RAINY
〜中編〜
作:いちろう
「う〜ん・・・」
前田はまだ顕微鏡をのぞいていた。
レンズにはさきほどから小さなゴミやちりなどばっかり映っている。
研究所内には研究員の姿はなく、洋子がいるくらいである。
実はこの二人は付き合っていたりする。
「もうちょっと倍率を上げて・・・・」
前田が倍率を上げると、視界にいきなり黒い影が現れた。
「ったく・・・・またかよ」
前田はこの黒い影をすぐにゴミだと思った。これまでに何回もあったのである。
「ん・・・!?」
しかし、この影は今までと少し違っていた。よく見るとゴミにしては複雑な作りをしているのである。
「もしかして・・・」
前田は思いついたかと思うとパソコンを起動させた。顕微鏡とつないでもっと解析しようと考えたのである。
前田は慣れた手つきでマウスを動かすと、すぐに画面にはさきほどの黒い影が現れた。
それから、もう少し倍率を下げるとその黒い影の全体像が出てくる。
「・・・・!?・・・な、なんだこれ・・・」
画面上には黒いミジンコのような物が表れた。しかし、ミジンコにしてはあまりにおかしい。
「・・・約、原子の二倍の大きさ・・・!?う、うそだろ・・・」
そう・・・あまりに小さすぎたのである。
そのころ東京駅では鈴木が立ち往生していた。
『本日、中国、近畿地方の事件による外出禁止令のため、東海道山陽新幹線では広島〜京都間で運転を見合わせています。皆様には大変ご迷惑をおかけしております。』
「まいったな〜・・・。」
鈴木は親友の前田のところに行こうとしていた。今回の事件についていろいろと聞こうと思ったからである。
しかし、事件のこともあり交通機関はほとんど機能していなかった。唯一機能していた飛行機も福岡行きはすでに満席である。
鈴木は自動販売機で缶コーヒーを買うと待合室の椅子に座って一息ついた。
『まもなく14番ホームに10時52分発ひかりレールスター351号名古屋行きが入ります・・・』
新幹線は相変わらず名古屋までの運転となっている。周りではすでに諦めて帰る人が出てきている。
その人の渦の中に鈴木は見たことのある人影を見つけた。田村である。
田村は部下らしき人と話していたが指示を出すと待合室の方に向かってきた。
「田村さん!」
鈴木は自分の前を通り過ぎようといていた田村に声を掛けた。どうやら田村は気づいてなかったらしい。
「あっ!鈴木さん・・・。鈴木さんも福岡に行くつもりですか?」
「ええ・・・誠司と会おうと思いまして・・・」
「そうですか・・・それでは私はこれで」
田村は少し会話を交わすとすぐに行ってしまった。いろいろと忙しいのだろう。
その直後、駅構内に放送が響いた。
『お客様に申し上げます。12時32分より博多駅まで直通でのぞみ号を走らせることになりました。つきましてはただ今よりチケット売り場にて特急券を販売いたします。繰り返します・・・』
「よしっ!」
鈴木は空き缶を捨てると立ち上がった。
『昨日の事件でついに死亡者が出ました。長崎県で四人、佐賀県で二人、福岡県で一人の死者が出ており、病院側では重体の患者もいることから対応を急がれています。この事件について警察側では・・・』
そのころ前田は大きな本を片手にテレビを眺めていた。
「死者か・・・。こいつの正体もわからないしほんとにどうなってるんだ・・・」
前田は再びパソコンに目をやった。画面には依然として黒い生物が映っている。本を調べてみてもこんな生物は載っていない。
プルルルルル・・・・プルルルルル・・・・
その時近くの電話が鳴った。今日は電話が多い。
「はい、福岡国立生物学研究所・・・」
「あっ!誠司か?」
「おっ!もしかして毅か?」
電話は前田の親友の小宮山毅のものだった。小宮山も同じ九州大学の出身で、医学部だった。今は福岡県立病院で働いている。
「久しぶりだな・・・で、どうしたんだ?」
「ああ・・・お前も昨日の事件の事は知ってるよな?」
「昨日の事件のことなら良く知ってるけど・・・そっちも大変だろ。」
「人数が凄いからな・・・それで、気になる事があるから来てくれないか?」
小宮山はいつもより深刻そうな口調だった。
「わかった。病院に行けばいいんだろ?」
「ああ・・・悪いな。」
電話を切ると、前田はすぐに研究所を後にした。
今日の福岡は昨日の事件が嘘のように晴れ渡っている。
三十分後・・・
前田は病院の前に到着した。病院の前ではすでに小宮山が待っていた。
「すまないな・・・いそがしかっただろう?」
小宮山が前田に声を掛けた。
「いや、俺はどっちかといえば暇だったけど・・・忙しいのはそっちだろ?」
「まあな・・・」
小宮山の言葉どおり、病院は人であふれ返っていた。病室がなくて廊下に布団を敷いて寝ている人もいる。まるで戦争映画か怪獣映画のような光景だ。
「他の病院もこんな状態らしいぞ・・・」
小宮山は周りの人々を見ながら言った。事件のためだろうか女性の患者が多い。
「そんなに忙しいのに俺と会って大丈夫なのか?」
「ああ・・・一応、これも原因を調べるためだからな。」
小宮山はそう言いながらある部屋に入っていった。
部屋の中には一人の全裸の少女が横になっていた。その少女の周りを数人の医師が囲んでいる。
小宮山はその部屋のさらに奥に入っていくと、ある画面の前に止まった。
「お前もわかると思うが、この少女は先日まで男性だったそうだ・・・」
小宮山が少女を見ながら言った。
「この少女が・・・」
前田も変化する場面は目撃していたが、少女の体を見て驚いた。
「信じられないかもしれないが本当だ。見てのとおり胸もあるし、卵巣もある・・・元が男だったと証明する方が難しいくらいだ・・・」
確かにその体は間違いなく女性のものだった。大きな胸に綺麗な白い肌にくびれた腰・・・そして、男性にあるはずのものはどこにも見当たらない。
「まぁ、染色体までは書き換えられてないけどな・・・」
小宮山はそう言いながら画面を操作した。すると新たな映像が出てくる。
「そして、これがこの少女をCTスキャンにかけたものだ。これを見てなにかわかるか?」
前田は少女の内臓が映った映像を眺めた。
「内臓が・・・傷ついてるのか・・・?」
「おっ!?よくわかったな。それで、その原因を調べてみたのだが・・・」
小宮山は再び画面を操作した。
画面には黒い物体が映し出される。
「こっこれは・・・!?」
「これが血液検査で出てきた生物だ・・・」
前田は自分の目を疑った。そこに映し出された物体はまぎれもなく自分が雨水の中から発見したあの黒い生物だったのだ。
「こ、こいつ・・・雨水の中にいた奴だ・・・」
「えっ!?」
「間違いないよ・・・俺が昨日、事件の時に雨水を回収していたんだ・・・。それで、今日調べていたらこいつと同じ生物が出てきたんだよ・・・」
その話を聞いて、小宮山は考え込んだ。
「・・・ということはやっぱりこの事件の原因は雨か・・・。他の患者も調べてみたんだが、調べた患者の全てからこの生物が確認された・・・」
「なるほど・・・。それで、この生物についてなにかわかったのか?」
前田は小宮山の顔を見た。
「ああ・・・それなんだが、この生物はタンパク質を吸収しているようなんだ・・・」
「タンパク質?」
「しかも、タンパク質を吸収したあと排出物として女性ホルモンに似た物質が出されていることがわかった。その上、この物質は通常の女性ホルモンより相当強力なものだ・・・しかも、この物質は自分で精巣を分解して卵巣を形成するという代物だ。」
「・・・ということはこの物質が女性化に関係していると?」
「その可能性が高いな・・・」
そう言うと、小宮山は再び画面を操作する。
「でも、俺もちょっと雨に触れたけどなんともないぞ・・・」
「ああ・・・この生物自体はそんなに強いものじゃないんだ。少量なら白血球によって除去される・・・でも、こいつの増殖力に加速がつくと・・・」
「アウトって事か・・・?」
「そういう事だ・・・」
小宮山はそう言うと画面を消した。
「・・・ということで、女性化した患者は今もその生物によって体をむしばまれている・・・。今現在出ている死亡者はそう言う理由で死んだ人たちだ・・・」
その帰り道・・・
前田は帰りのバスに揺られながら、小宮山の言葉を思い出していた。
『俺が調べられるのはこれまでだ・・・。後は専門家のお前がこれ以上被害を増やさないように調べてくれ・・・。』
「調べてくれって言ってもなぁ・・・」
前田は頭を抱え込んだ。調べると言ってもなにからやればいいか見当もつかない。
バスの窓からは夕日が差し込んでいた。
『まもなく、14番ホームに17時43分着、のぞみ20号が入ります・・・・』
場内アナウンスとともに、700系車両が博多駅に滑り込んだ。その九号車から鈴木が降りてくる。
「あー・・・ようやく着いた・・・。」
鈴木は一つ背伸びをすると眠い目をこすりながら下に下りる階段を目指した。
その時、鈴木の目に公衆電話が映った。
「おっ!そうだ・・・電話しないと・・・」
プルルルルル・・・プルルルルル・・・
前田が研究所の戻ってパソコンを眺めている時、近くの電話が鳴った。
「はい・・・、福岡国立生物学研究所・・・」
前田は元気のない声で電話に出た。
『お〜い、誠司。元気ないな・・・』
その電話は鈴木のものだった。
「なんだ・・・賢治か。今忙しいから切るぞ・・・」
『お、おい!ちょっと待てよ。今、博多駅にいるんだよ。』
前田はその声を聞いて電話を切ろうとした手を止めた。
「博多駅ぃ〜?なんでそんな所にいるんだよ!」
『ちょっとお前に会おうと思ってな・・・』
「あのなぁ〜・・・」
前田は少しあきれたような顔になった。
『それで、博多駅まで迎えにきてくれないか?』
「なんでだよ・・・お前もともと福岡の出身じゃねーか・・・」
『いいだろ・・・ちょっと話したいこともあるし・・・』
「はいはいわかりましたよ。じゃあ、すぐに行くから正面の所で30分ぐらい待ってろよ。」
『悪いな。じゃあ待ってるぞ!』
鈴木はそう言うと電話を切った。
「・・・ったく・・・今日は忙しいな!」
前田は一言愚痴をこぼすと近くのタクシーに乗り込んだ。
福岡県立病院
あの部屋で小宮山はもう一人の医者と話していた。
時計はもうすぐで六時になりそうというところだ。
「なんとか誠司には話すことが出来たな・・・」
「でも、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だ・・・。あいつはけっこう頭の切れる奴だからな。あの組織が気づく前になんとかしてくれるさ・・・あいつが最後の希望なんだ・・・」
一方、タクシーの中・・・
「お客さんは大丈夫だったんですね・・・」
「ええ・・・まぁ・・・」
前田は疲れ果てていた。なんせ、この運転手が良く喋る。点けているラジオが全く聞こえないくらいだ。疲れているときには絶対に乗りたくない。
『・・・・死傷者が多数出ています。』
しかし、ぐったりしている前田の耳に衝撃的なラジオの音声が入ってきた。
「う、運転手さん!ラジオの音を大きくしてもらえますか?」
「・・・・あ!?ラジオですか・・・」
運転手は止まらなかった話をようやく止めるとラジオの音声を上げた。
『・・・もようです。繰り返します・・・今日、午後六時ごろ・・・福岡県の福岡県立病院で爆発事件がありました。昨日の事件のこともあり、病院内では多数の被害者が出ています。死亡者も出ていると言う情報も入ってきました。福岡県警では現在、原因の究明を急いでいます。・・・』
「・・・そ、そんな・・・」
小笠原に続いて小宮山まで・・・前田の脳裏にはそんな思いがよぎった。
「ん・・・!?お客さん・・・どうしました?」
「すみません・・・福岡県立病院まで行ってもらえませんか?」
「この事件ですからねぇ・・・近づけませんよ。」
「近くまででいいですから!」
「わかりました・・・」
タクシーは進路を変えて病院に向かった。
同時刻、博多駅前
「遅いな〜・・・なにやってんだあいつは・・・」
鈴木は前田が病院に向かったことも知らずに駅前で待っていた。
「ちょっとその辺でもぶらぶらしてくるか・・・」
ドーーーーーーン!!!!!
鈴木がその場所を離れようとしたその時、大きな爆発音とともに隣のバスセンタービルが崩れ落ちた。
「な・・・・!?」
周りでは大勢の人が逃げ惑う。
空からは多数の破片が降ってくる。
「う、嘘だろ・・・」
前田乗ったタクシーは病院近くで渋滞に巻き込まれていた。
「運転手さん!ここで降ろしてください!」
前田は金を払うと走って病院を目指した。
その横を救急車やパトカーが通り過ぎる。
前田がようやく病院に到着した時、そこに数時間前の病院の姿はどこにもなかった。
「そ、そんな・・・」
病院の半分以上ががれきの山になっており、自衛隊員が必死の救助活動を行っていた。
映画のような光景がそこに広がっていた。
「こ、小宮山・・・」
前田はその時、小宮山がもう助からないと悟った。それと同時にあの時の小宮山の言葉が脳裏をよぎった。
『俺が出来るのはここまで・・・後はお前の仕事だ・・・』
それはまるで自分の使命を終えて散っていったようだった。
「バカ野朗・・・」
前田の頬をひとすじの涙が流れ落ちた・・・。
つづく
<あとがき>
8月6日、午前8時15分・・・。皆さんはこの日付と時刻を見て、何が思い浮かびましたか?そう・・・、これは1945年に世界ではじめて広島に原爆が落ちた時刻です。
広島の中心部の上空で爆発した原爆は一瞬で20万人以上の人を飲み込みました。皮膚がはがれ落ち、さ迷い歩く姿はまさに地獄のようだったことでしょう。21世紀になった今でも生死がわからない人がたくさんいるくらいです。
広島電鉄650系車両・・・。この車両はこの8月6日に広島市中心部(八丁堀や小網町付近)で被爆しましたが、今現在も元気に広島の街を走っています。ぱっと見ただけでは被爆した車両だなんてわかりませんが、車内の料金箱の近くにこの車両が被爆した当時の様子などが記された紙が貼ってあります。
私は先月、久しぶりに平和記念資料館に行く機会がありました。小さいころに一度行っただけだったので、十年ぶりぐらいに見るものは全てが新鮮でした。8時15分で止まった時計やぼろぼろになった衣服、溶けた瓶など印象的なものが数多くありました。
その中に黒い墨汁が垂れたような壁がありました。これがこの『RAINY』のモデルになった黒い雨です。この黒い雨は多量の放射性物質が溶け込んでいます。原爆投下直後に降ったこの雨にのどの渇いていた人たちは喜んだことでしょう。しかし、それは墨汁のように黒く、飲むとさまざまな症状が引き起こされました。
今年ももうすぐ8月6日がやってきます。この日の夜には灯篭流しが行われ、元安川はたくさんの『命の光』で覆い尽くされます。その幻想的な光景からはとても戦争という二文字は連想できませんでした。
こんな悲惨な戦争が繰り返されないためにも、みなさんもこの機会に平和について考えてみてはいかがでしょうか?
この作品はフィクションです。実在の人物、団体などには一切関係ありません。
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