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二人のカオル                         by WATARU 1024
二人のカヲル_タイトル


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 四、あいつとオレ


 待ちあわせの時刻丁度に、オレは店に入った。あいつはまだ来ていないようだった。
 待ち合わせの場所は、オレ達が住んでいた街の駅前の喫茶店だった。もちろんオレにとっては今も地元な訳で、あいつにとっても良く知っている場所だ。もっとも、あいつがここに住んでいたのは、中学生になる前までだから、喫茶店に入ったりはしていなかった。ファーストフード店でも良かったんだけれど、日曜日となると混雑していて、とても待ち合わせが出来る場所じゃない。三階から上が住宅になっているビルの二階にある店で、一階には中坊の頃までは良く遊んでいたゲーセンがある。
 昨晩、四年ぶりに聴いた声は、記憶にある小学生の頃のカヲルの声とまるで変わらなかった。オレと同じ年齢なのに、声変りしていないという事だ。
 オレが声変りしたのは、中一の秋頃からだった気がする。いちいち正確に覚えているわけではないので、多少のズレはあるかも知れない。ただ中二の春の文化祭にクラスで合唱することになって、その時には完全にオヤジ声(と母親が言う、オヤジとそっくりらしい)になっていたから、まあだいたいそんなところだ。
 あいつも高校二年の筈だから、声変りしていないというのは、ちょっと事情があるのかも知れない。もともと、オレみたいに甲高い、いかにもガキっぽい声ではなかった。とは言っても…。同じ名前の妹とよく似た声、まるで同じ笑い声。
 その辺で声のことを考えるのは止めにした。色々、事情があるんだろう。
 オレは窓際の明るい席に着いて、ランチを注文した。この店では、日曜日でも、午後二時まではファーストフード店のセットメニューと同じ値段でランチセットが食べられる。お得な料金だ。小太りのマスターが半分サービスで出していると言っている。
 日曜日というと、昼は母親が大抵出掛けてしまうため、自分でつくるか外食になる。そこでここへよく来ることになる訳だ。
 今日はついでに待ち合わせもしている。と、そう言ってはあいつに失礼だよな。ついでに昼メシを食うわけだ、うん。
 オレが席について一、二分が過ぎたころ、店のドアを恐る恐る開けて、店内を窺いながら中学生(多分そうだろうと思った)が入ってきた。
 中坊はぼさぼさ頭に薄い色のついた眼鏡で大ぶりのパーカー、ズボン。まるで小学生の格好だ。抱えるようにして、トートバッグを肩から提げていた。様子が妙なので、注意を惹かれて見ると、可愛い顔をしている。
 その顔には見憶えがあった。
 眼が合うと美少女のような少年は、ゆっくりオレの方へ歩いてきた。
 「や、浩ちゃん。おヒサ」
 照れ臭そうに声を掛けてくる。
 「カヲル?お前、本当にカヲルかぁ?」
 「うん、一応ボク、早坂カヲル。へへへ、ゴメン、待たせちゃったかな」
 眼の前の少年は、写真で見直した小学六年生の早坂カヲルよりも二条カヲルに似ていた。違うのは目元の感じが少し(眼鏡のせいか?)と短い髪だけだ。
 呆気にとられているオレの前に、カヲル(兄)は沈み込むように座ると溜息をついた。持っていたトートバッグを足許に置く。
 「どーも、四年ぶりです。エへへ」
 「四年ぶりって、おまえなー、遅刻して言うなよ。でも、お前らホントよく似てンなー。双子って言っても一卵性じゃないだろ」
 男女の違いにも拘らず、これだけ似ているというのは驚きであり、背格好まで一緒だ。
 「あ、うん、まあね、そんなに似てるかな」
 少女のように華奢な手で、鼻の頭を掻いている。眼鏡の向こうで視線が下を向く。
 「うーん、そっくり。大体お前、縮んだんじゃないか? 前はオレよりデカかったのに」
 「浩ちゃんの方が育ち過ぎなんだってば。これでも少しは伸びてんだよ」
 変わっていないだけかも知れない。コイツは全然変わってないだけかも。だから妹と区別がつかないほど似ているんだ。見れば見るほどおかしな気分になってくる。
 「おまえ妹のカヲルじゃないよなぁ?」
 「なんだよ、そんなに似てるー? どーせボクは相も変わらず女顔だって?」
 「ま、ね、美人顔だよな、相変わらず」
 オレが気のない返事で応じたところで、ウェイトレスが注文を取りに来た。カヲルは相変わらず俯き加減のまま、ミルクティーを注文した。
 「昼メシは?」
 「ああ、食べてきた」
 「オレ、これからなんだけど、悪かったかな」
 「そうなの。じゃあ、ボクもなんか食べようかな」
 オレがケーキセットを勧めると、カヲルは「じゃあ」と言ってそれにしていた。ケーキはチョコレートケーキを選んだ。
 カヲルの注文が済むとオレの注文のランチセットが来た。
 「へー、ピザトーストに卵にジュースかー、面白いね。でも足りるの?」
 それに申し訳程度のサラダがついている。これだけと言われれば足りるわけが無い。
 「後でコーヒーが来るけど、ま、これだけじゃ足りない。朝飯が遅いからこれはおやつみたいなものかな」
 「ふーん、あ、食べて食べて。適当に話でもしよう」
 「ああ、あ、そうだ、妹の方のカヲルから聞いてると思うけど、オレ達つきあうことにしたから」
 「うん知ってるよ、おめでとさん」
 「いいのか?」
 「うん、いいよ。それに、ボクが口出すことじゃないだろ。ほら食べなよ」
 「まあな」
 とりあえず食い気には勝てないので、オレは眼の前の挑発的なピザトーストに手を伸ばした。四年ぶりにあった友達を前にしているというのに、なんとも間抜けな話だ。
 「とりあえず、食べながらでも聞きたいな、今までどうしてた?」
 そう言うとオレは口の中にピザトーストの一かけらを入れた。
 「うん、まあね。適当に」
 カヲルのやつは面白そうにこちらを見ているが、話が進まない。そんなに無口なやつじゃなかったから、話したければ自分から話しそうなものなのに、口が重いようだった。
 「へきほうっえ」
 まだ口の中が空にならないので、そんな言葉になった。慌ててジュースで飲み込む。
 「急がなくてイイよ、ゆっくり食べてよ」
 「ただ見つめあって、食べてるってのも変だろ。適当ってなんだよ」
 二口目を口に運ぶ、モグモグ。
 「厳しいなぁ。もしかして浩ちゃん、怒ってない?」
 カヲルは眼鏡から覗くようにオレの方を見て言った。顔は笑っている。ふざけたやつだ。
 「んんあ、おおってあい」
 いいや、怒ってない。と言いながら、確かに少々、虫の居所は悪くなってきた。急いで口の中のものをかみ砕いて、ジュースで流し込む。但しこの方法は、ジュースの量がささやかなので何度も使えない。水で流し込むのはちょっとつらい。オレはこれ以上急ぐのは諦めることにした。
 「相変わらず気が短いんだから」
 カヲルがぽつりと言った。コイツも相変わらずで、一言多い。
 「お前のそういう態度が悪いんだろーが」
 オレがそう言ったところへ、カヲルの注文したモノが運ばれてきた。
 「ごゆっくりどうぞ」
 ウェイトレスの女の子がそう言ってケーキとミルクティーをテーブルに置いた。木製のテーブルは二人掛け用の小さなタイプだから、オレのとカヲルの皿とティーカップでテーブルは一杯だ。
 「へへへ、ま、さ、とりあえず食べようよ」
 こいつは期待に満ちた眼でフォークを取り上げると、チョコレートケーキに向かっていった。

 「この店って、前からあるよね。何となく憶えがあったよ。中はこういう風になってたんだね」
 ケーキを食べる合間に、カヲルがそんなことを言った。下のゲーセンには何度も来ているんだから、記憶にあるのは当然だ。そう言うと、笑って、首肯いていた。
 「引っ越してから、この辺には全然来なかったのか?」
 「そうだね、一回だけ駅には来たけど、この辺は歩かなかったな」
 「いつごろだよ」
 「一年ちょっと前、本当にちょこっと寄り道したんだ」
 そう言うとカヲルはオレから視線を外して窓の外を見た。物珍しそうに外の道路を見下ろす。
 そこで、軽食セットのトレイが下げられ、コーヒーが来た。持って来られたコーヒーをオレは一口飲んだ。
 「一回だけ?」
 「うん」
 カヲルもケーキを食べ終わっていた。
 「じゃ、四年ぶりの再会を祝して、乾杯」
 カヲルが、ミルクティーのカップを持ち上げて言った。オレはつられて、手にしたコーヒーカップを持ち上げた。
 「コーヒーカップで乾杯とはね」
 言いながら一口すする。
 「いいじゃない、さ、別に何だって」
 カヲルも手にしていたカップをそのまま口に持っていった。
 「乾杯」
 そう言うとカップを逆さまにして見せた。今ので飲み終わったらしい。ほのかに笑いながら、カップをソーサーに戻すと、カヲルは手を膝の上に乗せ背筋を伸ばし、畏まって見せて言った。
 「えーと、じゃあ、何でも聞いて下さい。答えられる分だけだけど、お答えします」
 オレの方もそう言われると、何から聞こうか一瞬戸惑うが、とにかく順番に聞くことにした。眼鏡越しに眼が合って、あいつが緊張しているのが伝わってきた。するとオレまで緊張してきた。
 「あのさ、何でいきなり引っ越したわけ? 全然知らせてくれなくてさ、冷たいじゃん」
 やっぱり、という感じで聞いているのが解る。もちろん色々事情はあるんだろうけれど、まるっきり何も知らせず居なくなったわけで、それは恨んでいたりする。
 「うーんなんて言ったらいいかなー、まあ、つまりボクが病気になってさ」
 カヲルは位置を直すように鼻の上の眼鏡を押さえた。ちょっと言葉を選んでいる感じだ。言い難そうにしている。
 「病気?」
 ちょっと気にならないでもなかったけど、先を促すつもりで聞いてみる。
 「うん。で、いきなりなんだけど、入院しちゃったんだ。春休みになった途端だよ。一緒に遊びに行く約束してたじゃない。ゴメンね、行けなくてさ。そのまま転地療養って事で、引っ越しちゃったんだ。挨拶ぐらいはしたかったんだけどサ」
 「なんの病気だったんだ、そんな入院なんて?」
 「うーん、難しいなぁ。フジンカの病気?」
 まるであいつが質問するような口調で言った。なんの病気か意味がわからなかった。
 フジンカ? あ、婦人科か。
 「莫迦! 冗談じゃないんだぞ」
 「ゴメン、ゴメン。怒んないでよ。実は詳しいことはボクにも解らないんだ。親は詳しく聞いているんだけど。だから説明って言っても、しようが無いんだ。で、引っ越してそのままでさ。女の方のカヲルは、高二な訳だけど、ボクはさ、男の方のカヲルは、学校行ってないんだよ。中学も高校も」
 「え? それってどういうことだよ。じゃ、まだ療養中な訳?」
 「まあね」
 カヲルは澄まして答えた。
 「じゃあ、大丈夫なのか、出掛けて来たりして」

 「学校は行ってないけど、そんなに深刻な状態じゃないから」
 見た目は確かに病人と言う感じでは無い。
 「そうかー…。あ、声!」
 「なに?」
 「あ、いや、声がさ、全然変わってないから…、それも病気のせいなのか?」
 「たぶん、そうかな」
 「ああ…、悪かったかな、ゴメン」
 「気にしなくていいよ、別にボクは気にしてないから」
 「うん」
 自分の失言で、ちょっと気まずくなってしまって。オレは次に何を言ったらいいか解らなくて、困ってしまった。カヲルの顔をまっすぐ見づらくなって、オレは窓の外に眼をやった。まだ陽は高くて、暑そうだった。数秒か数十秒、沈黙が続いた後で、カヲルが先に口を開いた。
 「他に質問は?」
 「ああ、そうだな。これからは会えるのか?」
 「その質問はちょっと保留ね、後で答えるよ」
 「なんで? 今答えたって変わらないだろ」
 「ちょっと待ってて。他には」
 「えーと…。何だかまるで記者会見だな」
 結局、大した質問も出来ないまま、やり取りが続いた。
 断片的に聞き取ったところでは、カヲルは入院した後、そのまま引っ越して転地療養となったのだが、そこで精神的に参ってしまって、少しノイローゼ気味だったらしいのだ。それで誰とも会いたくなくて、手紙にも連絡先をかかずに出したのだという。
 それなりに大変な四年間だったらしい。思わずそう言うと、カヲルは笑って答えた。
 「実際はそうでもないんだけどねー、そういうことにしとこうか。ところでさ、そういう浩ちゃんの方はどうなの?」
 カヲルが質問してオレが答える番になってしまった。
 「どうって、まあ、地道に四年間、過ごしてたかな。適当に勉強して部活やって、ちょこっとバイトして」
 バイトといっても、高校に入ってから、先輩の紹介(頼み)で長期休みの時に少しやるだけで、大して稼いでいるわけではない。時給も安い。倉庫整理とか言って、正社員の手伝いで力仕事をするんだけど、運がいいと半日くらい重い荷物を持たないで済んでしまうことがある。それを考えると悪くない。
 そう説明すると納得していた。
 「妙なところでちゃっかりしてるのが、浩ちゃんらしいよね。それより、浩ちゃんてファーストキスって高一なんだって?」
 「何でそんなこと、知ってるんだよ。あ、そうか、そんなことまで伝わってるのか」
 これはやりにくい。
 「気にしないでいいよ。中学の時だって、モテたんじゃないの? 身長も伸びてるし、性格も大人になったんじゃない?」
 「モテ無いよ、ホント。中学の時は付き合った相手なんて居なかったし、好きな子なんて居なかったからな」
 「相手ってどんな娘だったの、どうして別れちゃったの?」
 急に話に乗ってくる。昔からこんな感じだったけど、今までのノリの悪さは何だったんだよ。
 「急に元気だなぁ」
 「あ、ゴメン。聞いちゃいけなかった?」
 「まあいいけど。妹にはあんまり言うなよ」
 そう前置きして、オレはぽつぽつとその頃のことを話した。
 高一になってすぐ、同級生の女の子に誘われて付き合い始めた。ちょっと可愛い感じの娘で、結構積極的だった。部活で一年というのは何かと立場も弱い。で、忙しくなるからデートの回数も少なかった。オレの方で好きでたまらないと言う感じではなかったし、一緒に遊んでいても、ちょっと趣味が違うかなと感じてもいた。それでもこっちは男だし、あわよくばなんて考えも合ったから、付き合い続けていた。ただそう言うのを、やっぱり女の子のほうでも敏感に感じ取るようで、ちゃんとした進展を見せる前に、向こうが別の男に乗り換えてしまったんだな。
 それ自体は、大して気にも留めなかった(としておこう)。あわよくばの部分が残念だったくらいだ。結局その娘とはキス止まり。以来彼女と呼べるものは作らなかった。後で聞いたところによると、女子の間でオレは女には冷たい、と言う評判が立っていたらしい。
 「勝手なもんだよな、オレもいい加減だったけど」
 「ふーん」
 「何、感心してんだよ。お前の方こそなんか無いのか。そんな美人なんだから付き合ってくれとか、言われたことなかったのかよ」
 「あのね、ボクはこれでも、病気療養中なんですけどね。」
 「あ、そうか。でも全然って事は無いんじゃないか?」
 「社会復帰するなら考えましょうかね、どうせ、来るのは男ばっかだし」
 「ははは、相変わらずだよなぁ、美人、美人」
 見た目はデート中のカップルだよな、女の子がボーイッシュなだけで。
 「美人ていえばおまえの妹さ、なんで別々だったんだよ。名前まで一緒だし。性別と名字以外はそっくりなんて、紛らわしいだろ。双子の妹がいるなんて聞いたこと無かったし」
 「あー、うん、そうなんだ。ボクも小学校を卒業するころまでは知らなかったんだよ、彼女のことは。
 ボクだってびっくりしたもんなー、妹のこと知った時はさ。
 名前が同じなのは、まあ色々事情があるみたいなんだけど、あまりなんていうか、聞きづらいんで知らないんだけど…、なんかね、あるみたい」
 適当に相づちを打ちながら聞いていたが、あまり要領を得た話ではない。
 「なんかって、わかんないなー。お前らってサ、じゃあ小学校までは知らなかったのか」
 「そう。青天の霹靂って奴? そんな感じだったなー」
 「じゃあ、病気や引っ越しがきっかけで知らされたわけか」
 「そうだね」
 それから大した話しはしなかった。オレの部活の話とか、中学生の頃の事とか、高校に入った頃の事とか、高校の友人のこととか。
 斉藤雄介というとんでもない奴の話をすると、さすがに笑っていたが、急に真面目な顔になると。
 「やっぱり、妹のことが心配になってきた。朱に交われば赤くなるって言うしなぁ。手の早さは聞いてるし」
 「ちょっと待てよ。オレはあいつとは違う。あいつはかなり特殊なんだってば」
 変なことを妹の方に吹き込まれては困る。ちぇ、あんまり詳しく話すんじゃなかったかな。あれでも一応、今一番信頼している奴なんだけど…。
 「どうだかなー。うん、妹にはよく言っておこう、浩ちゃんはあれで結構ヤバイかも、考え直すなら今のうちだって」
 カヲルは澄まして、冗談とも本気ともつかない口調で言う。
 「やめてくれ、頼む。冗談じゃないんだから、余計な心配させるようなこと言わないでくれ、ただでさえイマイチ、信用が無いみたいなんだから」
 オレは焦って、そう言った。声がでかくなってしまう。
 「そうなの、ふーん。まあそうでもないと思うけど。妹のこと好き?」
 「ああ、好きだ」
 そう答えると思わず顔が赤くなる。同じ顔だもんなー、照れるぜ。ちょっと女の子の方のカヲルを前にしているように錯覚してしまう。髪がぼさぼさでなく、長くて綺麗だったら区別がつかないかも。
 「浮気もなし?」
 「もちろん」
 「じゃ、言わないでおく。ついでにこないだの土曜日のことも追及しないでおくよ」
 一瞬、なんのことか解らなかった。カヲルの言っている意味が理解出来た途端、大声がでた。
 「はあ? えー、あっ! 畜生、そんなことまで知ってるのか! お前ら仲良すぎるよ。困る、それは困る」
 「いいじゃないさ。別に浩ちゃん達のつきあいに文句なんか言わないよ」
 「そういう問題じゃない」
 オレは椅子に沈みこんで、そう呟いた。
 照れ臭いんだよ。、あいつもそんなことまで兄貴に言うなよなぁ、まったく。
 あとであっちのカヲルには口止めしないとなぁ。ニブい上にデリカシーに欠ける。これ以上兄貴の方に筒抜けじゃ羞ずかしいことこの上ない。もっともあの、ピントのずれ具合も魅力なんだけどな。
 「はー」
 「なに溜息ついてんの」
 「なんでもない」
 ちょっと、へそが曲がってるだけだ。

 「ねぇ、小学校に行ってみない?」
 カヲルが突然そんなことを言い出した。少しずつ小学校時代の思い出話が出て来たところだった。
 「何か久し振りに行ってみたいな。どうせ日曜だから校庭には誰もいないよね。今から行こうよ」
 「ああ、じゃ行ってみるか」
 カヲルにとって、行ったことのある学校といえば小学校な訳だ。懐かしいだろう。オレもちょっと興味をそそられた。近所だというのに、卒業して以来小学校の構内に足を踏み入れたことはない。
 いつの間にか、店にはかなり長居していた。周りの客は入ってきたときとはすっかり変わっている。長居する客が多い店だけど、今日は回転がいいらしい。
 店を出る時、マスターが一言声を掛けてきた。
 「彼女、連れてくるの初めてだよね。これからはよろしく」
 オレは苦笑いして、そのまま勘定を払うと店を出た。
 「ボクの分いくらかな?」
 カヲルが財布を出して待っていた。
 オレは今日は奢ると言って、財布をしまわせた。大した額じゃないし、その位の小遣いはある。なにしろ四年ぶりに会った親友なのだ。このくらいのもてなしはしたかった。
 「マスターなんて言ってたの?」
 カヲルは財布をしぶしぶと言う風情で引っ込めると、そう聞いてきた。オレは思わず笑いながらマスターの言葉をそのまま全部答えた。
 「本当?」
 「ほんと、ほんと。これっぽっちも疑念ナシに彼女って思ってたなぁ、あれは」
 カヲルを見ると、何か別のことに気を取られているようで、昔のように、憤慨するとか気を悪くするとか言う様子は見せなかった。小学生の頃は「可愛い女の子」なんて言われると、いきり立って「そんなことありません」って言ってたのにな。ついに慣れたか、諦めたか。病気というのもあるのかも知れない。
 「いいけどさ」
 一言呟くだけで、済ませてしまった。ベースボールキャップをトートバッグから取り出すとしっかりかぶって歩き始める。
 「さ、行こう」
 「ああ」
 オレも慌てて歩き始めた。

 並んで歩くと、背も双子の妹とほぼ同じらしいことに気付いた。丁度、弟の優樹と同じくらいだから、とても同い年の野郎と歩いている気分ではない。同級生にもっと小柄な奴はいるけれど、体つきが違う。大体そう言う奴はコンプレックスもあるから、必死に鍛えていたりして、却ってがっしりしている。
 オレは思わず自分で考えたことに笑ってしまった。
 「うん、なに?」
 「やっぱり違うよな、なんか弟でも連れてるみたいだ」
 「なにそれ」
 「相変わらず女顔だから、妹かな」
 「冗談」
 カヲルは気まずそうに俯いてしまった。やべ、ちょっとまずかったかな。
 帽子をかぶってると却って、女の子に見える様な気もする。
 「ゴメン、もう言わない」
 「いいよ」

 オレ達が通っていた小学校までは、ゆっくり歩いても五分と掛からない。
 そろそろ、夏に向かって行く時季になっていて、このあたりは結構緑もあるから、歩いていて気持ちがいい。街中のビル街とは全然違って季節感がある。まだ陽は高くて日差しが強い。今は風がまださわやかだから暑さは感じないけれど、すぐに梅雨になって夏になりそうだ。
 二人で、周りの景色や町並みを評しながら歩いていくと、すぐに小学校の正門前に辿り着いた。
 「さすがに変わってないね」
 「そうか? オレには縮んだように見えるぞ」
 「浩ちゃんは随分大きくなっちゃったからねぇ、小学生の頃は今の十倍ぐらい可愛かったよね」
 「それはおまえだろ。オレがかわいかった訳ないじゃないか」
 「違うよ。ボクはほら、浩ちゃんだって言ったように大して変わってないんだから。その点、君は随分むさくるしくなったよね。昔は可愛くて元気が良くて、憧れだったんだ」
 「なんだ、そリャ」
 「ここで見ててもしょうがないしさ、中、入っちゃおう」
 カヲルが鉄の重そうな門扉に手をかけた。レールで横へスライドするにしても重そうで、上手く動かない。非力なカヲルに代ってオレが手を出すと、あっさり門はスライドした。
 身体が通れる程度だけ門を開けると、オレ達は中へ入った。オレはカヲルの後に門を通ると、元のように門扉をスライドさせて閉めておいた。
 敷地には校庭以外に余裕はないので、すぐに玄関ホールがあり、そこを抜けると校庭だ。裏門からなら直接校庭に面しているけれど、反対側へ回るのが面倒なので正門から入ったのだ。
 さすがに教室に入るのは躊躇われる。一階の校庭に面した教室を覗いてみると低学年用の小さな机が並んでいるのが見えた。
 「小さーい、一年生用かな」
 カヲルが嬉しそうに教室の中や校庭を見ている。
 「あ、鉄棒だ、そのまんまだよ」
 「みんな、縮んでるな。なんかガリバーの気分だ。校庭ってこんなもんだったっけ。鉄棒なんて高いほうでも、頭つきそうじゃん」
 「くすっ。だから浩ちゃんが育っただけなんだって」
 「頭では解ってるんだけどなぁ」
 校庭に対して、校舎はL字に建っていて、長いほうに玄関ホールがあった。そこから校庭の反対側の端に鉄棒や雲梯、ジャングルジム、登り棒等がある。オレ達は校舎沿いに歩いてそっちの方へ行った。辺りにはまるで人の気配が無いので妙な気分だ。
 すぐ側まで行くと、鉄棒はいよいよ縮んで見えた。ジャングルジムも自分が実際に遊んでいたものとは思えない。二歩で上まで行ってしまいそうだ。
 「懐かしいなぁ。よく遊んだよね」
 「あれだよな、きっと。オレが卒業してから、小さいサイズに取り換えたんじゃないかな」
 「まだ言ってる」
 「ま、懐かしいよな。オレも四年ぶりだよ」
 一番高い鉄棒に手を伸ばすと充分届いた。小学生の頃は飛び上がっても届かなかった高さだ。
 すぐ横に並んでカヲルは中段の鉄棒に手を伸ばした。丁度、あいつの頭の高さだった。
 「昔はこっちでやっとだったよね」
 「そうだったか?」
 「そっちは届かなかったでしょ」
 「さあね」
 「いいじゃん、今はそんなにデカいんだから」
 「昔のことで揶揄われるのは、いい気分じゃないんだぜ」
 「へへへ、ゴメン。気を悪くしないでよ。悪気はないんだからさ」
 「あったら、殴る」
 「物騒だなぁ、冗談でしょ」
 「おまえさ、これからどうするんだ?」
 軽い話題を続けるカヲルに対して、オレはさっきからずっと気になっていた話を切り出した。
 あまりに急な話題だった所為か、カヲルは面食らっているようだった。
 「え、どうって?」
 あいつの声も真面目なものになった。少し上ずっていたせいか、妹の声そっくりになっている。
 「今は療養中なんだろ、社会復帰した後だよ。中学に通うとか、高校に行くとか、まずあるだろ。予定あるのか」
 オレの方に向けていた顔を鉄棒の向こうに向けると、カヲルは俯いて言った。
 「別に無いけど」
 「何をするのでもさ、オレに協力出来ることは何でも言ってくれよな。学校に行くのでも、一緒に遊ぶのでも何でもさ。そうだ、いっそ大検受けるなんてどうだ。そしたら同じ大学にいけるかも知れないだろ」
 「ははは、そうだね」
 カヲルは少しだけおかしそうに笑った。オレの話を真面目に受け止めていないような気がした。
 「おい! おれは真面目に言ってンだぞ」
 そう言いながら、オレは思わずあいつの肩をつかんだ。
 オレは右手につかんだ肩が驚くほど華奢なので驚いたが、あいつの反応はそれ以上に激しかった。
 「え、うわっ、ちょっと離して!」
 そう言って身を引くと両手でオレの腕を払った。しかしそこでカヲルはバランスを崩して後ろに倒れ掛かった。
 「あ!」
 オレとカヲルは同時に声を挙げていた。
 次の瞬間、オレはカヲルを腕の中に支えていた。
 「アブねー、気を付けろよなぁ」
 「わ、解った、解ったから離して」
 カヲルは両腕で身体を抱え込んで、顔を俯かせて言った。声がオクターブ高いように響いた。
 「おい大丈夫か?」
 慎重にゆっくり手を離すと、あいつはその場にしゃがみ込んでしまった。
 「おい、カヲル?」
 オレはどうして良いかも解らず、その場に立ち尽くしてカヲルを見守った。
 数秒経って、カヲルがゆっくり答えた。
 「大丈夫、何でもない、うん、大丈夫」
 そう言いながらあいつは立ち上がった。下を向いたままなので表情は見えなかったが、声は元に戻っていた。
 「ありがとう、転んじゃうところだったよ」
 「お安い御用だけど、身体なまってるんじゃないか?」
 「しかたないよ」
 そう言うと、ようやく顔を上げたが、表情は強ばって、顔色も悪かった。
 「そうだな、どっかに行って休むか?」
 「大丈夫、それにそろそろ帰らないと」
 「え、もう帰るのか」
 思わずそう言ってしまったが、こんな顔色では、帰さないほうが心配だ。
 「やっぱり、まだ本調子じゃないのか」
 「そんなことないよ、大丈夫。でも今日はもう帰るよ」
 口ではそう言っているが、カヲルの様子は明らかに調子が悪そうだった。
 オレ達はそのまま駅に向かうことにした。

 カヲルは駅につくまで、ほとんど口をきかなかった。何を言っても、生返事しか返さない。これにはオレも参った。様子が様子だから、腹を立てることもないが、それで余計心配になる。
 「じゃあ、ここまででいいよ」
 駅前の交差点まで来ると、カヲルがそう言った。
 「いいのか?」
 心配して、駅まで送ろうとするオレをカヲルは止めた。
 「大丈夫、見送られるのは嫌だしね」
 妹と同じようなことを言う。
 信号が変わるのを待つ間に、カヲルがまた口を開いた。
 「そういえば、浩ちゃん、妹のカヲルを随分、ニブイって笑ったって」
 「なんだ、笑ってなんかないぜ。確かにあいつはちょっとニブイし」
 「そういう、浩ちゃんだって相当なもんだよ」
 「はあ?」
 オレが間の抜けた返事をしたところで、信号が変わった。
 「じゃあね。大莫迦ヤローの浩ちゃん。ここでバイバイ」
 そう言いながら、あいつは横断歩道を渡り始めた。
 「前見て歩けよ。じゃあな、また電話くれよ」
 オレの声に一度だけ手を上げて応えると、カヲルは駅の雑踏の中に沈んでいった。
 人込みに紛れて行く後ろ姿も、妹とそっくりだった。
 まだ夕方と言うには早い時間だったが、オレは妙に疲れを感じていた。今日はもう家に向かうことにした。

 ケイタイが鳴った。
 まだ、家に向かう途中の道だ。オレは立ち止まって、ポケットの中のケイタイを取り出す。
 「もしもし」
 『あ、浩ちゃん?』
 今別れたばかりのカヲルだった。
 「ああ、カヲルか、なんか忘れモンか?」
 『うん、そう。あのさ、これからは会えるのかって質問に答えて無かったよね』
 「あ、そうだったっけ。もちろん会えるんだろ。身体の調子も、まあまあ良さそうだし」
 『ううん、違うんだ。ゴメン、もう会えないんだ』
 「えっ? おい、カヲル!」
 『じゃあ、さようなら。妹をよろしくね』
 それだけで唐突に通話が切れてしまった。カヲルが切ったんだ。
 「もしもし? もしもし?」
 呼んでも応えはなかった。もう繋がっていないのだ。
 こっちはカヲルのケイタイの番号は知らない。いや公衆電話からかも知れない。
 オレは呆然として自分の携帯電話を見つめていた。



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