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二人のカオル                         by WATARU 1024
二人のカヲル_タイトル

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 一、あいつの妹


 「なーに? 何かご用ですか?」
女の子  思わず見とれていた、美少女が、オレに向かって声を掛けてきた。
 交差点の信号待ちで、人混みから一歩離れて立っていたオレに向かって。視線に気づいたかと思うと目を合わせ、じっとオレの方を見たまま、二、三歩近づいて彼女はそう言った。
 見とれる理由は二つあった。
 身長はオレより少し低め、ということは女の子としては少し高めか。彼女の焦茶の長い髪は自然に風になびいて。少し細すぎる首の線を傾けて、彼女はオレの方を見ていた。吸い込まれそうな瞳だ。文句なしの美少女だ。ただ、オレには、この手の顔に見覚えがあった。四年前と同じ顔。小学校の卒業式の頃。でもそんなはずはないわけで…。
 「えっ? あ、いや、すいません。失礼しました」
 オレは、まさか話しかけられるとは思っていなかったので、うろたえてしまった。精々、見苦しくないよう、答えたつもりだが…。
 「私の顔に、何かついてます?」
 「あ、とんでもない! …あんまり、知り合いに似てたから、びっくりして…」
 「そう? で、人違いなの?」
 「ええ、もちろん」
 うろたえているのが、まるっきり、みえみえで、我ながら情け無い始末だ。
 「もちろん?」
 「あの、小学生の頃の親友で、もう四年以上会ってないんですけど、そいつ男だから、人違いです」
 ああ、オレは何を言ってルンだぁ(涙!)。事実とは言え、そんな話し方があるかぁ!
 「男の人と間違えたのぉ!」
 華奢な顎を震わせるようにして、唇をとがらせ少し怒って見せる表情が、また、くらくらする。
 そういえば、あいつもこんな表情してたな。その頃はこっちは小学生で、美少女顔だからって、特に何も感じなかった。かえって時々いじめてたかも。
 だいたいあいつの方がオレより背が高かったし。このちょっと紅い唇が違うと言えば違うが、それでもやっぱりよく似てる。顔を火照らせ、頭はパニックになりながら、そんな想いが頭の隅で、揺れていた。
 「そいつよく、美少女と間違われてたんです。ほんとに美人顔で」
 「そーお?」
 かなり疑わしいと思っている口調だ。可愛い顔して、少し気が強そうだ(そんなところまで似てるぞ、チクショウ!)。街の往来で、こんな美少女と二人で話しているなんて、かなりラッキィなシチュエーションなのに、全然嬉しくないぞー。
 信号が変わって、人の波が動きはじめた。しかし彼女は動かないで、オレの次の言葉を待つかのようにオレを見る。
 「中学生や、高校生に女の子と思われて申し込まれるぐらいだったんですよ」
 もはや、頭の中は真っ白になりつつあった。おれはパニックを起こすと、莫迦なことを延々喋ってしまうんだ。
 「早坂カヲルって言うんですけど、もしかしてもしかしたら、親戚とか、親類とか、生き別れた兄弟とか、そんなこと全然無いですよね。あいつは確か一人っ子だったから。すいません、そうだ失礼のお詫びにお茶でもおごりますよ」
 おお、我ながらなんて、調子のいい言葉。パニックで裏返った声でなければ、なかなかいい感じではないか?
 「はい、はい、落ち着いて、落ち着いて。ナンパするなら、気を落ち着けて」
 あまりの醜態に、ついに同情を誘ったのだろうか? 美少女はオレをあやすようにそう言った。
 「(はあ…ふー…)」
 とにかく、彼女の言葉に、オレは心を落ち着かせることを試みて。彼女の柔らかな態度のお蔭か、すぐに落ち着いた。
 「あなた、もしかして宮本君? みやもとひろき君?」
 「へ?」
 またまた、オレはかなり間抜けな声を出したようだ。心の中で、周囲に穴を探してしまう。どこか、入れそうな穴が欲しい。が…、どうして、この美少女がオレの名前を知っているのだ?
 彼女は嬉しそうに顔を綻ばせていった。
 「そッかー、あっちのカヲルと間違えたのかー、ちゃんと憶えてたんだ。うん、そりゃ仕方ないかもね。あなた宮本浩樹君でしょ?」
 「はい、そうです。何で知ってるんですか」
 「ふっふっふっ、あたしは何でも知っている」
 「えっ?」
 「冗談よ。あたし、妹。早坂カヲルの双子の妹。もう一人のカヲルなの。あなたのこと知ってるわよ」
 「ええっ!」
 「とりあえず、浩ちゃんには、お茶でも奢ってもらおうかな」
 オレはカヲルのことは、カヲルと呼びすてにしていたけれど、何故かカヲルはオレのことを、浩ちゃんと呼んでいた。
 彼女はオレの腕を取ると横断歩道とは反対側へ歩きはじめた。
 そこで始めておれは彼女が、ブレザーにスカートという、いかにも女の子っぽい、高校の制服(たぶん)を着ていることに気が付いた…。

 「名字は違うの、二条カヲルが私の名前。二条城の二条に片仮名でカヲル、本当は「橘、薫る」の薫なんだけど、普段は片仮名で書いてるの。漢字だと重苦しいでしょ」
 まさかと思ったが本当に、幼なじみのカヲルの妹だったとは、二度ビックリだ。
 「驚いたな、本当に妹なんだ。こんなにそっくりじゃ信じるしかないよなぁ」
 すっかり落ち着いてから、オレはそう言った。近くの喫茶店へ入ると、彼女は紅茶、オレはコーヒーを注文して、さて、というところだ。窓際の席で通りの様子がよく見える。
 「こっちも、びっくり、そんなに似てる? えっと、兄と」
 「そっくりそのままだよ。さっきは、小学生の時のカヲルが、タイムスリップして出て来たのかと思ったぐらいだ」
 それでこんだけ美人なんだから、あいつは見事な女(美人)顔だったわけだ。
 「ふーん。浩ちゃんは、大っきくなったのね。声も渋くなってるし」
 彼女も懐かしそうにオレを見る。まるで彼女自身が昔のオレを知っているかのようだ。残念ながらオレには覚えが無いから、そんなことはないと思うが。それにカヲルは確か、一人っ子だったはずだ。目の前の美少女は確かにカヲルとよく似ている。双子とでも言われないと、信じられない。
 「昔会ったことあるのかな、オレ達?」
 「ううん、無いと思うよ。浩ちゃんのことは写真で見たの。なんだか、あたし、直接知ってるような気がしてたの、…カヲル兄さんからも少し聞いてたから、小学生の頃は、頭のてっぺんから出すような、思いっきり甲高いボーイソプラノだったんでしょ?」
 「確かにそうだけど。うっわー、なんか、あることないこと、言われてそうだな」
 「そんなことないよ、浩ちゃんはカヲル兄さんのお気に入りだったんだもん」
 「まあ、仲は良かったけど、その分、よく喧嘩もしたから」
 「でも、すぐ仲直りしてたでしょ」
 「まあね。えーと、その、お兄さんは今はどうしてる?」
 昔の話を、それほど親しくない相手からされると、思いっきり、気恥ずかしい。ましてこの娘は、相手の眼を見て話すから、恥ずかしさが倍増する。それではかなわない。話題を変える。
 彼女の表情が、わずかに硬くなった様な気がした。
 「知りたい?」
 「そりゃ、もちろん。中学入っていきなり引っ越しして、転校してっちゃうし。ほとんどそれきりだから。いろいろ教えて欲しいな」
 彼女の問い掛けに、オレはすかさず答えた。
 幼なじみのカヲルは、ある日突然、オレの前から姿を消した。突然住んでた家からも居なくなった。近所の噂では、ある日突然一家で引っ越していったという。その前の数日、カヲルとは会っていなかった。なんか体調が悪いとかで、会えなかった。中学入学を直前にして、春休みは、カヲルと遊びまくろうと思っていたのに、結局一度も遊べなかった。
 背が高いくせに結構おとなしいカヲルは、あまり他の遊び仲間と大勢で騒ぐのは、好きじゃなかったらしく。オレは普段は、大勢で遊ぶほうが楽しかったから、春休みはカヲルと遊ぼうと思っていたのに。結局、あの春休みは、何となく、つまらなく過ごしてしまったんだ。
 中学は同じ学校に入学はしたけど、入学式から欠席したまま、一週間ぐらいしたとき、転校することになったと知らされた。
 一度だけ来た手紙には、連絡先が書いてなかった。ただ、都合で引っ越すことになったこと、春休みの約束を果たせなくて悪かったということ、そんなことだけが書いてあった。
 腹も立ったし、心配もしたけど、結局、丁度、新しい環境になって、忙しかったので、そのうち忘れてしまった。ただ、時々思い出すんだ。ガキの頃の思い出には必ずあいつがいたから。
 「あいつ変わった? 今でも、君そっくり?」
 「そうね、変わったとも言えるし、変わってないとも言えるし…、あたしとはどうかなー」
 何故か言いにくそうにする。
 オレの方は、いろんなことが聞きたいのに、何だか、どう聞いていいんだか、解らない。
 目の前に座っている彼女は、小学生の頃の親友とよく似た顔なのに、こんなに奇麗なンだな。オレは思わず緊張してしまう。けど、さすがにさっきのような、パニックにはならない。
 「オレ、ずっとカヲルは一人っ子だと思っていたけど、本当は妹がいたんだ」
 記憶にある限りでは中学校入学直前のあいつだ。女の子だから、子供からまだそんなに顔が変わってないんだろうか。
 久しぶりに会った親戚なんかは、オレの顔を見て、お母さん似かと思ってたけど、お父さんに似てきたって言う。あの頃のオレを知ってるなら、随分、変わったと思うだろう。カヲルだって、随分、変わってるんだろう。
 「名字が違うでしょ。あたし、母方の実家で育ったの」
 それなりに事情があるようだ、ちょっと聞きづらい。
 「今、あいつ、どこにいるの?」
 「知りたい?」
 「教えてくれよ、もったいぶらないでさ」
 「んー、ちょっと言いづらいんだけど。どうしたらいいかなぁ」
 言いながら、目を伏せてしまい、表情が見えにくくなった。
 「高校行ってんだろ、やっぱり。二年だよね、あ、と、ダブッたりとかしてるってことは……」
 「あたしは高二だけど……」
 「病気で学校へ行ってないとか、あんのかな、もしかして」
 「やっぱり秘密、私、教えられない、ゴメン!」
 両手を合わせて、彼女は頭を下げた。
 「ちょっと待って、そんなこと言わないで、教えてくれよ。何で教えてくれないんだよ」
 「ゴメン、事情があるんだ」
 「じゃあ、その事情ぐらいは話してくれてもいいだろう?」
 「ゴメン」
 彼女は小さくそう繰り返した。
 「な、なんで! なんで話せないんだよ? 秘密主義にもほどがあるぞ?」
 オレは思わずカッとして、声を荒げた。
 彼女の顔が一瞬、脅えて怯んだようになったが、彼女の表情も真剣だった。
 「本当にごめんなさい! 今はちょっと言えないの、ごめんなさい」
 それまではいい感じだったのに、突然、気まずい雰囲気になってしまった。それもちょっとやそっとのモノではない。二人してうつむいて、しばらく黙り込んだ。
 「……解ったよ。じゃ連絡先くらい教えてくれないか?」
 「……あたしのなら……」
 「兄貴のは教えて貰えないか」
 「……ゴメンナサイ」
 彼女はすっかり、元気を無くしてしまっていた。考えてみれば、体の一回り以上でかい男に怒鳴られたんだから、まあ確かにしかたないか。オレも少しは(かなり?)悪い。
 「いや、オレも悪かったよ、大声出してさ」
 ふと周囲を見ると、オレ達はかなり注目されていた。何やらオレを非難するような囁きもちらほら。チクショー!
 「ゴメン、怒鳴ったりして悪かった」
 「ううん、悪いのはこっちだから…、やっぱり会いたい?」
 彼女も気を取り直してくれたらしく、顔をあげて、オレの方を見てくれた。
 「ああ、会いたい」
 「そっかー…」
 彼女は、少し視線を反らして、店の外を見ながら呟くように言った。そのまま何も言わないので、オレも黙り込むしかなかった。さっきほど気まずい訳ではないが、これはちょっと困る。さすがに、恥ずかしいので、綺麗な横顔に見とれるわけには行かず…。
 幼なじみの親友の妹と、っていうのは、考えようによっては、おいしいシチュエーションなんだけどなー。
 オレがぼうっと考えているところへ、突然、彼女は正面を向いた。視線の先には当然、オレが居る。
 「よし、決めた! 会う約束ならしてもいいよ」
 「本当?」
 「本人がいやならキャンセルするけど、いい?」
 「ああ、それはしょうがないよ。じゃ、いつ?」
 「電話するから、ケイタイの番号教えて」
 オレは首肯いて、財布を出すと、中からネームカードを出して渡した。カードには、ちょっと間抜けなオレがシールで貼ってある。一瞬、躊躇ったが、まあ、しかたない。どうせ実物を前にしているんだ。
 「これが、アドレスその他、オッケー?」
 「はーい。あのー…、そのかわりといっては何だけど、これからデートしてくれないかな?」
 オレは、今日何度目かの、かなり間抜けな返事をした。
 「え?」
 かなりの美少女が小声で頬を染めて、そんなセリフをオレに言う日が来るとは、当の本人も思ってなかったような。

 「さ、行こうか」
 立ち上がって並んでみると、彼女の背はオレの鼻先くらいだった。
 そう言えばこの娘の背はちょうどあの頃のあいつくらいだろうか…。
 彼女は躊躇い無く、オレの腕を取ると歩きはじめた。
 オレは本当は、今ごろ予備校にいるはずなんだよなー。いいのかなー、こんなところに居て…。
 しかし可愛い女の子の誘惑に、勝てるモノではないさ。勝ちたくもないよな。
 「あたしのことはカヲルでいいよ、それとも兄さんと一緒だから駄目?」
 「いや、別にいいよ、カヲル?」
 ちょっと照れる。今までオレの中で、カヲルといえば幼なじみのあいつの顔が浮かんでいた。ところが、この娘と話しているうちに、いつの間にか、妹の方の顔が浮かぶ。って、本人が眼の前にいるんだけれど。その上ほとんど同じパーツだし。違いといえば、髪の毛、唇(これはリップかな)、全体の印象が女の子しているってことだ。そして、幼なじみのカヲルは二の次になってしまった。
 「浩ちゃんは、浩ちゃんね」
 「あ、ああ」
 高二にもなって、ちゃん付けで呼ばれるのも何だか妙な気がするが、とりあえず異議申し立てはしなかった。

 兄のカヲルと妹のカヲルで、話す感じもどことなく似ている。双子だから当たり前かも知れないが、お蔭で、まるで、ずっと昔から知っている相手のような気がしてくる。知り会ってからほんのちょっとの間に、オレ達はすっかり打ち解けていた。
 ただ、最初の会話のせいで、直接、兄の方のカヲルに関する話はしなかった。
 「君はさあ、オレのこと誤解してない?」
 「おまえでいいよ、もう、友達なんだから」
 「だから、兄貴からいいことばっか、吹き込まれてるとか」
 「そんなことないよ、結構悪さして、怒られたとか、女の子いじめたとか知ってるよ。他には、小さいくせに喧嘩っ早かったとかー」
 「げっ! それも困るけど」
 昔の話は、とてつもなく恥ずかしい。
 「なんか、想像した通りに成長してたんで、ちょっと感動したんだ」
 「え? 今なんて…」
 「何でもない!」

 「浩ちゃん、今、付き合っている彼女とかいるの? 好きな人とかは?」
 うーん、こういう質問を受けるということは、脈ありか? オレは、ちょっと期待してしまうぞ!
 「付き合ってる彼女なんて居ないよ。そう言う、おまえは、彼氏とかいるの?」
 「いたらこんなとこ、いないっショー、へへ。じゃあ好きな人はいるの?」
 あれ? へー、兄妹なのかな、やっぱり。「ないっショー」というのは、カヲル(兄)もよく言ってた…。
 「んー、好きになりかけてる娘はいるかも」
 「えっ、いるの!」
 オレの左腕に回した、カヲルの腕に力が入り、オレの方を見上げた。カヲルが足を止めたので、オレもそのまま引かれるように止まる。
 う、可愛い!すごく可愛い! オレ硬派じゃないからなー、そんな無防備な顔で見上げられたら…。
 でも、やっぱり、いきなり唇はまずいよなー。うーむ、咽喉が鳴るじゃないか。
 カヲルの方に首を回すと、ごく至近距離に彼女の額があった。驚いているような、泣き出してしまいそうな微妙な表情が見える。
 その顔を見て、オレは心臓が飛び出しそうになった。
 「いるの?」
 もう一度彼女がそう言うのを聞きながら、オレは彼女の額にくちづけをした。
 「うん、今日出来た」
 彼女の眼が、こぼれそうなほど大きく見開かれて、オレを見ている。ちょっと驚かせ過ぎたかも知れない。オレの心臓はもう飛び出しっぱなしだ。
 二人して、そのまま固まってしまった。彼女の白い頬が見るまに紅潮していく。それを見ていて、こっちまで頬が熱くなってきた。オレの言葉の意味が、少しずつ彼女の中に染み込んでいくようだ。
 黙って固まったままの何秒かが過ぎてゆく。
 と、初めて気が付いたように、カヲルは腕を放し、オレに背を向けた。
 やばっ、調子に乗りすぎたかなー、あんまりいい雰囲気だと思ったんで、思わずやっちゃったんだけど…、まずかったかなー。でもあれじゃ、キスするよなー、額だし。でも、これじゃオレの印象って軽薄かも…。
 「カヲル? あの…、大丈夫?」
 頭がパニックモードに入りかけている。彼女が、早く何か答えてくれないと、軽薄なことを言ってしまいそうだ。
 もう一度口を開きかけたところで、彼女は振り向いてくれた。
 「浩ちゃんて、手が早いんだ」
 顔を真っ赤にさせて、そう言った。聞いてるほうも、多分真っ赤。責めるようなことを口にしても、手を伸ばせば届くところに、立ったままだ。
 「それは誤解だよ。オレはおまえだからしたんだし、おまえじゃなかったら絶対しない」
 幼なじみの妹じゃなかったら、とりあえず唇、いってたかも知れない。でも彼女でなければ、こんなコトはしなかったと思う。
 「本当?」
 「ああ、絶対本当。それより、おまえの方は好きなやつとかはいないのか?」
 「いるよ、もちろん」
 心臓が縮み上がる瞬間だ。そう来ると思ったけど、早くはっきり言ってくれー!
 オレは堪え切れずに、右手をカヲルの左腕に伸ばした。
 オレが、誰? と聞くより早く、彼女はオレに寄り添って、呟いた。
 「浩ちゃん」
 涙声になっていた。
 彼女の手がオレの腕をつかむ。

 オレ達は他の何組ものカップルと同様にベンチに腰掛けていた。最近はやりのデートスポットの一つとなっている場所で夜景が綺麗だ。
 「会ったときね、本当はすぐ解ったよ。あ、浩ちゃんだって。浩ちゃんと、こんなふうに出来たらって、ずっと思ってたんだ。浩ちゃんが、こーんなに手が早いとは思ってなかったけど」
 「だから、誤解がないか?」
 「全然。ね 浩ちゃん、ファーストキスっていつだったの」
 「ああ、えー、えっ? …おまえ、そういうこと聞くなよ」
 「あー、やっぱりすませてるんだー」
 「そうじゃないだろ、おまえはどうなんだよ」
 「あたし、まだだもん。…キスしたことないよ。女子高だし、好きな人ずっといたし」
 顔を合わせたところから、かなり積極的だったので、始めは結構、遊んでるのかな、と思ったんだけど。その後の話の内容や顔の赤らめ方なんか、まるっきり小学生のノリなんで、多分そうかな、とは思っていた。しかし、直接本人の口から聞くとまた、感動もひとしおというもの。
 今や、オレは完ペキに彼女にはまっているようで…。
 頭が肩にかかっていたので、カヲルの表情は見えなかった。肩から重さが消えたので、顔をそっちに向けると、オレの方を見ていた。
 「浩ちゃんて、もしかして…」
 なにやら、疑惑を込めた眼でオレを見る。軽薄な遊び人てか? このオレが?
 「おまえ、何考えてるんだよ、キスなんて高校になってからこっちだし、それ以上に進んだことないし、もう一年くらい彼女いなかったんだからな」
 思わず声を潜めてしまうような話である。なんかオレってかっこ悪ー。
 高校に入ってすぐに、まあ、彼女らしきモノは出来たんだよな。ただ、部活が忙しかったし、女の子より、他のことを優先しているうちに、フラレたという訳だ。キスまではしたけど、そんなにその子のことが好きで好きでしょうがないという感じじゃなかったなー。こっちの気持ちが相手にも、伝わっていたんだろう。
 「へー、なんか信じらんない」
 セリフとは無関係に、顔は嬉しそうになる。やっぱり、かっこワルー。まるで軽薄なナンパ野郎か?
 しかしカヲルの顔が、眼の前にあると…。しかも、今度はお互いの気持ちが違う。またもオレの心臓は、激しく打ち始めた。思わず咽喉が鳴る。今度のドキドキはさっきとはちょっとニュアンスが違うぞ。
 オレは一旦、顔を上に向けた。こっそり深呼吸をする。
 顔をカヲルの方に戻すと、彼女はオレを見ていた。まばたきする瞳が、ゾクゾクするほど可愛い。オレはまた頭がくらくらしてきた。
 「ん、なに?」
 「ちょっと目をつぶって」
 「えっ、な、なに?」
 それでも言われた通りに、彼女は眼をつぶった。声が緊張してるし、見るまに頬を染めていく。オレの意図は伝わっているようだ。唇も身体も緊張しているのが解る。こっちも眩暈がするほど、動悸が高鳴る。
 ゆっくり唇を重ねる。
 オレは、今日初めて会った女の子と、キスを、した。
 そっと唇を放しても、動悸はなかなか収まらなかった。カヲルはゆっくり眼を開けると、顔を伏せ、呟いた。
 「浩ちゃん、やっぱり手が早い…」
 オレの体に回している腕に力が入り、手が服の生地をつかんだ。かすかに痛みがあったが、それが愛おしかった。
 「好きになりかけてるって言ったけど、訂正」
 オレも彼女の体に回した腕に力を込めて、耳もとに囁いた。
 「ずっと前から、好きだったみたいに、好きだ」

 別れ際に、彼女のアドレスを聞くと、同じ沿線で二つほど手前の駅だった。
 「なんだ、通り道だ。送ってくよ」
 「いいよ、送らなくて。今日はこのまま帰るから」
 何度か押し問答の末、結局、駅から別々に帰ることになった。最初に思った通り、気が強いところは気が強い。 まあ、まだそれほど遅い訳ではないが…。
 「解った。じゃあ、オレのお願いも聞いて欲しいな」
 「なに?」
 「やっぱり、ちゃん付けはやめてくれよ。中学からこっち、親戚にしかそう呼ばれてないから、なんか落ち着かないんだ。カッコ悪いし」
 「ゴメン。あたし調子に乗ってて、気が付かなかった」
 「別にイヤって訳じゃないんだけど。やっぱり名前か名字にしてくれないか?」
 「名前か名字?」
 「どっちでもいいよ」
 「じゃあ、浩樹…君?」
 そう言うなり、彼女は頬を染めた。
 「呼び捨てでもいいんだけど」
 「うん、いいよ、じゃ浩樹君て呼ぶからね」
 「ああ、じゃ、また。電話待ってるから」
 「うん、必ずする。じゃ、バイバイ、浩樹君」
 彼女は改札を抜けて、駅のホームに向かって行った。改札を通った後、振り返って一度だけ、オレの方を向くと、嬉しそうに笑って手を振りながら、口だけ動かして、バイバイ(?)とか言った。そして小走りに、ホームへの階段を上がっていった。
 別れるのは惜しかったけれど、それからしばらく、オレが幸福の余韻に、浸っていたのは言うまでもない。



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 幕間1

 「ただいまー」
 「あ、兄貴おかえり」
 玄関を開けると、いきなり弟が出迎えた。この春中学に入ったばかりのガキだ。どうせたまたま、ここに居ただけのことだろうが、挨拶は気前がいい。
 そう言えば、カヲルがいなくなった頃というのは、丁度、オレ達がこいつくらいの時だったんだな。
 「おう。…優、おまえなぁ、オレの幼なじみのカヲル、早坂カヲル、憶えてるか?」
 「えーと、あー、カヲルにいちゃん。うん憶えてる。凶暴な兄貴からよく助けてくれたもんな。オレにとっては恩人だね」
 生意気言ってやがる。そういえば、親にひいきされるこいつを、陰で思いっきりイジメてやろうとすると、きまってカヲルに止められたっけ。ま、大したことじゃなかったんだけど、こいつにしてみれば大恩人て訳か。
 「今日その双子の妹ってのに会ったぞ」
 「あれ、カヲルにいちゃんて双子だったの?」
 「ああ、驚いたけどな。で、その妹っていうのが、すごく可愛いんだな…」
 顔が思わずにやけていた。

 夕食後、小学校の卒業アルバムを見てみた。自分の顔が、今と全然違うのが何となく可笑しい。
 オレってこんな顔してたんだな。
 ついで本来の目的である早坂カヲルを見る。と、写真の少年は記憶の中のカヲルよりも、ずっと幼い感じに写っていた。久しぶりに写真を見たのだから、記憶が曖昧なのはしょうがないが、これはちょっと意外だった。記憶の中では、カヲルはもっと大人っぽい少年だった筈だ。それはあくまで、同級生の眼から見たカヲルの姿だったのだろうか。
 今日出会ったカヲルの双子の妹の姿は、記憶にあった小学生の男の子にそっくりだった。なのに実際のその頃の写真を見ると、彼女がもっとずっと大人っぽかったことが解る。
 多分無意識のうちに、オレは頭の中のカヲルを自分に合わせて少し成長させていたのだろう。そして彼女はそのイメージにそっくりだったと言うわけだ。オレのように代わっていたら、解らなかっただろう。オレの中で、カヲルがそのまま少し成長したらこんな感じではなかったかと、そう想像した姿に彼女はそっくりだった訳だ。しかしこれはきっと、彼女が女の子だったからだ。兄の方のカヲルは、もっと別の大人っぽい顔になっているに違いない。オレ自身がこうなっていることを思うと、あいつもそれなりにむさくるしくなっているのだろう。
 それはちょっと、いやかなり想像しづらいことだけれど。



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