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蒼い時第三章
作:コーディー


Term.16

 御堂はやっぱりいい奴だった。
彼は…僕が情けなく泣きじゃくるのを、ただ何も言わずに見守っていてくれた。
その後、それ以上何も聞かないでいてくれたのも、彼の優しさだったのだと思う。
あれだけ不器用な御堂がそんな気遣いを見せてくれたのが、僕にはとても嬉しかった…。

 僕が御堂の前で、あの情けない有様をさらしてから三日が経つ。相変わらず彼との関係はギクシャクしたままだ。あまり話が出来ないような状況も未だに続いたままである。
 御堂のつっかかるような雰囲気は驚く程変わった。
 あの日の翌日、僕は学校を休むつもりだったのだが、両親に追い立てられ、重い気持ちのまま結局出席することになった。
御堂はその時も僕のことを気遣っていてくれたのだろう。僕が教室に入ると、彼は僕の方に視線を送って、黙ってうなずいてくれた。
きっと「大丈夫」という彼なりの無言のメッセージだったのだ。
それなのに僕は何も言えず、何の表情も見せることが出来なかった…知らず知らずに、今度は僕が御堂を避けてしまっている。これまでとは逆に、御堂を困惑させてしまっている自分に気付いては、ものすごく落ち込んだ気分になってしまう…。

 ようやくやってきた日曜日という感じだ。普段の数倍は長く感じる一週間だった。

 この頃、外では自分を押さえつけるような生活を続けているせいだろうか、僕は休みの日を異常に待ち焦がれるようになった。日曜の朝ともなると、やたらと早起きして、意味もなく居間でぼぉっとしている。
それが今の僕にとって、一番落ち着く時だろう。
「姉貴…早いなぁ…」
そう言って起き出してきたのは弟の和浩である。早いと言っても時計はそろそろ八時を指そうとしている。和浩も高校受験を控えているのだから、ちょっとは早起きして勉強すればいいと思うのだが…。
「こうやって、朝ボーっとしてるのが僕の至福の時だからね…」
そう言って、僕は再びソファに横になった。
「ここで寝るなよな…座らせて」
そう言いながら和浩はソファの半面に割り込むと、リモコンでテレビのスイッチを入れた。ここで、僕のまどろみの時間は終了である。
「そういや、真一はどうしたの?」
いつもなら大体和浩と同じくらいの時間に起きてくるはずの真一だが、今日は珍しく遅い。
「え?昨日はなんか、遅くまで起きてたから…寝坊じゃないの?」
テレビから視線をそらさずに、和浩は答えた。
「何で?勉強?」
「あー…なんか衣装を作るってさ。運動会の」
一瞬ハッとした。そう言えば今頃は運動会のシーズンだ。何故かうちの高校は行事がワンテンポ送れているので、中学校が運動会という事は、うちはそろそろ準備の時期だ。そう言えば、実行委員も決めてあったんだったな…。
「そうだったかぁ…運動なんかしたくないのになぁ」
初めて女子用の赤い体操服を着た時のことを思い出して、僕はしみじみとつぶやいた。
「でも、”運動会の衣装”って…そんなのあったっけ?」
衣装の欲しい競技なんて中学校にあったっけ…と思いながら、和浩に尋ねる。
いや、中学校では例年最後のプログラムは、男子は組体操、女子はフリフリの衣装をつけてダンスと決まっているのだが、真一は男子だ。
「今年から、昼休みに各組、観覧者に出し物をするんだってさ」
相変わらずテレビから視線をそらさずに、和浩は答えた。
「…それって、うちの学校みたくない?」
星丘高校でも、運動会の昼休みに、観覧者向けに各組が出し物…つまりダンスパフォーマンスをするのがプログラムの一つになっている。
「たぶん…実行委員長が星丘高校を志望してて、憧れから強引に押し切ったとか噂が…」
そう言うと、和浩は迷惑そうな顔をした。
「ふぅん…で、何するの?踊るんでしょ?」
「まーね、なんでも”野菜炒め”のダンスをするとかって…ネギの衣装を作ってたよ」
と言う和浩。
…運動会と全然関係ないな…と思いつつ、自分は去年、牛乳のダンスをやったことを思い出し、その言葉をそっと胸にしまった。
「それで、練習とかするんでしょ?」
僕もテレビのアニメ番組に目をやりながら、和浩に尋ねた。
「ま、学校で嫌と言うほど練習してるよ。しかも男子は組体操もやるからねぇ…今だけは女子がうらやましいよ…」
そういって、和浩は何か言いたげな目で僕を見つめた。
「高校は組体操がないからね、僕は残念ながらその恩恵を預かれません!」
きっぱりと言い切る。
体育の時間、五段ピラミッドを作って悲鳴を上げる男子を後目に、パフィーの曲でパラパラの練習をする女子の姿は、どの男子の目からも羨ましく見えた物だ。
「そうかぁ…じゃ、来週あたりからうちも練習だなぁ…大丈夫かな…」
そう言って僕は、自分の身体をまじまじと見つめた。

 その日は珍しく一家そろって遅い朝だった。どうしてかと思ったが、父さんは原稿を昨夜遅くまで仕上げ、母さんもそれを手伝っていたからだそうだ。
家族全員が起きてきたころには、午後の一時を過ぎていた。
「原稿の上がった次の日が、一番幸せなときだねぇ…」
父さんはそう言いながら、すっきりした顔をしている。
「それじゃ、いつもみたいに釣りでも行くの?」
僕は自分で作ったチャーハンの皿を片付けながら訪ねた。父さんは何かと多趣味で、原稿が上がると大抵どこかへ出かけていく。昔は家族で釣りにも行ったものだ。
「いや、今日は葉矢の所に行って来るよ。時間があれば…まぁそんな時間無いだろうけど」
笑いながら父さんは答えた。
 葉矢叔父さんは父さんの弟で、外科医として僕のことで何かとお世話になった人だ。父さんは最近、あまり無い休みの時間を削って、かなり頻繁にその葉矢さんのところへ行っている。その理由も僕であることを考えると内心、心が痛む。
「また検査の結果をもらってくるだけだけど、香奈はいたって健康、大丈夫!」
そう言うと、父さんは僕の頭をなでた。これが微妙に子供扱いな気がするのだが…。
「それなら僕が行こうか…?葉矢叔父さん、僕が行くと喜ぶし」
僕は苦笑いしながら言った。
葉矢さんは、やっぱり僕のことをいろいろと研究したいのだそうだ。何か”複雑な事情”で、以前に採取した僕の細胞サンプルは自由に出来ないらしい。それを”素体”から観察できるのだから、喜ぶ気持ちも分からないではない。その僕としては、何かと複雑な気分なのは言うまでもないが…。
 僕の遺伝子から色々な仮説を立て、それが実証出来たら、人類の進化過程を根底から考証し直さなくてはいけない事態だ、と以前葉矢さんは声高に熱弁していた。まぁ、僕にはいまいちその重要性が見えてこない。性別が変化するなんて、迷惑な話にしか思えないのだが。
「父さんもたまには、どっかへ出かけて息抜きしてきてよ」
そんなことを考えながら、僕は父さんにどこかへ出かけるように勧めた。
先日、父さんが急に体重が減ったことを気にしていたことがあった。それを考えても、今の父さんは休息が必要なのだ。
「それじゃ…香奈にかわってもらうか…大丈夫だな?」
少し不安げな顔をしながらも、父さんはすんなり僕の申し出を受けた。
「もし変なことされたら、一発蹴飛ばしてやれ」
「はいはい、冗談はいいから。弟だろうが…」
僕は、少し呆れながらつっこみを入れる。
そのすぐ後、父さんと母さんは二人でドライブへと出かけていった。


Term.17

 葉矢叔父さんの勤める狭山医院は隣町にあり、バスと電車で約一時間の距離にある。
ちなみに葉矢さんの自宅はその病院のすぐ近くにあり、学校では、僕はそこから登校していることになっている。
「それじゃ、戸締まり頼むよ」
部活で真一が出ていって、和浩が家で一人残ることになった。僕は和浩に戸締まりを頼み、出ていこうとした。
「あ…姉貴、今日のその格好は…?」
和浩は、怪訝そうな目で僕のことをじろじろ見ている。
「ジャージで出かけるわけにもいかんだろうが。リハビリも兼ねてね…」
私服で初めて履いてみたスカートを少し持ち上げて、僕は苦笑いをした。
 これまで自宅では男のプライドから、とことんジャージを通して女物の服など着ずにいたし、外出するときも制服かジーンズのみだったのだが、最近はそうした服を着てみてもいいかと思うようになってきた。ある意味、諦めの気持ちも混じっているかも知れない。
今日は両親もいないので、色々と冷やかされることもないだろう。
「はぁー…印象が全然違うねぇ…」
和浩は、大袈裟な口調になって言った。
ただ、その言葉を聞くのはこれで三回目だ。一回目は僕が女の子になって初めて弟達と顔を合わせたとき、二回目は初めて制服を着て家族に姿を見せたとき、そして今回。
「馬子にも衣装って言葉、知ってる?」
意地の悪い表情になって、和浩は聞いてきた。
「うるさいな…これでもすごい勇気を出したんだ」
暖色系の色で統一された自分の姿を見回しながら、僕は少しムッとした。
「分かってるって、似合ってるよ。いってらっさい!」
和浩は僕を玄関から追い立てると、扉を閉めてカギをかけた。
「父さん達より先に帰るから!絶対言うなよ!」
僕の格好を見たら、みんな絶対に冷やかしにかかるだろう。
出来得る限り早く帰るのは、僕の今の最重要課題だ…。

「次はー…金取ー…金取ー 津田テクノポリスへのお客様はここでー…」
 バスの中というのは何とも穏やかな気分になる。微妙なリズムみたいなものが何とも眠気を誘い…いや、たまに乗るからこそ、そう思えるのだろうか。
電光掲示板に映ったニュースと外の景色とを交互に見ながら、僕はふと、ウトウトした気持ちになっていた。
(前は御堂と、よく駅まで一緒に乗っていったっけ…)
(あいつ、自転車でバスに勝てるとか言ってたな…)
(雨の日とかはバスに乗って学校に来ていて…)
と、何かにつけて御堂のことに意識が行ってしまっている。
そんな自分が、意味もなくおかしかった。
 そんなことばかり考えているうちに、いつの間にか僕は夢を見ていた。
 夢の中で、僕は十歳位の女の子になっていて、御堂がその僕を抱き上げているのだ。
抱きついている僕に向かって御堂が、
「ヒデ、俺がお前を守ってやる」
とか言うようなことを話しているのだ。
気分の悪い…とにかく、変な夢だった…。
深層意識でこんなことが頭に浮かぶようになっている自分が、すごく嫌だ。

「次はー…大複ー大複ー…」
ハッと僕は車内アナウンスの声に意識を取り戻した。しかし、駅まではもう半分位ある。
安心して姿勢を直そうとしたところで、ふとすぐ後ろに人影を感じた。
少しビクッとしながら振り返ると、そこにはかなり年輩の女性が立っていた。
「そういや、結構人が乗ってきたなぁ…」
ついさっきまでガラガラだったバスの光景を考えながら、そう思って周りを見渡すと、立っているのはその老人と、数人の学生だけなのに気が付いた。
一拍間をおいて、
「あの…良かったら、席どうぞ」
僕は何気ない様子を装って、その女性に声をかけた。
「あれぇ、そんなお嬢さんに気を使わせちゃ悪いでやぁ。気にしんでください」
即座にそのおばあさんは、遠慮して断った。
「いえ、僕は荷物もないですから…」
そう言って僕は立ち上がる。
「そうですか?ほんじゃ座らせてもらいますね。すみません…」
そんなやりとりがあって、僕はそのおばあさんに席を譲った。そのおばあさんは何度も頭を下げながら、
「できたお嬢さんで、ご両親の教え方がしっかりしてますことで…」
と、僕の方を見て小さな声で言った。
「いえ、そんなこと…」
と声が出かかったところで、僕は周囲の視線がこちらに集中していることに気が付いた。
(しまったぁ…)
と、いつもの後悔が後になって出てくる。作っていた笑顔が貼り付いていくのが判った。
できた”お嬢さん”と言われたことが、その後悔と恥ずかしさに拍車をかけている。誉め言葉なのは解っているのに、なんだかとても傷付く。
「お嬢さん…かぁ」
僕は顔を赤くしながらうつむいていた。

 似たようなことが電車の中でもあった。正面の席に座っていた小さな女の子が、
「お姉ちゃん、これあげる!」
とあめ玉を差し出して来たのだが、それにも一瞬たじろいでしまった。
「あ…ありがとう…」
と、再び笑顔を作って受け取り、あめ玉を口の中に放り込んで
「おいしいね」
と相づちを打つ。
よく考えたら、最近外で素直な笑顔を作ったことがないなぁ…。
ふと、笑点の歌丸さんの笑い顔が頭に浮かんだ。
 電車の中では、その女の子の相手をしているうちにあっさりと時間が過ぎていった。
降り際に
「一緒に行こうよ!」
とグズられたあたり、子供の相手は向いてるのかもしれない。それも少し不本意だ…。

「いやいや…順応してるようで安心したよ」
葉矢さんの所へ到着すると、葉矢さんは僕の姿を見てまずそう言った。
「実は君のお父さんから相談されてたんだよ。心配だって」
と続ける。
「色々と葛藤もあったろう?年頃の男の子が、わけも分からずにそんな身体になってしまったんだから。僕やお爺さんも心配していたんだよ」
葉矢さんの仕事部屋に僕を招きながら、葉矢さんは安堵の表情をした。
「そうなんですか?でも…この格好は黙ってて下さいね」
僕は自分の姿に軽く目配せして、顔を少し赤くしていった。
「え…ははは、こっそり着てみたんだ?」
と、葉矢さんは苦笑した。まるで、子供の言い訳を聞く親のような様子だ…。
「でも、すごく綺麗だよ。見せてやったら勇作は喜ぶだろうなぁ」
腕組みした葉矢さんは、改めて僕の格好を見つめる。
「父さんはいいですけど、家族みんなの前でこの格好を見せるのはちょっと…」
本心では父さんにも見せたくはなかったが。
「まあ、追々見せてあげなさい。きっと喜ぶよ」
ポケットから取り出したカギで机の引き出しのカギを外しながら、葉矢さんは軽く笑った。
「で、いきなりだけど身体の方は大丈夫かい?一応検査では異常はないんだけど」
取り出した書類などに目を通しながら、葉矢さんは僕に訪ねた。
「まぁ、一応大丈夫だと思います。身体の勝手は違いますけど」
僕がため息混じりにそう言うと、葉矢さんは再び安心したような笑みを浮かべた。
「それを聞いて安心したよ。物理的な身体の違和感も無さそうだからね」
「はい…?物理的な…ですか?」
僕が不思議そうな顔をすると、葉矢さんは少し考えて説明を始めた。
「そうだね…じゃ、例えば心臓の移植を受けた人なんかも大抵は違和感を感じる物なんだ。それは精神的なものもあるけど、原因には自律神経が繋がってないことが大きいんだよ」
そこまで話したところで、看護婦の人がお茶を持って入ってきた。葉矢さんは、慌てて話を中断する。その看護婦さんが出ていったのを確認すると、葉矢さんは「入室禁止」の札を部屋の扉にかけた。
「聞かれちゃまずい話だからね」
葉矢さんは、少し苦笑いをした。
お茶を一口すすって、葉矢さんは改めて続ける。
「頭が興奮状態にあっても、それが信号として心臓に伝わらないものだから、その人はそこで心臓の鼓動が早くなったりしない。それが違和感となったりするわけだ。以前言ったが、君はただでさえ体中の神経がぐちゃぐちゃになってたからね。奇跡の力で君は元通りに意識を取り戻したけど、そんなことになってないか心配してたんだよ」
そう言って、葉矢さんは椅子を少し引いた。
「えっと…その、ご迷惑おかけしました」
僕は無意識にそんなことを口走っていた。
「あっいやいや、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。僕はやるべき事をやっただけだし、そうして今の状況に耐えている君の方が立派だよ」
葉矢さんは笑って答えた。
「ちなみにね、似たようなことが他の臓器でも起こるんだ。腎臓、肝臓、肺、角膜…僕の患者さんも、それで悩まされてる人が大勢いるんだよ」
少し神妙な、興味を引くような話し方で葉矢さんは付け加えた。
「へぇ、大変なんですね…あれ?じゃ、角膜を移植した人が持ち主の見ていたものを見るとかって言うのも?」
僕は、最近読んでいたSF小説を思い出して聞き返した。
「あれも、実際に報告例はあるんだよ。でも、視力が弱いうちに物を見るから物が正しく見れないからだとか、うまく網膜に像が結ばれないとか、色々理由はあるんだろうね。一概に決めつけられないけど」
「へぇー、面白いですね」
僕と葉矢さんの会話はいつの間にか弾んでいた。
 入院中からそうだったが、葉矢さんの話は興味のあるところを付いていてとても面白い。父さんも色々と面白い話題は持っているのだが、医学的な話に行こうとすると途端に口を閉ざす。
「で、他は色々と上手く行ってるのかい?」
葉矢さんは急に話題を変えた。腕を組んで優しい顔をする。
「御堂君…だっけ?いつもお見舞いに来ていた親友っていうのは。打ち明けられたかい?」
こうして優しい顔になった時の葉矢さんは、いつも何か厳しい話をする。
「彼がどうかしましたか?別に何でも…」
僕はとっさにとぼけようとしたが、葉矢さんはそれを遮った。
「勇作から聞いてるよ。彼が君の一番大事な人だって?」
いつも葉矢さんや父さんには、秘密がどうしても通じない。どんなに僕がごまかしても、すぐに見破られてしまう。
「知ってるんですね…すいません。ええ、僕の正体を知って欲しいというのは彼のことです」
うつむいて、僕は力無く答えた。
「何も話しちゃいけないってことじゃないよ。大事な相手には隠し事をしてはいけない」
そう言って葉矢さんは笑った。
「いえ…僕の身体のことは、本来秘密にしなくちゃいけないものだというのは解ってるんです。みんなもそう思ってるっていうのも…」
そう言う僕の声は小さくなっていた。
「そのために戸籍まで作り替えたんです。どれも僕の為だって言うのも分かって…」
葉矢さんは冷めたお茶を飲み干して、笑顔のまま口を開いた。
「確かに、君の存在が誰彼と構わず知れ渡ってしまっては、君は不幸になってしまうだろう。君の研究の必要性を言う人もいるだろう。宗教論を持ち出す者もいるかも知れない。でもね、君が良いと思った相手に話すのなら、それを遠慮することはないよ。その御堂君も、きっと受け入れてくれる。僕は、君にそうした相手の判断が出来ると信じているよ」
そう言って僕を諭す葉矢さんの言葉は、父さんに似てとても励みになる。
「有り難うございます。そう言って貰えて嬉しいです」
僕は笑顔になって、本心からそう言った。
「いや、なんのなんの。…君の本心の笑顔、初めて見たな」
そう言って葉矢さんはまた笑った。
僕は、ハッとなって顔が赤くなった。
しかし、少し間をおくと葉矢さんは、表情を少し曇らせて付け加えた。
「でも、御堂君は良いとしても…一緒に生活するのなら、いつかはその周囲にも君のことがばれる。みんな元の”狭山秀敏”君を知ってるのだからね」
僕は息をのんだ。
「あと数ヶ月なら問題ないだろうが、もし正体を周りに隠して、このまま通そうとするのは至難の業だ。絶対に隠し通したいなら、元々言ってあるとおりに君は転校した方がいい。もしもそのとき、御堂君に名残があったとしてもね…」
葉矢さんは、僕が何となく考えていたことを見透かすように言った。
 僕が何とか御堂との関係を取り戻せたとする。そうしたら僕は、それまでの転校の話を取り下げようと思うかも知れない。葉矢さんは、そうした僕の考えをはっきり否定した。
「まぁ、君なりの考えで生きていくことだよ。選択の一つだと思っててくれ」
そう言って、今度は葉矢さんが作り笑いをした。
「そういえば、患者さんから頂いたお菓子があるんだ。ちょっと検査させてもらって、その後で良ければ食べてくかい?」
「えぇ、頂きます」
僕も、いつの間にか作った笑顔になっている。
二人とも、重い雰囲気なのは言うまでもなかった…。


Term.18

 僕が葉矢さんのところから帰って来たのは、日も暮れかけた六時過ぎのことだった。玄関脇のガレージに車が止まっているのを見つけて、僕は一気に落ち込んだ。
「ただい…」
そこまで言いかけたところで、僕は口を閉じてそろそろと家の中に入っていった。
母さんは台所、父さんは居間でテレビを見ている。
(音を立てずに…)
と思いながら階段をゆっくり上っていこうとしたとき、丁度階段を下りてきた真一と思わず目があった。
その場で石化して固まった僕が、慌てて人差し指を口元に持っていこうとすると、真一はその刹那、一瞬ニヤッと笑い
「お帰り姉貴っ!!」
と、家中に聞こえる声で叫んだ。
「おぉっ!帰ってきたか!」
と、まず父さんが居間から飛び出してくる。
「真一でかした!」
和浩も部屋から顔を出す。
「なになに?どんな格好してったの?」
と母さんもやってくると、僕はその場で家族の見せ物と化していた。
「すっげー…化けるもんだな」
「綺麗だぞ。母さんの若い頃そっくりだ!」
「今度お化粧も教えようか?」
と、家族中好き勝手なことを言っている。
「あ…悪夢だ…こんなの…フフフ…そうだよ…」
僕はそう言いながら、階段の手すりにつかまったままへたり込むしかなかった。
 僕が家族を振りきって部屋に駆け込み、いつものジャージに着替えて出てくると、みんな一様に残念そうな顔をした。勝手なものだ。
父さんはカメラまで用意していたと言うが、それ以上家族につき合っていたら身が持たないので、僕は適当にあしらってその後はその格好を通した。

 夕食をすませて部屋に戻っていた僕は、昼間葉矢さんが話していた事を考え直していた。
もちろん、いつかは御堂に僕のことを話すつもりでいる。これまでは漠然と、その後は学校から姿を消し、電話か何かで御堂だけと連絡が取れればいいと思っていた。
でも最近は、御堂だけに僕の正体を明かし、周囲には普通の女の子として振る舞いながらこのままの学校に残るのもいいかも知れないと思うようになっていたのも事実だ。今の身体に慣れてきたことで、それができるのだという、根拠のない自信があった。そして、徐々にそれが最善だとも思うようになっていた。
それが、今日葉矢さんにその考えを否定されたことで、僕は明確な今後の展望が分からなくなってしまった。
「分かってるよ…簡単な事じゃないんだっていうことくらい…」
困惑した僕は、ベッドに入って布団を頭からかぶる。

 僕にはもう一つ考えがあった。この前、御堂の前で僕が泣いた日にふと浮かんだ考え…。
”このまま正体を誰にも隠して、伊吹香奈として生活する”
御堂にも正体を明かさず、秘密にほころびをつくらずに、完全に自分を偽りきってしまえば、おそらく誰にも自分の正体が分かることはないだろう。
その時は、すぐにそんな考えは振り払っていたが…。


「今日の委員会で確定しました。うちのクラスは運動会のショータイムで、”結婚式”をテーマにします。詳しくはだんだん決めていきますが、男女の組に分かれてダンスをします」
翌日の放課後、実行委員の相架が運動会の概要を説明した。
「たぶん、みんなに男女一人ずつのペアになってもらうと思います。希望があったら、予めペアを申請しておいて下さい。それで競技ですが…」
(…い…いつの間に結婚式なんかがテーマになってたんだろう?)
僕は無表情で着席しながらも、内心ものすごく動揺していた。
この前クラスの主要メンバーが集まって、テーマについて話していたのを聞いたが、テーマは”食欲”だったと記憶している。
「ドレスを作るんだって。型紙を書いてたよ」
後ろから、小声になって清水岬が声をかけてきた。
「で…で、男子はタキシードだったりするの?」
僕がそう言って聞き返すと、岬は面白そうな顔をした。
「みんなどんな風になるのかねぇ?相手もいい人選ばないとね…」
そう言って、岬はふふっと笑う。
「ド…ドレスかぁ…き、着なくちゃいけないのかなぁ…」
僕が沈んだ表情になると、岬が興味深げな顔で訪ねてきた。
「前の学校ではどんなものだったの?ある意味、この学校の運動会はこれがメインだから、テーマで悪ノリするのよ」
「えっと…似たような物だった…かな?」
そう言って、一応取り繕う。
(うぅ…そうかぁ…誰とペアになるんだろ…)
周りを見回すと、目があった男子がみんな、謎の笑みを浮かべている。
そうだ…僕は女の子として、この中のどれかと花嫁のダンスをするんだ…。
そう考えると、全身の力が抜けるような思いがした。
「…で、以上が全ての競技ですが、全員一つ以上、どれかに出場して下さい」
そこで、説明が終わった。
「香奈ちゃんは何出るの?この前はスポーツ凄かったよね?」
と、岬が聞いてきた。先日体育の時にスポーツテストをやったのだが、女子の評定は驚くほど甘く、僕は簡単にA判定をもらっている。みんなは驚いていたが…。
「あんまりスポーツはしたくないんだよねぇ…。楽なのがいいなぁ」
そう言って、僕は苦笑いをした。
 運動会に向けての生徒の考え方は大分して二つに分かれる。積極的に行事に参加しようとする人、なるべく逃げに入ろうとする人。”ショータイム”と呼ばれるダンスに向けての皆の姿勢は圧倒的に前者が多いが、その他の競技には後者の方が多い。特に女子はその傾向が顕著だ。練習が朝早くからあったりするのだから、嫌がるのも無理はない。
ただ、僕が嫌がるのはそれとは理由が違う。この身体での運動は、勝手が違ってとても力の出し切れるものではないし、何より公衆の面前で自分の姿をさらすのが僕にとっては苦痛でしかない。
 その後でみんなが集まって、各々の出場競技を決めた。僕は何とか最初のじゃんけんに勝って皆の嫌がる1500M走は回避したが、その後のあっち向いてホイに負けて200M走とリレーに出ることになった。

 ダンスの男女ペアも三日間で五分の一程が決まっただけだ。初めにペアを決めた片中と広瀬という二人は、クラス中から冷やかしの嵐を受けていた。その後に岬が二番手で、戸田という男子とのペアを決めている。
彼女はそのさばさばした性格で、誰からも冷やかされることはなかった。他の組み合わせもそうしたところを観察して分析すると、とても面白い。
よく考えてみれば、なるべく早いうちにいい相手をキープしておいた方が良さそうだが、僕にそんなことは恥ずかしくて出来るはずもない。
「もう、くじ引きになっちゃうよ?香奈ちゃんなら誰でもオーケーしてくれそうなのに…」
という岬の忠告にも、僕は耳を貸さなかった。
僕が男子の方からの誘いを受けなかったのは、なにやら男子の中に僕のことで同盟が結ばれ、抜け駆けが禁止されているからだと言うよく分からない噂もあるが、とにかく、僕は誰を相手にするのかを全く決めかねている。
誰が相手でもいいと言うよりは、みんな嫌だと言うのが正しい。
「では、残った人でくじ引きをします。男女別に番号札を引いて、同じ番号の人がペア、番号なしの人が裏方です」
と、とうとうくじ引きが行われることになった。
そこで、僕がくじに番号の書かれていないことを切に願ったのは言うまでもない。
(たのむ…たのむ…たのむ…番号よ…あるな!!)
と念を込めつつくじを引いたのだが、くじには無情にも17の番号が振って合った。
「あぁ…僕は17番だ…」
肩を落とした僕の手からその番号を盗み見た男子達は、一斉に血気付く。
「17、17、17…あぁっ!」
と、番号が違った者はその場に崩れ、番号なしの者はさらに力つきていた。
…何とも不思議な光景だ。
全員がくじを引き終わったところで、ペアが次々と決められていく。
「僕は…と…十七番の人ぉー?」
と、ペアの見つかっていない男子達に訪ねていくが、相手がなかなか見つからない。
「誰かいないの?僕17番なんだけどぉ?」
しらみつぶしに聞いて回るのに、誰も悔しがるだけだ。
そうして聞いて回っているうちに、周囲におかしな雰囲気が広がっているのに気が付いた。
「え?みんな17番が誰だか知ってるの?」
僕が辺りをきょろきょろと見回すと、みんなが苦笑して目をそらすのだ。
「あれ……ま…まさ…か…?」
一瞬最悪のパターンが脳裏に浮かんだ。その考えを振り払うように恐る恐る振り返る。
「み…御堂君?な…何番?」
御堂は何も答えずに、頭を抱えている。
震える手で御堂のくじをのぞき見ると、赤い字で「17」の文字が書いてあった…。
「くじの交換は不可だよ。だから早く決めとけば良かったのに…」
と、岬が僕の肩をポンと叩いた。
「うそ…こんなの…」
僕はガックリと椅子に座り込む。その僕をクラスの女子が、御堂を他の男子が取り囲んでいる。御堂には羨望の眼差しが、僕には気遣いの言葉がかけられた。二十二分の一の確率で僕は今、一番関わりたくない相手と結婚式をやろうとしている。
心の中で、号泣していたのは言うまでもない。
「はぁー…あの…よろしく…御堂…君」
もう、声にならない声で一応御堂と挨拶をしておいた。
「あ…よろしく…」
そう答える御堂も、絶対に僕と目を合わそうとしない。お互いにすごく気まずい。
「いやいや、ものすごい組み合わせが出来たものね。これで不仲説も解消かしら?」
と、後ろで岬がのんきにはしゃいでいる。
僕は、遠のく意識の中でその声を聞いていた…。

クラスの決定というものは、ある意味憲法よりも重いところがある。
彼とのペアは、たぶん取り消し不能だろう。それはあきらめるしか無さそうだ…。
僕が御堂とペアになったことは、これまでの彼との不仲の噂から最高に話題性があったらしい。みんな大笑いして僕らのふさぎ込む様を見ていた。
(あぁ…御堂に声なんかかけられないよ…)
と、先日のことやら最近の悩みなどが、ぐるぐると頭の中でループしている。
「い…伊吹…」
僕がそうして悩んでいると、不意に後ろからその御堂に声をかけられた。そこで僕が飛び上がるほど驚いたのは言うまでもない。
「はっ…はい!!」
と、慌てふためいて御堂の方を振り向く。
「あ…あのさ…嫌かも知れないけど…決まったことだから…」
御堂はおどおどしながら話していった。顔が真っ赤になっているのが不意に目に入り、緊張している様子が容易に見て取れた。それは僕も同じなのだが…。
「その…うまくやろうな…よろしく…」
御堂から声をかけられるなんて全く予想していなかった僕は、焦ってしまってすぐに返事が思いつかなかった。
「あっ…いやっ…こちらこそ…よろしく…」
さっきもよろしくと言ったばかりなのに、またこんな事を言っているあたり、二人とも緊張が頂点に達しているのは間違いない。
「仲良くやろうね?」
と、必死で笑顔を作って僕は付け足した。
こうして笑顔を作るのが、最近やたらと上手くなったと思う。
「あのムスッとしてる御堂君がねぇ…」
事の次第を見ていた岬が、笑いながら感心した。
それを聞いて気が付いたのだが、御堂は必死で僕のエスコートをしようとしていたのではないだろうか?僕が転校してきたときとはえらい違いだ。
…そう考えると何だか嬉しいような気がしたが、それが男と女という関係上のことだと気付くと、僕は一気に傷ついた。


Term.19

 運動会の準備も、一応順調に進んでいる。来週の開会に備えて、どのクラスも最後の練習に入っている。順調でないのはただ一つ…。
「また遅れた!特に御堂のとこ!」
と、ダンス長の麻中が声を荒げた。
「ここで男が女子をパッと持ち上げるんだ!全員バラバラだぞ!」
ダンスの中盤、男子が女子を両腕で抱きかかえて結婚式の入場行進のようになるパートがある。ここだけがいつまでたっても一向に上手く行かなかった。
「女子も恥ずかしがるな!男子の首に手を回せ!」
一応みんなで決めたものだから抗議する気はないのだが、こんなダンス、恥ずかしいことこの上ない。僕なんか、人一倍恥ずかしい思いをしているのだ。
さらに相手はあの御堂だし…。
「ほら、麻中君がああ言って怒るからさ…構わないから持ち上げちゃってよ」
と、僕は少し腕を広げて御堂を誘ってみる。
「あ、その…ゴメン…じゃあ…」
御堂も意を決したように手を広げて、僕のことを抱き上げようとした。
「お…意外と…重…」
顔を真っ赤にしながら、御堂は必死で僕を抱えた姿勢を維持する。
「はいはい、重いですよ。ゴメンね」
と、少し意地悪く言ってみた。
御堂ともこうした軽い会話なら出来るようになり、僕らの関係も一見すると少しはマシになったように思える。が、
「あ…重いなんて…そんなつもりじゃ…ゴメン…」
「え…あっと、皮肉ってるんじゃなくて…ゴメン…」
と、御堂も僕も何かあるとすぐに萎縮してしまい、まともな会話は未だに出来ない。
「あーっ、じゃ、今日はここまで!各自練習すること!」
と言う号令と同時に、全員ほっとした表情で解散していった。
「ゴメン…下ろしてくれる?」
御堂がなかなか手を離そうとしないので、僕がポツリと言った。
「あっ!!ごっゴメン!ボーッとしてて!」
と、御堂は慌てふためいて僕から手を離した。
人を持ち上げながらボーッとするなんて…御堂だけの芸当だろう。
「じゃ、また明日ね。バイバイ」
と、挨拶をして御堂と別れようとした。
「おやおや、挨拶をするようになったなんて、すごい進展ね?」
と、近くでそれを聞いていた岬が僕らを冷やかしてきた。
最近岬は、何かと僕らの世話焼き係と化している。最初思っていたキャラクターから、何だか変わってきている気がする。
「岬…冷やかさなくていいから…」
と、僕は苦笑いしながら受け答えた。
「でも、昔の険悪な感じが全然無いじゃん。何かあって仲直りしたとか?」
岬はけらけらと笑う。
僕らの険悪な関係が解消された出来事といえば、思い当たるのは一つなのだが、それは暗黙のうちに僕ら二人の秘密になっている。
「はいはい、ブリックでも買って帰ろうね」
と、僕は岬の背中を押してグラウンドから出ていく。
「御堂くーん、バイバーイ!」
岬は明るく御堂に手を振った。
本当に、岬のこうした明るい性格は見習うべきところだ。
 僕と御堂の様子を見ていた他の男子の中には、危機感を抱く者がいるとかいないとか。
僕が他の男子の中で、かなり人気になっていることは最近やっと自覚するようになってきた。
 御堂は一応、僕から見てもカッコいい部類にはいると思われる。スポーツは元々万能だし、今は振るわないようだが本来は頭も良い。異性に持てる条件はかなり満たしている。
だが、僕が転校してきた日から彼とはかなり険悪な雰囲気になっていたので、彼をライバル視する者はいなかったようだ。
それが最近、僕らの関係の修復がなされ、今の間だけとはいえ、御堂と僕がペアを組んでいることが、僕と御堂のくっつく要因になるのではと噂されているらしいのだ。
全く迷惑な話である…。
一応のろけているわけではないことを言っておこう。

「私、なしウォーター。香奈ちゃんは?」
購買横の自動販売機には、ブリックの販売機だけが設置されている。缶ジュースもあって良さそうなのだが、いつも設置の話は立ち消えになる。
「僕はリンゴにしようかな…」
こんなやりとりの後、百円のブリックを二人で買って、パックにストローを通す。
「なかなか最後までうまく通せないね」
半分ほど飲んだところで、僕は岬に話しかけた。
「香奈ちゃんのとこは遠慮しちゃってるじゃない。うちは上手く行ってるよ」
岬はさらっと言い切る。
「だって、恥ずかしくない?抱きかかえられるんだよ?」
と、僕は驚いて聞いた。
「意識するからだよ。何か変なこと考えてるんじゃないの?そうじゃなきゃ信頼が足りないのよ。信頼が」
そう言われると、やっぱり僕は御堂に抱き上げられる時に、変に意識しすぎているのかも知れない。しかし、意識するなというのが無理な話ではないのか?
「信頼って…岬は戸田…君の事を信頼してるんだ?」
普段から気を付けていないと、つい昔の癖で男子のことを呼び捨てにしそうになる。
僕はきっぱりと言い切った岬に、少し意地悪そうに訪ねてみた。
「うん。信頼してるよ。戸田君頼りになるから」
これまた岬は、はっきりと言い切った。
「ずいぶんはっきりと言うね。なんかいい感じじゃん?」
と、悪ノリして僕は笑いながら言った。
それを聞いた岬は、少し黙ってブリックを飲み干した。そして突然、静かに口を開く。
「じゃあ…香奈ちゃんだから言うんだけどね…。私、最近戸田君のこといいかなっ…て、思うのよ」
少しの間神妙な面持ちになった岬だが、次の瞬間、いつものようにニカッと笑う。
岬のセリフは、僕には全く予想外のことだった。
え…え…?まさかそんな方に話が発展するのか?
「結構カッコいいの。私のことを軽々持ち上げちゃって。それに、いつも優しいのよ」
岬は笑顔で言った。
今思ったが、こういう行事は短期恋愛製造の場という話をどこかの漫画で見たことがある。しかも今度男女ペアの結婚式をするだなんて、拍車をかけているとしか思えない。
岬もその影響を受けたうちの一人なのではないか…?
「冷静になった方がいいんじゃない?ペアを組んだだけでいいと思うなんてさ?」
と、僕は嫌な予感がして岬を諫めた。
「戸田君とのペアは、私から言い出したことなのよ?」
最初の少し緊張した様子は微塵もなく、完全に岬は開き直っている。
「香奈ちゃんだって、気になる男子の一人位いるんじゃないの?」
と、やっぱり嫌な予感があたり、その質問が僕に向けられた。
気になる男…か。それは御堂だけど、まさかそういう感情ではない。
「いないよ。いや、ホントに」
出来る限り抑揚を押さえた口調で、僕は強く否定した。
「ま、香奈ちゃんはそういうことにはいつも関係なさそうな顔してるしね」
岬はまた軽く笑った。
あぁ、良かった…。
「私はちゃんと話したからね?香奈ちゃんもその時は教えてよ?」
と、岬は空いたパックを捨てながら言った。
(そんな時、永遠に来ないだろう…)
僕は内心でそう思っている。


Term.20

 父さんがわざわざ新しいビデオのバッテリーを買ってきたのは、運動会の二日前、一昨日のことだった。テープも段ボールで買ってきていた。
「…来なくてもいいよ?」
どちらかといえば来ない方がいいのだが、僕は一応”ても”といいながら家を出た。
「行かないわけ無いじゃないか。ばっちりビデオに収めてやる」
と、父さんも母さんも息巻いている。
「…開会は十時からだよ」
といって、自転車にまたがった。
「分かってるよ。九時からだな?」
父さんはさらっと流す。
「本当に葉矢さんも来るの?」
先日、父さんが電話で話していたのを聞いていた僕は、それを思い出して聞いた。
「本当だよ。お前の運動能力がみたいと言ってたが、興味本位だろうな」
父さんは笑った。
「何か見せ物みたいじゃん…」
僕は肩を落とした。
「ちゃんと体操服は持った?ドレスも持ったの?」
後ろから母さんが念を押した。
 衣装のドレスは各自で作ってくることになっていて、先週出来上がったところだ。
母さんが強引に作りたがるので、僕が作っても良かったのだが、とりあえず母さんに任せた。母さんは異様に張り切っていたように記憶している。
学校でイラストを見せてもらっていたのである程度予想はしていたのだが、その出来上がりは予想以上に…本格的なウエディングドレスだった。
「じゃ、早速着てみて。サイズも調節するから」
と母さんに言われたところで、強引に母さんが作りたがっていた理由が分かった。
と言うよりも、その後ろでビデオを構える父さんに気が付いて…か。
「いいじゃない!やっぱりジャージは捨てようかしら…?」
僕の姿を見た母さんは、不意にそう言った。
「捨てたら怒るからね?」
すかさず僕がつっこみを入れる。いや、冗談でもないのが怖い。
その翌日学校で、各々の出来上がりを確認し合った。委員長の塩沢さんの提案によって、女子だけでお披露目し、男子には当日まで極秘ということになっている。
「大丈夫だよ。全部ある」
そう言って荷物を自転車のカゴに入れると、僕は学校へ向かった。

「えー…本日は雲一つない晴天で…保護者の方には…」
「ほら、あそこに雲があるじゃん…」
お決まりの開会式があって、とうとう運動会が始まってしまった。
「一日体操服なんて、気が狂いそうだよ…」
僕は、がっくりと肩を落としていた。
「香奈ちゃん、それだけ運動できて、まさか運動会が嫌いなの?」
後ろから岬が聞いてきた。
スポーツが出来るのと、運動会が好きなのに相関性があるのだろうか?
何気にスポーツが得意な岬には当てはまっていそうだが、僕は決してそんなことはない。
あ、去年は浮き浮きして運動会をやってたんだった…。関係ありだろうか?
「実は逃げたい組かも…」
と、僕は笑って答えた。
「ダメダメ、香奈ちゃんの力に優勝がかかってるのよ?」
岬はそう言って笑う。
「徒競走とリレーだけでそんなことは無いけど、まぁ…やることはやるよ」
と、苦笑いをする。
「百メートル徒競走男子に出場の生徒は入場門前に、女子は退場門前に集まって下さい」
と言うアナウンスが入り、とうとう競技が始まってしまった。
「じゃ、二百メートルの香奈ちゃんもアップしとかないとね」
岬はそう言うと、応援席に走っていった。

 意外とじゃんけんの強いという御堂は、百メートル走出場枠を獲得している。最終競技の騎馬戦には、クラス全員の推薦により強制的に出されることになったが…。
「御堂くーん!頑張ってー!!」
「御堂!楽勝!!」
口々に声援が飛び交う中、御堂の出走する番になった。
御堂は未だに部活に復帰していない上、現役バリバリの陸上部が隣のコースにいる。
それに気が付いて、僕は一抹の不安を覚えた。
「頑張れー!」
周囲の応援に混じって、僕も声援を送る。
「ヨーイ……パーン!!」
合図と同時に、全員が一気に走り出す。その次の瞬間、僕はレースに目を奪われていた。
「…速いっ!」
いや、速いなんて物じゃない。その組だけ、明らかにレベルが違っていた。
「全然速いじゃん!御堂…は?」
僕は自分のクラスの水色のゼッケンを懸命に探した。
(いた!!)
御堂はなんと、その組にあって二番手に付けている。
「頑張れ!勝てー!!」
僕まで必死になって応援する。
(抜けっ抜けっ…あれ、あれれ?)
ゴール地点の十メートルほど手前から、御堂の姿は他のギャラリーに紛れて見えなくなってしまった。いいところなのに!これでは結果が見えない!
「いえーぃ!!」
と、観客席の各地から喜びの声が上がる。
「みどーう!よくやった!!」
うちのクラスからも声が上がったのだが、これでは一番か二番か分からない。
「えっ…えっ?勝ったの?」
僕はおろおろしながら周りに聞いた。
「よくわかんなかった。直接聞いたら?」
台の上で見ていたはずの岬も、最後は接戦で良く分からなかったらしく、御堂の勝敗は不明だという。
「ご苦労さん!」
と言う声に振り返ると、うっすら汗をかいた御堂が応援席に戻ってきていた。
「どうだったんだ?よく見えんかった」
と言うクラスメイトの質問に、御堂は親指を立てて笑った。
「おぉっ勝ったのか!!でかした!」
クラスメイトが御堂を取り囲む。
「あの組でよく勝てたな。隣にいたの陸上部のエースだろ?」
「応援してたからね。かっこよかったよ!」
「やっぱり部活に戻ってくれぇ!」
という口々の周囲の言葉に、御堂は手を振って答えた。
「見てたよ。すごかった」
僕もその流れに乗って、御堂に賛辞の言葉をかけた。
「えっ…さっ…サンキュー…」
不意に御堂は、顔を赤くして僕から目をそらした。
え…はぁ?何なんだよ、この反応は…。
「二百メートル走女子に出場の生徒は、早く入場門に集まって下さい」
その疑問を追求する暇もなく、召集のアナウンスに僕はその場を離れるしかなかった。

「伊吹さん…でしょ?この前スポテですごかった人ってあなたよね?」
走る順番を待っている間、僕は隣の女の子から質問を受けた。
「すごくはないんですけど…えぇ、僕がそうです」
僕は愛想笑いをしながら答えた。
「ホントに僕って言うのね?噂は聞いてるわよ?」
その子は、僕の答えに笑った。
「えっ?やっぱり変ですか?」
最近、おかしいかも知れないと思い始めていた僕は、不安になって聞き返した。
「ううん、噂通り可愛い子だなって思って」
そう言って、再び軽く笑う。
「見かけに寄らずスポーツ万能って羨ましいわぁ。私なんか走るの苦手だから…」
「別に勝ち負けにこだわらなくたっていいんじゃないですか?」
僕がそう言うと、その子は首を振った。
「それは余裕の人のセリフよ?ねー、ゆっくり走ってよ?」
「うー…ん、オッケー」
と、一応応じておいた。このやり取り、すごく定番な気がするが…。
「第三走者、準備してくださーい!」
という声に、僕は立ち上がってコースに入っていく。
応援席からは声援の声が聞こえていた。

 葉矢さんは、僕の筋力も女性並に落ち込んでいると以前言っていたはずだが、それでも僕は、女子の中でも余裕でスポーツの出来る部類に入っている。
そんなわけで、徒競走も余裕で一等賞を取った。
「やっぱり速いねー。50メートル7秒で走るんだっけ?」
応援席に戻った僕を、岬が感心しながら迎えた。
「いやいや、ぜんぜんだよ」
と謙遜するが、とらえ方によってはイヤミにも聞こえてしまったかも知れない。
「これで僕の午前の部は終了だね。岬は障害走に出るんでしょ?応援してるから」
そう言って岬と別れた。
 運動会や学校祭の時など、特別な行事の日には購買に特別メニューが並ぶ。アイスや缶ジュースなど、競技の合間に食べるのはとても美味しい物だ。
「おばちゃん、ミルクアイス!」
購買のおばちゃんとは転校した日に知り合いになり、たまにおまけしてもらっている。以前も顔は知っていたが、仲良くなったのは最近だ。
「伊吹ちゃん、速かったじゃない。ご苦労様」
おばちゃんはお客さんをさばく手を一時休めて、僕にねぎらいの言葉をかけてくれた。
「ありがとうございます。僕、リレーにも出ますから」
そう言って僕は笑った。
「じゃ、おばちゃんからお駄賃あげる。そのアイスはおごりね」
おばちゃんは、そう言ってアイスを手渡してくれた。
「えぇっ、悪いですよ。いつもおまけしてもらってるし…」
「いいのいいの、ダンスも頑張ってね」
と、おばちゃんも笑う。
「じゃぁ…大変そうですからしばらく手伝います。ここから観戦させて下さい」
そう言って、僕はカウンターの中に入っていった。
「じゃ、悪いけどお願いするわ。今がかきいれ時だから」
そう言っておばちゃんは僕を招き入れた。
 実は購買からはグラウンドが一望できて、格好の応援席でもある。
僕は次々にやってくるお客の注文に応えながら、競技の観戦をしていた。
岬も、なかなか余裕で一等をとっている。
「すいませーん。これお願いします」
「はいはい、サンドイッチにおにぎりに…キティちゃんのジュースは20円高いですよ?」
そのお客さんの差し出した商品を見て値段を計算した僕は、その人の白い袖にハッと思い、次の瞬間顔を上げるとそれが葉矢さんだという事に気が付いた。
「よっ葉矢さん!?」
驚いて僕が一歩引くと、葉矢さんも同様に驚いた顔をする。
「香奈君じゃないか。売り子をしてるなんて驚いたな」
そういいながらも、葉矢さんは笑顔になっている。
「葉矢さん…僕をからかいに来たんですか?」
ムスッと僕が答えると、葉矢さんは笑ってそれを否定した。
「いやいや…君の日常生活が支障無く行われてるか、確認したくてね」
…明らかに嘘だ。興味本位なのがまるわかりだ。
「葉矢さん…私服も白衣なんですか?」
いつもは病院なので当たり前と思っていたのだが、葉矢さんが外でも白衣なのには驚いた。
「ま、いつもというわけじゃないけど、今日は夜勤明けですっ飛んできたんだ」
表情からは夜勤明けなどという雰囲気は微塵もなく、すがすがしいまでの顔をしている。
「走るの見てたよ?やっぱり速いねぇ」
葉矢さんはまた笑った。
「ありがとうございます。580円です」
僕がそう言うと、葉矢さんは1080円を出した。
「遅い朝食だよ。そういや、他にも出るの?」
差し出したお釣りを受け取りながら、葉矢さんは僕に尋ねた。
「いえ、あれだけです」
葉矢さんにこの後のダンスは見せられない…。
そう思った僕は、とっさに嘘を付いた。
「そうかい。じゃあ昼間のうちは用事もないし、もうちょっとだけ観覧してくよ」
葉矢さんはそう言いながら去っていった。
バレている…。

「さっ、着替えるから体育館に集まって!」
午前の競技が終わり、各クラスが次々と準備していく。
どのクラスも、バナナや闘牛士や、ウェイトレス、シェフなど、様々なテーマの衣装を着て準備している。
「頭はこのピンで止めて…みんな、お互いに変じゃないか確認してね!」
といった注意の中、僕は三回目に着るドレスに腕を通していた。
「みんな!幸せそうな顔をするのよ!」
と、全員かなり熱が入っている。
僕だけはこの白いドレスにかなり動揺していて、そんな注意に耳を傾ける余裕はない。
「男子が来るよ!まだ見られちゃまずい人はいないね!?」
そう言うと同時に、タキシードを身につけた男子がぞろぞろと体育館に入ってきた。
「おぉっ…眩しい!」
「壮観…」
と、男子が口々に噂する。
「じゃ、最後の総仕上げするぞ!時間無いからフィナーレだけ!」
そう言う麻中のかけ声で、クラスが体形を整えた。
「御堂君、似合ってるよ」
タキシードをビシッと決めた御堂に、僕は少しからかうように言ってみた。
「い…伊吹も…似合って…」
御堂は何かモジモジしていて口調がこもっている。
「へへへ…照れないでいいから」
僕は少し照れ笑いをしながら、御堂につっこみを入れた。
他の女の子達もかなりふだんと雰囲気が違っているのだから、御堂から見ればその女の子の一人でしかない僕も、そんな風に見えると言うことなのだろう。
相変わらず傷つくのだが、とりあえず自分を納得させた。
「じゃ、今日はよろしくお願いします」
僕はかしこまって、ぺこりと頭を下げた。

(初めてあったその日から、恋の花咲くこともある…泣いて泣かれて…泣かれて飲んで…)
グラウンド中にアナウンスが響く。いったい、こんな出ばやしを誰が考えたのだろう?
グラウンド脇で控えながら僕は、ただ首をかしげるのみだ。
「いい、今までの練習を忘れないでね?」
と、みんな最後の確認をする。
「いくよっ!!」
「オッケー!!」
と言うかけ声で、全員グラウンドの中に走っていった。
 ダンスは、グラウンドの両脇から男子と女子が別れて入って行き、踊りながら接近して真ん中でペアが交わる。そして例の入場行進のパートがあって…
「伊吹、行くぞ」
御堂が両手を広げて片膝をついた。
「いい?ちゃんと持ってよ?」
僕はそう言って、御堂に体重を預ける。
「よっ!」
僕が姿勢を整えたのを確認した御堂は、何も表情を変えずに軽々と僕を持ち上げた。
(おぉ…さすが…)
内心、僕は御堂に感心した。
「いい?笑えよ?」
と、周囲から小さな声が上がる。
「パーンパ、パ、パンパンパン…」
入場のテーマがかかり、みんな一列になって行進していく。
「だ、大丈夫?重くない?」
言われたとおりに満面の笑顔を作りながらも、僕は不安になって御堂に尋ねた。
「おぉ…全然平気…」
御堂も口元だけ笑いながら、小声でつぶやく。
いつもムスッとした御堂の顔が、不自然に口元だけ変わっているのがとてもおかしかった。
 人一人を抱えながらグラウンドを歩き回った上クルクル回るなんて、とても今の僕に出来ることではない。以前の身体の感覚も最近薄れかかっていて、少し見当が付かなかった。
「ありがと、大丈夫だった?」
さすがに顔が赤くなっていた御堂を気遣い、僕は声をかけた。
他の組など、歩いている途中で力つきて、相手を落とすところが半分以上なのだ。その点、御堂はやっぱりたくましかった。
「平気だよ…それじゃ」
フィナーレの体形になる直前なので、軽く言葉を交わして僕と御堂は別れた。
 ダンスは、入場行進のパートを過ぎると楽なところが続く。練習中に男子が悲鳴を上げて、変更が為されたためだ。
女子はその男子に抱きかかえられているだけなので、全般通して楽と言えば楽だ。
少し中学生の頃の組体操が頭に浮かんだ。
「おわったー!!」
その後は全般通しておおむね成功に終わったダンスに、観客席に戻ったクラスから喜びの声が上がる。
「じゃ、記念写真撮ろう!鈴木せーんせ、撮って!」
と言うかけ声と同時に、女子が一斉にカメラを取り出した。鈴木先生には、たちまち両手いっぱいのカメラが渡されていく。
「お前ら、焼き増しって知ってるか?」
そう言って、先生は苦笑いをした。
こういう時にカメラを取り出すのは、女子の方が絶対多い気がする。何となくそう思うのだが、実際どうなのだろう?
「岬、出来たら焼き増しして?」
僕は、近くにいた岬に焼き増しを頼んだ。

 記念撮影も終わり、着替えも終えて、午後の部が始まった。
僕はコーラを飲みながら、それをぼぉーっと眺めていた。
「見てたぞ、やっぱり綺麗だなぁ!」
後ろから声をかけてきたのは、父さんに母さん…弟達…。
「…こんな所で声かけないでよ。知ってる人が見たら怪しむでしょうが」
この人達は社会的には”狭山秀敏”の両親であって、”伊吹香奈”の両親ではない。人に尋ねられたら、葉矢さんが保護者だと答えなくてはならない。
「まあまあ、ちょっとくらいなら許してやれよ」
と言いながら近寄ってきたのは、白衣を脱いだその葉矢さんだった。
「葉矢さんまで…注意を促してたのは誰でしたっけ?」
僕は少しあきれながら言った。
「姉貴もいい顔するようになったなぁ」
と、真一が我関せずと言った顔で割って入った。
「結局みんなでからかってるだけじゃぁ…」
肩を落として言いかけたところで、僕は不意に後ろから声をかけられた。
「香奈ちゃん、その人達は家族?」
それは岬だった。笑いながら近づいてくる。
「えっ…いや、僕がお世話になってる人で…」
「狭山葉矢です」
葉矢さんは笑顔でお辞儀をした。
「狭山…秀敏君…あ、前に退学した人のことね、その人と同じ名字よね?」
岬が一瞬不思議そうな顔をした。
「ほらっ、偶然でしょ?偶然…」
僕はそう言いながら、葉矢さんの足をふんずける。
「で、そちらは?」
岬がその後ろの弟達を見ながら聞いてきた。
「伊吹真一です」
「伊吹和浩です」
弟達が挨拶した。面白がって名字を合わせている…。
「あぁ!香奈ちゃんの弟さん!?で…あれ、そちらは前にお会いしてませんか?」
岬は僕の両親の方を見て怪訝そうな顔をした。
「秀敏がお世話になっておりました」
母さんが妙に神妙な面持ちになって、岬にお辞儀する。
「えっ…あぁ、秀敏君のご両親ですか」
岬もあたふたしながらお辞儀をした。
「あの…秀敏君の方はどうですか?」
岬もまじめな顔で聞き返す。
それを横で聞いていた僕も、心中穏やかではない。
「えぇ、進展はありませんが、一応落ち着いてます」
いつも御堂にしているような説明を、母さんも岬にする。
「今日は思うところあって、運動会を見せてもらいに来ました。頑張って下さいね?」
母さんはそう言って、再び会釈をする。
「えっ、いえ…ゆっくりしていって下さいね」
岬は一応の笑顔を作って、こちらも会釈をして去っていった。
「なんか…思いっきり怪しまれてない?」
僕は思わず母さんのことをにらんでいた。
「大丈夫でしょ。あの子が岬ちゃんね?」
母さんはあっけらかんとしている。これが御堂だったら…僕はすごく嫌な予感がした。
「じゃ、御堂に見つからないうちに…」
そう言って、僕は家族から離れた。
(御堂…その辺にいないよね…?)
きょろきょろと周りを見回してみるが、他の人が多すぎて、いるのかどうかは分からない。
ま、心配しすぎと言えばしすぎだ。僕は心を落ち着けながら観客席に戻った。
これが後で、ものすごい後悔を生むことになるなど、僕は知る由もなかった。


Term.21

 リレーはスタートで出遅れたものの、僕がなんとか三人抜きを果たし、一時はトップに躍り出たのだが、その後のアンカーで二人に抜かれて三位に終わった。
「香奈ちゃん、陸上部に入ったら?」
岬が、委員長で陸上部の塩沢さんと共に僕を誘ってきた。
「いやぁ…僕なんかが入っても…」
そう言って僕は愛想笑いをした。
「春まで練習すれば、かなりいい線いけると思うんだけど…あ、ゴメン」
そこまでいって、塩沢さんが口ごもる
「そっかぁ…香奈ちゃんは後一月で転校しちゃうんだ…最近忘れちゃうよぉ」
岬がそう言いながら僕の肩を組んできた。
「ゴメンね、何かせっかく仲良くなったのに…残念だね」
僕は本心でそう言っていた。
「何で転校しちゃうの?どうせ今も下宿してるんでしょ?」
そう言う岬の口調は、どこか強引な節があった。
「それは聞かないでよ。うちにも都合があるんだから…」
そう言って、僕はいいわけをした。
「次は最後のプログラム、騎馬戦です」
そのアナウンスに助けられた形で、僕らは会話を切り上げて、クラスの応援に向かった。

「とれよー!!」
「死んでも崩れるな!!」
「下!蹴飛ばせ!!」
と、みんな思い思いに勝手な声援を送っている。
この騎馬戦は小学生がするようなのとは訳が違う。毎年あまりの白熱ぶりにけが人続出で、つねに廃止が討論されている危険な競技なのだ。
「気を付けてー!!」
僕はそれを気遣って声援を送った。御堂は馬の上に乗っている。
「それでは所定の位置に集まって下さい。ラフプレーは厳禁です」
そういう審判の注意があって、とうとう騎馬戦が始まった。
「いっけー!!」
「御堂!後ろに一組がいるぞ!!」
という声援が入り交じる中、御堂は敵をうまく交わしながら器用にハチマキをかすめ取る。
「すごいすごい!あっ、六組もねらってるよ!」
僕はそれに興奮しながら応援の声に合わせた。
六組はこれまでの練習でも、今日の成績でも、うちと競っているライバル的存在なのだ。
「いけっ!御堂!一騎打ちだ!!」
いつの間にか、うちとその六組だけが残っていて、一騎打ちの状態になっていた。
お互いに隙をねらって動こうとしない。
「あと二分です」
審判が制限時間を告げた次の瞬間、六組が御堂達に向かって一気に間合いを詰めた。
「動いた!!」
観客の声援にも一気に熱が入る。
「取られるな!かわせかわせ!!」
そうして組み合っているうちに、とうとう御堂が相手のハチマキをつかんだ。
「おーし!取れ!!」
クラスメイトが総立ちになって声援を送る。誰もが勝利を確信した。
(いけるっ、御堂、勝て!)
僕も、必死で御堂を応援していた。
相手は片手で取られないように必死でガードしながら、もう片手で御堂のハチマキを取ろうと手を伸ばす。
「一気に攻め…あっ!!」
クラスの間で叫び声が上がった。その次の瞬間、御堂はグラウンドに背中から落ちていた。
「六組!!きたねぇぞ!!」
下の馬と、観客席から走っていった数名の男子が審判に抗議する。
「えぇー、ただいまの試合、六組の反則により失格とします」
審判が、その場で六組の失格を言い渡した。
「あいつら、下で馬を蹴りやがった!」
観客席で残りの男子が興奮した口調で叫んだ。
(えぇ!!御堂大丈夫かな…)
僕は心配になってグラウンドの御堂の方を見た。
御堂は倒れたまま起きあがろうとしないが、笑って手を振っている。しかし、大事をとって御堂は担架で運ばれていった。
「あぁ…ひとまず安心だね」
僕は隣の岬にホッとして言った。
「香奈ちゃん、健気に心配してたの?」
岬はニヤニヤしながら僕の方に意地悪な視線を投げかけている。
「そっ…そんなんじゃないよ!」
僕は、逃げるようにその場を離れた。

 騎馬戦が決定打となって、運動会は見事にうちのクラスが優勝した。個別成績でダンスは残念ながら三位に終わったが、衣装について審査員特別賞をもらった。
その後、徒競走で一位になった者同士の走るエキシビジョンマッチが行われた。
御堂は保健室に運び込まれて出場しなかったが、僕は出場して一位になり、女子チャンピオンとして記念のTシャツをもらった。
「みんな、よくやった!俺からのおごりだ!」
閉会式の終わった後、鈴木先生がブリックを段ボールで買ってきてみんなに振る舞った。
「けが人一名は残念な結果だが、今日のところは優勝を喜んで欲しい!」
空いた御堂の席をちらりと見て言いながら、先生は運動会終了後のしおりを分けた。
「じゃ、今日は疲れてるだろうからこれで解散!いいか、打ち上げなんかやるなよ!!」
こうした行事が終わった後、どのクラスも打ち上げを秘密裏にやるのが慣例となっているのだが、お酒が入ることが多く、学校側もかなり厳しく禁止の徹底に勤めている。
去年など、あるクラスの半数が停学処分を受ける異例の処置が取られたばかりだ。
(じゃ、この後相架君の家に集合ね)
と、言ってるそばから打ち上げの打ち合わせが行われている。
「おっ、御堂に誰かブリック届けてくれ!」
鈴木先生が、気付いたように叫んだ。
「伊吹さんがいいと思いまーす!」
女子の誰かが声を上げた。
「じゃ、保健室までデリバリーを頼む。荷物も持ってってやってくれ!」
鈴木先生は、そう言って僕の机に御堂の分のブリックと、鞄を置いていった。
「何で僕が!?」
僕は必死になってそう抗議した。
「そんなに嫌うな、いいシチュエーションだろうが。お、高校生だってこと忘れるな?」
そう言って、お得意の笑えない冗談を飛ばす。
「だれ!?今僕を推薦したのは!?」
そう叫んで周りを見回すと、みんな目をそらして笑いをこらえている。
「まさか…クラスの総意…ですか?」
僕はがっかりと肩を落とした。
 僕と御堂が関係を修復したというのは、少し前から噂になり始めている。そこまでは、まぁいいとして、噂には尾ひれが付くと言うことを忘れていたのは僕の誤算だった。
一部ではとうとう僕と御堂がくっついたという噂までが囁かれるようになっていたのだ。
今それを確信した。
男子がそれに反発しないのも、ある理由から納得がいく。
最近になって、何とかという男子の同盟は解消されたと聞く。詰まるところ、相手がいれば男子も騒ぎ出さないのだ。
なんと分かりやすいクラスだろう…。

「御堂君、ご機嫌いかがですか?」
僕がひょうひょうとした様子を装って保健室に入っていくと、御堂は上半身裸で、包帯を巻いてベッドに座っていた。
「伊吹…何か用?」
御堂は平然とした様子だ。
「いや、鈴っちゃんのお使いで…」
そう言って、持ってきたブリックと御堂の荷物を差し出す。
「サンキュー、荷物はその辺に置いといて」
御堂はそう言うと、笑いながら僕の方に手を伸ばしてブリックを要求した。
「今日はありがとう」
僕もそれにつられて、御堂の方に笑いかける。
「ダンスは三位だったけど、うちらのペアは上手く行ったじゃん」
そう言って、僕は御堂に手を差し出した。
「…おう…俺なんかで嫌じゃなかったか?」
ぶきっちょうな顔をしながら、御堂も手を差し出す。
僕と御堂は、握手をして手を振った。
「男の子に抱きかかえられるなんて、相手が誰でも嫌だよ」
僕はそう言うと、皮肉って笑った。
「なんか…ずっと伊吹も俺のこと避けてると思ってた…」
不意に、御堂は表情を変えてつぶやいた。
「えっ?そりゃ御堂クンの方でしょうが」
僕は照れ隠しをしながらそう言って、ヘヘへッっと笑った。
「だって、僕が転校してきてから、ずっと口もきいてくれなかったじゃん」
そういうと、御堂は顔をそらして口ごもった。
「…何か伊吹って、毎日だんだん性格が変化してる気がするな…」
顔をそらしたまま、御堂はポツリとつぶやく。
…それは、僕が今の身体に段々と慣れてきているせいだ。自分でも、最初に伊吹香奈としてこの学校にやってきた時との変容ぶりに驚くことがある。
「こんな事言うと怒るかも知れないけど…俺…最初はお前のことが狭山に似てるなっ…て」
そこまで言うと、御堂は黙り込んでしまった。
「狭山君って、御堂君の親友って人だよね?」
僕は、わざとよそよそしく聞いてみる。
「ああ…実は、最初はお前のことが嫌な奴だって…思ってた。本当に…悪いと思ってる」
御堂は、ポツリポツリと一言ずつ、ゆっくりと言葉を発していく。
「狭山が何か、お前にかき消される感じがして…本当に馬鹿だろ?」
御堂はうつむいたまま、軽く微笑んだ。
「ううん…そんなこと無いよ。それだけ思われてる狭山君が羨ましいな…」
それは、今の僕の昔に対する思いでもあった。
「前にも言ったけど、彼はきっと幸せなんだよ。きっと、君の側にいたいと思ってるよ」
そう言って、また僕は笑った。
「こうして御堂君と話せるなんてね、全然思ってなかったや」
僕は顔を上げた御堂と顔を見合わせて、笑い合った。
「でも…伊吹なぁ、ちょっと着替えたいんで出ててくれるか?」
自分が上半身裸であることに気付いた御堂は、意地悪っぽく言った。
「えっあっ…ごめん、ゆっくり着替えててよ」
別に着替えなど恥ずかしくもないのだが、僕はそう言って保健室の扉を開けた。
「あ、この後相架君のうちね。来るでしょ?」
「あぁ、伊吹もこいよ」
御堂はブリックのストローをくわえながら言った。
こんなに御堂と仲良くなれるなんてな…僕はそれが意外であると同時に、嬉しかった。
「なぁ…今日伊吹が…」
突然御堂が、口調を変えて強い感じで言った。
「なに?」
「いや…何でもない。気にしないでくれ…」
何か決意したような表情だったのに、御堂は最後まで聞いてくることはなかった。
それがとても気になった。そして、何か嫌な予感がした…。


Term.22

「我がクラスの優勝を祝って、かんぱーい!!」
相架の乾杯の音頭で、参加者がジュースの缶を傾ける。
「前菜はジュースでしょ。うちら高校生だし」
そういう部屋の片隅には、先ほど酒屋から運び込まれたビールなどが積まれている。
準備のいい、私服持参の連中で先ほどジュースと一緒に買いに行った物だ。
「そして、伊吹香奈さんの歓迎会も兼ねます!」
清水岬が、相架の声に続けた。
参加者は約二十人、参加予定でまだ到着していない者は後五名。
「じゃ、高校生だという事は忘れないで…」
その酒の山を見ながら、伊吹は重い口調で制止した。
 運動会の準備の間には、少なからずストレスもたまる。その憂さを晴らすような宴会の場は、否が応にも盛り上がるものである。
時間が経つに連れ…
「ほら、一気!一気!」
と、いつの間にやら酒盛りの始まるところも出てくる。
まぁ、一応羽目を外さないようにわきまえてはいるつもりらしいのだ。それが出来ないと、どこぞの様に公に問題になることとなる。
「香奈ちゃんもつき合いがいいねぇ。女の子はこう言うところは結構避けるもんなんだよ?それに、昼間の叔父さんも物わかりがいいのね」
と、自分のことを棚に上げた清水が伊吹のことを抱き込む。
「僕は…とりあえず、来ないとダメかなぁ…って…」
そう言って、伊吹はオレンジジュースを口に運ぶ。
「おっ、今日の最大の功労者が来たぞ!!」
そう言う歓迎と共に、御堂がのそのそと入ってきた。
「よっ!負傷兵!!」
そう言う声に苦笑いで答えながら、御堂は自分の座る場所を探した。
「御堂、一緒に飲もうぜ!」
一気飲み大会を開いていた数名の男子が御堂を誘う。
「ダメダメ、初めからお酒は不健全です!」
そう言って、また清水が横やりを入れた。初めでなければ健全というわけでも無かろうに…。
「御堂君、健全な香奈ちゃんのとこで飲みなさい!空いてるから!」
そういって、清水が空いた座布団を叩いた。
御堂は首を振ってそれを断る。
「なんだなんだ?御堂は香奈ちゃんの誘いを断るのか!?」
と、すっかり出来上がった男子が御堂を羽交い締めにした。
「罰だ!飲ませ飲ませ!」
そう言う号令で、たちまち御堂にワインがあてがわれる。
「ちょっと…御堂君がおぼれてる!」
制止する伊吹。
「今日の功労者二号だ!伊吹にも飲ませ!女子!」
悪ノリした男子が、伊吹にもビールを勧めた。
「無理矢理飲ませるなんて最低ね!香奈ちゃん、断っちゃいなよ」
女性陣が伊吹を取り囲み、守備体制を整えた。
「あの…少しだけなら…」
その対立の構図を打ち破るように、伊吹が遠慮深げに手を挙げた。
「おしっ良く分かってる!伊吹、一気行け!」
そう言ってビールの缶を伊吹に手渡す。
「じゃ、御堂も同時だ!」
と、御堂が伊吹の横に押し出された。
御堂は不意に伊吹とのツーショットになったことに、思わず口をつぐむ。
「それ一気!一気…」
ギャラリーがそう言うか言わないかの瞬間だった。
苦笑いをしながら缶を口に運んだ伊吹は次の瞬間、その表情を貼り付かせたまま真後ろにバタッと倒れた。
「だだだ…大丈夫!!?」
焦った周りの人間が、伊吹を抱き起こした。
「は…はひ…大丈…夫…ですぅ…」
と、顔を真っ赤にして答える伊吹。
「香奈ちゃん…お酒が超弱かったのね…」
そう言う清水は、苦笑いしたまま表情を貼り付かせている。
「呆れてないで、誰か布団の用意くらいしてあったんだろ!?みんなで運ぶんだよ!」
ハッとした御堂が号令をかけた。
「構わはいで…くださーい…すぐ…治りますからぁ…へへへぇ」
と、伊吹はすっかり出来上がった笑い声をあげる。
「こりゃ、完全に脱落だな…男子、みんなで持ち上げるぞ!御堂、頭持て」
数名の男子に担がれて、伊吹は隣の寝室に運び込まれていった。
「誰か、香奈ちゃんの家の電話番号知らない!?」
それを見送った清水が叫ぶ。
「あ、クラス名簿があるよ!」
委員長の塩沢が名簿を取り出した。
「電話で帰りが遅くなるって言って!香奈ちゃんがダメなら、私が後で付き添ってくから」
岬が大声で叫んだ。

「へへへぇ…目が…回りますぅ…」
布団に寝かされた伊吹は周囲の心配する様子をよそに、上機嫌な笑い声をあげている。
「酔ってるとはいえ、伊吹ってすごい雰囲気が変わるな…」
伊吹を運んだ男子の一人が、苦笑しながらつぶやいた。
「これが彼女の本性とか…?」
見ては行けない物を見てしまったような言い方で、別の人間が付け足す。
「誰か、伊吹ちゃんを見ててやんないとな…」
相変わらずへらへらと笑っている伊吹を横目に、誰かが腕を組んで言った。
「仕方ない。ここは涙をのんで御堂に任そう。今日は宴会も解散するから、片づけるまで見ててやってくれ」
何かと先導を取る相架が、御堂の肩をポンと叩いた。
「お前ら…何か勘違いしてないか?」
その手を振り払った御堂が、周りを見回しながら強い口調で言った。
「別に伊吹とどうなってるって事も無いんだぞ!?」
御堂が他の面々に詰め寄る。
「で…でも…好きか嫌いかで言ったら…好きなんだろ?」
詰め寄られて焦り笑いをしながら、その内の一人が御堂に質問した。
「バカ、んなことないよ。お前らと一緒にすんな」
御堂は即答する。それをニヤニヤしながら見つめる面々。
「御堂、俺には彼女がいるの。香奈ちゃんにうつつを抜かしていた幼い日とはサヨナラさ」
と、”最近彼女が出来た組”の彼は、隣の居間を見ながら余裕の笑いをした。
「香奈ちゃんは、悔しいけど御堂にだけは特別な顔をするからなぁ…もしかするかもよ?」
相架が御堂の後ろで倒れ込んでいる伊吹を見ながら、冷やかすように言った。
「そうれーす…もしかします…よぉ…」
突然伊吹が寝言を言った。
「…聞いてた…のか?」
てっきり伊吹が眠っていると思っていた一同は、一瞬引く。
「とにかく…これで決まりだな」
相架達面々は、そう言い残して去っていった。
「ちょっと待てぇ!」
それを追う御堂だったが、あきらめたようにその場に立ちつくす。
「待ってよぉ…御堂くーん…」
伊吹は人事のように笑い続けていた。


「伊吹って…」
思い切ったように口を開く御堂だが、次の瞬間、首を振りつつ口をつぐむ。
「なぁにーい…御堂くぅーん?」
これが理由だ。
隣の部屋からはずっと、宴会の片付けをする音と、誰かの帰る音と、数名が残った酒で宴会を続行している音がし続けている。
「ったく…何してろって言うんだよ…」
そう言って、隣の伊吹に再び目をやる。
「へへへ…することないねーぇ」
と、伊吹の顔は眠っているのだが、意識があるように返事をしている。
「意識のない時にこそ、その人の性格が表れるっていうんだけどなぁ…」
(ちなみにこの話は、某お金持ちのおぼっちゃま漫画で語られていたものである)
「これが女の子の寝姿…か?」
だらしなく布団に寝そべる伊吹の姿は、御堂にそんな感情すら起こさせている。
「結局聞きそびれたな…」
御堂はため息を付いた。
「今日伊吹が一緒にいたの…あれは狭山の親父さんだったよな…それに病院の…」
家に行ったことはなくても、御堂は部活がらみで狭山家の人々に会ったことはある。今日運動会で伊吹が親しげに話していたのは、紛れもなくその家族、そして病院でいつも会っていた秀敏の主治医…秀敏の叔父だと聞いている。
「な、どうなんだよ?」
御堂は、冗談混じりに聞いてみた。
「ほえ?あれは、叔父さんだよぉ…」
伊吹は、寝言でそうつぶやいた。
「おっ、叔父さんっつっても、色々あるだろ?血がつながってるとか」
予想外の返事に、御堂は焦りながら訪ねる。
「僕がお世話になっててぇ…」
伊吹は、そう言って寝返りを打った。
「それって…!」
御堂がそこまで言いかけたところで、伊吹の服から携帯電話の着信音がなった。
「いっ、伊吹!電話!」
突然の音に、慌てた御堂が叫んだ。
「電話ぁ?鳴ってるねぇ…」
そう言って、再び寝返りを打つ伊吹。
と、その拍子に伊吹の服のポケットから携帯電話がこぼれ落ちた。
「おいっ…お…まさか…出るわけにもいかないよなぁ…」
と、御堂はその扱いに困った。と、ディスプレイに着信相手の表示が見えた。
「着信:父 携帯」
それを見た御堂は、一瞬ハッとする。
「もしかして!…伊吹、ゴメン!」
そう叫んで、携帯電話のボタンを押した。
「…もしもし…もしもし!?香奈じゃないのか!?」
電話の相手は、落ち着かない様子で叫んでいる。
「こっちから迎えに行くから、どこなんだ!?」
御堂は、意を決したように口を開いた。
「あの…伊吹さんの…お父さんですか?」
電話口の相手はその声に気付いた様子で、一瞬声を止めた。
「…そうだ、君は誰だい?」
それまでの口調をゆるめて、静かに話す。
「…ぼ…僕、御堂と言います。今、伊吹さんは出られなくて…それで…」
一言ずつ、言葉を選ぶように御堂は話していった。
「あ…そうか。今、香奈はそこにいるのか?」
名乗られて、相手は少し動揺した様子を見せた。
「ええ、でも…」
横で寝入っている伊吹の姿を見ながら、御堂は困惑した。
「いや、香奈から電話で聞いてる。宴会で遅くなるからと言っていた…酒のことをどうこう学校に言うつもりもない」
御堂が考えていることを、相手は先に言った。
「それよりも、香奈のことが心配なんだ。今から迎えをやるから、場所を教えてくれ」
御堂が気付くことはなかったが、”迎えに行く”というのを”迎えをやる”に変えている。
「あの…あなたは…その…以前にお会いしてませんか?」
御堂が、意を決したように訪ねた。
「……それを聞いて、どうだと言うんだ?」
相手は、それを回避しようとする。
「僕の…親友の…あの、今日学校に居ましたよね?」
御堂は、思わず早口になっていた。
「…それに答える必要はない。いずれ、香奈本人に聞けばいい」
と、強い口調で無下に遮る。
御堂にはこの時、ある一つの思いが確証に変わり始めていた。
最近、それをようやく否定するようになっていたのだが…。
「分かりました…ここは……です」
と、それ以上は追求せず、今の大まかな場所を告げる。
「分かった、なるべく早く行く。しかし…香奈は体が弱いんだ。変なことをして体調が悪くなることもある。以後気を付けてくれないか」
再び、怒りの様子を見せながら相手は言った。
「分かりました…すいません。あの、僕が家の前にいますから…」
御堂は震える声で、思いを振り払いながら言った。
「ああ、御堂君なら安心だ、頼む。それじゃあ切るよ」
そう言って、相手は電話を切った。
その後、しばらく御堂は混乱して考えが錯綜していた。
「そんな…まさか…でも、今の人は…」
その人の声には、御堂は確かに聞き覚えがあった。
部活の試合会場などにたまに顔を見せていた…病院でよく会っていた…その人は…。


Term.23

 御堂は後からやってきながら、ほとんど参加しないうちに宴会が終了してしまった。それを気遣って、酒を差し入れる者もいた。
が、御堂は思い詰めたようにそれを受け取ろうとはしなかった。
「まさか…そんなこと…」
御堂は混乱していた。
「嘘だ…よな…?」
隣で寝息を立てている伊吹に、すがるように訪ねる御堂。
「………」
伊吹は、何も答えなかった。
御堂には、色々な考えが錯綜している。表情も、いつしか思い詰めたようになっている。
「お…俺…お前のことは、いい奴だと思って…」
そこまで言うと、御堂は言葉に詰まってしまった。
先ほどの電話から約20分。伊吹は赤い顔をしながら眠り続けている。
「へへ…僕はぁ…好きだよぉ…」
と、突然伊吹は寝言を言った。飛び上がるほど驚く御堂。
「……寝てる…よな…」
御堂は大きくため息を付いた。
「信じられない…信じられないけど…やっぱり…」
伊吹の寝顔を見ながら、御堂の口調は知らず知らずに重くなる。
「でも…それなら俺に…教えてくれても…」
そう思ったところで、伊吹が転校してきたときの様子が御堂の脳裏に浮かんだ。
そして、先日の伊吹の泣き顔…。
「…俺が、鈍かったんだよな…そうだろ?」
答えを求めているのではない。御堂は、自分のふがいなさを痛切に感じていた。
「………」
伊吹は、何も答えることはなかった。
御堂は、立ち上がってつぶやいた。
「いつか…お前が話してくれるのを…待ってるから…」
そう言って、御堂は部屋を出ていった。


 伊吹の迎えがやってくるまで、御堂は相架の家の前でさらに20分ほど待っていた。
迎えにやってきたのは、狭山秀敏の父でも、狭山葉矢と言ったあの医者でもなかった。
「では、世話になったね。君達もご苦労様」
迎えにやってきたその老人は、御堂の後ろに立っていた、先ほど伊吹を車に運んだ数名に向かって頭を下げた。
「君が、さっき電話に出たという人か。普段から彼女がお世話になってるらしいね」
と言って、御堂に向かって再び頭を下げる。
「いえ、僕の方こそ…」
と、御堂は月並みの返事を返した。御堂はその老人に尋ねたいことは色々あったのだが、後ろの人間のことを思うと、何も言い出せなかった。
「それじゃ、失礼するよ」
そう言いながら車のドアを閉めると、老人は走り去っていった。

「今度から、肝機能の検査を追加しようか…」
病院のベッドに寝かされた香奈を、心配そうに見つめる葉矢。
「分解酵素が無いのか、休眠状態なのか…」
そう言って、採取した細胞のサンプルに試薬を数滴垂らす。
試薬は、うっすらと青い色を呈していった。
「ふむ…お酒を一口飲んで倒れた…ねぇ…」
先ほど電話を受けたときに香奈のクラスメイトから聞いた、彼女の様子の説明を思い起こしながら、葉矢は腕を組んだ。
「それがどうしたって言うんだ?」
香奈の父、勇作がそれを心配そうに覗き込んだ。
「ふぅ…香奈君、起きなさい」
一つ大きくため息を付くと、葉矢は香奈の身体を揺すった。
「…やっぱり…葉矢さんに嘘は通じませんねぇ…」
香奈は、突然目を開けるとそうつぶやいた。
「この反応を見ると、一口飲んだだけじゃ、軽く酔ったと言うところだろう」
そう言って、葉矢は軽く苦笑いをした。
「これからはこんな事は止めてくれよ…風邪を引いてもうちに来て欲しいし、薬を飲むときには絶対に僕の診察を。お酒やタバコなんて、もっての他だ」
葉矢は、香奈に強く諭した。
「すいません…気を付けます…」
香奈は、弱々しく答える。
「今日明日とゆっくり休むこと。いずれ、機能に改善が見られたらお酒も飲んでいいから」
そう言うと、葉矢は病室を出ていった。
後には、香奈と勇作だけが残されている。
「父さん…昼間…やっぱり…御堂に…みられてたよ…」
香奈は、絞り出すように言葉を発した。
「僕のことも…気付いた…かも…」
勇作は、そう言う香奈を神妙な顔で見つめていた。
「…もう、大丈夫なのか…?」
敢えてその話を避けるように、勇作は尋ねた。
「うん…力が出ないけど…へへ」
香奈は照れ笑いをした。
「何だかさっきは…勢いで倒れた…振りを…しちゃって…ごめんなさい…心配を…」
そう言う香奈に、勇作は黙って首を振った。
「あぁ…今になると…すごい恥ずかしいや…いいチャンスだと思った…から」
赤い顔をさらに赤くして、香奈は寝返りを打った。
「…気持ちの整理を付けたらいい。俺がそのきっかけを作ってしまったことは謝ろう」
香奈の後ろ姿を見ながら、勇作は言った。
「別に…謝ること…ないよ。僕も…焦ってたんだ…時間も…無くてさ…」
そのまま、勇作に背を向けたまま香奈は言った。
「いままで…怖かったんだ…御堂が…全てを伝えた後…。でも…もう迷わない…から」
そう言う香奈の声は、今にも消え入りそうであった。
「無理しないで、もう休みなさい。後で着替えも持ってくる」
勇作は、香奈の言葉を制止した。
「本当は…今すぐにでも…御堂の所へ…行きたいよ…へへ…情けないな…」
香奈は、手のひらを握っては開いて、力の入らない身体をもどかしがった。
「それじゃあな、もう寝ろ」
勇作は、そういうと香奈の頭をそっとなでた。
「父さん…前から言おうと思ってたけど…それって…子供扱いみたいで…嫌だ…」
それを聞いた勇作は、ハッとした顔をした。彼にも無意識だったからである。
「分かった、気を付ける」
勇作は、そう言って病室を出ていこうとした。
「父さん…最後に…」
香奈は突然、再び身体を勇作の方に向けた。勇作は、それに気付いて立ち止まった。
「僕を迎えに来たの…お爺さんでしょ…?父さんが電話したの…?」
香奈はそう言うと、少し笑顔になった。
「ああ、他に行ける者がいなかったからな。俺が頼んだ」
勇作は、淡々と言った。
「良かった…それだけ…聞きたかった…」
そう言うと、香奈は寝息を立て始めた。
「…おやすみ」
勇作は、病室の扉を閉めた。


Term.24

 僕がひどい頭痛と一緒に病院のベッドで目を覚ましたのは、次の日の昼過ぎのことだった。
今日は学校で会場の片付けをするはずだったので、後からみんなに文句を言われないかと不安になる。それに、明日は代休で学校は休みだ。
「次に御堂と会うのは明後日か…」
僕はそうつぶやいてため息を付いた。
早く御堂に会いたい気持ちと、問題を先送りに出来たという気持ちが入り交じって、複雑な心境だ。
「ま、今日はゆっくり寝てようか…」
と、僕は再び目をつぶろうとしたところで、自分の着ている服に気が付いた。
「このパジャマは…?」
それは、僕がこれまで着るのを拒否し続けていた女物のパジャマだった。
「寝ぼけてると、香奈ちゃんは何でもしてくれて嬉しいわぁ」
実は横にいた母さんが、しみじみと言った。
「かっ母さん!!何でもって、何させたの!?」
僕は慌てるあまり、ベッドから落ちそうになった。
夕べの記憶にあまり自信が持てない僕は、焦って問いただした。
「ふふふ…そりゃあ、色々よ」
と、母さんは嫌な笑みを浮かべている。
「もう…いい…」
僕は、頭痛がさらにひどくなるのを感じて布団を頭からかぶった。
「お父さんは何にも言いそうにないけど、高校生がお酒なんて、三年早いわよ?」
母さんは、言葉の裏に怒りを隠している。それが肌を通して感じられた。
「何も言わないで…ごめんなさい…」
僕は、母さんの顔はもちろん見られなかった。
「冗談よ。お父さんからも聞いてるわ。私達が見つかってばれちゃったんだって?」
母さんは、昨日の運動会で僕と不用心に話してしまったことを後悔しているようだった。
「気にしないで。むしろ感謝してるよ。このままじゃ、僕は御堂に何も言えなかったかも知れないんだから」
僕は、布団から顔を半分出して笑った。
「うーん!その顔がまた、カワイイ!」
母さんは、妙なテンションではしゃいでいる。
「母さん…悪いけど、頭が痛いもんで…」
僕は、いつの間にか自分が苦笑いになっているのに気が付いた。
「あっ、ごめんなさい。今日はよく休んで、調子を整えなさいね」
母さんは、慌てて僕の身体の上に置いた手をどけた。
「あのさ…そこの鏡…取ってよ」
僕は、窓際に置かれた手鏡を指さしながら頼んだ。
「これ?香奈ちゃんの顔は何とも…」
不思議そうな顔をしながら、母さんは僕に鏡を手渡した。
僕は、自分の顔を覗き込んだ。
「ひどい顔だね…髪がボサボサ…」
僕が今の身体になって以来、整えるだけで切ったことの無かった髪は、今や背中にも少しかかり始めていて、それがひどく逆立ってる。
「目も赤くなっちゃって…」
充血した目は、顔も赤みがかかっているので目立ちにくいが、かなり赤くなっている。
「最初…僕はこの顔が、嫌で仕方なかった…見るのも嫌だった…」
僕は、しみじみと言った。
「どうしたらいいのかも分からず、ただイライラして、子供みたいで…」
いつもの僕の弱い言葉だったが、いつもと違って僕に迷いはなかった。
「もっと早く、大人になれたら良かったな…後一ヶ月だなんて、短すぎるよ…」
そう言って、僕は大きくため息を付いた。
「御堂に全てを伝えられたら、僕はきっと変われると思う…。残りの時間で、御堂との時間もきっと取り返してみせる」
僕は、そう言って再び笑った。母さんは、それを微笑んで聞きながら何も言わなかった。
「来週で12月…ホントに…もうちょっとだね…」
今度冬休みが来たら、僕はどこか別の高校の編入試験を受けることになる。そうしたらもう、御堂と直接出会うことはないだろう。
「色々思ったら、眠くなっちゃったよ…また寝るから…おやすみ」
僕はそう言って、再び目を閉じた。
「おやすみ」
母さんも、それ以上何も言おうとはしなかった。

 次の日は僕もだいぶ調子が良くなり、母さんに髪をとかしてもらうと、ひどかった僕の顔もだいぶマシになった。
「髪、切ろうかなぁ…すぐ絡んで手入れが大変だし…」
僕が、自分の前髪を少し持って考えていたときのことだった。
「香奈、入るぞ」
そう言って、父さんが病室に入ってきた。手には着替えの入った袋を持っている。
「あ、早かったね。それじゃあ、家に帰ろう。すぐに着替えるからまってて」
そういって、紙袋を受け取った僕は、袋を開いて固まった。
「何でこの服なわけ…?」
それは、先日僕が葉矢さんを訪ねたときに着ていった服だった。
「だったらジャージか?それの方が変だ」
と、父さんは開き直っている。
「変とか変じゃないとかじゃ…」
そこまで言いかけたところで、僕は思い直して言葉を止めた。
「いいや、着替えるから出ててよ」
そう言って、袋の中から服を取り出す。
父さんが、もう一つ袋を持っていたのには敢えて気付かない振りをした。
「実は、香奈に言っておくことが…」
父さんが、思い出したように慌てながら言った。
「何?急ぎでないなら後にしてよ」
パジャマの上を脱ぎかけながら、僕は言った。
「そうか…じゃ、着替えが終わったら荷物を持ってロビーに来い。渡す物がある」
父さんは、そう言うとコートに入れ掛けた手を出して部屋を出ていった。
それを見送った僕は、一息ついて洋服に袖を通す。

季節も、そろそろ冬の訪れを感じさせ始めていた。

「香奈に渡しておこうと思ったのは、これのことだ」
そう言って父さんがコートから取り出した物は、一通の封筒だった。
「何、これは?」
そう言って裏表を確認する僕の目に飛び込んできた物は…。
「狭山秀敏様…………御堂英一」
それは、御堂が僕、狭山秀敏に宛てた手紙だった。
「これ、どうしたの?」
僕は、驚いて父さんに尋ねた。
「中を見たら分かると思うが…読んでみたらどうだ?」
父さんの言葉にハッとして、僕は急いで封筒を破いた。
中の手紙には、次のようなことが書いてあった。
「…親愛なる狭山秀敏様
あなたが星丘高校を去ってから早五ヶ月、お互いに変わりがないことは、喜ぶべきか否か、複雑な思いです。
こちらの環境には様々な変化がありました。あなたと入れ替わりに、新しい転校生がやってきたことをまず書いておかなければなりません。
彼女は、伊吹香奈さんと言うそうです。早速クラスにも溶け込み、その明るい性格で周囲の人気を集めているようです。
きっとあなたも彼女と会えば、すぐに打ち解けるだろうと思います。それが叶わないことだと思いながらも…。」
 僕はそこまで読んで…ハッとした。
急いで封筒の消印を見る…が、そこには消印も、切手も貼ってなかった。
「父さん…もしかして、彼が直接…?」
僕は驚きながら父さんの方を見た。が、父さんは何も言わなかった。
僕は、手紙を一気に読み進める。
「 僕は、最近あなたの存在をごく身近に感じることがあります。その理由を、僕が述べるのは適当ではないと思います。いずれ、時と共にその理由が分かることを信じています。
いつか、あなたが話の出来るようになったら…。
僕は、いつまでも星丘高校のグラウンドで待っています。」
それ以上、手紙を読む必要はなかった。
「で、帰るのか?」
その様子を見ていた父さんが、静かに僕に尋ねた。
「いや、行くところがあるから…送ってってよ…」
僕がそう言うと、父さんはかすかに笑った。

 僕には、もう迷いはなかった。
御堂が全てを知り、それでなんと言おうと、僕にはそれを受け入れる覚悟があった。
失うことへの恐れも、幼稚なわだかまりも、無いというのは嘘になる。でも、それ以上に僕の意志は固かった。
きっと、今日は僕に人生において、大きな意味を持つことになるだろう。
僕が今を受け入れ、そして生きていくための、一つの転機となるはずだ。
 そして僕は今、星丘高校のグラウンドへと歩みを進めている…。

「まさか、学校の門が閉まってるなんて…」
御堂は、僕の姿を見つけると決まりが悪そうにうなだれた。
「ちょ…それぐらい確認して呼び出しをかけてよ…」
僕は、呆れて言った。
「部活はやってると思ったんだよ…それが、今日は完全閉鎖なんて…」
うなだれる御堂からは何か、黒いオーラが出ている。
学校の門の前で、僕と御堂は顔を見合わせて何も言えなかった。
「ホントに…御堂は昔からこういうとこだけ失敗するなぁ…」
僕は、そう言って首を振った。
「う…うるさいな…ヒデだって、知らずに来たんじゃないか…」
御堂は、顔を赤くして抗議する。
「そんなの、呼び出す方の責任でしょう?第一、学校に呼び出すなんて訳のわからない…」
僕は、冷たく言い放った。
「わけはあるんだよ!色々、段取り考えて…」
御堂は、そこまで言って口ごもってしまった。
「段取りなんて、御堂が考えなくてもいいの!僕が話すんだから…」
僕もそこまで言いかけて、あまりのおかしさに言葉が続かなかった。
次の瞬間、長い沈黙…。
「…で…なんていうか…」
僕は、意を決して口を開いた。
「その…今までは…話せなくて…あの…」
僕も今までどう言おうか、一通り考えてあったのだが、いざとなると言葉がどうしても出てこなかった。御堂はその言葉を待っているように、何も言おうとしない。
「本当に…悪いと思ってて…その…分かってると思うけど…」
なんだか、言ってる自分が恥ずかしくなってきた。
「あー…御堂、もういいにしてくれない?なんか、言ってて恥ずかしいよ…」
御堂は、それでも意地悪そうに何も言おうとはしなかった。
「…分かったよ。御堂、ただいま」
僕はそう言って、御堂に右手を差し出した。
「…いいにしてやるよ。狭山、お帰り」
御堂はそう言って笑うと、右手を差し出そうとした。
「…でも、黙ってるなんて許せん!」
御堂はそう言うと、右手を引っ込めて左手に変えた。
「そんなの、いきなり言えるわけないだろうが!」
僕はそう叫んで、御堂と左手で握手した。
「ふふふ…お前の秘密、一つ握ったぞ…」
御堂は、不敵な笑いを浮かべている。
「…誰かにそれを言ったら、こんりんざい口聞かないからな」
僕は、握手する手に思い切り力を込めた。
すると、御堂はふと寂しそうな顔をした。
「…変わったな…全然…力入ってるのか?」
僕も、それを言われてハッとする。
しかし、それだけ言うと御堂は表情を一変させた。
「しっかし、今までのヒデの態度を思いだせば出すほど、おっかしいなぁ!」
御堂は、そう言って笑った。
「それは…言わない約束に…してくれない?」
僕は、恥ずかしさに顔を赤くしながら言った。
「ま、考えとくよ」
と、完全に主導を取ったような顔をした御堂は僕の顔をニヤニヤしながら見ている。
僕がそれにムッとした顔をすると同時に、向こうの方に控えていた父さんが叫んだ。
「香奈!もう行っていいか?」
それを聞いた御堂は、少し考えた風になってから口を開いた。
「もう、ヒデと呼ぶわけにもいかないな…香奈…これからそう呼ぶのか?」
御堂は、そう言って腕を組んだ。
「恥ずかしいから今まで通り、伊吹でいいよ。別に、偽名じゃなくてこれが今の名字なんだ」
そう言って、僕は笑った。
「御堂、今日はチャリンコ?」
御堂は、ゆっくり首を振った。
「じゃあさ、家に来なよ。色々話したいこともあるでしょ?」
御堂は、組んでいた腕を解いて思慮深げに言った。
「やっぱり…変わったな。口調だけじゃなくてさ…雰囲気っていうか…」
そう言う御堂の顔は、また寂しげになっている。
「変かな?」
僕は、少し傷つきながら尋ねた。
「いや、いいと思うよ。なんか…知ってると引くけど」
そう言うと、御堂はまた笑った。
「おい、それって…やっぱり変ってことじゃん…!」
僕は、即座に御堂の首を絞める。


Term.Final

 あれから二週間、僕と御堂は今までの時間を取り戻すように色々なところへ遊びに行った。他の友人を誘って行ったり、二人だけで行ったりと…色々だ。
ここまでは、僕の心配は杞憂だったというわけだ。
「なあ、本当にまた転校するのか?」
御堂はある日、寂しそうな口調で僕に尋ねてきた。
「うーん…このままじゃあ誰かにばれそうだし」
僕は、無理に笑顔を作って答えた。
「本当にばれるって言い切れるのか?お前、かなり巧くやってるじゃないか」
御堂は、近くにいた岬の方をちらりと見ていった。
「ばれたくないのは、岬だけじゃないんだよ?その辺分かってる?」
僕は、ため息混じりに言った。
「ま、電話番号はまず初めに教えるから」
僕は、そのままの作り笑顔で言った。
「お…俺は、何にも言える立場じゃないけど…お前には残って欲しい…それが本心だ…」
御堂は、そう言うと口ごもってしまった。
「あーあ、御堂も変わったねぇ。前なら御堂、強引にでも引き留めなかった?」
御堂の顔を覗き込みながら、僕は意地悪な笑顔を作った。
「言っても仕方ないだろ…?何か、お前の顔を見てると言いづらいんだよ…」
そう言うと御堂は、顔をそらしてしまった。
「御堂ねぇ…僕は、伊吹香奈である前に狭山秀敏なんだよ?そうやって遠慮されると傷つくなぁ」
僕はそう言ってふくれる。
「仲良しのお二人さん、何話してるの?」
突然、岬と塩沢の二人が後ろから声をかけてきた。
「なっ、なんでもないよ!」
慌てる僕を後目に、御堂は無言のままどこかへ歩いていってしまった。
「にっ逃げるな!」
と、呼び止める僕を御堂は全く無視している。
「何でもない話ねぇ…そう言う話が、これまた熱いわぁ」
岬は、そう言って僕のことを冷やかす。
「で、人の会話に割り込んで何の用なの?」
僕は、ムッとした表情のまま岬に尋ねた。
「そんな邪険にしないでよ。香奈ちゃんがこの学校にいるのもあと一週間でしょ?」
と、岬は僕の肩を組んできた。
「聞いたわよ?東京の超名門高校に編入するんだって?」
岬は、肩を組んだまま僕の耳元でささやいた。
「なっ…何でそんなこと知ってるの?」
と、僕は慌てて岬の腕を振り払うと後ろに飛び退いた。
「先生から聞いたの。塩沢さんの情報網を甘く見ちゃダメよ?」
そう言う岬の後ろで、塩沢さんは苦笑いしている。
「編入試験を受けるんでしょ?香奈ちゃんなら余裕で通るわよ」
慌てている僕をなだめながら、岬はおだやかな表情で言った。
「いや、わからないよ…もしかしたら、落ちてここへ戻ってくるかもね」
僕は冗談めかして言った。
「それがイヤミなのよねー。この前の全国模試、上位に載ってたのはどこの誰だっけ?」
そう言って、岬は僕に絞め技をかけてくる。
「でも、万が一落ちたらここに戻ってくるの?ホントなら私、祈ってるわよ?」
岬はそう言って笑った。
「何か嫌な祈りだね…」
僕は、そう言って苦笑いをする。
「で、試験はいつなの?」
塩沢さんが僕に尋ねてきた。
「えっ…終業式が終わったらそのまま東京に向かって、次の日に試験が…」
僕は答えた。
「じゃ、二十五日よね?香奈ちゃん、味気ないクリスマスねぇ…」
岬は教室の隅で他の男子と話をしている御堂の方を見ながら、ニヤついて言った。
「だから、そう言う冷やかしは要らないって…」
岬につっこみを入れる。
「じゃ、お別れ会もやらないと。塩沢さん、今日のホームルームは打ち合わせよ!」
岬は、塩沢さんの方を向いてガッツポーズを取った。
「オッケー!盛大にやろうね!」
と、塩沢さんもガッツポーズを取る。
「別に、わざわざ開いてくれなくてもいいんだよ?」
そう言う僕だが内心はやはり、とても嬉しかった。

「伊吹香奈ちゃんの前途を祝して、バンザーイ!」
相架の合図で、僕のためのお別れ会が開かれた。
明日は終業式、僕がこのクラスメイトに会うのも後一日となった。
「鈴っちゃんに感謝しないと。英語の授業をつぶしてくれたんだから」
そう言ってはしゃぐ岬。
「ホームルームもな。伊吹じゃなかったら、俺の大事な授業なんかお前らにやらんぞ」
そう言って、鈴木先生は腕を組む。
「ひっでぇなあ。可愛い教え子じゃないか」
クラッカーを取り出しながら、戸田がむくれた。
「おい…それはやめろ…」
慌ててクラッカーを取り上げる鈴木先生。
「へへ…みんな、僕のために…とっても嬉しいよ…」
クラスの前に立っていた僕は、照れ笑いをしながら言った。
本当に、いいクラスだった。何だか、僕の決意も鈍りそうである。
「香奈ちゃーん…今からでも遅くないから、転校なんてやめなよぉ…」
さっきまではしゃいでいた岬は、突然涙ぐみながら僕の肩を組んできた。
「ははは…もう、退学届けも出しちゃったから…」
僕は、その岬の頭をなでながら苦笑いをした。
「しかし伊吹、正式にうちの生徒じゃなくなるのは来月だからな。編入試験に落ちたら…」
いつもの調子で、鈴木先生は冗談を言おうとした。
「先生、不吉なこと言わないで下さい!」
涙ぐんでいた岬が、その先生の冗談を遮った。
「香奈ちゃんは、ちゃんと受かって、自分の道を歩んでいくのよ」
岬は僕の方に向き直すと、目を赤くしながら強い口調でいった。
「なんか大袈裟な…道とか言われてもなあ…岬、鼻水出てる…」
僕は苦笑いをしながら答えた。
自分でもおかしいのだが、そう言われたらこの後自分は、何がしたかったのか良く分かっていないような気がした。
「あれ、そういや御堂はどうしたの?」
僕は、近くにいた塩沢さんに尋ねた。
「え…あれ、居ないね?」
そう言って、きょろきょろと辺りを見回す。
「香奈ちゃあん…最後は御堂君とも仲良くなってぇ…」
それを聞いた岬はまた泣いている。
「うーむ…やっぱり、あそこかな…」
泣き崩れる岬を塩沢さんに頼んで、僕はそっと教室を出た。

「御堂…これでカッコ付けてるつもりなの?」
グラウンドに一人たたずんでいる御堂に少し呆れながら、僕は声をかけた。
「抜け出すのだけでホネなんだからね…変な演出しないでよ…」
御堂は、黙ったまま後ろを向いて僕の文句を聞き流している。
「最後ぐらい、俺の演出に乗ってくれてもいいだろうが」
御堂はようやく口を開いた。
「はいはい…で、何がしたいの?この前の手紙の続き?」
そっけなく僕は尋ねた。
「分かってるなら話は早い。伊吹…いや、ヒデ」
御堂は、僕の方を向いて強い口調になった。
「俺は、今度部活に戻ることにした。みんなにもそう言ってある」
御堂は、いつになくまじめな顔をしている。
「へえ…おめでと、頑張って…」
僕は何だか寂しい気がしたが、それを振り払うように笑顔になった。
「いや、俺が部活に戻る前に、一つやって置かなくちゃいけないことがある」
表情を変えることなく、御堂は続けた。
「お前は、どんなになっても俺の親友、そして永遠のライバルだ」
不意に、御堂がサッカーボールを持っているのに気が付いた。
「狭山、最後の勝負」
そう言って、御堂は僕の方にそのボールを蹴った。
「俺を抜いて見ろ」
御堂は、そう言って真剣な表情になった。
「…いいの?今の僕に負けたら…恥だよ?」
僕も、御堂の表情に触発されて真剣な表情になった。
「俺なりのけじめなんだ。全力で来い!」
そう言って、御堂は構えた。
 久しぶりに触ったサッカーボールは、以前とは全く感覚が違って感じられた。
それが、僕が女の子だからとか言うつもりはない。
それは、今の僕のサッカーに対する思いそのものだった。そんな、気がした。
「御堂、僕の本領はパワーよりもテクニックだってこと、忘れてないだろうね?」
僕は、そう言うと御堂を抜きにかかった。
「分かってる。だからこそ、俺も全力が出せる!」
そう叫んだ御堂は、僕のコースをふさいだ。
「甘いね御堂!今まで僕とこれやって、何勝何敗だか覚えてる?」
僕はヒラッと身を返すと、御堂のがら空きになっている脇に身体をねじ込もうとした。
「……!!」
次の瞬間、御堂から伸びた左足は、僕からボールを奪い去っていた…。
「甘いのは狭山だったみたいだな。これで百勝百敗、引き分けだ」
御堂は、額に汗をかきながら歯を見せて笑った。
「それは数え始めてだろ!?今までは僕の…」
そこまで言いかけたが、僕も御堂につられて笑った。
「それは、今度決着付けるか?」
御堂はニヤニヤしながら聞いてきた。
「今度はちゃんとユニフォームを着てな…」
僕は、制服のスカートを少し持ち上げて言った。
「御堂!ナイスプレー!」
後ろの方から、突然拍手が聞こえた。
「香奈ちゃーん!すごかったよー!」
そう叫ぶ岬。
驚く僕の視界に入ってきたものは、僕らに気付いて出てきたクラスメイト…。
「御堂!悔しいが伊吹ちゃんはお前に託す!」
「香奈ちゃん!東京でも頑張ってね!」
「追いかけてけ、御堂!」
そう言って、みんな口々に叫んでいる。
「あちゃ…気付かれてたよ…?御堂?」
そう言って、僕は御堂の方を向いた。
「そりゃあ、主役が居なきゃ気付くだろ。俺と違って…」
御堂は、無表情でこちらを向こうとはしない。
そう言えば、ホームルームの時から御堂の姿を見た記憶がない。
「呼び出したのは御堂だろうが…無責任な顔して…」
僕は、ため息混じりに言った。
「じゃ、教室に戻るか、香奈?」
御堂は、額の汗を拭いながら言った。
「名前で呼ばれると照れるんだけど…皮肉?」
そう言いながら、御堂のことを睨む。
「ははは…そう取っても構わないよ!」
そう言うと、御堂は走っていってしまった。
「みど…そうやって逃げるの、すごい感じ悪いぞ!」
僕も、その御堂を追いかけた。

 その日の放課後、僕と御堂は偶然にも最後まで教室に残っていた。
「明日は学校に来るのか?」
御堂は、そっけなく僕に尋ねた。
「え…と、終業式にだけ出てホームルームには出ないから、みんなと話す時間はないかな」
僕は、少し考えてから言った。
「その…クリスマスだろ?なんか出来ないかと思ったんだけど…」
思い口調で御堂は、考えるように言った。
「そうだね…最近余裕が無くて、こういう行事を忘れちゃうねぇ…」
僕は、しみじみと言った。
「明々後日に一日遅れで…感じが出ないなぁ…」
と、御堂はぶつぶつ何か言っている。
「御堂さぁ…僕が今も男だったら、そんなこと絶対に言わないでしょ?」
僕は、やや呆れながら言った。
何か、御堂が僕のことをどう思っているのかがすぐに分かる。
「いや…そんなこと…でも、何かあげたい気分だな…」
僕に指摘されると御堂は、慌てながら言った。
「別にいいよ。キリスト教じゃないんだし…」
学校に置いてあった荷物をまとめた僕は、鞄を背負いながら言った。
「そうか…?でも、考えとくから」
御堂も、鞄を背負いながら残念そうな顔をする。
「それじゃね、また明日…一瞬だけど」
そう言って、僕は教室を出ようとした。
「伊吹!」
その僕を、御堂が突然呼び止めた。
「何?このシチュエーション、いつぞやを思い出して嫌なんだけど?」
そう言って振り向いたときの御堂の顔は、それまでと違って真剣だった。
「伊吹、やめてもいいんだぞ?知られたく無いんなら、俺も手伝ってやる」
御堂は、強い口調で僕を引き留めた。
「御堂…だだをこねるな!」
そう言って僕は笑うと、そのまま御堂の顔を見ないように教室を出た。
きっと、これ以上御堂と一緒にいたら本当にこの前の再現になってしまう。
僕は、不意にあふれてきた涙を拭った…。


 昨日、大事な日に限って遅刻してきた伊吹は、気が付くと終業式に参加していて、気が付くとすでに学校から居なくなっていた。
最後の別れもままならなかったクラスの悲しみようは、想像に難くない。
昨晩は伊吹の家に電話をかけようか否か、一時間も電話の前で迷ったあげくに、結局受話器を持つことが出来なかった。
「あーあ…何やってんだか…」
と、ため息ばかりが出ている。
 本心では、伊吹にはこのまま星丘高校に残ってもらいたいと切に願っている。
しかし彼女の身上を思うと、それも強く言うことが出来ない。
「俺も手伝ってやる」
と言う一昨日の言葉も、今になって考えたら全く責任のない発言だ。
「東京は大雪だって言ってるぞ…寒い思いをしてないか?」
と、何気なくぼやいてみた。今頃、伊吹は東京の高校で編入試験を受けているはずだ。
まあ、私立と聞いているので暖房くらいは間違いなくあるのだろうが…。
「落ち着かねぇ!」
と、部屋でゴロゴロするばかりでやることもなく、段々とストレスもたまってきている。
「誰かのうちにでも転がり込むか…?」
何気なく窓の外を見ながら、そんなことを考えていたときだった。
「お…雪だ…」
この辺では珍しく、かなりちらちらと雪が舞っている。
「ホワイトクリスマスじゃないか…世のカップル達は、今頃…」
そんなことを考え始めたとたん、突然伊吹の顔が頭に浮かんだ。
「あいつ、それを言ったら絶対に怒るな…」
と、なんだかおかしくて仕方なかった。
「ま、明日にはひとまず帰って来るんだしな…」
そうつぶやいて窓の下を覗き込むと、ふと門の前に車が止まっているのに気が付いた。
「お客かな?でも、今日はみんな出かけてるし…」
そう思った瞬間、階下からチャイムの音が鳴った。
「こんな時に…仕方ない」
ヒーターの前から離れるのは気が引けるが、仕方なく立ち上がって玄関へと急いだ。
「はい!どちらですか!」
手をこすりながら玄関の扉を開けると、そこに立っていたのは…。
「ただいま。御堂がどうしてもクリスマスをやりたいって言うからさ」
「い…伊吹…どうして!?」
それは伊吹香奈…だった。
「へへ…もう少し、この学校に残りたい…かな?」
そう言って、ペロリと舌を出す。
「お前、東京行きは!?試験はどうしたんだよ!?」
慌てて伊吹に問いただす。
「葉矢さんは怒ってたねぇ…怒りながら喜んでたよ。変な人!」
そう言って、伊吹は声を出して笑った。
「正体がばれたくないって…あれほど言ってたじゃないか!?」
あまりにもあっけらかんとした伊吹の様子は、呆れさせるというか何というか…。
「え?そりゃ、御堂がかばってくれるんでしょ?頼りにしてるよ!」
そう言って背中を叩いてくる伊吹。
「家族は反対しなかっ…た…」
伊吹の後ろには、笑顔でこちらに手を振る狭山一家の姿があった。
「お前、それでいいのか…?」
一つ大きなため息を付いて、伊吹に尋ねた。
「そりゃ、後悔はしないよ。東京なんかに行く方が後悔するね!」
そう言うと、再び伊吹は笑った。
「分かった…しかし、その格好はこれまた…」
その時の伊吹の格好は、青いワンピースとスカートの上に、茶色のロングコートを着て、おまけに束ねた髪にリボンまで付けている。
「開き直ったのか…」
そう、苦笑いをしながら言った。
「バカ、今日だけだよ…」
顔を赤くしながら伊吹は言った。
「今日はクリスマスじゃないか…」
「はあ…」
伊吹は、少し間をおいてから口を開いた。
「だからさ…プレゼントでも…と…思って」
そう言って、伊吹は手を伸ばした。
「それ以上言わせるな!」
そう言うと、伊吹はこちらに駆け出した。
「お…おう!受け取った!」
こちらも慌てて手を差し出す。
「メリー…クリスマス!」
「ああ、メリークリスマス」

降りしきる雪の中、二人はいつまでもお互いのぬくもりを感じていた…。

Term is forever….




あとがき

 ようやく終わりました。ひとまず、この話はこれで完結です。
作者としては結末に納得がいかなかったりするのですが、それは見る人によると信じて、これも一つの形だということにします。(爆)
ラストがクリスマスというのも、話を考えた時期的な物もあるのですが、やっぱり時季はずれでした。すごく外した気がします…。

 実はというかまる分かりというか、何気に続編が書けるような伏線を張ったつもりです。
勇作さんとお爺さんとの関係や、母親の未完の小説や、岬さんの恋人話や、二人の今後や…その他色々と掘り下げたいところはあるのですが、続きを書くのも野暮ったいなぁ…と思っているところです。
ひとまず、慣れないことをして疲弊しきった自分の頭を休めて、その後で反響も見ながら続編を書くか、新しいのを書くか、もう書かないかを決めたいです。(ニヤリ)

 この話を書くに当たって、登場人物のキャラクターは何となく決めてあったのですが、結局御堂君だけがキャラクターがまとまりきらなかったですね。
(他の人は?という意見は敢えて見ない振り)
葉矢さんも人格者のように見えて、行動の端々から怪しさが出てくるようにもなっています。
これも単に、私の描写力のなさですな。
ちゃんと、設定や名前も、由来までつけてしっかり考えたつもりなんだけどなぁ…。

あ、最後に一つ。
運動会は実話です。ダンスも含めて。
うちのクラスだったら良かった…というのが悲しいところです。(泣)

では、またどこかでお会いしませう!



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