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カヲルの事情 5

by WATARU 1024




 このお話は「二人のカヲル」の四年前からのカヲルサイドの事情を描いたものです。「二人のカヲル」の少なくとも第三話までは読んでおいていただくと、解りやすいと思います。それに、もしかしたらその方が面白いかもしれません。

[「二人のカヲル」へ]




 好きな人とさわやかな日に、腕を組んでゆっくり歩いていれば、いい気持ちになる。当たり前のこと。そんなことが感動的なんだ。
 まあ、一部過激な話題もあったけど。
 「さ、ここだよ。これがオレんち」
 「うん、お邪魔します」
 あたしは彼の後について、玄関をくぐった。









 三.ぼく、あるいは、あたし (1)


 もともと、ボクは、浩ちゃんがいなければ、あんまり外で遊ぶ活発なタイプじゃなかった。
 家の中で遊んでいるほうが楽しかった。
 ただ、浩ちゃんと遊ぶのは本当に楽しかったから。出来るだけ一緒に居たかった。
 今の母、叔母さんは前にこんなことを言っていた。
 「カヲルさんは昔から、女の子だったわよ、私は最初から女の子と思っていたもの。ほら、まだ、あなたが小さい時、私てっきり女の子だと思っていて、女の子用のお土産を買っていったのよ、あなたが喜んでいたんで、嬉しかったんだけど、後で早坂のお父さんに怒られたの。それで初めてアレーって思ったの、今考えれば、正しかったのは私なんだからエバっていいわよね、ほほほほほっ」
 そう言って叔母さんは元気に笑っていた。

 しばらく前から身体の調子はおかしかった。まさかそういうこととは知らなかったけれど。
 最初は胸だった。もともと男の子とは違っていたのかも知れない。そんなに太っている訳ではないけれど、心もち膨らんでいたような気もする。それがいつのまにか眼に見えて膨らんできた。ただ膨らむんじゃなくて、乳首が大きくなって前に出てきて、服が擦れるのが痛かった。膨らみ全体も触ると痛みがあった。
 自分は男だと思っていたから、このまま膨らんだらどうしようとは思った。でも、成長期にはホルモンのバランスが崩れて男の子でも胸が膨らむことがあると言う話を聞いて安心してた。胸の膨らみはまだ全然、乳房と呼べるようなレベルじゃなかったから。
 小学校を卒業し中学校への入学を控えた春休み。その第一日目から体調が崩れた。それまでもどこか身体の歯車がずれている感じはしていたんだけど、大したことはなかったので普段通りに過ごしていた。
 それがこの日は朝から頭痛がして、朝御飯の後は吐き気までしてきた。
 浩ちゃんと自転車ででかける約束していたのに、自分のせいで予定が中止になってしまってショックだった。とりあえず横になって休んでいたのだけれど、しばらくすると腹痛までしてきて。
 下腹部に違和感があって痛みもひどくなってきて、トイレに行った。便座に座った途端、驚いたことに便器の中に真っ赤な物が拡がっていった。良く見るとおちんちんのあたりから血が流れ出ていた。
 
 ボクは吃驚して怖くなってしまって騒いだらしい。このまま死んじゃったらどうしようなんて考えていて、変になっていた。その時はママがすぐにやってきて、病院に行った。さすがに何やら大変なことになっていると思ったんだ。
 詳しいことは憶えていない。ボクは気が動転していたし、ママも結構焦っていたから。
 ただ病院で診察した先生に「よく今まで気が付かれませんでしたねー」と言われた事は憶えている。
 そして、
 「初潮ですね、多分。心配ないですよ、順調に発達してると思います」
 とも言っていた。
 ボクは自分が男だと思っていたので、何を言われたのかまるで理解出来なかった。

 結局、数日間の入院、検査とその後の手術がボクを待っていた。
 生理は何とかやり過ごし、身体が落ち着ついてから処置することになった。
 手術の目的は、取り違えの原因ともなった外性器の形成異常の再形成。パーツはちゃんと揃っていて面倒な処置はなかったらしいけど、詳しい話は解らない。何度か聞いたけど専門用語が解りにくいし、解るところを聞いていると段々気分が悪くなってしまうので、最後まで聞き通せない。とにかく先生はごく正常な平均的な状態に成長するでしょうと言っていた。
 手術後ボクは一からその辺のことを憶えなければならなかった。
 たとえば、まずはおしっこの仕方から。

 小便を立って済ませられなくなったことは、思ったより不便には感じなかった。
 実を言うと、もともと立ち小便と言うのはボクは苦手だった。他の男の子達のそれがホースの先から勢いよく出るのに、ボクのはそうは行かなかったからだ。これは少なからずコンプレックスの因であって。
 まさかおちんちんと思っていたものが、ボクの場合だけただの肉の盛り上がりだとは思う筈も無かった。背はあったから、立っておしっこをするときはいつも上からかがみこんで何とか納めていたんだ。それでも苦労した。どんなに力んでも、ちゃんと勢いのある水の線にならなかったから。
 ホースなしで座ってやると、最初はひどいものだった。どうやってねらいを定めたらいいのか解らないんだ。周りに飛び散ってしまうし。でも立ってする苦労と較べてみると、楽なことだった。別にねらいなんか関係なかったのだから。慣れてくると、あまり飛び散らないようになったし。
 手術の後は順調で、ボクは数日で退院となった。再形成と言っても、大したことをしたわけではないらしく、傷口というほどのものもなかった。ただ何日かはずっと痛かった。
 経過を見るために、ボクはしばらくの間、婦人科に通院することになった。お蔭で婦人科の診察に慣れてしまった。でもそれがとても嫌だった。

 その間、両親は、病院と役所、裁判所と忙しかったらしい。二人とも、ボクとは別にそれぞれ衝撃的な事実を受け止めかねていたのだと思う。
 ボクは女の子として生きていくことになった。まあ本来そうだったわけで、今までが間違いだったわけだけれども。
 中学校は替わることになった。入学式にも出ていないのに、そのまま転校となったのだ。一人の友達にも挨拶せずに、引っ越すことになった。
 制服も女子用のものが用意された。ブレザーにブラウス、リボンタイをつけて、スカート。靴下。
 初めて女子用の制服に袖を通したとき、スカートの頼りなさがショックだった。
 すぐには適応できそうもないので、通学し始めるのは少し後にした。

 ママはボクを女の子らしくしようと日に日にヒステリックになって行った。まるで別人のようになって、うるさくなった。突然日常のすべてを違うやり方でするようにいわれても、出来るわけがない。言葉遣いから何からいちいち言われるといい加減嫌になってくる。
 パパとは全然話をしなかった。もともと良く話す方ではなかったし、息子が女になってしまうという事態はパパにもどうしたらいいのか解らなかったのだと思う。ひょっとしたらボクよりショックを受けていたのかも知れない。あまりボクと目を合わせなかった。
 退院した後の家の中は居心地のいいものではなかった。夫婦喧嘩なんてあまり覚えが無かったのに、この頃は頻繁にするようになっていた。
 そんなとき叔母さんがしばらく預かろうかと言って来たんだ。
 四月半ば過ぎ、退院して三週間くらい経った頃だ。ボクと両親は三つ巴で冷戦状態になってしまっていて。
 叔母さん・正確には母方の叔父の配偶者・とは小さいころから親しくしていて、叔父との間には子供が出来ないので、かわりにボクを可愛がってくれていた。ボクは叔母のことが好きだったし、叔父のことも結構気に入っていた。それに家の方はもうがたがたで、家を出られるならそれだけで嬉しかったんだ。
 叔父は暢気な人で、クールでもあった。紳士的なかわりに厳しいところもあるけれど、女の子には優しいと自称していた。
 叔母は、ボクを安心させてくれた。それだけじゃなく、ボクを少しでもやる気にさせてくれた。
 「ゆっくりやりましょう。女の子らしいやり方を覚えるのは大変なんだから。あたしだって随分長い間掛けて憶えたんだからね」
 「え! 叔母さんも男の子だったの?」
 「いいえ。女の子だったわよ。女の子だって、女の子らしいやり方を覚えるのは大変だったの、時間をかけてじっくり憶えるんだから」
 「へー、そうかー。そうだよね。男だってそうかも知れないし。女だってそうだよね。ちっちゃいころってあんまり区別なかったような気もするし」
 「あんまりね」
 「ちょっとはあるのかな」
 それに答えて、叔母は言ったのだ。
 「カヲルさんは昔から、女の子だったわよ、私は最初から女の子と思っていたもの」
 と。
 自分ではあまり意識してなかったから、そういうことは解らないけど。

 叔父夫婦のところに居る、しばらくというのは曖昧だけど、学校には通わなきゃいけない。ボクは結局また、一日も登校せずに転校することになった。
 ボクが中学校へ初登校したのは、五月の半ば近くになってからのことだった。
 その頃には、女の子の服、つまりスカートとか、ワンピースとか、下着とか、そういったものに慣れてきてた。
 ママはボクが退院するとすぐ、山のように女の子用の服を買ってきたんだ。
 退院した時から、早く慣れるようにと、家で過ごすあいだもママにスカートを着るようにさせられていた。これは叔母も同じ考えだったので、嫌がる隙も与えられずに慣れてしまった。
 始めの頃はスカートの風通しの良さが頼りなくて、どうしても外出する勇気が無かった。何日かは家に閉じこもっていたのだけど、それではどうしても飽きてしまうし、自分でも暗くなるのが解って嫌だった。
 最初の外出は叔母と一緒だった。
 まだ引っ越したばかりの早坂の家にいて、ママの神経がぴりぴりしてきて、心配で様子を見に来た叔母に連れ出されたんだ。
 ボクは紺のワンピースで、叔母も同じような服装だった。まるで親子で御揃いといった感じだった。
 「普通にしてればいいのよ、別に当たり前のことなんだから」
 「だって、なんか自分だけ裸で歩いてるみたいで」
 「わたしもワンピースなんだから、いいでしょ。ほら前見て。ぶつかるわよ」
 ボクはつい足許が気になって、前を見ないで歩いてしまう。
 「はいっ」
 慌てて答えて前を向く。靴は通学用にするつもりの革靴。カッカッと踵が地面にあたって、スニーカーとは違う感触を伝える。これも落ち着かない原因の一つだ。
 「髪の毛は少しカットしたほうがイイかしらね」
 ボクの髪はそのころ、男にしては長めだけど、女の子としては短めだったと思う。だからとりあえずこのまま伸ばすのかなと思っていた。
 「え、切ったほうがイイの?」
 「そうね、少しだけ。今のままでも中性っぽくていい感じだけど、少し整えたら可愛らしくなるわよ」
 そう言われると、男の子ッ気が抜けていなくて、まだちょっと複雑な気持ちになっていた。少し前まで可愛いなんて言われると、反発していた自分がいるわけで。
 「いいよ、このままで」
 「そう?」
 この日はそのまま叔母に付き添われて、美容院へ行った。初めて女の子として入った店だった。
 今までも髪を切るのは美容院でだったんだけど、女の子としてはもちろん初めてで、お店の人の応対が気になってしょうがなかった。
 髪はほんの少し切りそろえるだけで、顔の印象が変わった。どちらかというと中性的な感じだったのが、今はボーイッシュな女の子に見える。
 我ながら変な感じ。
 「お店の人、伸ばしたら似合いそうって言ってたわよ。美人になるって」
 「そうかなぁ?」
 そう言われても、まだ単純に喜ぶ気にはなれなかった。
 その後も何度か叔母と一緒に外出してみた。ちょっとした買い物をしたり、お茶を飲んだり。
 叔母の注意の仕方はちょっと意地悪で、こちらが羞ずかしくなる様なことを言って、いやでもそうしたくなるようにするのだ。
 ボクが座ってちょっとでも足を開いてしまおうものなら、にっこり笑って言うんだ。
 「ほら、アソコの男の子がビックリしてるわよ、あなたのスカートの中が見えそうなものだから。注目されちゃう」
 「叔母さん! そういう言い方しないでよ」
 ボクはバカ正直に顔を赤くして、慌てて足を閉じる。顔を伏せてしまうから解らないけど、多分そんな男の子なんかいないのに。油断するとすぐ膝を開いてしまうクセはなかなか直らない。
 「あら、だって、本当よ。あ、見えなくなって、ちょっと、がっかりしてるみたい、男の子ってスケベなのねー」
 教育や訓練と言ってる割に、本人が一番楽しんでるようだ。ボクは体のイイおもちゃになった気分を時々味わった。でもその方が気楽だった事は確か。
 そうしているうちに、服装には慣れてしまった。だいたい着たり脱いだりすることはすぐに憶えられるし、まだ大人の女の人が使うようなややこしい(らしい)下着は着けていなかったから。

 中学校へ初登校する前の日、ボクは新しい制服に袖を通した。
 結局前の制服は一度しか着なかったけれど、その時の感覚や感情は憶えている。いかにも女の子と言う服装な訳で、その時は照れ臭さ半分屈辱感半分でかなり複雑だった。初めて着けるスカートは足許や腰回りがとても危なっかしい。これで表を歩くなんて、裸で歩くようなものじゃないか。膝丈のスカートは座ったら中が見えてしまいそうだ!
 意地悪な男の子の中には、女の子のスカートを捲ろうとするやつもいて、その対象になるかも知れないと考えただけで、胸が苦しくなる。全て投げ出したくなった。自分がとても頼りないものになってしまったような気がして。すごいショックだったんだ。
 でも、一ヶ月以上掛けて慣れてみると、段々立ち直ってくる。
 ママや叔母の訓練のお蔭で、制服を着ても初めての時のような頼りなさは感じなかった。制服はセーラー服タイプの上下だった。襞がたっぷりあるスカートはまた違った感じだった。セーラーを着て。スカーフを巻く。
 鏡を見ると、制服を着たショートカットの女の子がいた。
 「似合ってるわよ」
 叔母がそう言っていた。
 ふーん、女の子になったんだ。
 初めてその時、自分でそう思った。
 スカートの時にしてはいけないこと、と言うのはなかなか身に付かなかったけれど。

 学校に行ってみると、意外なことにそれ程違和感はなかった。教室では男子は男子同士、女子は女子同士で休み時間を過ごすけど、皆が同じ制服を着ている以外は、小学校とあまり変わらない。
 ただ、自分が女の子扱いされることに慣れていなくて、そうされると反射的に顔が赤くなってしまうようになっていた。女の子同士で、同性扱いされるのも少し羞ずかしい。
 やっぱりトイレと更衣室は慣れるまでしばらく掛かった。
 なにしろ、ちょっと前まで、男子トイレでしていた身だから、一瞬そっちへ入ろうとしてしまう。
 ドアを開けて、詰め襟の集団をみて慌てて回れ右をする。そんなことを何回もやってしまった。そのせいかどうか、あたしは詰め襟が集団でいるのを見ると少し怖く感じるようになってしまった。
 女子トイレに入れば入ったで、居心地が悪い。いけないことをしているような気分になってしまう。
 更衣室はもう、見るのも見られるのも羞ずかしくって。急いで着替えて急いで出ていくようにしていた。
 授業の方は完全に取り残されていたので、しばらくはさっぱり解らなかったけれど、学校で補習を受け、家では叔母が見てくれたので、期末の頃には人並みになっていた。
 タイミングを外した転校生なんで、最初はちょっと注目をあつめたけど、何しろ全員中学生になったばかりな訳で、忙しい日常にすぐ紛れてしまったみたいだった。
 あたしは何だか取り残されてしまった。女の子の間にいるのも羞ずかしくて出来ず、男の子たちの集団は何だか気持ち悪くて近づく気にもなれず、結局一人でいることが多くなっていた。

 やっぱりちょっと暗い女子中学生だったな、あたしは。
 クラスメートには引っ込み思案で羞ずかしがり屋の地味な女の子として見られていたと思う。
 実際その通りだったんだけど。他にやることが無かったから勉強していたら、成績だけは良くなっていた。
 学校に行き始めて落ち着いたころ、小学校の友達に手紙を書いた。
 一通は浩ちゃんこと宮本浩樹君宛て、一通は典ちゃんこと杉田典子ちゃん宛て。
 詳しい事情は書かなかった、近況を間接的に伝えるだけ。ただ、一緒の中学に通えなくて残念だということ、別れて残念なこと、など。こちらの住所も書かなかった。
 手紙を書いていて、初めてあたしは自分の気持ちを意識した。
 あたしは浩ちゃんが好きなんだ。
 でもそれが、恋と呼べるものなのかは、その時のあたしには解らなかった。

 夏になって体育の授業で水泳が始まったころのこと。あたしはいつもの着替えの時以上に緊張して、眼が宙をさまよっていた。
 水着だと余計に気になることがあった。確かに自分の身体は女の子のようだし、病院でもそう言われたけれど、本当にそうだろうか。周りの女の子達と何か決定的な違いがあるのではないだろうか。そんな不安があって、体操着の時もそうだけど水着の時はもっと切実に感じる。
 自分も見られないように、そしてなるべく他の人の身体が眼に入らないように着替えていたんだけど。
 ふと気が付くと、隣で着替えていたクラスメートの佐川さんがこっちを見ていた。彼女は割りと大胆で、同性なんだから見られても平気、というタイプ。今も下着姿で前も隠さずこちらを向いていた。彼女はもうブラもしていて、背はあたしと同じくらい。でも体つきはすっかり女っぽくなっている。クラスメートの中でも一番成長が早い方だ。
 「え、なに?」
 あたしが思わず尋ねると、彼女はあたしの身体を改めて見つめて答えた。
 「早坂さんてさ、けっこう胸あるのに何でブラしないの? 早めにしたほうがイイよ」
 「へ?」
 突然の話題にあたしは、頭の中は真っ白、顔は真っ赤にして立ち尽くした。
 「あーあたしも気になってたんだー。早坂、そろそろしたほうがイイよ、ブラ」
 向かいに居たクラスメートが一緒に乗ってきた。
 「そ、そうかな」
 「うん、そう思う。柳はまだいらないけどね、ふ、ふっ」
 向かいに居たクラスメートが柳さん本人だ。彼女は小柄で佐川さんと比べるとまだそれ程大人の女っぽい身体とは言えないけれど、あたしと同じ程度は胸も膨らんでいる。
 「えー、あたしだって、そろそろしようかなって思ってたもん」
 ちょっとムクれて答えている。
 「じゃあさ、今度一緒に買い物行かない? ブラだけじゃなくてもいいけど。」
 着替えの続きをしながら、佐川さんが言った。彼女は手早くタオルを身体に巻き付けて、下着を取っていく。手がすっかり止まっていたあたしは、それを見て慌てて着替えの続きを始めた。更衣室の注目が集まってきたような気がする。あちこちで、あたしもそろそろとか、エー、まだとか、そんな話が始まっていた。
 「いいね、行こうよ、早坂、一緒にサ」
 柳さんは結構調子がいいんだよね。
 「う、うん。いいけど」
 「じゃ、今度の土曜日なんかは?」
 「いいね」
 「う、うん」
 あっという間に買い物に行く約束をしてしまっていた。

 実は叔母にはそろそろしたほうがいいんじゃないの、とは言われていた。初潮を迎えてから急に胸が膨らみ始めて、それまでちょっと出っ張っているなと言う程度だったのが、いつの間にか「膨らみ」というべきものになってきて。先っぽのかたちも「それ」らしくなってきて。
 普段着の時はたまにハーフトップを着けることはあった。上に着るものや肌着によっては、それが無いと痛くなってしまうから。
 叔母にはまだ要らないと答えていたけれど……。
 そろそろ必要なのかなぁと、自分でも感じていた。でもどうしてもブラを着けるということには抵抗があって、ぎりぎりまで先延ばしにしたいと思っていたんだ。ブラを着けるというのは大人になることの入り口のような気がして、もう戻れない所へ行ってしまうような気がして。
 でもそんなことは気のせいだということも解っていた。最初から戻ることなんて出来ないことだったんだから。小学生のカヲルに戻ることなんて出来ないのだから。

 佐川さんや柳さんと待ちあわせての買い物は、あたしにとっては新鮮な体験だった。一つの冒険だったと言っていいと思う。デパートの下着売り場から始まって、あちこち見て回った。もちろん買い物もした。
 こんなふうに女の子たちと一緒に買い物をして歩くのは初めてだったので、不安もあったけど、体験してみるととっても楽しかった。
 さすがに下着屋さんでは羞ずかしくて、ろくに話も出来なかったけど、お店の人にサイズを確認してもらって、幾つか買うことにした。佐川さんは慣れているらしくて、こんなのどうとか、あたしや柳さんに意見を求めてきたけど、それは大抵少し派手めなデザインで値段もそれなりにしていた。これには、二人とも返答できずにうなってしまった。あたしたち二人はお店の人が見立ててくれた、初心者用(?)のおとなしい無難な線に落ち着いた。
 他の店ではもう、あれがイイこれはどうと、会話を弾ませながら、試着したり試着させたりで大騒ぎしながら買い物をして。
 ショッピングが趣味とか、気晴らしにショッピングとか、今までは良く解らなかったけど、これは一つのレジャーかも知れない。
 叔母と買い物に来ても、大体テーマが決まっていてその店に行くだけだから、用件が済んだら終わり。あくまで用を足すのであって、レジャーという感覚にはならない。もちろんついでに近くの店を覗いたりはするけれど、叔母と買う服について意見しあうことなんてないし。あたしが一方的にアドバイスを受けるだけだから、レジャーというよりレクチャーを受けていると言ったほうが近いと思う。それはそれで楽しいし参考になるけれど、友達同士でわいわい言いながらのショッピングとは全然違う。
 久しぶりに楽しい一日だった。

 夏休みになっても、早坂の家には帰らなかった。両親の方からは何も言ってこなかったし、あたしの方も、二条の家が居心地が良くて、帰りたくなかった。
 八月に入った頃、ママが二条の家にあたしの様子を見にやって来た。
 「おまえは落ち着いたみたいね」
 あたしを見てママはそう言った。
 ママ達はちょっと問題を抱えているらしかった。
 「ママとパパ離婚するかも知れない」
 悲しげにあたしを見て、しばらく黙り込んだ後にママがそう言った。
 「ごめんなさい、カヲル」
 あたしが家を出たとき以上に、パパとママはややこしいことになっているようだった。
 その時の話では、もう両親は別居していて、あたしをどうするかさえ決まれば、いつ離婚してもおかしくない状態だった。
 いろいろな話が、両親と叔父さん叔母さんの間で話され、その後であたしは一つのことを聞かれた。
 「このまま二条の家にいるかい? 僕たちの娘になるかい?」
 叔父さんがあたしにそう尋いたのだ。
 あたしはもう、その方がいいのかなと思っていた。ママやパパは上手く言ってない。あたしのことが原因かきっかけかは解らないけど。どちらかに引き取られて、一方と一緒に暮らすというのは嫌だった。 上手く言ってない二人と一緒にいるのも嫌だった。
 「叔父さんと叔母さんが、お父さんとお母さんになるんでしょ。あたしはその方がイイ」
 そうすれば姓も変わって丁度いい。すっかり昔のことは忘れて新しい生活が出来る。そう言うと、叔母さんは、優しく笑ってあたしを抱きしめてくれた。
 「じゃあ、今日からカヲルさんはあたしの娘よ。よろしく、二条カヲルさん」

 学校でも二学期からは二条カヲルになった。
 少しだけ話題になったけれど、学校では生徒も先生も親の離婚や再婚で生徒の名字が変わるのには慣れていて、何ということもなかった。
 少し親しくなっていた真理ちゃん(=佐川さん)や美佐ちゃん(=柳さん)は心配してくれたけど。こっちの中学に通い始めたころからの事情だけ説明すると、ほっとしたみたいで、普通に接してくれた。
 「そんないい感じの両親になら、あたしのも取り換えたいよ」
 「そうそう、あたしンとこなんて、まるで話が通じないんだよ」
 「まあね、あたしも今の両親は好き。前の両親だって仲良かったころは好きだったんだけどね」
 「そりゃそうだよね。仕方ないのかな」
 自分の友達がそういう境遇だと心配と同時に興味もそそるところがあって、あたしが大丈夫と知ると、そっちが主になったみたいだった。あたしもその方が気楽になれた。
 中学の間にできた友達らしい友達が、この二人だった。
 小学生の頃に男の子と一緒に遊んでいたせいで、平均的な女の子より体力もついていたし、背も高め。それから、すっかり身に付いていた、引っ込み思案で羞ずかしがりな性格と、成績ばかりがいい点も壁になってしまったみたいだった。

 ちょっと取っつき難くなっていたかも知れない。授業中はさされてもへどもどしているのにテストの成績が良くて、運動もそれなりに、スポーツの部活動をしている子と同じくらいできて、と言うのはちょっと嫌味だったかも。

 イジメに遭わなかったのは、真理ちゃんのお蔭だったと思う。彼女はけっこう女子の間で人気者で、面倒見もいいほうだったから、彼女と仲がいいと何かと得をする。あたしもその余禄でということだ。

 その真理ちゃんが、二年生になってしばらくして転校してしまった。これは親の仕事の都合なんだけど。あたしたち三人、真理ちゃんと美佐ちゃんとあたしは同じクラスになっていただけに、余計に悲しかった。

 三年生になって美佐ちゃんとはクラス替えで別々になってからは、なんとなく疎遠になってしまった。その前から、真理ちゃんがいないと寂しくて、二人ではあまり盛り上がらなくて。

 美佐ちゃんは新しいクラスで親しくなった人たちと仲良くやっていた。

 以後、あたしは地味なネクラ生活を送っていたというわけ。もちろんたまにはクラスメートと遊びにも出掛けるけど、特に親しい子はいないので、回数は減った。お蔭で、勉強する時間が増えて、成績ばかり良くなった。すると段々敬遠されているような感じになって。良くイジメられなかったと思う。

 相変わらず引っ込み思案で羞ずかしがりな性格が幸いしたとは思えないけど。

 そんなわけで男の子にも注目されなかった。

 軽い「詰め襟恐怖症」になっていたので、近寄るのも嫌だったんだけどね。

 この頃、浩ちゃんに宛てて書いたけど出せなかった手紙が何通かある。正直に言うと、出すつもりはなかったけど浩ちゃんに宛てて書いた手紙。女の子になってしまった話は出来なかったから、詳しい近況なんて全然話せないわけで、書いたら出せない。出せないのを承知で、学校であったことや、その時考えたことを書いて。

 タマにつける日記は完全に浩ちゃんに話す様に書いていたけど、手紙はまた特別。書き終わったら封をして引き出しにしまった。

 高校は同じ学校から誰も行かないようなところへ行こうと思った。それになるべく浩ちゃんの近くへと思ったんだ。それに女子高。詰め襟恐怖症は当分治りそうもなかったし。

 当てはまる条件の中から選ぶのはそんなに難しくなかった。ただ浩ちゃんがどこの高校へ行くかは解らなかったから、半分以上賭けみたいなものだけど。
 問題は両親の説得。二人揃って前向きで、特に義母は元気な人だったから、あたしが説得しようとしてもなかなか難しいところがあった。両親の希望では自宅からそれ程遠くない所で、そこそこのレベルの高校だった。勧められた学校は確かに通うのは楽そうだし、レベルもそこそこ、高すぎず低すぎずというところ。
 でもあたしは、祖父母の所へ住んででも自分で選んだ高校に行きたかった。
 中三の冬、志望校の絞り込みでモメている所へ、突然義父が転勤することとなった。それ程遠くではないけれど、今の学校へ通うことは出来ない。一時は義父だけで単身赴任という話になりかけた。でもこれはなし、義父が断固反対して。義母ももともと乗り気ではなかったし。
 ちょっと遠いけれど卒業するまでの数ヶ月間、あたしは祖父母の所から今の学校へ、通うことになった。実際に通うのは、年が明けてしまえば幾日もないのだから、大した負担じゃない。これはあたしにとっては幸運この上ないことだった。
 どうせ、祖父母の所へ行くんだから、そのままここから高校へも通わせて欲しいと言ったのだ。また違う地方に行って全然違う環境で生活を始めるのはつらいから、今居るところか、もと居たところの近くがいいのだと言うと、何とか説得できそうな風向きになった。
 そこへ祖父母が口添えしてくれて、とうとうオーケーが出た。
 こまめに会いに来ること、何かあったら即刻高校中退になっても手元に連れて帰るという条件で。
 祖父も祖母もずっと二人で暮らしていた静かすぎる生活に、孫が来るというので嬉しそうだった。
 祖父母との同居は年明けから始まった。前後して養父母は、引っ越していった。そして高校入試。合格。
 新しい生活の始まり。高校へ入学。
 あたしは、中学の時のような灰色の生活を繰り返さないと、心に誓った。あの時見つけた浩ちゃんに誓った。

 それから一年と少し、あたしは、何とかまともな高校生になっていた。それなりに友達も出来たし、遊び方も覚えた。勉強ばかりしていた中学生の時と違い、成績は振るわなかったけれど、生活を楽しむという点では、点数が高くなったと思う。

 そして、あたしは浩ちゃんと再会した。



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