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P.F.キャリアー
第二話

HIKO

 
 「・・・・・・・・痛い」
 朝、目が覚めて最初に優輝が感じたのは、痛みだった。
 いや、痛みを感じたからこそ目が覚めたのか? それとも逆なのか?
 ――タマゴが先か、ニワトリが先か。はたまた胡蝶の夢か・・・・。
 そんなコトはどーでもいい!
 問題なのは、昨夜成り行きでかくまってしまった、かおると言う少女が(本人はかあると名乗ったが)、なぜか優輝のベッドに潜り込んで来ていて、さらに優輝の首筋に、がっちりと歯をたてているという事実である。
 血管を噛み破るような強さではないが、身体そのものが小さいこともあって、歯自体がけっこう鋭い。下手に揺するとますます歯が喰い込んでしまうから、さっさと離れてほしいのだが、噛みついた当人は優輝の首筋に歯をたてたまま、すうすうと寝息をかいている。
 ベッドの上で横たわったまま、どーしたものかと思案しているところへ、あらたな闖入者がドアを蹴破るようにして飛び込んできた。
 「おっはよーっ! お兄、あっさだよーっ・・・・って」
 柔らかそうな髪をおさげにした小学生くらいの少女が、戸口のところで硬直していた。つり目気味の大きな瞳とちょっと濃いめの眉は、勝ち気で生意気な性格をそのままあらわし、頬に貼ったバンソウコウは、この少女の粗忽さを過不足なく表現していた。優輝の妹で、名を真輝という。
 「おはよ、真輝。悪いんだけど・・・・って痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!」
 挨拶した優輝の身じろぎに反応してか、首筋に噛みついた少女の口に、さらに力がくわわった。頸動脈を破られそうな痛みに、優輝はたまらず悲鳴をあげる。
 「痛い痛い痛いって、目ェ覚ませってこの・・・・真輝ぃ、何とかしてェ」
 「・・・・・・・・・・・・・・」
 「・・・・真輝?」
 戸口に立ったままうつむいている真輝の肩が小刻みに震えている。優輝が訝しげに目を細めたとき、ようやく首筋の少女が目を覚ました。屈託なく優輝に笑いかける。
 「おはよ、おねーちゃん」
 「・・・・あのねー、おにーちゃんだって、何度言や理解るの?」
 「うっそだあ」
 「・・・・・・・・・・・」
 一言のもとに否定されて優輝ががっくりと肩を落とした。救いを求めるように真輝のほうに目を向ける。
 「真輝ィ、キミからも何とか・・・・」
 「――お兄ってば・・・・」
 真輝は優輝の台詞など聞いていなかった。ぶるぶると震えながら、絞り出すようにつぶやくと、次の瞬間、般若のような形相でがばっと顔を上げた。
 「不潔――――――――!!」
 
 閑静な住宅街である鷹飼家の周辺に、重苦しい打撃音が響き渡る。道行く人々は、ちょっと顔を上げたものの、音の発信源を確認するとあっさりと興味を失ってしまった。この手の音がこの辺に響くのは、べつに珍しいコトではない。
 発信源である優輝の部屋では、ばたん! と、激しい音とともにドアが閉じられ、どすどすと荒々しい音をたてて足音が遠ざかっていく。
 部屋のベッドの上では、きょとんとした表情で傍らの人物を見上げる少女と、顔面に一メートルもの大きさの招き猫をぶつけられて痙攣している優輝の姿があった。
 ――トラブルの一日が、また始まる。
 「――そうか、しくじったか。・・・・まあ仕方ない。次の手に移れ。・・・・ああ、そっちは問題ない。そのための鼻薬だからな」
 そこまで言ってから、電話の人物は後方にちらりと目をやった。灰白色のスーツを着込んだ初老の人物が、電話で話している人物を睥睨しながらソファーに納まっている。超然としている風を装っているが、険しい目の光がちろちろと漏れ、たるんだ頬の肉がぴくぴくと痙攣している様から、態度のわりに小心な人物であることは明白であった。名前を風間、電話の男は黒崎という。
 黒崎は電話を握りなおし、話を続ける。
 「とにかく、そっちは気にしなくて良い。一刻も早く女か小娘、どちらかの身柄をおさえろ。多少強引な手段を使ってもな。・・・・言い訳は聞かん、さっさとやれ!」
 叩きつけるように受話器を置くと、ソファーの客に話しかけた。スイッチを切り替えたように表情がにこやかな物になる。
 「いやあ、申し訳ありませんなあ、風間さん。不手際が多くて」
 「・・・・言っておくがな、黒崎くん」
 平均値以上に皮下脂肪を蓄えたソファーの客は、苦り切った表情で黒崎を睨み付ける。接客スマイルそのものの、へらへらとした黒崎の顔つきが、風間にはどうも気に入らない。
 「私は鼻薬をかがされた憶えはないぞ。便宜を図った事による報酬を受け取ったに過ぎん。ちがうかね?」
 「いや、全くその通りですな」
 黒崎はへらへらとした表情のまま追従を言う。
 「・・・ですが、私の職場はご存じでしょう。部下たちはあなたのように立派な学歴を持っていない、いわゆる『落ちこぼれ』ですからな。――ま、それは私も同じですが」
 風間がうむ、そうだろうとばかりに頷く。黒崎は一瞬だけ双眸に危険な光を浮かべるが、風間は気づかない。黒崎は言葉を続けた。
 「そういった連中にあなた方の優秀さを説いても意味はありません。ご褒美をエサにした方が効果的なのですよ」
 「その割には無能ではないか。たかが小娘ひとり拉致するのに失敗したあげく、所轄の連中に大勢の逮捕者を挙げられてしまった。すぐにもみ消したがね」
 「申し訳ありません。お手数をおかけしまして」
 黒崎は頭を下げた。風間は肥満体の身体を大きく反らせてソファーの背もたれに両肘をかけた。
 「今回の『報酬』、安くはないぞ。覚えておきたまえ」
 「心得ました」
 満足そうに笑う風間に頭をさげながら、黒崎の胸中では激しい怒りが渦巻いていた。
 はたしてそれは失敗した部下たちに対するものか、それとも眼前の腐れデブに対するものなのか・・・。
 黒崎自身にも判断がつかなかった。
 「・・・・で、連れてきちゃったってわけ? 大変ねえ、子連れで登校なんて」
 「仕方ないじゃない。真輝もボクもいない家に一人っきり残していく訳にはいかんでしょうが」
 登校路の途中である。小柄な優輝の首からぶら下がるようにしがみついている少女、かおる。優輝の方は別段苦しがるでもなく、普段通りの表情である。そんなふたりに極端なまでに大柄の少女――もはや体格的に少女とは呼べないが――が話しかけている。優輝がかおるを連れ帰った現場に居合わせた人物である加賀都である。
 「・・・そっかー、ユーキん家、真輝とふたり暮らしだもんね。小父さんたち、まだ帰ってこないの?」
 「どーだろ? 頻繁に連絡は来るけど、顔を見せたことはないなあ。しまいにゃ顔忘れちゃうかもね」
 おどけてそう言う優輝だが、その胸中ではどのような想いが渦巻いているのか。160センチにも満たない小柄な体格と、少女に間違われることもしばしばという整った顔立ち。鷹飼優輝と言う少年が、決して見た目通りの性格ではなく、相当にしたたかな性分を秘めているのを知っている者は、都や真輝などを含めても、そう多くはない。
 都は話題を変えることにした。
 「それはそうとユーキ、なに首に巻いてるの?」
 「マフラー」
 「この暑いのに?」
 都が首を傾げるのも無理はない。現在は初夏を過ぎたばかりの暑い盛りである。優輝自身夏服である白い開襟シャツを着ているのに、首に真っ赤なマフラーを巻き付けている。薄手の生地なので、防寒用と言うよりファッション的なもののようだが、余った布地を二本、服の外に垂れ下げているので、おそろしく目立つ。
 「変かな?」
 「変」
 都の返答はにべもないものだった。もともと他人に遠慮などする性格でもない。これのせいで、美人のわりには人気がなく友人も少ないのだが、都自身はいっこうに気にしていない。
 「そっか、ミーヤが変って言うなら、いーや」
 ひとつ頷いて優輝はそのまま通学路を進む。都は優輝の言葉に首を傾げた。
 「どーゆー意味よ? ユーキ」
 「だって変人が変って言うなら、それはマトモって事じゃない」
 「・・・・あんたねー(怒)」
 おどけて告げる優輝に怒れる都。優輝自身、自分が奇異な格好をしていることなど承知している。実際には、彼の首にしがみついて眠っている少女(器用な事をする)によって付けられた歯形を隠す、と言う理由で巻いているに過ぎない。
 もっとも、包帯を使えばいいものを、わざわざ真っ赤なマフラーなどという、目立つ代物で平然と登校してくる優輝の感性は、やはり尋常ではない。
 「――ところで、どーすんの、その子?」
 短距離の鬼ごっこにも飽きたのか、都が表情をあらためて優輝に問いかけた。
 「やっぱ、保健室あたりに預かってもらうしかないかなあ?」
 「保健室、ってゆーと、あの新任の保健の先生か。確か名前は・・・・」
 「華澄。華澄霧香(かすみ きりか)だ」
 突如、ハスキーな女性の声が割り込んだ。優輝と都は、ぎょっとなって声の方に振り向いた。
 そこには艶のある黒髪を背中まで伸ばした二十歳そこそこの若い女性が、不機嫌そうな表情で立っていた。身長は170センチほどだから、女性としては高い方だが、眼前に180センチ近い大女がいるせいで、まるっきり目立たない。優輝に至っては、ふたりの表情を見るのに始終顔を上げてなくてはならない。首が疲れるなあ、などと思ってたりする。
 「オレに何か用か? 言っておくが授業をサボって保健室で寝ていよう、なんて要望は受けつけんからそのつもりで」
 誰もがはっとして見つめる程の美人でありながら、喋る台詞は男そのものである。スタイルもかなり良さそうなのに、本人はその事にまるで関心がないらしい。
 「ありゃー絶対結婚できねーな。・・・ってゆーか、しねーか」
などという無神経な台詞を吐く輩がいて、都はただちにそいつを半殺しにしたが、言われた当人は平然たるものだった。
 「ち、違いますよお。実は――」
 優輝が手短に事情を説明する。もちろん首を噛まれた、などとは言わない。
 「――わかった。この『かおる』を下校まで預かれば良いんだな?」
 「ええ。よろしくお願いします」
 「ユーキ、予鈴鳴ったよ」
 「おっといかん、遅刻だ」
 遠くに聞こえるチャイムの音に、身を翻して走り出すふたり。後方になびく赤いマフラーを見つめながら、霧香はすやすやと眠るかおるを抱いた手にぎゅっと力をこめた。
 
 そのときは急いでいたせいで、優輝も都も気づかなかった。武術の達人であるふたりが、霧香の気配に全く気づかなかったこと、そしてかおるの言う「きーか」と霧香の名が、極めて語感が似ていることに。
 
 結局、ふたりは遅刻を免れなかった。校門近くにまたしても昨夜の巨漢がいて、性懲りもなく襲いかかってきたからである。
 「どらああああああああああああッ!!」 
 「・・・もうっ、しつこいっ!!」
 舌打ちしながら応じる都だが、巨躯の割には身のこなしが素早く、おまけにタフなので、都が何発打ち込んでもそれほど堪えた様子がない。これのせいで昨夜も決着が着かなかったわけだが、何時までもつき合ってはいられない。
 「ミーヤ、退いて」
 一言で都を下がらせると、優輝は両手を下げたまま巨漢の前に進み出る。巨漢にしてみれば、小さな子供がしゃしゃり出てきたようなものである。ふん、と鼻で笑って一気に払いのけようと右腕を振り上げる。
 優輝にしてみれば、相手が自分を舐めてかかってきた方が、遙かに対処しやすい。大きく振り上げた巨漢の眼下に神速の足捌きで跳び込むと、ぎょっとしている巨漢の表情になど目もくれずに回し蹴りを撃ち込む。巨漢の膝裏に。
 強力な「ヒザカックン」を喰らった巨漢が、思わずへたり込むと、優輝との身長差はほとんどなくなってしまった。間髪入れずに優輝は強力な肘打ちを、巨漢の「梵の窪」に叩き込んだ。延髄に直接ダメージを与えられた巨漢は、あっさりとKOされてしまった。
 「・・・・・いつも思うんだけど、なんであんなに強いのよ、あんたは」
 自分が散々苦労していた巨漢をあっさり片づけられて、都は憮然とした表情で優輝を見やる。
 「段取りが悪いんだよ、ミーヤは」
 苦笑しながら優輝は応じた。あんなガタイのでかい奴に、少々の打撃が通じるハズがない。同じ撃ち込むなら、普段打たれてない箇所を攻めた方が効果的だろう。結果はご覧の通りだ。
 「不公平だわ。あたしの方が先に道場に通ってたのに」
 「公平不公平じゃないと思うんだけど。それに不公平だというなら、ミーヤの身長の方がボクには羨ましい・・・」
 「こんなのちっとも嬉しくないわよ!」
 ふたりとも自分の身長のことでは、多少なりともコンプレックスがあったらしい。
 ・・・・・・こんなことしてたら、学校に間に合うはずはなかった。
 身体の異変を感じたのは、何時からだっただろう。巨漢と闘った時はなんともなかった。時々熱っぽさを感じて授業中に何度も頭を振った。頭痛はないが、手足が痺れる感覚がある。今朝かおるに噛まれた傷が強く熱を帯びていたが、ぼーっとした頭ではその事までは考えられなかった。
 いつもならこうした優輝の異常には真っ先に気づくはずの都も、今朝の口論でへそを曲げてしまったらしく、顔を出してこない。(別クラスなのだ)
 ついに我慢の限界をこえてしまい、優輝は教師に申し出て保健室に向かった。
 いつもの学校内の光景が、なにやらうずまいて見える。蒼白な表情で歩く優輝は、何度か他人にぶつかったが、常ならぬ彼の症状に、みんなが怒らずに支えてくれた。
 ようやく、と言った感じで保健室にたどり着く。
 「――どうした? その様子だと、仮病じゃなさそうだな」
 古びた保健室の扉を開けると、今朝見た服装の上に白衣を着込んだ華澄霧香校医が、大変人情味あふれた台詞で出迎えた。
 「・・・・先生、仮病はないでしょ仮病は」
 「いや、悪い悪い」
 「あーっ! お姉ちゃんだーっ♪」
 天から突き抜けたようなキンキン声が、優輝の鼓膜を貫いた。そーか、そーいやこの子が居たんだった。忘れてたなー。
 「かおる、病人の前だぞ。静かにしないか」
 「うん。わかった」
 やけに素直に応じるかおるの姿に、ふと疑問を感じた優輝だが、霧香に助けられてベッドに横になった途端、限界に達したように身体が動かなくなった。
 身体の拘束を解くように服のボタンをゆるめ、首のマフラーを解いた霧香は、そこにあった歯形を見て眼を見開いた。
 「かおる――」
 「うん――」
 ふたりして何かを呟いているのを霧笛のように聞きながら、優輝の意識はゆっくりと遠ざかっていった――。
 「――っ、う・・・ん」
 固く閉じていた瞼をこじ開けるようにして、優輝は目覚めた。一瞬自分がどこにいるのか解らなかった優輝だが、やがて意識を失う前の記憶を取り戻し、ここが保健室であることに気が付いた。
 首を巡らせて時計を探す。首筋になにやら違和感を感じたが、とりあえずは無視して壁に掛けられた時計を見る。
 07:25
 優輝は眼を疑った。この時計は24時間表示のはずだ。だとするなら、今は・・・朝の7時25分?
 しかも時刻のわきに付いているカレンダーによると、あれから既に3日が過ぎていることになる。
 優輝は一気に飛び起きた。寝込む前に感じていた倦怠感は嘘のように無くなっていた。それどころか、前より身体が軽くなったような感じだ。
 だが、違和感はそれより遙かに強烈だった。それが何なのか考えるより先に、優輝は違和感の正体を直視することになった。
 「え・・・・何だ、この髪・・・?」
 栗色の長い髪が優輝の視界に映った。くせのない健康的な柔らかい髪が朝日を浴びて輝いている。よくよく見るとそれを掴む手も腕も、ひとまわり細くなっていた。
 優輝は身体を見下ろした。寝る前に着ていた服は脱がされ、たっぷりめのTシャツを着せられていた。その胸のイラストが大きく自己主張していた。――いや違う、胸の方が大きく膨らんでいたのだ。
 「・・・・・って、まさか!?」
 よくよく考えると声だって変わっていたのだが、自分の声というものは、客観的に判断しづらいため、気づくのはもっと後になってからだった。
 優輝は仕切りのカーテンを一気に開いて、診療室のわきにあった鏡にとりついた。姿見ほど大きくはないが、結構大きい。
 そこに映っていたのは、長い艶のある栗毛色の髪を腰まで伸ばした美少女の姿だった。
 ミッキーマウスのプリントされたダブダブのTシャツを着ているが、胸の部分だけが妙に窮屈そうに見える。シャツの外に見える両手も両足も、皮膚を貼り替えたように、白くきめ細かくなっている。顔そのものはさしたる変化はないが、元々女顔だったところに持ってきて、さらにきめ細かく艶やかな皮膚が加わったのだから、もはや付け加えることもない・・・・。
 優輝は、しばし呆然となっていたが、やがて頭をひとつ振ると、腕を組んで呟いた。
 「・・・・戸籍の変更できるのかな?」
 すでに女性として生きていくことに、何の抵抗もない優輝であった。
 

続く

 
 
 
 第二話です。今回は予想外に早かった。次もこうだと良いのですが。感想や要望、気楽に書いてください。ネタ集めの足しにしますので。
HIKO



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