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蒼い時第二章
作:コーディー


Term.8

 転校二日目の朝、伊吹香奈は制服に袖を通していた。昨晩ずっと床の上に放っておいた制服は、早速しわになってしまっている。
 転校前、香奈は母の進めで幾度となく制服を着る練習をしておいた。白いブラウスと朱色にチェックのスカートを履き、藍色のブレザーを着てネクタイをしめれば、立派な星丘高校の女子生徒ができあがる。鏡に映った自分の姿に、香奈は思わずどきっとしたものだ。無論、五月の頭までは自分がこれを着ることなど考えてもいなかった。様々な思いが彼女の中に去来している。

「姉貴ぃ、早く降りて来いってさ。いきなり遅刻だぜ?」
そうして部屋を覗き込んだのは弟の真一だ。この夏、謎の病気によって自分の性別が変化して以来、弟たちは自分のことを”姉貴”と呼ぶようになった。最初は皮肉かと怒っていたが、どうやらそうさせたのは父のようだ。
「分かってるって、どうも最近低血圧気味で…」
そう言って真一の方を振り向くと、真一は顔を真っ赤にした。
「姉貴、パンツ丸見え…」
…着替え中だったのだから当然だ。今まさにスカートを履こうとしていたところだ。
「バーカ、変なこと考えるなって。今行くって母さんに言っておいてよ」

 うちの家族達は自分が女であることを、どうやらかなり意識しているらしい。
 自分にその認識は…はっきりいって無い。先日も、弟に一緒に風呂に入ろうと言ったら、ものすごい勢いで拒否してきた。からかってやろうと無理矢理入って行ったときの、弟達の動転する姿が脳裏に浮かぶ。僕の裸を見た二人は、頭からつま先まで、それこそ全身真っ赤にして慌てふためいた。生理的な変化もはっきりと見させてもらった。今それを思い出しても、笑いがこみ上げてくる。
 身体が変化して楽しかったことといえばこのくらいのことか…。

「ちゃんと学校まで行けるの?無理しないでバスで行けばいいのに…」
 母は母で、僕が自転車で登校しようとすることに反対した。
 確かに、女性化によって運動能力が低下したことは否めないが、別に他の女子もしていることだ。問題ないと言うと、父も一緒に母を説得してくれた。
「大丈夫、ちゃんと行けるよ。無理もしない」
そう言って真新しい自転車をまたぐ。祖父が先日僕に送ってくれた物だ。
 以前の自転車では、その形から僕の正体を察する人がいるかもしれないし、なにより大きさが合わない。以前は身長が175cmあったのに、病院で計ったら160ちょっとしかなくなっていた。
 祖父は自転車を送るとき父に内緒で、僕宛に手紙を送ってよこした。十何年かぶりに孫へプレゼントを送ったとあって、その文面からは祖父の喜ぶ様子が推測できた。手紙の内容は、形式的なことに加えて、いつでも頼ってこいという風なことだった。

「それじゃ、行って来るよ」
といってこぎ出そうとした僕を、父が呼び止めた。
「香奈!」
その声に振り向くと、父はお尻を叩いて何か合図している。
「何だ…?」
と思って足元を見ると、スカートが足と一緒にサドルまで覆っていた。
「やばっ、サンキュー父さん!」
と僕は叫んで、もう一度、お尻の下にスカートを敷くようにサドルへ座り直し、学校へと急いだ。


Term.9

 学校に入る瞬間、僕は一瞬戸惑っていた。昨日の大失敗に動転してしまった僕は、結局今日どんなキャラクターで皆に挨拶していいのか分からない。
(明るく…それとも物静かに…いや、挨拶しないという手も…)
  どれも昨日皆に与えたと思われる自分の印象どおりの振る舞い方だ。どう考えても一つにはまとまりそうにない。
「まあいいか、何とかなる…よね?」
と決心をつけて、自転車にカギをかけた瞬間、突然僕は後ろから肩をポンとたたかれた。
「おっはよ!伊吹ちゃんだったよね?授業は今日からだけどがんばってね!」
そう言って声をかけてきたのは、同じクラスの清水岬だ。以前と同じクラスに転校したのだから、クラスメイト全員の名前は知っている。
「おはようございます、清水さん」
と挨拶すると、岬は予想以上に喜んだ。
「私の名前、覚えてくれたんだ!嬉しいよ!だけど岬って呼んでくれて構わないからね?かーなちゃんっ!」
そう言って彼女は僕の手を取ると、上下に強く振った。今の緊張した心境にこのテンションは、はっきり言ってかなり疲れる。
「はい…よろしく、岬さん」
「きゃーっ!ありがとーっ、でも今度はさんなんていらないからね!」
ふと気付くと、僕ら二人は駐輪場でかなり視線を集めている。この学校には珍しい転校生という事で、今の僕はただでさえ目立つのだ。
しまった…もうちょっと軽く流して彼女と別れるべきだっただろうか…?
僕は少し後悔しながら、「以後言葉には気をつけよう…」と改めて思うのであった。
 時間もなんだかんだで遅刻ギリギリだ…。


 人によって朝、教室に入る時間はまちまちである。星丘高校では始業の8時30分までに教室に入ればよいので、時間丁度に来る者もいれば、その30分前から椅子に座っている者もいる。
 御堂英一はその後者の方である。以前、真面目に部活動の練習に参加していた頃は練習のために登校が7時だったので、その影響と言えよう。

「御堂ぉー。お前も昨日残ればよかったのに。話を聞けば伊吹の印象変わるぜ?」
とクラスメイトが御堂に話しかけた。転校生の伊吹は、昨日の放課後にクラスの皆へ自己紹介をしたのだが、御堂は最後まで聞かずに帰ってしまった。
それを周囲は、「御堂・伊吹不仲説」として気遣っているのだ。
「いいじゃねぇかよ。用事だよ、よーうーじ!」
と御堂は言い返すのだが、実際のところ昨日は用事など無い。皆に気付かれないようにそれとなく、わざとそのまま帰宅したのである。
 事実、御堂は伊吹のことが気にくわない。親友狭山の退学と入れ替えに転入してきたこと以外に、どこが気にくわないと言うわけではないのだが、彼女にはどこか自分と反発する雰囲気がある。
 まだ登校してこない、隣席の伊吹の机を横目に見ながら御堂は悩んでいた。
「今日はどうしても伊吹と顔を合わせる…。どんな顔すればいいんだろう」
 御堂はこれまで「女の子」とそう親しくなったことはない。別にその気がなかったわけでもないし、機会もたぶんあった。しかし御堂は、その持ち前の”鈍さ”によってそうした話から遠ざかってしまっているのだ。ゆえに彼にはいわゆる”女心”が全くわからない。いや、世の男にとって女心は永遠のテーマなのだが…。(笑)
 とにかく、御堂は初めて特定の女子に一定の想い、しかもかなりマイナスの印象を持つことに少なからず戸惑いを感じていた。

「なぁ、結局あいつはどんなやつなの?」
と御堂はそのクラスメイトに尋ねてみた。
「いい娘だぜー。昨日は緊張してたみたいだけど、よく話すしさ。しかもカワイイ。
めっちゃ俺のタイプやぁー」
というその返事に一瞬戸惑いつつ、御堂が周りを見渡してみると誰もがうなずいている。どうやら全く同じ意見のようだ。何か言い様のない気持ちに当惑していると、クラスメイトの清水が、その伊吹の手を引いて教室に入ってきた。

 伊吹は通学用の鞄の他に、もう一つ黒い手提げ袋を持っている。中には新しい教科書が一通り入っていたようだ。御堂は彼女の鞄をかけて着席した様子を横目に確認すると、同時に彼女の視線を感じた。
「……!?」
一瞬それまで考えていたことが御堂の脳裏をよぎる。動揺する気持ちを抑えながら伊吹の方を振り向いた御堂は、思わず彼女と目を合わせてしまった。
「あっ…と…」
言葉が出てこない御堂に対し、伊吹はあくまで冷静な顔をしている。
「数学かぁ、ついてけるかなぁ」
という伊吹の言葉にハッとした御堂が下を見ると、机の上には数学の準備がしてある。
「何だ…確認しただけか…」
とたんに御堂の緊張は一気に萎えた。


「今日から噂の転校生が一緒か」
と言うのは数学の教師、通称”若”である。いい歳して気分だけ”若”と言う意味だ。それでいてよく計算を間違えるし、授業がかなりイヤらしいので、生徒間での人気は悪い。
「じゃあ歓迎の意味も込めて俺から…ええ、と、伊吹に問題をやろう。P110の問5、授業の最後までにやって貰うぞ」
クラスの視線が伊吹に集中した。これも若のイヤらしさだ。
「は、はい…」
と力無く返事をする伊吹の後ろから、生徒達が声をかけた。
「大丈夫、出来なくても得意げにあいつが解くんだから」
「そうそう、しかも発展問題だし、出来なくて当然だよ」
ちなみにこの教科書の問題は、A・B・C・発展と、難易度が区分けされている。若はわざと発展の問題を出したのである。
「でも…やれるだけやってみるよ」
と伊吹は自信なさげに答えた。若は不敵な笑顔だ。


Term.10

 1時間目が終わり、香奈はどっと疲れを感じていた。まさかのっけから若の授業とは思っていなかった。ただ、今朝は岬との兼ね合いで教室にはいるのがギリギリになり、皆に挨拶をする必要が無かったのは助かった。それだけが救いだ。

 …しっかし今朝の御堂の態度は気になる。何気なく御堂の方にシャープを落としてみたが、あいつは気付かない風に無視している。
「あぁ!やっぱり僕のこと嫌ってるじゃん!」
と、だんだんイライラしてきた。どうも御堂にとりつくしまがない。授業が終わると同時にトイレに立ったようだが、自分を避けようとしているのはまるわかりだ。
「まさかついてくわけにもいかないしなぁ…。」
と、僕は改めて自分が女であることを思い返す。

「すごいじゃん、やっぱり香奈ちゃんって頭イイの?」
と訪ねてきたのは岬だ。先ほど、数学の授業中に当てられた問題をあっさりといてしまったからであろう。
「う…そんなつもりはないんだけど…」
と答えるが、実際のところ数学は得意だ。教師の若はできない生徒を集中して当てるので、当てられるのはかなり久しぶりだ。さきほどの若の悔しがるような顔が一瞬脳裏に浮かぶ。
「ほら、どっかで見た問題だったから」
と、なるべく差し障りの無いような言葉を選んだ。思えばこの二日、想像以上に発言に気を使っている。なのに失敗ばかりしているのだが…。
「でも、できたんでしょ?今度数学教えてよぉ…。」
「伊吹さんに教えて欲しいなぁ」
「俺も!」
と、とたんに人が集まってしまった。みんな昨日の続きみたいだ。
「やっぱ頭が良くないと星丘に転校は出来ないって」
と誰かが言った。
(あぁ…また伊吹香奈のイメージが固まってしまう…)
と内心思った。
僕はまた失敗したのだろうか…。

 相変わらずみんな昨日の続きのように僕に質問を浴びせてくる。それを無視するように御堂はどこかへ行ってしまった。
「ところで御堂君って僕のこと何かいってた?」
僕は集まっていたクラスメイトの男子に思い切って訪ねてみた。異性よりも御堂と親しいだろうし、僕自身何となくまだ女子と気軽に話すことに慣れない。
「えぇ!?伊吹さん…御堂が気になるの…?」
そいつは驚いたように聞き返してくる。
 しまった…また墓穴を掘ってしまった。僕はすごく後悔した。女の子が男の事などを訪ねたりすれば、相手は普通詮索する。ましてや今、何となく僕とあいつの間に妙な噂が立っていることも知ってはいたのに…。
「あっ…あいつ何かトゲトゲしてるし、気になるじゃん?」
と、僕はなるべく相手の思ってることを払拭するように言い直した。
「ほら、伊吹さんは知らないだろうけど前にいた奴が御堂と親友でさ。そいつが退学しちゃって荒れてんだよ」
それを聞いたとき少しむずがゆい思いがした。御堂にとって自分が親友だったという確証が得られたことはやっぱり嬉しい。
…そう言えば自分は今、狭山秀敏ではなかったんだった。
「へぇ、その人ってどんな人だったの?」
僕はすこしだけ、「伊吹香奈」として「狭山秀敏」の評判を聞いてみることにした。

「狭山っていうんだけど、”イイ奴”だったよ。頭よかったし、サッカー部のエースだったし。病気のことは残念だったよなぁ。ま、デキる奴ほど不幸ってことか」
「伊吹ちゃんが気にすること無いよ。異常に仲がよかったんだから、あの二人」
「味方も多いけど、敵もいたんじゃねぇかな。女子にもてるんだ」
「狭山は伊吹さんには会わせられないよ。狼の前に羊を差し出すようなもの!」

…聞いててあまり嬉しくないということは、そうよい評価でもないようだ。第一、御堂と”異常”に仲が良かった覚えも、女子にもてた記憶も、狼扱いされるいわれも全くない。合ってると思うのは今自分が不幸ということだけだ。
…うぅ、真の友人は御堂だけだよぉ…。


Term.11

「はい、まもなくあがりますので、えぇ、ご迷惑をおかけします」
 伊吹香奈の父、狭山勇作はその日20回目の電話を取り終えて机に向かっていた。目の前には書きかけの原稿が散乱している。
 伊吹と狭山で名字が違っているのは、彼女は社会的には狭山家の人間でないからだ。近所にも親戚の子を預かったという事にしている。
「今頃はあいつも昼休みか…」
勇作は朝から一日中、娘…香奈となった息子のことを気にしている。
「うまくやってるのかな…悩んでた様だったし」
一旦娘のことを考え出すと、ペンが全く進まない。今日かかってきている電話は、全て滞っている原稿の催促だ。
「気になるんだったらメールの一つも送ってみなさいよ。そのために携帯を持たせてあるんだから」
と言うのは妻の遥(はるか)である。香奈の転校手続きをした帰りに、勇作は彼女に携帯電話を与えた。何かあったときの連絡用だ。
「しかしなぁ…父親からメールするというのもおかしいし…」
と勇作がためらっていると、彼の携帯電話が鳴った。
「メール件数:1件:香奈携帯」
勇作の表情がとたんに明るくなる。
「おっ、うまくやってるだとさ。心配するな、か。ははは、大丈夫だぞぉ」
と独り言を言う勇作に対して、遥はややあきれ顔だ。
「あ…うん、香奈からだ…うまくやってるそうだ」
勇作は妻の表情に気付くと、顔を赤くして言った。
「わかってるわよ。のろけてるんじゃないの」
あくまで遥の対応は冷たい。とはいうものの、二人とも心配で仕方ないのだ。
「早く返事してやんなさい。香奈が待ってるわよ」
と遥が勇作をせかす。勇作は慣れない手つきで返事を打ち始めた。普段から勇作はメールに返事などしたことがない。勇作が連載している編集部からきた未読メールはすでに数十件に上っている…。

 香奈が退院し、自宅に戻ってほぼ二週間がたつ。
 いろいろと彼女の素性が周囲に知れないようにする処置も、ようやく一段落が付いた。
 香奈の本籍地は然るべきところが与えられ、学校に対しては「下宿」という形で叔父の葉矢の家が現住所だと言ってある。狭山秀敏の住所と同じというわけにはいかないからだ。
 例の御堂からはたまに、その後の”秀敏”の様子を訪ねる内容の電話がかかってくるが、海外の病院に入院させていること、両親が交代で現地に行き看護にあたっていること、その後の進展はないと言うことなどを説明して納得させている。そのうち香奈自身の口から彼に本当のことを説明するというので、苦し紛れの嘘を両親は、もうしばらくつき続けることになろう。
 親族に対しての説明も、狭山祖父が間に入ったことで驚くほどすんなりいった。古い封建的な家系であったため、当初は一同驚きの表情を見せたが、彼が一喝すると全員すぐ納得した。

この二週間、狭山家の人間はまず香奈の言動を自然にさせるように努めた。
服も新しい物を一式揃え、家ではなるべくそれを着させるようにした。
ところが彼女は、どこからか小学生の時に着ていたジャージを取り出してくると、専らそれを普段着にしてしまった。様々なワンピースやスカートも、未だにデパートの袋に入ったままタグも外されていない。
 結局のところ、彼女の家での言動は男だった頃とほとんど変わっていない。

「別に、僕みたいな女の子だって珍しくないだろ?ムキになって押しつけないでよ!」
遥は、買ってきた服を香奈に渡した時、彼女が異常な剣幕で怒る様子を思い返していた。
「そりゃそうよね…。周囲の扱いが一変したら、戸惑うのも当然よ……」
遥も色々と彼女の気持ちは考えているのだが、なかなか細かい点にまで気が回らない。
病院ではたいていの世話は看護婦がやってくれていたし、あまりそうしたことを考える余裕もなかったので意識はしなかったが、いざ落ち着いて、直接香奈と向き合ってみるとその大変さは嫌と言うほど分かる。
「家での生活はだんだんと考えていきましょう」
と退院前には強気に言っていた自分だが、現にどこか焦ってしまっている。
「あいつも一応大人さ、その辺のことはよく分かってるよ」
表情から妻の心中を察した勇作は、そっけない様子で言った。
「だけど状況が状況だし、誰だってナーバスになるわ」
勇作のそうした態度にむっとしながら、遥は反論した。

 勇作と結婚する前は遥も小説を書いており、彼女はかなりの人気作家であった。
勇作との馴れ初めも、とある賞の受賞会場である。医者をする傍ら書き上げたという彼の作品に彼女はどこか魅力を感じ、恋愛に発展するまでそう時間はかからなかった。
 彼女は当時、主に恋愛を中心とした話を書いており、毎日登場人物の心境を読む事ばかりしていた。故に娘の扱いについても何とかなるだろうと、どこか高をくくっていたのである。それがここ最近、全く香奈の心が読めない。
遥は少し自信を失っていた。
「まぁ俺達があたふたしたって始まらないよ。あいつはあいつ、香奈は健康に生きている。俺はそれだけで十分だ」
という勇作の言葉で遥はずいぶん慰められる。秀敏の入院の際、勇作は気丈に周囲を励まし続け、実は彼の家の中での株はずいぶん上がった。
「そういえば、編集部の方からまたお前に読み切りの依頼があるそうなんだ。俺も原稿落としそうなんだよ。今度受けてみてくれないか?」
「今はそんな気にならないわ…ちゃんと書く自信がないし…」
遥は微笑みながら首を横に振った。
 彼女が結婚直前に書き上げた小説”ブルー・タイム”は、未だにファンが多い。未完のまま終わってしまったこの作品は、読み切りの形でも復活が望まれている。
「今読み返してみると、「あぁ、私って何にも人の気持ちが分からないんだな」って嫌になるの。きっと私が話を書くことはもうないわ」
と遥は言った。
「そうかぁ?お前が前に言ってた話の結末、俺は好きだぜ?」
と勇作は残念そうに言う。
確かに遥の心の中で、話の結末は固まっている。しかし、今考え直してみるとそれらはやたらと薄っぺらい物に思えるのだ。
「どうしてかしらね?わたしも”オバさん”かしら」
と、力無く遥は答えた。
 しかし、彼女にそう思わせる原因の最たる物は、やはり今の状況であろう。

 壁の柱時計が、ちょうど3時を告げた。


Term.12

 結局その日は一日中、伊吹香奈と御堂英一の二人が口をきくことはなかった。
例の「御堂・伊吹不仲説」も、かなり周囲で確証を得た物となりつつある。
「あいつめ、徹底的に僕のことを無視してる…」
と香奈はふさぎ込んでいた。
「授業が終わるとすぐ出ていっちゃうし、何とか話が出来たらなぁ」
などと、考えるのは御堂のことばかりだ。今日御堂がトイレに行った回数は裕に十回を越えている。

「ねぇ、部活は何やるの?よかったらうち来ない?」
と、声をかけてきたのは岬だ。うち…確か岬の部活は女子バレー部だ。
「な…何の部活?」
と、一応聞き返す。
「バレー」
「ごめん、パス」
香奈は、自分がユニフォームを着てバレーをしている姿を想像した。男の視点からであれば、それはかなり眩しい光景だっただろうが、それが自分と考えると笑えない。
少し考えた素振りを見せ、
「何にしようか迷ってるんだ」
と言うと、それを聞いていた周りの生徒が一斉に手を挙げた。
「陸上は!?」
「体操!」
「演劇部に来てよ!」
「今はやってないけど、水泳部はいいとこよ!」
その他バスケ、ソフトボール、テニス、華道、演芸、放送、弓道…等々、色々なところから誘いがかかる。しかしどれもやりたいような部活ではない。
陸上など、やっても自分の体力低下がショックなだけだし、体操は得意ではない。演劇などはまさに今の日常だ。水泳部…香奈は考えただけで一気に気分を害した。(年内で転校するのなら関係ないのだが)
 実のところ先日まではサッカー部を考えていた。しかし、よく考えたら女子サッカー部は星丘高校に無い。現状でサッカーは出来そうにないし、マネージャーにもなる気はない。
「ま、ほんの二、三ヶ月、無所属でも構わないよね…」
と、サッカーが出来ないことを残念に思いながらも香奈は部活動をあきらめた。
聞けば御堂は部活動をサボり続けているという。それは香奈にとって大変な贅沢であった。

「あぁ、やっぱり伊吹はいいよ…」
「うん、そうだねぇ。可愛いし、しっかりしてるし…」
そう噂するのは香奈のクラスの男達である。御堂の姿はもちろんない。
「ほら、やっぱり昨日は緊張してたんだって。今日はもうクラスに馴染んでたし」
その日一日の紆余曲折を経て、香奈の仕草はだいぶ固定化された。
落ち着いた清楚な雰囲気の中に、たまに男性的な様子を見せる彼女の姿は、かなり周囲の”ツボ”を突いたという…。もとよりクラスが変わっていないので、馴染むというのも当然といえば当然だ。
「それで御堂は嫌ってるんだから、罰当たりも甚だしい!」
「そうだそうだ!」
と、場の生徒は御堂のことを陰で茶化す。内心ライバルが一人減ったことを喜びつつ…。
「うちの部活にこれば良かったのになぁ…。知ってるか?彼女、部活はやらないらしいぜ?」
「えぇー!?残念だぁ…」
「残念がるなって。それに少しの間じゃあ入っても意味無いよ」
「あーあ。何で今学期中だけかなぁー。俺、三学期は学校に来ないかもしれねぇ」
当然冗談だが、香奈の周囲に与えた影響は決して小さくない。
「第一、一人称が”僕”だなんて娘、まずいないよ?俺は惚れたね」
惚れる…誰もが心に思いながら、それまで発しなかった言葉だ。
相当な高倍率、しかも時間制限付きとあって、今一歩踏み込んだ発言をする者がいない。そいつはすぐさま周りの生徒にヘッドバットをかけられている。
「彼女、うちのクラスのことをどう思ってるのかなぁ…」
これも皆が思っていたことだ。
屈託無く喋る香奈だったが、どこかその裏には何かを覆い隠すような節がある。事情を知らない者にとって、それは少なからず気になるところであった。皆、彼女の感情が読めないと言うことで納得している。
「みんな、ばいばい!」
という不意の伊吹の声に、クラスのほとんどが振り返る。
「ばいばーい!伊吹ちゃーん、また明日ね!!」
と、数人が声を合わせた。
人が何人か集まると、こうした歯が浮くような挨拶も平気で出来るものだ…。


Term.13

「ところでさ、父さんは御堂に僕の症状を何て言ってあったの?」
香奈は仕事中だった父親に、帰宅するなりおもむろに訪ねた。
「なんだ?意識不明って事にしておくように言ったのはお前だろ?」
不意に訪ねられたことで、勇作は一瞬当惑しながら答える。
「だからぁ、一日くらい目を覚ましたとかさ。言ってない?」
ずいぶん都合のいい質問だ。香奈も薄々はそう感じている。
「うーん、面会謝絶とだけいっておいたけどなぁ。昏睡状態とは言ってないけど?
でも面会謝絶=意識不明という気はするしなぁ…」
自信なさげに勇作は答えた。
「オッケー、それで十分!父さんサンキューね!」
と答えると、香奈は自室にかけ込んでいった。
「あいつ…転校二日目でやけに明るいなぁ…」
勇作は一応の安堵と共に、苦笑の表情を隠せない。

「あいつ、僕のことを相当気にしてくれてたしね。意識を取り戻して手紙の一つも残したって事にしよう!」
というのが僕の考えたプランだ。このままでは御堂は”秀敏”のことを気にして、転校する日まで口を利いてくれない恐れがある。それに、あいつがあれだけ熱を入れてたサッカー部を、全く欠席しているというのが気になる。
「今あいつと勝負しても勝てちゃうんじゃない?」
というのが正直な心境だ。久しぶりに見るけど覇気がないよ、覇気が!

「親愛なる友人、御堂英一へ
 お久しぶりです、お元気ですか?僕は今、病室のベッドの上でペンを走らせています。
 父親に僕の病状を聞きましたが、サッカーの方はもう…」
やばい…サッカーのことなんて書いたら涙が出てきた。こんなに涙もろくなるのも”女の子の心理”ってやつなのかな…?
「何やってるかと思えば、ラブレターかよ…」
と、不意に後ろから声がした。弟の和浩だ。
「いやぁ、御堂を励ましてやろうと思ってさ。全然ラブレターなんかじゃ…!!!」

 一気に全身から汗が噴き出した。
考えてみたら、女の子が男に宛てて手紙を書く構図なんて、ラブレター以外の何物でもない。しかもその女の子というのは今の自分だ。頭の中が一瞬にして真っ白になる。
「なっ…いや、あ…う…うるさい!!」
それだけ言うので精一杯だった。
「男にラブレターなんて書けるようになったらもう立派な姉貴だよ。あーねーき!」
「あっ姉貴って言うな!ラブレターって言うな!怒るぞ!」
「”姉貴”なんぞ怖かないね!真一、聞いてくれよぉ!!」
と言いながら、和浩の奴は逃げて行く。
「ぎゃぁぁー!!見られたぁ!!」
と、僕は一人、真っ白になりながら部屋に崩れ落ちた。
「駄目だ…もう今日は手紙なんて書けそうにない…。明日にしよう…」
とてつもない脱力感に嘖まれながら、僕はよろよろと腰を上げた。
書きかけの手紙なんか破棄だ!胸くそ悪いな!!

 …夕食中の家族の視線がものすごく痛い。全員がニヤニヤしながら、言葉を飲み込んでいる様子が見て取れる。和浩の奴はあの後、家族中に先ほどの出来事を触れ回った。それでみんな完全に、僕がどこぞの男にラブレターを書いたと信じ込んでいるのだろう。
「あっ…あの?和浩?」
「大丈夫、俺は応援してるから」
すました顔で答えやがって!今こんなに動揺してるのも、元はと言えばお前のせいだぞ!
「真一ぃ…」
「いいことじゃん。姉貴は女なんだから。恋は盲目っていうぜ?」
と、真一も全く的外れなことを言っている。しかも”恋は盲目”なんて言葉、一年前のこいつの辞書には無かっただろ!?くそ…中二になったら急に妙な言葉を覚え出しよった…。
「父さーん…」
「分かってる、御堂君だろう?手紙を書くなんて考えたじゃないか。ま、香奈がラブレターを書くとは思ってないよ」

あれ…父さんの反応は僕の想像とはだいぶ違っていた。いや、さすが父さんだ、その辺のことはよく分かっている。
「お前達も変なこと言って香奈をまくし立てるな。まだあれからたった一月だぞ?」
と、父さんは助け船を出してくれた。こういうときの父さんは実に頼りになる。
「これでも愛娘を抱える父親なんだが、ま、香奈が御堂君にその気になっても、反対なんてしないから安心しろ。」
と、父さんは冗談めかして付け加えた。「おいおい」と僕がつっこむ。

 そう言えば、これまでは自分のことで精一杯だったので考えたこともなかったが、年頃の娘を抱える父親とはどんな気分なのだろう?それもある日突然に…だ。やっぱりドラマ等で見るように、心配で仕方ないのだろうか?
みんなの目に僕は今、どんな風に映っているのだろう。不意に不安な気持ちに駆られた。
 あぁ…最近たまに、人の何気ない一言がやたらと心にのしかかる事がある。


Term.14

 転校の日から約二週間。御堂に手紙を書こうと言う意志も結局弟のせいで萎えてしまった。書こう書こうとペンは持つのだが、その度に”ラブレター”のイメージが頭から離れず、一向に書き進められない。

 今日も時間がぎりぎりになってしまった…。と、壁の時計を見ながら僕はため息を付いた。今までは、8時に家を出たら余裕で学校に間に合うはずだったのに、今同じように家を出たら間違いなく遅刻する。登校初日は少し余裕を持って家を出ていたので気が付かなかったが、思えばあのときも7時45分に家を出ておきながら、駐輪場で少し会話しただけで時間ギリギリになるなどと言うことはなかったはずだ。しかもここ最近、自転車に乗って息があがるなんて初めての経験だ。
 そういえば、普通の生活を始めたら突然不便なことが起こり始めた。
病院から帰った早々に玄関で大こけして家中に大笑いされるし、椅子に座り損ねたこともある。コップを取ろうとしてひっくり返すなど、予想以上に身体が変化した影響は大きい。これらはひとえに身長の変化になれないせいだろうが、このように運動能力の変化を見せつけられるとやっぱりショックだ。
「はぁ…8時の占いはあきらめなきゃ駄目か…」
と、もう一度大きくため息を付いた。
朝番組でやっている星座占いのことだが、最近は朝早めに起きて、6時59分にやっている占いを見ている。そう言えば今日の蠍座は十二位だったし、何かの暗示のようにも思えてきた…。

「香奈、おはよう!」
と、教室の前で挨拶をしてきたのは岬だ。
「おはよう、みさ…岬!」
と、自然な素振りをするのだが、実は未だに発言の一言ずつにやたらと神経をとがらせている。女の子を呼び捨てにするのだけで、内心気が狂うほど緊張しているのだ。相変わらず御堂は目も合わせてくれようとしないし、”伊吹香奈”としてやっていく自信を失う理由は十分すぎるほど山積している。
「今日もあいつはむすっとしてるね?」
と、御堂の方を見ながら何気なく岬に訪ねてみた。
「え?香奈は御堂君のことが気になるの?」
という岬の驚く表情に、一瞬先日の会話が脳裏によぎった。
(しまった!読み切れなかった!)
と、心の中で思い切り後悔する。女同士の会話など、どんな物なのか知らないのだ。こういう話を出したときの相手の反応など、全く読むことができない。
「えー?何でもないけどさぁ…」
と、必死の思いで平静を装った。
もし岬が注意深い人物だったら、僕の動揺ぶりは即座に分かっただろう。少し大まかなところのある彼女の性格に、内心少し感謝する。
「知らないの?香奈と御堂君って、すごい仲悪いっていう噂だよ?私も香奈が御堂君のことを嫌ってると思ってたよ」
けろっとした顔で答える岬なのだが…そこまで話が発展しているとは正直思っていなかった。僕としては御堂の気持ちを考えて、敢えて彼に触れないようにしていたのだが、それが御堂のことを嫌っているように映ったらしい。
「クラスメイトじゃん、仲良くしたいよ」
と、あくまで”クラスメイト”を強調して切り返す。
「香奈っていい娘だねぇ。実は御堂君、ピリピリしててちょっとつき合いにくいの」
岬は少し顔をしかめた。
「つき合いにくいかぁ…」
と、僕は何気なく反復してみた。
 だけど確かに以前より暗い感じになったとはいえ、御堂が普通にクラスの男と会話しているのは見た。どうやらつき合いにくいという印象は、クラスの女子限定の評判らしい。
「ま、元々いい奴だしなぁ」
と思ったところで僕はふと気付いた。御堂は女の子の間で評判を下げている…僕は今その女の子なのだ。さらに、今の僕はただでさえ御堂に嫌われている……。
あれ…なんだか完全に自信が無くなってきた…。


 日直に当たっていた御堂は、当番日誌を書きながら伊吹が教室に入ってくるのに気が付いた。それだけで御堂の気分は一気に沈む。
 教室の前で清水に捕まり、困ったように会話する伊吹…。
 周囲を見回し、クラスのことを話しているらしい伊吹…。
 若に教室に入るよう言われ、謝る伊吹…。
御堂には彼女の一挙手一投足が気にかかって仕方ない。その都度狭山のイメージが浮かんでは消え、言い様のない思いが腹の底からこみ上げてくる。
「くそ…伊吹…か」
当番日誌を書く手が思わず止まる。御堂が伊吹のことをこれ程までに意識する理由というのは、”彼女に対する苦手意識”そして”なるべく距離を置くため”なのだが、やはり狭山とどこかイメージがかぶると言うのが正直なところだ。
「ふぅ…国語は苦手だぁ…」
と言いながら着席する伊吹。周りの生徒は伊吹に挨拶をし、彼女も笑顔で返すのだが、御堂は未だに、挨拶はもとより、一言も彼女と口をきいていない。

「ここの品詞分解を出来るか?今日は十月の三日…おい!出席番号3、伊吹どうだ?」
不意に指名された伊吹は、慌てて教科書を取り直すと、困った顔で立ち上がる。
「えぇ…と…完了の”なり”の連用形の促音便、プラス”めり”で…”ん”の省略形です」
「お、よく分かったな。よし、座っていいぞ」
伊吹は慌てながらも、スラスラと当てられたことに答えていった。彼女はすでにクラスの中で”頭のいい人”で通っている。
「そういやあ今日は三日だったや。うっかりしてたよ」
と、伊吹は安堵の笑みで後ろの女子と言葉を交わす。隣の席の御堂は、それを無表情で横目に見ながらも、心中は穏やかでない。
(どうも伊吹の細かいところが狭山に似てる”みたい”だ…)
と、御堂は心のどこかでそう感じていた。
 狭山の親友であった御堂は、ある程度彼の細かい癖を知っている。例えば授業中に指名されると、狭山は一瞬困った顔をし、そしてあっさりと質問に答え、着席して周りと二言三言会話をする。今の伊吹が仕草までそれに合致しているのだ。
 それでも”みたい”が語尾に付いて、確定的に「伊吹と狭山が似ている」と言いきれないのは、御堂が感じる両者の根本的な雰囲気は似ても似つかないからである。これもひとえに、伊吹が日頃”伊吹香奈”を演じていて、御堂がそれに全く気付かないためであるのだが…。
 もし、御堂に人並みかそれ以上の洞察力があったら、彼女のぎこちなさから、それらを分析して彼女の正体に気付いたかもしれない。

「なぁ、いい加減部活に戻れよ。体力落ちるぜ?」
サッカー部の面々はいまでも御堂をちょくちょく誘いに来る。
 しかし、御堂の返事はいつもノーであった。
「もう次の試合が近いんだよ。狭山もお前も抜けちゃぁうちの戦力激減だろ?頼むよ」
と彼らは言うが、御堂が部活に参加しなくなって三ヶ月になる。もうレギュラーの座も危ういかもしれない。
「春だって俺のせいで負けたようなもんだし、戻る気にならねぇよ…」
と、御堂は言った。
 春に行われたサッカーの試合では、狭山が抜けた次の試合で星丘高校は大敗を喫した。狭山がいないからと言っても、決して勝ち目がなかったわけではない。御堂が言うように、確かにその敗因の多くは、御堂のコンディションの悪さにあった。意識不明という狭山の症状をきいて、御堂の動きはその日、異常に悪かったのである。
試合に負けた後、御堂はなし崩し的に部活を休むようになった。
「だけど、狭山の意志を継ごうとか言うさぁ…」
と、何とか説得しようとする仲間に対して、
「うるさいなぁ、その狭山がいないんじゃ話になんないんだよ!」
と御堂は言い放った。

 最近一層、御堂の中での狭山の存在という物は大きくなっているようだった。
もとより打ち消そうなどと考えてはいなかったが、事ある毎に狭山の影がちらついて仕方ない。
「おい、顧問の先生に聞いたが、お前部活を休み続けてるらしいな。週に一回は出席しないと、単位を落とすぞ?」
御堂は放課後、当番日誌を提出する際に鈴木担任から注意を受けた。
 ちなみに星丘高校では、週一回の部活動への参加は授業扱いである。伊吹は短期間ということで、特例的に参加が免除されている。
「それに俺の英語だけならやる気無くてもいいがな、他の先生の授業は真面目に受けろ」
と、やや強い口調で御堂に釘を刺す。
 御堂は一応授業にも出席しているし、試験で赤点を取るわけでもないので、一通り単位は取っているのだが、一年時の彼の成績を知る者にとっては、彼の成績の落ちようには少なからず戸惑いを感じさせられている。鈴木氏もその一人だ。
「このまま成績が落ちると、また一人この学校から生徒が減るぞ?」
と、冗談を言う鈴木教諭。彼はたまに冗談にならない冗談を言うことで有名だ。
「えぇ…がんばります」
御堂は生返事で答えた。
「ま、がんばれな。今日はご苦労さん、帰っていいぞ」
と言われると、御堂は軽く会釈して教務室を出た。
 御堂の扉を閉める音がやたらと大きい。

「狭山のことを気にしてるのは俺だけなのかよ…」
 御堂は悩んでいた。狭山が退学したことは当初それなりに話題にはなったが、それも今となっては皆の記憶の片隅に追いやられている。自分だけが狭山のことを未だに引きずって元の生活に戻れないでいるのは、考えようによってはあまりにも幼かった。
「おかしいな…自分がこんなに情けないなんて思ってなかったのに…」

 御堂と狭山が初めて出会ったのは高校の入学式の日のことだ。二人ともクラスが同じで、かつサッカー部への入部を希望したことから知り合いになり、日に日に親しくなっていった。
中学時代、サッカーで選抜チームに選ばれたこともあった御堂、狭山は、互いの噂を聞いていたこともあって、親友であると同時にライバルであった。互いに技術を磨き、その後同じ試合でスタメンに選ばれるなど、二人の力はほとんど変わらなかったようだ。
家の方向が違っていたため、一緒に帰るとか、互いの家に行くようなことは無かったのだが、学校にいる間のほとんどは二人で行動を共にしており、二人のその仲の良さは周囲でも評判だった。
 学年が上がるときにクラス編成があったが、二人は偶然にも再び同じクラスになった。お互い非常に喜んだのだが、その後たった二ヶ月で狭山は学校を去ることになる…。
 二人の関係を知る者ならば、御堂の傷つきぶりは容易に想像が付いたであろう。

 五時を告げるチャイムが鳴った。辺りも暗くなり始め、生徒の姿もまばらになっていた。


Term.15−1 : 御堂英一

 日直で遅くなった御堂は、誰もいなくなった教室で帰り支度を整えていた。部活を休み初めて以来、こんなに遅くまで学校に残っていた事など無かった。
「十月って、こんなに暗くなるのが早かったっけ…」
と、ふと外を見ながらぼぉっとしていた御堂は、不意に後ろで教室の扉が開く音を聞いた。
「ひゃぁー、もうこんなに暗いんでやん…の…」
その声は、御堂がここ最近最も気を払い、そして彼の最も聞きたくない声であった。
(なぜ…どうして…)
という思いと共に、恐る恐る振り向いた御堂の目に映ったのは、同じくキョトンとした表情でこちらを見つめる伊吹の姿であった。
 自分と伊吹の二人きり…その状況が御堂のまともな思考力を一気に奪っていった。
御堂からは何の言葉も出てこない。伊吹も何か言葉を探しているようだった。

「…どうかした?」
先に沈黙を破ったのは伊吹の方だった。一歩教室に入り、落ち着いたように話しかける。
「…今日は…日直で…」
御堂もようやく、はっとしたように口を開いた。ほとんど単語だけの、文章にもならないような言葉だったが…。
「ご苦労さま、僕は科学部の見学だよ」
と、伊吹は軽く笑って言った。御堂は、伊吹のそんな落ち着いた口振りに自分の動揺ぶりを対比させ、なにか複雑な気分だった。
「………あぁ…そう」
と言うと同時に、御堂は鞄に手をかけた。一刻も早くこの場を離れたい…動揺の中で、はっきりとした思いはただそれだけだった。
それを見透かしたかのような伊吹も自分の席に戻り、二人の距離が近づく。
御堂は伊吹と顔を合わせないようにその場を離れようとした。
「待ってよ」
その御堂を、伊吹が呼び止める。
御堂の緊張は頂点に達していた。
「この場を離れたい」というよりも「逃げ出したい」という方が正しいかも知れない。
…御堂は伊吹のことを恐れていた。
「僕のことを避けてるの?」
そう言う伊吹の口調には、どこか怒りのこもったような感じがあった。
「……別に…そんなこと」
後ろを向いたまま、御堂は声を小さくして答える。彼女の鋭い質問に完全に萎縮しながら…。
「…嘘だよね…?」
伊吹は口調を変えて反論した。
「僕のことが嫌いなのは知ってるよ…それで避けようとしてるのだって…」
伊吹は続けた。御堂は黙ったまま動かない。いや、動けなかった。
「ね、僕のこと嫌いなら嫌いだって言ってよ…狭山君のことは聞いてるよ。だからって…」
それを聞く御堂は、強い衝撃を受けていた。
自分の伊吹に対する態度は、全て彼女に見透かされていたのだ。狭山についての幼稚なわだかまりも、それを彼女にぶつけていたことも…。
「”彼”はきっと幸せだね…こんな親友、なかなか出来ないよ」
御堂は、ふと伊吹の方を振り返った。そしてはっと気付いた。
伊吹の目からこぼれ落ちる大粒の涙に…。
「あれ、おかしいな…なんで泣くんだろ?な、なんでもないから…気にしないでよ」
伊吹は笑ってごまかしたが、御堂にはそれがものすごく不思議な光景であった。
その涙の理由もあったが、それまで不気味なほど深く、大きく見えていた伊吹が、意外なほど小さく見える事の方が大きかった。
「伊吹………ははっ…なんだよ、いきなり泣いて…」
御堂の口から不意に言葉が出た。それまでの緊張が解けていくのを感じながら…。


Term.15−2 : 伊吹香奈

 今日は週一度の部活義務の日だったが、部活に所属しないことにした僕には関係のない話である。そう思って帰ろうとしたが、不意にクラスメイトに呼び止められた。
「香奈ちゃん、良かったらうちの部活見に来ない?科学部なんだけど…」
科学部は学校祭の度に大盛況となる人気の部活で、日頃から興味深い研究をしていることで有名だ。ただ、その構成メンバーが全て女子という、男には近づきがたい部活でもあった。
「へぇ、じゃぁ行ってみようかな」
と、興味を感じて答えると、彼女たちは喜んで僕を引っ張っていった。

そんなこんなで時間が五時になっている…。

 暗くなりかけている校舎というのは何かワクワクする雰囲気がある。もう生徒の姿もほとんどなく、広い空間に自分一人という開放感がある。
僕がもう少し周りの目が気にならない性格だったら、鼻歌の一つも歌うところだ。
「ひゃぁー、もうこんなに暗いんでやんの」
と、勢いで独り言を言いながら教室に入った。誰もいないのだ、気にもすまい。
 …と思ったが、事情はかなり違っていた。暗がりの中の影は、紛れもなく御堂英一、その人であった。
 僕は予想外の状況に、内心激しく動揺していた。
御堂に平静を保った表情を向けるだけで精一杯である。なにか気の利いたことでも言わないと…気ばかり焦って何も言葉が出てこない。
「…どうかした?」
なんて、訳の分からないことを言ってしまった。
ほんと、”どうかした”のは僕の方だ…。
「今日は…日直で…」
と、御堂は言葉少なに返してくれた。
こんな状況で、御堂も気まずい思いに違いないのだ。
なにか申し訳ない思いがこみ上げてくる。
「ご苦労様、僕は科学部の見学だよ」
と、なんとか間を持たせるように話しかけた。こんな飾り気のない言葉しか出て来ないことに、改めて自分のふがいなさを感じる。表情なんか、さっきから張り付いたままなのだ。
「………あぁ…そう」
と答えた御堂は、鞄に手をかけて帰ろうとしている。
(何とか話さなくちゃ…)
という思いだけが、僕の心を支配していた。もしこの機会を逃したら、二度と御堂と話す機会はないかもしれない…。そう思うと不安で仕方なかった。
 駆け足になりかけながら、御堂の隣、自分の席に歩み寄る…。
「………」
しかし何も言葉が出てこない…。この時の間が、無性に切なかった。
「俺、帰るから…」
そう言うと、御堂はいよいよ鞄を取って帰ろうとする。
その光景が…何か大切な物が手からすり抜けていくような…ただ、悲しい光景だった。
「待ってよ」
時をつなぎ止めるように、僕の口をついて出てきたのはただそれだけの言葉だった。
「…僕のこと…避けてるの?」
と、分かり切った質問をする事しかできない。
「別に…そんなこと…」
御堂は答える。
(嘘だ…僕の存在が御堂の重圧になってることなんて、分かり切ってるのに…!!)
僕は、心の中で叫んでいた。
僕がこの場で、何も考えずに全てを打ち明けられたら、彼のその葛藤を解放してあげられるかも知れない。ただ…僕はそれが怖かった。
僕が狭山秀敏だと知って、御堂はどんな顔をするだろう?
 今までのように、笑って話し合えるだろうか?
 ライバルとして、親友として、お互いに良き理解者になり得るだろうか?
 何でも気兼ね無く、相談できるような関係になれるだろうか?
答えは「ノー」だ。
御堂はきっと、伊吹香奈としての狭山秀敏を、表面的に”認識”はしても、奥深くでは”理解”は出来ないだろう。”伊吹香奈”の存在が、それを許さない。そして、僕自身にも、彼と元のようにつき合っていく自信がない…。
 もちろん、こんなのは僕のエゴに過ぎないのは分かっている。「自分」のことで悩み、葛藤する友人を、自分は端から黙ってみているのだ。こんなたちの悪いもの、他に無いなんて事は良く分かっている。
そして、そんな自分が許せない…。
「僕のことが嫌いなのは知ってるよ…それで避けようとしてるのだって…」
そんな自分をさげすむ思いを、無意識のうちに御堂に対してぶつけていた。
「ね、僕のこと嫌いなら嫌いだって言ってよ…狭山君のことは聞いてるよ。だからって…」
自分の口から出てくるのは、自分の弱さをそのまま形にしたような言葉ばかりだった。
それがやるせなく、とても悲しかった。
「”彼”はきっと幸せだね…こんな親友、なかなか出来ないよ」
自分…狭山秀敏のことを口に出した瞬間、僕はあふれる涙を抑えることが出来なかった。
御堂はそんな僕を見て、馬鹿な奴だと思っているだろうか?
そうだろうな…情けない。
「あれ、おかしいな…なんで泣くんだろ?な、なんでもないから…気にしないでよ…」
それが自分の、精一杯の言い訳だった。
女々しさ…かもしれない。そんなところに”女性としての自分”を感じると、それすらも悲しくて仕方なかった。もう、何も言えなくなっていた…。
それを黙って聞いてくれている御堂が、何か大きく、包み込むような存在に感じられた。
「伊吹………ははっ…なんだよ、いきなり泣いて…」
不意に御堂は、そういって僕の肩に手を置いた。
その感覚がとても懐かしく、暖かかった。

 僕はその時生まれて初めて、人前で声を上げて泣いた…。




作者の懺悔

 ああ…次回に続いてしまいました…
皆様からの苦情の声が聞こえてくるようです(汗)
何とか第三章で終わらせますので、完結編もどうぞ宜しくお願いします。
なんだか文章の荒さがさらに進行している気がしますが…。
第一、未熟者がこんなストーリーを作ってる時点で愚かなわけで…。

 投稿のペースについても、冬休みの間に序章は一気に書けたのですが、学校が始まると俄然書くスピードが遅くなり、結局こんな調子です。すいません。
 他の皆様はあれだけの作品を何故簡単(そう)に書けてしまうのでしょうね?

 次回、蒼い時 第三章(完結編)
公開は二月の上旬(予定)です。ご期待下さい(泣)

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