戻る


八重洲様がみてる3

作:BAF




 風薫る五月晴れの昼下がり。
 優しい春の日差しが、教室内を暖めていた。
 カツカツとリズミカルに黒板の上を滑るチョークの音だけが聞こえてくる。
 午後最初の授業。規則正しく文字を書き続けるその音は、教室の中を二つに分ける。しっかりノートを取る者、チョークのリズムに眠気を誘われ完全に爆睡するものである。
「おい! そこ、寝るなー」
 とりあえずの授業内容を書き終えた若い教師が生徒達に抜き直り声をかけた。
 あわてて飛び起きる者、眠そうな目をこする者、欠伸をする者、やはりどうやら大半が睡魔に敵わなかったらしい。
「お前達、俺の授業はそんなに退屈か?」
 教師の問いに生徒全員が一斉に首を振った。
 決してこの教師を恐れて首を振ったわけではない。実際この教師、『本村』は生徒間でも人気が高い。かなりのいい男なのだが人当たりもよく、授業もわかりやすい。歳も若いので生徒たちには兄のように慕われている。絵に描いたような好青年であった。
「よし、それじゃあ少し休憩するか。窓側の奴、窓開けろ。深呼吸して眠気を追い出せよ」
 こういう気配りも自然なのだから人気も出てしまうわけだ。
「いいかお前達。勉強は大事だぞ。自分達の進路なんだからな。しっかり勉強して目標に向かえ」
 教室を見回し一人一人に念を押すように語る。
「はい先生!」
 一人の生徒が手を挙げた。
「おう、吉田。なんだ?」
「先生は何で教師になったんですか?」
「………」
「先生?」
「男子校生とか好きだから!」
 ガタガタガタ、皆が一斉にこけた。
 次の瞬間、すべての机が一歩ずつ後ろに下がり教壇との距離を開けた。
 中にはポッと顔を赤らめ、後退を阻む生徒もいたのだがそれはまた別のお話。
「あはははは、冗談冗談」
 手を振り頭を掻きながら白い歯を光らせ本村が笑った。
 ほっと胸を撫で下ろす生徒たち。まあがっかりした者も居た様だが……。
「そういえば……」真琴は思った。男だったときは親身になって相談に乗ってくれていたのに最近無視されているような気がすると……。
『あはは、まさかね』
 必死に否定しようとするが後頭部を流れる一筋の汗だけは拭う事ができなかった。

 その後は『爆弾発言?』に受けた衝撃の大きさによるものか居眠りするものも出ず、放課後まで乗り切った。
「いやー受けたよな。本村先生があんなこと言うなんてな」
 いつもどおり、真一が真琴の前の席に腰掛けてくる。
「そうだな」
 真琴は窓からグラウンドを見ながら、ぼんやりと答えた。
「ん、なんか気の無い返事だな。もしかして女に興味が無いのかもって、がっかりした?」
 意地悪く、真琴をからかうようにそんな事を言う。
「そんなわけあるか! それに第一、冗談なんだろ」
「まあね。でも知ってるか?本村先生ってここの OB でスールをやっていたとか」
 目を細め、にやりと笑う真一。
「え!? ……ええーっ……モゴッモゴッ」
 真琴が立ち上がり大声をあげそうになる。
 あわてて真琴の口を押さえる真一。
 周りの視線が二人に集まる。
「わ、バカ!静まれ静まれ!」
 暴れ馬でも宥めるかのような真一。真琴はバタバタともがく。
「ウググググ、プハァッ」
 真琴が何とか真一の手から逃れ一息つく。
「あのさ、動揺した俺も悪いけど、どさくさにまぎれて胸まで触るなよ」
 真琴が静かに、それでもドスの聞いた低い声で真一に訴える。
「?」
 意味がわからず自分の手の行く先を追う真一。するとその手に触れているのはやわらかく丸いもの。それは言わずと知れた真琴の胸であった。
「え、あ、すっすまん」
 真一もその時初めて状況に気付いたのだろう。あわてて手を胸から放した。
 赤面し俯く真一。拳を握り締め後悔のオーラを出しまくっている。
「あ、いや。そんな落ち込まなくても……」
 いきなり下がったテンションにうろたえる真琴。
「すまん。理由はどうあれ女の胸を無断で触るなんて最低だ」
 声を絞り出すように真一が言った。
「いや、女といっても、つい最近なったばかりだし、わざとじゃないなら俺は別にいいんだよ。男同士じゃないか。あまり気にするな」
 半ば矛盾したセリフを吐きながら励ますように真琴が言った。
「本当にすまん」
 真一は本気で落ち込んでいるようだ。
「うーん」
 腕を組み真琴が唸る。確かに胸を触られるのはいい気がしない。だがしかし、それ以上に女扱いされるのも嫌なのである。
「許す、許す。それよりさっきの話本当なのか?」
 気分を変えるよう、できるだけ明るい声で尋ねる真琴。
「さっきの話?」
 真一が顔を上げ『何のことだ?』と言いたげに首を傾げる。
「本村先生がこの学校のOBだって話だよ」
 ちょっとあきれたように真琴が笑いながら答える。
「ああ、そのことか。さあ、その辺りはわからない」
 大げさに肩をすくめるジェスチャをした。
「わからないって……」
 あまりのセリフに苦笑が漏れた。
「実際、何年も前の話だし、噂程度しか聞かないからな。情報通の俺でも調べきれないよ」
 力及ばず調べ切れなかった事がさも悔しかったようにうなだれた。
「そうか……」
 考え込むように顎に手をやる真琴。
「まあ、この学校の OB って事は素養はあるってことさ」
 真一の目に意地の悪そうな色が浮かぶ。
「素養って何だよ?」
 苦笑しながら、真琴が問う。
「素養は素養さ。そのケといったほうが判りやすい?」
 真一が意味ありげにウインクした。
「ははは、まさか……。まあいいや、さあ、帰ろうぜ!」
 真琴はそう言うと立ち上がり、帰り支度をはじめ鞄を手に取る。
「あれ今日、高宮先輩は?」
 キョロキョロと辺りを見渡すそぶりの真一。
「いや今日ここに来る事にはなってないけど?」
「そうなのか!なんだ暇つぶしに来て損した」
 思い切り肩を落とす真一。
 それを見て真琴も肩を落とす。
「なんだよ。俺はただの暇つぶしかよ」
「まあ、そう言うことだな。はっはっは」
 悪びれもせずに言い切った。
 どうやら真一のテンションも戻ってきたようだ。
「はあっ、そうですか。それならずっとここで待っているがいいさ!ごきげんよう」
 真琴は、つんと上を向くとそのまま教室を出て行った。
「わっ、待ってくれよ一緒に帰るってば!」
 あわててそれに真一が追随した。

「なあ」
 教室を出てすぐに真一が声をかけた。
「ん?」
 真琴もそれほど怒ってはいなかったのだろう。真一の呼びかけに何の躊躇も無く答えた。
「もう、慣れたか?」
「女にって事か?そんなわけ無いだろ。風呂だってトイレだって一苦労だよ」
 うんざりという表情で真琴が告げる。
「そうか……」
「………」
 会話が途切れる。何か微妙に気まずい雰囲気が流れる。
「なあ、日曜、暇か?」
 なんとか真一が次の話題を切り出せたのは八重洲様の像の前に来たときであった。
「明後日か? 別に予定はないけど何?」
「あのさ、ちょっと本州のほうに遊びに行かないか?明後日ちょうど定期船がくるんだよ。それでさ」
「お、街に繰り出すのか。そいつは良いな。たまには気分転換もしないとな」
 真琴の目が輝く。
「じゃあ、いいのか?」
「ああ、行きたいな。……でもお姉さまに聞いてみないとだめなのかも」
 そう言って考え込むように首をかしげた。
「そうか」
「う−ん、ちょっと時間をくれよ。許可貰ったら連絡するから」
「ああ、判った。連絡、待ってるよ」
 そう言って真一がぎこちなく微笑んだ。
「じゃあ俺こっちだから」
 そう言うと真琴は分かれ道で手を振り真一と別れた。

「街でデート?」
 開口一番、お姉さまのお姉さま『蔵越綾香』が声を上げた。
「ち、違います。ただ友達と買い物に行くだけです」
 言うに事欠いて何という事を言うのだろう。真琴はきっぱり否定した。
 寮まで戻ってすぐ、テラスでお茶を飲む綾香を見かけたので声をかけたのだが失敗だっただろうか?
「そう……。真琴ちゃんも、もうそんな年頃なのね。判ったわ。私たちが全面サポートしましょう!」
 真琴は確かにきっぱり否定したが、それが相手に届いているかは別問題のようである。
「いえ、年頃とかじゃなくて……」
 もう思い切り妄想モードに突入しているようである。真琴の背中に嫌な汗が一筋流れた。
「あら大変。真琴ちゃん用の外出着、有ったかしら。初デートですものねワンピースとかが良いかしら。優理と絵梨華にも相談しないと」
 パタパタとテラス中を歩き回りなにやら真琴にとっては非常に迷惑な計画を思案しているようである。
「あ、あのー?」
 何とか自分の意見を聞き入れてもらおうと声をかけたが、ちょうどその時、綾香のほうが一足早く、ハタと気付いたように真琴のほうを向き尋ねた。
「そういえば、もう麗には話したの?」
「あ、いえ、まだですけど」
「じゃあ早く報告に行ったほうがいいわよ。こっちは私がしっかりやっておくから心配しないでいいから」
 何をやられるのか非常に心配なんですけど。そんな言葉が喉まで出かけたが、何とか堪えると麗の部屋に向かう事にした。

「街でデート?」
 開口一番、真琴のお姉さま『高宮麗』はそう言って目を丸くした。
 なにやらどこかでみたような光景だ。ああ、さすがは姉妹。真琴はなんとなく感心した。
「いえ、友達と買い物に行くだけです」
 さすがに二度目だけあり、慌てず騒がず事務的に否定する事ができた。
「綾香お姉さまには報告なさったの?」
 ふと考え込むような仕草をしていた麗が顔を上げ真琴に尋ねた。
「はい、先ほどテラスでお見かけしたので、そのときに」
「そう、ではお姉さまはもう行動に移っている頃ね。良いわ、許可します。真一君とのデート楽しんでいらっしゃい」
 そう言って麗は華のような可憐な微笑で真琴に言った。
「ありがとうございます」
 真琴の顔にも笑顔が浮かぶ。勢いよくお辞儀をし御礼を言った。
 幾つか気になる言葉が飛び出したがまあ良い。とりあえず素直に感謝する事にした。
「あ、ちょっと待って」
 部屋を出ようとした真琴を、麗が呼び止めた。
「はい、なんでしょう」
 体全体で振り向いて、姿勢を正す真琴。
「真琴は男の人とのデートは始めてよね?」
「いえ、初めても何も、男とデートする気なんて無いです」
 氷のような冷徹さで否定する真琴。だがやはりそれは麗には届いていなかった。
「ううん、照れなくてもいいのよ。ちゃんと私たちがサポートするから。そうね、じゃあ今日九時になったらリビングに集合しましょう」
「はい?」
「明後日のデートに向けて色々と計画を立てないとね」
 そう言って微笑む姿は天使のようであったが、その姿を見て、なんとなく穏やかならざる暗雲が心の中に立ち込めるのを感じずにはいられない真琴であった。

 真琴が呆然とする中、あっという間に時が過ぎ予定の九時になった。
 いつの間にかリビングの大テーブルに首都圏の地図が敷かれ、その上に男女のミニフィギュアが一体ずつ用意されていた。
 その大テーブルを囲むように7人の少女が座り、さながら作戦司令室の様相を呈していた。
 真琴はといえば大テーブルから少し離れた主賓席と書かれた椅子に座らされている。
「何でこんな事に……」
 椅子に座らされながらそんな事を思った。
ワイワイガヤガヤと行われる作戦会議の中で時折、真琴に聞こえないほどの囁きで会話が交わされる。その後ちらりと真琴の方を見るものだから、それがやたらと恐怖心を煽られる。
「……はう〜……」
 蛇に睨まれた蛙というか、まな板の鯉というか真琴は生きた心地がしなかった。
 緊張に張り詰めた二時間が過ぎ、麗が席を立ち真琴の方に向かってきた。
「終わりですか?」
 ただ椅子に座っていただけなのにこれ以上は無いというほど憔悴しきったまことが顔を上げて尋ねた。
「ええ、会議はね。それで明日デートのシミュレーションをする事になりました。明日朝九時にここにきて頂戴ね」
 さりげなく、とんでもない事を言いながら微笑む麗。
「は?」
 目を丸くして首を傾げる真琴。
「言ったとおりよ。それじゃあ、次は貴方の衣装合わせね」
 麗が、パチンと指を鳴らす。
「え?ええ〜!」
 気が付けば、少女達に周りを囲まれている。いつの間にか退路を塞がれていた様だ。
 詰め寄る少女達。各々が思い思いの衣装を手にしている。ワンピース、エプロンドレス、ゴスロリに振袖、ナース服まである。どう考えてもデート用ではないものまで混じっている。
(この人たちは楽しんでる。俺を弄んで楽しんでる)
「あの、ここは穏便に……」
 もちろん、そんな言葉が聞き入れられるはずも無く、少女達が一斉に飛び掛ってきた。こんな事、同性同士だから許されるが側から見たら犯罪物である。その同性という表現もここでは甚だ曖昧になってはいるのだが、それはまた別のお話。
「い、いやだー!」
 そんな言葉も、かき消されていく。
 バタバタと部屋を喧騒が支配する。
「きゃーーー」
 突然の絹を裂くような少女の悲鳴と共に部屋の空気が凍りついた。
真琴が恐る恐る目を開けると取り囲んだ少女達が目を点にして自分を見つめていた。
 ハッと我に返る真琴。見下ろせばスリップ姿で両腕を抱えしゃがみこみ、目に涙まで溜めていた。
 もうほとんど迷子の子犬のような状態である。
 どうやら、さっきの悲鳴は真琴本人が無意識に出したものらしい。
「か、可愛い!」
 七つの声がハモった。
「え?」
 絵梨華が真琴に飛びついてきた。
「真琴ちゃん可愛すぎー」
 頬を摺り寄せる絵梨華。もうほとんどぬいぐるみと戯れる小学生という感じだ。
「ひゃあ」
 その柔らかさと恥ずかしさに慌てる真琴。
「ああ、絵梨華お姉様ずるい!あたしにも抱かせてください」
 美樹が口を尖らせ、絵梨華に抗議する。
「ダメー。これはあたしのだもん!悔しかったら貴方も早く妹作りなさい」
 どう見ても美樹のほうが年上に見えてしまうが、さすがにこういう時には姉の貫禄というか意地悪さが出ている。
「違うわよ絵梨華。真琴は私と麗のものよ」
 綾香が横から口を出す。
「マコトはボクの親友ダヨ」
 キャナルも負けじと口をはさんでくる。
 最早、姦しいといったレベルも通り越して大騒ぎである。
 しかしその渦中にあって真琴は困惑していた。無意識に悲鳴をあげてしまったこと、可愛いといわれた事。頭の中を渦巻いて気が遠くなりそうである。
(まさか、女性化が進行している!?)
 怖い考えが、浮かんでは消える。もう元には戻れないのでは……。
「そんなのは、いやだーーー!」
 もう最近は恒例となった真琴の叫びでまた一日が終わった。

   続く


あとがき
 どうもBAFです。すみません、今回予告どおりにはなりませんでした。体裁としてはお買い物編前編といった感じです。そんなわけでいつもより短めです。この後中篇「お姉さまとデート」後編「真一とお買い物」へと続く予定です。遅筆なので次回いつ頃になるかわかりませんがまたその時はよろしくお願いします。

戻る

□ 感想はこちらに □