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妖魔奇譚 第三章

「蛇と猫」前編
作:BAF



 春の日差しが障子越しに、眠っている恵の顔をくすぐる。 雀たちの囀りの中に、遠くから聞こえるホトトギスの鳴き声が混じる。

 恵の瞼が微かに動く、どうやら目を覚ましたようである。

 ゆっくりと体を起こし、寝ぼけ眼で部屋の中を見回す。

 その視線が一点で止まり、驚いたように恵の体が飛び跳ねた。

 恵の視線を追ってみれば、そこでは、まどかが正座をしたまま恵を見つめていた。

「なっ、なんじゃ!? なっ、なぜここに居る?」

 後退り壁にへばり付くようになりながら、声を震わせた恵が問い掛ける。

「御館様を、起こして差し上げに参ったのですが、あまりにも愛くるしい寝顔でしたので、つい見入ってしまいました」

 まどかは子供を見守る母のような微笑を浮かべ、事も無げにそういった。

「愛くるしい? ・・・わしが愛くるしい・・・?」

 気が動転して、うわ言のように繰り返す恵であったが、まどかはそれには構わず、廊下で待機していた4人の女中達を招き入れ、あっさりと恵を担ぎ上げ、衣裳部屋まで連れ込んでしまった。

 今日もまた新しい朝が始まる。

 

 流哉が目を覚ましたのはそれから程なくしてからだった。

 流哉の目覚めはあまり快適なものではなかった。 なにせ、女中達におもちゃにされて不機嫌そうな恵に、たたき起こされる事になったのだから。

 まあ、目覚めは悪かったが、先日までとは違いゆっくりと朝食を摂ることも出来たし、昼食の弁当も作ってもらえるようになったので、それほど不幸と言うわけでもなかった。

 ただ、今朝のことがよくよく衝撃的だったらしく猜疑心の塊のようになり辺りを伺うように見回しながら黙々と食事する恵には辟易する事にはなりはした。

 

 食事が終わり、登校の準備を済ませ、女中達に見送られながら学院に向かう二人。

 最初のうちは、口も聞かず、ただ歩き続ける恵であったが、途中、先日と同じ場所で茜に声を掛けられた辺りから、次第にいつもの調子を取り戻していった。

 それから、たくさんの女生徒に声を掛けられ、土曜日の休みの訳を聞かれたりもしたが、その頃には恵も、いつもの恵に戻っており軽く話題をそらしながら、学院までたどり着く事が出来た。

 校門のところで、恵は流哉に耳打ちした。

「わしは、このまま教室に向かう事にする。 おぬしは、職員室の方に向かってくれ。 よいか、昨日の騒ぎに関しては、何も話してはならんぞ」

 その言葉に、流哉は無言で頷いた。

 昨日は騒ぎが大きくなる前に逃げ出す事が出来たが、当事者である香奈や沙耶に口止めしている余裕は無かった。 今日になれば職員達もやってくるので騒ぎが拡大してしまう可能性もある。 そうなった時、流哉や茜の名前が挙がるのは時間の問題であった。

 なんといっても沙耶などは流哉の外套を着込んで倒れているところを発見されたはずであるから言い逃れし通せるものでもない。

 しかし出来うる限り、妖の者の存在は秘密にしなければならない。

 そこで、もし問い詰められるような事があっても、黙秘を続ける様にと昨日のうちに話し合っておいたのだった。

 

 流哉は恵達と別れ、そのまま職員室に向かった。 流哉は職員室の扉を開け、中の様子を伺うように入っていった。

「おはようございます」

 流哉はできるだけ普通を装って挨拶をしたのだが、奥に座っていた教頭が、それに気付き立ち上がって手招きするのが見えた。

 一瞬、もうばれていたのかとキモを冷やしたが、よく見ればかなりにこやかな顔をしている。

 どうやら別の用件があるらしい。

 流哉は平静を装い、教頭の前まで歩いた。

「何か御用でしょうか?」

 恐る恐る尋ねる流哉であったが、教頭の方はその笑みを崩す事無く意外な事を話し始めた。

「白銀崎先生。 実は今日、この学院に二人の方がお見えになります。 一人はこの学院の新しい校医として赴任される『蛇沼 巳夜』(へびぬま みや)先生、そしてもう一人は転校生の『間尾 美音子』(まお みねこ)さんのお二人です。ほかの先生方には先週の土曜日にご報告したのですが白銀崎先生はお休みでしたので報告が遅れてしまいました」

 教頭はそこで話を区切ると、少し申し訳なさそうな表情になり

「それで白銀崎先生も赴任早々で申し訳ないのですが、恵様のご要望もあり、恵様のクラスの副担任になっていただく事になっております。 今日来る転校生の間尾さんも恵様のクラスに編入する事になっておりますので、そのようにお願いいたします」

 と、言った。

「はあ」

 いきなりの事で、言葉も無く頷くばかりの流哉であったが、

「おはようございます!」

 と言う、背後から聞こえてきた元気な少女の声に思考がさえぎられた。

 流哉が振り向くと、一人の見慣れぬ少女が職員室に入ってくるのが見えた。

 それは十代半ばぐらいの背格好で、短めの髪とつり目気味の瞳が少年を思わせる、闊達さに溢れた少女であった。

 多分、着物に袴と言う格好をしていなければ、一目見ただけでは流哉も女性だとは思わなかったであろう。

 もっとも、流哉の見慣れた少女と言うのはここには少なかったと言ってしまえばそれまでであったのだが。

 教頭の方はと言えば、その少女を見つけると流哉を呼んだときと同じように手招きして少女を呼び寄せた。

 少女が、向かってくる間に教頭が流哉にこの少女が転校生の『間尾 美音子』である事を教えてくれた。

「間尾君、寮への荷物の搬入は終わりましたか?」

 教頭は、自分の前までやってきた少女をにこやかに迎え、そう声をかけた。

「はい! とても綺麗な場所ですね。 感動しました!」

 美音子は、満面の笑みを浮かべそう答える。

「そうでしたか、それは何よりです。 えーこちらが貴方の編入されるクラスの副担任を勤められる白銀崎先生です。 今日はこのまま、この先生と一緒に教室の方まで行って下さい」

 そういって教頭が流哉の方を向き促したので、流哉も美音子に挨拶と簡単な自己紹介をした。

 自己紹介をすませるとほぼ同時に予鈴が鳴った。

 それを聞いた教頭が、流哉に、

「蛇沼先生は午後到着と言う事になっていますので、その時、紹介いたします。 それでは今日は見学と言う事になると思いますが頼みましたよ」

 と言って、自分の仕事に戻っていったので、流哉も美音子を連れて教室に向かう事にした。

 

 流哉は教室まで歩いている時に、ふと気になることがあって階段横の窓から外を見た。

 流哉の足が止まる。

「あのー。 先生どうかしましたか?」

 急に止まった流哉が気になったのか、美音子が後ろから声をかけてきた。

「いえ、なんでもありません」

 流哉はとりあえず平静を装い、そう言葉を返し、また歩き始めたが、その心中は穏やかではなかった。

 流哉が見たもの、それは綺麗に舗装され外灯の立ち並ぶ道であった。

 そう、昨日荒らされたはずの道がすっかり元通りになっていたのである。

 すぐさま、医療室の様子も確かめに行きたいと思ったが、美音子と共にいる以上、そういうわけにもいかない。

 職員室で騒ぎになっていない以上、医療室も元通りになっている可能性は高い。

 新たな妖の者が、動き出したのかもしれない。

 流哉はそう直感していた。

 

 教室に着くと、華奢な体つきの温厚そうな青年が教壇に立っていた。 最初の日に教師の紹介を恵にしてもらってあったので、その顔には見覚えがあった。 おそらく彼が担任なのだろう。 河原崎(かわらざき)と言う名前まで思い出したところで、戸を開け担任を呼び出し、事情を話した。

「話は聞いています。 それでは、クラスの皆さんに紹介いたしますので、僕について来てください」

 そう言うと河原崎は教室に戻っていったので、流哉と美音子もそれに習った。

 流哉たちが教室に入っていくと、それまで静かだった教室がざわめき始める。

 生徒たちを見てみれば、恵や茜、それに今朝一緒に歩いてきた少女達、それから香奈や沙耶の姿も見える。

 恵も流哉について何か聞かれているのか周りの生徒に話し掛けられて、苦笑していたりする。

 香奈や沙耶もその中に加わっている、まるで昨日の事が夢であったように感じるほど元気な姿であった。

 やはり年頃の娘達である、噂話に目が無い。 特に恋愛関係には異様に目ざといものである。 好奇の目は流哉本人を無視して恵に注がれた。 クラスの人気者、それも理事長の孫娘が男性と一緒に学校に通ったり、その男性を自分のクラスの副担任などに任命したなどということが判れば、それはもう質問攻めに遭うに決まっている。

 当の恵はと言えば、やっと事の重大さに気付いたのか、顔を真っ赤にして、頭を横に振り続けながら、

「違う! 違うんじゃ〜!」

 と叫んでいたりする。

 そのままずっと質問攻めが続きそうであったが、河原崎が教壇に戻り手を叩くと騒ぎが収まった。

 さすがに皆の視線だけは、恵に注がれており、恵もそれを感じるのか居心地が悪そうにしている。

 とりあえず静かになったのを確認すると河原崎が流哉たちの事を生徒たちに紹介した。

 何とか二人とも自己紹介を終えると、美音子はちょうど空いていた恵の隣の席に、流哉は一番後ろでの見学と言う事になった。

 その後、視線はずっと恵に集中していたものの授業は滞りなく行われ休み時間となった。

 授業が終わったとたん恵は一目散に教室を飛び出していった。

 さすがに、あの視線の重圧を感じていたら逃げるだろうと流哉も後ろから悠長に考えていたのだが、恵がいなくなればその矛先が自分に向くかもしれないということをすっかり失念していた。

 気付けば、流哉の周りは女生徒で一杯になり、とても逃げ出せる状況ではなくなっていた。

 女生徒の中には香奈や沙耶の姿もあったが、流哉のことを全く覚えていないような面持ちであった。

 辺りを見回すが、もう一人話題になりそうな美音子の姿は無く、完全に流哉に集中してしまったようである。

 気付けば茜の姿も教室から無くなっている。

 これでは助け舟を出してくれそうな人物はいない。

 結局、流哉は迂闊に香奈や沙耶に昨日のことを尋ねる事も出来ず、この休み時間が終わるまで質問攻めに遭うのであった。

 

 一方その頃、恵はと言えば、追跡をかわしながら今は使われていない教室へと逃げ延びていた。

 恵は「はあ、はあ」と息を切らしていたが、適当な椅子を見つけると、そこに座り呼吸を整えようとする。

 やっと呼吸も穏やかになった頃、

「あのー、恵さんでしたよね?」

 と不意に後ろから声を掛けられた。

 恵が驚いて立ち上がり声のしてきた方を向くと、さっき転校生として紹介された少女が立っていた。

「ど、どうしたんじゃ? こんなところで」

 とりあえずは追っ手ではないようなので、恵はそう尋ねてみた。

「ボクも質問攻めとか苦手だから・・・」

 そう言うと、はにかむように笑った。

「なんじゃ、おぬしも逃げてきたのか? しかし何故こんなところに」

「逃げているうちに自分の居場所がわからなくなっちゃって、困っていたらこの部屋に入る恵さんを見つけたからついてきたんです」

 問い掛ける恵に、美音子はそう訳を話した。

 恵も納得したのかしばらく沈黙が続いたのだが、

「恵さん、ボクとお友達になってもらえませんか?」

 そんな風に美音子が話題を切り出してきた。

「ボク、新しい学校に来て、すっごく不安だったんです。 ボクこんな喋り方だから、こういう学校は合わないんじゃないかって思ったりして。 でも、恵さんならボクとお友達になってくれるような気がして・・・」

 そこまで言うと急に恥ずかしくなったのかうつむき、それでもなんとか上目遣いに恵の方を見やると、「だめですか?」と聞いてきた。

「んっ、別に構わんよ」

 いきなりの事の驚いた恵ではあったが、転校初日では心細い事も多いだろうと思い快諾する事にした。

 それを聞いた美音子は、飛び上がらんばかりに喜び恵に抱きついて来て言った。

「良かった。 やっぱり恵さん、良い人です!」

 もう頬ずりでもしそうな勢いである。

 恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら振りほどこうとする恵であったが、少しだけ嬉しそうにも見えない事も無かった。

 そんな事をしているうちに次の授業の予鈴が鳴る。 恵も何とか気を取り直して教室に帰ることにした。

 教室に帰るまでの道のり、はしゃぎながら腕を組みかねないほど接近している美音子に辟易したものの、何とか無事に教室にたどり着く事が出来た。

 

 教室まで戻り担当教師が来るのを見計らって教室に入る。 できる限り質問攻めに合わないための作戦である。

 中に入れば案の定、流哉がまだ質問攻めに合っていた。 流哉は目ざとく恵の姿を見つけ非難の目を向けるが、恵はそれに片目を閉じ、手を合わせ拝むようなしぐさで答え、自分の席にさりげなく座った。 もちろん美音子も同様である。

 恵を見つけ駆け寄ろうとする者もあったが、ほぼ同時に入ってきた教師によってさえぎられる事となった。

 どうやらまんまと作戦は成功したようである。

 そしてまた授業が始まった。

 

 授業の間中、ニコニコと恵を見つめる美音子の姿があったのだが、ほとんどの視線が恵に集中していたため気付いたのは恵一人であった。

 異質な二種類の視線に囲まれ、恵が自分の軽率さを後悔するのにそう時間は掛からなかった。

 

 次の休み時間は、各々教室から逃げ出す事に成功した。

 流哉は何とか職員室まで逃げ帰り、一息ついた頃、茜が尋ねてきた。

「白銀崎先生、少しお時間いただけますか?」

 そういって廊下に招く茜。 なにか重大な事を感じ取った流哉はすぐに廊下に飛び出した。

「お呼びだてしてすみません。 もう、医療室や外灯の事ご存知ですよね?」

「ええ、まだ医療室は確認していませんが、外灯の方は見ました」

 声を潜めて問い掛ける茜に、流哉は頷き答えた。

「私、気になって前の休み時間にいろいろ調べてみたんです。 でも、寮の人達、誰も昨日の事件なんて知らないと言うんです。 香奈さんや沙耶さんも昨日の事さっぱり忘れているみたいですし、なにか起こっているような気がするんです」

 やはり、新たな妖の者が動き始めたに違いない。 流哉はそう確信した。

「放課後、調べてみましょう」

 今すぐにでも調査したかったが、今、流哉は目立ちすぎる、人が少なくなるのを待つ必要があった。

 

 一方、恵はそんな話が、あるとは知らず、またさきほどの教室に隠れていた。

 その傍らには、にこやかに恵を見つめる美音子の姿があった。

 なにか、その視線に恥ずかしさというか、むず痒さのようなものを感じ、逃げ出したい衝動に駆られたりもする恵であったが、一度友達になることを承諾した以上、無下にするわけにはいかないと思い、できるだけ視線が合わないようにしながら堪えていた。

 恵は何か話した方が気が紛れるかと思い、時折ちらちらと美音子の方を見るのだが、その度に満面の笑みが帰ってくる。

 その笑顔を見るたびに、ハッと俯いてしまう。

 なんとも間の悪い気持ちにさせられてしまう。

 結局この休み時間は沈黙のままに終わる事となった。

 

 それから午前中の授業が終わるまで、みな同じように過ごす事となった。

 昼食時になり、流哉たちを探そうかと迷っていた恵に美音子が声をかけてきた。

「あのー、ボクと一緒にお弁当食べてもらえますか?」

 さすがにこの頃になるとほとんど身動きの取れなかった恵でも昨日の事が話題にならないことに疑問を持ち始めていた。

 流哉たちと合流する必要がある。 その事が返事を鈍らせた。

 そこに何か感じ取ったのか美音子の顔が不安げに変わっていく。

「やっぱり、一緒に食べている人とかいますよね。 ごめんなさい! 一人で食べてきます!」

 頭を下げ、いきなり駆け出そうとする美音子。 少し涙声が混じっている。

 恵は慌てて腕を掴み呼び止めた。

「いや、違うんじゃ! 少し用事が在ってな。 少し遅れていいなら一緒に食事するのは構わん。 どうじゃ待っていてくれるか」

 すこし、少し悲しそうに視線を落としながらもコクリと頷く美音子、恵は安堵の溜息を漏らすと、

「すまんが、少しの間ここにいてくれ」

 そう言って流哉たちを探しに走り出した。

 

 やっと一人で抜け出す事の出来た恵は程なく流哉たちに会う事ができ、そこでこれまでの状況を知ることになる。

「なるほど、それは調べる必要があるな」

 腕を組み、目を閉じ深く考え込むように言う恵。

 しかし、何故かその顔は紅い。

 なんとなく照れ隠しのようにも見える表情と仕種であったが、照れている理由に思い当たらない流哉たちは、ただ不思議に思うばかりである。

「実は、前の休み時間に美音子に寮に遊びに来ないかと誘われたんじゃ。 どうしようか迷って居ったんじゃが、そういうことならわしがついでに寮の方を調べてこよう。 おぬし等は医療室の方を頼む」

 そう言うと恵は向きを変え、駆け出しそうになる。

「あのっ、恵様どちらへ?」

「すまん、あの美音子と言う娘と一緒に食事をする約束になって居ったところを抜け出してきたんじゃ。 後のことはよろしく頼む」

 慌てて呼び止めた茜に、恵はそう理由を話すと駆け出していった。

 あっけにとられ後姿を見つめる流哉と茜であったが、今は、それを追及している場合ではない。 

 二人で昼食を摂りながら、放課後の行動について話し合うことにした。

 

 ちょうど食事が終わった頃、流哉は職員室に呼ばれる事となった。

 職員室に着くと、教師達が集まっていた。 そちらの方に足を向ける流哉に正面で何かを話していた教頭が流哉に気付く。

「白銀崎先生。 紹介しましょう、こちらが新しく校医となる『蛇沼 巳夜』さんです」

 そう言って、隣に立っていた女性を紹介した。 

 その女性は白衣姿で年のころは流哉より少し上と言ったところであろうか、濡れたように光る漆黒の髪と、透き通るような白い肌に切れ長の目をした、いかにも才女といった感じのなかなかの美人である。

「今日から医療室を任されました蛇沼巳夜です。 よろしくお願いいたします」

 少し低めのよく通る声でその女性は挨拶してきた。

「教師の白銀崎流哉です。 こちらこそよろしくお願いします」

 流哉がそのように言葉を返したところで、午後の授業の打ち合わせが始まり、それ以上言葉を交わすことも無かった。

 その後、滞りもなく打ち合わせは終了した。

 

 その後は皆、午後の授業を何とか乗り越え放課後となった。

 恵は今日遊びに行ってもいいと美音子に告げた。

「うわー、ホントに来てくれるんですね! ボク感激です」

 体全体で喜びを表す美音子に、恵は苦笑で答えていた。

「それじゃあ、行きましょう!」

 そう言って手を引く美音子に引きずられるようにして、恵は寮に連れて行かれることになった。

 寮までの道、恵は見回してみたが確かに外灯は元のように整然と並び立っている。

 普通に見た限り、切られたような痕跡は全く無い。

 もう少し調べてみたくもあったが、寮の様子も気になった。

 ひとまずは、寮に向かう事に決めた。

 

 恵が寮に入ると、漠然として正体はつかめないが何か違和感があった。

 元々、あまり立ち寄らなかった場所なので、確かに違和感があるのだが、その違和感がなんなのかよく判らない。

 いつもより人が少ない?そんな感じもする。 学院内で会った時に比べて寮生達に活気が無いような気もする。

 なんだろう?と首を傾げる恵であったが、隣を歩く美音子は全く変わる事無くはしゃぎ続けている。

 そんな事をしているうちに、どうやら美音子の部屋に着いたらしい。

 美音子が扉を開け、恵を促す。

 恵は、いまさらながらに女性の一人部屋に入っていいものかと躊躇したが、ここで引き返すと言うわけにも行かないので中に入っていった。

「それじゃ、邪魔するぞ」

 照れくさそうに顔を真っ赤にしながらそう言って入っていく恵

 中に入ると、そこは真っ白な壁とフローリングの床の洋室であった。 さすがに転校初日だけあって備え付けのベッドや鏡台以外はまだ梱包され、奥の方に積まれたままになっていた。

「誘っておいて、何も無いところでごめんなさい。 今、寮母さんに何か飲み物でも貰ってきますね」

 そう言うと美音子は、自分の部屋に入る事の無いまま、食堂のあるほうに駆け出していった。

「いや、構わんぞ」

 と声をかけた恵であったが、もう美音子は、廊下の角を曲がり見えなくなっていた。

 一人残された恵は、どうしようかと迷い辺りを見回したが、とりあえずベッドの端に腰掛け美音子が帰ってくるのを待つことにした。

 

 

 さて、その頃流哉と茜は、医療室に向かっていた。

 医療室の前まで来て、中を覗くと蛇沼が薬品などを手に持ち棚の整理をしているようであった。

「どうしましょうか?」

 中の様子をうかがいながら茜が流哉に問い掛ける。

「蛇沼先生が帰るのを待つか、それとも何かを口実にしてなんとか中に入るかしかないですね」

 顎に手を当て、視線を落としていた流哉がそう言った。

「それでは、掃除の手伝いに来たと言うのはどうですか? これなら部屋の中を動き回っても、そんなに不自然ではないですもの」

「そうですね。 でもそれだと二人で行くのは不自然すぎます。 ここは私が行きましょう。 こういうときは面識がある人物のほうが、都合がいいでしょうから」

 茜の提案に流哉がそう答える。

「では、私はどうしましょうか?」

「まだ、外灯なども調べなくてはいけませんからそちらの方をお願いできますか?」

 今はまだ何が起ころうとしているのかよく判らない。 少しでも多く情報が欲しい。 そしてそれならば手分けをした方が効率がよいと判断し、流哉は茜に外灯の調査を頼んだのだった。

「判りました。 それでは行ってきますね。」

 そう言うと茜は外に向かい歩き出した。 流哉もそれを見送ると、医療室に入っていった。

「大変そうですね」

 棚の整理に追われ、流哉に気が付かず作業を続ける蛇沼にそう声を掛けた。

 その声でやっと流哉の存在に気付いたらしく、蛇沼がゆっくりと流哉の方を振り向く。

「あら、確か白銀崎先生でしたかしら?」

 蛇沼は少し首を傾げ、思い出すように流哉にそう言った。

「ええ、そうです。 先ほどはどうも」

 頭に手をやり、笑いながら頭を下げる流哉。

「私に何か御用でしょうか?」

「いえ、ただ通り掛かっただけなんですが、お忙しそうにしていたので何かお手伝いできればと思いまして」

 少し不審そうな蛇沼に流哉はそう切り出した。

「あら、そうでしたか。 でも先生もお忙しいのではありませんか?」

 流哉の返事に、少しだけ表情の明るくなる蛇沼であったが、そのように問い掛けてきた。

「実は私も先週こちらに来たばかりで、まだ仕事という仕事も無いんです。 もう帰るばかりでしたから構いませんよ」

「そういうことなら、部屋のお掃除お願いできますかしら」

「判りました」

 どうやら上手くいったみたいである。 流哉は腕まくりをすると早速作業に取り掛かった。

 

 

 さすがの恵も少女の部屋に一人と言うのは居心地が悪い。 ベッドに腰掛け美音子の帰りを待つが、廊下を誰かが通るたび立ったり座ったりで、全く落ち着かない。

 苦し紛れで辺りを見回せば、ふと目の前の鏡台が目に留まる。 台の上には化粧品やらなにやら並んでいる。 多分今日、学校に出かけるときにでも使ったのだろう。

 恵は、最近の少女がどんな化粧品を使うのかちょっと気になりだして、そろそろと鏡台に近づき、鏡台の前の椅子に座ってみる。

 鏡台の前に座るとこんな感じなのかと感心していると、前にある鏡に自分の姿が映っているのが見えた。

 髪の長い美しい少女。 それが今の自分である。

 その少女が何かを語りかけるようにこちらを見ている。

 恵は何故か鏡を覗くたびに、なにか懐かしさのようなものを感じる。

 だがその感情がどこから来るものなのか、どうしても思い出せない。

 その少女の姿の自分に溜息をつく。 様々な不安が心の中をよぎる。

 深く考え込みそうになるが、今の状況を思い出し、頭を振って気持ちを切り替える。

 とりあえず、外の様子に聞き耳を立ててみるが静かなもので、美音子が帰ってくる様子はまだ無い。

 もう一度鏡を覗けば、頭のリボンが少し曲がっているのが見えた。

 リボンを解き、結び直し、笑ってみた。

 少しは気が紛れたような気がする。

 何気なく色々な物を手にとって見るが、いまいち使い方がわからない。

 幾つか見ているうちに、見覚えのあるものに行き当たった。

「確かこれは口紅じゃったかな?」

 そんな独り言を言いながら、手にもった小さな円形の容器を見回す。

 見回しているうちに、ずれてきていたのか、ふとした瞬間に蓋が外れて床に落ちた。

 慌てて拾い上げ、蓋をはめ直そうとするが、その瞬間、中身の紅が恵の目に留まる。

 鏡と紅を交互に見る恵、何か思い立ったのか、見る見るその頬が赤くなっていく。

 恵は手にもっていた蓋を鏡台の上に置くと、もう片方の紅を左手に持ち直し、右手の小指を立て、紅をすくい取ると、おもむろにその指を自分の唇に持って行く。

 そして、その指が唇に触れようとしたその瞬間、勢いよく部屋の扉が開いた。

「おまたせしましたー」

 扉の勢いに負けず劣らず、勢いよく美音子が部屋に飛び込みながら元気な声でそういった。

「うわーーー」

 思わず声をあげ、両手を振り回す恵。

 そんな恵を見て、少し不思議そうな顔をする美音子であった。

 

「あはははは」

 部屋の中で美音子の笑い声が響く。

 その正面には正座をしたまま俯く恵の姿があった。 その顔は火が噴き出しそうなほど紅い。

「何もそんなに笑わんでも」

 上目使いに抗議する恵。 美音子はそれでも一向に笑うのをやめようとしない。

「だって、すっごく慌ててたんだもん。 あははー」

 その言葉にまた顔を紅くする恵。

「口紅塗るの見られただけで、あんなに驚く娘、見たこと無いよー」

「あ、いや、それは」

 しどろもどろになり言い訳しようとする恵。 それがまた可笑しいのか、益々美音子が笑う。

 これはもう笑いが収まるのを待つしかないかな?と思う恵であった。

 

 ひとしきり笑い終えると、美音子も少し神妙な顔になり、

「ごめんなさい、あんなに笑っちゃって。 でも恵さん、なんであんなに驚いたの?」

 そんな事を聞いてきた。

「いや、なに、今まで口紅など縁が無かったから・・・その・・・なんだ、・・・」

 言葉が続かず、口篭もる恵。 またその顔が紅く染まっていく。

「あっ、そうなんだ。 ふーん」

何に納得したのか訳知り顔で頷く美音子。

「うん、判った。 いいよ、ボクが教えてあげる」

 そう言うと美音子は何がなんだかよくわからないといった感じの恵に、そろそろと近づき、覆い被さるように飛びついてきた。

「うわーーーー」

 恵の今日二度目の叫びがこだまする。

 

 数分後、化粧をし終えた恵が鏡を覗き込んでいた。

 鏡の中の自分にしばらく呆然とする恵

「こ、これがわし?」

 ついついそんな言葉を漏らしてしまう。

 そんな恵に美音子は微笑みながら、後ろから抱きついた。

「綺麗だよ。 恵さん」

 そんな言葉に、我に返りハッと振り向く恵。 そんな恵を待ち受けていたのは美音子の唇であった。

 唇と唇が重なる、いきなりの事に、目を見開く恵。

 突き放そうとするが、力が入らない、それどころか急に睡魔が襲ってくる。

 床に倒れこむ瞬間、

「ごめんね、恵さん」

 悲しげに響く美音子のそんな言葉を聞きながら意識が遠のいていった。

 

 

 その頃、流哉は雑巾を片手に、医療室の中をくまなく掃除しながら、何か手がかりが無いかと、探し続けていた。

 先日、ひび割れていた壁や床も完全に元通りになっているようである。

 幻覚の類ではなく、本当に直されている。

 これは凄い妖力の持ち主だ。 それも高い知能も見につけている。 流哉はそう思わずにはいられなかった。

 しかし一体何故? 何のためにこのようなことをする必要があったのだろう。 妖の者が隠蔽工作する理由が判らない。

 流哉もこれほど手の込んだことをする妖の者を今まで見た事が無い。

 だが、どちらにしても何かが起こっているのは確かである。 必ず妖の者は何かを企んでいる。

 流哉はベッドや机の下にも手を伸ばし、必死になって手がかりを探した。

 ふと流哉の目に留まる物があった。 棚とベッドの小さな隙間になにか光る物がある。

 手を伸ばす流哉。 隙間はぎりぎり腕の幅しかない。 やっとの事で目的の物に触れ、引っ張り出す事が出来た。

 手に取った物を、見てみる。

 それは3センチほどの丸い板で、透明と白の中間の色合いで、曇り硝子のような光沢をしていた。

「鱗?」

 それを見た流哉が首を傾げる。

 流哉の背後に、蛇沼が鋭い目で見つめ、ゆっくりと近づく。 しかし、このときまだ流哉はそれに気づく事が出来なかった。

 

 

 美音子の部屋。 いつのまにか恵は全裸にさせられベッドに横たえられていた。

 全く目を覚ます様子は無い。

 それを見つめる美音子、その表情は少し暗い。

「ごめんね、恵さん。 でも最期に気持ちよくしてあげるから」

 そう言うと美音子は自分の着物の腰紐に手を伸ばす。

 するするという衣擦れの音と共に袴が床に落ちる、続いて着物も。

 いつのまにか頭に猫の耳が現れ、髪の毛が銀色に染まる。

 顔は、と言えば瞳が金色になり、まさしく猫のそれである。

 両手両足は金色の毛で覆われ、所々に黒い毛の縞がある。

 尻のところで尻尾も揺れている。

 そこにはもう美音子の姿は無かった。 ただ美猫が存在するばかりである。

「本当に好きになりかけてたんだよ」

 美猫は、恵に近づき、そっと体を重ねていく。

 

後編へ続く

 

 

 


 

あとがき

 こんにちは、BAFです。

 第三章いかがでしたでしょうか? 今回どうしても「引き」というやつがやってみたくて、このような終わり方にして見ました。

 七話構成ならば、真ん中に前後編はセオリーだよな。 というよく判らない持論もあったので、この展開は計算通りなのですが、後編がどう収束していくのか今の私には皆目見当がつきません。

 ただ、「妖魔奇譚外伝 百合の花園」とか「妖魔奇譚外伝 太刀と猫」とかには続かないのでご安心を(笑)

それでは後編でお会いしましょう。

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