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カヲルの事情 4

by WATARU 1024




 このお話は「二人のカヲル  三.彼女」のカヲルサイドの事情を描いたものです。「二人のカヲル」の少なくとも第三話までは読んでおいていただくと、解りやすいと思います。それに、もしかしたらその方が面白いかもしれません。

[「二人のカヲル」へ]




 「なんなんだよ、すっかりあたしの話になっちゃったじゃないか。この昼はカヲルの彼氏の話じゃなかったの?」
 「いやー、それはもうお仕舞いということで。」
 「そ、こっちの方が面白いし、ためになるわ」
 「ゆかり、一つ聞いていい?」
 「何?」
 「
あの、……初めてのときって、本当に痛いの?(爆)

 通りに面している大きな窓から、彼らしき男性の頭が見えた。はっきりしないけれど、浩樹君かも知れない。通りの方を見ているようだった。きっとそうだ。
 あたしはもう小走りになっていた。










 二、かれ (2)


 結局土曜日の服装はお嬢様風で行くことにした。何しろ、浩樹君の家に上がるわけで、そうすると「コギャル」系はちょっと大胆になっちゃうから。ミニスカは座ると露骨すぎ、中まで見えちゃいそうで。
 当日は朝からああしよう、こうしようと試行錯誤を繰り返して、着ていく服がなかなか決まらない。もっとも、お嬢様風なんて言える服はいくつもあるわけじゃない。
 やっぱり、買い物に行っておいたほうが良かったかなぁ。
 散々迷った末に、着ていく服が決まった。やっと選んだのが、Aラインのワンピースに帽子。ワンピースは細かい多めの前ボタンが裾まであるもので、ライトブルーの柔らかな光沢のあるタイプ。ボタンは下の幾つかを留めないでスリットのようにするとまあ、いい感じ。ひざ下までの長めの丈だから、動きも楽できそう。フレンチスリーブなので肩口が出るけど。
 でも、ちょっと帽子はやり過ぎ、やめておく。髪は後ろでバレッタで軽く留める。後はクリーム色のシースルーでボレロっぽい半袖のジャケット。
 こんなものかな。少し地味すぎるような気がする。
 でも派手なのは嫌。アクセサリーでバランスをとればいいかな。
 バッグはトート型のちょっと凝ったデザインの白。
 一通り出かける支度が出来るころには、余裕のある時間なんてすっかりどこかへ行ってしまっていた。
 一時に駅で待ち合わせているから、まだ余裕はあるんだけれど、待ち合わせの前に少し歩きたかったんだ、あの辺りを。一年と少し前にも、歩いたけれど。あの時とは全然違う、御機嫌な気分で歩けそうなのに。
 「行ってきます」
 祖母達のいるリビングに声を掛けると、すぐに祖母が出て来た。
 「おやまあ随分めかし込んだねぇ、デートかい?」
 「えーと、そうです。まあ」
 「まあってなんだい、変な子だね。いいからお行き。急ぐんだろ。くれぐれも情に流されるんじゃないからね、男は狼なんだから」
 なんか訳の解らない、古くさいことを言う。
 「うん、じゃあ、行ってきます」
 行き先は狼の巣穴なんだけどね。

 待ち合わせの駅についたのは、約束の時刻より十五分ほど早かった。もともとのつもりでは、三十分以上早く来て辺りを散歩して一休みしてから、待ち合わせの場所へと思っていたんだけど。
 このくらいなら、少しは大丈夫かな。
 まだ浩樹君は姿を見せていない。彼はわりと、待ち合わせ時刻より早めに来る人のようだから、ちょっと難しい。でも、十五分はただ待つには長い時間だ。
 よし、十分くらい散歩して五分前に戻ればいいか。
 幸い天気は上々、空も晴れてさわやかだから、歩くにはぴったり、ちょっと日差しが強いかも知れないけど、ま、大丈夫。
 去年ちらっと寄った時と比べて、大きく変わってはいない。幾つか店に憶えがある。新しいビルが多かったせいか、それからは変わっていない。
 改めて歩いてみて、あたしは足許が気になった。通学の時のローファーではなく、もちろんスニーカーでもない。少し踵のあるパンプスっぽい靴だ。でもパンプスではない。まだ何となくパンプスは羞ずかしい気がする。
 それでもヒールのある靴なので、足運びがいつもと違う。なんだか落ち着かない。普段は履かない靴だから、全然慣れてない。家から駅へ向かうときも気にはなったけど、早く慣れておきたい。変な歩き方にならないように。
 もっと散歩を楽しむつもりだったけど、歩きに慣れる方に専念した方がよさそうだ。
 駅前の商店街を少し気取った感じで歩く。知り合いに見られていたら照れちゃいそうな歩き方。歩道は綺麗にレンガが敷き詰められていてお洒落な感じ。まだそれ程、人手が無いので歩くのも楽だ。
 ショーウィンドウのガラスに自分の姿が映っているのが見えると、満更でもないかなと思う。
 とりあえず、ブロックを一回りすると、ゆっくり歩いたせいか時間が経っていた。
 靴にも少し慣れたかな。
 ただ歩いていてもツマづきそうな危なっかしさはなくなってきた。
 待ち合わせ場所は駅の改札口の前。戻ってみると、まだ彼は来ていなかった。
 あと五分。ただ待つ身になってみると、なんだか緊張してきた。こんな服装で会うのは初めてだし、これから彼の家に行くわけだし。髪形も服装も可笑しくないかな。気にしないようにしていたのに、考え始めると止まらない。
 えーい。われながら往生際が悪い!
 「ヤッ。待たせた?」
 気合いを入れ直そうとしたところへ声を掛けられたあたしは、肩に置かれた手が跳ねるほど驚いた。
 「わあっ! とと」
 慌てて振り向くと、浩樹君がそこに立っていた。
 「あ、ああ、浩樹君、もう脅かさないでよー。心臓が飛び出すかと思っちゃった」
 まだ気が動転してるせいか、莫迦みたいなセリフしか出てこない。
 「そんなに驚くとは思わなかったな」
 「タイミングが良すぎたの!」
 「へぇー?」
 「もういいです」
 「怒るなって、驚かせて悪かったよ。まだ時間じゃないだろ、待たせたかな」
 「ううん、今来たところ。でも浩樹君どっちから来たの?あたし、通路の方は見ていたはずなんだけど」
 「残念でした。改札から出て来たんだよ。ちょっと用事で出掛けてた。本当はもう少し早く戻れたんだけど、どうせだから待ち合わせ直前に着くのもいいかと思ってさ」
 「ちょっと悪趣味ー」
 「ごめん、ごめん。で、どうする? このままオレんちに行く? それとも寄り道する?」
 「うん、浩樹君の家に行こうか」
 あたし達は駅を出ると並んで歩きだした。アタシは彼の腕に自分の腕を絡める。彼も私も半袖の腕が素肌で触れていて。
 「制服じゃないのって初めてだろ。なんかいいよな」
 彼が歩きながらそう言った。
 「そう?」
 そう言ってもらうと、ちょっと嬉しい。悩んだ甲斐があります。
 「うん、いい感じ。あの制服もいいんだけどサ。やっぱり、制服だから窮屈な感じがあるよな、こう精神的に高校生ですからって感じ?」
 「そだね」
 別に窮屈って思ったことはないけど、高校生です、って気持ちはあるかも知れない。見れば、どこの学校かすぐ解るわけだし。私服だと高校生は高校生なんだけれど、それは変わらないんだけど、あたしはあたしという、気持ちの方が強い。学校は関係なくなる。
 「ははは、オレなんか緊張してる」
 「どうしたの」
 「うん、制服姿の方は慣れてきたんだけど、私服だろ。改めてカヲルって美人だよなって思って。緊張した」
 さすがにそこまで言われると赤面するぞ、あたしは。首まで赤くなりそう。
 でも……、嬉しい!
 今まで、友達(女の子)に「カヲルって結構可愛いよね」とか、「美人はいいよね」とか言われたことはあるし、正直な話、近頃は自分でも満更じゃないよね、くらいは思っていたけれど。こうはっきり言われると、もう脈拍が上がってしまうじゃないですか。あまりそういうことって、男の子って直接言わないって聞いてたし、自分でもそんな印象持っていたけれど。実際言われた方だって誇らしいけど羞ずかしいし。
 浩樹君てちょっと凄いかも。
 こいつやっぱり女ったらしなんじゃないんだろうか?
 そういえばキスも上手な気がする。上手い下手ってよく解らないけど。
 また、あたしは「疑惑」を思い出す。でもそれはそれで仕方ないかも。別に二股じゃなければいいか。
 ファーストキスの相手ってどんな子だったのかなぁ。
 組んでいる腕に思わず力が入った。嬉しくって、羞ずかしくって、ほんの少し嫉妬が混じっている。この人はあたしの所有物(もの)じゃないのに。
 時々、凄いおマヌケぶりを見せてくれるので、つい安心しちゃうし。信用もしてる筈なんだけど。
 「……ありがと……」
 あたしはそれだけ言うのがやっとだった。
 浩樹君はあたしの複雑な心境を、おそらく気づきもしないママ、明るく前を見つめていた。
 「一応、言っておくけど、今、家にはオレだけなんだ。オヤジもオフクロも、オトートも出掛けてる」
 「いいよ、別に。今日家族に紹介して欲しい訳じゃないから。あ、でもそのうち紹介してくれるでしょ」
 「夕方までいればみんな帰ってくるから。そうしたら紹介できるよ」
 自分でふっておいて、緊張するあたし。薮蛇ってか。また動悸が激しくなる。
 「あ、えーと、やっぱり、今度でいい。今日は早めに帰る」
 「なんだよ、せっかくの土曜日なんだから、ゆっくりすればいいじゃないか」
 「なら、あとでどっか出掛けよっか。だめ?」
 「いいけど、なんで? 今日だとなにか、都合わるい?」
 「だって……、そんなつもりじゃなかったから、……心構えが」
 出来てないんですよ、もう。後半はほとんど蚊の鳴くような声になってしまった、羞ずかしい。
 解ってて言わせてるんじゃないのかなー。
 こっちは顔赤くしてるのに、涼しい顔しちゃって。
 「家族には今日、幼なじみの早坂カヲルの妹が来るっていってあるんだけど」
 「えっ? 言ってあるの!」
 「秘密にすることじゃないだろ」
 「それはそうだけど……」
 しまったー。宮本家ってフランクな家族なんだっけ。ちょっと、いきなり宮本のおじさん、おばさんと御対面と言うのは、やばいかな。
 「ま、気にすることはないって、気のいいおっさんとおばさんだからさ」
 「はあ、そうですか」
  とりあえず、早めに帰ろうかな。あんまり一度に色んな人と会わないほうがいいんだけど。
 静かな住宅街に入っても、あたしの胸はドキドキして止まらなかった。
 「おふくろがさ、いきなり押し倒すんじゃないわよってさ、言ってた」
 「なにそれ」
 なんか想像できて、可笑しい。宮本のおばさんか。浩ちゃんのお母さん。ふふふ、元気なんだな。
 あれ? 
 軽く笑っちゃったけど、考えてみれば凄いセリフ。
 「あれ? えっ、押し倒すって? え?」
 「おまえ、けっこう、ニブくないか」
 「えー!」
 話題が替わりそうでほっとしつつ、新しい話題に眼をまわしつつ、あたしは浩樹君の腕に引かれて歩いていった。
 もう羞ずかしいとか、赤面するとかいうレベルではなくて。ただ、眼が回る思いだった。
 「あ、あの浩樹君?」
 「なに?」
 「浩樹君、そのつもりだった?」
 「うーん、全然ないっていったら嘘になるよなぁ。まあ、今日オレ一人になるってのが解ったのは昨日だけど、少し期待はしたかな」
 「そうかぁ」
 「でも、まあ、無理やり押し倒すなんて気はないから」
 「うん」
 実はそう言われると、安心する反面、ちょっとだけがっかりもする。ほんのちょっとだけ。
 もちろん初めては彼と、と思ってはいるわけで。今日もひょっとしてとか思ってもいましたよ。白状すると、あたしもスケベです。漠然とした願望みたいなものはあるし、ロマンチックなことも考えてしまう。でも、夢(それ)は夢、現実(これ)は現実。。具体的な現実として彼の身体が側に合って、抱きしめられたこともあって。そして、抱かれて、裸になって! 彼のアレがあたしのアソコになんて考えるだけでもう。
 ひゃー。バンジージャンプだー!
 とてもじゃないけれど、怖くて飛び降りられないと言うのが本音。だから、押し倒されちゃったら、怖い反面、無理やりでも飛び降りることが出来るのかなと、思うわけで。だけどそのうちいつか怖くなくなるのかなとも思うわけで。いくら何でも今日というのは予想もしてない展開だから。
 でも、やっぱり機会は限られているかも知れないし……。
 あたしは彼の腕に絡めた自分の腕に力を込め、ついでに少しつねってやった。
 「痛っ」
 「あー、ごめんなさい」
 「なんなんだよ、白いぞ」

 いつもより歩調がゆっくりなあたしに合わせてくれたので、彼の家までは多分いつもより掛かってしまったと思う。でもそれは、あたしの足に丁度良かっただけでなく、あたし自身にとっても嬉しい事だった。。
 好きな人とさわやかな日に、腕を組んでゆっくり歩いていれば、いい気持ちになる。当たり前のこと。そんなことが感動的なんだ。
 まあ、一部過激な話題もあったけど。
 「さ、ここだよ。これがオレんち」
 「うん、お邪魔します」
 あたしは彼の後について、玄関をくぐった。



 幕間2


 今日、ロストヴァージンし損ねた。
 あーあ。せっかく一大決心して「いいよ」って言ったのに。
 最初からそのつもりだったわけじゃないけど、複雑。何だかほっとしたような、大失敗なような。こんな機会また来るのかな……。
 あの時は大変だった。髪の毛が乱れていたのに、気が付かなくて冷や汗書いたり。とにかく急いで服を着なきゃいけなかったから、スリップは後回しにしたとか。後でトイレで着ることになったとか。
 浩樹君はまさかあんなに早く優樹君が帰ってくるとは思っていなかったみたいで。
 「なんだよ、おまえ。何でこんな時間に帰ってくるんだよ、もっと遅いんじゃなかったのかー」
 と、喧嘩腰で弟につっかかってた。
 「何時に帰って来たっていいじゃん。なんか問題あるわけ?」
 「別にないけど、驚くじゃないか」
 「ショーがないだろ。部活が中止になったんだから。お蔭でカヲルさんに会えたシー」
 「けっ、生意気言いやがって」
 「イイじゃない、仕方ないよ」
 さすがに、本格的に弟を責める訳には行かず、一人で怒っている浩樹君にあたしはそう言うしかなかった。結局三人でリヴィングに移って過ごすことになったんだけれども。
 そう言いながら、彼の眼を見て(また、ね)、と伝えたつもりなんだけど。 
 なかなか彼の不機嫌は直らなかった。
 それはそうだよね。うん、あたしだってバンジージャンプで飛び降りる決心をして、宙に身体を浮かせた瞬間、クッションで支えられて連れ戻された感じ。落ちる恐怖は感じなかったけど、またこの決心をしなきゃいけないの?
 思いっきり肩透かし。ちょっとの期待もあったんだけど。もっとも朝、家を出るときはそこまで考えていなかったから、これは驚くべき事態。
 優樹君はあの頃の浩樹君、つまり「浩ちゃん」によく似ていた。同じ年のころの浩樹君よりも背は高いんだそうだ。あの頃の「カヲル」と比べると少し低い、かな。何だか懐かしい感じがした。

 家に帰って来たのは、夕食の前だった。実はひそかに予定していた時間よりも早いくらい。
 結局、宮本家の全員と顔合わせになってしまって、一時は大騒ぎだったんだけど。晩ご飯を一緒にというお誘いは遠慮して帰ってきた。
 食事時に祖母は今日の様子を聞いてきたけど、答えに窮してしまった。なんて答えてよいやら、自分でもわからない。本当なら行くとこまで行く筈だった訳だけど、そうすると祖母にばれたかな。
 「まさか変なことしてないだろうねぇ」
 答えずに、もそもそ言い澱んでいると、祖母がやさしく言う。これが何だか迫力がある。
 「変なことなんてしてないよ、そんなこと。今日は相手のうちで、家族の人と一緒になって騒いじゃって、ちょっとまずかったかなぁーなんて思っただけ」
 「なんだ結構な事じゃないか」
 祖母の追及は大したこともなく終わった。
 変なことって、どんなこと?
 あたしはそう思いながら、でも、ロストヴァージンしてたら、祖母にはバレたかなぁ、と考えた。
 どうも祖母の基準は解らないんだけど。男性とベッドインと言うのは立派な素行不良かな、やっぱり。
 何をしたらソコウフリョウになるのでしょうか、おばあちゃん?

 テレビを見ながら、後片付けの手伝いをして、それからお風呂を済ませると、九時半になっていた。
 あたしは自分の部屋に戻ると、電話を手に取った。
 緊張して呼び出し音が切れるのを待つ。三度目で相手が出た。
 女性の声が、呼びかけてくる。あたしはそれに応えて言った。
 「もしもし、……ママ? カヲルです。御無沙汰してます」
 『えっ、カヲル? カヲルなの?』
 「うん、御免ね、全然連絡しないで」
 『こっちこそ。……本当にカヲルなのね』
 電話の向こうの声が途端に涙声になった。

 翌日の日曜日、久しぶりに早坂の家に行った。もとの家から引っ越して少しの間過ごした家。けれど、いくらもしないで、あたしだけここから出ていった。
 入院、転校、また転校と、中学一年の一学期は慌ただしかった。
 家に着いたのはお昼前だった。
 「いらっしゃい。久しぶりね」
 母・・ママがあたしを迎えてくれた。夕べ電話で話したときは湿りがちだったけれど、今はしっかりしていた。
 「うん、……お邪魔します。パパは?」
 「いるわよ。書斎」
 顔を合わせるのは、ちょっとつらいのかも知れない。それとも照れている?
 それならいいのに。
 「大きくなったわね」
 「背はあんまり変わってないよ」
 「『ないのよ』、でしょ。そう言って……、ごめんなさい、ダメね」
 ママは言ってる途中で口元に手をやった。
 「すぐご飯にする、それとも、少しゆっくりしてからにする?」
 「ご飯にしようかな」
 「じゃ、ダイニングに来て、そのまま食べましょう。手を洗ってらっしゃい」
 メニューはひき肉と野菜のカレーとツナサラダだった。どちらもあたしの好きなものだ。
 食事にはパパも一緒に食卓に着いた。随分久しぶりなのに、簡単な挨拶を交わしただけで終わり。前からそんなに喋らない人だったけど、すっかり無口になっている。
 食事が済むと、一人で立ち上がり、
 「あー、久しぶりだ。ゆっくりしていきなさい」
 そう言って、さっさと自分は書斎に行ってしまった。
 「あれでも、照れてるのよ、最近は前より話すんだから」
 とママが言っていた。
 あたしは少しほっとした。以前はちょっと困った関係になっていたから。それはママともだけど。
 リヴィングに行くと、テレビ台の上にあたしの高校の入学式の時の写真が置いてあるのが眼に付いた。
 「これ持ってたんだ」
 「雄司おじさんが送ってくれたのよ、多分、静香さんが気を利かせてくれたのね」
 雄司おじさんと静香さんと言うのはもちろん二条の両親のことだ。
 「おまえを雄司と静香さんに預けたのは良かったみたいね」
 そう言うママは、少しつらそうだった。母親として過ごせなかった事がやっぱり寂しいのだろう。
 あたしもそれは残念だったから。
 でもあの頃は、とても一緒に暮らせないと思ったのも、事実なんだ。
 今は二条の両親とも別れて祖父母と暮らしている。
 「お祖父ちゃんやお祖母ちゃんは元気?」
 「元気だよ、特にお祖母ちゃんなんか、うるさいくらい」
 「そうね、お祖母ちゃん躾けに厳しいから。ママも昔は散々怒られたのよ」
 「そうなの?」
 「そりゃそうよ。何かって言うと、女の子らしくしなさいって。うるさかったんだから」
 「そうなんだ、今でも一緒だね」
 「あれでも、随分丸くなってるのよ、昔と較べたら」
 「へー」
 そういうことを聞くのは初めてだったので、不思議な気分。小さいころのママが、あのお祖母ちゃんに怒られているなんて。もちろんお祖母ちゃんはもっと若かったんだけど、あたしにはそれが想像つかない。
 「心配してたけど、すっかり女の子ね」
 「女子高のせいかな。学校の中だと結構みんな行儀悪いから。あたし全然目立たない」
 「そうなんだ」
 少し笑うママ、ようやく明るい気分になれたみたい。

 昔のアルバムを見ると、夢の中のことのようだ。小学生の男の子だったカヲル。彼が自分の未来について描いていた、漠然としたものが今のあたしには曖昧ではっきりしない。そして、存在しなかった小学生の女の子のことをあたしは時々夢想する。彼と彼女はどのくらい違うのだろうか。
 どうしようと彼にはもう未来はない。小学生の男の子だったカヲルは、卒業とほぼ同時に居なくなったのだから。そして、それまで存在しなかった女の子が、かわりに中学生になったのだから。



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