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カヲルの事情 1

by WATARU 1024




 このお話は「二人のカヲル  一.あいつの妹」のカヲルサイドの事情を描いたものです。「二人のカヲル」の少なくとも第一話は読んでおいていただくと、解りやすいと思います。それに、もしかしたらその方が面白いかもしれません。

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 一.あたし (1)


 本当のことを言うと、浩ちゃん・・浩樹君を見るのは、今日が初めてじゃない。
 「あたし」が初めて、彼を見たのはもう一年近く前の春。中学を卒業して、こっちの高校に入るので、前に「兄のカヲル」が住んでいた街に足を伸ばした時のこと。
 駅について、ホームに下り立つと、懐かしいはずの風景が全然知らないものに見えて。
 ちょっと不安になってきて、辺りを見回すと、ちょうど反対側のホームにちょっと印象的な男の子が上がって来た。
 少し短めの髪、少し見覚えのある顔、知らない男の子の服。モスグリーンのシャツに、白いスプリングジャケットはくたびれている感じで、ジーンズの新しそうな紺と対照的。
 大分背も伸びているみたいだった。顔の感じも大人になった。やっぱり服装は適当なのかな?
 どんな声で喋るんだろう?
 もうあの、ボーイソプラノは似合わない。
 間違いなく浩ちゃんだった。

 あたしのその時の格好ときたら、もっといい加減で、あたしの憂鬱な中学三年間そのままの、くすんだものだった。髪も伸び放題で、前髪が眼まで来て、半分隠していたし、顔の両側に、隠すように三年分の三つ編みを下げていた。加えて、芸能人じゃないけど、薄い色のサングラスまでしていて。
 もしあたしの方を見ても、彼には絶対解らなかったと思う。
 ただ変な中坊がいるな、くらいにしか想わなかったと思う。
 あたしは、電車が来て、浩ちゃんがホームから居無くなるまで、電車の中の浩ちゃんが見えなくなるまで、ずっと、ずうっと、彼の姿を見つめていた。

 あたしの高校生活はそこから始まった。
 中学生の憂鬱な私が出て来ようとしても、とりあわなかった。浩ちゃんの姿を見て、何だか元気になることが出来たから。
 ただ、会いに行こうとは思わなかった。ちょっと怖かった。自分がどうしたいのかが、だんだん解ってきたから。会いたい気持ちと、会うのが怖い気持ち。この二つの間で随分揺れていた。今の彼がどんな生活をしているかも解らない。あたしの知らない、中学の三年間。ひょっとして、つきあってる彼女だっているかも知れない。
 あたしは彼の声も知らない。
 彼の自宅は解っているのだから、会おうと思えばすぐ会える、はず。でもどうやって?

 そうして、いつの間にか時は経ってしまい、高校二年の生活が始まった。

 今日はちょっと本かCDを見ようと思って、途中下車をした。
 もう帰るつもりだったので、一人。広めの歩道も人が多いせいで、歩きにくい。
 夕方、早い時間の忙しい気分が、街全体を包んでいた。
 ちょっと失敗だったかな。こういう場で、一人というのは分がワルい。すぐそばで、あたしとは違う制服を着た女の子達が楽しそうに、歩いていく。友達と一緒の時は、あたしも、あんななんだろうな、そう思うと、余計うっとおしい。
 交差点近くは、信号待ちの人で混雑していて、近くに寄るとぶつかりそうだ。
 前に出ようと歩いてきたオジさんをよけようとして、あたしは斜め後ろに視線をふる。
 背の高い高校生の男の子が眼に入った。
 あれ?
 ちょうど男の子はこっちを見ていて、あたしの顔を見た途端そんな顔をした。
 血の気が引くという感じ。
 あたしは、そのまま体ごと斜めに向けて、一歩下がった。彼から、あたしがよく見えるように。あたしにも彼がよく、見えるように。
 浩ちゃんだ。
 眼に映る、彼の表情は、なんだか間が抜けていて可笑しかった。あたしに気が付いて、どうやらビックリしているみたい。その顔を見たら、あたしの方は気持ちが落ち着いてきた。
 ようやく決心がついた。よし、いこう。
 こんな偶然、きっともう無い。
 あたしは浩ちゃんの方へ一歩、二歩踏み出した。
 彼の眼がいっそう、開かれた。
 「なーに? 何かご用ですか?」
 あたしがそう声を掛けると、彼はいっそう驚いて混乱してしまったみたい。
 「えっ? あ、いや、すいません。失礼しました」
 初めて聞く浩ちゃんの大人っぽい声は、少し上ずっていた。
 あたしが適当に話しかけて行くと、浩ちゃんはよっぽど、驚いたのか、どんどん支離滅裂な方へ話が転がっていき、止まらなくなりそうだ。
 信号が変わって、人の波が動きはじめた。
 「……中学生や、高校生に女の子と思われて申し込まれるぐらいだったんですよ。早坂カヲルって言うんですけど、もしかしてもしかしたら、親戚とか、親類とか、生き別れた兄弟とか、そんなこと全然無いですよね……」
 彼は、あたしとよく似た顔の男の子のことを憶えていた。
 イイ線行ってるじゃないですか、宮本浩樹君。くすっ。思わず、かすかに声に出してしまう。
 「はい、はい、落ち着いて、落ち着いて。ナンパするなら、気を落ち着けましょう?」
 あたしはそう言って、眼の高さより少し高い所にある、彼の左肩に右手を置いた。
 自分でもビックリするくらい、大胆になってきた。
 「あなた、もしかして宮本君? みやもとひろき君?」
 彼が慌てていると、あたしはかえって気持ちに余裕が出てきて、楽しくなる。ゴメンね浩ちゃん。
 「へ?」
 それまでで一番、間の抜けた表情を、彼は見せてくれた。
 喫茶店に入って席に着くころには、浩ちゃんは、すっかり落ち着いて冷静になっていた。声もしずかなトーンで、はっきりと話す。優しい感じ。
 二人で向き合っていると、あたしの胸がドキドキしてくる。顔まで紅くなりませんように。
 うん、いまのところ大丈夫、たぶん。
 「驚いたな、本当に妹なんだ。こんなにそっくりじゃ信じるしかないよなぁ」
 「こっちも、びっくり、そんなに似てる? えっと、兄と」
 「そっくりそのままだよ。さっきは、小学生の時のカヲルが、タイムスリップして出て来たのかと思ったぐらいだ」
 「ふーん。浩ちゃんは、大っきくなったのね。声も渋くなってるし」
 悪ガキ風なところが少し残っている様な気もするけど、よく見るとかなり変わっているみたい。
 背は随分高くなった。中学に入る前はあんなに小さかったのに、男の子って大きくなるんだなぁ。
 さっきは、「オレ、予備校に行くところなんだけど」なんて、言ってたけど、部活やってるのかなぁ。
 まあそんなことは、置いておいてと。
 「昔会ったことあるのかな、オレ達?」
 「ううん、無いと思うよ。浩ちゃんのことは写真で見たの。なんだか、あたし、直接知ってるような気がしてたの、……カヲル兄さんからも少し聞いてたから、小学生の頃は、頭のてっぺんから出すような、思いっきり甲高いボーイソプラノだったんでしょ?」
 ちょっとだけ、嘘をついた。もっとも、一年前に見たことを知っているのは、私だけだから、秘密にしておこうと思う。
 昔の話をすると、浩ちゃんは、なぜか照れまくる。照れている表情から、何だか眼が離せなくなってしまった。二言三言言葉を交わすと、突然、浩ちゃんが話題を変えてきた。
 「えーと、その、お兄さんは今はどうしてる?」
 ドキッ!
 えっ、と……。来てしまった。避けたかった話題、絶対することになる話題。あたしは、浩ちゃんから少し眼を逸らした。もう紅茶の味が解らない。
 あたしは彼の眼を正面から見つめ直した。
 「知りたい?」
 彼は自分がどれだけ男のカヲルに会いたいか、話してくれた。
 ちょっとつらい。ティーカップに視線を向ける。
 「あいつ変わった? 今でも、君そっくり?」
 「そうね、変わったとも言えるし、変わってないとも言えるし……、あたしとはどうかなー」
 ここまで来ると全部、話すか、はっきり言いたくないって言うかだろうなぁ。どぉしよう。
 あー、もう逃げ出したい!
 「オレ、ずっとカヲルは一人っ子だと思っていたけど、本当は妹がいたんだ」
 話題が少しずれてくれた。これなら答えてもいい。
 「名字が違うでしょ。あたし、母方の実家で育ったの」
 このまま違う話題にすれば……。
 「今、あいつ、どこにいるの?」
 やっぱり戻っちゃった。会いたいんだろうなー。あたしだって会わせてあげたいけど……。
 「知りたい?」
 未練たらしく、当たり前のこと、答えの解っている質問をする。
 「教えてくれよ、もったいぶらないでさ」
 彼の口調に、はっきり苛立ちが感じられた。それはそうだ。最初から聞けると思っていた、肝心の質問の答えが、この期に及んで、ぐずられているんだから。
 最初から、言えないって言っておけばよかったなー。
 「んー、実はちょっと言いづらいんだよねー、どうしようかなー」
 もう顔をあげていられなくなってきた。膝の上の自分の両こぶしを見る。左手の甲に傷痕がある。小学生の時、友達と遊んでいて、間違ってついた傷痕だ。小さなカッターが当たって、痛かったというより驚いて……。
 「高校行ってんだろ、やっぱり。二年だよね、あ、と、ダブッたりとかしてるってことは……」
 「あたしは高二だけど……、やっぱり秘密、ゴメン!」
 あたしは耐えきれなくなって、もうギブアップした。両手を顔の前で合わせて、浩ちゃんを拝むように、あやまった。
 せっかく、浩ちゃんと会えたけど、これきりかなぁと思いながら。
 「な、なんで! なんで教えられないんだよ?」
 怒った! 浩ちゃん、怒ってる! あーん、どーしよー。
 「本当にごめんなさい! 今はちょっと言えないの、ごめんなさい」
 あたしは何度も謝りながら、やっとの思いで顔をあげた。
 彼は思いっきり不機嫌な顔で、こっちを見ている。ただでさえ大きな身体が、余計に大きく見える。あたしは身をすくめて凍りついた。もう、ごめんなさいも言えない。
 あたしは逃げ出したいのにも拘らず、動けずにいた。ここで席を立ったら、二度と浩ちゃんと会えなくなる。そう思うと、席を立てなかった。
 しばらく経ってから、ようやく彼が口を開いた。
 「……解ったよ。じゃ連絡先くらい教えてくれないか?」
 声は静かになったけど、まだ、怒ってるのはわかる。当然だよね、散々、気を持たせておいて、やっぱり教えてあげない、じゃ、普通、怒るよね。
 「……あたしのなら……」
 完全にあたしの印象、最悪。あわよくば、好印象を与えておいて、いつか「ラブラブー」なんて、宇宙の彼方だぁー!
 あたしは心の中で泣き叫んでいた。
 あたしが一人、自己嫌悪と後悔の渦に沈んでいると、浩ちゃんが、すまなそうに声を掛けてくれた。
 「いや、オレも悪かったよ、大声出してさ」
 えっ? そ、そう? でも悪いのはこっちだと思うよ。大声と言っても、ちょっと大きめってだけだったし。
 彼の声はすっかり平静に戻っていた。最初からよりも優しげなくらいだ。
 「ゴメン、怒鳴ったりして悪かった」
 まだ、あたしの頭は上手く働いていないらしいので、意味を飲み込むのにしばらく掛かってしまった。
 謝らなければいけないのは、私の方なのに?
 あたしはやっと顔をあげて、浩ちゃんの顔を、眼にすることが出来た。
 浩ちゃん、なんか性格好くなってる? それとも、もしかして女の子が相手だから?
 また頬が紅潮しそうな気配。まるで赤面症じゃない。こんなにすぐ、顔を赤くなんてしたことないのに。
 あたしは何だか胸が熱くなってしまった。頭の上の重しが、少しづつ取れていくような気分がした。
 この人は、本当に素敵な人になってるんだなー。
 「ううん、悪いのはこっちだから……、やっぱり会いたい?」
 「ああ、会いたい」
 「そっかー……」
 さっきとは随分違う気分で、浩ちゃんのそんな言葉を聞いた。
 何となく、照れ臭くて、視線を外す。考えをまとめようと、窓の外に目をやった。窓際の席だから外がよく見える。すっかり陽は沈み、街灯とお店の照明が、街を明るく照らし出している。
 もう四年も経っているのにしっかり憶えていて、その妹に予備校さぼって付き合って、やっぱり会いたいだろうな。あたしも何だか会わせてあげたいな。四年前、小学生だった男の子のカヲルに、あたしも会いたいよ。
 一度最悪な気分を味わってしまったら、こだわっていたことが、少しだけ楽に考えられるようになっていた。
 もっとも、最悪気分のままなら、そろそろ逃げ出しているころね。
 やっと考えをまとめて、正面に顔を向けたら、浩ちゃんは間が悪そうに、鼻の頭をかいていた。
 「よし、決めた! 会う約束ならしてもいいよ」
 「本当?」
 「本人がいやならキャンセルするけど、いい?」
 「ああ、それはしょうがないよ。じゃ、いつ?」
 「電話するから、ケイタイの番号教えて」
 彼はネームカードを出して、渡してくれた。
 「これが、アドレスその他、オッケー?」
 カードには、彼の顔写真シールが貼ってあった。カッコつけて笑っている。実物より何だか可愛い。
 あたしは意を決して……、今日のあたしはなんだか、意を決してばかりいる。こんなに元気なのはやっぱり、浩ちゃんのせいだと思う。
 「はーい。あのー……、そのかわりといっては何だけど、これからデートしてくれないかな?」
 「え?」
 浩ちゃんはのんきに答えてくれる。
 自分でも、頬が真っ赤になって行くのが解った。



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