかい? ま、伊織のためなら聞いてやるよ」
 そしてパラレルの事を、瑞樹は真正面からじっと見つめる。
「何をしようって言うんだ? 明日で一週間だぞ。伊織があれを付けっぱなしにして」
「はい。簡単な事ですわ。明日の盆踊り大会、必ず芹沢君を誘って、ここに来てください」
「へっ? そりゃ最初っからその気だったけど……わっ、あたしゃ何言ってんだっ!」
 デートの予定を思わずばらしてしまい、あわてる瑞樹。
「ならちょうどいいですわ〜。で、明日何があろうとも、イオちゃんと芹沢君を信じてあげて欲しいんですの」
 その瞬間、瑞樹にはパラレルの考えが読めた気がした。
「ほお〜っ、そういう気か! 伊織と芹沢をダシにして、真織の誤解を解くきっかけにする気だな!」
 ところがパラレルは首を振った。
「それほど真織ちゃんは単純ではありませんわ〜。まあ、仕上げを見ていてくださいな。真織ちゃんみたいなタイプには、地道な説得より、荒唐無稽な出来事のほうが、効果があったりしますのよ」
 なんか馬鹿にされた気がして、瑞樹はパラレルの頭をひっぱたいた。
「いた〜い、何するんですの」
「……信じたからな」
 ある意味凄みのきいた顔で、瑞樹はパラレルに迫る。
 それを平然と受け止め、パラレルは言った。
「はい、信じられました〜」
「まあ、アンタはそういう奴だよな……」
 気の抜けた顔をして、瑞樹は去っていった。
「……パラレル」
 そこにシリアルが顔を出した。
「一応こっちの準備はいいけど、ホントにあんな事をする気?」
「その気ですけど〜〜」
 相も変わらず脳天気なパラレルを見て、シリアルは深くため息をついた。
「これがまたうまくいったりするんだよな……こいつ失敗も多いけど、考えてみると、あんだけ無茶をしてまだ3回しか失敗してないんだし。後ははらはらしつつも、何故かうまくいっちゃうんだよね〜。その3回だって、純粋にパラレルが悪かった訳じゃなくって、どっちかって言うとまわりが悪かったわけだし……」
 そこまで考えて、シリアルはある事に気がついた。
(そういえばパラレルって、ドジな上にやる事は無茶苦茶、上にも下にも迷惑かけまくりの癖して、本当に致命的なドジって踏んだ事無いんだよな〜。これってある意味、結構有能なんじゃないか?)
 ふとシリアルの脳裏に、パラレルが、伊織(男)の自宅で勝手に見ていた(パラレル曰く、『伊織君らしい行動の一環』である)アニメのヒロインの一人が頭に浮かんだ。
 やたらにドジな癖につじつまだけは合ってしまう偶然の天才。
 シリアルの背筋に、何か寒いものが走った。
「まさか……ね」

 ひゅ〜、パンパン。
 高台にある神社の境内からは、遠くの花火がよく見える。
 今日は盆踊り大会。神社の境内には昼前からテキ屋の小父さん達がたくさん押し掛けてきていた。手際よく綿飴や金魚すくいの出店が立ち並び、普段はただ広いだけの場所に、お祭りの雰囲気が濃厚に立ちこめ始めていた。
 櫓の上では町内会長さんが、気分良く和太鼓をうち鳴らしている。
 同時に古ぼけたスピーカーから、ご当地ものを含む日本各地の盆踊りソングが割れ気味に鳴り響く。
 そして櫓を取り巻くように町内の有志が見事な踊りを披露している。一般の人達はその輪の外を取り巻くようにもう一回り大きな輪を作って、こちらは下手丸出しで、それでも気分良く踊っている。
 子供も大人も、たくさんの人が繰り出してきて、この日ばかりは早川神社も大にぎわいであった。
 伊織は外の輪の中で、さっきまで藤本と一緒に踊っていた。フォークダンスではないが、曲が変わるたびにいろいろな男を相手にして踊っている。
 そんな伊織を、瑞樹と芹沢は傍らから眺めていた。
「本当に伊織ちゃん、急に明るくなったね」
「ああ……」
 答える瑞樹の声は歯切れが悪い。
「僕たちも踊る?」
 そう誘った芹沢に、瑞樹は言った。
「ちょっと、頼まれてくれないか……? 訳は聞かずに」
「?」
 不思議がる芹沢に、瑞樹は重ねて言った。
「もしこの後伊織が誘いをかけてきたら、受けてくれないか? あたしの事は気にせずに。その後どうなろうとかまわない。あんたの事は信じてるから」
「おいおい、何を……」
 言い出すんだ、と、そういいかけた芹沢の言葉は、途中で止まってしまった。
 瑞樹が物凄く真剣な目で自分を見つめていたからだ。
「……分かった」
 変わりに出てきたのは、その言葉だった。
「仰せの通り、訳は聞かないよ。早川さんの誘いを、断らずに受ければいいんだな?」
 瑞樹は黙ってうなずいた。涙がこぼれそうになるのを必死に押さえる。
 それは悲しみでも嫉妬でもなかった。
 彼が自分に向けてくれる信頼が、泣きたいほど嬉しい瑞樹であった。



 程なく伊織が、こちらにやってきた。
「あ、瑞樹みっけ。あ、芹沢君もいるんだ。このこのっ」
 突っつかれて瑞樹は真っ赤になった。
「こっ、こら、伊織!」
 怒鳴っても全然効き目がない。
「うらやましいぞ〜、このー。ね、ちょっと彼貸してよ」
「芹沢は貸し借りできるもんじゃねえ」
 ちょっと怒った口調になる瑞樹だが、やはり全然効き目はなかった。
「ねえ〜、いいでしょう〜」
「ったく伊織は甘えん坊だな。ほら、もってけ泥棒」
 瑞樹の知る伊織とのギャップに頭を抱えつつも、彼女はそういった。
「わ〜い。じゃちょっと借りるね。……大丈夫、とって食いやしないわよ」
 さらに頭の痛くなる事を言って、伊織は芹沢の手を取り、神社の裏手へと引っ張っていった。
「取りあえず、言う通りにはしたぞ、パラレル……」
 その様子を、瑞樹は一抹の不安と共に見送っていた。と、視界の隅に引っかかるものがあった。
 ロングヘアーを揺らしながら、浴衣姿の女性が2人の後を追う。
(真織ちゃん……?)
 これは珍しくパラレルの作戦が図に当たったか、と、瑞樹もそっと後を付けた。

 伊織と芹沢は、神社の裏の崖っぷちに来ていた。危ないので普段は立ち入り禁止になっている場所だが、実は一番良く花火の見えるスポットでもある。おかげで守衛氏は、毎年この時期になると不正侵入者を追っ払うのに一苦労する事になるのだが、それは少し置いておく。
 花火を背に、伊織は芹沢に向かい合っていた。
「芹沢君、幸せ?」
 唐突に伊織がそう言う。芹沢はちょっと戸惑ったものの、素直に今の気持ちを答えた。
「ああ、幸せだよ」
「好きな人と思い合えたから?」
「ああ。そうさ」
「そう……」
 そう言って、何故か伊織は下を向く。
「? ……どうかしたの?」
 心配そうに声をかけた芹沢は、そこで思わぬ奇襲を受けた。
 伊織がひしっと芹沢に抱きついたのだ。
「覚えてる……大会の時の事」
 伊織の口から、そんな言葉が漏れる。
「あたしだって、あなたの事、好きだったのよ……」
「早川……さん」
 戸惑ったように、芹沢も答える。
「ごめん、今のあなたは、瑞樹のものだもんね。今更こんな事言っても遅いけど、ちょっとだけ、こうさせて……」
 そう言った伊織に、芹沢は優しく答えた。
「やっぱり、無理してたのかい?」
 伊織は答えない。
 だが肩が、急にぴくっと震えた。
 芹沢が伊織を抱きしめ返してきたからだ。
「信じているよ……早川さんは、強い人だって。両親の事も、あきらめちゃダメだ」
「芹沢君……」
「愛情とか、勇気とかは、もらった分だけ、他人にも返してあげるものだと、俺、思うんだ。だから今は、俺が早川さんに、勇気をあげたい、そう思う」
 芹沢の男らしい態度に、伊織はここしばらく眠っていた、男の意識が戻ってくるのを感じた。
(さすがは……瑞樹が惚れた男だな……)
 そっと、芹沢の事を見上げる。
「……ありがとう、本当に元気が出てきた」
 そう言ったときだった。
 
「伊織ちゃん!」
 
 振り向いた伊織に、泣き腫らしたような顔をした真織の姿が映った。
「真織、ちゃん……」

「伊織ちゃん、あなた、進藤君だけじゃなく、芹沢さんにまで手を出す気なの! あの優しかった伊織ちゃんが、なんでそんなになっちゃったの!」
 真織の顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。
 それは真織の心の堤防が決壊した姿ともいえた。態度が急変した伊織に対する困惑が、自分を裏切った伊織への不信を上回った瞬間ともいえる。
「ねえ、伊織ちゃん……本当に、なんでいきなり……」
 惑乱……不信……そして、友情。
 幾多の感情が真織の上で渦巻いていた。
 今が勝負時だ、伊織にもそれが分かった。
 今ここで適切な態度をとらなければ、もうおしまいだ。
 パラレルの仕掛けた無茶な作戦は、少なくとも真織の閉じた心の扉をぶち壊すのには成功したのだ。
 だがそれは、まさに力ずくで粉砕したに等しい。適切なフォローが出来なければ、真織の心は壊れたままになる。
 おそらく、二度と真織は、他人が信じられなくなるだろう。
 その時伊織は、完全に『男』に立ち返っていた。
 強化された髪留めの呪縛すら引きちぎって。
 だが、その『適切なフォロー』を思いつく事が、伊織には出来なかった。
 今の伊織が何を語ろうと、真織には納得できないだろう。
 伊織にもそれが分かってしまった。
 だが、事態はそんな伊織の思いをぶち壊すかのように急展開した。



「お、なんか修羅場ってるな。伊織、芹沢は落とせたのか?」



突然、そんな声がした。そちらを振り向いた伊織は、とんでもない驚きに身動き一つ出来なかった。
 そこには、『進藤伊織』が、自分にはとうてい出来ない、不敵でいやらしい笑みを浮かべて立っていたのだ。
「進藤? 今のはどういう意味だ?」
 いち早く立ち直った芹沢が、『進藤伊織』に向かっていく。だが『進藤伊織』は、そんな彼を片手ではじき飛ばした。彼は立木に激突して、そのまま崩れ落ちた。
「進藤君!」
 真織の驚愕の叫びが響く。だが『進藤伊織』は、その声を無視して伊織に近づいていった。
「ふっ、結構ため込んでくれたみたいだな」
 そしてそのまま、伊織の首根っこを掴んで持ち上げると、いきなりその唇を奪った。
「!!!!」
 伊織は声も上げられずに暴れる。が、再び力を増した髪留めの強制力によって、ふわっとした気分に囚われてしまった。
 端から見れば、それは、陶酔しきった女性の姿にしか見えなかった。
(な、なんなんだ〜〜!)
 頭の中で悲鳴を上げる伊織。すると、それに答える声があった。
(ご苦労様、伊織君今まで本当によく頑張ってくれたね、いろいろと)
 頭の中に響いてきた声は、パラレルのものでありながら、いつものパラレルとは全く違う、冷え冷えとした声だった。
(は? 何言ってるんだ、パラレル)
(アハハハハ、まだ私が天使だなんて信じていたのかい? あの神主も言ってただろう。ここは昔から魔の者が出るって。魔の者が天の御使いに化けるのは、古来よりの常識だよ)
 それを聞いた瞬間、伊織は全身の血が凍り付いたような気がした。
(まさか、今までのことは……)
(ま、多少の善行はしたけどね。我々は人の感情を喰らうのさ。喜び、悲しみ、怒り、愛、そして、欲望……どんなものであれ、感情はいい栄養さ。ブレンド加減で様々な味わいになる。君のおかげで、だいぶいい思いができたよ。君はよく踊ってくれたからね。純真で、人の言うことを疑いもしない。本物の天使があんな無能なわけがないだろ。すべては君に踊ってもらうための嘘さ。何、我々は別に悪いことをする訳じゃない。善行をしようと頑張る、君の感情が欲しかっただけさ。ただね、君ももう用済みだ)
(用済み……?)
(君の持つ感情のパターンは、ほぼ味わい尽くしたって事さ。男の子を女の子に変える……ずいぶんと新鮮な味わいだったね。最後に味わうのは、絶望さ。ちょうどそのための素材が君の目の前に来た。さあ、どうしようかな。殺す? 犯す? それとも君みたいに、女の子から男の子に変えちゃおうか)
(そんなこと……させるかよ!)
 体は全然動かなかったが、伊織の心は先ほどとは逆に熱く燃えさかり始めた。
 その炎が、凍り付いたように動かない伊織の全身を溶かし始める。
 そして感覚の戻り始めた伊織の耳に、真織の叫びが響いてきた。
 
 
 
「進藤君! 伊織ちゃんに何をしたの!」
「ん……? ああ、君か。この前屋上で、僕がしていた儀式をのぞき見したのは」
 その答えを聞いた真織の顔が、さっと紅潮する。
 恥ずかしさのためではなかった。それは……怒りだった。
「あなた……誰? 進藤君は、自分の事を……『俺』って言うわ!」
「おっと、これは失敗だったな。まあいい、君も僕の『下僕』になれば、そんな事は気にならなくなるよ。この『伊織』みたいにね」
 くつくつと笑うその表情は、進藤伊織のそれとはかけ離れたものであった。
 真織は自分の足が震え出すのを止める事が出来なかった。
(ひょっとして、進藤君が変になったのは……)
 恐ろしい考えが、頭の中を駆けめぐる。
 しかしそうしているうちにも、『進藤伊織』は、一歩一歩、真織のほうに近づいていった。
 『早川伊織』をぬいぐるみか何かのようにぶら下げて。
 真織はそれを見て、怒りのあまり叫んでしまった。
「伊織ちゃんを……放しなさいよ!」
「こうか」
 『進藤伊織』は、彼女をちり紙か何かのように投げ捨てた。
「何するのよ!」
 怒りに我を忘れた真織は、そのまま『進藤伊織』に突っかかっていった。
 彼が口元を嘲笑うように歪め、待ち受けていることにも気づかず。
 後一歩踏み込めば、真織は自ら『進藤伊織』の元へ身を投げ出してしまう。
 まさに『危機一髪』であった。



(だめだ! それは……罠だ!)
 伊織には事の推移が見えていた。真織を挑発して冷静さを失わせ、付け入る隙を作る……。
 伊織は必死になった。
 おそらく今までの人生で最高に。
 その瞬間、呪縛が解けた。
 喉の奥から、万感の思いを込めた声がほとばしる。
 彼女の名前が。
 それがきっかけになって、全身の制御が戻った。
 ためらうことなく、伊織は『進藤伊織』に体当たりをかました。



「真織、逃げろっ!!」



 その勢いに『進藤伊織』の体がよろけ、その姿が真織の視界から外れた。
 真織の足も、一瞬の驚愕と共に止まる。
 だが、そこまでであった。
「おっと、油断したよ……。まさかあそこから立ち直るとはね……」
 こちらを睨む『進藤伊織』。そのとたん、再び体が動かなくなってしまう伊織であった。
(くっ……)
 だがその努力は無駄ではなかった。真織が落ち着きを取り戻し、再び距離をとる。
「ふふふ、気づかれちゃったか。まあいい。ゆっくりと君を、僕のものにするだけだ」



「伊織ちゃん……」
 じりじりと迫る『進藤伊織』におびえつつも、真織の心の中で、何かが変わった。
 たった一言。心からの叫び。
 その一言だけで、真織は自分の過ちを悟った。
 どんなに自分が無視しても、伊織が自分のことを見ていてくれたことを。
 自分が振り捨てた絆を、相手が放さずに持っていてくれたことを。
(ごめんなさい……伊織ちゃん)
 ごく自然に、その一言が胸の内からわき上がってくるのを、真織は感じていた。
 今初めて、真織は心から祈った。
 自分ではなく、伊織の無事を。



 その祈りが通じたのであろうか。
 奴が、さらなる一歩目を踏み出した時であった。
 風を切り裂いて飛んできた光るものが、『進藤伊織』の足下に突き刺さる!
「これは……独鈷杵!」
 何故か淡く光るそれを前にして、奴はたじろいだ。
 そして……



「真織! これを掛けろ!」



 突然、息苦しい緊張をその叫びが破った。同時にきらめく何かが真織に向かって飛んでくる。
 とっさにそれを受け取る真織。それは古ぼけた、眼鏡のようなものであった。弦が無く、変わりにお面か何かみたいに、紐を耳に掛けるようになっている。
 真織が周りを見回すと、そこには何かごつごつした棒のようなものを持った守衛がいた。
「お父さん……?」
「それは魔物の真の姿を見抜く『天眼鏡』だ! それを掛ければ、すべての真実が見える!」
 困惑しつつも、真織はそれを掛けた。
「!」
 その瞬間、真織は自分の目を疑った。今まで『進藤伊織』にしか見えなかったものが、進藤の服を着た、金髪の女の姿に見える。そして、地面に倒れ伏している伊織が、何故か二重写しになって見えた。早川伊織の姿に重なるように見えるその姿は……!
「進藤君!」
 そう、その姿はまさに『進藤伊織』の姿に相違なかった。
「お父さん、これは……」
 そう聞く真織を、守衛はかばうように自分の背後に隠した。
「真織、良く聞きなさい」
 手にした棒状のものを構えながら、守衛が語る。
「うちが古来より、さまよえる『魔』を退治ていたことは知っているな。今目の前にいる少年は、お前の知る少年ではない。我々が退治る『魔』に他ならぬのだ!」
「進藤君が?」
「進藤君というのか……あれは本物ではない。彼は魔にその姿を奪われたのだ。魂は何故かは知らんが、伊織君に重なるように宿っている」
 真織には訳が分からなかったが、父が嘘を言っているわけではない事は分かった。眼鏡を通して見える不思議な光景にも一致している。
「伊織君の魂が、伊織ちゃんに……?」
「そうか、同じ名前なのか」
 真織のつぶやきに、守衛はそう答えた。
「名前が同じであるが故に引かれたのかもしれんな。真織、下がっていなさい」
「どうするの? お父さん」
「早川神社の神主として、このご神体に掛けて、この『魔』を討つ!」
 そう守衛が叫んだ瞬間、棒状のものから、何かが抜けた。
 ごとん、という音と共に重たいものが落ちた後にそこにあったのは、輝くような両刃の剣であった。
「面白い、受けて立とう!」
 『進藤伊織』は、一旦距離をとると、守衛に向き直った。



「な、なんなんだ、一体……」
 物陰から一部始終を見ていた瑞樹は、さすがに混乱していた。
「パラレルの奴もよくこんな事を思いつくもんだ」
「あっ、シリアル」
 ちょうどそこに、見知った黒猫が姿を現した。
「安心しな、ありゃみんなパラレルがやってる芝居だよ。御神職も納得の上さ」
「へ? おじさんも?」
 とたんに気が抜ける瑞樹であった。
「真織ちゃんを混乱させてた事態を、ああやってうやむやのうちに納得させちゃう作戦……あんなこと、マジでパラレルじゃなきゃ思いつかないよ。『実は伊織は偽物でした』ってことを、真実は明かさずに真織ちゃんに納得させるって言うんだから。悪知恵だけは人一倍だよ、パラレルの奴」
「はあ、そりゃご立派な事で」
 だがふと瑞樹はある事に気がついた。
「でも、どうやっておじさんや伊織をだまくらかしたんだい? パラレルって、確か嘘はつけないんだろ?」
「嘘も方便、っていうだろ」
 シリアルの口調は、かなりあきれていた。
「僕たちにとって嘘って言うのは、つけないんじゃなくって、つく事自体がかなり高度な力を必要とするものなんだ。人を不幸にする嘘は絶対につけないけど、人を救う嘘ならつける。方便って言うのは正確には『方便力』っていう、お釈迦様が人を救うために使う神通力の事だからね。つまり本来の使命に添っていれば、力の一つとして嘘はつけるんだよ」
「なるほどねえ……」
 瑞樹もため息をついた。
「じゃ、あたしはこのまま見てればいいんだね」
「うん、ここを動かないで欲しい。今僕はここに人払いの結界を張っているんだけど、瑞樹がここを離れるとせっかくの結界が壊れかねないから」
「分かった」
 そして瑞樹は、目の前の茶番劇に集中した。



「くっ、強い……! これが代々の『守り手』の実力か!」
「魔物よ、覚悟はいいか、受けよ、浄化の光を!」
 そして剣を大上段に構える守衛。










 守衛が気合いと共に剣を振るうと、剣から飛び出した光が『魔』を打ち、それを浴びた『魔』はひとたまりもなく消滅した。服すら残らない。
「ふう……この年になると御神刀を振るうのも堪えるわい」
 守衛が汗をぬぐっていると、真織が心配そうに声を掛けてきた。
「お父さん、進藤君は……?」
 真織は消え失せた進藤のいたところを不安そうに眺めている。
「何、心配はない。御神刀の霊力を浴びて消えたという事は、彼の肉体を操っていたわけではないという事だ。それならばここに彼の肉体や服が残るはずだからな。どこかで寝ているか、奴が見つかりにくい所に体を隠しているか、そんなところだろう。進藤君のご両親には私が言いつくろっておくから、心配しなくていいぞ」
「うん……けど、伊織ちゃんや進藤君がここのところ変だったのは……」
「ああ、魔に利用されていた、そのせいだろうな。伊織君は、本来の彼女に、魔によって進藤君の魂を重ねられていたせいで、少し変わって見えたのかもしれないね……おお、そうか。奴は同じ名前の伊織君を利用して、邪魔な進藤君の魂を彼女の中に隠したに違いない。相似相同といって、これはこの手の術の基本だからな。それにあの魔物、どうやら女だったらしいから、男である進藤君の魂を女の伊織君に宿らせれば、同じ原理によってその分彼に化けやすくなるという効能もある」
「そうだったの……あ、それじゃ、ひょっとして……」
 黙って守衛の説明を聞いていた真織の顔が、突然真っ赤になった。
「ん、どうしたのかね、真織」
「あ、あの、お父さん……」
 真織はどもりながら守衛に聞いた。
「伊織ちゃんに進藤君の魂が重なっていたとしたら、進藤君、伊織ちゃんにした話、聞いてる事になるのかな……」
「うーむ、それははっきりとは分からんが、たぶん、彼は夢を見ているような気持ちになっとると思うぞ」
 守衛氏はそう答えた。
「つまり彼は、自分が女性の伊織君になっていた夢を見ている状態にあると思う。彼を元にもどしてみないと分からないがな」
「戻せるの、お父さん!」
 一転して明るくなった娘の声に、守衛は苦笑しながら言った。
「当たり前だろうに。二人の魂を分離すれば、自動的に彼は本来の体に戻るはずだよ」
 そして真織はそこに倒れている伊織の上に顔を伏せた。
 いつしか真織は、伊織の胸の上で泣いていた。
「ごめんね、ごめんね、伊織ちゃん……」
 すると、真織は誰かに抱きしめられたのを感じた。
「気にしてないよ、真織ちゃん……」

「伊織ちゃんっ!」

 真織は、ひしっと伊織に抱きついた。
 あの伊織の叫びを聞いた時。
 重なる二人の姿を見た時。
 どっちの伊織も、自分にとってかけがえのないものであることを、真織は今はっきりと理解した。
 たとえどんな訳が、どんな事実があろうとも。
 それは、長い、長い誤解が、完全に解けた証でもあった。

「大丈夫か、芹沢」
 芹沢が目を覚ますと、目の前に瑞樹の顔があった。
「あ、笹島さん……そうだ、進藤は! 早川さんは!」
 いきり立つ芹沢を、瑞樹はそっと押しとどめた。
「大丈夫……全部、片づいたから……」
「……笹島さん、何か知っているのか……」
 じっと瑞樹を見つめる笹島。瑞樹はそっと目を伏せ、小声で言った。
「すまない……悪いけどなんにも聞かないでくれ。説明は出来るけど、到底信じちゃもらえない話しなんだ……」
「俺ってそんなに信用無いかな……」
 芹沢は苦笑いをしながらも、瑞樹に言った。
「でも、笹島さんが言いたくないなら、無理には聞かないよ。でも、みんな、何ともないんだな?」
「それだけは保証する」
 力強く言い放つ瑞樹に向かって、芹沢は微笑んだ。
「なら、いいさ。……お、綺麗だぜ」
 つられて瑞樹がそちらを見ると、花火大会の締めの一発、三尺玉が派手な華を夜空に咲かせていた。
「……ほんとに、綺麗だな」
 何故か瑞樹は、涙が止まらなくなっていた。

 その日、真織が落ち着いて寝静まった夜。
 社務所に伊織、パラレル、シリアル、そして瑞樹が集まっていた。
「おい瑞樹、こんな夜遅くに大丈夫なのか?」
 心配そうに聞く伊織に、瑞樹はにかっと笑ってVサインを出す。
「平気平気。早川のおじさまの所に泊まるって言ったら一発でOKが出た。嘘じゃないしな」
「はいはい。で、パラレル。ひどいじゃないか。本気でびっくりしたぞ!」
「敵をだますには、まず味方からといいますし〜」
「……違うと思うよ、パラレル」
 あきれたようにシリアルが突っ込む。
「それにああでもしないと、とてもじゃないけど真織ちゃんは納得できなかったと思いましたので……」
「まあ、それはいいよ。結果はうまくいったわけだし」
 伊織もその点は納得していた。すべての疑問が氷解した(と思っている)真織は、ひたすら伊織に頭を下げたのだ。しばらくの間伊織は、同じ事を繰り返す真織に付き合って疲労困憊していたのだった。
「さて、後はイオちゃんを元に戻すだけですね」
「んなっ!」
 突然の台詞に、伊織は面食らった。
「いきなり言うな、そんな大事なこと」
「あら、戻りたくないのですか?」
 あくまでマイペースのパラレル。
 伊織はますます疲れるのを感じつつも、はっきりと言った。
「戻りたいに決まっているだろ!」
 そんな2人の様子を眺めつつ、瑞樹がシリアルに聞く。
「戻れるのか? 伊織の奴」
「うん、真織さんの誤解がとけたとたん、シードのエネルギーが満タンになったんだ。ただ……」
「ただ?」
 言いよどむシリアルに、瑞樹が詰め寄る。
「まあ、その話は、今からパラレルがすると思うから」
 そう言われて、瑞樹は注意を伊織とパラレルのほうに戻した。
「さて、イオちゃんを元に戻すに当たってですが……」
 パラレルがじっと伊織を見つめる。
「やっぱりイオちゃんの存在は、この世界の存在に不可欠なものになっちゃいました」
「ちょっと待てい!」
 伊織がパラレルの首根っこを掴む。
「じゃ、やっぱり戻れないとでも言うのか!」
「あわてないでください〜」
 吊されたままパラレルが答える。
「イオちゃんの存在は不可欠ですが、同時に伊織君の存在もまた不可欠なんです〜」
「???」
 困惑する伊織。
「つまりですね〜」
 その隙に伊織の手を脱出したパラレルが、解説を続けた。
「シードにとってのキーパーソンの一人である真織さんにとって、イオちゃんと伊織君、どちらも不可欠の存在なんですの。どちらか一方を消し去ることは不可能なんですわ」
「じゃあどうするんだよ」
 憤る伊織を押しとどめつつ、パラレルは何か長い棒のようなものを取り出した。
「それを解決するために、御神職からこれを借りて参りましたの〜」
 それはあの時守衛が振るっていたご神体であった。
「これがあって助かりましたわ〜。アーサー王の御代より伝えられる聖剣エクスカリバー、これさえあればこんな事態、簡単に解決できますもの……あら、どうしました?」
 伊織と瑞樹は揃ってこけていた。
「なんでそんなもんが日本の神社のご神体になってるんだ!」
「あら、キリスト教がらみのものは、最後に極東の地である日本に流れてくるのはお約束ですわ〜」
 平然と切り返すパラレル。
「何しろ日本にはキリストの墓があるくらいですし。実はパーシバルが発見したという聖杯やキリストの命を奪ったロンギヌスの槍も、今の日本に……」
「わーっ、その先は聞きたくない!」
 伊織はあわててパラレルの言を遮った。
「『岩切の太刀』かあ……そう言えばエクスカリバーって、『岩を切るもの』って意味だって、どっかのゲームで言ってたっけ……」
「で、それを使ってどうするんだい?」
 頭を抱えている伊織を無視して、瑞樹が聞いた。
「簡単なことですわ〜」
 脳天気に答えるパラレル。
「これを使ってイオちゃんを、『イオちゃん』と『伊織君』の二つに切り分けるんですの〜。そのために一週間もかかって、『女の子の心』を髪留めに蓄積してもらったのですから〜」
「それであんな改造をしたのか。最初っから狙ってたな?」
「実はそうですの〜」
 瑞樹のツッコミにも動じず、パラレルは聖剣を大上段に構えた。
「さあ、じっとしていてください、イオちゃん。動くと失敗しますから〜」
「わ〜〜〜〜〜〜っ!」
 悲鳴を上げて後じさる伊織であったが、その体をがっしりと何者かが抑えつけた。
「さあ、すっぱりとやってくんなせえ、パラレル先生」
「み、瑞樹〜、ふざけるな〜」
 だがその叫びは届かなかった。
「行きますわよ〜。古の聖剣エクスカリバーよ、今こそこの『伊織』を二つの存在に切り分け給え、『ソウルセイバー』っ!!」
 掛け声と共に伊織の目の前で剣を振り下ろすパラレル。剣が伊織に触れることはなかったが、その切っ先から飛び出した一条の光が、伊織の正中線をなぞるように貫く。
 一瞬の後、伊織の体が光に包まれ、その姿が二つに分離していった。
 やがてそれは、2人の人間の姿になっていった。
 そして光がおさまったとき、そこには2人の人間がいた。
 進藤伊織と、早川伊織が。
 どちらとも無く顔を見合わせる2人。そして自分の体を見て、思わず呟いた。
「俺……元に戻っている」
「あたしは……そのままよね」
 やがて男の伊織が「戻った、戻ったーっ!」とはしゃぎ始めた。
「おい……どうなってるんだ?」
 その様子を見て、瑞樹が質問をする。
「はい、伊織君は元の男の子に、で、こっちのイオちゃんは、『髪留めをつけっぱなしにして、元に戻らなくなった伊織君』の状態になっているんですの。元々真織さんや御神職様が知っているイオちゃんは、そう言う設定の人物ですし。記憶とかは共有していますが、別に違和感はありませんよね、お二人とも」
「ああ、今のところは別に何ともない」
「……あたしも、別に何ともないわ」
 2人の伊織が口をそろえて言う。
 瑞樹はそれを見て、頭が痛くなってきた。
「どっちも一応、伊織なんだよな?」
「そのうち慣れますわ〜」
 パラレルはにっこりと笑ってそう言った。



「さあ、後は明日ですね。伊織君、分かっていますね」
「ああ、真織ちゃんに、思い切って告白する。答えが分かっているのは卑怯かもしれないけど、それでもきっちりという」
「それでこそ男の子ですわ〜」
 脳天気に言うパラレル。
「あたしも応援するよ、男の子の『あたし』」
 今はすっかり女の子の思考になった『伊織』もはっぱを掛ける。
「真織ちゃんへのフォローはしとくからね」
「ああ、頼むよ、もう一人の『俺』」
 伊織は力強くうなずいた。
「で、明日伊織君が真織さんに告白して、それを真織さんが受け入れてくだされは、シードの力は満願になって、イオちゃんの中から取り出せますわ〜。だから明日、イオちゃんは社務所にいてくださいね」
「ん、分かった」
 伊織(女)は素直にうなずいた。
「さあ、明日ですべての決着が付きますわよ!」

 その翌日、早朝の早川神社であったことを語るには、そう多くの言葉はいらなかった。
 少年は少女に、己の胸の内を告げた。
 少女に宿っていたときのことは、何となく覚えている、と嘘をついたが。
 でも少女は気づかなかった。
 通じた思いに、心を捕まれていたから。



 そして少女は、社務所である儀式をしていた。
 守衛とシリアルの見守る中、伊織の胸から『シード』が取り出される。
 シードは黄金の輝きを放っていた。
「いろいろとご迷惑をおかけしました、御神職殿」
 シードを手に、改まった口調でパラレルは守衛に語りかける。
「なんの、これしき。これで此度の伊織君の助力は終わったのですな」
「はい。これにて完了いたしました。役目のこととはいえ、大切な姪御に進藤伊織殿の心を重ねたことは、平にご容赦を」
 そう言って平伏するパラレルに、守衛も頭を下げた。
「役目の上のことならば仕方のないこと。その言葉は進藤殿に言ってくだされ」
「いえ……彼はほら、すでにその報酬を受け取っています故」
 天使の微笑みを浮かべたパラレルは、そっと社務所の窓を細く開けた。
 そこに映るのは、唇を重ねる少年と少女。
「近い将来、息子が出来そうですね、御神職殿」
「はっはっはっ、そんな感じですな。まあパラレル殿にも認められた男なら、悪い子ではないでしょう。末永く見守る所存です」
 そして伊織は、もう一人の自分をじっと見つめていた。
(うまくやってね、もう一人の私)
 そんなことを思いながら。
「では、これにて私は。そうそう、此度の報酬というわけではありませぬが、御神職の兄上及び姉上どの、その命、お救い申すことが上から許可されました。じきに知らせが届くでしょう」
 もちろん本当はシードが力を取り戻したため、両親が復活しただけである。
 しかしそんなことを知らない守衛は、その場で土下座をして感謝の意を表した。
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
 伊織も頭を下げる。内心、
(パラレルの詐欺師……)
 と思いつつ。

 それでも、すべてがおさまるべき所へおさまったのだ。































 だが、これで話が終わったかというと……



「ふわああああっ、……あれ?」
 目を覚ました伊織は、そこが見慣れてはいたが、自分がいるべきではない場所であるのに気がついた。
「な……なんでまた俺が女になっているんだ?」
 そこに電話の音がした。
 やがてばたばたという足音が部屋の前でする。
「伊織ちゃん、進藤君から電話よ。真織じゃなくてあなたにですって」
 真須美が怪訝そうに伊織に告げる。
「は……はい、すぐ行きますっ!」
 何とか女言葉をひねり出すと、着替えもせずに伊織は電話に飛びついた。
「もしもし」
 そう言ったとたん、小声ではあるが、紛れもない自分の声が電話口から流れてきた。
「……伊織ね、男の」
「ああ、そっちは女の伊織だな」
「やっぱし、間違いないみたいね……何でか知らないけど、入れ替わっちゃったってわけか……」
「くそっ、とにかく今はお互いにお互いの振りをするしかないな。出来るか?」
「記憶はあるから何とかごまかせるとは思うけど……真織ちゃん相手にボロ出さないでね。こっちはそう簡単にはばれないと思うけど」
「ああ、心する」
 伊織(男)は思った。確かに自分のほうがばれやすい。
 その時、守衛の声がした。
「伊織君、すまないが社務所のほうへ来てくれないかな?」
「はーい」
 取りあえず伊織はその声に従った。
 ある予感がしたからだ。



 社務所にはいると、その予感が真実であることを知って、彼はがっくりと肩を落とした。
「はあ〜、やっぱりここのお茶は美味しいですわ〜」
 そこには嫌と言うほど見慣れた天使がお茶をすすっていた。
 同じく見慣れた黒猫も鎮座している。
 やがて守衛がその場を辞すと、伊織はパラレルに食ってかかった。
「パラレル! こりゃ一体どういう事だ!」
「まあ、へたくそだった、ってことだよ」
 答えたのはシリアルだった。
「料理下手が切った沢庵みたいなもんかな。2人の伊織の魂が、根本で繋がったまま、完全に分離できていなかったんだよ。おまけに2人を切り離したとき、一緒に『シード』まで切っちゃったらしくて、『シード』のかけらが、男のほうの伊織の魂に残っちゃってる。天界でさんざん叱られたんだぜ。パラレル」
「ごめんなさ〜い」
 あんまり謝っているようには見えないパラレルである。
「謝るのはどうでもいい。さっさと元に戻せ」
 伊織は当然のことを要求した。だがそのとたん、パラレルは申し訳なさそうに頭を下げ、シリアルは伊織の肩に飛び乗ると、ぽんとその肩を叩いた。
「伊織……実はまことに申し訳ないが」
「まさか……戻せないとか言うんじゃないだろうな」
 シリアルの言葉に、伊織の声も震えていた。
「いいえ、戻すことは出来るのですが……」
 パラレルはそう言いながら、伊織の胸のあたりに手をかざした。
 ほんのりと浮かび上がる、小さな、赤く輝く結晶体……。
「ま、まさか……」
 伊織にも何となくことの推移が見えてきた。
「はい。イオちゃん達の心をきちんと切り離すのには、残った『シード』に力が満ちることが必要なんですの。ただ間の悪いことに、そのための力は、『女の子のイオちゃん』でないとためられないんですの〜。ですけど『シード』は、男の子の伊織君の心に残っていたので、こんな事になったんですわ〜。『シード』が力を求めて、伊織君の意識ごと、繋がっていた無意識領域から、伊織君の心をイオちゃんのほうへと引きずっていっちゃったんですね〜。イオちゃんが伊織君になっているのは、その反動です〜」
「な、なんだとっ!」
 食ってかかる伊織を、やんわりとシリアルが止めた。
「僕もかわいそうだとは思うんだけど、今伊織の魂に残留している『シード』のかけらは、女の伊織の身体構造に同調しているからね。器と波長が一致してなきゃ、いくら頑張って力はたまらないよ。ラジオのチューニングみたいなもんだし。まあ、取りあえずパラレルが『シード』の力を活性化したから、その力で好きなときに2人の心を入れ替えられるはずさ。だから年がら年中そのままっていうことはないよ。必要な時だけ入れ替えればいいんだし」
「でも、そのためのアドバイザーは、やっぱりパラレルなんだろ?」
「はい、責任をとってこいって言うことになりました〜」
「前途多難だな、こりゃ……」



 ……こうして『天使イオ・リンク』の活躍は、もう少し続くことになったのでした。











「ぎゃはははは、そりゃかわいそうな話だな、伊織!」
「「……笑うなっ!!」」











天使のお仕事










企画:少年少女文庫





原作:100万Hit記念製作委員会





キャラクター原案&イラスト:ことぶきひかる どら 猫野丸太丸 hamuni 原田聖也 ぼくちん MONDO





第一話担当:MONDO





第二話&第三話担当:米津





第四話&第五話担当:風祭 玲





第六話担当:猫野丸太丸





第七話担当:Kardy





第八話担当:もと(MOTO)





第九話担当:夕暮稀人





第十話担当:会津里花





第十一話担当:Kagerou6





第十二話&第十三話担当:ことぶきひかる





第十四話担当:ゴールドアーム





special thanks:矢治浩平










・・・and YOU!!


















「伊織ちゃんも進藤君も、最近またなんか変なのよね……まさか、また魔の者が!」
(やっば〜、どうやってごまかそう)






「好評につき、新展開で延長ですか? 『赤○きん○ャ○ャ』みたいですね〜」

ズズッ。

「だからシャレになってないって、パラレル……」






「フフフ、やっと見つけたぞ、不思議界から人間界への回廊を!」






『二人の心を一つに合わせ、聖力転身! イオ・リンク!!』






幾多の予感(妄想)を秘めつつ、取りあえず……、

「完」





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