「天使のお仕事・第9話」

 パラレルが、伊織の元を訪れてからそこそこ時間が過ぎていた、そんなある日の夜。
「う〜ん…………。こんなことで『試練』が達成されるんだろうか?」
 机に向かって頬杖を付きながら唸りながら、伊織は必死に打開策を考えていた。
「これまでに結構な人々を幸せにしたと思うんだけどなぁ?」
 もちろん唸っても、悩んでも、暇つぶしに鏡の前に立って唇に指を当ててウィンクしても幸せの力が溜まるわけではない。
 もっとも、最後の一つについては自己嫌悪のストレスが溜まってしまったが…………特に、『このポーズは結構可愛いかも?』と思ってしまった瞬間。
 馬鹿なことをやって現実逃避をしている最中に我に返るほど嫌なことはそうないだろう。
「芹沢の事もどうにかしなきゃならないしなぁ………ああ、頭が痛い」
「独言を言うのは別にどうでも良いんだけど、そんな格好で居たら風邪ひくよ?」
 ベッドの上で丸くなって寝そべっていたシリアルが、片目をあけながら呆れたような声を出した。
「今日はそんなに寒くないから平気だろ?」
 そう返した伊織の格好は、ショートパンツにTシャツだけと、一見涼しそうな格好であった。Tシャツの所為で身体のラインが見えないと嘆く野郎が多いのだろうな、と詰まらないことを考えながらシリアルは、一つ欠伸をした。
 人間の身体に興味はないからだ。
 興味があったらあったで怖いものがあるが………
「夜は冷え込むってTVでいってなかった?」
「布団に入ってしまえば一緒さ。寝る前にちゃんとパジャマを着れば関係ない」
「ん〜。ならいいんだけどね。で、さっきから何考え込んでいるんだ?」
「あ、わかった?」
 シリアルは呆れた目つきで伊織を見た。
 さっきから、唸ってみたり、独言を吐いたり、頭を抱えているのを見ているのだ。これで分からなかったら、かなり頭が鈍いだろう。
「だって、パラレルの持ってくる話って、鬼のように苦労する割には達成感が無いモノばかりだから、思い出したように危機感がフツフツと沸いて来るんだ」
「だからってどうしようもないじゃないか。明日は日曜日だし、今日はもう休んだら?」
「分かってる、分かってはいるんだけど…………」
「仕方ない。人間の諺を教えてあげよう『下手な考え休むに似たり』」
「悩むだけ無駄って事か?」
「今の調子で頑張っていれば何とかなるんじゃない? …………多分」
「多分じゃ困るんだよ、多分じゃ……………こうなったら無理矢理幸せを押し付けてしまうのもアリかな……………? う〜ん、でも……………」
「でも、何さ?」
「幸せって、どういうことなんだろうな?」
「何をまたいきなり……………」
「いや、人を幸せにしたつもりでも、別の人を不幸にしてしまうって事もあるんじゃないかと思ってね」
「この間の失敗の事?」
 シリアルはやや呆れた声を出す。
 ついこの間。パラレルに言われた女の子を幸せにするために色々行動したのだが、その事が少女の事を昔から想っていた少年を傷付ける事になった事件があった。
 パラレルなどは、あっさり『それも青春ですわ〜』と無責任なことを言っていたが、伊織としては自分が男に戻れるかどうかが掛かっているので悩まざるを得なかった。
「うん。おれはあれで幸せだと思ったけど…………」
「あの少年にしたって、あれはあれで幸せだと思うよ。見方によればね」
「う゛〜ん。でも…………………………」
「まぁ、良いけど? 悩むだけ悩んでみたら?」
 無駄だと思うけど。と、シリアルは心の中で付け足しながらあくびをかみ殺した。
 結局その晩、伊織は明け方近くまで悩み続けることになった。
 そして行き着いた結論は、当然の如く出ないまま、夢の国の住人となるのだった。

 

――少年少女文庫100万ヒット記念作品――

 

原作 100万Hit記念作品製作委員会

第九話担当 夕暮稀人(はむに)


第9話「幸せは歩いてこない、だから無理矢理プレゼント」


「ごめんね、笹島さん。伊織ちゃん、昨日遅くまで起きてたらしくてまだ起きてないのよ」
「あっ、お構いなく。さっさと起こしてやるだけだから」
「そう? 私、下に行っているから何かあったら呼んでね」
「わかった」
 伊織の枕元でそんな声を夢心地で聞いていた伊織は、しかし睡魔には勝てず枕を抱えたまま、寝返りを打った。
「伊織。起きろ〜…………起きないな。起きないと強制的に叩き起こすけどいいよな〜? 良かったら返事するなよ〜」
 耳元でそう囁かれた声に、伊織はうっすらと目を開けるが、周りの状況を認識するより早く、腹の上に何かが落ちできた。

 ゴスッ!

「ぐえっ!」
 なかなかにいい音を出して伊織の腹の上に落ちてきた衝撃に、驚いた伊織の目に入ってきたのは、にやにやと笑いを浮かべながら伊織の顔をのぞき込んでいる瑞樹の顔だった。
 ふつう、若い女の子が自分の腹の上で肘を枕にして自分をのぞき込んで来れば、身体は女の子でも、心はしっかり男の子な伊織としてはドキマギもするだろうが。
 この場合、状況が状況だけにそんな気分に落ち着けるわけも無い。
 もっとも、相手が瑞樹だって言うこともあったのだろうが………
「なっ、何をする………」
「エルボードロップ」
「技の名前じゃないっ! 朝っぱらから人の部屋で何してるかって言っているんだ!」
「起こしてやった」
「…………………………………………」
「まぁ、それは置くとして。伊織って今日、暇なんだろ?」
「まぁ、一応ね。取りあえず、昼まで寝たら街の人たちを幸せにするために出掛けるつもりではあるけれど」
「そう、それ! 伊織一人じゃ大変そうだから、今日は私が手伝ってやるぞ」
 伊織から離れて椅子に座りながら瑞樹は、意味もなく偉そうに宣言した。
「なんでそんな急に?」
「何言ってるんだ、伊織が困っているんじゃないかと思って手伝いに来てやっただけだよ。ただの親切ってヤツ」
「本音は?」
「面白そうだから」
 即答。
 ………………頭痛くなってきた。
「なに頭抱えてんだよ? 15分待ってやるからさっさと着替えな、もし遅れたら新技の練習台になって貰うからな」
 伊織の目覚めを邪魔するだけ邪魔して少し満足したのか、そう言い残すと瑞樹は伊織の返事を待たずに部屋を出ていった。拒否権はないらしい。
 扉をくぐる前の瑞樹の笑顔から言って、10秒でも遅れたら偉い目に遭わされるであろう事は確実であった。
「災難だね〜。まぁ、たまにはこんな事もあると思うから……………諦めて行ってきたら?」
「ああ〜、今日はお昼過ぎまで惰眠をむさぼろうかと思ってたのに…………」
 起き抜けの所為か、すこしフラフラする頭を押さえる。少し熱っぽいかもしれない。
 しかし、そんなことで許してくれる瑞樹ではないので、伊織は顔に諦観を滲ませ、ゆっくりと外出の準備に取りかかった。
(別に瑞樹は、おれが男だって知っているから、無理して可愛い服を着て行かなくても良いな。久しぶりにスカートとか、フリフリとか着せられることなく外出してしまおう)
 そう考えると、伊織はいつにもまして嬉しそうに着替えを始めたのである。
 もっとも、部屋に置いてあるモノに男物というものは無かったので、ユニセックスな服で代用するしかなかったのであるが…………
 まぁ、似合っていればいいか?
 と、自分を騙しながら。

「と、まぁ………駅前まで来ては見たんだが………………」
「で、いつもはなにしてんだ?」
 2人と何食わぬ顔で付いてきた1匹は、駅前の広場の近くにある建物のひさしの下で、今後の予定(と言うほど大層なものでもないが)、をたてていた。
 ボーイッシュにまとめた服を着た伊織に、興味津々と言った風な瑞樹が尋ねる。
 その様子に、『瑞樹のヤツ、本当におれの手伝いするよりも、暇つぶしがしたいみたいだな』と、軽く溜息を吐く。
「さて、どうしようかな?」
「って、何するか決めてなかったのか?」
 伊織のセリフにコケながら、瑞樹が白い目を見せながら呆れた声を上げる。
「いつもと同じ事やってて、本当に元に戻れるのか不安になってきたから」
 端的に理由を述べると、柱に背を預けながら考えだした。
「いいけど、さっさと決めろよ」
「ん? なんでだよ?」
「直ぐに分かると思うぞ」
 伊織の肩の所に載ったシリアルが、意味ありげに呟く。
 その理由を、問いただそうとした伊織だったが、シリアルは既に欠伸をしながら余所を向いていた。
 つまり、言いたくないか。理由を見てみたいかのどちらかであろう。
 ………理由は、5分もしない内に明らかになった。
 ナンパである。
 女の子が駅前で二人、何するわけでもなくそこに佇んでいる状況は、ナンパ狙いの野郎どもにとっては、まさに『鴨葱』のシチュエーションなのである。
 それも、二人が二人とも美少女だった日には、声を掛けて下さいと無言の大声を上げているのも同じである。
 少なくとも、野郎どもにはその声が聞こえたようだった。
「ねぇ、彼女たち。今暇なんでしょ? 僕たちと遊びに行かない? 面白いところ知ってんだよね!」
「ほら、近くにテーマパークが出来たでしょ? 大勢で行った方が絶対楽しいぞって話してたトコなんだ。君たち、まだ行ったこと無いよね? 一緒に行かない?」
 あからさまに軽薄そうな笑みを浮かべて、大学生とおぼしき二人組が声を掛けてきた。 周囲の野郎どもからは、『チィッ、先を越されたぜ』と、声が微かに聞こえてきた。が、その場を離れないところを見ると順番待ちらしい。
「あたしたち、忙しいですからお二人で行ってきてください」
(そうか………こんな所で女の子が二人居たら、そりゃあナンパぐらいするわな。おれは早川さん一筋だけど…………)
 シリアルが言っていた意味が分かって伊織は安心………するわけはなかった。いつも藤本に言い寄られて鬱陶しく思っている伊織のことである。
 二人居る分、鬱陶しさ2乗に感じられ、顔が嫌そうに歪んでしまうのは隠しようもなかった。
 それは、瑞樹も同じだったらしく、大学生二人組に対してトゲのある断りを入れていたのを見ても分かった。
 これで瑞樹の機嫌が悪くなったら、八つ当たりを受けるのはおれなんだぞ! と、大学生二人組に対して叫びたくなった。
 心の中で叫んだけど。
「そんなこと言わないでさぁ………きっと楽しいって!」
「そうだよ、こんな天気のいい日に女の子が二人で、街をブラブラするのって勿体ないじゃない、ネ!」
「お………私たち、大事な用事があるから他を当たって下さい」
 尚も言い募ってくるこの大学生二人組は、諦めるって言葉を知らないんじゃないかと一瞬思ったが、あれこれとしつこくされるのも嫌なので、伊織も大学生二人組にそう断った。
 これなら藤本に言い寄られてた方がまだ楽だ。しつこくない分だけ。
 伊織はそう思ったが、藤本がこれを聞いたら『しつこくない分だけ?』と、肩を落とすであろう。諦めたりはしないだろうけど。
「じゃあ、喫茶店でコーヒーぐらいなら」
「嫌です」
「忙しいなら、携帯の番号だけでも教えてよ。今度は君たちの暇なときに連絡するからさ」
「却下」
 伊織がとりとめのないことを考えている間にも大学生二人組の執拗なアタックは続いていた。めげない二人ではあったが、いい加減にして欲しいというのが伊織と瑞樹の心境だ。
 こちらの様子を窺っている周りの野郎達も考えると気が萎えてきてしまう。
(よく気の短い瑞樹のヤツがこの二人に殴り掛からないな)
 と、不思議に思った伊織が、何気なく瑞樹の方に目をやると、
(あっ、怒ってる…………)
 握りしめた拳がワナワナと震えていた。
 爆発まで秒読み段階である。
 一瞬、瑞樹を宥めてからナンパな大学生二人組を追い払おうかと思ったが、そんなことをしたら100%、その怒りの矛先が自分に向いてしまうことは明かであったので、彼らには悪いが、その犠牲となって瑞樹の怒りを収める協力をしてくれ。と、心の中で手を合わせた。
 『ごめん』というより、『成仏してくれ』の合唱であるが……………
 やはり自分が一番可愛いものであるし、可哀想であるが見ず知らずのナンパ者に掛けてやる情けは存在しない。そもそも、瑞樹に声を掛けることが間違いなのだ。
「なぁ、伊織。止めなくても良いのか? 血の雨が降るぞ?」
 自分の良心に決着を付けた伊織の耳元で、シリアルが小さく尋ねてくる。
「いいんだよ…………。とばっちりを受けるおれの身にもなってくれ」
「ふ〜ん。でも、そうしたらあの二人は不幸になるけど、それでも良いんだね?」
「う゛っ…………」
「瑞樹さんの事だから一切手加減ナシでやると思うし、それであの二人が怪我をしなくても、逆上して瑞樹さんが怪我をして不幸になったりしてね。まぁ、別にそれで良いならいいんだけどさ」
「え、え〜と。あれだよあれっ!」
「あれって、どれ?」
「あっ! つまりさ。あの二人は嫌がっている女の子にしつこくしてはいけないと言う教訓が、瑞樹にはあまりぼーりょくにばかり頼っているといけないと言うことが勉強できて、結局の所、どちらも幸せになるんだよ、うん」
「へ〜。ものは言いようだね」
 思いっきり呆れた目を向けるシリアル。
「幸せのボーダーラインなんて自分の思い込み一つで、どうとでも変わってしまうからな」
「………まぁ、そう思っているのならいいけど。どちらも不幸に感じることの確率の方が高くない?」
「小さな事には目をつぶる! おれが幸せだと思えば幸せだろう!」
「…………だんだんパラレルに似てきたね」
 ぐさっ! そんな擬音が聞こえてきそうな程、その言葉が伊織に強く胸に突き刺さる。
「それしか方法が無いじゃないか………」
「伊織が一人だけで、あの二人とデートするという手もあるけど? それならみんな幸せになるんじゃない?」
「おれ以外はね…………」
「でも、そろそろ瑞樹さんがキレる頃だね………どうするのさ?」
「…………どうしよう?」
 伊織の頭の中では、どうやればこの場を丸く収める事が出来るだろうかという難題が堂々巡りしていた。
 素直にさっさと逃げ去ればいいような気もしないではなかったが………
 しかし、瑞樹の怒りが爆発する直前。救いの手は、予期しないところから差し伸べられる事になった。
「お待たせっ! 伊織ちゃん、笹島。ちょっと寝坊しちゃって電車2本ほど乗り過ごしちゃった…………けど、怒ってる?」
「ふ、藤本?」
 一瞬、伊織の目には藤本の背後に後光がさした気がした。
 もちろん気のせいであるし、大学生二人組と大差なさそうな軽薄そうな笑顔と、ラフな服装ではあるが、今はこの軽薄大王に頼ってでもこの場を切り抜けたかった。
「すいません。この子達、僕の連れなんですけど何かしました?」
 さりげなく、伊織の肩に手を回しながらそう言った藤本に、内心感謝しながらも、しっかりと回ってきた手は即座に弾く伊織であった。
「さ、遅くなったけど。早く映画館に行こうか? やっぱ余裕を持って集合して良かったなぁ」
 ちょいとわざとらしい。が、伊織にとっては渡りに船だ。少なくともとばっちりの何割かは藤本の方へ行くだろう。なんせ、瑞樹の中の括りでいけば、その大学生二人組と藤本は大差ない。したがって瑞樹の矛先は、なんとなく藤本の方へ向いていくような気がした。
 ほんとに何となくだけど。

「ホントに助かったよ。あのままあの二人が居たら殴ってたかもしれないからな」
 ちょっと見直したぜ。と、続けながら瑞樹は笑顔で藤本に礼を言った。
 ちょっとだけだけど。
 藤本のお陰で大学生二人組をなんとか追い払うことの出来た伊織と瑞樹は、藤本と一緒にそこから少し離れたところで少し休んでいた。
「いや、伊織ちゃんの為ならばこのくらいお安い御用さ」
「ほ〜お、伊織の為ねぇ?」
「いや、もちろん笹島のためでもお安い御用だよ」
 その割には、態度が大きく違うような気がした瑞樹であった。それはここに来るまでの間の藤本の何気なく伊織のために歩きやすいように道を造ったりしていた事からも分かった。もっとも、瑞樹の場合。その必要は更々なかったのだが…………
 しかし、その態度で別段瑞樹の機嫌が悪化するわけでもないのが人徳というか、藤本の不思議な魅力であろう。
「いや、ホントに助かったよ。ありがとう、藤本」
「伊織ちゃんにそう言われれば僕も満足だよ。まぁ、ああいった引き際をわきまえないナンパを見ているとどうしても女の子を助けたくなっちゃうんだけどね」
「誰でも良かったわけだ?」
「僕は、女の子の味方だからね」
 伊織と瑞樹の藤本を見る目がちょっと寒かった。
「で、伊織ちゃん達はこれからどうすんの? 暇だったら映画くらい奢るよ?」
「残念ながら、用事があるんだ。藤本は一人寂しく映画でも見ていろ!」
「笹島…………、そりゃ無いだろ」
 シッシッと、無視でも払うように手を払われた藤本は、情けなくそう漏らした。
「颯爽と助けに現れたんなら、お礼される前にさっさと消えてしまえ」
「………………………………折角だから一緒に観ようと思ったんだけどね。じゃあ伊織ちゃん、明日学校で会おうね!」
 よほど精神ダメージを食らったらしく、がくっと膝を落とし、それでも笑顔で二人に手を振りながら背を向けたその背中は、哀愁が漂っていた。
「高熱出して休んでも良いぞ〜」
 トドメは、伊織だった。

「で、結局の所。不幸な人を捜して、それを解決するしかないんだよな」
「そう。こうなったら無理矢理にでも幸せを押し付けてしまおう」
「ねぇ、伊織。手っ取り早く不幸な人を捜す事って出来ないの?」
「う〜ん。手っ取り早く不幸な人間を作るよりも難しいと思うぞ?」
 不幸な人間を作ってから、不幸を解消するのは本末転倒である。
「だから魔法とかでさ」
「そんなん出来るわけないだろ? そんなん出来たらとっくに元に戻っとるわい!」
「いいえ〜。出来ますわよ〜」
 らちもない話をしていた二人の間の空間に、突然パラレルが現れた。
 毎度、突然現れるとはいえ、心臓に悪い事この上ない。
「出来る? ホントだな? いまやれ! 直ぐやれ!」
 伊織の言葉だけ聞いていると勇ましいが、心臓を押さえながら言うと今ひとつ迫力に欠ける。
「イオちゃんの〜魔力と〜わたくしがぁ、以前天界から無断で借りてきてぇ返していない(返すつもりもないですけど〜)至宝を使えば〜。それくらい簡単ですわ〜」
 平たく言うと、『盗んだ』らしい。
「成る程…………。で、パラレルはいつからおれ達を見ていた?」
「イオちゃんが玄関を出るあたりからですわよ?」
 つまり、初めからと言うわけだ。
「じゃあ、どうしておれに化けてフォローしてくれなかったんだ?」
「面白そうだったからですわ〜」
「………………………」
「伊織、苦労してんだな」
「まぁ、その至宝とやらを使ってみたら? こんな所で無駄話してても始まらないしさ。パラレル、どうでも良いけど後で返しておけよ」
 半眼ジト目のシリアルが、疲れた声を出した。おそらくこれが初犯ではあるまい。伊織達はシリアルの態度でそう確信した。
「はい、ですの〜。ちゃらりら〜『不幸探知棒』ぅ〜!」(大山のぶ代風)
 効果音付きでパラレルが懐から取り出したそれのネーミングには、オリジナリティーの欠片すら感じられなかった。
「…………………………」
「…………………………。パラレル? なんだ、それ?」
 二人の目が点にになった。
 どう見ても木の棒の先にバッタモンの宝石を付けただけにしか見えない。
「『不幸探知棒』ですわ〜」

「どう見ても、ただの棒に細工加えただけにしか見えないんだけど?」
「そんなことありませんわ〜。天界の禁断の宝物庫に厳重に封印してあった逸品ですわ〜。本来なら〜天界で一番偉い方の許可がないと人間界では使っちゃいけませんのよ〜?」
 そんな大したことには使えそうもないモノを、なぜ厳重に封印しなくてはならないのだろうか?
「そんな大層な物には見えないけどね」
 パラレルとシリアルの言葉を信じれば、すごい物らしい。
 余り信じたくはないが。
「で、どうやって使うんだ?」
 呆れている伊織を横目に、興味津々といった瑞樹がパラレルに尋ねた。
「はい。これを地面にたてて呪文を唱えながら手を離すんですの〜。そうすれば、その場にいる不幸な人の方向にパタッと倒れるんですの〜」
 にこやかに微笑み、伊織の『不幸探知棒』を手渡しながらそう説明したパラレルを、伊織は詐欺師でも見る目で見ていた。
 胡散臭い事この上ない。。
 伊織は、手渡された『不幸探知棒』をしばらく眺めてから、ゆっくりと口を開いた。
「呪文は?」
「え〜と、確か〜『不幸な人いないかなぁ? いない? 居るでしょ? 直ぐ分かっちゃうからさっさと出てきなさい! 出てこないね? 出てこないならこっちから探しちゃうぞ!? え〜い(はぁと)!』だったはずですわ〜……………多分」
 こっ恥ずかしい振り付けをしながら呪文を説明したパラレルを見ていた伊織と瑞樹の表情が、その瞬間、凍り付いた。
「………………………………」
「……………………………………え〜と、何につっこめば良いんだ」
 頭を抱えた瑞樹が、絞り出すように口を開いた。おそらく『だったはず』『多分』の不確定要素・・・・にではないだろう、多分。
「何となく、封印されていた理由が分かったような気がするよ」
 誰がそんなふざけた呪文を考えたんだろうと、シリアルは首を傾げる。
「そうですか〜? とっても素敵な呪文だとおもいますのに〜?」
 パラレル並に、ふざけた天使であることだけは確かだ。
「さぁ、イオちゃん。さくっと不幸な人を捜して下さいね〜」
「そんな恥ずかしいマネをしろと?」
「振り付けもしないと〜、効果がありませんわ〜。イオちゃん〜ふぁいとぉ、ですわ〜」
 ポンポンを振りながら、パラレルが気楽に応援を始めた。
 一体、そのポンポンはどこから出したんだ? と言う疑問は、しかし伊織の思考には出てこなかった。
「…………え〜と、ふ、不幸な人、い、いないかなぁ……? でぇええい、こんな恥ずかしいコトできるか! 第一最後の『え〜い(はぁと)!』ってなんだぁ〜!」
 周囲の目が思いっきり気になる伊織。
「でも、これを使うのと使わないのでは〜、溜まる幸せの量が段違いですわ〜」
「やりなよ、伊織! 元に戻りたいんだろ?」
 他人事だと思っているのか、気楽に瑞樹は伊織にそう勧めた。
「瑞樹…………、面白がってるだろ?」
「面白がってないように見える?」
「分かったよ。やるだけやってみるよ。いまいち信用できないけど……………と、その前に」
 伊織はポケットから髪留めを取り出すと、ゆっくりと装着する。
 男の心のままで呪文を唱えるには、かなり抵抗があるらしい。
「これで、なんとかあの呪文を唱える事が出来るかなぁ? あたし、自信ないなぁ………」
 髪留めに込められた魔法で、女の子の精神をトレースした伊織は、少々ブリながらそう呟いた。
 少し身をくねらせて恥ずかしがった伊織を、瑞樹はいつもの事ながらと前置きしてから笑う。
「仕方ないでしょ? あたしだって結構抵抗あるのよ? 結構恥ずかしいんだから!」
 完全に少女の口振りを見せる伊織は、事情を知っている人間にとっては面白い物以外の何ものでもない。
 本人以外にとっては…………だが。
「でも、きっと今ならあの呪文も唱えられるわね……………不幸な人いないかなぁ? い、いない? い……るで………ってやっぱりハズかしぃ〜よぉ!」
 女の子の感性に近づいたとしても恥ずかしい物は恥ずかしいらしい。きっと、髪留めを付けっぱなしにして、完全に女の子になったとしても恥ずかしく感じてしまうと思うのは何故だろうか…………?
「男としてとか、女として恥ずかしいとか以前に、『人間として恥ずかしい』からじゃない?」
 シリアルが気楽にそう言った。他人事だと思っている証拠だが、真実かもしれない。
「…………う゛、そうかも?」
「まぁ、がんばれよ、伊織」
「イオちゃん。試練のためですわ〜」
 他人事だと思っている連中プラス2。
 諦めで力無く首を振る。
「もうっ! ふ、『不幸な人いないかなぁ? いない? 居るでしょ? 直ぐ分かっちゃうからさっさと……………』って、瑞樹? なんで離れてるの? ど〜して視線を逸らすのよぉ! 瑞樹! パラレルッ!」
 呪文の詠唱の途中で、ふと伊織が視線を逸らした先には、伊織から5Mは離れて口笛を吹きながら明後日の方を向いている、他人のフリを決め込んだ瑞樹と(何故か他の人間には見えないはずの)パラレルの姿であった。
 頬を膨らませ、顔を真っ赤にして文句を言った伊織に対して、しかし瑞樹とパラレルは真顔で、
「恥ずかしいから」
「何となく、ですわ〜」
 と、即答してのけた。
 何となく泣きたくなる伊織。
 大きく溜息を吐くと、伊織は羞恥に顔を真っ赤に染めながら、大胆に振り付けをして呪文を唱える。
「もうっ! こうなったらヤケよっ! 『不幸な人いないかなぁ? いない? 居るでしょ? 直ぐ分かっちゃうからさっさと出てきなさい! 出てこないね? 出てこないならこっちから探しちゃうぞ!? え〜い(はぁと)!』




 ……………………………………………………………コテ。




『不幸探知棒』は、先端の宝石が光ることもなく。ひたすら、ひたすら、これでもかってぐらいに地味に倒れた。倒れた音まで地味だ。
 これでファンファーレが鳴り響いてもかなり嫌だが…………。
 周囲の好奇の目線に晒されている伊織には、それが妙に長く感じられた。頬に冷たい物が流れる。
 振りを付けながら呪文を唱えた伊織の姿は、客観的に見て『カワイイ』もので、通りかかった1%位の特殊な男性は『カワイイ』と、思わず呟いたが……………TPOからして、マヌケ以外の何ものでもない。
 それ以外に表現するなら『バカ』だろうか?
「たおれましたね〜。では、その先に〜」
「不幸のオーラをバンバン放ってる、不幸の固まりの様なヤツがいるんだな?」
「瑞樹………それってちょっと言い過ぎじゃあ?」
「それじゃ、その棒の倒れた先にいる人が、伊織が幸せにしなきゃいけない今日の『試練』なんだね」

「まぁ〜、どんな人なんでしょ〜ね?」
「リストラされて明日にも首吊りって感じの人だったら、大変だなぁ伊織」
「どうしてそう嫌な想像するのよ…………」
 否定できないところが、パラレルの出した道具の怖いところだ。
 全員の視線が、棒の先からその先端の示す方に伸びていく。
 その視線の先に、一人の少年が立っていた。
 それもジッ〜とこちらを見ているようだった。
「あら〜? 可愛い男の子ですわね〜」
「そうみたいだな」
 チッと小さく舌打ちしながら瑞樹が呟いた。
 何を期待してたのだろうか?
「でも、ホントにカワイイ子だね。(自殺カウントダウンのオジさんじゃなくて良かった)」
 伊織は吃驚したように少年を見つめた。
 サラサラ髪のあどけなさ140%位の、小学校高学年くらいの華奢な少年だった。礼儀正しそうな服装と優しそうな瞳は見る者に好感を与えるに十分であったが、伊織にはその少年の瞳の中に寂しさを感じずにはいられなかった。
 伊織達がしばらく少年を見ていると、不意に少年と伊織の目が合ってしまった。
 少年は、不思議そうに伊織を見つめ返すと、テテテッと伊織の方まで走り寄ってきた。
 そして………………
「お母さんっ!」
 と澄んだボーイソプラノで叫んで、伊織の胸に飛び込んで、ギュッと伊織の胸に顔を埋めた。
 少年の、子供独特の柔らかさと暖かさ(それと自分の胸を押しつぶされる感触)を感じた伊織は、その感触よりも、少年の言葉に驚いた。というよりビビッた。
「え? ええっ!! お、お母さん!?」
「へ〜え、伊織。あんたいつの間にお母さんになったんだ」
「やっぱりお母さんは温かいや」
「知らないわよっ! あ、あたし………子供なんて産んだことなんもん!!」
 それはそうである。産んだことがあったら怖い。
 しかし、少年は伊織の言葉に驚いて顔を上げる。
「えっ、そんな…………それじゃあなたは……………………ボクのお父さん!?」
「ちっが〜う!!」
 頭が痛くなる。
「あらぁ? イオちゃんってばいつの間にお父さんになったんですの〜?」
「あたし、子供が産まれるようなことしたこと無いもんっ!!」
 更に頭が痛くなる。
「そ………そんな!? じゃあ、おばあちゃん?」
「…………いい加減そこから離れようね、キミ?」
「ええっ! それじゃあ、ボクのお母さんでもお父さんでもおばあちゃんでもないあなたは誰なのですか?」
「あたしの方が聞きたいよ………………」
 酷く驚いた様子を見せた少年に、伊織は疲れたような声を上げた。どうやら今日の『試練』も前途多難のようだ。
 少年はある意味、既に幸せだった。

 その少年は、自分のことを祐貴と自己紹介した。
 どうやら祐貴にはパラレルの姿は見えないらしい。
 取りあえず伊織達は少年にソフトクリームを買ってやり、それを食べながら少年と話していた。
 モノで釣った、とも言う。
「祐貴クンはどうして一人で街まで出て来たの? お母さんは?」
 祐貴は無言で伊織を指さした。
「それはもうイイって………」
「お母さんは、ボクを置いてお父さんと一緒に遠いところに行ってしまいました」
 悲しそうに目を伏せた祐貴に、伊織はちょっと悪いことを聞いたかな? という気になった。
「あっ! ごめんね祐貴クン…………。お姉さん、別にそんなつもりじゃ………」
「いいんです、もう慣れてしまいましたから。せめて人の多い所にいれば寂しさも紛らわせるんじゃないかと思って、街を歩く人たちを眺めてたんです…………楽しそうだなぁって。そうしたら、道の真ん中で『面白いこと』をやっているお姉さん達を見かけて…………ちょっと、お姉さんがお母さんに似ていたから…………」
 道の真ん中で、あの呪文のようなことをやっている彼のお母さんとはどんな人間だろうな? 一瞬、そう考えてしまったが、言わぬが華と瑞樹は口を出すのを止めた。
 流石に、この少年を茶化すのはいけないと思ったのだろう。
「………………そうだっ! あたし達が今日一日祐貴と遊んでやるよ。寂しいときは大勢で騒いだ方が気が紛れるもんな」
「瑞樹…………。そうだね、そうしよっか? 祐貴クン、今日一日あたし達と遊ぼう? 一人でいるよりキッと楽しいよ! 祐貴クンが良かったらだけど?」
「うん。有り難う! 『死なばもろとも』だね!」
 祐貴は、少年らしい屈託のない笑顔を見せると大きく頷いた。
 笑顔だけ見ていれば、年相応の幼さが垣間見えて、可愛く思える。あくまで笑顔だけだが……………。
「じゃあ、どこに行く?」
駅前ポルノ座!
「「却下!」」

 結局、伊織達が足を運んだのは、祐貴の要望も少し取り入れた、しかし無難に子供向け怪獣映画をやっている映画館だった。
「あたしはもっと派手なアクション映画とかの方が好きだな」
「あたしは…………恋愛映画かな? でも、祐貴クンがいるから無難なところにしなくちゃね」
 伊織も本来はアクション映画の方が好きだったが、髪飾りに影響された今の伊織にとっては、ラブロマンスの方が興味が沸いている。
「お姉さん達。ボクが映画のチケットを買ってきてあげるよ。ボクに付き合ってくれたお礼に奢っちゃうね」
 そんな事しなくてもイイという伊織に、祐貴は人に何かして貰ったらちゃんとお礼をしなきゃいけないってお母さんに言われてたからと、言い張って聞かなかった。
 そして、最後には伊織達の方が根負けをしてしまった。
「変な映画の切符買わないでね」
「わかってますよ。あの怪獣が人々が平和に暮らしている街に突然現れて、街の人や自衛隊の人をさんざっぱら殺した挙げ句、別に現れた怪獣を、精神が感応する少女に操られて、周りの被害を一切考えないで戦い、むごたらしく相手を殺しただけでヒーロー扱いされてみんなに感謝されて、夕陽をバックに笑顔で手を振られながら海に帰っていって、それまで殺した人の事はどうなるんだぁ〜って、オキシジェンがデストロイで、キラーク星人が怪力光線の黄金三頭龍映画でしょ?」
 支離滅裂なところもあるが、まぁ、その通りには違いない。嫌な表現だが…………
 ちなみに初代は純然たる悪役である。
 伊織は素直に怪獣映画を楽しんでいた自分の子供の頃がちょっぴり懐かしくなった。
 ちなみに伊織は怪獣総進撃が好きだ。
「すいませ〜ん! 『南海の怪獣大レース・サラブレッド怪獣エクウス』。地球人3枚下さ〜い!」
「だからそう言うのをやめんかっ!」
 瑞樹が吠えた。ちょっと苛立ったらしい。
「じゃあ、日本人3枚下さい!」
「止めろッて言ってるだろ!」
 瑞樹がまた吠えた。結構、苛立ったようだ。
 もっとも伊織も髪留めを外していれば吠えたかもしれない。
「……………………モンゴロイド3枚。オス1頭、メス2匹。炭素系生物3枚。」
「うわっあああ!!」
「ああっ! 瑞樹っ、気持ちは分かるけど押さえてっ! 相手は子供よ!?」
「そうですよ、お姉さん。児童虐待は立派な犯罪です」
「お前が言うなぁあああああ!!!」
 取り澄ました顔でそう言った祐貴に、瑞樹が思わず叫ぶ。
「冗談ですよ。子供のちょっとした冗談じゃないですか、いやだな〜」
 しれっと応える祐貴だったが、今日会ったばかりの人間に、そう言う冗談を仕掛ける子供の方が嫌だ。
「あはははは……………あたしが買ってくるから、ね」
 瑞樹と祐貴の掛け合いに乾いた笑いを浮かべた伊織は、仕方なく自分で買うことにした。
「伊織……………、あたし今日はもう帰ってもイイか?」
「折角3枚買ったんだから見てゆこうよ、勿体ないじゃない」
「伊織の金であって、あたしの金じゃないが…………」
 肩で息をしながら瑞樹が、一応賛成した。
「…………ところで伊織? あのガキをどうやって幸せにするんだ? まさか、今日一日中付き合ってやって『はい、幸せ』とか悠長なことやるんじゃないだろうな」
 それでは胃が持たないと言外に含ませて、瑞樹が伊織にそっと耳打ちをする。
 確かに、祐貴のペースにいちいち突っ込んでいては身が持たないだろう。
 伊織もその事は考えていたらしく、二人頭を付き合わせて、う〜むと唸りだした。
「でも、祐貴クンの幸せってなんだかよく分からないから、手っ取り早くというのは無理だと思うわ?」
「じゃあ伊織に聞くが、この調子で精神攻撃を喰らいながら今日一日耐えていけるか?」
「…………う〜ん、精神汚染されそう」
「だろ? ここは一発、ささやかでもイイからあいつに幸せを、当たり付きのアイス棒に当たったぐらいの幸せを押し付けて、手を打った方が賢いと思うぞ?」
 そのまま逃げてしまった方が賢いという気もする。
「賢いかどうかはともかくとして、それはいい考えね…………でも、それで良いのかなぁ? 無理矢理押し付けた『幸せ』なんて本当の『幸せ』なのかな?」
 伊織は、口ごもりながら頭を悩ませた。
(結局、答えは出なかったが)昨晩悩み抜いていたときに、幸せとは一体なんだろうとガラにもないことを考え続けていた。他人より遙かに恵まれた環境にいながらも、不幸な人間もいれば、どう見ても恵まれているとは言い難いのに穏やかに幸せを感じる人間もいる。
 そして、周りが幸せだと思っている人間でも、その内面は絶望や焦りなどに蝕まれ不幸だと思ってしまう人間もいるのだ。
「あらら〜、何の相談ですの〜?」
 前触れもなくパラレルがポンッと現れて、伊織達の会話の中に入ってくる。
「パラレル? あのね、あの子の事なんだけど、手っ取り早く幸せって思わせて大丈夫かな? 無理矢理幸せを押し付けるって……………どうなんだろう?」
「いいじゃないか、幸せなんて『これだっ!』ってはっきりした決まりなんてないんだぞ?」
「そうですわね〜……………。相手の人が『しあわせ〜』と言う笑顔さえ見せてくれれば、問題はないと思いますわ〜」
「でも、パラレルの場合。失敗して不幸にした相手の泣き笑いでも『幸せそうに笑っていますわ〜』とか、不幸のどん底に落として落ち込んでいる相手を見て『これも幸せの一つの形ですわ〜』って誤魔化したりもしてたよね。両手でも余るくらい」
 パラレルに白い目を向けて突っ込むシリアル。
「失礼ですわね〜。ちゃんとしあわせでしたよ〜」
「パラレルの目にだけ、だけどね」
「それで、よく天使を首にならなかったわね……………」
「人徳ですわ〜」
 それだけは無いだろう。
「それだっ!」
「なに、瑞樹?」
 小首を傾げながら尋ねる伊織に、瑞樹は新しい玩具を与えられた子供のように目を輝かせながら言う。
「本物の天使だって間違えるんだ。失敗を恐れてどうする! とにかくあのガキを『しあわせ〜』って笑わせたら良いんだよ。経験の浅いあたし達が別の笑い顔をそれと勘違いしても仕方がないけどな。何たって本職だって失敗するんだ」
「………それって、取りあえず笑わせてみて、違っても勘違いしたフリするって事?」
「ははははは、伊織そんなこと言ってないだろ?」
 意訳したら、だいたいその通りだ。
「う〜ん。でも…………」
 伊織の頭の中で、祐貴が何をやらかすかという気苦労の重さと、人をしあわせにするという使命が両天秤に掛けられて、ユラユラと揺れていた。
「祐貴クンってお父さんとお母さんが、その…………お亡くなりになってるんでしょ?」
「だからって、伊織が替わりになれるわけないだろ?」
「それは……………」
 口ごもる伊織。

 春の優しげな日差しが挿す若草の草原。
 新たな生命をはぐくむ季節を賛美するかのように、所々に咲く小さな白い花。
 少し丘になったそこには冬の厳しさを耐え、儚く咲き乱れる淡い桜。
 その木陰で白いワンピース、白い帽子を被り優しく微笑む伊織。
 手には大きなバスケット。
 その中には、会心の出来上がりを見せたサンドイッチ。
 伊織の視線の先には、肩車をする父子。
 肩車越しにこちらを振り返った、夏に日差しにも負けない子供の笑顔。
 伊織は、優しく笑いながら手を振って応える。
 優しい夫はゆっくりとスローモーションのように振り返る。
 あと少しで夫の優しい笑顔が…………………きゃっ! はずかしいよ〜! どんな人なんだろ、カッコイイ人かな? 優しい人かな? はやく顔が見た〜い………ってでも恥ずかしいし……………あっ、もうちょっとで顔が…………


 そこで伊織はハッと我に返り、慌てて髪留めを外し妄想を頭から追い出す。
「うわああぁぁぁっ!! もう少しであの怖ろしい妄想にどっぷりと浸ってしまうところだった」
「だいたい想像は付くけど何考えてたんだ、伊織?」
「な、何でもいいだろっ! ともかく、その話、乗った! でも、最低限不幸にはしないようにするぞ。マイナスになったらたまらんからな。あと、それと平行してその周りの人間にも『よう分からんけど、なんか幸せ(かも?)』って事をゲリラ的に展開だ」
「おっけい。あのガキめ、これから訪れる『幸せのフルコース』にどこまで耐えられるかな、ふっふっふ…………………」
 どことなくおかしな表現であるが、誰も気にしなかった。
「では〜『幸せは歩いてこない。だから無理矢理プレゼント作戦』決行ですわ〜」
「「お〜!」」

 そして伊織と瑞樹(とパラレルとシリアルのいらんチャチャ&突っ込み)で祐貴を幸せにする作戦が始まった。
 子供のあしらいは女の子の方が上手いという、伊織の根拠のない思い込みから髪飾りは再びセットされる。

 作戦その1・『ノドの渇きが癒されて幸せ〜』作戦

「祐貴クン。ノド乾くでしょ? 何か買ってこようか?」
「伊織ちゃん、僕アイスコーヒーね!」
「ゲッ! 藤本…………何でこんな所に?」
「おっ、笹島と伊織ちゃん。奇遇だね。伊織ちゃん達を誘うんなら別のを見に行ったんだけど、これ結構話題作(問題作)でね」
「ああ、あなたは去年まで家で飼っていたタマ」
「…………それはもうイイ」
「一緒に楽しく遊んでたのに、逃げちゃったんですよ。ちょっと電極付けて100V流しただけで」
 それは普通、逃げるだろう。
「ご飯の中にアルミホイルを混ぜたときは逃げなかったのにですよ」
「だ・か・ら、何が飲みたい?」
「わたくしはダージリンを頂きたいですわ〜」
「パラレルには誰も聞いていないよ」
「大声出すと周りが迷惑しますよ、お姉さん」
「伊織ちゃん……………面白い子と一緒にいるね………………」
「聞かないで、お願い。」
 誤魔化すように、ニッコリと藤本に笑い掛ける。その笑いは引きつっていたが………
「あっ、映画始まりましたよ」
 作戦失敗。若干1名、偶然の導きに少し幸せを感じる。

 作戦その2・『映画を見て幸せ〜』作戦

「映画を見終わった後なら充実感に幸せを感じるはずよ!」
「………………この少年寝てるよ、伊織ちゃん」
「安らかに寝れるってのは幸せなことね!」
「なんか、酷いぐらいにうなされてるけど? 起こさなくて良いの?」
「全くしょうがないなぁ…………祐貴クン。大丈夫?」
「ああ、お母さん! 大根降ろすのは良いけど、それボクの腕だよ〜うううっ」
「あら〜、それでは紅葉おろしですわね〜」
「それは絶対に違う」
 作戦失敗。若干1名、女の子の優しさに少し幸せを感じる。

 作戦その3・『たよりになるお姉さんと一緒で幸せ〜』作戦

「人通りの激しい通りで、しっかり手を握って迷子にならないようにして貰えれば幸せなはずだ! ガンバレ伊織!」
「だからって無理に人通りの激しいところに来なくても………」
「それにしても伊織ちゃん。あの映画、まさかあんなゴールの仕方があるとわね」
「それ以前に、よくあんな映画を作る人がいたって事の方が不思議だけど…………。って、なんで藤本があたしの手を握ってるの?」
「いやあ、はっはっは。なぜだろう? 伊織ちゃんの手って温かいね」
「温かい手の人って、よく心が冷たいって言うけど、ホントの所ってどうなんでしょうね?」
 祐貴の声に振り返った伊織は、その声のした方を………見上げた。
「嫌なことを…………って、祐貴クン! 何でそんなところにいるのよっ!」
「さぁ? 人の流れに流されてたら、いつの間にかこんな所にいたんですけど?」
「こんな所って、どうやったらそんなところに人の流れが出来るのよっ!」
「不思議ですね」
 さらりといった祐貴がいたのは、ビルの看板の上、登ろうとしてもなかなか登ることが出来無いところである。
 特殊な才能を感じる。
「良いから早く降りてきなさいっ! 危ないでしょ?」
「いやだなぁ、お姉さん。降りられるならとっくに降りてますよ」
「ああ、もう…………どうしよっかなぁ」
 困った顔で見上げている伊織に、祐貴はのんびりと声を掛けた。
「お姉さん。どうでもいいけど上ばかり見ていると危ないよ?」
「あっ、ごめん。って、きゃあっ! す、すいません!」
 後から通行人に押された伊織は、前を歩く中年サラリーマンにぶつかった拍子に抱きついてしまった。
「いや、いいですよ。(カワイイ女の子に抱きつかれた。カワイイ女の子に抱きつかれた。カワイイ女の子に抱きつかれた。この感触はしばらく忘れないぞ)」
「(伊織ちゃんの手……………)」
 作戦失敗。若干2名、女の子の柔らかい感触に少し幸せを感じる。




 ………………………………そして、




 作戦その51・『青い空って幸せ〜』作戦

「……………青い空って幸せに違いない!」
「瑞樹………………そろそろネタが尽きてきたんでしょ?」
「ほんとうですわ、青い空ってなんて幸せなんでしょう。心が和みますわ〜」
「青い空って……………夕焼けしか見えないけど?」
「……………夕焼けって幸せに違いない!」
「何もヤケにならなくても………………」
「仕方ありませんわ〜、夕『ヤケ』ですもの〜」
「……………………面白くないよ、パラレル」
「伊織ちゃん、夕焼けが夜空に変わっていくのって綺麗だね」
「藤本…………肩に手を回すのは止めてね」
「わかったよ、伊織ちゃん。でも、ひょっとして伊織ちゃん………………」
「ひょっとして、何?」
「いや、気のせいかな? 気にしなくても良いよ」
 作戦失敗。若干1名、『朱い』青い空に幸せを感じる。

 結局、日がとっぷりと暮れてしまうまで、祐貴を幸せ(?)にする作戦はことごとく失敗に終わった。巻き込まれた通行人にささやかな幸せを感じさせることはあっても、何故か祐貴にちょっとでもイイから幸せそうな笑いを、微かでもさせることが出来なかった。
 作戦回数、計62回。
 そして、祐貴の常軌を外れたな行動・言動によって伊織達の精神は着実に疲れていった。  最後の方は、ネタが尽きて何がなんだか分からないモノを幸せだと言っていたりもしたが………
「ああああああっ! どうしてうまくいかないんだ!」
 藤本と祐貴がジュースを買いにその場を離れた瞬間に、瑞樹が叫んだ。
「(ぼそっ)日頃の行いだったりして」
「シ〜リ〜ア〜ル〜? 何か言った」
「空耳じゃない? 瑞樹さん」
「それにしてもこんな時間になるまで一つも作戦が成功しないなんて〜。あの子も結構やりますわね〜」
「しょうがないよ、あれに似た性格の人間なんてぼくは他に一人しか知らない」
「ああ、あたしも一人知ってるぞ」
「あっ、何故かあたしも一人知ってる!」
「あら、そうですの〜? 私は知りませんわ、どなたですか〜?」
 お前だお前。と言う心の声は、多分一生掛けてもパラレルに伝わることはないだろう。
「はぁ…………。でも、結局最初の予定通り、祐貴クンと1日過ごすことになっちゃったわね」
「あそこまでイイ性格とは…………頭に何か棲んでんじゃないか?」
 ふぅと、瑞樹は一つ溜息を吐いた。作戦で振り回す予定が、逆に振り回されてしまったというのもまぁ、無い経験だろう。
「そんなこといっちゃ可哀想だよ、瑞樹。祐貴クンはお父さんとお母さんが居なくて、それで寂しくって構って欲しくて、気をひこうとして性格が破綻しちゃったんだよ、きっと」
「アレが、そんな愁傷な事を考える様には見えないが、でも、親が居ないんだもんな。叱ってくれるヤツが居ないと人間成長しないって言うし、仕方ないか…………」
「そうですわね〜。厳しくとは言わないまでも道を示してくれる人が居ないと、ああなってしまいますわね〜」
 パラレルの場合。居なかったに違いない、と伊織は思ったが口に出さずにおいた。
「そうね。もう今日は最後まで祐貴クンに付き合ってあげようよ」
「仕方ないなぁ……………。とか言ってるうちにあいつら帰ってきたみたいだぜ」
「ちょっと長かったね」
「お姉さん達。飲み物買った来たよ〜!」
 元気な声を出して祐貴が手を振りながら歩いてきた。
 その後から、藤本が紙袋に入ったジュースの缶を抱えながら少し遅れて伊織達と合流する。心なしか、その顔はげんなりとしている様に感じた。
「はい、好きなの選んでイイですよ。多めに買ったから、余った分はプレゼントしちゃいます」
 ニッコリと笑う。
「………………なにコレ?」
「また、レアな物ばかり買ってきて……………」
 藤本の持っている袋の中を覗くと、そこには『おでんの缶』や『汁粉』、『ぜんざい』、『杏仁豆腐』など、マニア好みの缶ばかりが揃っていた。
「ははは、コレを買うために随分と歩き回されたよ」
「藤本、何で止めなかったんだよ?」
「止めたところであの子が言うことを聞くタマか?」
「しっかし、よくこんな物売ってたな…………『お粥缶・梅風味』って何だよ?」
「僕も初めてみたよ」
「だって、お姉さん達にこんなに良くして貰ったのに、普通の缶ではとてもお礼しきれないですから」
「何か寒くなってきたから、温かい普通の缶でお礼して欲しかったな…………………」
「やっぱり…………伊織ちゃん。言おうと思ってたんだけど、今日はもう帰った方がいい。暗くなってきたしね」
「え? もう少し祐貴クンに付き合って上げるよ。祐貴クンの分かるところまで連れていって上げないと可哀想でしょ?」
「僕が送っていってやるから、さ」
「? どうしてそんな事いうの? なにかあるの?」
「伊織ちゃん…………やっぱり気付いてないんだ。伊織ちゃん………………」
 続きを言おうとした藤本だったが、その時、第三者から突然声が掛かりその続きを言うことが出来なかった。
「祐ちゃんっ! 黙ってこんな所にまで来てダメじゃない、迷子になるでしょ! お母さん、必死に探したんだから!」
「勝手に出歩いてお母さんが心配するだろ? そう言うときは、ちゃんと連絡を入れなさいって言ってるだろ」
「あっ、お母さん! お父さんも、もう帰ってきたんだ」
「えっ!?」
「なにっ!?」
「おや〜、変ですね〜?」
 伊織達が振り返った先には、30代ぐらいの夫婦が小走りに駆け寄ってくるところだった。
 凍り付いてしまった伊織と瑞樹を尻目に、祐貴の両親は話を続けた。
「お母さん、今日一日このお姉さん達に遊んで貰ったんだ! とっても楽しかったよ!」
「そうなの祐ちゃん? すみません、うちの子がご迷惑をおかけして…………」
「祐貴、お姉さん達にちゃんとお礼言ったか?」
「うん。お姉ちゃん達、ありがとう! とっても楽しかったよ!」
 心なしか祐貴の両親の顔は、とても気の毒そうな顔をしていた。 「……………………………………………………」
「……………………………………………………」
「あの〜、祐貴クン? 祐貴クンのお父さんとお母さんは死んじゃったんじゃ?」
「やだな〜勝手に殺さないで下さいよ」
 ニッコリとそう言った祐貴の表情には、悪気という物が一切感じられまかった。
「『遠いところに一緒に遠いところに行ってしまいました』って、嘘は言ってないけど、嘘は言ってないけど…………(こんな小さい子供なのにご両親が亡くなって寂しいだろうなって、半分本気で『試練』の事抜きでも、構ってあげたいって思ったのにそれが嘘だったなんて、何の為にあたしは今日一日頑張ったの……………ああ、頭が痛くなってきたって、あれ? なんだか本当に頭が痛くなってきたような? なんか、頭がボーっとしてきたし、フラフラ身体が揺れだしてきて………あ、視界がぼやけてきた…………)」

 フラフラフラ〜、バタンッ!

「伊織!?」
「イオちゃん?」
「伊織ちゃん!」
「お姉さん」
 伊織は薄れゆく意識の中、驚いた様な声を出す瑞樹達の声を聞いていた。

「あれ、あたし………いつの間にお家に?」
 伊織が目を覚ますと、そこには伊織が見慣れている早川家の自分の部屋の天井があった。
「あ、伊織ちゃん。起きた?」
「真織ちゃん…………………」
 伊織が寝ていたベッドの側で、本を読んでいた真織が顔を上げて言う。
「ダメじゃない、伊織ちゃん。熱があるのにずっと外に出て! 倒れるくらい調子が悪くなる前に帰ってこなくちゃ。藤本君が伊織ちゃんをおぶって来たときすっごく驚いたんだからね! はい、コレくわえてて」
 真織は舌下式体温計を取り出すと、伊織の口の中に差し入れる。
「瑞樹と藤本には迷惑掛けちゃったな………………。頭が痛くなったり、ドキドキしたり、クラクラしてたのはあの子の所為だけじゃなかったのね」
「ひょっとして、伊織ちゃん。途中まで具合悪いの気付いてなかったの?」
「倒れるまで熱があるなんて全然気が付かなかったから…………」
「伊織ちゃんらしいね。でも、無理しちゃダメなんだからね」
「はぁい」
 体温計がピピッと音を出して、検温が終わったことを報せると、真織は伊織の口から体温計を取って、その電子表示を確かめる。
「え〜と、38度6分…………高いわね。伊織ちゃん、頭とか痛くない?」
「ちょっとズキズキするかな…………?」
「じゃあ、今日はもう寝ちゃった方がいいかもね。ふふふ、汗とか掻いちゃって身体冷やしちゃうといけないから、今晩は付きっきりで看病してあげるね♪」
「えっ!? そんな、わるいよぉ………」
「いいじゃない♪ 覚えてる? 昔。伊織ちゃんが遊びに来てくれたとき、私が病気で寝てたら伊織ちゃん一晩中付いていてくれたでしょ? ……………風邪、伝染しちゃったけど」
 伊織は口ごもってしまう。覚えている訳はなかった。
 伊織がシードの影響で女の子になったとき、関係する人間には伊織に関する偽りの記憶が刷り込まれているからだ。当然、真織の幼い頃の記憶の中にも、あるはずのない伊織との想い出がインサートされている。
 もっとも、そのお陰で憧れの真織が親しく話してくれているのだが…………。
「だから安心してネ。母さんったら伊織ちゃんを看病してあげるんだって喜んでたけど、私がやるって言い張ったんだ♪ 今、お薬持ってきてあげるから」
 心なしか嬉しそうに真織が部屋を出ていった。その扉の向こうには、看病したくてウズウズしている真須美さんの姿があった。
「あはははは…………………。どのみち誰かに看病されちゃうのね」
 困ったように笑う伊織。少し引きつっている。
「イオちゃん、具合はどうですの〜?」
 真織が部屋から出てゆくのを見計らって、パラレルとシリアルが話しかけてくる。
「よくはないよ…………、どうしてこんな体調で、今日一日動けたのかなぁ?」
「だから昨日言っただろ? 体調管理くらい自分でしっかりしないから、藤本に背負われることになるんだよ。明日、ちゃんとお礼言っておきなよ」
「うんそうだね……………………そっか藤本、あたしの体調が悪そうなの気遣ってくれてたんだ。軽いヤツだなって思ってたけど、優しいところ、あるんだな…………」
「あら〜、イオちゃん。顔が赤くなりましたわよ?」
「鼓動も早くなってるね」
「そっ、そんな訳ないじゃない! あ、あたしは別に藤本のことを見直したとか、優しいとか…………ちょっと格好いいかな、なんて思ってないわよっ!」
 熱のある状態で大声を出した伊織は、一瞬クラッときたが、パラレルはそんなことには気付かずに、不思議そうに口を開いた。
「だれも、藤本君のこと言ってませんわよ〜?」
「でも、伊織は芹沢と恋人になるんじゃなかった?」
「だから〜、あたしは別に……………藤本が好きとか、芹沢くんがどうかなんて…………って。はっ! ヤバイ、髪留め外すの忘れてた!」
 顔を赤くしてそう言った伊織は、次の瞬間、荒い息を付きながら髪留めを乱暴に外す。危うく心が完全に女の子に飲み込まれてしまうところだった。そして、誤魔化すように話題を変える。
「ところで祐貴クンはどうした? おれは気絶していたから覚えていないんだけど?」
「あの子はあの後、ご両親と一緒に帰っていかれましたわ〜。病院まで送って行こうかって仰られたのですけど、瑞樹さんがイオちゃんは医者嫌いだからって断ったんですわ〜」
「良かった。医者は嫌いなんだ………」
「ああ、そう言えば忘れていましたわ〜。イオちゃん、あの子から別れ際に手紙を渡されたんでした〜。ポケットの中に入っていると思いますから」
「えっ? あ、ホントだ。結構、可愛いところもあるじゃないか、何々?」
 自分の上着のポケットを調べた伊織は、キャラクターの絵がプリントされた手紙が入っているのを見つける。手紙は計3枚入っていて、伊織は何気なしにその手紙に目を通す。
『前略…………………中略……………………後略』
「なんだかなぁ、2枚目はっと?」
『お姉さんへ。今日一日、ボクと遊んでくれてありがとうございました。
       いつもは一人で遊んでばかりなので、とても嬉しかったよ』

 ただ、それだけの短い文章。
 結局の所、あの少年を幸せにするという当初の作戦は、成功したのだった。
 最後の手紙には、
『またお姉さん達と遊びたいです。もし良かったら、今度ボクの家に遊びに来て下さい』
 そして、その手紙の余白には祐貴の手書きであろう地図と、家の場所が描かれていた。
 世界地図の日本の辺りに大きなマルで……………。
「………………祐貴クンらしいな」
 不意に微笑みが伊織の顔に浮かぶ。
 今日一日。振り回され続けてはいたものの、ひょっとしたらそれを楽しんでいたのかもしれない。
「なぁ、パラレル。人を『幸せ』にするって、どう言う事なんだろうな?」
「どうしてそんな事を聞くんですの? あの子を幸せに出来たのでしょう?」
「いや………。今日、あの子を幸せにするって色々やっただろ? 結局は、全部失敗してしまったけど。それでも最後はなんとか幸せに出来た………と、思う。この間は途中までうまくいってたのに、最後で失敗したのにさ」
「この間の失敗のことですわね〜?」
「それに芹沢の事だって………………」
「また昨日考えてた事を考えてるの、伊織?」
「どうしても頭から離れないんだ。悪いか?」
「悪くはないよ、パラレルも見習って欲しいくらいだ。でも、その答えを出すのはきっと難しいと思う」
「だろうね」
「あら〜? わたくしはいつも完璧に人をしあわせにしてますわよ〜?」
「そもそも、それに明確な答えなんか無いと思うよ」 「確かな答えが欲しい訳じゃないんだ。ただ、自分なりの答えを持っていた方が、芹沢を幸せにするにも、元の姿に戻るために人々を幸せにするにも良いんじゃないかと思ってね」
「うん。それは言えてるかもしれない」 「だろ? 今のままじゃ、『自分が幸せになる為』に人を幸せにしているだけなんだよ。それじゃ、とても元に戻ることは出来ないような気がするんだ。パラレルはそのところどう考えてるんだ?」
「わたくしですか〜? 『人を幸せにする事』がわたくしの使命ですから」
 少し考えてからパラレルが口を開くが、伊織の耳には『特に考えていない』と聞こえた。
「あっそ……………」
 伊織は、昭和の最後に亡くなられた方のような返事をした。あまり伊織の役には立たなかったらしい。
「でも〜、人が幸せになると〜、わたくしも幸せになるからこのお仕事を続けているんですのよ〜。人を幸せにするために自分が幸せを感じられなかったら、相手の人がそれを知ったとき、その幸福感は薄れてしまいますもの〜。人を幸せにするって事は、きっと一緒に幸せになるって事だと思いますわ〜」
 ニッコリと微笑むパラレルに、一瞬。本物の天使の微笑みを見た気がした伊織だったが、なにせパラレルの言うことである、素直に受け入れるのには抵抗がある。
「パラレルの場合。自分だけが幸せを感じることの方が多いけどね。でも、パラレルの言ったことは一応真実だと思うよ?」
「そっか………………。そう言う考え方もあるんだな。シリアルはどう考えているんだ?」
「ぼく? ぼくは人を幸せに出来るなんて思っちゃいないよ?」
「おい…………」
「でもね、ぼくらの仕事は人を幸せにすることでしょ? でも、幸せに出来るとは思っては居ない。じゃあ、出来る事って何だと思う?」
「その人が幸せになるように祈る?」
「そうじゃないよ。ぼくらはその人が幸せになる為に手助けをするんだ。本人が幸せと思えなきゃどうしようもないからね。または幸せに気付く為の手助け」
「そう、だよな…………難しくてよく分かんないけど、何となく伝わったよ」
「難しくて分かんないのは仕方ないよ、ぼくだってデュルエル様の受け売りなんだから」
「デュルエル様って?」
「パラレルの前の上司……………左遷されちゃったけどね」
「大変素晴らしい方でしたのに〜、どうしてでしょうね?」
 そう言ったパラレルを見たシリアルの顔に、しっかりと『お前の所為だ、お前の』と出ているのに伊織は気付き、小さく苦笑する。
「まっ、伊織も焦らずに考えてみたら? 自分なりの理由を、さ。ぼくみたいに誰かの受け売りでもイイし、パラレルみたいに自分で信じた理由でも良いからさ。まだ、『試練」の期限までしばらくあるし………。それまでは今のままでも構わないと思うよ」
「そうかな……………。うん、そうだよな! とりあえずゆっくり考えてみるよ。答えが出るかどうかなんか分からないけどさ」
「伊織ちゃん。何が、『分からない』の?」
「わっ! 真織ちゃん……………。い、いつ戻ってきたの?」
 突然掛けられた言葉に驚いて振り向くと、そこには薬とコップに入った水を持ってきた真織が不思議そうに立っていた。
「今だけど? それよりはい、お薬」
「あ、ありがと」
 真織から受け取った錠剤を、水で押し込んでいると、ふと、自分のことを不思議そうに見つめている真織に気付いた。
「ま、真織ちゃん…………どうしたの?」
「伊織ちゃん、少しは具合良くなったの? さっきより何かサッパリした顔になってる」
「そ、そうかな? 身体は相変わらずだるいけど…………。ちょっと考えてた事に、一応ケリが付いたからかな?」
「あっ? 考えてた事って、芹沢くんのこと? それとも藤本くんのこと?」
「ち、ちがうよ」
「隠さなくっても良いのに……………」
「………きょ、今日は身体が辛いからもう寝るね? うん、寝る!」
「そう? そう言えば伊織ちゃん…………さっき母さんがね…………」
 言葉を続けようとした真織であったが、その時開けられた扉の音によってそれは中断した。
 そこには、優しそうな笑みを浮かべた真須美さんの姿があった。
「伊織ちゃ〜ん♪」
「お、おばさん! どうしたんですか?」
「母さん、アレは止めた方がいいって言ったでしょ!」
「私ね、伊織ちゃんの熱がすぐ下がるお薬持ってきたのよ。使って♪」
 ニッコリと笑った真須美さんが伊織に見せた物は、3cm程の長く先が細くなっているクリーム色をしていた。
 その正体に気付いたとき、伊織は優に30cmは後ずさった。
 ベッドの上に座りながら器用なことだ。
「ち、力の限り遠慮しますっ!」
「そんな〜、高い熱には座薬が一番効くのよ? お願い、伊織ちゃんが熱で苦しむ姿、見たくないの♪」
「止めなさいよ、母さんっ!」
 手にそれを持ったまま、顔に笑みさえ浮かべてゆっくり近寄ってくる真須美さんに、伊織はブンブンブンと力一杯、目に涙さえ浮かべて拒否した。
「災難だねぇ…………」
 その横では、シリアルが小さな声で呟いた。

「座薬は嫌だぁああああ!!」


第10話☆予告

[ナレーション:藤本幸也]

この僕の情報網によると、伊織ちゃんが女子サッカークラブに行ってきたらしいね。でも、あれからなんか様子がおかしいな……。

「イオちゃんのお仕事はですね〜、女子サッカーのプレイを通して、重衛さまの『誤解を解く』ということなんでございますですのよ〜♪」

「ああ、あの方はでございますね〜、『衛子おばさま』ですわあ〜♪」

「でもね、わたしの目には、あなたが本当は思いっきり体を動かしたい、って思っているように見えたのよ」

次回、『天使のお仕事』 第十話。
「間違いだらけの(?)選び」(担当:会津里花さん)

落ち込むなんて僕の伊織ちゃんらしくないよ。さっそく優しく慰めて……あれ、僕って次回の出番無し?


『天使のお仕事 ――The Angelic Calling 』第8話、いかがでしたでしょうか?
 今回は、ステキに頭の配線がズレているゲストキャラクター祐貴クンと、それに振り回される伊織ちゃん達のお話でした。
 書いた本人としては、もう少し祐貴クンを活躍させてあげたかったのですが、それをしてしまうと伊織達が付いていけなくなってしまうので、ソフトにしておきました。
 考えていた祐貴クンの性格は、ここに書かれた以上にステキにブッ飛んでますから………。

 少しお話をまとめるのに苦労しまして、まとまりに欠ける部分があるかと思いますが、それはパラレルと祐貴クンの所為です。話がまともな方向に進みにくいったら(笑)
 ともあれ、私のつたない作品を見ていただいて本当に有り難うございます。

夕暮稀人(はむに)

少年少女文庫100万ヒット記念作品
「天使のお仕事」
幸せは歩いてこない、だから無理矢理プレゼント


◆ 感想はこちらに ◆